30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。

人間あれこれ

レオ・レオニ展へ

冬に備えてせっせと食べ物集めに勤しむ仲間を尻目に、働かずぼーっとしているフレデリック。「お日様や色やことばを集めているんだ」と言います。そんな彼に仲間はちょっと怒り気味です。冬になり蓄えた食べ物も尽きかけ皆の心が荒んできた頃、フレデリックは集めた「光」や「色」や「ことば」を語り始めます。目を閉じて聞く仲間たちの心はどんどん癒され満たされていくのです。“物質的な豊かさ”だけではなく“心の豊かさ”の大切さを考えさせてくれるお話です

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レオ・レオニが絵本の絵の登場人物は、横顔を描かねばならない、と言っているらしい。なんで正面ではないかというと、絵本の登場人物は常に横にいる何か、つまり第三の登場人物を見たり、それに話しかけたりするためで、登場人物が真正面を向いたらそれは読者を見据えることになってしまう。
そのためにレオレオニの絵本に出てくるねずみは全員が横を向いております。
小学校の教室では友達の横顔を見て成長するわけで、家でも兄弟の横顔を見ている時の方が、なんだかいろいろと学べる気がします。ひとの横顔を見ているときは、人生とか世間とかを、かなり客観視してるときですな。

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教員が鍛えられることとは

どんな仕事を通じても、その仕事によって人が育てられると言う面はある。

私は、職業をコロコロと変えたので、それぞれに思い出がある。
若い頃はともかく、体力勝負の仕事もあったし、時間に間に合わせるのが第一の仕事や、見落としのないよう、正確にすることを求められる仕事もあった。

そして、それぞれの仕事で、仕事のコツやら、配慮すべきことや、最も重要視しなければならない点などが違い、何かを思い込んで勝手に進めてしまって、失敗することも多々あった。仕事をするようになってしばらくしたあるとき、学生の時よりも、仕事をすることの方が、勉強することが多いなぁと思った。これは多くの人がそう思ったでしょう?本を読む量も学生の時の何倍も読むようになりますし。アタリマエのことですが。

特に教員になって、自分が鍛えられたなと思う点は、徹底して人を嫌いにならないと言う点であります。

これは子どもについては当たり前っちゃ、当たり前なんですが、どんなに言うことを聞かない子でも、彼や彼女の追い詰められた事情が感じられてくるとしだいに情がわくものですし、長い間、これを続けていると、どんな人にもそう表出するにはその蓄積があるのが当然で、腹も立ちません。それに、その人のユニークさは付き合えば感じられてくるもので、面白さを少しも持たない人は、この世には皆無ですからね。人間全員が、小説の主人公に向いてると思います。

この、人を嫌いにならない、という姿勢は自分自身にも静かに向いているもので、わたしは何故だか自分のことも嫌いにはなれません。それは、子どもたちを相手にしているうちに、鍛えられてそうなったのだろうと思います。若い頃は、結構クヨクヨするタイプだったのですがね。

今は、だいたいどんな時も心のどこかで、こんなことやってるよオレ・・・アホやなー、おもろー、と言ってる気がします。子どものおかげですな。

どだい、教員をやってる、という時点で自分ではある部分では詐欺のようだし、世を偲ぶ仮の姿のように思うし、なにかの洒落かギャグのようにも思えます。金が要らない、というのがある種の高度な洒落かギャグのように感じられることと、同じように、ね。

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モンシロチョウなんて呼ぶな!

「それ、モンシロチョウだよ」

わかってるって。
図鑑とか、世間一般にはそうなんでしょうよ。

「じゃ、この生き物に名前をつけようよ」

私がそう言うと、教室中に不思議な空気が流れました。
名前をつける?

いや、ゲド戦記ではないです。
影との戦いではないですよ。
千と千尋の物語でもないです。
ただ、子どもは名前をつける権利があると思って・・・。

だって、せっかく、この世に生まれてきたんですから。
そして、この世は不思議なものに、満ちているんですから。

生まれたら、この世の全てに、もうすでに名前がつけられてた、なんてのは、楽しくないですからねえ。

いいんです。モンシロチョウで。
それは、否定しません。
日本では「一般的にモンシロチョウという」で、それはそれとして理解すれば良い。

でも、せっかくこの世に生まれた自分として、この生き物と、真摯に向き合った時に、自分としてはこの子を何と呼ぶか、自分のオリジナルな感性で、決める行為をしたい。

これを、子どもに保障するのは、大人の義務だと思うね。

で、みんなで勝手に名付けました。

ふわふわちょう、ひらひらちょう・・・

「なるほど、最後にやっぱり、ちょうってついた方が良さそう?」

「だって、ちょうだもん」

「そこも変えていいのだとしたら?」

「え?そこも変えて良いの?」

ここからが、面白かったですな。
え?保育園で、そんなのは卒業するべきだって?

その通りです。
保育園で、ちゃんと「この初めて見る生き物に名前をつけよう」が、行われ、保証されてるならね。
横から誰かが、「それはモンシロチョウです!」というのはナシで。

もし、やってないなら、仕方ない、小学校でやるべきでしょうなあ。1人の人間として、尊重されるために。

ちなみに、下の写真は、モンシロチョウではなく、スジグロシロチョウ。

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本よりも子ども

職員室で本を読んでいました。
それは教員になって1年目のこと。
とにかく、明日の授業の指針が欲しくて、本を読みまくっておりました。
真面目な性格ですね。
自分でもそう思います。

当時は、明治図書にはまっていて、明治図書の本を大量に買って読んでいました。
イチローではありませんが、今はお金をかけるときだ、と思って、良さそうな本があれば躊躇なくAmazonで買っていました。毎日のように届く書籍を見て、奥さんが家の家計を心配していましたね。

得られたものもそれなりにあったのですが、今になると思うことがあります。

職員室の話に戻りますね。
夢中で本を読んでいた私に向かって、帰宅間際の先輩が、机の上を片付けながら、

「新間先生、本読むのもいいけど、先生の目の前には子どもがいるでしょう。子供に教えてもらったらいいのよ」

と、言ったのです。

私は当時、その意味することが10分の1ほどもわかっていなかったです。

ところが、今になると、本当にそう思うのです。
子どもに教わる、と言うのがスタートであり、ゴールだとも思いますね。
ここ最近は本を買っていません。
もちろん、本を否定するつもりはありません。私自身も読書に助けられていますし、教科書だってはっきり言えば本ですからね。

しかし、そういうこととはまた意味が違って、目の前の子どもの様子をみて、学ぶことが、大きいということなのです。

そして、その大きさは、日増しに増えていくのですよ。

子どもの表情やセリフや、やる気や、行動や、日々の所作から、人をいたわる気持ちや、自分自身を励ます行動や、人間らしいユーモアも含めて、学ぶことがたくさんあると言うことです。

ズバリ言えば、人間を学ぶというか、歴史を学んでいる気さえしますね。人というのは古代から、こんなふうにコミュニティーを作り、こんなふうに人と関わり、知恵を見出し、伸びよう、伸びようとしてきたのだろうかと思うと、教室の「静かなる喧騒」の中で、時折、ジーンと感動することもありますよ。

静かなる喧騒、というのは言葉が矛盾していますが、小学校の教室の様子を表すには、最適のフレーズだと思います。
子どもたちの教室って、静かだけど、騒がしいんですよ。そして騒がしいけど静かなんです。これは、人間が本来持っている、人の良さ、に起因すると、私は解釈しています。

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努力して何かを成し遂げる、の怖さ

ブラック企業しか経験してないために、私の評価軸はかなり狂っているのかもしれません。
二十代は、本当に土日という概念がありませんでした。だって休日が無かったからね。

というと、大げさだという人がいますが、本当に1日も休まなかったのですから、これは他と比較しても誰も文句の言えないレベルのブラックだと思います。

さて、三十代は、ブラックでお馴染みのIT業界。その後もブラックの代名詞であります教員と。
ブラック街道を渡り歩いて参りました。

1番のブラックは、教員ですね。IT業界よりも畜産よりも編集よりも販売営業よりもイベント企画よりもブラックです。全部経験して、私自身が証人であります。なかなか世間に居ないかもね、それ全部経験、やった人は・・・。

いや、意外といるのかも?(いらっしゃったらコメントくださいませ。同じ教員という仕事について語りたいです)

さて、ブラック、の本質って何でしょう?

私が考える、ブラックをブラックたらしめるポイントとは何か。

一つは、しない方が良い努力をする、という点。
誰の得にもならない努力があり、正直に言えば、やればやるほど別の方向に行く、ということ。

で、長い人生を考えると、おそらくですが、その「ただしい方向」というのが怪しいのです。それも、Aの方向が正解なのにBを目指してしまった、ということではなくて。
そもそも、「ただしい方向がある」という強迫というか思い込みがすでに間違っている、というわけです。

多くの人は
なにか成し遂げると素晴らしいことがあるんや、この方向や!これがワイの夢なんや!
ということがあって、努力をしていると思います。

で、その方向を間違うと、えらく目的地から離れた場所に行ってしまい、こんなはずではなかった、と思うらしいですな。ブラック企業では、毎日、それが常態化してるのでしょう。

ところが、ブラックとは縁のない生き方をする限り、こんなことは「起こり得ない」のです。
無駄な努力をしない人は、方向なんて考えないのかもしれないんです。

どれだけ働いてもブラックにならない人は、わりと直観で、人間として間違ってない、という程度のことで進んでいる。

やるべきだ、で進まないから、自然に進みたくなるから、間違わないのですね。したがって、後から、こんなはずではなかった、とは断じてならない、というか、非常にそうは、なりにくい。最初から、後悔とは無縁なのです。最初から無縁、というのがポイントかなぁ。

つまり、多くの人が考えるところの、ああ成し遂げた!というのは、一体何を成し遂げたと言うのか、なかなか難しいということです。
もしかしたら、まったく成し遂げてはいない、ってことだってあり得る。
世の中を見てみると、後者の方がどちらかと多いのパターンなのかもしれません。

こう考えると、おそらく人間は、努力、という、なんだか野蛮で、はしたないことを、すればするほど、ズレるのかもしれなくて、

ただ、美味しい飯を食って、家族がいれば家族をささえながら、気分よく何かに取り組む、ということが進み方としては一番良いのかも。

私は血眼になるのは、人間としては面白いですから大好きで、血眼の人を見るのは好きです。
血まなこと言うのは、ある種のトランス状態に近い。
それに、自分も血眼になることは愉快なので時折、それをするんですが、それでも何かを成し遂げるために血眼になるのは、どこか強迫的で品がなく、拒否したい気持ちがありますね。病的な感じがして。「オレは大物にならなくては・・・!」という雰囲気の子が、ごくたまーにいるのですが、ハッキリいって、病的な感じがします。それがブラック、ということですからね。

美味しいカフェ・オ・レを飲みながら、気分よく勉強するのが、ブラックではない人の過ごし方であり、名誉か褒美か、そういう自分以外の何かになるための働き方をするのは、ブラックだと思います。

その意味では、私の二十代は、面白すぎました。もっとも洒落ていた、と今でも思います。
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伝統的な校則?〜校則が複雑だと誰が得をするのか〜

近年、話題になってる、神社にお参りするときの「二礼ニ拍手一礼」を近所の94才のお婆様がご存知なかったことがショックです。

自治会の年度末の係の寄り合いがあり、待ち時間に駄弁っているときに判明したのです。

若い30代の男性が「二礼二拍手一礼を子どもに教えた」という話をしてたら、「地元の年寄りはそんなの昔は誰もやらんかったわ。今でもやりゎせんけど」と、その94歳の素敵なお婆様がおっしゃってました。

それを聞いて、みんな笑ってましたけど、たしかその場には神主さんもいたんだよね。普段着だったけど。否定してませんでした。

明治期、特に昭和になってから流行してるムーブメントのようで、伝統というわけではないようですね。私はてっきり伝統なのかと・・・。

さて、このように明治期に始まったものが「伝統」と呼ばれるのには違和感を抱くわけですが、江戸時代から、あるいはそれよりも前の神社はどんな雰囲気だったのでしょうか?

