30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

人間あれこれ

映画にラベルをつけてほしい

映画館についても、なかなか入場する気にはならない。
なぜかと言うと、映画のタイトルやポスター類をみても、どんな映画なのか、よくわからないのだ。

ともかく、私のその時の希望は、

できるだけ音が少なく、爆発などせずに、欲を言えば、あまり複雑なストーリーではなく、できるだけ楽にぼーっとして見られる映画が見たい。

ということだった。

何せ2時間近くも、座っているだけで疲れるのである。
画面の向こうに、大きな音が聞こえて、破裂などしていれば、聞いているだけで疲れてしまう。

できるだけ、静かそうなのが良かった。最後まで、静かでおとなしそうなのが。
できたら、ドキドキハラハラもしたくない。

こんなこと言うと、そんなつまらなさそうな映画どうして見るの?
などと、おそらく、若い人ほど言うに違いない。私も若い頃はそうだった。スリルを求めた。サスペンスが好きで、ハラハラ・ドキドキすればするほど満足した。

自分も今日映画館に着くまでは、自分のことをそうだと勘違いしていた。
実際にその場に着くと、私は自分の年齢を自覚した。もう、ドキドキ、ハラハラすら、求めなくなっていたのである。

その代わり、起承転結も必要なく、できたら、起・承・承・・・・くらいが望ましい。結すら不要である。主人公のその後がどうだろうが、どうでも良い。それぞれが好き勝手にすれば良いだけのことだ。

私は、究極的には、どこかの何も知らぬ爺様が出てきて、そのおじいさまが、朝起きて、起き上がって、椅子に座って、新聞を読みながら、茶をすすっている、たったそれだけの映像を、2時間連続で見たほうが、どんなにか、人生について考えられるかとも思う。

そのような映画があれば、私は毎日でも見に行きたい。
今度のじいさんが、前回のじいさんと、どのようにお茶のすすり方が違うか、それだけでも本当に勉強になると思う。そして、そこから、彼の人生と、これまでの遍歴と、人生観の違いすら感じることができそうだ。
新聞を取っているかどうか、どこの欄から読み始めるのか、お茶を飲むのか、それともホットミルクを飲むのか、あるいは使い古したマグカップなのか、それとも寿司屋の湯のみなのか。

座っている椅子はどんな風か、腰をかけて、どんなふうにため息をつくのか。
その様子を眺めているだけで、人生を考えることができる。

映画館に要望がある。
静かな映画にはサイレントの頭文字である【S】と言う記号を、タイトルの横につけて欲しい。そうすれば、私のようにもうドキドキもびっくりもしたくない。静かにぼーっとしていたい人も、その映画を選択できるからだ。
体力がない。ドキドキする体力は、夏休みの研修をこなしている現役の教師には、もう残っていないのである。

私がそんなふうに、できるだけ静かな映画を探していたところ、1つ見つけた。
それが、【90歳。何がめでたい】という、佐藤愛子さんのエッセイ集を元にした映画であった。

これは、静かだろうな。

直感が当たった。

映画は、期待通りの静けさであった。
草笛光子さん演じる、愛子ばあさんの一挙手一投足を見ているだけで、こみ上げてくるこの満足感がたまらなかった。

火薬はいらない。
盛り上げもいらない。
淡々と人生の日々の出来事が繰り返されていくのが、この人生の最も価値のある瞬間だ。また、その人一人ひとりの自己決定の清々しさを、他人はすべからく尊重するべきで、そうなると、人は必然的に余計な口出しをしなくなる。

【90歳。何がめでたい】は、そんな映画でありました。良い映画を見た、という満足が、帰り道の私の足取りを軽くした。

この夏、オススメであります。

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中年クライシス・・・についての論考

若い時は、得られるものがどんどんと増えていく。
ものも資格も仕事も立場もどんどんと増えていった。

知り合いも同僚も増え、家族まで増えていく。
人間関係がどんどんと広がっていく。

ところが50代になるとだんだんと、そのあたりが整理整頓・淘汰され、厳選されたものになっていく。

これは必ずしも、悪いことでもない。
自分が人生に求めるものが明確になったとともに、質も形もシェイプアップされ、昇華したのだとも言える。

自分が手放すものに気づくと、さみしいという気持ちも湧く。
と同時に、日常の些細なことが心に刺さるようになる。

例えばコンビニエンスストアのレジの人とちょっとした会話で、お互いに笑顔で別れたりすることが嬉しくなったりする。

本を読むときに、この本を書いた著者の考えが心に染みたりより近く感じたりするようになる。

映画を見ても、ストーリーそのものもそうだが、この作品を撮った監督や役者と言うものに目が向き、それらの人々と一緒にいるかのような感覚や、その人と自分との関係を考えたりする。

教員は職業柄、毎日図書館に通っているようなものであり、私は学校の図書館を図書委員の仕事を確認しながら、好きな本も見て回るのが好きだ。

そして本当に自分がタイムスリップしたかのような気持ちになる。

この間は、モモちゃんとプー、モモちゃんとあかねちゃん、などの名作を図書館で見つけ、しばらく、立ち読みをしたところ、目頭が熱くなってきて困った。作者の、大人としての、親としての、一保育者としての気概を感じるからだ。

また、ミヒャエル・エンデの様々な作品、ジムボタンの冒険や、果てしない物語などを見つけたり、ドリトル先生のシリーズ、いぬいとみこさんの名作、北極のミーシカムーシカ、その他の本ともなれば、背表紙で本を見つけた瞬間に、心が躍る。

そして、明確な違いを感じる。
子供の時や若い時に読んだ本は、本そのもの、作品そのものに関心があった。

しかし、今は違う。

その物語を書いた当時の作者の気持ちや考えや、人生観と言うものに、どうしても興味が湧いてくる。この文章を少しずつ書き進めていく最中の、作家の心持ちや考えや、日々の暮らしと言うものに興味が湧いてきて、どんな食べ物を誰とどんなふうに食べながら、どんな街をどんなふうに散歩しながら、この物語の着想を得たのだろう、と考えているのだ。

これは、人生と言うものを、ある程度経験してきたから、いつの間にか、そんなふうな所作が身に付いてしまったのだろうと思う。

一朝一夕で身に付いた所作ではない、ということやね。いいのか悪いのか、中年になると、人生を見る見方が変わるということですな。

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朝陽の中を散歩した話

平日はそうでもないのに、なぜか休日になると目が早く覚める。
そして、散歩でもしたくなるのはなぜか。休日しか、こんな気持ちにはならない。

朝日がのぼる前で、うっすらとしたマジックタイムを、山を見ながら久しぶりに歩いた。

すると中年特有の寂寥感というか、なんだか込み上げてくるものがある。
感謝や恐れが入り混じったような気分、中年クライシスという言葉もあるわけで、何しろ涙脆くも塗りつつあるのだから、あれこれと思い耽る散歩になった。

ふと思い出したのが在原業平で、あの時、周囲の者たちが一斉にその寂寥感に打たれて、みんなで咽び泣いたらしいが、その状況がイメージになって湧いてきた。

伊勢物語では、在原業平が東下りで三河の八ツ橋に至り、沢のほとりで杜若の花が「いとおもしろく咲きたり」、それを同行者が「かきつばたといふ五文字を句の上にすゑて旅の心をよめ」と言ったので詠んだ。 同行者はみんな感激して涙を落とした結果、干したご飯がふやけた、というエピソードがある。

これを私は高校生の頃に習ったが、そんなに簡単に人は泣くものだろうか、という疑問を持った。
今はそれがわかる。中年になったからだ。

さて、この寂寥、という感覚とは、いったい何なのだろうか?

人間の遺伝子が大昔とさほど変わらないと言うことから、人間の生活は、物質的な面や文化の面でも大いに変化はしているが、雄大な景色を見たり、太陽を見たり、風を感じたり、山を見たり、海を見たりすることで心に湧いてくる感情はおそらく10000年ほど前の縄文人たちと今の自分は遺伝子的にそんなに変わらないのではないかと思う。

おそらく雄大な景色を見たときに、心が膨らんでくるかのような圧倒された感じや良いものを見た感覚や夕日が沈むのを見て、何らかの寂寥感だったり、大きなものとの別れに似た感じを受けるようなものは、当時の縄文人たちも感じていたことだろう。

もしも、この人間的な感覚が人間の生活に不要なものであれば、とうだったろうか。
一万年の間に淘汰されて、感覚的に薄れていったのだろうと想像する。

しかし、いま現代人のわれわれだって、夕日が沈むのを見るときに、心に迫るものがあるではないか。

これは、この寂しい感じが、人間の存在や価値について大切な感覚だったから残ったのではないかと想像する。

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校長先生へのタメ口についての考察

これはわたしの悪いところ、短所なのですが、校長先生に馴れ馴れしくしてしまいます。以前は時折、タメ口で話してしまったために、自己嫌悪に陥ることすらありました。

これは20代の過ごし方に問題がありまして・・・。

通常の人は、生活のほとんどを敬語か丁寧語で過ごしているのが普通だと思うのですが、わたしは20代の約10年ほどをまるっと、「無敬語」で過ごしました。おそらく、こんな人は人口の中では0.1%以下だと思います。

これでも中学・高校時代の部活はPL学園ほどではなくとも、一応縦型社会とも言われた体育会系でしたし、大学の寮は400人規模の破壊的なくらいの超縦型パワハラ社会でくらしました。先輩の無茶振りやパワハラにも耐えて過ごしましたね。実はめちゃくちゃ楽しかったのではありますが、若い頃のわたしは敬語をふつうに使えていました。

でも、やはり、20代の経験は大きいですね。

敬語を使わない暮らしを一度経験すると、これが楽でラクで・・・

どんな人も、肩書きで見ない、立場で見ない、性別や家柄や、能力や行動、影響の大きさなどては見ないというクセがついちゃった。誰に対してもタメ口。親戚のおじちゃんや、いとこのニイちゃんと話してる感じ。お母さんとか・・・、家族と話す雰囲気。ほら、そんな中なら、敬語じゃあ、逆に変でしょう?

こんな経験をすることはほぼ不可能なので、いくらわたしがこんなことを、ここて熱弁したとて意味はないんですが・・・

とにかく、ラク。

同時に、若い人が私に対してタメ口で話しても、弟・妹的な目線なのでまったく問題無いどころか、それが普通という気がする。

教室でも子どもが私には、タメ口です。
普通です。
わたしに敬語で話してくる子は、6年生の児童会の子くらいしかいません。これを批判する方もいます。もっと先生への言葉遣いはきちんと丁寧語でするように躾けたほうがよい、と。将来のためだ、と。わたしは教員になりたての頃に、そう注意されまして、教員という職業はまだ始めたばかりでわからないことだらけでしたから、そういうものか、と思いまして、かなり子どもたちにもいちいち注意したものです。 このブログでも、敬語については何回か書いたかなと思います。


今の私は、研鑽に研鑽を重ねまして、校長先生に敬語を使うことができるようになりました。今はまったく、敬語が普通になりましたね!見てください、この晴れ姿を!ここまで10年くらいかかりました。
つまり、敬語に染まるのは時間がかかるのですが、不要となれば、明日からでも敬語を手放すことはできるのです。10年間まるっと無敬語、という生活も、だれでもすぐにできる、というわけですネ、人間という生物は・・・。経験上、それが言えます。

ところで、前回の記事のように、人と人との間に、まったく「存在価値の差や違い」が無いとしたら、パワハラはなくなりそうに思いますが、なかなか無くなりそうにありません。こうしたらどうでしょう。「ノー敬語デー」をつくるのです。上司に対して、その日は敬語を使わない、という日。お互いに、ですから、だれかを特別扱いはしないのです。国家がそれを推進するのなら、どんな上司もぐっと耐えるでしょうからね。

「人はだれでも心から好きな人やモノがあり、愛することができるわけで、どんな人をも馬鹿にすることはできない」と、朝8時になったら日本人は全員これを唱和しまして、総理大臣がテレビ中継、インターネット中継で「本日はこれより、どんなオフィスでもノー敬語です」と宣言します。面白いと思いますがねえ。


今のわたしは、職場ではもうかなり年齢が上になってしまいまして、コピー機の前に立つと、若い子たちが「あ、すぐに終わります」とかいって、ゆずってくれようとしますし、みんな私に敬語を使います。今はもうその環境に慣れちまいましたが、自分はノー敬語でもまったく問題ありません。どんな若い先生も弟や妹の気分ですから。この感覚はどうしようもない。そういう人生を歩んできてしまったので。

パワハラの新聞記事を読むたびに、そんな想像をしています。パワハラがなくなればいいのに、と思います。DVとか。

ところで、ノー敬語デーのときに、なんでワシに対してみんな敬語を使ってくれないんや!と腹を立てる上司がいるんじゃないか、とみなさん思いますか?

