今現在、このブログを書いている私(新間)は、愛知県内の小学校教員として勤務しております。
秋の行事が目白押しでありますが、幸福をかみしめるときがあります。
勤務校は10月の後半に運動会がありました。
やはり今の時期の運動会は、良いですね。空がきれいで秋晴れでした。
運動会も良いのですが、11月の最初にPTAの行事で、
「大人と子どもの答えのない教室」というのがあり、これがまた楽しい。

ボランティアで来てくださった地域の大人(親もたくさんいます)が、子どもたちといっしょに小グループにわかれ、車座になり、こたえのない問いを考え合う、というもの。
大人だから正解を言う、というワケではないのです。
子どもでも、正解を言うのです。
その場では、正解しかないのです。だって答えがないから。誰の言うことにも一理あって、それぞれが正解なのです。
先生だけが、大人だけが、答えを知っている、というのではない。
みんなで考え合い、それぞれがさらに考えを深めた上で、解散するのです。面白いですよ。
体育館中に、小さな車座がここかしこにできております。
そして、小さな笑い声がたくさん響き合っている。
今回は、なぜ勉強をするの?という問いでした。
面白かったですね。
子どもたちは、「テストでいい点をとるため」とか「おとなになって困らないように」とか言っていました。ぜんぶそれでいいのです。なるほど、とうなづいていれば。
それはちがうのでは、というのは、ここではナシですよ。
そういう考えもあって当然ですからね。
しかし、それが唯一の正解ではないですから、じゃあまた別の解もあろう、ということで話し合いはどんどんと深まってまいります。
大人も最初は一つ言うのですけど、それで考えをとめない、さらに発展させる、というのがあるために、椅子に腰掛けたままでふんぞりかえっているわけにいきません。
「ではおとなになって困らないのか。どういうことか」
「テストでいい点をとりたくなるのはなぜか」
など、どんどんと話はつづきます。
これ、おそらく愛知県の私の市内ではふつうに行われていますが、以前、別の県、たとえば静岡とか長野とかの先生と交流したときはそんなことはしてないと言ってました。
愛知県だけでしょうかね。
秋の行事が目白押しでありますが、幸福をかみしめるときがあります。
勤務校は10月の後半に運動会がありました。
やはり今の時期の運動会は、良いですね。空がきれいで秋晴れでした。
運動会も良いのですが、11月の最初にPTAの行事で、
「大人と子どもの答えのない教室」というのがあり、これがまた楽しい。

ボランティアで来てくださった地域の大人(親もたくさんいます)が、子どもたちといっしょに小グループにわかれ、車座になり、こたえのない問いを考え合う、というもの。
大人だから正解を言う、というワケではないのです。
子どもでも、正解を言うのです。
その場では、正解しかないのです。だって答えがないから。誰の言うことにも一理あって、それぞれが正解なのです。
先生だけが、大人だけが、答えを知っている、というのではない。
みんなで考え合い、それぞれがさらに考えを深めた上で、解散するのです。面白いですよ。
体育館中に、小さな車座がここかしこにできております。
そして、小さな笑い声がたくさん響き合っている。
今回は、なぜ勉強をするの?という問いでした。
面白かったですね。
子どもたちは、「テストでいい点をとるため」とか「おとなになって困らないように」とか言っていました。ぜんぶそれでいいのです。なるほど、とうなづいていれば。
それはちがうのでは、というのは、ここではナシですよ。
そういう考えもあって当然ですからね。
しかし、それが唯一の正解ではないですから、じゃあまた別の解もあろう、ということで話し合いはどんどんと深まってまいります。
大人も最初は一つ言うのですけど、それで考えをとめない、さらに発展させる、というのがあるために、椅子に腰掛けたままでふんぞりかえっているわけにいきません。
「ではおとなになって困らないのか。どういうことか」
「テストでいい点をとりたくなるのはなぜか」
など、どんどんと話はつづきます。
これ、おそらく愛知県の私の市内ではふつうに行われていますが、以前、別の県、たとえば静岡とか長野とかの先生と交流したときはそんなことはしてないと言ってました。
愛知県だけでしょうかね。