30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

はやぶさ・宇宙

火球を見た時に思ったこと

昨日の夜、8時30分ごろ。
学校を出て帰ろうと外に出て、駐車場でふと夜空を見上げると、
でっかい流れ星?が見えました。

わたしは最初、流れ星とは思わず、

「・・・」

という感じ。
あまりにも大きかったのと、
緑色の光がちょっと人工的な気がしたから。
きっと、どこかで人工的に打ち上げたものだと思った。
それも、だいぶ長く光って、横に流れたから。

中央は白く光っていたけれど、
周囲は、緑色っぽかった。
また、先端部分はまるで線香花火の先端の玉(たま)のように、オレンジ色に「散っている」部分もあり、
その部分だけを見ると、電線の先端で火花が散っているような印象。

ところがすぐに、

「あんな上空で、人工的に光るわけがない。流れ星か、火球というやつか」

と思い直し、すぐに

「あ、カメラで撮影したらよかった」

と思った。

5、6秒は光っていただろうか。
その短い5,6秒の間に、上記のようなことをたちまち

思う

ことができるのだから、人間の思考というのは本当に素早いのだな、と感心した。
また、同時に

「うーん、なにか願い事を言えばよかったかな」

とも思った。

といって、なにも願い事が思い浮かばず、

「今はただ、ひたすらごはんが食べたいのと、早く寝たい」

ということだけ。

そんな願い事しか思いつかなかったことに対してのみじめさ悔恨
そして、それを、あんなに長い間光り続けてくれていた流れ星がいたにも関わらず、
ぼーっとして逃してしまい、「つぶやくことができなかった」、おのれの反射神経のにぶさに

ぎゃおおおおおん

と吠えたくなりました。

で、今日になってその火球が、東海地方はおろか、関東地方でも見られたということがニュースになっていたのを見て、

「え、あれ、すぐ近所の山に落ちたんじゃなかったのか」

と驚きました。
そんな広範囲で見られるようなものだとは、露(つゆ)ほども思わなかった。

わたしは火球を目撃した帰り道、車の運転をして自宅に帰りながら、

「あの火球、もしかしたら裏の山の神社あたりに隕石になって落ちんてるんじゃないだろうか」

と思い、

「今度の日曜日、隕石探しにでも、ちょっといってくっか」

と呑気にハンドルを握りながらつぶやいていたからであります。

それにしても、でっかい火球で、すぐ近所に落ちたかと思ったがなあ・・・


それからまた今日の夜になってニュースを見ていたら、その動画まで撮影されたのがインターネットでもアップされていたのでさらに驚いた。

わたしが見たのは、神奈川県の方が撮影された動画で、わたしが見たものよりもさらにでっかく見えていた。(拡大してるのかな?よく分からない)

実物は、ほんの珈琲豆程度の小石らしいです。
それが、あんなにきれいに、すごいでっかく見えるなんて。
火花まで散らして。
そして、あんなに緑色に、輝いて見えるなんて。

すごいよねえ。

火球

りゅうぐうの石を持ってきた『はやぶさ2号』

どうやら大成功らしい。
探査機「はやぶさ2」から分離されたカプセルが6日午前2時半ごろ、オーストラリア上空の大気圏に突入した。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)がウーメラ砂漠に着地したカプセルを発見。約3時間後に回収し、日本に持ち帰る。中には小惑星「りゅうぐう」の砂が入っているとみられ、日本に持ち帰って詳細な分析を進めるという。

はやぶさについてはMUSES-Cと呼ばれた第一号機のころにエンジニアとしてかかわっていたので、後継機が大成功と聞くととてもうれしい。

わたしがISAS内をうろうろしていたときは、今のような交流棟などなく、研究施設だけであった。ところが今よりももっとのんびりしていて、A棟の1Fには夏休みになると子どもがロケットの模型を見に来ていたりもした。1Fのロビーでは、家族が写真を撮っていたし、なんともほんわかした時代でありました。

当時は恰幅の良い的川泰宣先生がニコニコしながら室長の部屋から出ていらっしゃることもあり、わたしは的川先生が書いた宇宙に関する子ども向けの本を読んでいたから、「うわあ」と思って多分にミーハー気分で一方的に挨拶をしていた。

わたしにとって忘れられないのは、ロケットの発射施設がある鹿児島・内之浦での体験。
ASTRO-Fと呼ばれた赤外線天文衛星「あかり」の打ち上げ準備で内之浦へ行き、あれこれとネットワークの機器を設定していたが、なんとか夜遅くまでに作業を終えて宿へ帰ると食事がない。泊まる人数が少ない日だったためか、食事が用意されていなかったのだ。また、研究所のメンバーがよく利用していた宿の近くの定食屋が休業中で、本当に食べるものがない事態になってしまった。
やむをえず仲間とともに外出したが付近に夜9時をすぎて営業している店などひとつもなく、レンタカーでさびしくドライブした心細い夜を思い出す。
ともかく、夜10時近くだったから、店が開いていない!コンビニなんてない!