まず、今のような二礼ニ拍手一礼、などと言うような決まった作法を、江戸時代の人はそれぞれ持っていなかったようです。町人なら町人、商人なら商人、大工さんであれば大工さん、武士なら武士、と言うそれぞれの人間の、畏敬の念をそれぞれが示していたと言うわけです。

ちなみに落語に出てくる熊さんとか、天神様にお参りしたりしますが、誰もそんな複雑な事はしていません。

明治8年の式部寮による「神社祭式」ではただ「再拝拍手」とのみ記されています。それまでの日本では、古来よりそのことすら定まっておりませんでした。定まってない、ということが伝統だったわけ。

なんだか、校則を想起させますね、この展開・・・。神社の作法と校則の、類似点が凄い。「これが正しい!間違いは許さない!正当なもの以外は排除する!」ってな、雰囲気を感じるんだよねー。

まあ、私が住むような田舎では、江戸時代から昭和を経て、令和に至るまで、礼拝の作法の形はずっと自由だったようで、まあ普通はそうだろうなあ、でなきゃ続かないもんな、と納得したのでした。

それにしても、我々は、江戸時代の庶民の実際の姿や心情を、もっと学んだ方が良いかもしれません。江戸時代の川柳とか、庶民の心持ちに多く触れることができますから。

参考文献・
神道の成立(高取正男・平凡社ライブラリー)
古神道は甦る(菅田正昭・橘出版)
神道の本(学研)

ちなみに、
この神社での作法については諸説あります。
「二回おじぎをして二回拍手、一礼(再拝二拍手一拝といいます)」というポピュラーな作法についても、「いや、拍手をする習慣は宮中にはないので拍手をしてはいけない」とか「男性はいいが女性は拍手をするものではない」とか、「一般神社は再拝二拍手一拝だが、出雲大社と宇佐神宮と弥彦神社は再拝四拍手一拝なのだ」とか、「伊勢神宮は四拝(または八拝)八拍手(八開手・やひらで)一拝だ」とか、「いや、本来古い祭祀を司ってきた白川神道の正しい所作は三拝三拍手一拝で、それが正しいのだ」とか、さまざまな異説、ときに「すべて間違いだ」という指摘があります。
だそうです。非常に難易度が高いですね。これではますます神社が遠いものになりそうです。
こうした論議も、なんだか学校の校則のようで、なんだか残念な気が・・・。


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蜂飼耳さんの意図する世界

5年生の国語の教科書(光村図書)には、蜂飼耳さんの描いた物語が登場する。
以前、記事にしたことがあるが、

蜂飼さんの文章には、物語のある人物の行動を、周囲の人がどのように認知したのかということが丁寧に書かれている。
ある人物の言動について、その受け手がどんな印象を抱いたのか、周囲の人がそれをどのように受け取ったのかと言う受け手側の視点が丁寧に描かれるのは、ありとあらゆる小説の醍醐味だ。
蜂飼耳さんは、受け手側がどのように受け取り、どのように誤解(ごかい)したかを、物語の主題に据えることが多い。
小学校5年生の教科書に載せられた物語でも、小さな誤解というものが、主題になっていた。

考えてみれば、相手の行動や言動をその人に完全に成り変わって意図を理解する事は、周囲の人には不可能なこと。これはキリストでもブッダでも不可能。なぜなら本人では無いのだから。

しかし、いかにも、私はあんたの言いたいことがわかるよとかあなたはこう言いたいんでしょとかあなたは僕のことが嫌いなんだろう、などと言うように登場人物が主人公の意図を勝手に誤解していく事はよくあるパターンだ。
誤解と言うのも違うかもしれない。何故かと言うと、そもそも誤解が当然で、認知が事実とぴったり合うことなんてないわけなので、どれだけ親しくどれだけ相手のことを理解しているつもりになっていたとしても、わからないのが当たり前だ。相手の言動の本当に意図された世界と言うのは、他人にとっては、誤解をする以外にしようのない世界である。

今回、蜂飼耳さんの文章が、大学入試の共通テストの国語で出題されたらしい。
第2問で出題された、2005年発表の蜂飼耳(はちかいみみ)著「繭の遊戯」に、「ヒス構文」が登場したと話題になった。 「ヒス構文」とは、お笑い芸人のラランド・サーヤさんがYouTube動画で発信し、Z世代に話題になった言い回しのことで、「母が論理を飛躍させるなどしながらヒステリックな語気で相手に罪悪感を抱かせる構文」のこと。
・・・だそうだ。

〇〇構文、というのはいかにも学生の世代が使いそうな言葉で、ある決まった文章の運び方、言い回しの事だ。
ヒス構文も、蜂飼耳さんの得意な世界だ。今回話題となった、出題文の中でも、該当の部分は相手の言動を完全に誤解して理解した上に誇張させ、今度はその勝手な印象を、さらなる強烈な誤解とともに相手に押し返すと言う文章になっている。

このように、ヒス構文そのものは大学入試で出てくるくらい普遍的な世界なのだが、改めてネーミングされたことがすごいのだ。「ヒス構文」と、これまで名付けられたことのない言い回しそのものに対して、そこに新たなネーミングをすると言うところが、いかにもZ世代らしい。
ゆくゆくは、「そもそも相手の言動を当然理解することなどできないのだ」と言うことについても、新たなネーミングが始まることだろう。

振り返ってみれば、進次郎構文、石丸構文、などがネットの世界では有名になり、それあなたの感想ですよねと言うひろゆき構文も、今は世の中の人が堂々とは使用できなくなりつつある。なぜなら、このようにネーミングされてしまうほどに有名になった構文は、手垢が付きすぎて、堂々と使うのははばかられる気分が出てきたせいだ。

今、ヒス構文をそのまんま使ったり、「それってあなたの感想ですよね」とか、「また同じ質問ですか?」「もう一回言えってことですか?」などのような構文を使えば、たちまちにして、あっ、◯◯構文を使っているな、と反応されてしまう。

ただ私は、この◯◯構文にも、功罪の両面があると思っている。
なぜなら、空気を読めよと言うような、いかにも世間体を守るのが当然だとするような世の中の空気は、若い世代には、やはり居心地が悪かろうと思うのだ。このいかにも昭和の人間が縛られやすい世間体と言うものについては、その中に巻き込まれていたら、息が苦しくなってしまうと感じる若い世代も多いだろう。
若い世代は、若い世代なりに考えて、1対1の社会の中の人間と、人間同士のコミュニケーションの仕方をあえて作り直そうとしているようにも感じる。
あなたが今進めようとしているその言い方だと私は世間的に巻き込まれそうになります、だから一応リセットして、あなたと私の1対1の社会的な結びつきを確認しましょうよ、と言う気持ちで、「それってあなたの感想ですよね」と言う場合もあろうかと思うのだ。

私のような昭和生まれのおっさんにとっては、カチンと来そうな言い方なのだが、立場の弱い若い世代にとっては、せめてもの、かすかな反撃の狼煙なのかもしれないと思う。

蜂飼耳さんのヒス構文は、相手を世間体で絡めとって、操作しようと言うコスイ考え方が裏に見えている。蜂飼さんは、コミュニケーションの取り方に、何かしら言いたいことがあるんだと思う。小学校5年生の国語の教科書にも、子どもどうしの、かすかなコミニケーションの違和感が主題になっている。主人公の女の子は、自分の勝手に受け取った印象で、相手を思わず決めつけそうになっていた、そのことに気がついて、ちょっと切なく遠くからサッカーに興じる、男の子の姿を見つめ直すのである。

亡き父に会う方法

実家に帰って、藤の木の剪定をした。
藤の木は、つる性でいろんな風に伸びていく。母が切ろうとするが、母は背が小さい。これまでは、近所に住む姉がちょこまか切ってくれていた。
しかし、20年目となると、そろそろ手の届かない範囲が増えてきた。

そこで、私がノコギリでかなり強めに剪定をした。
できるだけ家の敷地から外へ出ないように、枝の伸びる方向を考えて切っていくと、すでに一度、かなり前に切ったことのある場所などが見えてきた。

おそらく、当時も枝が妙な方向へと伸びたのだろう。デベソにすることなく、きれいに切り落とされている。傷跡はもうすでに樹皮で修復されたように盛り上がり、見た目は分からなくなっていた。しかし、木の方向をあれこれ考えながら、枝ぶりを1本1本、確かめていくと、そうしたこれまでの枝打ちの跡が見えてきたのだ。

母がしたのではない。それはノコギリを使った男の仕業であった。

父が亡くなって、もう六年。
意外なことに、庭木の手入れをすると、ひょんなことから、父の仕事ぶりを見ることになった。

時折、亡くなった人を思い出すことはある。別に墓参りや仏壇の前で手を合わせる時だけでなくとも。
しかし、こうしてふと、その人の具体的な行動の後や、仕事の残った形跡に出会うのは、予期していなかった分、とてもリアルにその人を実感するものだ。

たしかに父のだろう、と思うような仕事の跡は、藤の木の途中まで、見つかった。その先は、枝が暴れていた。
父は大病を患って入院し、長く闘病したから、それ以後の枝はメンテされなかった。途中まで、父が誘引などしたのだろうな、と私には見えた。フェンスに沿って、太い枝がきれいに2本、等間隔で這っているところは、A型の父の性格を思わせた。

亡くなってからの6年で、さらに藤の木は伸びた。私は、自分で剪定できそうな範囲におさまるよう、将来を考えて枝の方向を決めた。

作業の終わりかけ、脚立を片付けようとして、ふと思いついてまた脚立に昇った。で、写真を撮りました。

息子に見せるため、ね。
じいちゃんの剪定の跡だぜ、と。

まあ、息子は軽く、「ふうん」と言うだけだろうけど。

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映画にラベルをつけてほしい

映画館についても、なかなか入場する気にはならない。
なぜかと言うと、映画のタイトルやポスター類をみても、どんな映画なのか、よくわからないのだ。

ともかく、私のその時の希望は、

できるだけ音が少なく、爆発などせずに、欲を言えば、あまり複雑なストーリーではなく、できるだけ楽にぼーっとして見られる映画が見たい。

ということだった。

何せ2時間近くも、座っているだけで疲れるのである。
画面の向こうに、大きな音が聞こえて、破裂などしていれば、聞いているだけで疲れてしまう。

できるだけ、静かそうなのが良かった。最後まで、静かでおとなしそうなのが。
できたら、ドキドキハラハラもしたくない。

こんなこと言うと、そんなつまらなさそうな映画どうして見るの?
などと、おそらく、若い人ほど言うに違いない。私も若い頃はそうだった。スリルを求めた。サスペンスが好きで、ハラハラ・ドキドキすればするほど満足した。

自分も今日映画館に着くまでは、自分のことをそうだと勘違いしていた。
実際にその場に着くと、私は自分の年齢を自覚した。もう、ドキドキ、ハラハラすら、求めなくなっていたのである。

その代わり、起承転結も必要なく、できたら、起・承・承・・・・くらいが望ましい。結すら不要である。主人公のその後がどうだろうが、どうでも良い。それぞれが好き勝手にすれば良いだけのことだ。

私は、究極的には、どこかの何も知らぬ爺様が出てきて、そのおじいさまが、朝起きて、起き上がって、椅子に座って、新聞を読みながら、茶をすすっている、たったそれだけの映像を、2時間連続で見たほうが、どんなにか、人生について考えられるかとも思う。

そのような映画があれば、私は毎日でも見に行きたい。
今度のじいさんが、前回のじいさんと、どのようにお茶のすすり方が違うか、それだけでも本当に勉強になると思う。そして、そこから、彼の人生と、これまでの遍歴と、人生観の違いすら感じることができそうだ。
新聞を取っているかどうか、どこの欄から読み始めるのか、お茶を飲むのか、それともホットミルクを飲むのか、あるいは使い古したマグカップなのか、それとも寿司屋の湯のみなのか。

座っている椅子はどんな風か、腰をかけて、どんなふうにため息をつくのか。
その様子を眺めているだけで、人生を考えることができる。

映画館に要望がある。
静かな映画にはサイレントの頭文字である【S】と言う記号を、タイトルの横につけて欲しい。そうすれば、私のようにもうドキドキもびっくりもしたくない。静かにぼーっとしていたい人も、その映画を選択できるからだ。
体力がない。ドキドキする体力は、夏休みの研修をこなしている現役の教師には、もう残っていないのである。

私がそんなふうに、できるだけ静かな映画を探していたところ、1つ見つけた。
それが、【90歳。何がめでたい】という、佐藤愛子さんのエッセイ集を元にした映画であった。

これは、静かだろうな。

直感が当たった。

映画は、期待通りの静けさであった。
草笛光子さん演じる、愛子ばあさんの一挙手一投足を見ているだけで、こみ上げてくるこの満足感がたまらなかった。

火薬はいらない。
盛り上げもいらない。
淡々と人生の日々の出来事が繰り返されていくのが、この人生の最も価値のある瞬間だ。また、その人一人ひとりの自己決定の清々しさを、他人はすべからく尊重するべきで、そうなると、人は必然的に余計な口出しをしなくなる。

