どうして小学校で思考ツールが流行し始めたのだろう。
文部科学省初等中等教育局視学官としてご活躍されている田村学という先生がいる。
その先生が以前、中学校の授業で思考ツールを使ってみた。
「深い学び」っていうのが、これじゃないか、ということになり、タブレット端末とも相性がよいことから、徐々に広がってきたようだ。
文科省の中でも話題になり、全国で講師になって招かれる主事の先生たちがこれを取り上げているようで、現場の先生たちにこれらを紹介したことで、全国的な流行がきているようだ。
思考ツールの原点は、古代インドの曼陀羅だ、という人もいるし、いや、イギリスのトニー・ブザン氏のマインドマップだ、という人もいる。
また、いやいや、カードを使ったデータ整理法「KJ法」で有名な川喜田二郎教授だろう、という人もいる。トニー・ブザン氏と川喜田二郎氏はお互いに仲が良く、ともに「頭脳の取扱説明書」を探し当てようとして研究をすすめた同志であったようだ。
わたしは大学生の頃に「KJ法」に出会ったが、それはとある講習会で、答えがあるようなないような、禅の問答のような思考実験をくりかえしていたさなかに、
「この講習会でこうやってあれこれと考えていた川喜田先生が、ここからヒントを得てKJ法を提唱された」
と聞き、なんじゃそれは、と思ったことがきっかけだった。
たしかに人間の思考というのはとらえどころもなく、拡散すると思えば収束し、結論を導いたと思った瞬間にまたわからなくなり、まことに思考というのは妙なものである。
また、一人の頭脳があるキーを探し当てて夢中になっていると、その人のつぶやきを聞いた別のある一人が、あたかもパスボールを受け取るようにして思考を進め、それを聞いてさらに新しいひらめきを得る、ということが起きる。
思考とかひらめき、脳のインスピレーションというのは、キーとなる要素が複雑にからみあい、遠くのものが一瞬にして結合し、どんどんともつれあい刺激されあいながら、汲めども尽きぬ知恵の鉱脈のように再生産を繰りかえす。
小学校で「学ぶ」ということが、これまでは知識中心であったが、そういう時代が今こそ本当に終焉するらしい。国語辞書、百科事典、新聞記事、研究者ネットワーク、ぜんぶインターネットにまかせる。それでよい、ということのようだ。いまやスマホで簡単に、学会・学術ネットワークにもアクセスできる。
これまでは、「そうはいってもな」という雰囲気があった。そうはいっても、知識は必要だし、その情報を蓄積するのは、授業でさまざまなことを学びながら少しずつ、ということであった。
でも、どうやら文科省は、本気らしい。今度こそ。
人間は、知識の量がどうこうというより、「思考する」のだ、という感じ。
わたしだって、小学生が思考ツールを使いこなす、ということに、大きく違和感を持つ世代なのだが、どうやら時代はそういうことになってきているようだ。
で、そもそも大きな目的が、
「自分で自分の学びを計画できるようにさせる」
ということのようなので、
わたしはそれこそ、「宿題を自分で思考して計画し、決めていく」というのを、子どもがやったらいいのでは、と思いついたというわけ。
では具体的に、なんだろう。どんなツールで?
昨日からずっとそれを考えていて、
トニー・ブザン氏の マインドマップか。
あるいは川喜田二郎氏の KJ法か。
それとも、古代インドに源流を置く、マンダラートか。
この3つのうちのどれかで、いちばん小学生向きなのが、トニー・ブザンかな、と思った次第。
写真は、川喜田次郎氏。
文部科学省初等中等教育局視学官としてご活躍されている田村学という先生がいる。
その先生が以前、中学校の授業で思考ツールを使ってみた。
「深い学び」っていうのが、これじゃないか、ということになり、タブレット端末とも相性がよいことから、徐々に広がってきたようだ。
文科省の中でも話題になり、全国で講師になって招かれる主事の先生たちがこれを取り上げているようで、現場の先生たちにこれらを紹介したことで、全国的な流行がきているようだ。
思考ツールの原点は、古代インドの曼陀羅だ、という人もいるし、いや、イギリスのトニー・ブザン氏のマインドマップだ、という人もいる。
また、いやいや、カードを使ったデータ整理法「KJ法」で有名な川喜田二郎教授だろう、という人もいる。トニー・ブザン氏と川喜田二郎氏はお互いに仲が良く、ともに「頭脳の取扱説明書」を探し当てようとして研究をすすめた同志であったようだ。
わたしは大学生の頃に「KJ法」に出会ったが、それはとある講習会で、答えがあるようなないような、禅の問答のような思考実験をくりかえしていたさなかに、
「この講習会でこうやってあれこれと考えていた川喜田先生が、ここからヒントを得てKJ法を提唱された」
と聞き、なんじゃそれは、と思ったことがきっかけだった。
たしかに人間の思考というのはとらえどころもなく、拡散すると思えば収束し、結論を導いたと思った瞬間にまたわからなくなり、まことに思考というのは妙なものである。
また、一人の頭脳があるキーを探し当てて夢中になっていると、その人のつぶやきを聞いた別のある一人が、あたかもパスボールを受け取るようにして思考を進め、それを聞いてさらに新しいひらめきを得る、ということが起きる。
思考とかひらめき、脳のインスピレーションというのは、キーとなる要素が複雑にからみあい、遠くのものが一瞬にして結合し、どんどんともつれあい刺激されあいながら、汲めども尽きぬ知恵の鉱脈のように再生産を繰りかえす。
小学校で「学ぶ」ということが、これまでは知識中心であったが、そういう時代が今こそ本当に終焉するらしい。国語辞書、百科事典、新聞記事、研究者ネットワーク、ぜんぶインターネットにまかせる。それでよい、ということのようだ。いまやスマホで簡単に、学会・学術ネットワークにもアクセスできる。
これまでは、「そうはいってもな」という雰囲気があった。そうはいっても、知識は必要だし、その情報を蓄積するのは、授業でさまざまなことを学びながら少しずつ、ということであった。
でも、どうやら文科省は、本気らしい。今度こそ。
人間は、知識の量がどうこうというより、「思考する」のだ、という感じ。
わたしだって、小学生が思考ツールを使いこなす、ということに、大きく違和感を持つ世代なのだが、どうやら時代はそういうことになってきているようだ。
で、そもそも大きな目的が、
「自分で自分の学びを計画できるようにさせる」
ということのようなので、
わたしはそれこそ、「宿題を自分で思考して計画し、決めていく」というのを、子どもがやったらいいのでは、と思いついたというわけ。
では具体的に、なんだろう。どんなツールで?
昨日からずっとそれを考えていて、
トニー・ブザン氏の マインドマップか。
あるいは川喜田二郎氏の KJ法か。
それとも、古代インドに源流を置く、マンダラートか。
この3つのうちのどれかで、いちばん小学生向きなのが、トニー・ブザンかな、と思った次第。
写真は、川喜田次郎氏。