横にいる会社の相棒もだんだんと不安な顔になってきた。
「志布志まで行かないとダメか?」
車の中で、本当に食うものがなかったらどうしよう、と心細くてたまらない。

それでもピンク色のネオンがひとつだけ、森の中の道沿いにひかっているのを見つけ、そこに車を停めた。店は開いているようだったがだれもおらず、大声で呼ぶと、奥から若い女性が出てきた。
頼み込んで、酒のつまみのようなものをつくってもらったが、あのときのおにぎりはうまかった。なんせ、昼から作業に没頭して何も食ってなかったからね。酒は注文せず、おにぎりと小さな唐揚げ?のようなものを食べさせてもらって、なんとか腹を満たした。隣の部屋から小さな子の声が聞こえてきていたから、もしかしたらその子の晩御飯を横取りしたかもしれないと思うと、本当に申し訳なく、車にもどってからネオンに向かって真剣に拝みました。ピンクのネオンに向かって拝んだのはあれが最初で最後です。

小惑星の砂を回収できていれば、2010年に初代「はやぶさ」が「イトカワ」から持ち帰って以来の快挙となる。有機物や水を含むとされる小惑星からの回収は世界初で、太陽系の成り立ちや生命の起源に迫る手掛かりになると期待される。

人間はこうした問いについて、きちんと
「わからないものは、わからない」
として、考える力をもっている。
だから面白い。
「わからないもの」まで「わかった」と言わないから、面白い。
わかったふりをして、わかったような気になって、死んでいく人生ほどむなしいものはない。

りゅうぐう


下記は、第一号のはやぶさ時代の記事。

〇「はやぶさ、すごかったんだね」
〇絶対に、もどってきてほしい。
〇はやぶさの映画をみて
〇映画「はやぶさ/HAYABUSA」を見てまいりました。
〇なんと特大ポスターが学校に届いた。
〇東映、渡辺謙さんの「はやぶさ」は
〇20世紀FOXに、お願いしてみました

はやぶさ大成功のニュースが流れて

「はやぶさ2」の成功が報道された。
あぁ、良かったな、と思う。
記念に、最初のはやぶさのときの記事を再掲することにしました。今夜はこの記事を懐かしんで読みながら寝ることにしよう。(以下の記事中のはやぶさは、1号のことです)


【以下、2013年2月の記事より再掲】

はやぶさ大成功のニュースが流れて、保護者の多くも話題にしてくださったようだ。
朝、学校へ行くと、
「先生、よかったね!!」
と何人もの子が声をかけてくれた。

先生、ニュース見たよ、とか、
いろんなトラブルがあったんでしょ、とか。

親も、子どもの興味に応じて、解説を加えてくれているようだ。

「すごいねえ」

「はやぶさ」が、すごいのだ。
そのプロジェクトが、すごかったのだ。
関わった人と、その情熱がすごかった。

私が以前、宇宙科学研究所で勤務していたことを少しばかり話していたので、保護者がその気になって、子どもに関わってくれている。
宇宙の話をしてくれていたり、家から宇宙の図鑑や本を持ってくる子もいる。
なかには、相当くわしい宇宙大好き少年もいる。

私も、そういう子にはできるかぎり、自分の分かるかぎりの話題を投げかけてみている。
人工衛星、探査衛星の話をするだけでも、いろんな話題がある。
星座はあまりくわしくないが、衛星にまつわる話や、そのデータを日本のどこでどう集め、どうやって送信し、どこで研究者がくわしく調べているのか、というような裏事情を少しは話すことができる。
そんな程度の、軽い話であっても、やはり伝わるものがあるのか、教室でもよくみんな、話を聞いてくれる。