【90歳。何がめでたい】は、そんな映画でありました。良い映画を見た、という満足が、帰り道の私の足取りを軽くした。

この夏、オススメであります。

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中年クライシス・・・についての論考

若い時は、得られるものがどんどんと増えていく。
ものも資格も仕事も立場もどんどんと増えていった。

知り合いも同僚も増え、家族まで増えていく。
人間関係がどんどんと広がっていく。

ところが50代になるとだんだんと、そのあたりが整理整頓・淘汰され、厳選されたものになっていく。

これは必ずしも、悪いことでもない。
自分が人生に求めるものが明確になったとともに、質も形もシェイプアップされ、昇華したのだとも言える。

自分が手放すものに気づくと、さみしいという気持ちも湧く。
と同時に、日常の些細なことが心に刺さるようになる。

例えばコンビニエンスストアのレジの人とちょっとした会話で、お互いに笑顔で別れたりすることが嬉しくなったりする。

本を読むときに、この本を書いた著者の考えが心に染みたりより近く感じたりするようになる。

映画を見ても、ストーリーそのものもそうだが、この作品を撮った監督や役者と言うものに目が向き、それらの人々と一緒にいるかのような感覚や、その人と自分との関係を考えたりする。

教員は職業柄、毎日図書館に通っているようなものであり、私は学校の図書館を図書委員の仕事を確認しながら、好きな本も見て回るのが好きだ。

そして本当に自分がタイムスリップしたかのような気持ちになる。

この間は、モモちゃんとプー、モモちゃんとあかねちゃん、などの名作を図書館で見つけ、しばらく、立ち読みをしたところ、目頭が熱くなってきて困った。作者の、大人としての、親としての、一保育者としての気概を感じるからだ。

また、ミヒャエル・エンデの様々な作品、ジムボタンの冒険や、果てしない物語などを見つけたり、ドリトル先生のシリーズ、いぬいとみこさんの名作、北極のミーシカムーシカ、その他の本ともなれば、背表紙で本を見つけた瞬間に、心が躍る。

そして、明確な違いを感じる。
子供の時や若い時に読んだ本は、本そのもの、作品そのものに関心があった。

しかし、今は違う。

その物語を書いた当時の作者の気持ちや考えや、人生観と言うものに、どうしても興味が湧いてくる。この文章を少しずつ書き進めていく最中の、作家の心持ちや考えや、日々の暮らしと言うものに興味が湧いてきて、どんな食べ物を誰とどんなふうに食べながら、どんな街をどんなふうに散歩しながら、この物語の着想を得たのだろう、と考えているのだ。

これは、人生と言うものを、ある程度経験してきたから、いつの間にか、そんなふうな所作が身に付いてしまったのだろうと思う。

一朝一夕で身に付いた所作ではない、ということやね。いいのか悪いのか、中年になると、人生を見る見方が変わるということですな。

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朝陽の中を散歩した話

平日はそうでもないのに、なぜか休日になると目が早く覚める。
そして、散歩でもしたくなるのはなぜか。休日しか、こんな気持ちにはならない。

朝日がのぼる前で、うっすらとしたマジックタイムを、山を見ながら久しぶりに歩いた。

すると中年特有の寂寥感というか、なんだか込み上げてくるものがある。
感謝や恐れが入り混じったような気分、中年クライシスという言葉もあるわけで、何しろ涙脆くも塗りつつあるのだから、あれこれと思い耽る散歩になった。

ふと思い出したのが在原業平で、あの時、周囲の者たちが一斉にその寂寥感に打たれて、みんなで咽び泣いたらしいが、その状況がイメージになって湧いてきた。

伊勢物語では、在原業平が東下りで三河の八ツ橋に至り、沢のほとりで杜若の花が「いとおもしろく咲きたり」、それを同行者が「かきつばたといふ五文字を句の上にすゑて旅の心をよめ」と言ったので詠んだ。 同行者はみんな感激して涙を落とした結果、干したご飯がふやけた、というエピソードがある。

これを私は高校生の頃に習ったが、そんなに簡単に人は泣くものだろうか、という疑問を持った。
今はそれがわかる。中年になったからだ。

さて、この寂寥、という感覚とは、いったい何なのだろうか?

人間の遺伝子が大昔とさほど変わらないと言うことから、人間の生活は、物質的な面や文化の面でも大いに変化はしているが、雄大な景色を見たり、太陽を見たり、風を感じたり、山を見たり、海を見たりすることで心に湧いてくる感情はおそらく10000年ほど前の縄文人たちと今の自分は遺伝子的にそんなに変わらないのではないかと思う。

おそらく雄大な景色を見たときに、心が膨らんでくるかのような圧倒された感じや良いものを見た感覚や夕日が沈むのを見て、何らかの寂寥感だったり、大きなものとの別れに似た感じを受けるようなものは、当時の縄文人たちも感じていたことだろう。

もしも、この人間的な感覚が人間の生活に不要なものであれば、とうだったろうか。
一万年の間に淘汰されて、感覚的に薄れていったのだろうと想像する。

しかし、いま現代人のわれわれだって、夕日が沈むのを見るときに、心に迫るものがあるではないか。

これは、この寂しい感じが、人間の存在や価値について大切な感覚だったから残ったのではないかと想像する。

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校長先生へのタメ口についての考察

これはわたしの悪いところ、短所なのですが、校長先生に馴れ馴れしくしてしまいます。以前は時折、タメ口で話してしまったために、自己嫌悪に陥ることすらありました。

これは20代の過ごし方に問題がありまして・・・。

通常の人は、生活のほとんどを敬語か丁寧語で過ごしているのが普通だと思うのですが、わたしは20代の約10年ほどをまるっと、「無敬語」で過ごしました。おそらく、こんな人は人口の中では0.1%以下だと思います。

これでも中学・高校時代の部活はPL学園ほどではなくとも、一応縦型社会とも言われた体育会系でしたし、大学の寮は400人規模の破壊的なくらいの超縦型パワハラ社会でくらしました。先輩の無茶振りやパワハラにも耐えて過ごしましたね。実はめちゃくちゃ楽しかったのではありますが、若い頃のわたしは敬語をふつうに使えていました。

でも、やはり、20代の経験は大きいですね。

敬語を使わない暮らしを一度経験すると、これが楽でラクで・・・

どんな人も、肩書きで見ない、立場で見ない、性別や家柄や、能力や行動、影響の大きさなどては見ないというクセがついちゃった。誰に対してもタメ口。親戚のおじちゃんや、いとこのニイちゃんと話してる感じ。お母さんとか・・・、家族と話す雰囲気。ほら、そんな中なら、敬語じゃあ、逆に変でしょう?

こんな経験をすることはほぼ不可能なので、いくらわたしがこんなことを、ここて熱弁したとて意味はないんですが・・・

とにかく、ラク。

同時に、若い人が私に対してタメ口で話しても、弟・妹的な目線なのでまったく問題無いどころか、それが普通という気がする。

教室でも子どもが私には、タメ口です。
普通です。
わたしに敬語で話してくる子は、6年生の児童会の子くらいしかいません。これを批判する方もいます。もっと先生への言葉遣いはきちんと丁寧語でするように躾けたほうがよい、と。将来のためだ、と。わたしは教員になりたての頃に、そう注意されまして、教員という職業はまだ始めたばかりでわからないことだらけでしたから、そういうものか、と思いまして、かなり子どもたちにもいちいち注意したものです。 このブログでも、敬語については何回か書いたかなと思います。


今の私は、研鑽に研鑽を重ねまして、校長先生に敬語を使うことができるようになりました。今はまったく、敬語が普通になりましたね!見てください、この晴れ姿を!ここまで10年くらいかかりました。
つまり、敬語に染まるのは時間がかかるのですが、不要となれば、明日からでも敬語を手放すことはできるのです。10年間まるっと無敬語、という生活も、だれでもすぐにできる、というわけですネ、人間という生物は・・・。経験上、それが言えます。

ところで、前回の記事のように、人と人との間に、まったく「存在価値の差や違い」が無いとしたら、パワハラはなくなりそうに思いますが、なかなか無くなりそうにありません。こうしたらどうでしょう。「ノー敬語デー」をつくるのです。上司に対して、その日は敬語を使わない、という日。お互いに、ですから、だれかを特別扱いはしないのです。国家がそれを推進するのなら、どんな上司もぐっと耐えるでしょうからね。

「人はだれでも心から好きな人やモノがあり、愛することができるわけで、どんな人をも馬鹿にすることはできない」と、朝8時になったら日本人は全員これを唱和しまして、総理大臣がテレビ中継、インターネット中継で「本日はこれより、どんなオフィスでもノー敬語です」と宣言します。面白いと思いますがねえ。


今のわたしは、職場ではもうかなり年齢が上になってしまいまして、コピー機の前に立つと、若い子たちが「あ、すぐに終わります」とかいって、ゆずってくれようとしますし、みんな私に敬語を使います。今はもうその環境に慣れちまいましたが、自分はノー敬語でもまったく問題ありません。どんな若い先生も弟や妹の気分ですから。この感覚はどうしようもない。そういう人生を歩んできてしまったので。

パワハラの新聞記事を読むたびに、そんな想像をしています。パワハラがなくなればいいのに、と思います。DVとか。

ところで、ノー敬語デーのときに、なんでワシに対してみんな敬語を使ってくれないんや!と腹を立てる上司がいるんじゃないか、とみなさん思いますか?

わたしは、案外とそんなにいないのではないか、と思いますネ。

そうして、敬語じゃないと腹が立つ、という人がいなくなったとたんに、敬語は本来の輝きをとりもどし、正常に機能し始めると思います。そうなってはじめて、敬語の良さが際立ってきて、お互いに敬語で話し合えることの良さを、日本人全体が享受できるようになるのでしょう。まあそうなったらパワハラは日本から消えますが、パワハラが無くなれば、自分を誤解して卑下してしまう日本人は、居なくなり、日本全体の大きな国益に繋がると思いますナ。

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自己肯定感の意味が変わってきている・・・?

ある保護者と喋っていて、違和感を感じました。話題は「自己肯定感」について。
もしかしたら、自己肯定感と言う言葉の意味が昔と今では変わってきている?

今から10年くらい前でしょうか。自己肯定感と言う言葉が、教育界でも一般でも、かなり使われるようになりました。
ここで言う自己肯定とは、否定の裏返しではなく、自己というものは肯定するしかない、ああだこうだと言う前にただちに肯定するものだ、という見方によります。

否定の裏返しではないと言うところがポイントで、〇〇ができるようになってから肯定する、というものではない。
トーナメント戦で4回戦まで進めたら肯定し、初戦敗退だったら否定する、と言う世界の話ではない、のですな。

肯定と否定と言うものを、対(つい)にして考える癖が、我々には普通にあると思います。辞書を引くと、肯定の反対が否定であり、否定の反対が肯定と載っているのですから、当然かもしれませんが。

ところが、自己肯定感と言うときには、その定義が崩れるのです。ここで言う「肯定」は全く「否定」とは、一切無縁の世界です。つまり、自己と言うものは、かけがえのないもので、存在しているだけで、価値があり、存在しているだけで、他との関連が生まれています。この宇宙に存在しているだけで、宇宙を構成する1(いち)存在として、揺るぎのないパートナーであり、お互いであり、他とは切り離すことのできない1つの存在だと言うわけです。
どんな人も、何かを好きになったり、愛したりすることができるわけで、その点では肩書きも身分も無関係で一切の差や違いはありません。
ところが、あるお母さんと話していたら、普通に

「レギュラーになれなかったら、自己肯定感も生まれませんから」

と、サラッとおっしゃった。

私はなんとなく流れでうなずいてしまいましたが、待てよ。あれおかしいぞ。と、センサーが反応し、5秒位固まりました。

自己肯定感は、条件付きではないはずです。これがこうしたからと言う条件もなく、本当に無条件であるはず・・・。あらゆる条件がないままに、一切の自己は肯定されると言う感覚のはずです。

そこで思ったのは、おそらく、社会全体として、この言葉の本当の意味が浸透する以前に過剰にもてはやされてしまった結果、このような意味の取り違えが起きてしまったのではないでしょうか。

本来の意味が社会的にこなれた感覚で使われるようになるよりも前に、従来からよく使われていた『成功体験が自信を深める』と言う意味で使われるようになってしまった。そのために本来の意味は薄れていったと予測されます。

本来なら、生まれた赤ん坊が、きっと看護婦さんからも、お医者さんからも、親からも、あぁよかったねぇ。生まれてきて、ようこそ。この世界におめでとう。
と祝福されて、この世に迎え入れられたように、自己は肯定されるという意味なのですが、自己肯定感の使い方を誤ると、とたんに赤ん坊が条件を突きつけられる可能性が出てきます。

ミルクをきちんと飲まないからといって、存在を否定されるのなら、赤ん坊としても、口をとがらして、この世の中は、間違ってると言いたくなるでしょう。「肯定」は「否定」の反対語ではないのですね。

すべての人が、もし仮に、何も達成しない自分を受容することが出来ないなら、世の中は猜疑心と悪意とパワハラに満ちた世界になりそうです。

結果や行動の如何にかかわらず、尊重されるのが自己肯定感の「おおもと」ですから、特に何も働いていないように見える赤ん坊でも尊重されるのが当然です。レギュラーになれない選手はダメだ、という価値観は、おそらく間違った自己肯定、なのでしょう。

自己肯定感、という言葉は、ちょっとばかし適当ではなかったのかもしれません。多くの人が肯定対否定というニ項対立をイメージしてしまうのですから。


自己肯定感を言い換えるとするならば、例えば自己受容感とか、自己存在感などと言いかえることが、これからのムーブメントになりそうです。

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見ているとぶつかる

数ヶ月前に、息子と一緒に東京の街を歩きました。渋谷新宿、浅草上野、・・・
そうして、私がすでにかなり耄碌(もうろく)していることに気が付きました。

なにせ、人にぶつかる!あるいは、ギリギリぶつかりそうになる!