わたしは、案外とそんなにいないのではないか、と思いますネ。

そうして、敬語じゃないと腹が立つ、という人がいなくなったとたんに、敬語は本来の輝きをとりもどし、正常に機能し始めると思います。そうなってはじめて、敬語の良さが際立ってきて、お互いに敬語で話し合えることの良さを、日本人全体が享受できるようになるのでしょう。まあそうなったらパワハラは日本から消えますが、パワハラが無くなれば、自分を誤解して卑下してしまう日本人は、居なくなり、日本全体の大きな国益に繋がると思いますナ。

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自己肯定感の意味が変わってきている・・・?

ある保護者と喋っていて、違和感を感じました。話題は「自己肯定感」について。
もしかしたら、自己肯定感と言う言葉の意味が昔と今では変わってきている?

今から10年くらい前でしょうか。自己肯定感と言う言葉が、教育界でも一般でも、かなり使われるようになりました。
ここで言う自己肯定とは、否定の裏返しではなく、自己というものは肯定するしかない、ああだこうだと言う前にただちに肯定するものだ、という見方によります。

否定の裏返しではないと言うところがポイントで、〇〇ができるようになってから肯定する、というものではない。
トーナメント戦で4回戦まで進めたら肯定し、初戦敗退だったら否定する、と言う世界の話ではない、のですな。

肯定と否定と言うものを、対(つい)にして考える癖が、我々には普通にあると思います。辞書を引くと、肯定の反対が否定であり、否定の反対が肯定と載っているのですから、当然かもしれませんが。

ところが、自己肯定感と言うときには、その定義が崩れるのです。ここで言う「肯定」は全く「否定」とは、一切無縁の世界です。つまり、自己と言うものは、かけがえのないもので、存在しているだけで、価値があり、存在しているだけで、他との関連が生まれています。この宇宙に存在しているだけで、宇宙を構成する1(いち)存在として、揺るぎのないパートナーであり、お互いであり、他とは切り離すことのできない1つの存在だと言うわけです。
どんな人も、何かを好きになったり、愛したりすることができるわけで、その点では肩書きも身分も無関係で一切の差や違いはありません。
ところが、あるお母さんと話していたら、普通に

「レギュラーになれなかったら、自己肯定感も生まれませんから」

と、サラッとおっしゃった。

私はなんとなく流れでうなずいてしまいましたが、待てよ。あれおかしいぞ。と、センサーが反応し、5秒位固まりました。

自己肯定感は、条件付きではないはずです。これがこうしたからと言う条件もなく、本当に無条件であるはず・・・。あらゆる条件がないままに、一切の自己は肯定されると言う感覚のはずです。

そこで思ったのは、おそらく、社会全体として、この言葉の本当の意味が浸透する以前に過剰にもてはやされてしまった結果、このような意味の取り違えが起きてしまったのではないでしょうか。

本来の意味が社会的にこなれた感覚で使われるようになるよりも前に、従来からよく使われていた『成功体験が自信を深める』と言う意味で使われるようになってしまった。そのために本来の意味は薄れていったと予測されます。

本来なら、生まれた赤ん坊が、きっと看護婦さんからも、お医者さんからも、親からも、あぁよかったねぇ。生まれてきて、ようこそ。この世界におめでとう。
と祝福されて、この世に迎え入れられたように、自己は肯定されるという意味なのですが、自己肯定感の使い方を誤ると、とたんに赤ん坊が条件を突きつけられる可能性が出てきます。

ミルクをきちんと飲まないからといって、存在を否定されるのなら、赤ん坊としても、口をとがらして、この世の中は、間違ってると言いたくなるでしょう。「肯定」は「否定」の反対語ではないのですね。

すべての人が、もし仮に、何も達成しない自分を受容することが出来ないなら、世の中は猜疑心と悪意とパワハラに満ちた世界になりそうです。

結果や行動の如何にかかわらず、尊重されるのが自己肯定感の「おおもと」ですから、特に何も働いていないように見える赤ん坊でも尊重されるのが当然です。レギュラーになれない選手はダメだ、という価値観は、おそらく間違った自己肯定、なのでしょう。

自己肯定感、という言葉は、ちょっとばかし適当ではなかったのかもしれません。多くの人が肯定対否定というニ項対立をイメージしてしまうのですから。


自己肯定感を言い換えるとするならば、例えば自己受容感とか、自己存在感などと言いかえることが、これからのムーブメントになりそうです。

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見ているとぶつかる

数ヶ月前に、息子と一緒に東京の街を歩きました。渋谷新宿、浅草上野、・・・
そうして、私がすでにかなり耄碌(もうろく)していることに気が付きました。

なにせ、人にぶつかる!あるいは、ギリギリぶつかりそうになる!

息子を見ていても、同じです。
駅の構内を歩き通した後、2人で同時に同じ感想を言いました。
「ぶつかりそうで怖かったねー」

これでも30代の前半は、かなり長い間東京暮らしでした。都庁に面接に行ったこともあるし、五反田にある会社に非正規でしたが、しばらく勤めたこともあります。250%を超える満員電車で、カバンがもぎ取られたこともあります。

その頃は、実は歩けていました。
JR線や小田急線が通っている、町田の駅の人混みも、凄まじいものがありますが、普通にスイスイと歩いていたのです。今の私からは、想像もつきませんが・・・

そこで、つらつらと考えるに、あることに気が付きました。
それは目線の置き方が違っていたということです。

今回、私が息子と2人で歩いてみて、ありとあらゆる人にぶつかりそうになったのは、実は理由がありました。
私は後半それに気がついたので、目線の置き所を変えてみたところ、驚くべし。あっという間に、昔の私のように、人にぶつからずに歩けるようになったのです。

この発見はノーベル賞級の発見だと思うので、ここに書いておきます。

それは、人とぶつかりたくなければ、人を見ないということなのです。

これが逆説中の逆説で、人は売ろうとすると、手を引っ込めるし、こちらがやらぬと言うと、相手は欲しいというのです。

人とぶつかりたくなければ、最新の注意を払って動いてくる、やってくる人間を目を凝らして見るべきだと思うかもしれません。しかし、実際は逆です。
向こうから、アリのように群がって、私のほうに押し寄せてくる人の群れを見てごらんなさい。
その人間を、いちいちあの人がぶつかる、この人がぶつかりそうだ、やばいなどと、いちいち見ていてはぶつかるのです。

人間に注意を向けた途端にぶつかるのです。これはものすごく大きな真理だと思いませんか?

そのことに気がついたので、後半は人間には注意を向けないようにしました。そして、何を見ているかと言うと、見ているようで、何も見てはいない、何も見ていないようでいて、実は流れを見ている、風を感じているとでも言いましょうか・・・

そうすると、全くストレスなく歩けるのです。今から20年ほど前に、町田の駅で乗り換えていた私は、そうやって、ノーストレスで歩けていたのです。思い出しました。

田舎育ちの息子は、顔面蒼白になりながら、過呼吸になって歩いていました。そして、黒いカバンにぶつかったとか、おばあちゃんが避けきれなかったとか、文句をぶつぶつ言っていました。

そこで私は彼に告げました。

「息子よ、風になれ」

それが世界の真実なのです。


ところで、思い出した小話がもう一つ。

アメリカの中西部にある砂漠のような場所で、所々にガソリンスタンドがありますね。
そのガソリンスタンドに向けて、時折、看板を見かけるのです。この先あと50キロでガソリンスタンドがあるよ、とか。

ガソリンスタンドに行くための看板は、砂漠の真ん中にポツンと立っているような形になります。果てしなく続く道路と、ポツンと立った看板。見える景色はたったそれだけです。

なんとなくこの先の展開が読めましたか?
ご名答!

なんとその看板は、たくさんの自動車にぶつけられて、曲がったり凹んだりしているのだそうです。
そうなんです。人間は見ていると、それにぶつかるのです。

広い広い砂漠なのに、絶対に、避けられるはずの看板に、ぶつかってしまうのが人間なのです。

つまり、人間は、意識にのぼったものを、ずっとずっと見ていると、それに到達してしまうと言うことです。

毎日、毎日、純粋な幼い子供のように、プロゲーマーになりたいと思っていると、なってしまうと言うわけです。
また、こんな感じのティーカップがないかなぁと思って、ありとあらゆるカタログに目を通していると、いつかドンピシャの物を見つけてしまうのです。

憧れて憧れて、毎日写真を見ていると、その野球選手に、いつか会えるということなのです。

人生って楽しいですなぁ。IMG_5744

まったリズムでゆこう!

私は18歳19歳のころから、歩行スピードが格段に速くなりました。

多分、本来はもっとゆったりとした性格で、幼い時から縁側でのんびりとお茶を飲むと言うのが休日の過ごし方でしたから、今でも日本茶ほどうまいものはないと思いますし、晴れた日に縁側で日向ぼっこをするのは、世界で最高の休日の過ごし方だと思っています。

ところが働くようになると、そんな事は言っていられません。
牛舎の間は走るようになり、食堂へ向かうときの階段は、必ず2段飛ばしで駆け上がっていました。今から25、6年も前の話になりますが・・・

ところが、50を過ぎると、気持ちが変わってきました。実はそんなに急いでも良いことがあまりないと言うことがわかってきたからです。
どちらかと言うと、人生はゆっくりとまったりズムで生きるのがトータルで見ると得なことが多い気がします。

最近、車の運転をしていても、どんどん人に譲るようになりました。以前はできれば先に行きたいと言う思いがあったように思います。譲ってもらったらラッキーと思っていたし、割り込まれたら、なんだか少し損をするような気持ちさえありました。
50を過ぎて全く世界が変わりました。できたら、皆さん先に行ってください。

これは、いろんなことの自信がなくなってきた証拠でもあります。急いで先に行ったからと言って、先に到着した分、何かを達成できるかと言うと、おそらくそんなことはできないだろうと言う自分に対しての自信の喪失です。

慌ててやって失敗することの方が多い、ということが、だんだんに自分の心に馴染んできたといいますか、ポジティブに諦めてきたということなのでしょう。

あと、人生をトータルして、ここまで振り返ってみたときに、やってよかったという事はもちろんあるのですが、やりすぎて失敗した、と言うことも、同様に、たくさんあることに気がついたのてすな。

後は大きな意味では体調の管理です。
自分の体に意識を向けて、どんな感じかな?、この辺の筋肉はどう動いているかな?呼吸は浅いかな深いかな、味はしっかり感じ取れているかな、唾液はしっかり出ているかな、こわばっているところはないかな、

などと言うことをしっかり感じ取ろうと思うと、日常でそんなに急いではいけないのです。朝8時から夜8時まで、12時間、ずっとせかせか動いていると、もはや、そういう体の意識は、遠い遠い感じ取ることのできない世界になっています。

ですから、あえて、朝の8時から夜の8時まで、つまり、ワーキングタイムにおいても、わざと、ゆっくり動くのです。そして、あえて待ってみたり、後回しにしたり、やらないで、済まそうと考えたり、風邪をひいてできなかったことにしようと考えるのです。

