30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

こん虫のクラブ

プール清掃前に理科・生活科の授業をやること

以前、神奈川の小学校に勤務していた時のこと。
その小学校では、プール清掃をする前に、網を持ってきて、プールに生息している様々な水生昆虫を集める学習があった。

おそらくそれは理科の大好きな先生が始められたことで、科学教育研究会(かきょうけん)という組織に所属していたある先生が私にも声をかけてくださったのだ。

校長先生に許可をもらい、クラス全員でプールに赴くと、既にそのS先生のクラスの子たちは、先にプールに到着しており、先生は子供たちに何かを指示しているところだった。

私は低学年の担任だったし、道具を持ってきていなかったので、ほとんど見るだけであったが、S先生は、自らも網を持ち出して、たくさんの昆虫を救った(掬いあげた)。

「来週このプールは6年生が掃除をしてピカピカにします。その前に、どんな生き物がいるのかを調べてみましょう」

S先生は、最初に見つかった水カマキリを、理科室から運んだ大きめの水槽に入れて我々低学年に見せてくれた。

勤務していた学校は都市部ではなく、まぁまぁ自然も残っている学区だったけれど、それでも子供たちはあまり水カマキリを見たことがないから、子供たちは皆、熱心にその生き物を見つめた。

「タガメがいないかなぁ」

とS先生がつぶやくと、その言葉に反応したうちのクラスの男子がちょっと興奮した声で、

「おれ、タガメ見てえ!」

と叫んだ。

タガメを知っている子はそう多くなかったけれど、それでも何人かは知っていた。タガメは、水中では魚を捕まえる位に、凶暴な肉食の大型昆虫であります。
小さめのフナのような魚であれば、タガメは捕まえてしまうのではないか。がしがしと食べるのではなく、チュウチュウと生き血を吸うのであります。

私がそのことを説明すると、クラスの子供たちのボルテージは、おお!と高まるのでした。

結局、タガメは見つからなかったのですが、ガムシやマツモムシなどはたくさんいました。どこからか飛来してくるのか、1番たくさんいたのは、トンボのヤゴです。大きめのヤンマ系列のトンボは、ヤゴの大きさも大きいです。私はぱっと見てわからなかったのですが、小さなホコリのようなものも、S先生が見たらヤゴでした。

あと、たくさんいたのは、おたまじゃくしです。カエルはどこかに潜んでいるのでしょうか、プールがここにあることを、なぜか知っているらしいのです。
そういえば、学校のちょっとした茂みに蛙が見つかることがあり、こんな街の中でも生きているんやなぁと感心していたのですが、考えてみたら、この蛙たちは、学校のプールで、どうやら大きくなっていたようです。税金でカエルを養っておりました。

S先生は、たっぷり、私たちに昆虫を見せてくれたあと、最後には、捕まえた昆虫たちを水槽に入れて、校長室前で数日間観察会を催してくれました。

私はこの時に良い思いをしたので、次の学校に転勤で異動した時、プール清掃前にS先生の真似をして、昆虫を見つけようとしたことがあります。

ところが、何の昆虫も、そこのプールには見つけられません。子供たちと網ですくって色々と探してみたのですが、ヤゴもおたまじゃくしもほとんどおらず、都会すぎるからだろうか、同じ市内でも住宅街が多いからかなぁ、と不思議に思っていました。
結局、それは、冬の間に藻が発生するのを防ぐために薬を入れていたからなのでした。後で、教頭先生に聞いてわかったのです。何でも先に、管理職の先生方に聞いておくのがいいですよね。

今年は私は理科を担当していないので、昆虫のことを忘れておりました。でも、来年はやりたいなぁ。

今の子どもたちの中には、ガムシもゲンゴロウも、マツモムシも、ヤゴも、見たことがない、という子もいます。

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これは何かしらちょっとまずいことのような気がしています。

蜂にジュースを

5月の連休中、庭仕事をしていると、
ぶーんという羽音が聞こえました。

ふと顔をあげてみると、なんと、でっかいスズメバチです。
スズメバチの顔を、間近に見てしまいました。

やや、図鑑と同じや!
でかい、でかすぎる!

すぐに畑の方へ、飛んで行ってしまったので、安心しました。
どこまで行ったかと目を凝らしてみたら、
遠くの方へ飛んで行っても、まだ見えてるんですね。
50mは遠くにいったか、と思ったけど、まだ黒い点として見えている。
おそろしいと思いました。そのでかさに。

昔の人が、スズメと見間違ったという伝説がありますが
「それもありうるな。あれだけでかいなら」と変に感心しました。

理科の先生から、
「春の蜂は女王バチ。夏の蜂は、働きバチ」
と習ったことを思い出しました。

蜂のトラップをつくる人がいますが、4月~6月初旬の女王バチをとらえるのには、効果があるかと思います。でも、6月下旬以後はやめておいた方がいいです。逆に、周囲から働きバチをよびよせてしまいます。
4月から6月中旬までに仕掛けておいて、そこで終え、回収してしまうのがいいですね。それだけでも、周囲にでかいスズメバチの巣ができたり、ぶんぶん飛び回ったりすることにはならないでしょう。・・・と思います(=_=)。

昆虫のことを教えてくださる師匠によれば、
「蜂はみんな人類の味方だ」
とのことで、ミツバチはおろか、アシナガバチも害虫を食べてくれる益虫だし、スズメバチも生態系をまもってくれている益虫だそうで、
「蜂の巣を退治するのは、本当なら必要がない」
と言ってました。

そうして興味をもって調査していると、自宅の庭に、けっこうな数の蜂が飛んでくることがわかりました。どうも、ここいらに巣をつくろうとしているのではないだろか・・・。

嫁様の依頼もあり、結局トラップをつくることにしました。連休ならではの取り組みです。

そこで、効果的な蜂トラップの作り方を、小学校の理科専科の先生に電話で聞いてみました。

「いれものは何がいいですか」
「ペットボトルがいいんじゃない。大きさは何でもいいよ」
「500ml でも、2Lでも、どっちでも?」
「大きさなんてなんでもいいよ。どんな大きさだってとれる」

どうやら、大きさはなんでもいいそうです。

「ああそうですか。じゃあ、何を入れるのがベストでしょう?」
「なんでもいいよ。あまいやつ」
「なんでもいい?・・よく酒とか焼酎とか聞きますが」
「酒なんて高いの、入れなくていいよ。ジュースで十分」

この理科の先生、理科の道をひたすら歩んできた天才的な人なのですが、
「なんでもいい」が口癖のようで、大きさも中身もなんでもいい、とのこと。
本当かなあ・・・(不安)。

わたしはこれまでに、蜂トラップというのは、焼酎を使うんだとばかり思っていた。
カブトムシは、バナナを焼酎につけておいたものが大好物で、数百メートル周辺から、カブトムシがそれへめがけて集まってくるのだ、ということを聞いたこともある。

念のため、理科の先生に尋ねてみた。
「先生、焼酎が要ると思ってたんですが、本当にジュースだけいいんですか?」

すると、案の定、酒は不要、と断言する。

「だって、酒を蜂に飲ませるなんて、もったいないでしょう」
「たしかに」
「酒は自分が飲んだ方がマシ!酒は、人間が飲むもの!蜂にはもったいない!」

ジュースは何が良いかと聞くと、即答で

「ぶどうのなっちゃんがイイ。あれは果汁が20%あるし。保存料もつかってないから酸化してアルコール発酵しはじめる気もする。ミツバチは寄ってこないからさらによろしい」

だとのこと。
よろしいでしょうか。小学校というのは、なかなかの専門家がそろっているものです。
考えてみれば、国語の専門家もいれば、算数の専門家、そして理科、音楽、体育、社会、その他、人間生活のさまざまなことに関する専門家がいます。小学校、という組織には・・・。

その理科の先生のお墨付きです!
なっちゃん!ぶどう味!
これだけで、アシナガバチとスズメバチがとれるそうでっせ(伝聞)。
(本当かどうかは、これから実証試験してみます)

budou


ペットボトルの例)↓
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小学校で『昆虫少年』を育てる方法

十数人の小学生が、手に手に補虫網を持ち、一匹の蝶めがけて

うりゃあぁーーー!!!