息子を見ていても、同じです。
駅の構内を歩き通した後、2人で同時に同じ感想を言いました。
「ぶつかりそうで怖かったねー」

これでも30代の前半は、かなり長い間東京暮らしでした。都庁に面接に行ったこともあるし、五反田にある会社に非正規でしたが、しばらく勤めたこともあります。250%を超える満員電車で、カバンがもぎ取られたこともあります。

その頃は、実は歩けていました。
JR線や小田急線が通っている、町田の駅の人混みも、凄まじいものがありますが、普通にスイスイと歩いていたのです。今の私からは、想像もつきませんが・・・

そこで、つらつらと考えるに、あることに気が付きました。
それは目線の置き方が違っていたということです。

今回、私が息子と2人で歩いてみて、ありとあらゆる人にぶつかりそうになったのは、実は理由がありました。
私は後半それに気がついたので、目線の置き所を変えてみたところ、驚くべし。あっという間に、昔の私のように、人にぶつからずに歩けるようになったのです。

この発見はノーベル賞級の発見だと思うので、ここに書いておきます。

それは、人とぶつかりたくなければ、人を見ないということなのです。

これが逆説中の逆説で、人は売ろうとすると、手を引っ込めるし、こちらがやらぬと言うと、相手は欲しいというのです。

人とぶつかりたくなければ、最新の注意を払って動いてくる、やってくる人間を目を凝らして見るべきだと思うかもしれません。しかし、実際は逆です。
向こうから、アリのように群がって、私のほうに押し寄せてくる人の群れを見てごらんなさい。
その人間を、いちいちあの人がぶつかる、この人がぶつかりそうだ、やばいなどと、いちいち見ていてはぶつかるのです。

人間に注意を向けた途端にぶつかるのです。これはものすごく大きな真理だと思いませんか?

そのことに気がついたので、後半は人間には注意を向けないようにしました。そして、何を見ているかと言うと、見ているようで、何も見てはいない、何も見ていないようでいて、実は流れを見ている、風を感じているとでも言いましょうか・・・

そうすると、全くストレスなく歩けるのです。今から20年ほど前に、町田の駅で乗り換えていた私は、そうやって、ノーストレスで歩けていたのです。思い出しました。

田舎育ちの息子は、顔面蒼白になりながら、過呼吸になって歩いていました。そして、黒いカバンにぶつかったとか、おばあちゃんが避けきれなかったとか、文句をぶつぶつ言っていました。

そこで私は彼に告げました。

「息子よ、風になれ」

それが世界の真実なのです。


ところで、思い出した小話がもう一つ。

アメリカの中西部にある砂漠のような場所で、所々にガソリンスタンドがありますね。
そのガソリンスタンドに向けて、時折、看板を見かけるのです。この先あと50キロでガソリンスタンドがあるよ、とか。

ガソリンスタンドに行くための看板は、砂漠の真ん中にポツンと立っているような形になります。果てしなく続く道路と、ポツンと立った看板。見える景色はたったそれだけです。

なんとなくこの先の展開が読めましたか?
ご名答!

なんとその看板は、たくさんの自動車にぶつけられて、曲がったり凹んだりしているのだそうです。
そうなんです。人間は見ていると、それにぶつかるのです。

広い広い砂漠なのに、絶対に、避けられるはずの看板に、ぶつかってしまうのが人間なのです。

つまり、人間は、意識にのぼったものを、ずっとずっと見ていると、それに到達してしまうと言うことです。

毎日、毎日、純粋な幼い子供のように、プロゲーマーになりたいと思っていると、なってしまうと言うわけです。
また、こんな感じのティーカップがないかなぁと思って、ありとあらゆるカタログに目を通していると、いつかドンピシャの物を見つけてしまうのです。

憧れて憧れて、毎日写真を見ていると、その野球選手に、いつか会えるということなのです。

人生って楽しいですなぁ。IMG_5744

まったリズムでゆこう!

私は18歳19歳のころから、歩行スピードが格段に速くなりました。

多分、本来はもっとゆったりとした性格で、幼い時から縁側でのんびりとお茶を飲むと言うのが休日の過ごし方でしたから、今でも日本茶ほどうまいものはないと思いますし、晴れた日に縁側で日向ぼっこをするのは、世界で最高の休日の過ごし方だと思っています。

ところが働くようになると、そんな事は言っていられません。
牛舎の間は走るようになり、食堂へ向かうときの階段は、必ず2段飛ばしで駆け上がっていました。今から25、6年も前の話になりますが・・・

ところが、50を過ぎると、気持ちが変わってきました。実はそんなに急いでも良いことがあまりないと言うことがわかってきたからです。
どちらかと言うと、人生はゆっくりとまったりズムで生きるのがトータルで見ると得なことが多い気がします。

最近、車の運転をしていても、どんどん人に譲るようになりました。以前はできれば先に行きたいと言う思いがあったように思います。譲ってもらったらラッキーと思っていたし、割り込まれたら、なんだか少し損をするような気持ちさえありました。
50を過ぎて全く世界が変わりました。できたら、皆さん先に行ってください。

これは、いろんなことの自信がなくなってきた証拠でもあります。急いで先に行ったからと言って、先に到着した分、何かを達成できるかと言うと、おそらくそんなことはできないだろうと言う自分に対しての自信の喪失です。

慌ててやって失敗することの方が多い、ということが、だんだんに自分の心に馴染んできたといいますか、ポジティブに諦めてきたということなのでしょう。

あと、人生をトータルして、ここまで振り返ってみたときに、やってよかったという事はもちろんあるのですが、やりすぎて失敗した、と言うことも、同様に、たくさんあることに気がついたのてすな。

後は大きな意味では体調の管理です。
自分の体に意識を向けて、どんな感じかな?、この辺の筋肉はどう動いているかな?呼吸は浅いかな深いかな、味はしっかり感じ取れているかな、唾液はしっかり出ているかな、こわばっているところはないかな、

などと言うことをしっかり感じ取ろうと思うと、日常でそんなに急いではいけないのです。朝8時から夜8時まで、12時間、ずっとせかせか動いていると、もはや、そういう体の意識は、遠い遠い感じ取ることのできない世界になっています。

ですから、あえて、朝の8時から夜の8時まで、つまり、ワーキングタイムにおいても、わざと、ゆっくり動くのです。そして、あえて待ってみたり、後回しにしたり、やらないで、済まそうと考えたり、風邪をひいてできなかったことにしようと考えるのです。

すると、自分の体がどんな調子なのか、意識をはっきりと向けて感じ取ることができるようになっていきます。少なくともわたしはそうですわ・・・。


大人ですらこうなのですから、子どもだって、そんなに急がせないほうが良いと思います。
子どもたちはただでさえスピードが早いので、ぼーっとしたり、遠くを眺めたり、のんびりするような時間をあえて取らせることで、ふと気がつくような新しい発見を話題にすると良いと思います。

国語、算数、理科、社会の教科の中に、本当は、時間の使い方と言う項目を教科として教えるべきなのです。IMG_6098


怒りの感情は究極の愛

なぜ、怒りの感情が究極の愛と呼べるのかと言うのは、なかなか簡単に説明はできません。
このことを理解するには、まず、人のせいで、というのが、ない、ということを納得する必要があるからです。

誤解しないように釘を刺して書いておくならば、相手に何か伝える場合は、〇〇さん、私はこれがイヤだからこうして欲しい、というのは伝えるのが良いです。〇〇さん、私はこうしたい、こうして欲しい、これはやめて欲しい、約束して欲しいも、アリです。相手には、とことん伝えて要求します。要求しても大丈夫です。また断るのも大切です。

そういうことをふまえた上で、どんなことも、〇〇さんのせい、と言うものは、実際にはないのだ、ありえない、と言うことを理解すると、だんだんに怒りの感情が愛なのだということが理解できてくるとおもいます。

腹が立ったら、感謝することすらあり得る。
宇宙と言うのはそういう風にできている、ということです。

あなたが作り出す宇宙と言うのは、あなたのためだけにあるのですから、宇宙はあなたに対してメッセージを送っていると言うことです。
怒りの感情も、自然界がそれを知らせたいのは、あなた自身に対して、です。

その怒りの感情を、誰かよくわからない第三者に関係があると思うこと自体がおかしいと言うわけです。第三者は全く無関係です。怒りの感情が関係するのは、あなた自身に対してのみです。

〇〇さんのせいでといった瞬間に、第三者がこのストーリーに登場してきてしまいます。でも、本当は無関係なのです。第三者の事なんて、あなたにも宇宙にも関係がありません。怒りの感情は、あなたの内側にだけ存在しています。怒りの感情は、あなただけの大切なものなのです。あなたが心の内で、しっかりと大事に大事に持っていて、心の中で育んだものなのです。それがあなただけの大事な怒りの感情と言うわけです。

もし関係があるとしたら、あなた以外には、宇宙自然界の真理と言うようなものだけでしょう。あなたとこの世界を形作る、この宇宙の成り立ちそのものが、あなたの心の内に生まれたその怒りの感情に関係しているのです。

はっきり言って、他の人には一切無関係です。

でも、普段から人のせいにしている人は、このことを理解できないのです。

このようなことを教室で子供たちと話すと、子供たちはしっかりと理解をします。というか、最初から雰囲気で知っています。怒りの感情の本当の役割や機能に関しては、大人よりも、子供の方が、よく理解しています。だから、幼い子どもに教える必要はありません。アイツのせいで腹が立った、などという虚偽を教える必要はありません。

「悲しいんだね」「うん」で、終わりです。(くれぐれも、コレ、泣き寝入りとかじゃ、無いからね!)

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ダメは、駄目なのか?という問題 その2

頭が良いのが良いのだよね!
・・・というふうに考える人は、この世の中では多数派でしょうね。

世間では、頭が良いことは良いことだ、と考えます。ほとんどの方がそうだと思います。

では、頭が良いとは、いったいどういうことでしょうか。なにが良い、ということなのでしょうか。どの程度、どういう種類の能力が優れている、ということでしょうか?