すると、自分の体がどんな調子なのか、意識をはっきりと向けて感じ取ることができるようになっていきます。少なくともわたしはそうですわ・・・。


大人ですらこうなのですから、子どもだって、そんなに急がせないほうが良いと思います。
子どもたちはただでさえスピードが早いので、ぼーっとしたり、遠くを眺めたり、のんびりするような時間をあえて取らせることで、ふと気がつくような新しい発見を話題にすると良いと思います。

国語、算数、理科、社会の教科の中に、本当は、時間の使い方と言う項目を教科として教えるべきなのです。IMG_6098


怒りの感情は究極の愛

なぜ、怒りの感情が究極の愛と呼べるのかと言うのは、なかなか簡単に説明はできません。
このことを理解するには、まず、人のせいで、というのが、ない、ということを納得する必要があるからです。

誤解しないように釘を刺して書いておくならば、相手に何か伝える場合は、〇〇さん、私はこれがイヤだからこうして欲しい、というのは伝えるのが良いです。〇〇さん、私はこうしたい、こうして欲しい、これはやめて欲しい、約束して欲しいも、アリです。相手には、とことん伝えて要求します。要求しても大丈夫です。また断るのも大切です。

そういうことをふまえた上で、どんなことも、〇〇さんのせい、と言うものは、実際にはないのだ、ありえない、と言うことを理解すると、だんだんに怒りの感情が愛なのだということが理解できてくるとおもいます。

腹が立ったら、感謝することすらあり得る。
宇宙と言うのはそういう風にできている、ということです。

あなたが作り出す宇宙と言うのは、あなたのためだけにあるのですから、宇宙はあなたに対してメッセージを送っていると言うことです。
怒りの感情も、自然界がそれを知らせたいのは、あなた自身に対して、です。

その怒りの感情を、誰かよくわからない第三者に関係があると思うこと自体がおかしいと言うわけです。第三者は全く無関係です。怒りの感情が関係するのは、あなた自身に対してのみです。

〇〇さんのせいでといった瞬間に、第三者がこのストーリーに登場してきてしまいます。でも、本当は無関係なのです。第三者の事なんて、あなたにも宇宙にも関係がありません。怒りの感情は、あなたの内側にだけ存在しています。怒りの感情は、あなただけの大切なものなのです。あなたが心の内で、しっかりと大事に大事に持っていて、心の中で育んだものなのです。それがあなただけの大事な怒りの感情と言うわけです。

もし関係があるとしたら、あなた以外には、宇宙自然界の真理と言うようなものだけでしょう。あなたとこの世界を形作る、この宇宙の成り立ちそのものが、あなたの心の内に生まれたその怒りの感情に関係しているのです。

はっきり言って、他の人には一切無関係です。

でも、普段から人のせいにしている人は、このことを理解できないのです。

このようなことを教室で子供たちと話すと、子供たちはしっかりと理解をします。というか、最初から雰囲気で知っています。怒りの感情の本当の役割や機能に関しては、大人よりも、子供の方が、よく理解しています。だから、幼い子どもに教える必要はありません。アイツのせいで腹が立った、などという虚偽を教える必要はありません。

「悲しいんだね」「うん」で、終わりです。(くれぐれも、コレ、泣き寝入りとかじゃ、無いからね!)

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ダメは、駄目なのか?という問題 その2

頭が良いのが良いのだよね!
・・・というふうに考える人は、この世の中では多数派でしょうね。

世間では、頭が良いことは良いことだ、と考えます。ほとんどの方がそうだと思います。

では、頭が良いとは、いったいどういうことでしょうか。なにが良い、ということなのでしょうか。どの程度、どういう種類の能力が優れている、ということでしょうか?

私は時折、子どもの態度や行動にハッとさせられます。
そして、この子は頭が良いなあ、と感心するのですが、例えば、先生である私が黒か白かどちらかだろうと内心思っていると、
「グレーもありだと思います」
と、サラッと発言するようなことです。
その子は、ハッキリ言うと、算数はできません。苦手な単元もたくさんあり、暗い表情で算数の教科書をめくるような子です。

でも、グレーもあると言う彼は、実は頭が良いと思います。

また、教室の隅の床の上に、図書館の袋が置いたままになっているので、どうせいつも片付けないS君が面倒くさがってそこに置きっぱなしにしたのだろうと私が思って、S君の姿を探していると、
「1年生の子がそこに置いたのかもしれないよ」
と言う子がいます。
私は全くその可能性は無いだろうと、勝手に考えていて、なんで1年生の子がこんなところに来るの?どうしてそんなとこに置くの?と思っていたら、図書袋を忘れた妹さんが、兄ちゃんのやつをいちど借りに来たんだ、ということがわかったりします。

でも、そこでアドバイスをくれたMくんは、漢字が全然覚えられなくて書けない頭の悪い子なのです。
でも、決めつけないで全く別の視点から、可能性を考えられると言うのは、たいした頭の良さだと思いませんか?
私はMくんは本当に頭の良い子だと考えています。成績は悪いですが。

総合的な学習の時間に、あることを調べようと言うことになって、調査するために多くの人のアンケートが必要になることがありました。
私は、校内の高学年の子たちに、アンケートを取れるように計画をし、多くの先生に頭を下げて、それを頼んで、アンケートを実施しました。
結果は、予想通りで子供たちも予想通りになったことを一応納得したのです。私は早く次の段階に行きたいので、アンケートはここまでにして結果がわかったから、その次の計画に進めようと子供たちと話しました。
でも、何人かの子供たちが、それに対して、強硬に反対をしたのです。つまり低学年のアンケートも取ろうよと言うのです。
低学年の子たちからアンケートを取るのはとても大変なことで、まず質問の意味を噛み砕いてよく説明しなければなりませんし、低学年の子たちが本当に正直にそのことを理解し、答えてくれるとは限らないのです。また低学年のアンケートは時間がかかり、一つ一つアンケートを取って集めているだけでもかなり時間がかかってしまいます。
私は、正直低学年からアンケートを取るのはやめたかったのです。
しかし、その時本気になって、やはり低学年からのアンケートも取るべきだと言うふうに意見を言う子たちがいて、私はその子たちの表情を見ていると、その本気さに少し感動さえしたのでした。自分たちが調査したいことを本当の価値ある調査にするために、やはり低学年の意見も大事だろうと言うのは理が通っているからです。

「やってみなくちゃ、わからないって、今僕たちがやろうとしていることだろうと思います」

発言した子たちの顔を見て、私はあぁこの子たちは頭が良い子たちなんだなと思いました。
でも、その子たちは、軒並み成績が悪いのです。算数も漢字も・・・。読書の量も少ない子たちでした。

でも、こういう風に考えられる子たちって頭が良いと思いませんか?

頭が良いというのは、能力のことではなく、態度のことなのですね。テキパキ、素早く判断をして、効率よく形作ることができれば、人間が1番幸せになれるかと言うと、そうでは無いのです。もっとより良く、もっとより価値のある生き方をしようと思った時に、実際は邪魔をするのが能力だったりします。
自分はもっと賢く進められる、あるいはスピード感を持って進められる、あるいはSNSでたくさんの閲覧数を稼ぐことができる、と頭の良い人たちは考えるかもしれません。
しかし、前述したように、本当の価値を掴もうとしたときに、実は能力よりも、物事を進めていくもとになる態度の方が重要だと言うこともあるのです。

こう考えると、もしかしたら学校と言うのは、頭の良い子たちを多く、生み出そうとしているのでは無いのかもしれません。いや、本当に頭の良い子たちを生み出そうとしているのかもしれません。

今大学の入試も変わってきました。高校の入試も、それに伴って大幅に質を転換させる高校が増えてきています。これまでのようないわゆる頭の良さについては、それほど重要視しないようになってきているようです。

どうやらこれまでの常識となっていた教育観念はかなり見直す必要がありそうです。

ダメだからと言ってはダメではなく、良いからと言って良いわけではないのですね。
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新しい概念「自画自賛力」(じがじさんりょく)

日本人が美徳としてきたものに謙虚と言う態度がありますね。
これは、頭の良い人の証拠で、実際、様々に学び続けている人は、どうしたって態度が謙虚になってしまう。

これを逆に考える人もいますが、そうではありません。謙虚を目指し、謙虚っぽい振る舞いをすると頭が良くなるかというと、全くそんな事は無い。逆は真ならず、です。
頭が良くなると、ごく自然に態度として謙虚になってしまうと言うことなのです。

ただ、その場合、実際には、自画自賛する力と言うものも持っているのが普通であります。謙虚と自画自賛は両立するのです。

頭の良い人は、自分の欠点を理解していることが多いです。そのことが人格とは一切関係ないことを知っているからですね。人物の価値と、能力のなさや欠点とは無関係。何かができたり、パワーを持っていたり、影響力が強いと言うことが、その人の人格や、人間の尊厳や価値とは、無関係だということが、ごく自然に自明な状態なのです。

こういう人は、能力のなさを指摘されたときに、あるいは、自分で気がついたとき、それらがどの程度不足しているのか、どの種類の能力が不足しているのか、冷静に分析します。そしてそのことを公表します。

それと、同じ程度で、自分が周囲に良い影響与えた場合に、そのことの価値や喜びをしっかりと味わうことができるのです。

つまり、価値があるとか、ないとか言うことについて、冷静に分析し、忖度をしないのです。

なので、自画自賛をたっぷりして、自己肯定感を保つことができるのです。そして自己肯定感を保つことができる人は、能力が人格とは無関係だということがわかりますから、失敗や欠点を正確に見つめる強さを持っています。

この強さの計測をする方法がありますが、それは、失敗を人のせいにするかどうかということです。
〇〇さんのせいで失敗した、と言うふうに人のせいにする人は失敗を正しく見つめることをしません。成績が上がることもないでしょう。

頭の良い子どもが、割と、自分の非をあっさり認めるのはなぜでしょうか。また、人のせいだと言うふうに、他人に責任を転嫁しないのはなぜでしょうか?
その必要がないからです。

教室で頭の良い子どもをたくさん見てくると、ある振る舞いが共通していることがだんだんに見えてきます。
それは、他人のせいにせず、自分のアイディアや工夫で乗り切ることができるんじゃないかと言うふうに、ゲーム感覚で捉えていることです。

そして、あたかもゲームの主人公のように、自分の持ち物アイテムのリストをずっと眺めてみて、これが使えるのではないか、あれと、あれを組み合わせたら、こんな効果が出るのではないか、先に、あれをしておけば、次の場面で良い展開になるのではないか、と試したくてうずうずしています。

ゲームに登場するある村の、ある村人が、自分の意図するように活躍しないからといって、何も困らないのです。そんな、自分にとって好都合過ぎる登場人物が、おいそれといるわけがないですから。
というか、頭の良い子どもは、自分がこのゲームの主人公だと言うことをきちんと知っています。
どの順序で、どの村を訪問するのか?
誰とどんな装備を持って乗り込むのか?
どんなイベントを先にこなしておくのか?
全部決めるのが自分だとわかっているから、村人がちょっと気に入らないことを言ったとて、全く意に介さないのです。

自分が主人公だと言う感覚を薄くしか持っていない子もいます。その感覚が、とても薄いのです。
そして、その薄さは、どうせコントローラーを持っているのは、お母さんだものと思っていることに、起因しています。

精神的に親離れをしないと、子供は本当の意味で頭が良くなる事は無いのです。

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母の日、おめでとう!ありがとう!