惜しいのは、鹿児島の内之浦で撮影した、当時の写真が1枚しかないこと。

仕事場の同僚と、背広姿で、ロケット模型を背に写した写真しかない。

もっといろいろと撮影していれば、はやぶさの話もたくさんできたのにな、と思う。
(当時は仕事だったから、写真なんて撮っているヒマがなかった)

はやぶさの打ち上げの時、発射の向きが垂直でなく、斜めになっていることの話をしたら、今日はかなり子どもたちの興味をさそったらしく、

「テレビで見た!」
と大声で叫ぶのもいて、大いに盛り上がった。

日本のロケット発射技術、衛星探査の技術、そうした日本人の誇りとなる部分を伝えられることは、教師としても大きな喜びだ。
そして、こうしたロマンを教室で語れることが、本当に日本の教育でも必要なことなのだ。
大人が、真剣に頑張っている、ということを、たくさんたくさん、伝えたい。
シラケた顔の高学年に、真剣さを伝えるのには、「はやぶさ」の話題はもってこいなのだ。

はやぶさは、後継機を開発するという。
もちろん、必要だ。
教育界にとっても、たいへんに必要な出来事であり、プロジェクトである。

はやぶさ2が、楽しみだ。

はやぶさ

「人間は馬鹿だ」の前提で。

.
米テキサス州ヒューストン近郊のサンタフェ高校(生徒数約1400人)で18日朝に起きた銃乱射事件。

学校での銃乱射事件自体は、もう何度も何度もくりかえし、くりかえし起きていて、ニュースを聞くたびに暗い気持ちになっていたが、今回のニュースを聞くと、もう開き直って、

「人間は馬鹿だ」という前提

で、社会のシステムを構築したほうがいいな、という気になってくる。

かくいう自分も、自分のことを信頼していないから、めざましを2つかけるときもある。
ぜったいに忘れちゃいけない、という用事については、翌朝に備えて、メモをわざわざ、玄関の自分の履く靴にクリップでとめておくこともする。

それでも靴を履いてから、玄関を出て車のエンジンをかけるころには、忘れてしまっているのだから、なんという馬鹿だ、と自分を責めることになる。

かしこい人間は、その自分を責めずに、さらに信用できない自分のために、次なる手を次々と考え出し、

「そんなこともあろうかと、〇〇しておいた」

といった風で、自分の失態をきちんとカバーする体制をしっかり敷いている。

ずいぶん昔のことになったが、小惑星の探査で有名になった宇宙探査機「はやぶさ」は、イオンエンジンが壊れたり、行方不明になったり、電池切れになったりしても、ことごとく

「そんなこともあろうかと」

というカバーの技術が生きていて、ぜったいに「はやぶさ」を死なせなかった。

人間は賢いのだから、銃を正しく使えるはず、という前提で、銃を販売している。
その銃を、手入れするときの誤射によって家族が死んだり、自分が死んだりと、銃を手入れする際の事故も、絶え間が無い。

銃を持つことを選んだアメリカの社会は、「はやぶさ」のように、誤射しても大丈夫のような、あるいは狂人が人を狙ったとしても弾が出ないように、カバーするシステムを、構築しなければならない、と思う。

身近な自動車に目を向けてみても、ぜったいに事故にならない車、をつくるのが、TOYOTA自動車の社長の夢だ、と聞いたことがある。
ところが、まだそれは実現していない。

ぜったいに人を不幸にしない銃、というものを、銃を作る会社の人は、考えなければならないし、そのアイデアのために、もっともっと人はカバーの技術や、文化を構築する必要があろう。

もしかすると、それは「技術」がそうするのではなく、「文化」が大きな役割を果たすかもしれない。

カバーを何重にも行う文化。人がもし間違ったとしても、その人間を責めないで済むように救済するための文化。

人を助ける文化。

それができるような人になるための資質、能力をのばし、育成して、立派な大人に成長させることが、小学校の役目。

だと考えれば、小学校自体も、失敗をカバーする文化、で成り立っていないとネ。


もし、仮に、だ。
これが、逆だったらどうか。
たとえば、人間は賢いから、転ばないはず、という前提だと、学校から保健室がまず消える。

子どもが転んだら、

「なんで転んだりなんか、するんだッ!」

と、叱り飛ばす。

「自己責任だッ!たんこぶの痛みをこらえろ!」

保健室は不要だね。これなら。確かに安上がりだわ。

school_hokenshitsu

20世紀FOXに、お願いしてみました

*1325337300*[教師仕事あれこれ]20世紀FOXに、お願いしてみました
今年の思い出、その1。

秋、10月1日に、映画「はやぶさ」が公開されました。
JAXAに関わって勤務していた自分には、とても縁の深いお話。
そこで、「はやぶさ」のポスターがほしい、と思って、映画会社にむしのよいお願いをしてみました。
その時の記録です。今年の9月中旬でしょうか。

