頭が良いのが良いのだよね!
・・・というふうに考える人は、この世の中では多数派でしょうね。
世間では、頭が良いことは良いことだ、と考えます。ほとんどの方がそうだと思います。
では、頭が良いとは、いったいどういうことでしょうか。なにが良い、ということなのでしょうか。どの程度、どういう種類の能力が優れている、ということでしょうか?
私は時折、子どもの態度や行動にハッとさせられます。
そして、この子は頭が良いなあ、と感心するのですが、例えば、先生である私が黒か白かどちらかだろうと内心思っていると、
「グレーもありだと思います」
と、サラッと発言するようなことです。
その子は、ハッキリ言うと、算数はできません。苦手な単元もたくさんあり、暗い表情で算数の教科書をめくるような子です。
でも、グレーもあると言う彼は、実は頭が良いと思います。
また、教室の隅の床の上に、図書館の袋が置いたままになっているので、どうせいつも片付けないS君が面倒くさがってそこに置きっぱなしにしたのだろうと私が思って、S君の姿を探していると、
「1年生の子がそこに置いたのかもしれないよ」
と言う子がいます。
私は全くその可能性は無いだろうと、勝手に考えていて、なんで1年生の子がこんなところに来るの?どうしてそんなとこに置くの?と思っていたら、図書袋を忘れた妹さんが、兄ちゃんのやつをいちど借りに来たんだ、ということがわかったりします。
でも、そこでアドバイスをくれたMくんは、漢字が全然覚えられなくて書けない頭の悪い子なのです。
でも、決めつけないで全く別の視点から、可能性を考えられると言うのは、たいした頭の良さだと思いませんか?
私はMくんは本当に頭の良い子だと考えています。成績は悪いですが。
総合的な学習の時間に、あることを調べようと言うことになって、調査するために多くの人のアンケートが必要になることがありました。
私は、校内の高学年の子たちに、アンケートを取れるように計画をし、多くの先生に頭を下げて、それを頼んで、アンケートを実施しました。
結果は、予想通りで子供たちも予想通りになったことを一応納得したのです。私は早く次の段階に行きたいので、アンケートはここまでにして結果がわかったから、その次の計画に進めようと子供たちと話しました。
でも、何人かの子供たちが、それに対して、強硬に反対をしたのです。つまり低学年のアンケートも取ろうよと言うのです。
低学年の子たちからアンケートを取るのはとても大変なことで、まず質問の意味を噛み砕いてよく説明しなければなりませんし、低学年の子たちが本当に正直にそのことを理解し、答えてくれるとは限らないのです。また低学年のアンケートは時間がかかり、一つ一つアンケートを取って集めているだけでもかなり時間がかかってしまいます。
私は、正直低学年からアンケートを取るのはやめたかったのです。
しかし、その時本気になって、やはり低学年からのアンケートも取るべきだと言うふうに意見を言う子たちがいて、私はその子たちの表情を見ていると、その本気さに少し感動さえしたのでした。自分たちが調査したいことを本当の価値ある調査にするために、やはり低学年の意見も大事だろうと言うのは理が通っているからです。
「やってみなくちゃ、わからないって、今僕たちがやろうとしていることだろうと思います」
発言した子たちの顔を見て、私はあぁこの子たちは頭が良い子たちなんだなと思いました。
でも、その子たちは、軒並み成績が悪いのです。算数も漢字も・・・。読書の量も少ない子たちでした。
でも、こういう風に考えられる子たちって頭が良いと思いませんか?
頭が良いというのは、能力のことではなく、態度のことなのですね。テキパキ、素早く判断をして、効率よく形作ることができれば、人間が1番幸せになれるかと言うと、そうでは無いのです。もっとより良く、もっとより価値のある生き方をしようと思った時に、実際は邪魔をするのが能力だったりします。
自分はもっと賢く進められる、あるいはスピード感を持って進められる、あるいはSNSでたくさんの閲覧数を稼ぐことができる、と頭の良い人たちは考えるかもしれません。
しかし、前述したように、本当の価値を掴もうとしたときに、実は能力よりも、物事を進めていくもとになる態度の方が重要だと言うこともあるのです。
こう考えると、もしかしたら学校と言うのは、頭の良い子たちを多く、生み出そうとしているのでは無いのかもしれません。いや、本当に頭の良い子たちを生み出そうとしているのかもしれません。
今大学の入試も変わってきました。高校の入試も、それに伴って大幅に質を転換させる高校が増えてきています。これまでのようないわゆる頭の良さについては、それほど重要視しないようになってきているようです。
どうやらこれまでの常識となっていた教育観念はかなり見直す必要がありそうです。
ダメだからと言ってはダメではなく、良いからと言って良いわけではないのですね。
・・・というふうに考える人は、この世の中では多数派でしょうね。
世間では、頭が良いことは良いことだ、と考えます。ほとんどの方がそうだと思います。
では、頭が良いとは、いったいどういうことでしょうか。なにが良い、ということなのでしょうか。どの程度、どういう種類の能力が優れている、ということでしょうか?