と、補虫網を振りかざす。

蝶は、その十数本の網をかいくぐりながら、ヒラヒラと逃げていきます。

「あっちだぁーッ!」

だれがが叫ぶと、その声に反応して、ハッと我に返った仲間たち。
ダーーーーッ、と駆けていきます。
それが二度、三度と繰り返されます。

ついに少年の一人が、補虫網で、高い壁際まで追い込みました。
頭上の窓ガラスに、垂直に張り付いた、青い蝶の羽の色!!
仲間から漏れる歓声と吐息。
そして、思わず起きる、拍手の音!
十数人の狩人たちが、お互いの健闘をたたえ合ってもらす笑顔。

「やったよー」
「つかまえた!」



網の向こうのガラス窓に、蝶はとまって動いていません。
補虫網をふるえる腕でおさえていた子の、腕の力が、だんだんと抜けていきます。

ここまで補虫網を振りまわしていた、その筋肉の疲れが、乳酸の溜り具合が、もう限界なのです。
つい、うっかりと、補虫網を浮かしてしまいます。

その途端。

「わあああーーーー」

またもや、蝶は元気よく、宙を舞うのです。

「逃げたーあああああ!!」

向こうの校舎で、別のクラブをしている女の先生が、怪訝そうにこちらを見ています。
あのクラブは、何のクラブだっけ?・・・あぁ、昆虫のクラブか・・・
女の先生は、カーテンをシャッと閉めて、関わらないでおこう、という態度。

こちらは、大事件の最中ですから、またもや、蝶を追いかけまわします。

「うぉおおおおお!!」


小学校の校舎の間に、野生の魂が、真っ赤に燃え上がりながら、こだましていきます。

調和と統率と集団ルールで守られた、白いコンクリートの校舎の間を、
赤い炎を目の奥に宿した少年たちが、人類の祖先から綿々と受け継いできた野生の血と勘をたぎらせながら、猛烈な勢いで走り抜けていく様を、どうか、じっくりとご想像下さい。

「ああああっ!!!」

ひらひらと、蝶はその美しい斑紋をひるがえして見せながら、2階建て校舎の上の方まで、行ってしまいます。
だれも打合せも無いのに、いっせいに漏れ出る悲鳴。
「だめだーーーー」


あーあ。

うなだれる少年たち。

しかし、2分後、またもその蝶が現れるのです。
そして、この文の最初の光景が、何度も繰り返されるのです。

つかまえた蝶を、展翅し、乾燥させ、標本箱におさめて、秋の「クラブ発表会」で展示します。
そこまでが、むしクラブの活動です。

虫さえいれば、このクラブは成り立ちます。
日本中の、どこの小学校でも、大丈夫。
顧問も、どなたでも、できます。
とくに難しい指導も、要りません。
20分でも、40分でも、たとえ5分でも、虫さがしはできます。
すばらしいクラブです。

全国の小学校の先生方に、「むしクラブ」を、ぜひお勧めします。

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今朝はもう、ムシに出会いましたか?

私が地元の「こん虫クラブ」参加したとき、目の前に、少しボーッとした表情の、中学生男子が3名、立っていた。

この子たちは、小学生時代からずっとこの会に参加していて、欠かさず、というわけにはいかないが、可能な限り参加して、縁を切らさないのである。

一人は、目玉がくりっとして、いかにも頭の回転がよさそうな、善良そうな少年である。身長は低いがスポーツ万能、但し勉強はからっきし苦手。物事をよく考える前に行動する直情径行タイプで行動力に溢れる・・・というタイプ。

二人目は、眼鏡をかけていて、ヤセ型。読書好きで研究熱心、理科の実験を趣味とし、明晰な頭脳の持ち主で機械にも強いが、小心者であがり性な部分があり、学校のテスト等、ここ一番で実力が発揮できておらず、故に学校の成績は今一つ・・・というタイプ。

三人目は、大柄でゆっくりと歩くが、昆虫を見つけた時にはふだんとは及びもつかないかなりのスピードでたもを振り回す。陽気な性格で、鼻歌を歌いながら道端のたんぽぽにも目をやる余裕も見せる。かと思えば、目の前のことに夢中になるので、首から下げた水筒を落っことしても気に留めない。・・・というタイプ。

(いずれも偏見にみちた私の勝手な推測である)


さて、この3人が、なんともいい味を出すのである。

わたしの息子が、新しいタモをうまく折りたためずに苦労していると、

「あ、それはですね」

ハカセが丁寧に指導してくれると思えば、

活力溢れるハチベエは大人のいかないような土手の上の方にも駆け上っていき、

「みなさん!!スジグロがいました!!」

と大声で報告し、大人を興奮させて喜んでいる。

また、モーちゃんは、水が飲みたくなると急に

「みず、みず、みず、・・・」

とうわごとのように繰り返したかと思うと、水筒をラッパ飲みする豪快な面を披露したほか、目の前を飛翔していたクジャクチョウを見るや否や、水筒を放り出して100mほども真剣になって追いかけていき、60代の熟女をして、

「ああいうガッツが、現代っ子のお手本よねえ。ビデオに撮って見せてあげたいわ」

と言わしめ、熟年女性たちの喝さいを浴びていた。


この3人は、いわゆるスポーツ系の部活には所属せず、中学校では、「まあそれなり」に過ごしているようであるが、この昆虫クラブには毎週のように参加し、幸福を満喫しているのである。

さすがに昔から通じ合った仲間のようで、お互いに目の端に、仲間を意識して留め置いている様子。だから、モーちゃんが100mも突っ走っていても、そのあとを、やはりなんとなしに、ハチベエやハカセが追いかけているし、ハカセがうちの子にタモの扱いを伝授してくれているときには、やはりなんとなしに、ハチベエやモーちゃんが、その様子を斜め後ろから見ていて、ハカセの先生ぶりを愉快がっているのです。

このときは、物静かな感じのおしとやかそうな、高校生の女の子も一人きりで参加していた。高校生はその子だけで、彼女はこれらズッコケ三人組とも同じにならず、かといって大人どもとも同じにならず、一人きり、微妙な速度で歩いていたが、だからといって、孤立しているのではなく、説明のあるときには一緒になって話を聞き、ズッコケが蝶をつかまえたときには、一緒に写真を撮影したりして、やはりそれなりに、楽しんで参加している様子であった。

また、参加していた大人たちは、小学生から高校生まで、年齢の離れたこうした子ども集団を、統率するようでもなく、無視するようでもなく、目の端に留め置く感じで、そーっと包み込むような雰囲気をもって引率していた。
このような雰囲気が、おそらく、この会の、真骨頂なのだろう。


○やることがはっきりしている
○許容されている範囲もはっきりしている
○目的地もはっきりしている
○ノルマがない
○責められない
○個人の成果というよりも、集団の成果として、喜びと共に分かち合われるものがある


ADHDの子も、自閉症スペクトラムの子も、傷ついた子も、場面緘黙の子も、

世界中の子ども、万人、例外のない人間すべてが、

どんな人でも、どんな子でも、「これなら参加できる」、そういう、すそ野のやわらかさ。


つまりは、貴重な空間が、ここにはある、ということです。


↓ 下は、ハチベエのつかまえた、白いカエル。
ハチベエのつかまえた白いカエル

夏の回想~虫を売っている店で~

.
リモコンやコントローラーが無いのに、

昆虫は、勝手に動き回っている。

<ねえ、これ、勝手に動いちゃうよ!>

と、デパートの昆虫売場で困ってた子がいるとか・・・・。



どっきどきですよ!!