ちっとも進まないが腹をくくった件

学級開きをして、ついに新学期がはじまった。

今年のわたしの目標は、子ども主体、ということ。
これまでは、子ども主体といいながらも、教師の都合、大人の都合で教育課程を終わらせることを優先していた。


しかし もう この年になり 教員 人生として後半に入って、終わりが見えてきてしまうと 心境が変わってきた。
周囲から多少の文句 や 意見を言われようとも 目の前の子供に対して直接責任を負う気持ちで指導してみたい。

こういうことを書くと
「直接責任を負うとはなにごとか。すべて国の定めに従うのが公務員だろ」
とお叱りを受けそうだ。

しかし、目の前の子供達が最も力をつける 国力をつけるということに 誠心誠意 従うのが本当の教員の勤めだろうと思うようにもなってきた。

これが真の愛国ということではなかろうか。

そこで もう この教室は自分のものではない いわゆる大人として保護者としての観点で 監督はさせてもらうが この教室自体 あるいはこの活動の場所 活動の内容については当事者である子供たちが決めて行くのが最もいいだろうと考えることにした

このことに 春休み中に思い至ったため 私はすっかり楽な気持ちになった

一番楽だと感じたのは教室の春休み中の整備である

毎年 私は春休みになると 教室を最大に カスタマイズして1年のスタートを子供たちが楽しみにできるようにと 自分の時間を全て投げ打つ覚悟で微細に念を入れて掃除をし 新しい 鉛筆削りを備えるばかりか、忘れた子用の鉛筆やノートをたくさん仕入れてレイアウトを試行錯誤し、もうほとんど 自分の時間は 0に近かった

しかし今年はそんなことを一切しなかったのですな

一応 片付けができている程度の教室でスタートしたのであります

おかげで、家族との時間が少しばかりは取れたのは、僥倖と言えましょう。

何という楽なことだろうかと 教員 人生 20年目を迎える 私は 本当に楽な気持ちになりました

私は子供たちに挨拶する際
開口一番 さあ どんなクラスにする?
と聞いた

オルガンの置く場所はどこにしよう?

子供たちは最初何がを聞かれたのかわかっていませんでしたナ

子供たちは最初は面食らったが自分たちが決めていいのだとわかると途端に意見を言い出した

結局 去年と同じような場所に決まったのだが その場所を決めるためになんと1時間以上 時間を使った

この話を同僚の先生にすると呆れたような驚くような声を出した

私は同じように 電子黒板の位置も子供に決めさせた

これも議論が分かれたが子供達は最終的に 窓側の斬新な場所をえらびました

ちょっと私からしたらやりにくい場所なのですが、やってやれないことはない

席順も最初からどうするか 子供達に考えてもらいました

席替えとなると、目の色を変えるのが小学生と言う生き物。
てんやわんや、声の大きなこの意見が通り そうだったのですが
私はそれは許しませんでした

チャンスですから、次のセリフを言いました。

本当に思ったことを言わないとあなたのクラスにはならないよ

実はこのセリフを言いたくてこの時間を仕組んだのでありました


あなたの意見を出すのだ
あなたが本当に思ってる 意見を出すのだ
あなたの心の中にある本当の気持ちをみんなに言うことで 初めてこのクラスは あなたのものになるのだ
遠慮 というのは決して誰の得にもならない

これでほぼ最初の2、3日を使ってしまったために、すでに他のクラスと国語も 算数も2時間分以上の差が開いてしまった

私はほんの少し やばいと思った

しかし私は得るものは得たと思う

事あるごとに 私はその後、何度も同じことを繰り返して言うのです

本当に思ってることを言えてるかな これがいいという気持ちがちゃんと言えてるかな 本当はこうしたいって言えると気持ちが良いよね

また それを聞いている子たちに対しても友達が本当に思ってることを言ってくれると同じ意見の人は一緒だって楽しくなるよね
もし違う意見が出たとしても あそんな考え もあったんだと思ってそれも嬉しいよね
もっともっと考えようね

ということを何度言っても子供たちが納得した表情を浮かべ続けるのである

この 浮かべ続けるというところが 私としては今の日本にとても大切なことではないかと思っている

それにしてもあぁ自分は歳をとったなと思います
国語も算数もかなり遅れております
でも、何故か平気なんです
平気なのは本当は問題です

でも平気であります
要するに、人生ってこうしなければならないと言うのは本当にないのですね
自分が直接に素責任を負うと言うふうに決めたら、もうなんだっていいのです

それでうまくいけばいいし、うまく行かなくても全く良いのです

風邪は引いてもいいし、ひかなくても良い
引いたら引いたで、風邪を引けば良いのです
直接に責任を負うのは、私なのですから

そして、責められたら、攻められたで人から責められれば良いのです
責められたらおしまいだと言う考えが、若い頃は私にも多少ありましたが、実際には責められたら攻められたで、それは全くと言って良いほど素晴らしいことなのです

というわけで、私は至極泰然とした気持ちでスタートしました
国語も算数も遅れていましたが、もう取り返して追いついてしまいましたゼ。


写真は藤の花です
私の剪定の下手さには定評があるのですが、いかに剪定が下手でも、木は枯れませんでした
そして、枯れたら枯れたで良いのです。そして、泣くのが人生。


災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候


上記は良寛のことばです。
災難に逢うときは災難に遭い、死ぬときには死ぬしかない。私たちがどんなに手を尽くしてもそれは変えられません。だとしたら、それらを受け入れて生きるしかない。どんなに不運が続き、大災害に逢おうとも、それは紛れもない命の現実の姿でしかない。

「人として生まれたからには生老病死からは逃れることはできず、あるがままを受け入れ、その時自分ができることを一生懸命やるしかない」


ここまで思い切るには時間は必要。

災難に逢うときには、災難に逢うしかない。「遭う」ではなく、「逢う」と書いているのは、なぜか。

『遭う』とは、嫌な事柄に偶然に出会ってしまうことに対し、『逢う』とは、親しい人にめぐりあったときに使う言葉。

災難に逢う、と書いた良寛。良寛はこれを書いたときが17歳。相当な生きるうえでの覚悟があったと思われる。
しかし、まぁ、藤も本当によく咲いてくれました。

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結局、天職についての問題 3

当時の私には、すべてが学びの対象と感じられていました。若い人はたいがい、そうでしょう。

やってみてわかったことは、私は業務の成績を上げるというよりも、この仕事が人間にとって、あるいは若者にとって、どのような意味があるのかを文章にしたり、かんがえたりすることのほうが面白いと思ったことです。これは、私の適性の発見につながりました。

その後、今度は転職して野菜の小売業を行いました。
これもまた、学校の勉強のような感覚で仕事を行いました。実地演習のような雰囲気です。

トラックを運転し、家をまわり、ご家庭の玄関先で野菜を売るのです。大阪はすみずみまで回りました。おかげで大きな道路を覚えたばかりか、どんな場所に、土地に、どんな人々が暮らしていて、昼間暇そうにしている人もいれば、忙しそうな人もいるし、経済的にもさまざまなレベルで人は暮らしているということが分かりました。また、非常にたくさんの奥様方とお話をするのは、面白いばかりか、なるほどと思うことも多く、勉強になりました。

当時の私は仕事も頑張っていたのですが、こういった仕事は非常に大切だけど、自分はどちらかというとこのことで儲けようという気分はどうしても湧いてこないな、と感じておりました。
当時の自分のモチベーションは、何だったのだろう、と振り返ってみると、

ここから何を学んだか

を、文章にしたり人に話したり、その仕事から社会経済の仕組みや人の集団の変化を考える、ということのほうが結局は大きな関心事だということがわかったのです。車を運転しながら、アレコレとメモをしたり、考えたりしてましたね。

とうとう腰を痛めてこの仕事に見切りをつけたのですが、また転職しました。
今度はインターネット関連の仕事や、新聞を作る仕事を行いました。私としては、これは非常に面白みがありました。徐々に、自分のモチベーションが強まっているのを感じました。インターネットの仕事は、情報の伝達、ということにつながります。わたしはその部分でも興味が強く、人と人がどう情報の伝達を行うのか、その社会的な意味はなにか、と考えてばかりいました。新聞づくりはもう面白くて仕方がありませんでした。文章を書くのは、自分にとって中毒のようなものでしたから。

途中で、面白そうなJAXAの相模原キャンパスに常駐する、情報セキュリティ担当の仕事をしましたが、これもまた渋くて粋な仕事でした。

そこまで進むと、もう28歳になっておりましたので、ここらであれこれと考えた結果、要するにわたしの興味関心は、どうしても社会科学的な分野になってくるのがわかりました。
残りの人生は、そこに深くリンクする仕事でありたい。社会論を考え続けたい、人間にとって有効な社会システムを、ずっと人と話しながら考え続けたい。

このモチベーションは、どうにも下がらないことが、これまでの経緯で自分にわかっていました。

で、再び転職して、選んだのが教師という仕事です。

毎日、学級という人間社会がどう動くのか、何が有効なのか、システムとして大事なのはなにか、人と人とが話し合うためにはなにがポイントになってくるのか。お互いがわかりあうために必要な手段とはなにか。

考え続けるのが面白くて仕方がありません。

でも、この教師という仕事にたどりつくためには、30歳までの10年間が必要でした。
このくらいは必要でしょう。20歳ですぐにたどりつかなくてもいいのではないでしょうか。
もちろん、最初からほぼ自分の計画が立てられていて、同じ分野を少しづつ耕していける人もいます。そういうことが可能な人は、とても幸運だと思いますね。

まあしかし、時間をかけてゆっくり見つけることもできる、ということです。
むしろ、多くの人にとっては、最初からそのくらいの計画でいる方が無理がないような気もします。大事なのは、20代は、観察しつづける、まなびつづける、ということではないでしょうか。

自分が関心をもっているのはなにか、と。

決めつけないで、早わかりしないで。
できるだけ、ちょこちょこと、多方面に興味を向けて、味見をしつづけることです。そして、ワンランク難しいことに挑戦してみると、面白さが見えてくる。少しだけ頑張りながら、変化を感じ取りつつ、自分の中に一貫してつづくもの、モチベーションが下がらない対象を見つける。

わたしはどちらかというと、常識的なものはつまらない、という妙な思い込みを持っていますから、同じことをしゅくしゅくとつづけるのは得意ではありませんでした。
嫁様はまったく逆で、新しいことはしんどいので、同じことを続けていくことこそが幸福だと断言しています。それもまた、正しいのです。

自分のタイプを見極めて、モチベーションができるだけ持続しやすそうな、興味対象を発見すること。

そして、そこに関連する業務・仕事を見つけられたなら、幸福度は高くなると思います。

がんばれ!息子!