私は時折、子どもの態度や行動にハッとさせられます。
そして、この子は頭が良いなあ、と感心するのですが、例えば、先生である私が黒か白かどちらかだろうと内心思っていると、
「グレーもありだと思います」
と、サラッと発言するようなことです。
その子は、ハッキリ言うと、算数はできません。苦手な単元もたくさんあり、暗い表情で算数の教科書をめくるような子です。
でも、グレーもあると言う彼は、実は頭が良いと思います。
また、教室の隅の床の上に、図書館の袋が置いたままになっているので、どうせいつも片付けないS君が面倒くさがってそこに置きっぱなしにしたのだろうと私が思って、S君の姿を探していると、
「1年生の子がそこに置いたのかもしれないよ」
と言う子がいます。
私は全くその可能性は無いだろうと、勝手に考えていて、なんで1年生の子がこんなところに来るの?どうしてそんなとこに置くの?と思っていたら、図書袋を忘れた妹さんが、兄ちゃんのやつをいちど借りに来たんだ、ということがわかったりします。
でも、そこでアドバイスをくれたMくんは、漢字が全然覚えられなくて書けない頭の悪い子なのです。
でも、決めつけないで全く別の視点から、可能性を考えられると言うのは、たいした頭の良さだと思いませんか?
私はMくんは本当に頭の良い子だと考えています。成績は悪いですが。
総合的な学習の時間に、あることを調べようと言うことになって、調査するために多くの人のアンケートが必要になることがありました。
私は、校内の高学年の子たちに、アンケートを取れるように計画をし、多くの先生に頭を下げて、それを頼んで、アンケートを実施しました。
結果は、予想通りで子供たちも予想通りになったことを一応納得したのです。私は早く次の段階に行きたいので、アンケートはここまでにして結果がわかったから、その次の計画に進めようと子供たちと話しました。
でも、何人かの子供たちが、それに対して、強硬に反対をしたのです。つまり低学年のアンケートも取ろうよと言うのです。
低学年の子たちからアンケートを取るのはとても大変なことで、まず質問の意味を噛み砕いてよく説明しなければなりませんし、低学年の子たちが本当に正直にそのことを理解し、答えてくれるとは限らないのです。また低学年のアンケートは時間がかかり、一つ一つアンケートを取って集めているだけでもかなり時間がかかってしまいます。
私は、正直低学年からアンケートを取るのはやめたかったのです。
しかし、その時本気になって、やはり低学年からのアンケートも取るべきだと言うふうに意見を言う子たちがいて、私はその子たちの表情を見ていると、その本気さに少し感動さえしたのでした。自分たちが調査したいことを本当の価値ある調査にするために、やはり低学年の意見も大事だろうと言うのは理が通っているからです。
「やってみなくちゃ、わからないって、今僕たちがやろうとしていることだろうと思います」
発言した子たちの顔を見て、私はあぁこの子たちは頭が良い子たちなんだなと思いました。
でも、その子たちは、軒並み成績が悪いのです。算数も漢字も・・・。読書の量も少ない子たちでした。
でも、こういう風に考えられる子たちって頭が良いと思いませんか?
頭が良いというのは、能力のことではなく、態度のことなのですね。テキパキ、素早く判断をして、効率よく形作ることができれば、人間が1番幸せになれるかと言うと、そうでは無いのです。もっとより良く、もっとより価値のある生き方をしようと思った時に、実際は邪魔をするのが能力だったりします。
自分はもっと賢く進められる、あるいはスピード感を持って進められる、あるいはSNSでたくさんの閲覧数を稼ぐことができる、と頭の良い人たちは考えるかもしれません。
しかし、前述したように、本当の価値を掴もうとしたときに、実は能力よりも、物事を進めていくもとになる態度の方が重要だと言うこともあるのです。
こう考えると、もしかしたら学校と言うのは、頭の良い子たちを多く、生み出そうとしているのでは無いのかもしれません。いや、本当に頭の良い子たちを生み出そうとしているのかもしれません。
今大学の入試も変わってきました。高校の入試も、それに伴って大幅に質を転換させる高校が増えてきています。これまでのようないわゆる頭の良さについては、それほど重要視しないようになってきているようです。
どうやらこれまでの常識となっていた教育観念はかなり見直す必要がありそうです。
ダメだからと言ってはダメではなく、良いからと言って良いわけではないのですね。