勝手に動くんだもん!!



人生のはじめの方の段階で、

「なんじゃこりゃあ!!!」

と叫ぶことのできた子は、幸福。



いろんな昆虫がいる。

妙ちきりんなのが、たっくさん、いる。

だれにも、命令もされず、苦にもされず、「困った」なんて言われないで、

そういう、奇天烈(きてれつ)な格好をしている。

「まるで、思いもかけないような姿の」

というところが、子どもにはいい影響なんだと思うネ。

その「自由」を知る子と、知らない子と・・・。




神様が、摩訶不思議なる昆虫類を、この世に、それも

子どもたちのすぐそばに、たくさん遣(つか)わしてくださったことに、感謝。

蛾

名前を自分でつけられる!!

.
クラスの子が、虫をつかまえて持ってくる。

「せんせい、これ、なに?」

わたしに聞けば、教えてもらえると思っているらしい。

それで、わたしはいつも、

「なんじゃろね」

と返している。


つねに、間違いなく、

「なんじゃろね?」


としか、返答しない教師。


そうであると分かっているのに、かならず毎回、

「先生、これなあに?」

と聞きにくる子どもたち。


なにか、コントのようなやりとりですが、お互いにとても真剣です。


今日も、なにかプラスチックケースに入れて休み時間に捕まえたらしく、

息をはあはあ、とはずませながら、

「せんせい、黒い。黒い。なにこれ?」

わたしはいつもどおり、

「なんじゃろか?」

とつぶやいて、まじまじとその子の顔を見つめる。




彼女は、なにかなあ、という顔をして、虫を指でつついている。

クラスの何人かが、いっしょに覗き込んで、同じように、

「先生、何ムシ?」

わたしは首をひねりながら、

「ええっと、・・・マックロ・テンテン・ハナモゴリがいいな!!いや・・・それとも、ハナムグリダマシっていう方がいいかな!」

とか適当なことを言う。

それが嘘だと分かるらしく、

子どもたちは無反応で、あるいは、

「今の嘘だよネ・・・」

そのまま虫をのぞいている。



わたしはほとんど、虫の名前を言わない。教えない。

うちのクラスの場合は、

「あの例のハチ」

とか、

「緑っぽいイモムシ」

とか、

「ハムシの、茶色の方」

とか、そんな感じで、適当に仲間うちで了解しあっているようです。



朝、教室で、

Sくん 「あのイモムシ、動かなくなった」

Yちゃん 「え、うそ。ほんとだ」

という具合。



ひどい場合は、

「ねえ、あの気持ち悪い方のカメムシさあ・・・」

だとかよんでいて、それで話が通じている。

2匹いるうちの、緑色をしたカメムシじゃない方、それはジンガサハナカメムシなのであるが、模様が奇抜なので、そう呼ばれている。



わたしは、適当に、スケルトングリーン、だとか、エメラルド虫だとか、勝手に呼ぶ。
ただのルリハムシにそういう、たいそう大仰な名前をつける。

子どもたちにも、

「いいか、好きな風に呼んでいいんだぞ。名前をつける、ということを、人間は自由にやってもよいのだ。昔の人だって、良く分からんものには、勝手に名前を付けてたんだからな。」

と、けしかけています。

ネーミングする自由というのを、現代人はもっと味わったらどうか、と。

考えてみると、ぼくら、物事や事象についての命名は、一部のマスコミや知識人、体制側の役人だけがすることだと、思い過ぎていないかしら・・・。


実は同様のことを、フランスなど欧米各国の美術館では進めており、その館の実施する教育プログラムでは、モネやゴッホはもちろん、名だたる芸術家の名作を子どもたちに見せますが、その際、けっして、

「えっと、これの題名はこれこれです」

という説明をしないのだそうだ。
そういう、教育的な取り組みをしているのだそうだ。




なぜそんなことをしてるかって?

つまり、モネやゴッホ、モディリアーニの気持ちになってごらん、ということなんでしょうか、ねえ。

それとも、その子がその絵画の、どこにもっとも関心を持ち、印象をもって味わったのか、ということを、名画にタイトルをつけさせる過程を通じて、発表させようという計画で、そのように仕向けているのか・・・。


ともあれ、図鑑を辞書代わりに見させて、

「はい、正解は、ジンガサハナカメムシです。覚えなさいね」

というアプローチは、どうやら21世紀型の教育ではないようです。知らんけど。


追記:教室に図鑑は常備。それがコツといえばコツですかね。

rurihamushi

ビオトープ池に向けて虎視眈々と作戦を練る

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勤務校に、池がある。

ところが、あまり活用されていない。
ビオトープにはなっておらず、ただの池。

おまけに、水質が悪くなるので、毎年夏休みには、水の入れ替えがあり、プールから水をひいてこなければならない。この作業が、なんと大変なこと。
職員作業の重労働なのだ。

ということで、この池をつぶしてしまおう、という計画がもちあがった。

「利用もされていないし、つぶしてしまいましょう。」

職員会議では、ほとんどこの意見が通りそうになった。

ところが管理職から、

「消防に関してのことで、この池は災害時の貯水漕になってまして」

結局、つぶすことはできない、という返答だった。



わたしは、内心、ニヤリ、とする。

そして、まず一人、昆虫の好きな先生を一人つかまえて、廊下でぼそぼそ・・・。



「ビオトープにしませんか?ウヒヒ」

するとその先生は、禁酒法時代のアメリカのバーで話す時のように壁に寄って、

「ええですな。ゲヒヒ。・・・でも、どこから水草を?」




いつの間にか、水草をじわじわと増やしてしまおう、という計画を立てた。




われわれは、水草を、入手しなければならない。

水草、たにし、メダカ、光合成細菌・・・

ゆくゆくは、生活科で、とんぼつり。

昆虫クラブで、イトトンボの生態研究を。

図工で、春のビオトープの絵を描こう。

理科では、メダカの観察ができる。

授業参観日には、スイミーの劇をこの池の周りでやりたい。

ビオトープから、夢は広がる。

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わたしが見ることのできるもの。

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トカゲを飼い始めたせいで、この休みはつくづく、虫づくしでありました。

エサとなる、生きたハエやクモを見つけるのが面白い。

それ以外にも、虫のことで一日が暮れる。

朝、散歩に出かけると、もうそこらじゅうに、モンシロ、モンキはもちろん、シジミチョウもいる、セセリチョウ、ミスジチョウ、カラスアゲハ、あらゆる蝶がすでに春の活動を開始していた。

わたしがムシに関心を持ち始めたとたん、これらの虫たちが、一斉に岡崎の山の中に現れたわけではない。以前からずっといたのです。


・・・でも、わたしにはそう思えない。

これまで、こんなにも、蝶は岡崎の市街地を飛んでいたのか?