はじめまして。
わたしはJAXAに富士通のエンジニアとして常駐勤務した経験があります。はやぶさの打ち上げの年にも勤務していたことから、教室で宇宙の話や「はやぶさ」の話をしています。とても盛り上がります。
今は、担任している小学校2年生の子どもたち(打ち上げの年に生まれた子供たちです)と、運動会で披露する「はやぶさ」のダンスを練習したり、「はやぶさ」の勉強をしたりしています。

子どもが家で両親にはやぶさのことを尋ね、保護者の間でもはやぶさに関心が高まっています。
9月の下旬には運動会ではやぶさのダンスをします。またその直後にはやぶさの映画が封切られるということで、とても楽しみにしております。そこで、映画会社の方に、ぜひお願いがあるのです。

はやぶさのことをさらに学校でも話題にしたく、教室や廊下にはやぶさの映画の展示をしたいのです。
わたしが転職して教師になる前にどのようにJAXAに関わっていたかも子供たちの関心になっているようで、大きな写真のある、はやぶさの映画のポスターがあればぜひ学校にかざらしていただけないかと思っています。
そのようなお願いなのですが、ポスターを数枚、ゆずっていただくというのが可能かどうかを教えていただけないでしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。

20世紀FOXに直接交渉してみるが、はたしてどうだろうか、とハラハラしていた。

「はやぶさ」のダンスを踊るのだ。
教室や学校に、映画のポスター、貼りたいなあ。JAXAが協力している、というので、JAXAって大きな文字で書いてあるしね・・・。
なによりも、子どもたちが、
「自分たちが踊ろうとしている<はやぶさ>」
のこと(世間的な意味合い)を、肌で感じるのではないだろうか。
映画(のポスター)にもなっているのだから。

そう思って、依頼したのだ。
このくらい、担任ががんばってもいいでしょう、という気持ちで。


さて、そしたらどうだったでしょう。(つづく)

東映、渡辺謙さんの「はやぶさ」は

もうずいぶんいろいろなところで言われて、今更感もある。
でも、自分で見た実感を書いておこう。

結論からいえば、子どもも見て良し、でありました。
うちの子、1年生ですが、耐えられました。
2年生も、耐えられるでしょう。
3年生なら、なんとはなしに、大人の世界のドラマチックな部分をそれとなく感じることができるのではないでしょうか。
高学年なら、意味がわかると思います。人が、あきらめない境地に立とうとしている、そのことの意味が、感じられると思います。



行ってまいりました!!
東映の映画館へ!
さあ、どうだったでしょうか。東映、渡辺謙さんの「はやぶさ」は!



20世紀FOXの「はやぶさ/HAYABUSA」は、コピー。
完全コピーとコミカル演技。
的川先生役の西田敏行さんがその象徴で、なんだか、夏休み家族向けムービー、という感じでした。
その内情は、相模原でのロケがたくさんあり、わたしも半分だまされたように、本物そっくり。
管制室のSUNのマシンや、「飛行安泰」の神社札のシール、ソラリスのキーボードの紫色カバー、その他、多くの画(え)が、とてもよくできていた。
宇宙研(ISAS)のメールマガジンにも、「20世紀FOX社のは、オタク心を刺激する仕上がり」と山本さんが書いていらっしゃいます。



さて、東映の方はどうだったでしょうか。
渡辺謙さんが、東日本大震災を気持ちの上で抱え込んでのロケだった、というのが分かりました。
なんだか、とても、見ていて、苦しくなる。

でも、それは進めなくてはいけない歩みである。
一歩一歩が、託された、思いの込められた歩みである。
そして、自分たちには、それをやれる、という自信がある。

まあ、本当に男っぽいというか、クサイというか、そんな世界でした。
でも、実際の職場って、どこもそうですよね。フル回転の心地よさ、いさぎよさ、疲れるけど、気持ちは晴れている。
そんな、日本人の勤務する姿、働く風景が、画面の中にこめられていました。



今回は、完全コピーでもないので、前回のようなつっこみは、しないで見ることができました。
前に一度、20世紀FOXを見ているからか、また別の作品として、ふつうの映画として見ていることができました。
(前回は、川口先生が最後、B棟3Fの廊下を出て左にまがったところで、涙がひっこんだ。おい、そっちはトイレだろ!)