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結局、天職についての問題 2

さて、息子の進路について考える、のつづきです。

私自身は、落語家になるより以前に、もっと大事にしたいことがあるならば、それを優先したほうがいい。そうでなければその大事なことは、二度とできないだろうから(人生の後半ではやり直しができないこともある)、と考えました。 とくに、人生に大きな賭けがあるとしたら、若いときにその大きな賭けをした方が良い。小さな賭けはしなくてもいいが、大きな賭けは、賭けた場合と賭けなかった場合とで、死ぬ直前での後悔の度合いがちがうだろうと思ったのです。

そこで、落語家になるよりも、さらに大きく賭けたいこと、こだわりたいことはなんだろうかと、かなり考えることになりました。

落語家に決めたと、仕事をピンポイントで決めたり、【お笑い関連】のように業種をしぼったりするよりも、その前が大事ということです。
そうでなく、もっと自分の幸福に直結するような、大きなことから埋めていこうというわけです。
小さなもので袋を一杯にすると、もうその袋には大きなものは入りませんからね。先に、大きなものを考えるのです。
いま振り返ってみると、こんなふうな思考のおかげで、コレ、と限定しないで考え続けられるようになったのかなと思います。

大事なのは、好きを仕事にするのは危険だということです。
好きが必ずしも強みとリンクしているわけではないことと、向いているかどうかと相関していない場合もあるからです。また、好きだと長時間取り組むことが平気な代わりに、やりがいを搾取されてしまい、これもまた望む幸福が得られるとは限りません。
いったい、幸福とは何でしょうか?
ますます悩むことになりました。

18歳の当時、わたしが結論を出したのは、

「こんなに迷うということは、自分はあまりにも世間を知らなさ過ぎるからだろう。世の中の端っこの方、隅っこの方を、しっかりもっと見て学んだほうがいい。テレビやマスコミや本で紹介されているだけでは、世界はわからない」

ということでした。

そこで、青年海外協力隊になろうとしましたが、当時、手紙をやり取りしていた同級生の話を聞いて、挫けてしまいました。

同級生だった田平という友達が国連の仕事をし、東ティモールで初めての国政選挙を行いましたが、金持ちが人々をすぐに二束三文で買収したそうです。金で票を集めておりまして、かえってマフィアのような人物が公認で政治を行うために治安が悪くなったことを嘆いておりました。そうならないように心血を注いだのに、挫折をしてしまい、気の毒にも人間不信で世の中を呪っておりましたが、まあそんなこともあるのですね。

私は結局、1年後には牛舎で牛にミルクをやる仕事に就いたのですが、これは愉快でした。わたしが世の中をよく知るには、農業という仕事はかなり有効だったのです。ミルクを手にしたり、肉を手にしたりするためには、こういった作業が、世話が、仕事が、必要である、ということを認識するのは、社会の成り立ちを理解するには非常に勉強になりました。
(つづく)

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結局、天職についての問題 1

息子が大学生になり、1年間が過ぎまして・・・。
将来のことで、本当にたまに話をすることがあります。
未来の計画は自由なので、その自由さにめまいがするほどですね。

生涯において自分がどのような時間を過ごすのか、自由であります。
人生は限られた時間ですが、どのように使うのも自由。
人間とはすばらしいですな。

ところが、あまりにも選択肢が多すぎると、ひとはあまり、幸福とは思えなくなるそうですね。アメリカの心理学の研究で、データがあるようです。
みなさんは、どう感じますか?



わたしは15歳のころから、この「何をして過ごすのか問題」というのに関心をもちまして、この問題の解決方法を探り始めました。

死ぬときに、後悔したくない、というのが一番だが、そのためには自分の設計に心の底から納得していなければならない。

ではどうするか。

わたしが15,6際の頃は、日本がバブルの頂点にあったときで、世の中が浮かれておりました。
今のように手堅く貯金の計画をしたり、収入と消費のバランスを取って人生設計を行うような雰囲気ではなく、生きている残りの時間をどうやって過ごすか、ともかくありとあらゆる選択肢がある、という状況。

高校の友達も、日本はつまらんからオーストラリアに行ってくる、とか、でかいイベントをしたいとか、政治家になって世の中を変えていく夢を語ったり、ビル・ゲイツに会うツアーに参加しようとしたり、多少若さゆえの狂気じみたニュアンスはありましたが、本当に自由な発想があったのです。

わたしは落語家になろうとしていましたが、

好きなことを職業にするかどうか

このことで非常に悩みましたね。
(こういう人は多いと思われます)

結局、落語家にはならなかったわけですが、そのときに思ったことは、
1)好きなことが必ず得意な訳では無い
2)好きなことでなくても、のちのち得意になっていくことがある(まだ未発見)
3)やりたい!と思うことは細かいレベルではすごく流動的
ということでした。

具体的には、以下のようなことがあると、幸福になるはずが、そうでもなかった、ということになりかねません。

罠1:好きを仕事にする→それが本当に得意で世の人に需要があるかどうかは別問題。
罠2:給料の高さに釣られる→本人が向いてなくて無駄な努力を強いられるかも。
罠3:仕事のラクさで選ぶ→自分を生かせないという不満が静かにたまりそう。
罠4:業界や業種を絞る→意外とそれとは異なる業種こそ天職の可能性も。
罠5:適正や強みを生かす→周囲を見ると上には上がいるために報われないと思うかも。
罠6:自分の直感を信じる→脳内情報にバイアスがかかっていて、あてにならないことも。
罠7:性格テストを気にする→性格はコロコロ変わるのであてにならない。

こんなことを言い出すとキリがありませんが・・・


ただ、したいこと、というのはなかなか容易には見つかりません。
なんとなくやってみたいかも、というのもたくさんありすぎて、迷いはどんどん深まります。
結局、いちばん有効な視点は何かというと、つまるところ、

モチベーションが持続する

というのが大事だと思ったのでした。

ちょうどその頃、持続可能な社会、ということも言われ始めており、ブラジルで気候サミットが開催されたりもしていましたね。(COP3)

持続可能なモチベーション。
はたして、それは・・・。

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三年寝太郎は学校に3割くらい居る

2016年に、わたしは下記のような記事を書いた。


そこに、三年寝太郎のことが書いてある。
要するに、「だれにだって本当の価値があり、実力主義は間違いである」ということが言いたいようだ。
今から8年も前の記事なので、わたしは久しぶりに読み返して、まったく覚えていないから新鮮だった。三年寝太郎についてググッていたら、まさかの自分の記事が出た、というわけ。

その記事の最後は、
「学校の価値を語らずとも、
価値があるかどうかを問わなくても、
Aくんが学校へくることを喜び、大人はそこでもっとも人間らしくふるまいながら、Aくんと共にすごす、ということだろう。なにしろ、われわれは、生きていること自体がヨロコビであるのだから。」
となっている。

どうしてそんなことを書いたかと言うと、学校へ来ることを努力とよび、努力できない人を責める風潮を感じたからだ。
もともと、努力の得意な人と、努力することができない人と、両方いるんですよ。
まあ、一般的に、努力が得意な人は、わりと社会の中で目に見える成果を出しやすいために高評価を得ることが多い。そしてその人は、パッと見てわかりやすい成果を出さない人を、『責めやすい』。
わたしはこんなに努力しているのに、なんであのひとはしないのだろう!
パワハラはこれが原因ではないだろうか。

しきりに価値を語りたい人のことを、価値依存、と呼びますが、まさにパワハラは価値依存の状態から生まれたモンスターであり、実力主義もまたそうでしょうね。価値をさけぶ人のほとんどは、同時に「努力が必要であり、あなたは努力をしていない。努力をスべきだ。そして努力の結果である『価値』をあがめなさい」と言いたいわけ。

ところが、価値依存の人が忘れていることがある。
それが三年寝太郎であります。
だって、用水路の価値を、当時むらに住んでいた誰も、理解できなかったんだから。
そして、太郎が目の前の土を少しずつ掘っている、そのクワの先についた土をみても、価値がわからないのです。つまり、価値を叫ぶ人こそ、価値が見えなくなるパラドックスがあり、価値を知っているぞ、といえば言うほど、今努力していないようにみえるぐうたらな人だって、まだ世の中に無い価値をみつけることができる、ということを忘れているのです。

価値を知っている人、かしこい人のほうが、より忘れやすいのですね。三年寝太郎の価値を。

今回書こうとしたのは、
『三年寝太郎は学校に3割くらい居る』
ということ。
残りの7割は、ふつうにある程度は、目に見えやすい努力ができるタイプでありましょう。

成果は、目に見えやすいものだけではありません。
世の中には多くの人がまだ気づいていない価値があり、その価値に気づくことは、IQの高さや、努力ができるできない、という人間の特性や、体の状態やコンディションの状態に関わらず、だれにだって可能性のあることです。
そのことに気づいた国から、国を上げて「多様性をみとめよう」という動きを取り始めています。

これからは、多様性よりも実力主義だ、という国は没落し、常に他国の後塵を拝する、ということになりましょう。
そうではなく、社会に埋もれたアイデアや宝が、どの人にも存在する可能性があり、だからこそ多様性を認めることで本当に人間社会に役立てることができるのであり、いわゆる「目に見える努力ができる人だけを優遇する」国家は、実は宝を捨てているアホ国家だ、ということを知ることが大切なのでしょうね。

そういえば、アフガンを緑化したことで有名な中村医師も、寝太郎のように水路を掘ろうと思って土を掘り出したら、始めたばかりの頃は特に、周囲からあいつはアホだと言われ、なにか悪いことをしているのではないか、と相当な邪魔や悪意を受けたらしいですね。
日本人の多くは、実力主義では生きにくいDNAを持っているのではないかなあ。
おそらく日本人の多くは、三年寝太郎のようなタイプなのではないかと思いますネ。
だって、通常のノーベル賞はなかなかとれないけど、イグノーベル賞は世界で日本人だけが、かなり長期間、13年連続かなにかで受賞しているでしょう。あれ、アホなことには価値を認めない、という世界の常識に抗する賞で、アンチ実力主義の最たるものですよね。まさに三年寝太郎的な。
日本人は実力主義をやめたほうがいい気がするなあ。努力ができる人を重用するのでなく、努力できない人をも大事にする社会のほうが、日本人には向いているように思います。

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わたしが教室で三年寝太郎を読み聞かせたあと、

「自分はどっちタイプだと思う?」

ときくと、クラスの3割は、手をあげました。

残りの7割の子に、どうして自分は三年寝太郎ではないと思うのかと聞くと、わたしはそんなに100年後、1000年後のことまで考えられるような人間の器がないので、三年寝太郎のような立派な人にはとうていなれない、わたしはせいぜい、毎日宿題をコツコツとこなして、寝太郎を手伝うしかない、と言ってました。

子どもは、コツコツ努力をする人よりも、寝太郎のほうが価値があると思うらしいです。大人とはまったくちがいますな。

サザエさんはなぜサザエさんが主人公と言えるのか

なぜサザエさんは、サザエさんと言うタイトルなのでしょう。

これは小学校で国語を教えている教員は、おそらく一度は考えたことがある問いであると思います。
小学校の国語の教科書は、様々な題材が掲載されています。タイトルがすごく重要なのです。最も大切なことがタイトルに凝縮され、示されてあると考えるのが妥当でしょう。
だから、教員の職業病とでも言うのでしょうか、なぜサザエさんはサザエさんと言うタイトルなのか、教員としてはしっかりと説明できなければならない、と頭のどこかで考えているのです。

わたしはこれを、ウチの嫁様に、ふと話してみました。

彼女はめんどくさそうに、
「サザエさんとその周りの家族を描写しているからじゃないの?」
と、至極、まっとうな返答。

私は意地悪く、
「でも、それをいうなら他の構成員だって同じだよ。みんな、マスオさんの家族とも言えるし、波平さんの家族とも言える。カツオの家族でもあり、タラちゃんの家族でもあるよね。では、なぜ、『カツオくん』がタイトルではないのかなあ?」

皆様はどうお考えになりますか?

これは、前回の記事の続きです。
つまり、必要な事は、抽象思考ということです。
サザエさんに出てくる登場人物、磯野波平、磯野ふね、フグ田マスオ、フグ田サザエ、磯野カツオ、磯野ワカメ、フグ田タラオ、・・・。
この具体的なパーツ、一つ一つを、何らかの最もらしい抽象化ルールに沿って、分類しなければならないのです。
そして、その抽象化作業の結果、答えを確定するのです。
その説明を聞いた誰もが納得し、なるほど!だから、サザエさんが主人公なのだネ!と得心できるように説明するのです。

さて、教室の子どもたちは、どう考えたと思いますか?