虫たちは、こんなにも、この場所にいたのか?



わたしがムシたちに関心を向けると、急に、ムシが見つかるようになった。

わたしがラジオのスイッチを入れ、つまみを回すと、とたんに受信され始めるのと同じだ。

しかし、虫は、ずっと以前から居たのだし、ラジオのスイッチを入れようが入れまいが、わたしの関心とは無関係に、そこらじゅうを、ラジオの電波や無線は流れていたのに・・・。気づいていない。



わたしが、気づけなかった、というだけ。
関心を向けなかった、というだけ。

わたしが見ることのできるものは、ラジオのつまみをまわして、うまく合ったものだけだったのだ。




すべての子どもたちは、本能的に、

虫にチャンネルを合わせることを知っている。

そして、

お母さんに叱られた後でも、
先生に叱られた後でも、

友達とうまくいかなかった日でも、
ピアノ教室に通わなくてはいけない朝でも、

いつでも、そのチャンネルを合わせることができる、ということを知っている。


そして、虫たちは、子どもがどんな状態であっても、いつでも
その姿を見せてくれるし、目の前を飛んでくれるし、
あちらこちらと巣を探してうろついてくれるし、
・・・
誰にでも平等に、その姿を見せてくれる。


幼いころ、親に理不尽なことで叱られたときを思い出す。

腹を立てていた私は、じっとだまって、
晩御飯に呼ばれるまで、ずーーーーーっと、
水槽のゲンゴロウが泳ぐのを見ていたことがあったっけ。

涙でぼやけたゲンゴロウ・・・。



虫は、子どもたちに、

「もっと、のんびりしていいんだぜ」

ということを、教えてくれる貴重な存在です。

甲虫が行く茎の道
          あの・・・なにか御用で?(ハムシ)

【昆虫クラブ】で、蛾のよう虫をGET!

.
蝶(ちょう)の幼虫ではなく、蛾(が)の方ネ。
蛾(ガ)の幼虫、ときいた時点で、嫁様は・・・。

「え?蝶(ちょう)になるんじゃないの」

ちょっと引き気味。
でも、実物を見せたら、「わー面白そう」と言ってくれて、私と息子は、ホッ。


昆虫クラブは、年季の入ったクラブ員がたーくさん居て、息子のような初心者に、いろいろと教えてくれる。

「庭の木通(あけび)の木に、ついとりましたのでね」

Sさんが、息子に渡してくれたのは、

アケビコノハ!!

白い透明ケースに入れてあるのを、ケースごとくれました。




次の日の朝。

「おーい、蛾の幼虫~おはよう~!」

さっそくケースの中を覗いていたら、なんと、脱走したらしく、姿が見えない。

「あれ、いない!」

「脱走だ、脱走!そのへん、うかつに踏まないでね!よう虫がどっか、歩いてるだろ!」


嫁様は真っ青になり、うちのチビ助が面白がって口の中に入れてしまうんじゃないかとか、軽くパニック!



ところが・・・。

ケースの中をじっと観察していた息子が、あれ?と大声を出した。




「あれ?こん中に、まだいるかも!!」


あけびの葉の具合がどうもおかしい。
寄せ集まって、くっついている部分がある。

その中を少しだけ覗くと・・・



いた!!

目玉模様が、見えた!!

アケビコノハ



なんと、まゆを作り出したの?
よく見ていると、口から糸を吐き、アケビの葉を合わせて、まるまりはじめたようです。


これが羽化するところを見たい。

「羽化(うか)、楽しみだねえ」

と話をしていたら、嫁様はまだ、軽ーくパニックの余韻が続いていたようで、



「孵化(ふか)、いつごろ?」

と聞いてました。


・・・孵化(ふか)とは、言わない。
・・・たまごじゃないし。

たのしみだねえ~。
ワクワクする!!


下は、最近考えた、ゆるキャラ。
しゃくとり虫の、『枝(えだ)尺(しゃく)さまⒸ』。

どなたか、ぬいぐるみを作って下さる方、いませんか?
秋の昆虫展で飾ります。

えだしゃくさま

【泣く子も黙る!昆虫クラブ】甘ったれた子どもの精神を鍛えなおす!その3

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ひとりぼっちにでも、虫さがしはできる。

怪我をして、動けなくなった時。
あなたがもし、散歩くらいならできる、というんだったら、虫さがしはできる。

友達がみんな、「忙しい、忙しい」と言って、会えないときでも、
あなたは一人で、虫さがしができる。

予備知識がなくても、虫探しはできる。

時間がないときも、5分間だけ、虫探しはできる。

どこかに出かけなくても、家のすぐ前でも、虫さがしはできる。

お金がなくても、虫さがしはできる。

雨がふっても、雪が降っても、虫さがしはできる。

二人いても、虫さがしはできる。

それが、五人になっても、十人に増えても、仲間みんなで、虫探しはできる。



夜明け前、しずかな池の縁に腰を掛けて、

あなたは、

ひっそりと、恋人同士で、虫さがしができる。


早朝でも、真昼間でも、夕方でも、夜遅くでも、いつでも虫探しはできる。

補虫網があっても、なくても、どちらでも、虫探しはできる。

カメラも図鑑も無くてもいい。

虫の名前なんて、知らなくていい。

自分で勝手に名前をつけてもいい。





3歳でも、虫は探せる。

おばちゃんでも、虫探しができるし、

老人になっても、虫は見つかる。



世界中のどこにいても、

人はだれでも、

虫探しができる。



虫は、

ロシアの湖にもいるし、モンゴルの砂漠にもいるし、

ピラミッドの見えるカイロの露店にもいる。

もちろん、オーストラリアやドイツの森の中にも、ブラジルのオレンジ園にもいる。


パプアニューギニアの、村人の暮らす家にも、昆虫はいる。




虫探しが究極にユニバーサルな、万人に開かれた趣味行為であることは、前にも述べた。




虫の名前は、だれもが、自分で、好き勝手につけるのがいい。

うちの息子は、ビロウドツリアブに、「ピノコのアブ」という名前をつけている。

昨日も、昆虫合宿で、黒と白の縞模様でできた、シャクトリムシを、

「ゼブラ・エダシャク」

と呼んでいた。

なぜなら、背中の色が、黒と白の交互、縞々の、シマウマ模様だったから。



こんなふうに、虫を、心のままに追いかけている人たちがいて、

なんだか、心にあった重いものが、すっかりとれて、ストレスまでどこかに行っちまう。

心が、透きとおって、風が吹きぬけていく。

心がからっぽになるって、なんて身軽なんだろう。

肩の荷をおろせば、心は自然に還ろうとする。




昆虫合宿、おすすめ、です。



風がふくと・・・

【昆虫クラブ】合宿で根性を鍛え上げる!その2

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「これ、ふんちゅうなんで、触らない方がいいですよ」

ふんちゅう?