今回のセットの方が、なんだかキレイすぎたかな。
おそらく世の中の多くの人の期待やイメージが、

「はやぶさの管制室はこんなふうにキレイにちがいない」

と思っているからだろう。
実際は、・・・それほどでもないぞなもし。
ブロックのようになった絨毯が、あちらこちら、めくれていたのを覚えています。
また、管制室と廊下、建物内描写の異なっている部分があり、先生とNEC社員が言い争った後にNECさんが出て行く場面は、いったいどこの場所なのか?と疑問。
どう見てもC棟。
管制室はB棟の3Fだから、なぜ管制室からかばんをもって出て行くとC棟の1階に出るのか、ちょっと混乱しました。
また、管制室の入口と廊下につづくレイアウトが実際と異なります。これは、最後に川口先生が

「できれば彼(はやぶさ)に、地球を見せてあげたい」

とつぶやくシーン。ここを、背景の管制室とかぶさるように画をとりたくて、レイアウトの変更をしたにちがいありません。


宇宙研がバッと画面に出てきたときや、例の生協の食堂が映しだされると、

いやー、なつかし~!!

おばちゃーん、いつもおかずの盛り、多くしてくれて、ありがとー!!




と叫びたくなります。
今回、おばちゃんは画に映りませんでした。残念。
(20世紀FOXではぼやけたけど、出ていたのに)


あと、宇宙研(うちゅうけん)の発音は、最後が、下がります。

うちゅう→けん↓


と発音してください。
盲導犬(もうどう→けん→)、に似た発音となると、本場風でなくなります。何人かの役者がそう言ってました。

なんと特大ポスターが学校に届いた。

(注※前回の続きの記事です)

なんと特大ポスターが学校に届いた。

映画「はやぶさ」の20世紀FOX社からである。
朝、事務の先生が

「あ、先生! 先生宛てに、なんだかとても細長い箱が届きましたけど」

と言ってくれていたので、さっそく荷物受けの場所を見に行くと、きちんとした箱に、ポスターが入っていました。

見たとたん、うれしくなって、さっそく教室へ運んで行きました。


「みんな!はやぶさのポスターが来たぞ!」

集まってきた子どもたちを座らせて、箱を開けてみると・・・

すばらしく大きなポスターが出現!
それも、なぜか両面に印刷されている。
裏側から見ると、字が反対に映っている。
ガラスに掲示することを考えて、こういうふうにしたんだろうか。

ともかくも、とても大きくて目立つポスターが届いてしまった。
さっそく廊下に掲示した。
なんでかしらないが、こんなにでかいポスターがあるので、他の学年の子供たちもみんな驚いている。

それにしても、元宇宙研システムエンジニア、という背景に興味を持ってもらえたのか、映画会社の方がこんなふうにサービスをしてくださるとは思っても見なかった。
おまけに、映画プロデューサーの井上潔氏からの手紙がついている・・・。

なんとも、たのしいことになってきた。

これが、秋のこと。


さて、2月には、東映の映画、「はやぶさ 遥かなる帰還」が公開される。
はやぶさを主題にした映画は、これで2本目。
子どもたちも、楽しみにしている。

「先生、またはやぶさの映画がやるって、お母さんが言ってたよ」

保護者の方も、情報をつかんでいる。

東映にもお願いをしてみようかな・・・。

映画「はやぶさ/HAYABUSA」を見てまいりました。

映画「はやぶさ/HAYABUSA」を見てまいりました。
封切り直後とあって、なかなかの人出。
雰囲気を味わいながら、ひさしぶりの映画館です。

さて、感想。
「よくつくられている」・・・。


はやぶさのほとんどの有名なエピソードが、うまく盛り込まれています。映画の2時間ちょっとで、どれだけ詰め込めるのかねぇ、と心配していたが、さすがは井上潔さん(脚本)。

(井上先生、わざわざお手紙を下さり、ありがとうございます。
教室で読み、さらに学級通信で子どもたちにも、親御さんたちにも、みんなに文面を紹介させていただきました。サイン入りのお手紙は廊下に掲示させていただいたので、給食を取りに来る子どもたち、みんな見ています)

とりわけ、中和神社の神主さんが、桂ざこば師匠だったのは、最高でした。それにしても、なかなかの名演技でした。ざこば師匠。

舞台となる相模原キャンパスの映像が出てくると、なつかしい、という感情がブウァー!と出てきました。
いやあ、本当に、あの大画面で見てみると、ひさしぶりに相模原にもどった感じがする。
おまけに、あの、食堂、玄関、エントランス、図書館、B棟、A棟・・・。
雰囲気、空気、張り詰めた仕事場の緊張感も・・・。



なつかしーーーーっ!!