これは、ふだんの鍛え方にかかってきますね。
どう問題に向き合い、どう抽象化していくか。
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子どもたちの社会的・世代的な変化とは

子どもたちは、昭和の頃とそう変わってない。子どもだからしょっ中熱を出すし、宿題も忘れる。
ここで話題にしたいのは、そういうことではない。子どもの、いわゆる一般的な属性や特質、ではない。

小学校の教員が、炭鉱のカナリアとしての役割を果たすとしたら、これか、と感じているのである。
今、気付いたことを書いておくのが良いと思ったことがあり、ここに書いておく。

それは、いわゆる個性とか競争、という不変かと思われた概念が、もしかしたら過去のものになりつつあるのでは、という思いだ。

児童会の選挙が、つい先日行われた。
個性的で優秀な子が児童会長に立候補するかと思いきや、なかなかそうはならない。以前からこの傾向はあったが、最近は本当につくづくそうだと思う。長と言う役職にはなかなかつきたがらないのである。
子どもたちは 「長はイヤだ」とはっきり言う。
そこで、児童会役員だとか長だとか言う特別な感じを、「薄める」作戦に出た。
人数を各クラス1人でなく、各クラスから2名ずつ選ぶようにし、その集団が、あたかも合議制のようにして、児童会の運営を行っていくように変えることにした。そうして初めて、各クラスから立候補者がでてくれた。

もともと、児童会は、各委員長ごとに〇〇委員長、と言う役割があり、その委員長が集まって会議を行います。今回は、その会議をリードし、束ねるはずの児童会長的な立場のメンバーをさらに増やしたのです。

かつて、〇〇委員長というのは、児童会全体からすると部長のような立場でした。今ではせいぜい課長が係長クラス。
そして、児童会間の方針やイベントの性格、実施の仕方にいたるまで、音頭をとって旗を振り、進める立場だった児童会長や副会長は、今や、8人ほどの大所帯を構成して、文化人類学者のレヴィストロースが研究した南の島の村の長老たちのようになって、ゆっくりと喋りながら合議制を行うのであります。

今、上へ上へと這い上がろうとするハングリー精神を持った児童は1人もいません。なんせ、Z世代ですから。個性を磨き、競争力をつけて、社長になろう!とする子はほとんどいない。時代が変わりつつある。

振り返ると、今からもう既に40年ほど前には、シラケ世代と言う呼び方があった。また、30年ほど前には、新人類と呼ばれる時代があった。今のような雰囲気へと変わっていく予感は、すでにかなり以前からあったのですね。

とはいえ、これまではやはり、一定数の上昇思考を持ったメンバーはいて、力を持ち、カリスマになることに憧れて、周囲の注目を得て、活躍することを望んでおりました。社会全体としても常識として一応、若い世代はだれしも社会のピラミッドの上流に這い上がっていくのを望んでいるはずだという前提条件が存在していたのです。

しかし、今はそんな前提も崩れている。誰も管理職にはなりたくない。ブラック企業を回避したいのと同じで、気持ちをすり減らすようなことはしたくないんです。上を目指すのではなく、自分の周りの小さな心地の良いコミュニティーとの、ゆるいつながりと共生を目指しているだけのようです。そこでは、すでに【個性】のアピールはあまり必要なことでもなくなっているし、価値はなくなってきています。個性はアピールするものでなく、じわじわと周囲に理解されていくもの、自然に浸透していくもの、黙っていても現れてくるもの、という感じでしょうか。

私の息子はちょうど20歳になるのですが、彼や、その彼の友人たちを見ていても、人生をかけて大きな城を構えようだとか、上昇気流に乗って、トップダウン型・上位下達の組織の上位を目指そうとか、そういう雰囲気は微塵も感じません。

私自身は、学生の頃に昭和が終わり、社会人となる頃は平成となっておりました。象徴であった天皇が逝去して、君主が統治した昭和の時代は終わったのですね。

考えてみると、長い歴史です。 江戸時代には、そのへんの人は、ただの『民』でありました。それが明治大正昭和の時代には、民が国民となります。昭和が始まると世界大戦があり、国民は、国の犠牲となって自分たちの命を放り出したので、戦後はその反動で国民は市民へと変わりました。民→国民→市民、という変化です。

思い返すと、しみじみしますね。
昭和から平成に変わり、国民という言葉は徐々に意味をなくしていきます。われわれ団塊ジュニア世代は、国の政治に期待などせずに成長した世代でした。そして、同世代の人たちの中には、自分の国の政治家の、下手な失政の尻拭い、後始末のために、戦争で大切な誰かの命を奪ったり自分の命捧げたりする人は、おそらくほとんどいないと思います。

そこからさらにさらに、時代はさらに進んだわけでして。
今の若者は、大きなコミュニティーを志向しません。その大きなコミュニティーの、まさか管理運営など絶対にしない。そんなことに神経をすり減らすなんてまっぴらごめんなのです。だから、組織を運営する側になろうと言う気もない。
今の若者が望むのは、足元の小さなコミュニティー。そして、そのコミュニティーですら、管理する側には、なりたくない。バイトリーダーになることでさえ拒む子が多いそうですね、今は。やろうと思えばできるのに。

こうした動きを社会の女性化とか、現代社会が男性性を失い始めたためだ、と批評する文化学者もいます。ところが、私はそう思わない。

いつしか時代は、人間の元の姿に立ち返ろうとしているだけだと思います。
人間はもともと、競争を目的に生まれたのではないですから。競争する生命体は、今や地球上では絶滅寸前です。虎やオオワシはとうの昔にレッドブックデータに入っており、最適化できる動物は子孫を繁栄させる。
うさぎは地球上で、爪を持たないのに子孫を増やし、タイガーは巨大な爪を研ぎながら絶滅するのです。

レヴィストロースが研究した文化人類学においては、南の島で、長老たちは、ゆっくりとのんびりとおしゃべりをしながら、合議を行います。けっしてそこには「腹を立てたり、みけんにシワを寄せて大声を出す人」はいません。長と名のつく立場の人もいません。長老というのは、研究者がそう記録に書いただけで、現地では、ただのおじいさん、です。

今回の児童会選挙や、児童会の形の変化をみていて、イヴァン・イリイチの「脱学校論」を思い出す先生もいたでしょうが、わたしは同時にモースの「贈与論」あるいはクロード・レヴィ=ストロースのさまざまな研究を思い出す。
昨今の児童会選挙の変化は、今年の5年生にはたまたまそういう子が多かったんだろう、というのでは説明がつきません。平板な個々の児童の志向やクセにおとしこんでしまえるものではない。おそらくはこの社会全体の構造的な変化であり、社会の性質の如実な変化が、【ここにも】現れてきたのだ、と考える方が腑に落ちます。

これからの児童会は、おそらくは【脱児童会】を志向するものとなるでしょう。それはビジネスの世界や政治の世界で長く使われてきた、児童会長をトップにおく組織図で説明できるものではなくなり、文化人類学で【純粋贈与経済】とよばれる南の島の世界の、資本主義社会とはまったく別の匂いがする、ああいった文化がぴったりとくるような、ゆっくりとした長老の合議の世界でありましょう。

そこでは、大きなイベントをやる必要も志向も消え失せてしまう。覇気は無いように思えます。しかし、それは上の世代の勝手な誤解にすぎません。そこには、Z世代がのぞむような、小さなコミュニティの、小さな安心があり、確実な安心があるでしょう。そして、一つのゴミを拾うことさえも、十分に味わっていくような、わびさびの世界にも通じる児童の姿が想像できるのです。そういう子どもたちが行う児童会は、これまでのような児童会でなくても、かまわないわけです。
きっと、その意味や価値すらも、古い世代にはわからないのかもしれません。

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クロード・レヴィ=ストロース/中沢新一『サンタクロースの秘密』

オックスフォード

オックスフォード英語辞典が毎年行っていることがある。
それは、その年のムードをよく示す言葉を定める、というもの。

日本で言う流行語大賞のようなものでしょうか。
ちがうのは、オクスフォードはたった一つに絞る、という点。
ムードを総括するような言葉をひとつ、選ぶのです。

2023年の今年は、いったい何でしょうか。
ずばり「AI」、でしょうかネ・・・

ここからは、過去をちょいと振り返ってみましょう。
昨年2022年は、「ゴブリン・モード」(goblin mode)
「ゴブリン・モード」は、オックスフォードの辞書編纂(へんさん)者が選んだ3つの候補のうちの1つで、「恥ずかしげもなく自分勝手で、怠惰で、ずぼらで、貪欲な行動」を指すスラング。
そもそもゴブリンとは、人間に悪さをしたりトラブルを引き起こしたりする、醜い姿の架空の生き物。日本語では「小鬼」と訳されることが多いです。
新型コロナウイルス対策の制限が緩和される中、元の生活に戻りたくないと気づいた人たちが、この言葉をよく使うようになったといいます。このスラングは「私は今ゴブリン・モードだ」や、「ゴブリン・モードに入る」といった使われ方をする。「恥ずかしげもなく自分勝手で、怠惰で、ずぼらで、貪欲で、たいていの場合、社会の規範や期待を拒否するような方法で表れる行動」だそうで・・・。

2021年は、ずばり「vax」でした。これは、ワクチンのことです。
vaccineと同じ。vaccineの短縮形であると説明されていますね。
vax rate:ワクチン接種率とか、get vaxxed:ワクチンを接種する、とか。
この年はコロナのことで、ほぼまるごとといってもいいくらい、一年が忙しく過ぎたような印象でしたからね。無理もないか。

さてその前年。2020年の言葉を発表したときは、とても印象深かったですね。
毎年、オクスフォード英語辞典が発表する言葉ですが、2020年はなんだかいつもと違った。
なんと、言葉をひとつに絞ることができなかったのです。代わりに「未曾有の一年を複数の言葉で網羅する」と発表した。

その中には新型コロナウイルスパンデミック関連の言葉や、オーストラリアの森林火災やBlack Lives Matterムーブメントなど2020年の世界に影響を与えた問題に触れた言葉が入っている。
では、全体を以下に載せてみます。
Bushfire(森林火災)、Covid-19、WFH(working from home・在宅勤務)、Lockdown(ロックダウン)、circuit-breaker(サーキットブレーカー・ロックダウンの前の行動制限措置)、 support bubbles(サポートバブル・支援の安全圏)、 Keyworkers(キーワーカー)、 Furlough(一時解雇)、 Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)、 moonshot(困難だが実現すれば大きなインパクトを与える壮大な計画や挑戦)など。

たしかにこう見ると、昨年の2020年という年が、いかに未曽有の災害に見舞われた年だったかを実感できる。オクスフォードは、世界が混乱を極めた2020年、これ、という言葉に絞ることができなかったのですね。

こうしてみると、あのコロナが騒がれ始めた2020年という年は、人類にとってターニングポイントだったのでしょう。

ちなみに、今年の日本の流行語は、「増税メガネ」ではないと思います。だってノミネートされてませんからネ。しかしすごくキャッチーな言葉だし、本人もまんざらではなかったようですから、岸田さんのためにもノミネートしてあげればよかったのに、と思います。

あとは、「日本万博」でしょうかね。つい先日までは「大阪・関西万博」かと思っていたら、いつの間にか日本全体で税金をつぎこむイベントになってました。「結局日本万博」というように6文字で表したほうが良さそうです。

でも結局は、2023年の日本は、「①ガソリンが高い」「②物価がすごくあがった」「③ジャニーズ」の3本だったように思いますね。
政治家が、一生懸命にこれでもかと日本国民をハラスメントで痛めつけた、という感じがします。
これを「国民ハラスメント」と呼んでいいのであれば、まさに2023年のムードを象徴し、総括できる言葉として、「国民ハラスメント」を筆頭候補にあげたいですな。

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足つぼマッサージで水を浴びるほど飲む

ふと思い立って、足つぼマッサージという店に入った。
夜中によく、足が冷えて眠れないことがある。
足つぼを押せば、まるでマグマのごとく足が温まり、ぬくぬくと安眠できるのではと思いついた。

地元の市の名称と、足つぼマッサージ、という単語で検索し、いちばん近い店を予約した。
足つぼ、という単語は、なんとなく蛸壺(たこつぼ)を思い起こさせる。
わたしは店に行く途中、たこの吸盤のようなものが、足にへばりついて、血流をうながす装置を想像したりした。