「糞を食べるやつです。要するに、ウンコにびっしり付くんです」


昆虫クラブに参加し、理科の世界に目を開かれた結果、そのまま中学・高校の生物科学クラブを経て、東京農大に進んでしまったAさんが、丁寧に教えてくれる。

Aさんは、大学の研究室から、たくさんのサンプルケース(透明なプラスチックの入れ物)を持参してきていて、特別な補虫網をつかい、やたらと獲物をとっていた。

その長い竿のような補虫網は、魚を釣り上げるための極太の釣竿でできている。
イルカでも釣り上げるんじゃないか、と思うほどの太い釣り竿を釣具店で購入し、それにアタッチメントを取り付けて、補虫網にしている。

うちの息子はその姿に完全にイカれてしまい、恥ずかしそうに

「ぼくにも持たせてください」


とお願いし、Aさんに持たせてもらっていたが、重すぎて、すぐに交代してもらっていた。

Aさんは、いわゆる糞虫や、オサムシのたぐいを集めて調べているらしく、その羽の色の個体変化を事細かに記録していた。




Aさんは、われわれ子どもたちの群団のすぐあとを追いながら、たまに子どもたちにも話しかけてくれいた。
こういう先輩がいることは、何より子どもたちのためになる。
Aさんがたまにつぶやく、ちょっとしたひと言が、なんというか、子どもたちの頭の上から、彼らの心の中に、沁みこんでいく感じがある。

「チョウのとまり方って、お上品でしょう。まっすぐに、姿勢よく、きれいに止まるからね。でもネ、蛾(が)は、ナナメだったり、サカサマだったり、身体が半分傾いていたり、羽もひろげてみたり閉じてみたり、いろいろするんだよね。」


こういうひと言のすぐあとに、やはり目の前を、ゴイシシジミという小さなチョウが、きれいにひらひらと舞い、うすむらさき色のアザミの花弁の上に、とてもスマートにとまるのを見ると、

「あ、ホントだ!きれいにとまってる!」


子どもたちも、妙に納得できるのであります。



子どもたちは、この大学生のお兄さんに向かって、いろいろと質問をした。

Aさんは飾らず、分からないことは、

「うん、知らないな。ごめんよ」

と言い、

「蝶の図鑑で調べような」

きちんと、どうやって、手を打つのかを示してくれていた。



一度、息子が、妙に黄色い、色折紙の切れ端のようなものを持ってきた。

「木にくっついていたけど、なんですか?」


そのとき、Aさんは、持参の特大補虫網をガサガサゆすっている最中だった。
それで、息子はAさんの代わりに、たまたま近くに居た、別の大人の人に質問した。

すると、そのおばちゃんは、

「うーん、なにかのサナギだよねえ。こんなにきれいな色してるんだから、生きてるよ、これ。チョウの図鑑に載っているかなあ」

隣でカメラを触りながら、同じくぶらぶら歩き進んでいた中学生が、それを聞きつけて、さっそく持参の蝶図鑑を見てくれる。

パラパラめくって見てくれたあと、

「うーん、繭の写真は少ないんですよねえ」

それで、なにか気が付いたらしく、

「もしかしたら、蛾の図鑑の方かもしれない」

と言い、別の中学生に声をかけてくれた。

声をかけられた方の中学生は、蛾も掲載されている、『蝶と蛾の図鑑』を持ってきていて、それで調べてくれた。

しかし、それでもよく分からない。

「やっぱり、イモムシ図鑑の方かも」

すると、いっしょに参加した小学校の子が、イモムシ図鑑を親のバッグから取り出し、親子でそろってみてくれた。

「イモムシ図鑑にも、繭が載っているからねえ」

しかし、なんだか、それでも、よく分からない。
繭は、掲載されているのと、いないのと、両方あった。


すると、最終的にやはり、Aさんが呼ばれてきた。

Aさんは、この黄色い、美しい繭を見ると、

「繭の図鑑がいいですね。調べるなら」

と、言った。

そして、カバンの中身をちらちら見て、

「繭のハンドブック、今日、持ってきてたかなあ・・・」



つまり、フィールドに出たら、

○蝶のハンドブック
○イモムシのハンドブック
○蛾のハンドブック
○繭のハンドブック


というふうに、どうやらたくさんのハンドブックがいるもののようであった。


結局、その折り紙の破片のような小さな黄色の繭が、いったい何の繭なのか、判明はしなかった。
しかし、わたしは、なんだかこの件だけで、この世界の奥深さが、よく分かったような気がした。

それにしても、分からない、という価値を、本当に大人から子ども、幅広い世代で、同時に味わうことになるなんて、まためったにない、得難い経験をした、と思う。

昆虫クラブのモットーは、

みんなで首をひねろうよ


なのであります。



ハンドブックで確かめながら・・・

【昆虫クラブ】合宿で心身を鍛える!(その1)

.
ずっこけ3人組が活躍をする、ずっこけ昆虫クラブが、近くの山荘で合宿をいたしました。

お世話係りをしてくださるのは、市民の有志の方です。

子どもたちは、小学4年生から高校生まで。OBの大学生も来てました。


「歩きながら、理科の目、科学の目を育てよう!」

という趣旨ですね。


今の時代、自分の目で確かめたり、頭で考えたりする前に、
インスタントで送られてくるマスメディア情報だけで、

「わかった」


という気になってしまうことが多いので、そういう非科学的な、情報盲信体質とはオサラバしまして、子どものときから、科学的に、多角的に、発見的に、

「本当はどうか」

調べる体質(すぐには騙されないでいて、しばらくの間はいろいろ調べたり確かめたりしてみようという体質)を、子どもたちに育てたい、という趣旨であります。



(・・・一応、趣旨はそういうことになっているのですが、
まあ、裏の事情でいえば、単純に、みんな、それがオモチロイから、やっているのでありますが)



さて、保護者も含めて参加者全員が昆虫合宿のバスに乗りますと、市の職員の方がバスを運転しまして(一応、市の教育団体に登録されている)、一路、山荘へと向かいます。

すると、さっそく中学生と高校生が、後ろの座席の方で、なにやら楽しそうに始めました。

それは当然で、彼らは小学校の頃から、昆虫合宿に繰り返し参加しているセミプロたちです。
昆虫ファン、というだけで、もうすでに親友になってしまっている。
すでに、絶妙かつ、しっかりとした人間関係が、出来上がっております。

彼らがバスの中で最初に始めたのは、

「昆虫しりとり」

でした。

「科じゃなくて種で言えよ」(←この辺がすでにマニア)