私は時折、子どもの態度や行動にハッとさせられます。
そして、この子は頭が良いなあ、と感心するのですが、例えば、先生である私が黒か白かどちらかだろうと内心思っていると、
「グレーもありだと思います」
と、サラッと発言するようなことです。
その子は、ハッキリ言うと、算数はできません。苦手な単元もたくさんあり、暗い表情で算数の教科書をめくるような子です。

でも、グレーもあると言う彼は、実は頭が良いと思います。

また、教室の隅の床の上に、図書館の袋が置いたままになっているので、どうせいつも片付けないS君が面倒くさがってそこに置きっぱなしにしたのだろうと私が思って、S君の姿を探していると、
「1年生の子がそこに置いたのかもしれないよ」
と言う子がいます。
私は全くその可能性は無いだろうと、勝手に考えていて、なんで1年生の子がこんなところに来るの?どうしてそんなとこに置くの?と思っていたら、図書袋を忘れた妹さんが、兄ちゃんのやつをいちど借りに来たんだ、ということがわかったりします。

でも、そこでアドバイスをくれたMくんは、漢字が全然覚えられなくて書けない頭の悪い子なのです。
でも、決めつけないで全く別の視点から、可能性を考えられると言うのは、たいした頭の良さだと思いませんか?
私はMくんは本当に頭の良い子だと考えています。成績は悪いですが。

総合的な学習の時間に、あることを調べようと言うことになって、調査するために多くの人のアンケートが必要になることがありました。
私は、校内の高学年の子たちに、アンケートを取れるように計画をし、多くの先生に頭を下げて、それを頼んで、アンケートを実施しました。
結果は、予想通りで子供たちも予想通りになったことを一応納得したのです。私は早く次の段階に行きたいので、アンケートはここまでにして結果がわかったから、その次の計画に進めようと子供たちと話しました。
でも、何人かの子供たちが、それに対して、強硬に反対をしたのです。つまり低学年のアンケートも取ろうよと言うのです。
低学年の子たちからアンケートを取るのはとても大変なことで、まず質問の意味を噛み砕いてよく説明しなければなりませんし、低学年の子たちが本当に正直にそのことを理解し、答えてくれるとは限らないのです。また低学年のアンケートは時間がかかり、一つ一つアンケートを取って集めているだけでもかなり時間がかかってしまいます。
私は、正直低学年からアンケートを取るのはやめたかったのです。
しかし、その時本気になって、やはり低学年からのアンケートも取るべきだと言うふうに意見を言う子たちがいて、私はその子たちの表情を見ていると、その本気さに少し感動さえしたのでした。自分たちが調査したいことを本当の価値ある調査にするために、やはり低学年の意見も大事だろうと言うのは理が通っているからです。

「やってみなくちゃ、わからないって、今僕たちがやろうとしていることだろうと思います」

発言した子たちの顔を見て、私はあぁこの子たちは頭が良い子たちなんだなと思いました。
でも、その子たちは、軒並み成績が悪いのです。算数も漢字も・・・。読書の量も少ない子たちでした。

でも、こういう風に考えられる子たちって頭が良いと思いませんか?

頭が良いというのは、能力のことではなく、態度のことなのですね。テキパキ、素早く判断をして、効率よく形作ることができれば、人間が1番幸せになれるかと言うと、そうでは無いのです。もっとより良く、もっとより価値のある生き方をしようと思った時に、実際は邪魔をするのが能力だったりします。
自分はもっと賢く進められる、あるいはスピード感を持って進められる、あるいはSNSでたくさんの閲覧数を稼ぐことができる、と頭の良い人たちは考えるかもしれません。
しかし、前述したように、本当の価値を掴もうとしたときに、実は能力よりも、物事を進めていくもとになる態度の方が重要だと言うこともあるのです。

こう考えると、もしかしたら学校と言うのは、頭の良い子たちを多く、生み出そうとしているのでは無いのかもしれません。いや、本当に頭の良い子たちを生み出そうとしているのかもしれません。

今大学の入試も変わってきました。高校の入試も、それに伴って大幅に質を転換させる高校が増えてきています。これまでのようないわゆる頭の良さについては、それほど重要視しないようになってきているようです。

どうやらこれまでの常識となっていた教育観念はかなり見直す必要がありそうです。

ダメだからと言ってはダメではなく、良いからと言って良いわけではないのですね。
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新しい概念「自画自賛力」(じがじさんりょく)

日本人が美徳としてきたものに謙虚と言う態度がありますね。
これは、頭の良い人の証拠で、実際、様々に学び続けている人は、どうしたって態度が謙虚になってしまう。

これを逆に考える人もいますが、そうではありません。謙虚を目指し、謙虚っぽい振る舞いをすると頭が良くなるかというと、全くそんな事は無い。逆は真ならず、です。
頭が良くなると、ごく自然に態度として謙虚になってしまうと言うことなのです。

ただ、その場合、実際には、自画自賛する力と言うものも持っているのが普通であります。謙虚と自画自賛は両立するのです。

頭の良い人は、自分の欠点を理解していることが多いです。そのことが人格とは一切関係ないことを知っているからですね。人物の価値と、能力のなさや欠点とは無関係。何かができたり、パワーを持っていたり、影響力が強いと言うことが、その人の人格や、人間の尊厳や価値とは、無関係だということが、ごく自然に自明な状態なのです。

こういう人は、能力のなさを指摘されたときに、あるいは、自分で気がついたとき、それらがどの程度不足しているのか、どの種類の能力が不足しているのか、冷静に分析します。そしてそのことを公表します。

それと、同じ程度で、自分が周囲に良い影響与えた場合に、そのことの価値や喜びをしっかりと味わうことができるのです。

つまり、価値があるとか、ないとか言うことについて、冷静に分析し、忖度をしないのです。

なので、自画自賛をたっぷりして、自己肯定感を保つことができるのです。そして自己肯定感を保つことができる人は、能力が人格とは無関係だということがわかりますから、失敗や欠点を正確に見つめる強さを持っています。

この強さの計測をする方法がありますが、それは、失敗を人のせいにするかどうかということです。
〇〇さんのせいで失敗した、と言うふうに人のせいにする人は失敗を正しく見つめることをしません。成績が上がることもないでしょう。

頭の良い子どもが、割と、自分の非をあっさり認めるのはなぜでしょうか。また、人のせいだと言うふうに、他人に責任を転嫁しないのはなぜでしょうか?
その必要がないからです。

教室で頭の良い子どもをたくさん見てくると、ある振る舞いが共通していることがだんだんに見えてきます。
それは、他人のせいにせず、自分のアイディアや工夫で乗り切ることができるんじゃないかと言うふうに、ゲーム感覚で捉えていることです。

そして、あたかもゲームの主人公のように、自分の持ち物アイテムのリストをずっと眺めてみて、これが使えるのではないか、あれと、あれを組み合わせたら、こんな効果が出るのではないか、先に、あれをしておけば、次の場面で良い展開になるのではないか、と試したくてうずうずしています。

ゲームに登場するある村の、ある村人が、自分の意図するように活躍しないからといって、何も困らないのです。そんな、自分にとって好都合過ぎる登場人物が、おいそれといるわけがないですから。
というか、頭の良い子どもは、自分がこのゲームの主人公だと言うことをきちんと知っています。
どの順序で、どの村を訪問するのか?
誰とどんな装備を持って乗り込むのか?
どんなイベントを先にこなしておくのか?
全部決めるのが自分だとわかっているから、村人がちょっと気に入らないことを言ったとて、全く意に介さないのです。

自分が主人公だと言う感覚を薄くしか持っていない子もいます。その感覚が、とても薄いのです。
そして、その薄さは、どうせコントローラーを持っているのは、お母さんだものと思っていることに、起因しています。

精神的に親離れをしないと、子供は本当の意味で頭が良くなる事は無いのです。

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母の日、おめでとう!ありがとう!

ちっとも進まないが腹をくくった件

学級開きをして、ついに新学期がはじまった。

今年のわたしの目標は、子ども主体、ということ。
これまでは、子ども主体といいながらも、教師の都合、大人の都合で教育課程を終わらせることを優先していた。


しかし もう この年になり 教員 人生として後半に入って、終わりが見えてきてしまうと 心境が変わってきた。
周囲から多少の文句 や 意見を言われようとも 目の前の子供に対して直接責任を負う気持ちで指導してみたい。

こういうことを書くと
「直接責任を負うとはなにごとか。すべて国の定めに従うのが公務員だろ」
とお叱りを受けそうだ。

しかし、目の前の子供達が最も力をつける 国力をつけるということに 誠心誠意 従うのが本当の教員の勤めだろうと思うようにもなってきた。

これが真の愛国ということではなかろうか。

そこで もう この教室は自分のものではない いわゆる大人として保護者としての観点で 監督はさせてもらうが この教室自体 あるいはこの活動の場所 活動の内容については当事者である子供たちが決めて行くのが最もいいだろうと考えることにした

このことに 春休み中に思い至ったため 私はすっかり楽な気持ちになった

一番楽だと感じたのは教室の春休み中の整備である

毎年 私は春休みになると 教室を最大に カスタマイズして1年のスタートを子供たちが楽しみにできるようにと 自分の時間を全て投げ打つ覚悟で微細に念を入れて掃除をし 新しい 鉛筆削りを備えるばかりか、忘れた子用の鉛筆やノートをたくさん仕入れてレイアウトを試行錯誤し、もうほとんど 自分の時間は 0に近かった

しかし今年はそんなことを一切しなかったのですな

一応 片付けができている程度の教室でスタートしたのであります

おかげで、家族との時間が少しばかりは取れたのは、僥倖と言えましょう。

何という楽なことだろうかと 教員 人生 20年目を迎える 私は 本当に楽な気持ちになりました

私は子供たちに挨拶する際
開口一番 さあ どんなクラスにする?
と聞いた

オルガンの置く場所はどこにしよう?

子供たちは最初何がを聞かれたのかわかっていませんでしたナ

子供たちは最初は面食らったが自分たちが決めていいのだとわかると途端に意見を言い出した

結局 去年と同じような場所に決まったのだが その場所を決めるためになんと1時間以上 時間を使った

この話を同僚の先生にすると呆れたような驚くような声を出した

私は同じように 電子黒板の位置も子供に決めさせた

これも議論が分かれたが子供達は最終的に 窓側の斬新な場所をえらびました

ちょっと私からしたらやりにくい場所なのですが、やってやれないことはない

席順も最初からどうするか 子供達に考えてもらいました

席替えとなると、目の色を変えるのが小学生と言う生き物。
てんやわんや、声の大きなこの意見が通り そうだったのですが
私はそれは許しませんでした

チャンスですから、次のセリフを言いました。

本当に思ったことを言わないとあなたのクラスにはならないよ

実はこのセリフを言いたくてこの時間を仕組んだのでありました


あなたの意見を出すのだ
あなたが本当に思ってる 意見を出すのだ
あなたの心の中にある本当の気持ちをみんなに言うことで 初めてこのクラスは あなたのものになるのだ
遠慮 というのは決して誰の得にもならない

これでほぼ最初の2、3日を使ってしまったために、すでに他のクラスと国語も 算数も2時間分以上の差が開いてしまった

私はほんの少し やばいと思った

しかし私は得るものは得たと思う

事あるごとに 私はその後、何度も同じことを繰り返して言うのです

本当に思ってることを言えてるかな これがいいという気持ちがちゃんと言えてるかな 本当はこうしたいって言えると気持ちが良いよね

また それを聞いている子たちに対しても友達が本当に思ってることを言ってくれると同じ意見の人は一緒だって楽しくなるよね
もし違う意見が出たとしても あそんな考え もあったんだと思ってそれも嬉しいよね
もっともっと考えようね

ということを何度言っても子供たちが納得した表情を浮かべ続けるのである

この 浮かべ続けるというところが 私としては今の日本にとても大切なことではないかと思っている

それにしてもあぁ自分は歳をとったなと思います
国語も算数もかなり遅れております
でも、何故か平気なんです
平気なのは本当は問題です

でも平気であります
要するに、人生ってこうしなければならないと言うのは本当にないのですね
自分が直接に素責任を負うと言うふうに決めたら、もうなんだっていいのです

それでうまくいけばいいし、うまく行かなくても全く良いのです

風邪は引いてもいいし、ひかなくても良い
引いたら引いたで、風邪を引けば良いのです
直接に責任を負うのは、私なのですから

そして、責められたら、攻められたで人から責められれば良いのです
責められたらおしまいだと言う考えが、若い頃は私にも多少ありましたが、実際には責められたら攻められたで、それは全くと言って良いほど素晴らしいことなのです

というわけで、私は至極泰然とした気持ちでスタートしました
国語も算数も遅れていましたが、もう取り返して追いついてしまいましたゼ。


写真は藤の花です
私の剪定の下手さには定評があるのですが、いかに剪定が下手でも、木は枯れませんでした
そして、枯れたら枯れたで良いのです。そして、泣くのが人生。


災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候


上記は良寛のことばです。
災難に逢うときは災難に遭い、死ぬときには死ぬしかない。私たちがどんなに手を尽くしてもそれは変えられません。だとしたら、それらを受け入れて生きるしかない。どんなに不運が続き、大災害に逢おうとも、それは紛れもない命の現実の姿でしかない。

「人として生まれたからには生老病死からは逃れることはできず、あるがままを受け入れ、その時自分ができることを一生懸命やるしかない」


ここまで思い切るには時間は必要。

災難に逢うときには、災難に逢うしかない。「遭う」ではなく、「逢う」と書いているのは、なぜか。

『遭う』とは、嫌な事柄に偶然に出会ってしまうことに対し、『逢う』とは、親しい人にめぐりあったときに使う言葉。

災難に逢う、と書いた良寛。良寛はこれを書いたときが17歳。相当な生きるうえでの覚悟があったと思われる。
しかし、まぁ、藤も本当によく咲いてくれました。

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結局、天職についての問題 3

当時の私には、すべてが学びの対象と感じられていました。若い人はたいがい、そうでしょう。

やってみてわかったことは、私は業務の成績を上げるというよりも、この仕事が人間にとって、あるいは若者にとって、どのような意味があるのかを文章にしたり、かんがえたりすることのほうが面白いと思ったことです。これは、私の適性の発見につながりました。

