30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。

部活動・スポーツあれこれ

1年ごとに子どもは成長する

1年生と2年生は全く違うし、2年生と3年生もものすごい違う。

子供は1年経つと、こんなにも変わるかと言う位に成長する。
時間軸を短めに取り、1週間でみても、かなり変わっているのだと思う。本当は。

子供は音を立てて成長していく。

昨日は運動会だった。
6年生を見ると、なんでこんなにも背が高く、なんでこんなにも足が速いのかと驚く。
また、キビキビと準備を手伝う6年生。
指示を的確に聞き、少しずれていたら自分で直してくれる。
6年生だなぁ、すごい気がつくようなぁと思う。


今年は本当に久しぶりに1年生から6年生までが一緒に午前中の4時間余りを共に過ごした。
1年生は、他の学年の競技を全て見ることができたし、コロナ禍のために中止されていた、おそらくほとんどの見たこともなかった大玉送りを全校でやることができた。

大玉に空気を入れて膨らませていたら、4年生の子がやってきて「何この玉!」と言ったのが職員室で話題になっていた。
4年生の子ですら、見たこともなかったのだ。
「こんなの、学校にあったの?知らなかった」

職員の先生たちだけが、6年前を知っている。


現在の小学6年生は、2020年度に1年生、2021年度に2年生、2022年度に3年生でした。
彼らが小学校に入学した2020年以降、学校生活の多くが制限下にあったため、全校生徒が一堂に会する従来の形式の運動会を経験していないのです。これは、おそらく全国的に見て珍しいことではないように思います。

2年前からは、コロナもだいぶ落ち着きを見せていた。そこで午前中開催と午後開催に分け、3学年ずつの前半後半交代制で行っていた。
そこでやはり一年から6年生までが全て揃ったわけでは無いから、大玉送りなんてやらなかったのです。

一番面白かったのは、綱引きで、これも1年生の子たちが興味津々で大縄を見て叫んでいたことですね。私が担任している3年生も、なんだあれは!と驚いていました。

こうしてみると、コロナウィルスが人間の生活や成長に大きな影を落としていたことがよくわかります。

6年生は確かに手際が悪かったです。しかしあの子たちは初見なのです。小さい時から見慣れていた光景だったら、どんなふうにやればうまくいくか、先輩の姿が確かに頭の中に残っていて、もっとうまくやることができたでしょう。

でも、私はその手際の悪さを責める気にはなれませんね。上手にはできなかったでしょうけど、その場で色々と気がついて、何とかして進めようとしてくれていました。10年前の運動会を知っている先生たちからすると、モタモタしているように見えても、誰もそんなことで腹を立てる先生はいません。彼らは初めて見たものに、一生懸命取り組んでいたのです。

片付けの時、いい光景がありました。
大縄は、引きずってしまうと、土ぼこりでものすごく汚れてしまうので、空中に上げて、そろそろと片付けるのですな。
すべての競技が終わった最後、その大縄が運動場にビヨーンと伸ばされ、3メートルおきに、子供がずらりと並んで、綱を泥汚れから守るために、一生懸命に空中にあげている姿は感動的ですらありました。

でも、みんなの顔が笑っていましたね。
生まれて初めてやることだから、楽しいんです。
何回もやったから飽きちゃったよと言う雰囲気はしませんでした。だから、今年の運動会は、なんだかいつもよりもとても楽しく微笑ましく感動的でした。

思うんですが、あれが楽しかったから、またやろうと言うのは時折やめてもいいんじゃないかと思いますね。0から考える、1から考える。そういう運動会があってもいいんじゃないかと思います。

私がやりたいのは、靴飛ばし競走です。
誰が1番靴を遠くに飛ばせるか。
令和の子供はやったことがないと思いますから。

私は職員会議で必ず出すのですが、却下されています。先生たちみんな笑顔になるんですけどね。お約束の冗談だと思われているみたいです。

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部活動の質を変える方法【非認知能力の向上】

勝利と言うのは、やはり、どうしても、誰かに勝つ、あるいは、自分以外の何者かに対して優越すると言うような感じで捉えられることが多い。

簡単な例がじゃんけんで、小学校1年生でも、じゃんけんで勝つとか、負けるとか言うことに理解を示していて、勝つと嬉しそうに興奮するし、負けると残念で悔しそうな顔をする。

買ったら、〇〇がもらえるなどのような、ご褒美形式の状況がある場合、勝たなければその目的のものが手に入らないわけで、負けたら残念に思うに違いない。

だから、勝つということには、価値が置かれているし、これは大人も子供も変わらず、勝つと言うことに対して社会的な意味が与えられているのだと思う。

ところが、人類がこのシステムを採用する場合、一部の人にしか良いことがないので、人類全体から見た場合には、マイナスが生じている。
子供時代の部活動において、トーナメント方式などが採用されていることが多い。これは土曜日か、日曜日などの限られた時間を使って、スタッフを含めて、関係者が試合のスケジュールを効率的に進めるには便利だからであります。

トーナメント方式を採用する場合には、本当に勝つのは、たったの1チームのみで、残りのチームはすべて負けを経験することになり、勝利にのみ価値を置く思考スタイルを採用すると、多くの場合、マイナス面が大きい。

だから、本当に子供の心理的な安全性を最優先に考えるのであれば、トーナメント方式は良い方法とは言えない。

そう考えると、プロ野球のようにシーズンを通してずっと試合があり続けると言うのは面白いシステムだと思う。
どんなに弱小チームでも、強豪チームに今日は勝つことがある、場合によっては、大量得点を奪うこともある。
チームとしての成績もあるが、個人としての成績も、様々な尺度でデータ化される。するとチームは必ずしも強くはなかったし、優勝はしなかったが、今の自分はこのチームに多大な貢献をしているし、チャンスの場面で活躍したことがあるとか、ピンチの場面でうまく切り抜けることができたなど、大きなストーリーの中で自己を捉えることができる。

ところが、高校野球はトーナメント方式で、最後まで、涙を流さないのは、たった1校だけ。残りの参加校はことごとく涙は流すのである。

おそらく、今後、子供の成長、発達や心理的な安全を考えるのであれば、トーナメント方式は採用されなくなっていくだろう。

それよりも、コーチや指導の立場にある人々の考えがうんと変わるので、勝つことに価値を置く指導者は減り、その指導を受ける子供たちも、勝つことに価値を置くと言うよりは、もっと違う面に価値を置くようになっていくと思う。

たとえば、次のように。

・サッカーが好きで楽しんで練習を行っている自分。

・もとは嫌いだったが真剣に取り組むようになった自分。

・自分なりに工夫することができているかどうか。

・うまくいかなくても、相手に負けてもイライラせずに、次に向けて気持ちを整理できる自分。

・まわりの人にアドバイスを聞きながら練習できる自分。

・コーチの話をしっかり聞き、感謝の気持ちを持てる自分。

などのように。

勝てたからよかった、
勝てたから、自分には価値がある
負けたから良くない
負けたので、自分には価値がない

たったこれだけの貧しい価値観で、自分のことを見つめる必要はなくなる。

どんな自分なのか、このスポーツに関わっていることで、自分はどんな成長を得ているのか。
そこに、価値を置けるようになったときに、部活動のあり方は、初めて変わる。

朝から晩まで、土曜日、日曜日も無くして、全てを犠牲にしてやらなければならないという苦しい部活動は、この世から消えていく。少なくとも、怒声や罵声はきかれなくなる。「叱らないでもいいですか」。このブログのタイトルが予言した世界が、近づいている。

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