「行くぞ。はい、天下のオオルリシジミからどうぞ!」

「ミ、ミヤマカラスアゲハ」

「ハね。ハグルマエダシャク」

「ク、ク、クジャクチョウ」

「なんだ、チョウが多いな」

「いっそのこと、チョウだけでいく?」

「無理やろ」

「つぎ、だれ?」

「あ、ごめん、水棲昆虫って、あり?」

「えーと、とりあえず、いけるところまでチョウかガで」

「よっしゃ」

「つぎ、Uくんの番だぞ」

「ウかー、なにがあるかな」

「う、う、う、ウー」

「ウマオイ」

「ウマオイってオイ!!できるだけチョウでいけよ」

「お、おれ、思いついちゃった~♪」

「う、う、う、ウー」

「ウンモンテントウは?」

「それ、テントウムシじゃんかよ。ねばれよ!できるだけチョウで!!」

「う、う、う、ウー・・・ないなあ」

「オレ、思いついたもーん♪」

「なに、教えて」

「ウラギンヒョウモン~♪」


「ンがついた!ハハハハ~(笑)」



こんな感じの、マニアックなしりとりで爆笑できる、昆虫クラブの少年たちとともに、バスは山道を行く。

長年、昆虫クラブで鍛え上げられた昆虫少年たちは、何をしていなくても、生きていく自信に満ち溢れている。

高校入学したての少年は、すでに子分ができた、とボヤいていた。

世話人のSさんが、ついこの間まで中学生だったFくんに、

「どう?高校入学して、忙しくなった?」だの、「友達できた?」だのと話しかけていると、

「友達作ろうと思ってないのに、ついてくるんですよ。何人か」

と言っていた。

すなわち、友達など作ろうとしていたわけでもないのに、彼の周りに、なんだか人が集まってくるのだそうだ。

休み時間になって、校庭や体育館の横の庭木や草原(くさはら)で、虫探しをしていると、


「みんな、行くところのない、ひまな連中ばかりなんですけどね。スポーツのできなさそうな、気の弱い連中が、ぼくんところに集まってきて、いろいろ聞いてくるんすよ」

「Fくんはどうしてんの」

「いや、別に質問くらいならいいか、と答えてるんだけど、イモムシとかみんな全然興味ないみたいだから、まったく知らないし。ぼくの行くところについてきちゃうから、なんだか変ですけどね。大勢引き連れて、歩き回ってるみたいになっちゃって」


・・・と、まあ、そういう人生を送っているFくん。
さっそく駐車場を降りると、蛇をさがし始めた。

「ヨーダがいないかな。ヨーダ、ヨーダ」

昆虫少年たちに、ヒマはないのだ。


地球に生きている限り、生き物はそこらにいる。
少し行くだけで、道端に目をやれば、何かしら、生き物が動いているものだ。

彼らは、なにか動くものや、ひっついているもの、飛んでいるもの、ぶら下がっているものを見つけて歩くだけで、十分にこの人生と、地球上に生を受けたことを喜べるのであろう。

ちなみに、ヨーダ、というのは、スターウォーズに出てくる、身長わずか66cmのジェダイ・マスターのことではない。幼蛇、つまりへびの赤ちゃんのことである。

一昨年、この駐車場で幼蛇を見つけ、それでほぼ半日遊べたことから、さっそくあの、オモチロイ幼蛇をみつけて遊ぼう、というわけであった。



昆虫少年たちは、宿舎に荷物を運び終わると、ものの3分ほどで、クスサンの幼虫を見つけ、初心者で緊張気味の、うちの息子に、くれました。

それも、優しいことに、

「大丈夫だよ。これは、毒はないよ」

と、きちんと教えてくれながら。

そして、自分で自分の腕に這わせながら、いかにも、

「イモムシとはこうやって遊ぶのだぜ」

と教えてくれるようにして、見せながら、渡してくれたのだ。
わたしはその行為に、感動をした。

これがその、クスサンの幼虫。

クスサンくれました。サンキュー!

ズッコケ三人組が行く!昆虫クラブの真価とは

昆虫クラブのことを、記事にした。

価値を云々したがらない、ちょい控えめなクラブ活動を、モットーとするクラブだ。

いったい何が、そのクラブの真価なのか、なんだかわかったような分からないような感じがずっとしていたが、おそらくその真価は、現場の雰囲気なのだろう、と思う。

鍛えて力をつけさせます!!

という、スポーツど根性丸出しの体育会系とはまるで異なる世界観であり、だからこそ世間からは

理解不能

という烙印を押されがちな昆虫クラブだが、そこに通ってくる小学生や中学生、そして高校生の表情を見ると、いかにも幸福である。

楽しそうか・・・というと、ちょっと違う。
楽しそう、というのと、幸福である、というのは、どうやらほんの少し、乖離しているものであるようだ。

とびきり弾けて明るい笑い声が、始終響いている雰囲気は、ここには無い。
地味に、歩いているだけ、とも思える光景だから、おそらく、このクラブの本当の価値には、気づかない人々が多いのだろう。

結局、このクラブに来たからとて、なにかが得意になるわけでもなく、得られるものは無い。

(このように言いきってはいけないが、つまるところ、ピアノのおけいこや公文式、はたまたダンス教室、野球、サッカーをはじめとするスポーツクラブとは、まるで目指している方向が違うので、これまでの常識観でいくと、どうもあまり、得られるものは無い、と言いたくなるのだ)

見た目は、なんとなく、地味に歩いているだけ、というだけのこと。

初めてこの会に参加した子は、きっと、驚くにちがいない。

「いったい、なにが楽しいの。ちっとも楽しくない。ただ歩いているだけ。虫だっていやしない。こんなところ、もう二度とくるもんか」


ところが、である。


終わってみると、なぜだか、このクラブが懐かしいような、愛しいような、妙な親近感が胸をゆさぶるのである。
訛りの懐かしい、あの<ふるさと>のような<印象と感覚>が、その夜、わたくしが寝床に横たわるまで、続くのである。

おそらく、そこに、ズッコケ三人組の影が見えるからにちがいない。



私が参加したとき、目の前に、少しボーッとした表情の、中学生男子が3名、立っていた。

この子たちは、小学生時代からずっとこの会に参加していて、欠かさず、というわけにはいかないが、可能な限り参加して、縁を切らさないのである。

一人は、目玉がくりっとして、いかにも頭の回転がよさそうな、善良そうな少年である。身長は低いがスポーツ万能、但し勉強はからっきし苦手。物事をよく考える前に行動する直情径行タイプで行動力に溢れる・・・というタイプ。

二人目は、眼鏡をかけていて、ヤセ型。読書好きで研究熱心、理科の実験を趣味とし、明晰な頭脳の持ち主で機械にも強いが、小心者であがり性な部分があり、学校のテスト等、ここ一番で実力が発揮できておらず、故に学校の成績は今一つ・・・というタイプ。

三人目は、大柄でゆっくりと歩くが、昆虫を見つけた時にはふだんとは及びもつかないかなりのスピードでたもを振り回す。陽気な性格で、鼻歌を歌いながら道端のたんぽぽにも目をやる余裕も見せる。かと思えば、目の前のことに夢中になるので、首から下げた水筒を落っことしても気に留めない。・・・というタイプ。

(いずれも偏見にみちた私の勝手な推測である)


さて、この3人が、なんともいい味を出すのである。

わたしの息子が、新しいタモをうまく折りたためずに苦労していると、

「あ、それはですね」

ハカセが丁寧に指導してくれると思えば、

活力溢れるハチベエは大人のいかないような土手の上の方にも駆け上っていき、

「みなさん!!スジグロがいました!!」

と大声で報告し、大人を興奮させて喜んでいる。

また、モーちゃんは、水が飲みたくなると急に

「みず、みず、みず、・・・」

とうわごとのように繰り返したかと思うと、水筒をラッパ飲みする豪快な面を披露したほか、目の前を飛翔していたクジャクチョウを見るや否や、水筒を放り出して100mほども真剣になって追いかけていき、60代の熟女をして、

「ああいうガッツが、現代っ子のお手本よねえ。ビデオに撮って見せてあげたいわ」

と言わしめ、熟年層の喝さいを浴びていた。


この3人は、いわゆるスポーツ系の部活には所属せず、中学校では、「まあそれなり」に過ごしているようであるが、この昆虫クラブには毎週のように参加し、幸福を満喫しているのである。