その後、今度は転職して野菜の小売業を行いました。
これもまた、学校の勉強のような感覚で仕事を行いました。実地演習のような雰囲気です。

トラックを運転し、家をまわり、ご家庭の玄関先で野菜を売るのです。大阪はすみずみまで回りました。おかげで大きな道路を覚えたばかりか、どんな場所に、土地に、どんな人々が暮らしていて、昼間暇そうにしている人もいれば、忙しそうな人もいるし、経済的にもさまざまなレベルで人は暮らしているということが分かりました。また、非常にたくさんの奥様方とお話をするのは、面白いばかりか、なるほどと思うことも多く、勉強になりました。

当時の私は仕事も頑張っていたのですが、こういった仕事は非常に大切だけど、自分はどちらかというとこのことで儲けようという気分はどうしても湧いてこないな、と感じておりました。
当時の自分のモチベーションは、何だったのだろう、と振り返ってみると、

ここから何を学んだか

を、文章にしたり人に話したり、その仕事から社会経済の仕組みや人の集団の変化を考える、ということのほうが結局は大きな関心事だということがわかったのです。車を運転しながら、アレコレとメモをしたり、考えたりしてましたね。

とうとう腰を痛めてこの仕事に見切りをつけたのですが、また転職しました。
今度はインターネット関連の仕事や、新聞を作る仕事を行いました。私としては、これは非常に面白みがありました。徐々に、自分のモチベーションが強まっているのを感じました。インターネットの仕事は、情報の伝達、ということにつながります。わたしはその部分でも興味が強く、人と人がどう情報の伝達を行うのか、その社会的な意味はなにか、と考えてばかりいました。新聞づくりはもう面白くて仕方がありませんでした。文章を書くのは、自分にとって中毒のようなものでしたから。

途中で、面白そうなJAXAの相模原キャンパスに常駐する、情報セキュリティ担当の仕事をしましたが、これもまた渋くて粋な仕事でした。

そこまで進むと、もう28歳になっておりましたので、ここらであれこれと考えた結果、要するにわたしの興味関心は、どうしても社会科学的な分野になってくるのがわかりました。
残りの人生は、そこに深くリンクする仕事でありたい。社会論を考え続けたい、人間にとって有効な社会システムを、ずっと人と話しながら考え続けたい。

このモチベーションは、どうにも下がらないことが、これまでの経緯で自分にわかっていました。

で、再び転職して、選んだのが教師という仕事です。

毎日、学級という人間社会がどう動くのか、何が有効なのか、システムとして大事なのはなにか、人と人とが話し合うためにはなにがポイントになってくるのか。お互いがわかりあうために必要な手段とはなにか。

考え続けるのが面白くて仕方がありません。

でも、この教師という仕事にたどりつくためには、30歳までの10年間が必要でした。
このくらいは必要でしょう。20歳ですぐにたどりつかなくてもいいのではないでしょうか。
もちろん、最初からほぼ自分の計画が立てられていて、同じ分野を少しづつ耕していける人もいます。そういうことが可能な人は、とても幸運だと思いますね。

まあしかし、時間をかけてゆっくり見つけることもできる、ということです。
むしろ、多くの人にとっては、最初からそのくらいの計画でいる方が無理がないような気もします。大事なのは、20代は、観察しつづける、まなびつづける、ということではないでしょうか。

自分が関心をもっているのはなにか、と。

決めつけないで、早わかりしないで。
できるだけ、ちょこちょこと、多方面に興味を向けて、味見をしつづけることです。そして、ワンランク難しいことに挑戦してみると、面白さが見えてくる。少しだけ頑張りながら、変化を感じ取りつつ、自分の中に一貫してつづくもの、モチベーションが下がらない対象を見つける。

わたしはどちらかというと、常識的なものはつまらない、という妙な思い込みを持っていますから、同じことをしゅくしゅくとつづけるのは得意ではありませんでした。
嫁様はまったく逆で、新しいことはしんどいので、同じことを続けていくことこそが幸福だと断言しています。それもまた、正しいのです。

自分のタイプを見極めて、モチベーションができるだけ持続しやすそうな、興味対象を発見すること。

そして、そこに関連する業務・仕事を見つけられたなら、幸福度は高くなると思います。

がんばれ!息子!

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結局、天職についての問題 2

さて、息子の進路について考える、のつづきです。

私自身は、落語家になるより以前に、もっと大事にしたいことがあるならば、それを優先したほうがいい。そうでなければその大事なことは、二度とできないだろうから(人生の後半ではやり直しができないこともある)、と考えました。 とくに、人生に大きな賭けがあるとしたら、若いときにその大きな賭けをした方が良い。小さな賭けはしなくてもいいが、大きな賭けは、賭けた場合と賭けなかった場合とで、死ぬ直前での後悔の度合いがちがうだろうと思ったのです。

そこで、落語家になるよりも、さらに大きく賭けたいこと、こだわりたいことはなんだろうかと、かなり考えることになりました。

落語家に決めたと、仕事をピンポイントで決めたり、【お笑い関連】のように業種をしぼったりするよりも、その前が大事ということです。
そうでなく、もっと自分の幸福に直結するような、大きなことから埋めていこうというわけです。
小さなもので袋を一杯にすると、もうその袋には大きなものは入りませんからね。先に、大きなものを考えるのです。
いま振り返ってみると、こんなふうな思考のおかげで、コレ、と限定しないで考え続けられるようになったのかなと思います。

大事なのは、好きを仕事にするのは危険だということです。
好きが必ずしも強みとリンクしているわけではないことと、向いているかどうかと相関していない場合もあるからです。また、好きだと長時間取り組むことが平気な代わりに、やりがいを搾取されてしまい、これもまた望む幸福が得られるとは限りません。
いったい、幸福とは何でしょうか?
ますます悩むことになりました。

18歳の当時、わたしが結論を出したのは、

「こんなに迷うということは、自分はあまりにも世間を知らなさ過ぎるからだろう。世の中の端っこの方、隅っこの方を、しっかりもっと見て学んだほうがいい。テレビやマスコミや本で紹介されているだけでは、世界はわからない」

ということでした。

そこで、青年海外協力隊になろうとしましたが、当時、手紙をやり取りしていた同級生の話を聞いて、挫けてしまいました。

同級生だった田平という友達が国連の仕事をし、東ティモールで初めての国政選挙を行いましたが、金持ちが人々をすぐに二束三文で買収したそうです。金で票を集めておりまして、かえってマフィアのような人物が公認で政治を行うために治安が悪くなったことを嘆いておりました。そうならないように心血を注いだのに、挫折をしてしまい、気の毒にも人間不信で世の中を呪っておりましたが、まあそんなこともあるのですね。

私は結局、1年後には牛舎で牛にミルクをやる仕事に就いたのですが、これは愉快でした。わたしが世の中をよく知るには、農業という仕事はかなり有効だったのです。ミルクを手にしたり、肉を手にしたりするためには、こういった作業が、世話が、仕事が、必要である、ということを認識するのは、社会の成り立ちを理解するには非常に勉強になりました。
(つづく)

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結局、天職についての問題 1

息子が大学生になり、1年間が過ぎまして・・・。
将来のことで、本当にたまに話をすることがあります。
未来の計画は自由なので、その自由さにめまいがするほどですね。

生涯において自分がどのような時間を過ごすのか、自由であります。
人生は限られた時間ですが、どのように使うのも自由。
人間とはすばらしいですな。

ところが、あまりにも選択肢が多すぎると、ひとはあまり、幸福とは思えなくなるそうですね。アメリカの心理学の研究で、データがあるようです。
みなさんは、どう感じますか?



わたしは15歳のころから、この「何をして過ごすのか問題」というのに関心をもちまして、この問題の解決方法を探り始めました。

死ぬときに、後悔したくない、というのが一番だが、そのためには自分の設計に心の底から納得していなければならない。

ではどうするか。

わたしが15,6際の頃は、日本がバブルの頂点にあったときで、世の中が浮かれておりました。
今のように手堅く貯金の計画をしたり、収入と消費のバランスを取って人生設計を行うような雰囲気ではなく、生きている残りの時間をどうやって過ごすか、ともかくありとあらゆる選択肢がある、という状況。

高校の友達も、日本はつまらんからオーストラリアに行ってくる、とか、でかいイベントをしたいとか、政治家になって世の中を変えていく夢を語ったり、ビル・ゲイツに会うツアーに参加しようとしたり、多少若さゆえの狂気じみたニュアンスはありましたが、本当に自由な発想があったのです。

わたしは落語家になろうとしていましたが、

好きなことを職業にするかどうか

このことで非常に悩みましたね。
(こういう人は多いと思われます)

結局、落語家にはならなかったわけですが、そのときに思ったことは、
1)好きなことが必ず得意な訳では無い
2)好きなことでなくても、のちのち得意になっていくことがある(まだ未発見)
3)やりたい!と思うことは細かいレベルではすごく流動的
ということでした。

具体的には、以下のようなことがあると、幸福になるはずが、そうでもなかった、ということになりかねません。

罠1:好きを仕事にする→それが本当に得意で世の人に需要があるかどうかは別問題。
罠2:給料の高さに釣られる→本人が向いてなくて無駄な努力を強いられるかも。
罠3:仕事のラクさで選ぶ→自分を生かせないという不満が静かにたまりそう。
罠4:業界や業種を絞る→意外とそれとは異なる業種こそ天職の可能性も。
罠5:適正や強みを生かす→周囲を見ると上には上がいるために報われないと思うかも。
罠6:自分の直感を信じる→脳内情報にバイアスがかかっていて、あてにならないことも。
罠7:性格テストを気にする→性格はコロコロ変わるのであてにならない。

こんなことを言い出すとキリがありませんが・・・


ただ、したいこと、というのはなかなか容易には見つかりません。
なんとなくやってみたいかも、というのもたくさんありすぎて、迷いはどんどん深まります。
結局、いちばん有効な視点は何かというと、つまるところ、

モチベーションが持続する

というのが大事だと思ったのでした。

ちょうどその頃、持続可能な社会、ということも言われ始めており、ブラジルで気候サミットが開催されたりもしていましたね。(COP3)

持続可能なモチベーション。
はたして、それは・・・。

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三年寝太郎は学校に3割くらい居る

2016年に、わたしは下記のような記事を書いた。


そこに、三年寝太郎のことが書いてある。
要するに、「だれにだって本当の価値があり、実力主義は間違いである」ということが言いたいようだ。
今から8年も前の記事なので、わたしは久しぶりに読み返して、まったく覚えていないから新鮮だった。三年寝太郎についてググッていたら、まさかの自分の記事が出た、というわけ。

その記事の最後は、
「学校の価値を語らずとも、
価値があるかどうかを問わなくても、
Aくんが学校へくることを喜び、大人はそこでもっとも人間らしくふるまいながら、Aくんと共にすごす、ということだろう。なにしろ、われわれは、生きていること自体がヨロコビであるのだから。」
となっている。

どうしてそんなことを書いたかと言うと、学校へ来ることを努力とよび、努力できない人を責める風潮を感じたからだ。
もともと、努力の得意な人と、努力することができない人と、両方いるんですよ。
まあ、一般的に、努力が得意な人は、わりと社会の中で目に見える成果を出しやすいために高評価を得ることが多い。そしてその人は、パッと見てわかりやすい成果を出さない人を、『責めやすい』。
わたしはこんなに努力しているのに、なんであのひとはしないのだろう!
パワハラはこれが原因ではないだろうか。

しきりに価値を語りたい人のことを、価値依存、と呼びますが、まさにパワハラは価値依存の状態から生まれたモンスターであり、実力主義もまたそうでしょうね。価値をさけぶ人のほとんどは、同時に「努力が必要であり、あなたは努力をしていない。努力をスべきだ。そして努力の結果である『価値』をあがめなさい」と言いたいわけ。

ところが、価値依存の人が忘れていることがある。
それが三年寝太郎であります。
だって、用水路の価値を、当時むらに住んでいた誰も、理解できなかったんだから。
そして、太郎が目の前の土を少しずつ掘っている、そのクワの先についた土をみても、価値がわからないのです。つまり、価値を叫ぶ人こそ、価値が見えなくなるパラドックスがあり、価値を知っているぞ、といえば言うほど、今努力していないようにみえるぐうたらな人だって、まだ世の中に無い価値をみつけることができる、ということを忘れているのです。

