子どもにとって何が1番良いかと考えると、最終的には、機嫌の良い大人がそこにいると言う事のような気がする。
叱らないでもいいですか?
このことの本当の意味の意訳があるならば、それは「機嫌の良い先生でいる」ことの保証、であると思います。
ここまでの話をすると、多くの方は、そんな事は無理だよ、人間だもの機嫌が悪くなるに決まっている、腹を立てないなんて無理な話だ、喜怒哀楽って言うでしょう。怒りっていうのは大事な感情ですよ。
と言うような反応が返ってくる。
最後の一行はとっても大事で、怒りと言うものは本当に大事な感情であります。
その大事な感情を、本当の意味でしっかり捉えていれば、最終的に怒りと言うものは、人間の手から離れるものです。
(この辺のメカニズムについては、本ブログの検索欄で、『怒り』と検索していただければ、数々の記事がご覧になれます)
さて、多くの先生が機嫌が悪くしているのには理由があります。そのほとんどが子どもの状態や子どもの言動に起因しないと言うことが明らかになっています。
なぜなら、多くの先生たちが、体力に余裕があり、気持ちに余裕があり、時間に余裕がある場合には、子どもの言動や反応に対して、上手に対応できるからです。
原因の80%以上は、教師の疲労と言うことになるでしょう。
もちろん、これは、教員だけの問題でなく、日本人の大半の大人の人が、これと同様の状況になっていることでしょう。
疲労と言うのは、休日に少し休めば、あるいは睡眠をしっかりとれば取れると思い込んでいる人が多いと思います。
しかし、これは休養あるいは休憩と呼ばれるものの、ほんの1つの側面にしか過ぎません。
アクティブレストと言う言葉があります。積極的で体を動かしたり、知恵を動かしたり、創造的な活動をすることが、かえって大きな休養になると言うことが、アメリカの心理学会で既に証明されております。
アクティブレストは、疲労困憊した体力を回復させると言う事とは別に、今度は自分の活動に向かうために、心の準備や頭の準備、気持ちの準備と言うものを整えていくための、無理矢理日本語にすれば、休息ではなく「活力活性化」のようなもの。
今このアクティブレストに当たる活力の復帰時間は、小学校の子たちにはほとんどありません。あるとしても、該当する子はほとんど1%にも満たないと思います。100人子どもがいれば、おそらく0.5人以下でしょう。そんな時間が取れるのは。
したがって、政府はこれを子どもたちに保障すべきです。つまり、小学校の授業の時間以外に、子どもたちが自分が学習に向かうための気持ちを準備する上で、やってみたいと思えるような自由な創造的活動の時間、を、与えるのです。これは政府が子どもたちに与えるのです。
そうなると、やはり、土曜日の復活が大切になってきます。あるいは、勉強の時間を削るかですね・・・。え?無理ですか?無理ですね。
では思い切って教員の数を2倍に増やし、土曜日だけの先生を雇ったらどうでしょうか?
やりたい人はたくさんいると思います。現にうちの母親に尋ねてみると、喜んでやりたいそうです。まぁ83歳なので、本気かどうか分かりませんが。
今の日本に豊富に潤沢にある資源としては、老人の活用が社会資本として有効です。そして老人と子どもと言うのは、もともと相性が良いものだと思います。
子どもは優しいので、おばあちゃんにも優しくすると思います。まぁうちの母は少し口うるさいので、どうか分かりませんが・・・
ともかく、子どもたちが疲れていることを、見て見ないふりをすることをやめましょう。不登校の対策はそこからだと思います。子供が疲れていないという幻想にとらわれて、事実を見ないことが原因です。不登校の現象を抜本的に解消するには、学習に向かうための助走時間を作ってあげることです。それを担任がやるのではなく、その地域の優しい大人がやるのです。叱らないで、子どもに接することができる人です。毎朝8時半から10時までは、地元のじいちゃんとばあちゃんが、子どもの自主的、自発的な活動をひたすら見守るわけです。
どなたか、文科省の方が本ブログを見てくださることを祈っています。
叱らないでもいいですか?