さすがに昔から通じ合った仲間のようで、お互いに目の端に、仲間を意識して留め置いている様子。だから、モーちゃんが100mも突っ走っていても、そのあとを、やはりなんとなしに、ハチベエやハカセが追いかけているし、ハカセがうちの子にタモの扱いを伝授してくれているときには、やはりなんとなしに、ハチベエやモーちゃんが、その様子を斜め後ろから見ていて、ハカセの先生ぶりを愉快がっているのです。

このときは、物静かな感じのおしとやかそうな、高校生の女の子も一人きりで参加していた。高校生はその子だけで、彼女はこれらズッコケ三人組とも同じにならず、かといって大人どもとも同じにならず、一人きり、微妙な速度で歩いていたが、だからといって、孤立しているのではなく、説明のあるときには一緒になって話を聞き、ズッコケが蝶をつかまえたときには、一緒に写真を撮影したりして、やはりそれなりに、楽しんで参加している様子であった。

また、大人は、小学生から高校生まで、年齢の離れたこうした子ども集団を、統率するようでもなく、無視するようでもなく、目の端に留め置く感じで、そーっと包み込むような雰囲気をもって引率していた。
このような雰囲気が、おそらく、この会の、真骨頂なのだろう。


○やることがはっきりしている
○許容されている範囲もはっきりしている
○目的地もはっきりしている
○ノルマがない
○責められない
○個人の成果というよりも、集団の成果として、喜びと共に分かち合われるものがある


ADHDの子も、自閉症スペクトラムの子も、傷ついた子も、場面緘黙の子も、

世界中の子ども、万人、例外のない人間すべてが、

どんな人でも、どんな子でも、「これなら参加できる」、そういう、すそ野のやわらかさ。


つまりは、貴重な空間が、ここにはある、ということです。


↓ 下は、ハチベエのつかまえた、白いカエル。
ハチベエのつかまえた白いカエル

<ユニバーサルデザイン>昆虫クラブの真価

.
「ユニバーサルデザイン」
という言葉に出会ってから、使えそうな言葉だ、という思いから、
「しめた!」
と興奮しながら丸3年が過ぎたところ。

真に人間向きの・・・なーんて、古臭いような言い回し、
ちっともなんだか通じていかないようで、こういうことを言いたい時も、一体どう言えばいいのか迷っていましたが、やはりこの、横文字がちょっとはイイようで・・・。

たとえば、職員室でも

「ユニバーサルな授業」

だとか、

「ユニバーサルデザインとしての教室環境」

というような言葉であれば、なんだかちょっと、通じていきやすい。


さて、そこで、このユニバーサルデザイン、というか、要するに、万人向けの、人間向きの、という社会機構を考えているところでありますが・・・



先日、参加してみた<虫好きサークル>の活動は、まさにそんな手合いのものでした。

案外身近に、足下に、ユニバーサルの世界が見つかるものですね。



この虫好きサークルは、裾野がやわらかくて、なんとも参加しやすい。


.
○その日、時間までに集合したメンバーが、本日の参加メンバーということになる。
○時間に居なければ、欠席とみなされる。
○一人がメンバーに登録されていれば、ヒマな家族を連れてきてもよい。
○もちものは、「軽食」が指定されているが、その他は特にない。


参加するにあたって、さしあたり気になるのは、この程度。
どうでしょうか?
参加するための、心意気だとか、よいしょ感とか、無いんですわ。

だから、どんな立場の人でも、とても参加しやすい。


さて、次に、参加して何をするかと言うと、


.
「ほぼ、何もしなくていい」


のです。

ここが、また、いろいろな方が参加しやすい、というところで・・・。

ただ、単に、全員が目的地だけを共有し、


.
○適当に歩きながら
○適当に虫を見つけながら(採集しながら)
○適当に話しながら


行動していればイイ、というだけ。

どうです?
垣根が無いでしょう。

急に虫を捕まえに走り出すのも可。
虫が逃げて笑い出すのも可。
ゆっくり水筒の茶を飲むのも可。
ひたすら無言で歩くのも可。

人種や趣味、性別、貧富の差、家柄、年齢、体力の差、得意不得意、というのが、関係ない世界。

おまけに、この世界は、偉い人が出ない仕組みになっていまして・・・。

というのは、虫にくわしい人が偉い、というような感じがないのです。
かえって、虫にくわしい人ほど、必ず言葉の最後に・・・

「・・・だと思うんですけどねえ。でもちがうかもしんない。亜種ということもあるからなあ」

というような、曖昧さを残す。

これは昆虫の世界があまりにも人知を超えるレベルであり、ふつうの人間が把握できる能力以上に多種多様で日々進化変化しているから。

ま、それなりにくわしい人でも、その情報を秘密に保持することができないというか、ぜんぶしゃべっちゃうし、しゃべった瞬間に、そのことがシロウトにも共有されるので、

偉さ が 瞬間に解消 されていく感じ、がある。

これが農業とかだと、○○先生の手にかかると、アスパラガスがとても上手にできたり、スイカが甘く大きく育ったりするので、○○先生の偉さは、何年も語り継がれることになるのですが・・・。

虫にくわしいだけでは、このような、○○先生、というようにはなりきれない。

というか、○○先生の前にだけ、珍しい蝶が飛んでくる、というのであれば面白いけど、その大変に珍しい蝶は、小学2年生の女の子の前に、ひらひら飛んできて、そのド素人の2年生の女の子がつかまえちゃうんだから、先生の方があわてて呼ばれて飛んでくるけど、このとき一番称賛されるのは、偉い先生ではなくて2年生の女の子だしね。

とまあ、このように、お茶や生け花、日本舞踊をはじめとした徒弟制度のようなヒエラルキーは、この

昆虫クラブ

には無い、のであります。


他にも、よくあるスポーツクラブのように、上手い子、下手な子、という区別が生まれない。

ありそうですけど、無いのです。

半分は、、だからね。虫が目の前を飛来するタイミングなんてのは・・・。

レギュラーの座もなければ、○○選抜大会とか、○○市長杯もない。

優勝、とか、試合とか、勝ち負けすら、存在しない。

昆虫クラブは、ヒーローやスーパースターの生まれにくい文化土壌なのです。

これが、世の中の価値規準からして、多少、ズレているため、このクラブは不人気なのですね。

切磋琢磨して情熱をぶつけよう!

とか、

上手くなってヒーローになろう!

とか、

あわよくば将来の『夢』につなげよう!

というような、上昇気流に乗っていくような高揚感や、浮揚感は、一切、ない。


ともかく、虫をみたって、腹は満たされないし、

「ほんと、虫見るだけでして」

という価値観が、本クラブには充満しております。

つまり、最初から、

価値とは向き合わない、という価値観なのです。

だから、昆虫分布の学術上はとても有益な活動をしているわけなのに、それをわざわざひけらかして声高に訴えるわけでもなく、かといって、

「ハ・・・虫クラブ?地味だし、一体なにそれ?意味フー」

というような方に向けて、格別に媚びたりへりくだって見せたりする、というような態度でもない。

つまり、あまり、自分たちの価値を、云々しないのであります。


ここが、広報活動としての失敗でありまして、世の中の人は、特に、

「価値が分かりやすい(あるいは分かりやすく広報されてる)」ものには飛びつくが、このように、

意味不明

というようなものには、あまり関心を向けないので・・・。




どうです?