価値を知っている人、かしこい人のほうが、より忘れやすいのですね。三年寝太郎の価値を。

今回書こうとしたのは、
『三年寝太郎は学校に3割くらい居る』
ということ。
残りの7割は、ふつうにある程度は、目に見えやすい努力ができるタイプでありましょう。

成果は、目に見えやすいものだけではありません。
世の中には多くの人がまだ気づいていない価値があり、その価値に気づくことは、IQの高さや、努力ができるできない、という人間の特性や、体の状態やコンディションの状態に関わらず、だれにだって可能性のあることです。
そのことに気づいた国から、国を上げて「多様性をみとめよう」という動きを取り始めています。

これからは、多様性よりも実力主義だ、という国は没落し、常に他国の後塵を拝する、ということになりましょう。
そうではなく、社会に埋もれたアイデアや宝が、どの人にも存在する可能性があり、だからこそ多様性を認めることで本当に人間社会に役立てることができるのであり、いわゆる「目に見える努力ができる人だけを優遇する」国家は、実は宝を捨てているアホ国家だ、ということを知ることが大切なのでしょうね。

そういえば、アフガンを緑化したことで有名な中村医師も、寝太郎のように水路を掘ろうと思って土を掘り出したら、始めたばかりの頃は特に、周囲からあいつはアホだと言われ、なにか悪いことをしているのではないか、と相当な邪魔や悪意を受けたらしいですね。
日本人の多くは、実力主義では生きにくいDNAを持っているのではないかなあ。
おそらく日本人の多くは、三年寝太郎のようなタイプなのではないかと思いますネ。
だって、通常のノーベル賞はなかなかとれないけど、イグノーベル賞は世界で日本人だけが、かなり長期間、13年連続かなにかで受賞しているでしょう。あれ、アホなことには価値を認めない、という世界の常識に抗する賞で、アンチ実力主義の最たるものですよね。まさに三年寝太郎的な。
日本人は実力主義をやめたほうがいい気がするなあ。努力ができる人を重用するのでなく、努力できない人をも大事にする社会のほうが、日本人には向いているように思います。

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わたしが教室で三年寝太郎を読み聞かせたあと、

「自分はどっちタイプだと思う?」

ときくと、クラスの3割は、手をあげました。

残りの7割の子に、どうして自分は三年寝太郎ではないと思うのかと聞くと、わたしはそんなに100年後、1000年後のことまで考えられるような人間の器がないので、三年寝太郎のような立派な人にはとうていなれない、わたしはせいぜい、毎日宿題をコツコツとこなして、寝太郎を手伝うしかない、と言ってました。

子どもは、コツコツ努力をする人よりも、寝太郎のほうが価値があると思うらしいです。大人とはまったくちがいますな。

サザエさんはなぜサザエさんが主人公と言えるのか

なぜサザエさんは、サザエさんと言うタイトルなのでしょう。

これは小学校で国語を教えている教員は、おそらく一度は考えたことがある問いであると思います。
小学校の国語の教科書は、様々な題材が掲載されています。タイトルがすごく重要なのです。最も大切なことがタイトルに凝縮され、示されてあると考えるのが妥当でしょう。
だから、教員の職業病とでも言うのでしょうか、なぜサザエさんはサザエさんと言うタイトルなのか、教員としてはしっかりと説明できなければならない、と頭のどこかで考えているのです。

わたしはこれを、ウチの嫁様に、ふと話してみました。

彼女はめんどくさそうに、
「サザエさんとその周りの家族を描写しているからじゃないの?」
と、至極、まっとうな返答。

私は意地悪く、
「でも、それをいうなら他の構成員だって同じだよ。みんな、マスオさんの家族とも言えるし、波平さんの家族とも言える。カツオの家族でもあり、タラちゃんの家族でもあるよね。では、なぜ、『カツオくん』がタイトルではないのかなあ?」

皆様はどうお考えになりますか?

これは、前回の記事の続きです。
つまり、必要な事は、抽象思考ということです。
サザエさんに出てくる登場人物、磯野波平、磯野ふね、フグ田マスオ、フグ田サザエ、磯野カツオ、磯野ワカメ、フグ田タラオ、・・・。
この具体的なパーツ、一つ一つを、何らかの最もらしい抽象化ルールに沿って、分類しなければならないのです。
そして、その抽象化作業の結果、答えを確定するのです。
その説明を聞いた誰もが納得し、なるほど!だから、サザエさんが主人公なのだネ!と得心できるように説明するのです。

さて、教室の子どもたちは、どう考えたと思いますか?

これは、ふだんの鍛え方にかかってきますね。
どう問題に向き合い、どう抽象化していくか。
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子どもたちの社会的・世代的な変化とは

子どもたちは、昭和の頃とそう変わってない。子どもだからしょっ中熱を出すし、宿題も忘れる。
ここで話題にしたいのは、そういうことではない。子どもの、いわゆる一般的な属性や特質、ではない。

小学校の教員が、炭鉱のカナリアとしての役割を果たすとしたら、これか、と感じているのである。
今、気付いたことを書いておくのが良いと思ったことがあり、ここに書いておく。

それは、いわゆる個性とか競争、という不変かと思われた概念が、もしかしたら過去のものになりつつあるのでは、という思いだ。

児童会の選挙が、つい先日行われた。
個性的で優秀な子が児童会長に立候補するかと思いきや、なかなかそうはならない。以前からこの傾向はあったが、最近は本当につくづくそうだと思う。長と言う役職にはなかなかつきたがらないのである。
子どもたちは 「長はイヤだ」とはっきり言う。
そこで、児童会役員だとか長だとか言う特別な感じを、「薄める」作戦に出た。
人数を各クラス1人でなく、各クラスから2名ずつ選ぶようにし、その集団が、あたかも合議制のようにして、児童会の運営を行っていくように変えることにした。そうして初めて、各クラスから立候補者がでてくれた。

もともと、児童会は、各委員長ごとに〇〇委員長、と言う役割があり、その委員長が集まって会議を行います。今回は、その会議をリードし、束ねるはずの児童会長的な立場のメンバーをさらに増やしたのです。

かつて、〇〇委員長というのは、児童会全体からすると部長のような立場でした。今ではせいぜい課長が係長クラス。
そして、児童会間の方針やイベントの性格、実施の仕方にいたるまで、音頭をとって旗を振り、進める立場だった児童会長や副会長は、今や、8人ほどの大所帯を構成して、文化人類学者のレヴィストロースが研究した南の島の村の長老たちのようになって、ゆっくりと喋りながら合議制を行うのであります。

今、上へ上へと這い上がろうとするハングリー精神を持った児童は1人もいません。なんせ、Z世代ですから。個性を磨き、競争力をつけて、社長になろう!とする子はほとんどいない。時代が変わりつつある。

振り返ると、今からもう既に40年ほど前には、シラケ世代と言う呼び方があった。また、30年ほど前には、新人類と呼ばれる時代があった。今のような雰囲気へと変わっていく予感は、すでにかなり以前からあったのですね。

とはいえ、これまではやはり、一定数の上昇思考を持ったメンバーはいて、力を持ち、カリスマになることに憧れて、周囲の注目を得て、活躍することを望んでおりました。社会全体としても常識として一応、若い世代はだれしも社会のピラミッドの上流に這い上がっていくのを望んでいるはずだという前提条件が存在していたのです。

しかし、今はそんな前提も崩れている。誰も管理職にはなりたくない。ブラック企業を回避したいのと同じで、気持ちをすり減らすようなことはしたくないんです。上を目指すのではなく、自分の周りの小さな心地の良いコミュニティーとの、ゆるいつながりと共生を目指しているだけのようです。そこでは、すでに【個性】のアピールはあまり必要なことでもなくなっているし、価値はなくなってきています。個性はアピールするものでなく、じわじわと周囲に理解されていくもの、自然に浸透していくもの、黙っていても現れてくるもの、という感じでしょうか。

私の息子はちょうど20歳になるのですが、彼や、その彼の友人たちを見ていても、人生をかけて大きな城を構えようだとか、上昇気流に乗って、トップダウン型・上位下達の組織の上位を目指そうとか、そういう雰囲気は微塵も感じません。

私自身は、学生の頃に昭和が終わり、社会人となる頃は平成となっておりました。象徴であった天皇が逝去して、君主が統治した昭和の時代は終わったのですね。

考えてみると、長い歴史です。 江戸時代には、そのへんの人は、ただの『民』でありました。それが明治大正昭和の時代には、民が国民となります。昭和が始まると世界大戦があり、国民は、国の犠牲となって自分たちの命を放り出したので、戦後はその反動で国民は市民へと変わりました。民→国民→市民、という変化です。

思い返すと、しみじみしますね。
昭和から平成に変わり、国民という言葉は徐々に意味をなくしていきます。われわれ団塊ジュニア世代は、国の政治に期待などせずに成長した世代でした。そして、同世代の人たちの中には、自分の国の政治家の、下手な失政の尻拭い、後始末のために、戦争で大切な誰かの命を奪ったり自分の命捧げたりする人は、おそらくほとんどいないと思います。

そこからさらにさらに、時代はさらに進んだわけでして。
今の若者は、大きなコミュニティーを志向しません。その大きなコミュニティーの、まさか管理運営など絶対にしない。そんなことに神経をすり減らすなんてまっぴらごめんなのです。だから、組織を運営する側になろうと言う気もない。
今の若者が望むのは、足元の小さなコミュニティー。そして、そのコミュニティーですら、管理する側には、なりたくない。バイトリーダーになることでさえ拒む子が多いそうですね、今は。やろうと思えばできるのに。

こうした動きを社会の女性化とか、現代社会が男性性を失い始めたためだ、と批評する文化学者もいます。ところが、私はそう思わない。

いつしか時代は、人間の元の姿に立ち返ろうとしているだけだと思います。
人間はもともと、競争を目的に生まれたのではないですから。競争する生命体は、今や地球上では絶滅寸前です。虎やオオワシはとうの昔にレッドブックデータに入っており、最適化できる動物は子孫を繁栄させる。
うさぎは地球上で、爪を持たないのに子孫を増やし、タイガーは巨大な爪を研ぎながら絶滅するのです。

レヴィストロースが研究した文化人類学においては、南の島で、長老たちは、ゆっくりとのんびりとおしゃべりをしながら、合議を行います。けっしてそこには「腹を立てたり、みけんにシワを寄せて大声を出す人」はいません。長と名のつく立場の人もいません。長老というのは、研究者がそう記録に書いただけで、現地では、ただのおじいさん、です。

今回の児童会選挙や、児童会の形の変化をみていて、イヴァン・イリイチの「脱学校論」を思い出す先生もいたでしょうが、わたしは同時にモースの「贈与論」あるいはクロード・レヴィ=ストロースのさまざまな研究を思い出す。
昨今の児童会選挙の変化は、今年の5年生にはたまたまそういう子が多かったんだろう、というのでは説明がつきません。平板な個々の児童の志向やクセにおとしこんでしまえるものではない。おそらくはこの社会全体の構造的な変化であり、社会の性質の如実な変化が、【ここにも】現れてきたのだ、と考える方が腑に落ちます。

これからの児童会は、おそらくは【脱児童会】を志向するものとなるでしょう。それはビジネスの世界や政治の世界で長く使われてきた、児童会長をトップにおく組織図で説明できるものではなくなり、文化人類学で【純粋贈与経済】とよばれる南の島の世界の、資本主義社会とはまったく別の匂いがする、ああいった文化がぴったりとくるような、ゆっくりとした長老の合議の世界でありましょう。

そこでは、大きなイベントをやる必要も志向も消え失せてしまう。覇気は無いように思えます。しかし、それは上の世代の勝手な誤解にすぎません。そこには、Z世代がのぞむような、小さなコミュニティの、小さな安心があり、確実な安心があるでしょう。そして、一つのゴミを拾うことさえも、十分に味わっていくような、わびさびの世界にも通じる児童の姿が想像できるのです。そういう子どもたちが行う児童会は、これまでのような児童会でなくても、かまわないわけです。
きっと、その意味や価値すらも、古い世代にはわからないのかもしれません。

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クロード・レヴィ=ストロース/中沢新一『サンタクロースの秘密』