こみあげてくるものがあったなあーっ!

あーーーーーーー!!

と、ひとりで映画館で叫びたい衝動も。

いちばん衝動が強まったのが、生協の食堂のシーンですね。
お世話になったあのおばちゃんが出てくるかと思ったけど、さすがにカメラの焦点に合わず、主人公の背景にほんの少し映ってただけで、ぼやけてました。残念。

富士通社員には、特別に大盛りにしてくださっていた、あの方!あのおばさま!なつかしや・・・。

だって、あの時代、苦労したんですもの。
小学校教員資格認定試験に向けて勉強しながら、cisco(CCNA)とかベンダーの資格をとるための勉強やら、会社の上司と約束した初級シスアドとか、本当に苦労してたんですよね・・・。
(ちなみに両方合格しました・・・。今何も役に立ちませんが)

だから、主人公の水沢さんが、ノート片手に必死に勉強している姿と、じゃっかん、あの時代の自分がかさなるものがありました。
夜中、間に合わない通信大学の拙いレポートを書いて、朝郵便ポストに投函するときなど、竹内結子さん演ずる水沢さんのように、パンパン、と柏手を打つ気分でした・・・。

もちろん、宇宙研のネットワークの仕組み自体も勉強しなければなりませんでした。内之浦→相模原→三陸→臼田間の次期導入のVPNの詳細だとか・・・。
必死でしたねえ・・・。
研究者の方たちの勉強量とは比較になりませんでしたが、システムエンジニアとして、自分なりにがんばっていた時代を思い出すと、そういう郷愁でもって涙腺が。

ストーリーとは別のところで、やけにいろいろなことを思ってしまって、なかなか純粋には見られませんでしたが、こんなふうに見る映画もなかなかあるもんじゃない。

他にも・・・


あっ、あっ、内之浦!

なっつかしー。

漁協との交渉、的川先生、こんなふうだったんだ・・・
苦労されてたんだなあ・・・

もしかしたら、的川(的場)先生役の西田敏行さんが講演しているホールって、あじさいホール?(相模原の方なら、お分かりの方もいらっしゃるでしょう)

さて、実際はどれだけセットを使い、どれだけが本当の宇宙研をつかったロケだったんでしょう。
B棟3Fの管制室なんて、そっくりでしたが・・・。
あと、管制室前の廊下をはさんだ部屋も。

管制室の前のガラス面のところに、リポビタンDがたくさん置いてあるのも、なんだか本当っぽい。

SE時代によく見た、ソラリスのマシン、共通QLのPCに貼りつけてある「飛行安泰」のお札も、あれはたぶん本物じゃないか、と思うくらいそっくりでした。(本当はどうなんでしょう)

え、ちがうんじゃないの、と思ったのは、最後の最後。
もちろん見ていた私も感極まって、涙腺がゆるみかけていたのですが、ひっこんでしまいました。

最後、はやぶさが大気圏突入し、燃え尽きる頃。

それまでB棟3Fの管制室にいた、プロマネの川渕先生(川口先生役)の佐野史郎さんが、室内にいた人たちをかきわけて、廊下に出ます。そして、A棟のご自分の研究室にもどられるところ。ひとりでAPPLEのノートパソコンで、はやぶさの映像を見ながら、涙をこらえておられます。
それはいいのですが、その直前。
B棟3Fの廊下、ICカードを通して、セキュリティのガラス扉を通られて、すぐに左へ歩いて行かれます・・・

(そっちは、トイレでっせ・・・)

セキュリティのガラス扉を出たら、右に行かないと、階段を下りることができません。

そういうどうでもいいことが、気になってしまう!!


