やなせたなしさんの、アンパンマンについての文章が6年生の教科書に載っており、その授業について書いたことがある。
さて、今週の『あんぱん』の総集編を土曜日に見た。そして、あれっ?と思った。
いよいよ、やなせさんの生きる哲学の核心である、【絶対的な善】についての解釈が明らかになるかと思って待っていたのだが。
ところがストーリーはそうは進まなかった。
もしかしたら、多くの読者に刺激を与えないように、マイルドな表現になってしまっているのか・・・。やなせさんはそんな生易しいレベルで生きてきた人ではないので、私としてはしっかりと、人を殺すことの地獄と究極の善、について、ドラマの中でも描写して欲しかった。
たしかにまだ物語が終わったわけではない。これからそのシーンが出てくるのかもしれないが、なんだか嫌な予感がするナ。
NHKのドラマの作者としては、人を殺すと言うことについての実体験を持つ人たちを刺激するわけにはいかないのかもしれない。
8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式で石破総理が式辞を述べた。この式典では、先の大戦で亡くなられた全ての人々を追悼し、戦争の惨禍を二度と繰り返さないという不戦の誓いを改めて表明した。13年ぶりに「反省」という言葉を使ったことが特に注目された。
私はここでの反省と言うのは、人を殺したことについての反省、人を人として扱わなかったことについて、反省する、そういう意味だと思う。
そして、そのことが、まさにやなせさんがアンパンマンを生み出した原動力だったと思う。
しかしドラマでは、どちらかと言うとやなせさんの夢を追う姿勢やアイデンティティーの確立、というところに主眼が置かれていたように思う。
ご存知の通り、やなせたかしは、『手のひらを太陽に』の歌の歌詞を書いた。いずみたくが作曲し、これは大ヒット。やなせたかしは、漫画家になる前に、詩人として大成功をしてしまう。
ドラマでは、やなせ崇(やなせたかし)の「漫画家になりたい」という強い思いと、「詩人として成功した」という現実の間の葛藤を強調して描いている。
「手のひらを太陽に」のヒットによって、崇が詩人として一躍有名になり、漫画を描く時間がなくなるほどの忙しさを経験するのだが、漫画家としてはなかなか芽が出ず、自分の夢が遠ざかっていくように感じる。
このように、ドラマは「どちらか一方しか成功できない」という状況を作り出すことで、崇の苦悩をより強く表現した。この葛藤こそが、後の「アンパンマン」の誕生につながる重要な経験だったと描いているのです。
実際のやなせたかしは、詩人やイラストレーター、デザイナーなど、多岐にわたる分野で活躍していました。しかし、漫画家としては長年苦労し、アンパンマンがブレイクするまでは「売れない漫画家」としての時期が長く続きました。
ドラマは、この「売れない漫画家」としての苦悩を、「詩人としての成功」と対比させることで、よりわかりやすく、視聴者の心に響く物語にしているわけです。
つまり、
詩人として成功 → 漫画家になりたい夢との葛藤 → 漫画家としてアンパンマンを創作 → 大成功
という物語の流れを強調することで、やなせたかしの人生の軌跡と『アンパンマン』のテーマを深く結びつけているのです。
私は、少しだけ不安に思う。
これだけでは、視聴者が本当にやなせたかしを理解したとは言えないだろうと言う点。
自分のこだわりの夢を追い続けることではなく、目の前の人の要望や願いに沿ってその要望を受け入れることで、自分の夢との折り合いをつけ、多くの人を楽しませることが大切だ、とならないか。自分のこだわりや夢と、世の多くの人たちの要望に答えようとする役割任務の遂行者としての納得から、アンパンマンが生まれた、となってしまわないか。
アンパンマンが最初に登場した時、多くの読者から反響があり、「こんなのはヒーローではない」「ただ食べ物を分け与えるなんて、いやらしい偽善だ」「えらそうに食い物で人を釣るな」と叩かれた。
その、偽善だ、という世間の評価に全く怯まず、自分自身の絶対的な価値観を信じ続けたこと。
なぜ、怯むことがなかったのか。
なぜ、反響が悪くても、あんぱんまんを書き続けようとしたのか。
もしかしたら、この続きで、きちんと明らかになるかもしれないな。来週の放送が楽しみでならない。人を殺す地獄、が、きちんと描写されるかどうか、だ。
(この点の論考は、本記事の1番上にあるリンク先から、「戦争とは何か」について6年生の女の子がたどりついた結論を参照してください)


