オックスフォード

オックスフォード英語辞典が毎年行っていることがある。
それは、その年のムードをよく示す言葉を定める、というもの。

日本で言う流行語大賞のようなものでしょうか。
ちがうのは、オクスフォードはたった一つに絞る、という点。
ムードを総括するような言葉をひとつ、選ぶのです。

2023年の今年は、いったい何でしょうか。
ずばり「AI」、でしょうかネ・・・

ここからは、過去をちょいと振り返ってみましょう。
昨年2022年は、「ゴブリン・モード」(goblin mode)
「ゴブリン・モード」は、オックスフォードの辞書編纂(へんさん)者が選んだ3つの候補のうちの1つで、「恥ずかしげもなく自分勝手で、怠惰で、ずぼらで、貪欲な行動」を指すスラング。
そもそもゴブリンとは、人間に悪さをしたりトラブルを引き起こしたりする、醜い姿の架空の生き物。日本語では「小鬼」と訳されることが多いです。
新型コロナウイルス対策の制限が緩和される中、元の生活に戻りたくないと気づいた人たちが、この言葉をよく使うようになったといいます。このスラングは「私は今ゴブリン・モードだ」や、「ゴブリン・モードに入る」といった使われ方をする。「恥ずかしげもなく自分勝手で、怠惰で、ずぼらで、貪欲で、たいていの場合、社会の規範や期待を拒否するような方法で表れる行動」だそうで・・・。

2021年は、ずばり「vax」でした。これは、ワクチンのことです。
vaccineと同じ。vaccineの短縮形であると説明されていますね。
vax rate:ワクチン接種率とか、get vaxxed:ワクチンを接種する、とか。
この年はコロナのことで、ほぼまるごとといってもいいくらい、一年が忙しく過ぎたような印象でしたからね。無理もないか。

さてその前年。2020年の言葉を発表したときは、とても印象深かったですね。
毎年、オクスフォード英語辞典が発表する言葉ですが、2020年はなんだかいつもと違った。
なんと、言葉をひとつに絞ることができなかったのです。代わりに「未曾有の一年を複数の言葉で網羅する」と発表した。

その中には新型コロナウイルスパンデミック関連の言葉や、オーストラリアの森林火災やBlack Lives Matterムーブメントなど2020年の世界に影響を与えた問題に触れた言葉が入っている。
では、全体を以下に載せてみます。
Bushfire(森林火災)、Covid-19、WFH(working from home・在宅勤務)、Lockdown(ロックダウン)、circuit-breaker(サーキットブレーカー・ロックダウンの前の行動制限措置)、 support bubbles(サポートバブル・支援の安全圏)、 Keyworkers(キーワーカー)、 Furlough(一時解雇)、 Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)、 moonshot(困難だが実現すれば大きなインパクトを与える壮大な計画や挑戦)など。

たしかにこう見ると、昨年の2020年という年が、いかに未曽有の災害に見舞われた年だったかを実感できる。オクスフォードは、世界が混乱を極めた2020年、これ、という言葉に絞ることができなかったのですね。

こうしてみると、あのコロナが騒がれ始めた2020年という年は、人類にとってターニングポイントだったのでしょう。

ちなみに、今年の日本の流行語は、「増税メガネ」ではないと思います。だってノミネートされてませんからネ。しかしすごくキャッチーな言葉だし、本人もまんざらではなかったようですから、岸田さんのためにもノミネートしてあげればよかったのに、と思います。

あとは、「日本万博」でしょうかね。つい先日までは「大阪・関西万博」かと思っていたら、いつの間にか日本全体で税金をつぎこむイベントになってました。「結局日本万博」というように6文字で表したほうが良さそうです。

でも結局は、2023年の日本は、「①ガソリンが高い」「②物価がすごくあがった」「③ジャニーズ」の3本だったように思いますね。
政治家が、一生懸命にこれでもかと日本国民をハラスメントで痛めつけた、という感じがします。
これを「国民ハラスメント」と呼んでいいのであれば、まさに2023年のムードを象徴し、総括できる言葉として、「国民ハラスメント」を筆頭候補にあげたいですな。

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足つぼマッサージで水を浴びるほど飲む

ふと思い立って、足つぼマッサージという店に入った。
夜中によく、足が冷えて眠れないことがある。
足つぼを押せば、まるでマグマのごとく足が温まり、ぬくぬくと安眠できるのではと思いついた。

地元の市の名称と、足つぼマッサージ、という単語で検索し、いちばん近い店を予約した。
足つぼ、という単語は、なんとなく蛸壺(たこつぼ)を思い起こさせる。
わたしは店に行く途中、たこの吸盤のようなものが、足にへばりついて、血流をうながす装置を想像したりした。

「それはいやだ」
すぐに妄想をふり払う。

店に入る前に、どんな服装で行くべきかを迷った。
おそらく着替えなどがあるのだろう。
散々迷った挙げ句、ごく普通のユニクロ上下になった。もっとも日本人らしい姿だ。

さて、たこつぼマッサージの店に行くと、店の方が大きなスキャナーのようなものを用意し、

「足を調査します」

と私の足の裏をスキャンした。
これで、体重の乗っていない部分を特定しようというのだ。

すると、わたしはほぼ足の外側に体重があること、そして指に体重が乗っていない、いわゆる「浮き指」という状態だということがわかった。

これは、指が生きていない状態であり、指に体重をのせないくせがついているんだろう、と教えてもらう。

「指が動いてないので、ふくらはぎの筋肉も使われない可能性が高いです」

どうやら、足の指を使うことと、足の土踏まずのアーチの形成は関係があるようだ。そして、足の土踏まずのアーチがしっかりと形成されていると、ふくらはぎが使われ、そこに筋肉が付くとともに、足の冷えが解消されるのだという。

その方は、その後、足の裏を痛いほどに指圧?してくれた。
足の裏が、ぐりぐりと悲鳴をあげていた。
しかし、帰る頃には、なぜかしらないけれど、非常に足がスッキリしている。
不思議であった。

あるき方も、コツがあるらしい。
ふくらはぎを使うようにしてあるきましょう、と言われた。
ンなことを聞いても、よくわからないが、翌日、学校の長い廊下を歩いていると、ちょっと会得したあるきかたがあった。
それは、踏み出した先の足を、かかとからつく、というあるきカタであります。
これをすると、一瞬だけど、ふくらはぎが伸びる体感があった。
それで、一日歩いてみると、なにかふくらはぎが「妙に疲れている」感じがする。
その代わり、いつものような「重だるさ」とはちがって、運動したあとのような感じがあった。

また、面白かったのは、足つぼマッサージをする間、水を飲め、とさかんに勧められたこと。
水がベッドの横にあって、それをとことん飲むように言われて、飲んでいた。
お店でトイレに行きたくなるほどに飲んだが、それがすごく大事なのだとお店の人は言った。

「ともかく、水が飲めていない人が多くてネ。水飲んでるだけでも、血行がよくなる人多いですよ」

わたしはその夜、2回もトイレに行ったが、翌朝に体調が妙に良かったのを付け加えたい。

みなさん、水を飲みましょう。(といっても飲み過ぎちゃだめらしいので、ほんのちょっと増やす程度がいちばん良いらしい)

下の写真は、なんか海におっこってたモノについて、調査する人たちの図。
すごく面白い写真で、わたしはこの写真を1時間ほど眺めて、ここから始まるSFを考えたが、あと5年ほどしたら発表してみたい。
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人間の共通の思いとは

万引き、という行為がある。
お金の要らないあんぱんまんの国であれば、おなかがへればもらえばいいだけのことで簡単だが、この世の中は資本主義でありますから、そういうわけにまいりません。

万引きを取り締まる人も必要になってきます。
その万引きGメンと呼ばれる人たちが、異口同音に言うのが

「万引きする瞬間を見ていると、ほぼ人は同じような表情になる」

というのです。
つまり、人をだましてやろうとか、お天道さまに顔向けができないようなことをしてやろう、とふと人間が思った瞬間、なにかが働くらしいのですね。
それで、人間は本当に千差万別なはずなのに、だれしも同じような表情になるというわけです。

この話を聴いたときは若いころでしたが、その時は納得がいかなかったですね。
人間は心の内面の作用もふくめて、個性があり、同じ人はいない、と信じていたからです。

だから、「人間ってね、みーんな、同じような心の働きをもっているんだよ」と言われたような気がして、「そんなわけないだろう」と思った。

ところが、人間は同じ表情をするのです。
それはつまり、こころの内側のはたらきというのは、人間は共通している、ということです。
「目が鋭くなって、すごく意地悪な表情なのです。猜疑心と罪悪感と欲望の狭間でいざ悪事に手を染めた瞬間、人は誰もが同じ“悪い顔”になるようです」

これを、多くのお互いに面識のないGメンが、打ち合わせも無いのに異口同音に、言うわけです。
まったく歳も離れた、地域も離れた、別のGメンが同じことをいうのですね。

人間のこころの作用は、非常に似ている、ということでしょう。
人間は千差万別で個性にあふれ、同じ人はいないのに、心の作用は同じなのです

若いころは、これを信じたくなかったのですが、(自分自身が個性にあふれる人間でありたい、と文字通りに考えていたからですが)、教員をつづけていると、素直に納得できます。

それは、人間は、「素直に正直でありたいし、それを受け入れてもらいたい」と思っているからです。これは、一人の例外もなく、人類はみな共通に思っていると思います。

(ただ、ちょっと学術的な面は分かりませんが、一部、サイコパスと呼ばれる狂人の部類に入る人達はわかりません。これはすごく複雑なもので、専門的に学び、医療的な言動が行える人でなければ、サイコパスについて言うことはできないと思います。そして、小学生ながらサイコパスの子もいるだろうと思われますので)

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武器を持っているほうが果たして生き残るのか、という問題

永井隆という方が、なくなる前に自分の子に対してメッセージを書いた。
長崎医科大学で被爆して重傷を負いながら、医師として被災者の救護に奔走した方である。

「武器を持っているほうが果たして生き残るだろうか。
オオカミは鋭い牙を持っている。
それだから人間に滅ぼされてしまった。
ところが鳩は何一つ武器を持っていない。
そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる」

たしかに、武器を持ったから、腕力を誇示できるから、最後には笑っていられるかというと、そうではない。

武器を持って、それで人を刺せるだろうか。
それで、人を撃てるだろうか。
わたしにはぜったいにそれはできない。

今、わたしが刺そうとしているその人は、わたしと同じであり、わたしと同じく、霊峰の向こうからのぞく朝日を拝む人だ。
今、わたしが撃とうとしているその人は、わたしと同じく、子どもの寝顔をみて微笑む人だ。
わたしと同じく、のどを潤して、安堵する人だ。
わたしたちは、はたして、その人を殺せ、と命令されて、できるだろうか。

政治家は、なぜ平気な顔をして、「軍備、軍備」と叫ぶのだろう。
「こちらから攻撃しないと、殺られる」と叫ぶ人の顔を、よくよく見てみよう。
攻撃しようと歯を剥き出すから、攻撃されるのだろう。
人の気持ちを、人の気持ちの動きを、よく考えたことがないのだろう。

じっくりと考えてみたら、きっと誰にも理解できる道。
おそらく、その「じっくり考える時間と場所」が、われわれには与えられていない。

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味の違いについて

たまごは厳密に言うと、1つ1つで味が異なる。
しかし、多くの人は「まあそうはいっても、似たような味だわな」と思って過ごしている。

鶏肉はどうだろうか。
味は、鶏によって味がちがう。たとえ似たような料理法で調理したものであってもだ。
しかし、多くの人はそうはいっても・・・、と思うだろう。つまり、「似たような味」だと思って日々を生きている。わたしもそうだ。

一度、これは味がちがうから、と言われて食べた「鶏のモモステーキ」は、たしかにちがった。なんと表現してよいか分からないが、「味がちがう」ことと、「おいしい」ということが実感だった。

「おなじ鶏肉でも、こんなにちがうのか。だったら、自分の中の鶏肉の味はこういうもの、という常識は、消し去った方がよいだろうな。だってこんなにちがうもの」

わたしはその後、となる成り行きから、食道楽になった。パンでも焼きたてがもっとも美味いのは常識だろうが、朝採りたての野菜はまた格別である。朝、畑から引っこ抜いてきた青梗菜が甘いことや、トマトでも畑でかぶりついたのが一番美味いことも、その後の人生経験でわかってきた。
しぼりたての牛乳は、「これが牛乳なのか」と疑うような味がするし、紙パックに詰めた牛乳と瓶の牛乳、そして乳缶に入れたばかりの牛乳ではまったく風味が異なってくる。
つまり、人間にとって『常に味というのは千差万別』なのではないか、と思うようになった。

みそも、しょうゆも、同様だ。
厳密にいえば1瓶ごとに、味がちがうだろう。味噌だって醤油だって、同じ樽の中でも、ふたに近い部分のみそと、樽の底にあった部分とでは、多少熟成の程度に差があるのだろうし・・・
つまり、味と言うのは、千差万別である。だからこそ、われわれは、そのちがいを楽しむことができる。

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