「それはいやだ」
すぐに妄想をふり払う。

店に入る前に、どんな服装で行くべきかを迷った。
おそらく着替えなどがあるのだろう。
散々迷った挙げ句、ごく普通のユニクロ上下になった。もっとも日本人らしい姿だ。

さて、たこつぼマッサージの店に行くと、店の方が大きなスキャナーのようなものを用意し、

「足を調査します」

と私の足の裏をスキャンした。
これで、体重の乗っていない部分を特定しようというのだ。

すると、わたしはほぼ足の外側に体重があること、そして指に体重が乗っていない、いわゆる「浮き指」という状態だということがわかった。

これは、指が生きていない状態であり、指に体重をのせないくせがついているんだろう、と教えてもらう。

「指が動いてないので、ふくらはぎの筋肉も使われない可能性が高いです」

どうやら、足の指を使うことと、足の土踏まずのアーチの形成は関係があるようだ。そして、足の土踏まずのアーチがしっかりと形成されていると、ふくらはぎが使われ、そこに筋肉が付くとともに、足の冷えが解消されるのだという。

その方は、その後、足の裏を痛いほどに指圧?してくれた。
足の裏が、ぐりぐりと悲鳴をあげていた。
しかし、帰る頃には、なぜかしらないけれど、非常に足がスッキリしている。
不思議であった。

あるき方も、コツがあるらしい。
ふくらはぎを使うようにしてあるきましょう、と言われた。
ンなことを聞いても、よくわからないが、翌日、学校の長い廊下を歩いていると、ちょっと会得したあるきかたがあった。
それは、踏み出した先の足を、かかとからつく、というあるきカタであります。
これをすると、一瞬だけど、ふくらはぎが伸びる体感があった。
それで、一日歩いてみると、なにかふくらはぎが「妙に疲れている」感じがする。
その代わり、いつものような「重だるさ」とはちがって、運動したあとのような感じがあった。

また、面白かったのは、足つぼマッサージをする間、水を飲め、とさかんに勧められたこと。
水がベッドの横にあって、それをとことん飲むように言われて、飲んでいた。
お店でトイレに行きたくなるほどに飲んだが、それがすごく大事なのだとお店の人は言った。

「ともかく、水が飲めていない人が多くてネ。水飲んでるだけでも、血行がよくなる人多いですよ」

わたしはその夜、2回もトイレに行ったが、翌朝に体調が妙に良かったのを付け加えたい。

みなさん、水を飲みましょう。(といっても飲み過ぎちゃだめらしいので、ほんのちょっと増やす程度がいちばん良いらしい)

下の写真は、なんか海におっこってたモノについて、調査する人たちの図。
すごく面白い写真で、わたしはこの写真を1時間ほど眺めて、ここから始まるSFを考えたが、あと5年ほどしたら発表してみたい。
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人間の共通の思いとは

万引き、という行為がある。
お金の要らないあんぱんまんの国であれば、おなかがへればもらえばいいだけのことで簡単だが、この世の中は資本主義でありますから、そういうわけにまいりません。

万引きを取り締まる人も必要になってきます。
その万引きGメンと呼ばれる人たちが、異口同音に言うのが

「万引きする瞬間を見ていると、ほぼ人は同じような表情になる」

というのです。
つまり、人をだましてやろうとか、お天道さまに顔向けができないようなことをしてやろう、とふと人間が思った瞬間、なにかが働くらしいのですね。
それで、人間は本当に千差万別なはずなのに、だれしも同じような表情になるというわけです。

この話を聴いたときは若いころでしたが、その時は納得がいかなかったですね。
人間は心の内面の作用もふくめて、個性があり、同じ人はいない、と信じていたからです。

だから、「人間ってね、みーんな、同じような心の働きをもっているんだよ」と言われたような気がして、「そんなわけないだろう」と思った。

ところが、人間は同じ表情をするのです。
それはつまり、こころの内側のはたらきというのは、人間は共通している、ということです。
「目が鋭くなって、すごく意地悪な表情なのです。猜疑心と罪悪感と欲望の狭間でいざ悪事に手を染めた瞬間、人は誰もが同じ“悪い顔”になるようです」

これを、多くのお互いに面識のないGメンが、打ち合わせも無いのに異口同音に、言うわけです。
まったく歳も離れた、地域も離れた、別のGメンが同じことをいうのですね。

人間のこころの作用は、非常に似ている、ということでしょう。
人間は千差万別で個性にあふれ、同じ人はいないのに、心の作用は同じなのです

若いころは、これを信じたくなかったのですが、(自分自身が個性にあふれる人間でありたい、と文字通りに考えていたからですが)、教員をつづけていると、素直に納得できます。

それは、人間は、「素直に正直でありたいし、それを受け入れてもらいたい」と思っているからです。これは、一人の例外もなく、人類はみな共通に思っていると思います。

(ただ、ちょっと学術的な面は分かりませんが、一部、サイコパスと呼ばれる狂人の部類に入る人達はわかりません。これはすごく複雑なもので、専門的に学び、医療的な言動が行える人でなければ、サイコパスについて言うことはできないと思います。そして、小学生ながらサイコパスの子もいるだろうと思われますので)

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武器を持っているほうが果たして生き残るのか、という問題

永井隆という方が、なくなる前に自分の子に対してメッセージを書いた。
長崎医科大学で被爆して重傷を負いながら、医師として被災者の救護に奔走した方である。

「武器を持っているほうが果たして生き残るだろうか。
オオカミは鋭い牙を持っている。
それだから人間に滅ぼされてしまった。
ところが鳩は何一つ武器を持っていない。
そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる」

たしかに、武器を持ったから、腕力を誇示できるから、最後には笑っていられるかというと、そうではない。

武器を持って、それで人を刺せるだろうか。
それで、人を撃てるだろうか。
わたしにはぜったいにそれはできない。

今、わたしが刺そうとしているその人は、わたしと同じであり、わたしと同じく、霊峰の向こうからのぞく朝日を拝む人だ。
今、わたしが撃とうとしているその人は、わたしと同じく、子どもの寝顔をみて微笑む人だ。
わたしと同じく、のどを潤して、安堵する人だ。
わたしたちは、はたして、その人を殺せ、と命令されて、できるだろうか。

政治家は、なぜ平気な顔をして、「軍備、軍備」と叫ぶのだろう。
「こちらから攻撃しないと、殺られる」と叫ぶ人の顔を、よくよく見てみよう。
攻撃しようと歯を剥き出すから、攻撃されるのだろう。
人の気持ちを、人の気持ちの動きを、よく考えたことがないのだろう。

じっくりと考えてみたら、きっと誰にも理解できる道。
おそらく、その「じっくり考える時間と場所」が、われわれには与えられていない。

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味の違いについて

たまごは厳密に言うと、1つ1つで味が異なる。
しかし、多くの人は「まあそうはいっても、似たような味だわな」と思って過ごしている。

鶏肉はどうだろうか。
味は、鶏によって味がちがう。たとえ似たような料理法で調理したものであってもだ。
しかし、多くの人はそうはいっても・・・、と思うだろう。つまり、「似たような味」だと思って日々を生きている。わたしもそうだ。

一度、これは味がちがうから、と言われて食べた「鶏のモモステーキ」は、たしかにちがった。なんと表現してよいか分からないが、「味がちがう」ことと、「おいしい」ということが実感だった。

「おなじ鶏肉でも、こんなにちがうのか。だったら、自分の中の鶏肉の味はこういうもの、という常識は、消し去った方がよいだろうな。だってこんなにちがうもの」

わたしはその後、となる成り行きから、食道楽になった。パンでも焼きたてがもっとも美味いのは常識だろうが、朝採りたての野菜はまた格別である。朝、畑から引っこ抜いてきた青梗菜が甘いことや、トマトでも畑でかぶりついたのが一番美味いことも、その後の人生経験でわかってきた。
しぼりたての牛乳は、「これが牛乳なのか」と疑うような味がするし、紙パックに詰めた牛乳と瓶の牛乳、そして乳缶に入れたばかりの牛乳ではまったく風味が異なってくる。
つまり、人間にとって『常に味というのは千差万別』なのではないか、と思うようになった。

みそも、しょうゆも、同様だ。
厳密にいえば1瓶ごとに、味がちがうだろう。味噌だって醤油だって、同じ樽の中でも、ふたに近い部分のみそと、樽の底にあった部分とでは、多少熟成の程度に差があるのだろうし・・・
つまり、味と言うのは、千差万別である。だからこそ、われわれは、そのちがいを楽しむことができる。

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老眼のこと

自分ではまったく恥ずかしいことに、50代という自覚が薄い。
近所に10代、20代からの仲間が住んでいるせいもあるだろう。つい20代の頃の雰囲気で、仲間と話をしてしまう。

かつて自分が描いていた、「50歳とかになったら、すげえだろうなあ。いろいろと世界の見え方も変わってきて、貫禄つくやろうなあ」という妄想は、完全に打ち砕かれている。
というのも、わたしが20代の頃に接していた40代、50代の方たちは、まあ今考えても、世間的に見ても戦国武将のようなたたずまいを備えていたし、発する一言の重みもあり、伊達政宗や北条早雲がそこらへんを歩いているような日常だった。ああなりたいなあ、と思いながら生きていたが、実際に自分が50代になると、まったく自分の中身が成長しないことに愕然としてしばらく言葉を失うほどだ。

変わらなきゃ、とイチローはかつてCMで言っていた。
自分もそう思い、成長しよう、大人になろう、あわよくば北条早雲のように関東八国をたばねたい、と思っていた。「名こそ惜しけれ」というような貫禄を持ちたい、とも。
しかし自分の成長の歩幅に気づいてしまった。北条早雲どころか、何も持たない子どものまま、である。

しかし、身体の方はきちんと年を重ねているらしい。
とにかく、教科書の字が小さく見えてしまう。
だんだんと腕を伸ばしつつ、「えーっと」と目を細めて教科書を見るようになる。
子どもは敏感で、そのしぐさをみるやいなや「あ、あらま先生、老眼だなあ」と言って笑う。
わたしは「うっせえわ!」と思いながら(口では言わない)
「ええと、正しさとは愚かさとは、それが何か・・・」と教科書を読み始める。

週末になって眼鏡屋へ出かけた。
ところが店員さんが示す老眼鏡の、なんと種類の多いこと!

こんなにメニューが豊富とは思わなかった。
おまけに眼鏡屋は、「目のことを知っていただくため、眼科受診も一度なされては」などという。
「かかりつけ医があると良いですよ」とも。

今日は、眼鏡屋ですぐに購入とはならず、ともかく「老眼の第一歩」ともいえる心構え、を教えていただき、なにかお店の会員になったことだけで、すっかりくたびれてしまった。

そもそも眼鏡とは無縁で生きてきたために、ちょっと試しに、鼻の上にかけてみたが、違和感もあるし、目の前になにかある、というだけで妙な気分になってしまう。これに慣れるような気もしない。
だがこれが無ければ、見えにくいのもたしかだ。

帰宅後、外に散歩に出て、遠い山の上を見た。
遠くを見ていれば視力が回復するかと思ったのだ。
じっと見ていると、稜線がはっきりと見える。おお、見える、見えるぞ・・・。

嫁様にそのことを言うと、いつものように冷たく

「老眼はそんなの関係ないじゃない?」

と、かぼちゃを煮ている。

嫁様は器用にコンタクトをつけたり外したりしている。
ずっとそれで生きてきたから、まったく慣れたもので、流れ作業のようにそれをする。

「眼鏡も慣れるよ、すぐに」

と言ってくれたが、そうだろうか。

ただ、歳をとったためか、見えにくくなった、ということにそれほどイヤな感じがない。
別に見えなくても、そんなに困らない、という感じの方が強い。
これは意外だったが、この余裕の感じ、これだけが自分にとっての「50代としての成長」なのかもしれぬ。

人生の本当に大事なことは、薬のびんの裏側のごく小さな文字が読めるか読めないか、ではない。このことを知っているだけでも齢を重ねた意味がある。これが亀の甲より年の劫、ということであろう。

それにしても、化粧品の後ろの文字、薬品の後ろの文字というのは、なんであんなに小さいのだろうか。1錠のむのか、それとも2錠なのか、じっくり見ても分からない。
たしかどこかに虫眼鏡があったが・・・見当たらない。
50代になってこんな苦労をすることになろうとは思わなかった。