こんな、穴場的な活動ほど、心地よさを感じて、来たくなる子って、いるでしょ。

わたし、クラスの子の顔が、何人も、思い浮かびました。

もちろん、ユニバーサルですから、どんな子にだって開かれているし、どんな子だって、心地よいと思うけど。




hosoi-kumo


弁当を食べていると、なにやら、机の上の「細い枯れた松の葉」が動き出したので、ビックり!!

良く見ると、身体から糸が出てる、その糸を、伝って歩いてる!!!

これって、ク、・・・クモだ~!!!!(画面の中央の細いやつ)

春の野を、虫マニアとあるく

.
虫の会、というものがある、と聞いた。

大人と子どもがのんびりと、虫をつかまえに行くのだ。

それはいい、と出かけた。
春だし、近頃、運動不足でいけない、と思っていたのだ。

集まったのは、大人が十人ほど。
くっついてきた、それぞれの子どもが五人ほど。

世話人のおじさんが、眠たそうな、力の無い声で

「おはようございまぁス・・・」

というのに合わせ、全員で

「おはようございまぁス!!」

と復唱する。

おじさんは眠たそうだが、集まった虫マニアたちは、なんだかやる気、である。

朝いちばんだというのに、水筒を首からぶら下げて、早くも、グビグビと飲み干そうとしている小学生もいる。

首から双眼鏡を下げているおばちゃんは、まだ始まってもないのに、双眼鏡をのぞこうとしている。

そして、全員が全員、小型のデジカメの調子を、チェックしているのである。

ともかくも、全員、

余念がない。


小声で会話する声が聞こえてくるが、どれもとうてい、日常会話とも思われない。

「あすこは、まだ○○には早いね」

「いや、○○の幼虫は、シーズン的にはもうちょっと」

「葉っぱの陰にかくれているのがいるくらいで」

「去年は撮り損ねました」

「ウフフ」

「ククク」


こういう、不思議な会話がチョコチョコと聞こえては、その後、忍び笑いのような、小さな般若のような笑いが起きるのである。


わたしは、これは面白そうなことになってきたゾ、と思い、今日一日、できるだけ、みなさんの会話に加わろう、と決意したのである。


息子は、同学年の友達が一緒に来ていたので、昆虫の話よりも何よりも、その子となんだか追いかけっこばかりしていたので、まあ、いいや、と放っておくことにした。


さて、集合したのは市役所の横の、市民会館の駐車場であった。
そこから、全員、各自の車でもって、○○神社へ行くのである。

○○神社より先には、私有地および国有林が続いており、そこの林道を歩きながら、本日の

虫の会

が行われるのだ。


さて、林道につくと、ナップザックを軽く背負って、ゆるゆると歩き始める。

世話人のSさんが、

「さーって、じゃーあ、みなさーん、まいりましょー」

というように、ずいぶん間延びした言い方で、みなさんに声をかけると、

マニアたちの群団は、よっこらよっこら、と林道を進み始めた。



わたしは、還暦を過ぎたと思われる熟女の方が、モンベルのナップザックに、THE NORTH FACEの幅広帽子をかぶり、颯爽と歩き始めたのに驚愕した。

スカーフの黄緑がなんとも決まっていて、これだけ気合を入れていたら、どんな昆虫だって、彼女の言うことを聞きそうだ。

逆に、世話人のSさんは、なんだかこんな行事は毎日のことであるらしく、ごく普通のスニーカー、帽子もかぶらず、なんだかとりあえず家から出てきました、というような格好であった。


しかし、まあ、全体として、THE NORTH FACEとモンベルとpatagonia、およびHELLY HANSEN等に身を固めた、なんだか目的のしれない群団が、追いかけっこばかりしている小学生を引き連れて、歩き出したと思って下さい。


わたしは、カメラも双眼鏡も持ってこないことを、ちょっと後悔した。
手ぶらは、ちょっと身軽すぎるかな、と思ったのだ。
ところがこの群団の中に、他に2人ほど、そういう、なんでか知らんが来てしまった、というような人もいて、ちょっと安心した。

世話人のSさんは、私が初めてだということを知って、気さくに話しかけてくれ、これはなかなか面白かった。
この岡崎の山のことを、自然環境保全の観点から、いろいろと考えてきた人であることが、話を聞くことでよく感じられた。

Sさんは、岡崎の桜の木のことや、他の雑木林のこと、さらには松枯れ病の薬剤散布の話や、リゾート開発ブームのことなどを話してくれた。

すでにリゾートが失敗続きであることから、いわゆる公共土建業が負の遺産になっていくことは、このご時世になってみれば誰でも理解できることであるが、Sさんが昆虫を夢中になって追いかけていた二十年ほど前は、開発でお金が儲かる、という神話を信じたい地元の人たちが、それこそ血眼になって、開発を進めようと躍起になっていたそうだ。

ところが、市のアセスメント担当者たちにとっては、すでに「里山の原風景を保全」することが当然になっており、リゾート開発の話は「聞くだけ」であった由。

「まだバブルの余韻が残っている時代だったですからね。あの時代に、里山環境保全、というので、行政が動いたというのは、かなりすごいことだったのじゃ、ないでしょうかね」

そんな硬派な話をしながらも、歩くうちにいろいろと生き物は見つかる。

Sさんは、

「えーっと」


と間延びした声で、遠くを指さす。

すると、そこには、★△◇※(不明)蝶が飛んでいる。

十人のマニアたちは、コーフンして写真を撮りまくる。



またしばらく歩くと、今度はSさんが軽く、道端の葉に触れる。

「あ、★△◇※(不明)蝶の幼虫ですね」

一枚だけ残された葉の裏が丸まっていて、そこになにかの幼虫がひっそりと隠れて生きていた。

十人のマニアたちは、それまでの、のんべんだらりとした表情と歩調からガラリと打って変った態度で早足で集まり、またもやコーフンして、カメラを取りだす。


草地に出て、しばらく行くと、アマナが柔らかい葉を出していた。

アマナ



「そこら、アマナが出ていますから、踏まないように」

すると、マニアたちは全員固まって動かなくなり、そろり、そろりと足を下ろす場所を探して、おっかなびっくり歩き出す。


またしばらく行くと、サルのうんちが落ちていた。

「あ、それ、クサイです。ふまないよーに」

マニアたちはまたもや緊張して、顔を見合わせ、ピタリと歩みを止める。



コーフンと緊張が交互に訪れる、この行軍は、2時間ほどで終わった。

私にとっては、以前から見てみたかった、ビロウドツリアブが、アマナの周辺で吸蜜しながら忙しく飛んでいるのを見れたのが、収穫でありました。

息子はそのアブをみて、

「ねえ、からだがなんだかピノコみたい」

と言っていた。

ピノコというのは、手塚治虫のブラックジャックに出てくるピノコではなく、千と千尋の物語に出てくる、黄色いひよこのお化けのような神様(おおとりさま)のぬいぐるみのことで、彼が勝手に名づけたものだ。
そのぬいぐるみのお尻のあたりの様子と、ビロウドツリアブのふんわりとしたお尻のあたりの様子が、酷似していたので、そう思ったらしい。

「ピノコのアブ、けっこういたね」



というわけで、ビロウドツリアブ、という名称は無視され、ピノコノアブ、というように、勝手に名づけられてしまった虫。

ビロウドツリアブ


こちらが、ピノコ。

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