これだから、事実を追った、半ノンフィクション半フィクションの映画は、むずかしいねえ。

この段階で、ああ、これは全部セットなんだな、とわかりました。
それにしても、管制室にしろ、CGにしろ、本当によくできていました・・・。

さて、明日さっそく。
学級の子どもたちに、映画の報告をしよう。
たのしみだな~。

はやぶさの映画をみて

どうでもいいことですが、気になっているので。

あの映画に、実際の宇宙研の先生たちで、画面に出られた先生はどのくらい、いらっしゃるのでしょう。

見知った顔を一生懸命にさがしたのですが、なかなか出てこない。

おそらく、本当に、ほとんどが役者さんなのでしょう。

ただ、最後の帰還するとき、管制室のガラス窓越しに、本物の橋本先生が見えました。これは本物だあ。

他は、矢野先生とか、國中先生とか、西山先生とか、映ったのかなあ。先生役の役者さんはもちろんいたけど、本物の先生たちは・・・。

ちっともわかりませんでした。映らなかったのかも。

NECのオペレータの方も、臼田の方も、内之浦の打ち上げ時の周囲の作業員の方たちも、みんな役者さんだった。

橋本先生以外は、画面に映った方、すべて役者さんだったと思います。
(子どもや主婦など、相模原・鹿児島の市民エキストラ以外は・・・)

・・・本当のところはどうなんでしょう(#^.^#)?

絶対に、もどってきてほしい。

はやぶさが地球に戻ってくる!!!
それが私にとっても大きなイベント。

教師になる前、ほんの少し、関わっていた。

内之浦でのM-5の打ち上げも、成功の瞬間を相模原のキャンパスで喜んだ。

打ち上げ前に、一業者の一人として、プロジェクトのネットワーク機器設定に関わった。

発射台の近くの、蜂の巣のようなふしぎな形の指令棟。
懐かしい思いと共に、滑稽な記憶もよみがえる。
司令棟の地下にもぐって機器の設定をしていたら、知らぬ間に閉じ込められてしまって狭い通路を青くなってウロウロしたことを覚えている。

間近に見た、組み立て前のロケットは、本当に大きかった。
これがとぶのだ、と思うと、ヘルメット姿のたくさんの関係者の人たちといっしょに、胸が高鳴ったのを思い出す。

はやぶさ。

絶対に、もどってきてほしい。
人生には、何度か本当にわくわくすることがある。
今回も、そのうちの、一つだ。

自分はほんのささいな面でしか関わらなかったけれど、それでも実際に間近で見て、現場の雰囲気を多少なりとも知る人間として、湧きあがってくる思いがある。

キャンパスのみなさんも、院生の方たちも、研究者の方たちも、富士通の人もNECの人も、みんな、はやぶさの帰還を、心から祈っているのだと思う。

成功を祈っています。
そして、ぜひとも、イトカワの実物が、入っていますように・・・!!

「はやぶさ、すごかったんだね」

なつかしい相模原キャンパスがうつる。
なつかしい先生方の顔。
そして、新しく設置された MUSES-C ロケットの模型。

管制室やB棟が画面に映るたびに、「ああ!」と大声を出すので、嫁が文句を言う。

はやぶさからの信号が途絶えたときのくだりになると、思わず涙腺が・・・

イラストを担当された 池下章裕氏 が、

「なんだか現場のスタッフの皆さんは、なんとかなる、という感じのことを言っていたので、なんとかなるだろうと思っていたところはありました」

と語っているが、現場にいたF社の関連社員たちも、そんな雰囲気だった。

「のぞみ、望み薄」 という記事が掲載されたときはなんとなくISAS自体が暗くなっていた気もするが、今回のはやぶさでは、たとえ衛星からの信号がキャッチできない時でも希望はあったようだ。

しかし、こんなふうに人生の中で多少なりとも関わった経験のあるプロジェクトが、DVDになって、なつかしい場面がたくさん放映されているのを見ると、「感傷」というのか、なんだかとてもせつないような気分が心に充ちてくる。

はやぶさが最期、空中に燃え尽きていく場面では、思わずこみあげてくるものがあった。
お部屋にもうかがったことのある川口先生のお顔が、涙でくもってしまいました。


こんな話を教室ですると、素直に

「はやぶさ、すごかったんだね」

と反応してくれる子がいる。

小学校の学習指導要領には、宇宙の授業についてはほとんど触れられていないけれど、実はもっとやった方がいい授業だと思う。
小学校で、宇宙のことに興味を持たなければ、その先もないよ。

理科の教科書にも、「はやぶさ」のことで、ページを割いてほしい。

何度も、こういう話がしたい。
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