このことの本当の意味の意訳があるならば、それは「機嫌の良い先生でいる」ことの保証、であると思います。
ここまでの話をすると、多くの方は、そんな事は無理だよ、人間だもの機嫌が悪くなるに決まっている、腹を立てないなんて無理な話だ、喜怒哀楽って言うでしょう。怒りっていうのは大事な感情ですよ。
と言うような反応が返ってくる。
最後の一行はとっても大事で、怒りと言うものは本当に大事な感情であります。
その大事な感情を、本当の意味でしっかり捉えていれば、最終的に怒りと言うものは、人間の手から離れるものです。
(この辺のメカニズムについては、本ブログの検索欄で、『怒り』と検索していただければ、数々の記事がご覧になれます)
さて、多くの先生が機嫌が悪くしているのには理由があります。そのほとんどが子どもの状態や子どもの言動に起因しないと言うことが明らかになっています。
なぜなら、多くの先生たちが、体力に余裕があり、気持ちに余裕があり、時間に余裕がある場合には、子どもの言動や反応に対して、上手に対応できるからです。
原因の80%以上は、教師の疲労と言うことになるでしょう。
もちろん、これは、教員だけの問題でなく、日本人の大半の大人の人が、これと同様の状況になっていることでしょう。
疲労と言うのは、休日に少し休めば、あるいは睡眠をしっかりとれば取れると思い込んでいる人が多いと思います。
しかし、これは休養あるいは休憩と呼ばれるものの、ほんの1つの側面にしか過ぎません。
アクティブレストと言う言葉があります。積極的で体を動かしたり、知恵を動かしたり、創造的な活動をすることが、かえって大きな休養になると言うことが、アメリカの心理学会で既に証明されております。
アクティブレストは、疲労困憊した体力を回復させると言う事とは別に、今度は自分の活動に向かうために、心の準備や頭の準備、気持ちの準備と言うものを整えていくための、無理矢理日本語にすれば、休息ではなく「活力活性化」のようなもの。
今このアクティブレストに当たる活力の復帰時間は、小学校の子たちにはほとんどありません。あるとしても、該当する子はほとんど1%にも満たないと思います。100人子どもがいれば、おそらく0.5人以下でしょう。そんな時間が取れるのは。
したがって、政府はこれを子どもたちに保障すべきです。つまり、小学校の授業の時間以外に、子どもたちが自分が学習に向かうための気持ちを準備する上で、やってみたいと思えるような自由な創造的活動の時間、を、与えるのです。これは政府が子どもたちに与えるのです。
そうなると、やはり、土曜日の復活が大切になってきます。あるいは、勉強の時間を削るかですね・・・。え?無理ですか?無理ですね。
では思い切って教員の数を2倍に増やし、土曜日だけの先生を雇ったらどうでしょうか?
やりたい人はたくさんいると思います。現にうちの母親に尋ねてみると、喜んでやりたいそうです。まぁ83歳なので、本気かどうか分かりませんが。
今の日本に豊富に潤沢にある資源としては、老人の活用が社会資本として有効です。そして老人と子どもと言うのは、もともと相性が良いものだと思います。
子どもは優しいので、おばあちゃんにも優しくすると思います。まぁうちの母は少し口うるさいので、どうか分かりませんが・・・
ともかく、子どもたちが疲れていることを、見て見ないふりをすることをやめましょう。不登校の対策はそこからだと思います。子供が疲れていないという幻想にとらわれて、事実を見ないことが原因です。不登校の現象を抜本的に解消するには、学習に向かうための助走時間を作ってあげることです。それを担任がやるのではなく、その地域の優しい大人がやるのです。叱らないで、子どもに接することができる人です。毎朝8時半から10時までは、地元のじいちゃんとばあちゃんが、子どもの自主的、自発的な活動をひたすら見守るわけです。
どなたか、文科省の方が本ブログを見てくださることを祈っています。