用法・用量の『1錠か2錠か』くらい、もっとでかく表示しろ!!と思う。
もう、適当に2錠とかで飲んじゃうよ?こんな小さい字だったら・・・いいの?と、妄想上の◯◯製薬会社の社長さんに向かって言いながら、とりあえず1錠だけ飲んだけどネ。

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大谷翔平や藤井聡太になれない人たちは

大谷翔平や藤井聡太になれない人たちの方が圧倒的に多い。
教室にはサッカーの才能を持つ子もいるし、野球の才能を持つ子もいる。
空手やダンスに才能を持つ子もいる。
しかし、あこがれ、という気持ち以外に、あきらめ、という感情を持つことだってある。
もうぼくは、レギュラーにもなれないんだ、とか。
そもそも向いていなかったのでは、とか。
いつも力になれない、チームのためになれない、とか。
うまくできない、才能がない、あの子に勝てない、とか。

こういう相談をする子に、どう声をかけたらいいだろう、といつも悩む。
新間草海も、悩むときは悩みます。

・・・

たしかに、何かをはじめたころは、覚えるのが楽しくて仕方がない。
新しいことをたくさん覚える。
道具も新品を買ってもらう。
みんながあれこれやっているのを不思議に思ってみているときと比べたら、
「あ、なるほど、そのためにやってんだな」
と合点していくときの成長は、自分でもよくわかるし実感ができる。
先輩を見習って、自分でも工夫をしていく時代になると、さらに楽しい。
先輩のまねができるのも楽しいが、自分はこうする、こうしたい、というものを見つけたら、もう時間がいくらあっても足りないくらい、熱中できる。

しかし、ある時期をすぎて、なんだか地面が平らに見えるときがくる。
今までは、この坂の上に、この丘の向こうに、なにかあるだろうと思ってやっていく。
途中まではもう上り坂を登っていく感じしかしないから、夢中になって登っていくわけだ。
それが、どうも見晴らしがよくなってしまって、向こうのほうにもとくに何かがあるわけではない感じがしてくるときがある。

このまま歩いて行っても、自分の歩幅でいけば、このくらいだろうなあ、という良くない予感もしてくる。どうにも自分の歩幅が、わかってしまった、という感覚だろうか。あいつほど早く行けない、あいつほど遠くまでいけないだろう、とわかってしまう。そうなると、いくら足を運んでいても、自分が前に進んでいるかわからない、という状態になってしまう。

そうなったときに、「自分に合ったものって何だろうか、自分は何と合うんだろうか」と考えるようになるのかもしれない。世の中でこれが良い、とされるものを求めるのではなく、求めるものが変わっていく。世間がいうものを求めるのではなく、自分と合うものを。

今教室にいる子で、すでに悩み始めている子がいる。
ソフトテニスをつづけるべきか、悩んでいる。
大人だよなあ、と思う。
自分が小学生のころなんて、めざすものもなければ、あきらめるものもない、まだ何の土俵にも立っていなかった。

あのとき、あのころ、ラジカセが家にあったのだから、古今亭志ん生だって桂文楽だって聞けただろうと思う。小学校4年生のころから、毎晩志ん生の「火焔太鼓」のカセットテープを聴いて育っていたら、わたしも夢の舞台に立てたかもしれない。笑点のレギュラーにもなれたかもしれない。
しかし、人生は一度きりだ。後悔はしていない。

大谷翔平や藤井聡太になれない人たちの方が圧倒的に多い。
自分はなにものかに、「なれなかった」と思う人の方がたくさんいるのが、この世の中だ。
ソフトテニスで悩んでいる子は、今、あれこれと考えている。
てっぺんに立つことだけに価値があるのではない。
もしかすると、MVPをとるであろう大谷翔平クンは、ホームランを量産したから価値があるのでもないかもしれない。それはスポットライトの当て方しだいだ。見る人によって、価値は何種類にも分けられる。大谷選手のどこに価値があるのか、何に価値があるのはは、見る人によって異なる。
また、彼には世界中のマスコミからスポットライトを浴びているからまぶしく見えるけれど、もしかしたらどの選手にも、彼のようなスポットライトが当たった瞬間、どの選手も同じように輝いて見えるのかもしれない。

「大谷みたいになれないだろうから、野球を辞めます」

という小学生がいたら、彼には世間のスポットライトが集中して当たっているからまぶしく思えるのだよ、でもだれにだって、スポットライトを当てたら、みんなものすごく輝いて見える、と言いたい。きみだって、なにかに興味を持って、生き生きと行動していたら、それだけで大谷のように輝いているんだよ、とね。

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【朗報】夏休みの宿題、やる気になる唯一の方法

今日、たまたま子どもが学校に来た。
今の勤務校には金管バンドの活動があり、体育館で練習をする。
夏の暑い時間に、蒸している体育館。巨大な扇風機があるので、それを回しながら練習をしている。
先生も大変だが、子どもも大変だ。
しかし、大会(録音参加)が近づいているので、みんな真剣な表情だ。

こっちは今日は午後に研修も控えているので、朝からあれこれと職員室で書類を作っていた。
すると、ちょうどお昼前に練習が終わって、子どもが
「先生いますかー」
と現れた。

児童会で使うプリントの予備が欲しい、というので印刷してやっている間に、なんとなく話をしていると、
「ぜんぜん宿題進んでない」
と言う。
まあ、まだ夏休みははじまったばかり。
「あ、そう」
と軽く受け流していると、その子は
「あー、たぶん今年も最後の3日くらいになって苦しむんだろうなあ」
と冗談っぽく言って笑った。
「エンジンがかかるのが遅いの」
と、自分で言っている。

「あ、そう。(金管バンドの)練習がない日の午前中とか、なにをしてるの?」
と私が尋ねると、
「えー、もうさっそくゲームするかー、それか、だらだらしてるー」
「朝からゲーム?」
「ああ、あと、オリンピック見てるよ」


わたしもそうだったから、何も言えない。
宿題のとりかかりは遅い方だった。
大学の心理学の講義で、「締め切り効果」という言葉を習ったとき、そんなものは小学生の頃から、とっくのとうに気づいてたな、と思ったくらいだ。締め切りの直前に、魔法のように集中力がUPし、ブーストがかかる。信じられないスピードで、作業が片付いていくのである。

さて、それはそれで良いも悪いもない気がするが、いささか博打のような感じもする。
そこで、大人になって仕事をするようになり、さすがに「締め切り効果でブースト」ばかりを目論んでもいられなくなった。
仕事をするようになって思ったのは、
「仕事って締め切りもなにも、ひたすら続いているし、エンドレスなんだな」
ということ。
たしかに、一区切り、というのはある。要するに、目の前に「今日の仕事」とか「今月の仕事」というのがある。わかりやすく言えば。
しかし、その実態は、実は仕事というのは、エンドレスに続いているのである。生きている限り。

イメージとしては、牛舎の前のそうじが該当する。
いくらほうきで掃いても、敷料(しきりょう=畜舎 の床に敷いて、家畜を保護したり、糞尿を吸収させるためのもの)は常に、牛舎の床から通路にはみ出てくる。風にふかれたら、そこら中におが粉は舞っているのである。竹ぼうきで掃いても掃いても、あとからあとから風が吹くために、この仕事はエンドレスである。

この仕事に、締め切り効果、なーんてものは、ないのだ。

わたしは子どもの頃から、「締め切り効果」を最終兵器にして、日常をやりくりしてきたために、牛舎の前をきれいに掃除する、などというような仕事を目の前にすると、なんとも苦痛であった。だれにも頼まれないし、やってもやらなくてもよく、世界の誰からも「締め切り日」を要求されなかったからである。

要するに、「締め切り効果」というのは、それをしないとやばい、という心理的なものがないと、うまく働かないのであります。そして、世の中というのはそういうことばかりではなく、どちらかというと「締め切り」などがない仕事の方が、多いのです。自分でそれらを決めない限り。

夏休みの宿題に悩むその子は、自分で締め切り日を設定する、ということはしないのだろうか。
わたしはそのことを思ったために、こう提案してみた。

「宿題をやる気にならないのは、8月の終わりが締め切りだと思っているからでしょう。7月の終わりが締め切りだ、というふうに、自分で決めたらどう?」

我ながら良い提案だと思ったのだが、これはすぐに却下された。

「えー?だって夏休みなんだもん、そんなふうに思い込むのなんて、無理!」
そして、
「それに、第一、まだ宿題がランドセルに入ったままだもん!」

失敗である。
締め切りの前倒し作戦は、失敗に終わった。

では、どうするか。

🔴やらないと、と思うことがあるときの対処法
さて、わたしがこの世でしばらくの間(あいだ)生きてきて、なにかやらなくてはならないことがあり、しかしなかなかとりかかる気持ちが湧いてこないときの、たった一つの方法は、実はこの世の多くの人が実は実践しているだろうが、以下の方法であります。
ちょっとだけ「準備」をやってみる
この方法は、本来やるべきことの「準備」しかしないのですが、ちょっとだけ、それも準備しかやらない自分を責めない、というのがポイント。

脳裏にすぐに、母親の声で
「そんなすぐにやめてしまうなんてダメ!」
とか
「やったうちに入らないよ!」
とか
「最後までやらないのは、本気だしてない証拠!」
とか、再生される人はかなり洗脳されていますが、早急に親離れしていただき、
「ちょっとだけ準備が進んだな」
と満足することが秘訣です。この場合は。

たとえば宿題がまだランドセルにつっこんだままになっている場合は、とりあえず、そこから取り出して、机の上に置いてみる。
それが「準備」ということです。
それだけでもよい。

次の日、目の前に現れた宿題をみて、ここからここまでやるんだな、とか、パラパラとめくってみる。それだけでもいい。それも「準備」だ。

その次は、筆箱を取り出して、えんぴつをけずってみる。また、夏休み帳の最初のページを開いておく、あるいは、机の周囲を片付けて、きれいにしておく。それだけ。

つまり、ちょっとだけ準備をやって、ちょっと間を置く。
この『間』を置くのがポイントで、そのときに、
「ああ、これってやっておきたいよなあ。早めになあ」
という気持ちが、少しずつ醸成されていく。
この『気持ちの発酵』というのが大事。酵母菌が発酵していないのに、パンをふくらませるのは無理でしょう。いきなり小麦粉をふくらませるのは、物理的に不可能なのです。

だから、「気持ちを発酵させる」

その発酵をうながすのが、「ほんの、ちょいとした準備」なのです。
ランドセルを開けるだけでいい。
そこから夏休み帳をとりだすだけでいい。
えんぴつを削るだけでいい。

そして、「ぼーっ」とする。

「これ、やらなきゃなあ。今やれば楽だよなあ。やっておきたいよなあ」と、ぼーっと静かに考えながら、自分の気持ちが素直になっていくのを見守るのです。そのくらいの落ち着いた、ピュアな心持ちです。決して、追い込むのではなく・・・。

ふと、「よーし、やってみるか」となる瞬間を待つのです。

やらないと死ぬ、とか、やらないと〇〇さんにどう思われるか、とか、余計なことは考えない。それは実力を削ぐ思考で、大リーグの大谷選手のようにはなれません。大谷選手は「打たなければ恥だ、ヒィ」とか「ホームランを打たないと死ぬ(過呼吸)」とか思っていないでしょうね。

気持ちがうまく発酵し、パンを焼く前のいい生地のようにふくらんでくると、自然とパワーが生まれてきます。そして、純粋にやりたくなる。やれるぞ、という自信も同時に、どこからかやってきます。これは断言してもいい。大丈夫、ふと、「やってみよっかな」という気持ちになる瞬間がやってきますから。

そこで、私はぜひ、世の中の小学生のみなさんに、お伝えしたい。

まず、ランドセルから出しなさい!(←キレ気味)
夏やすみ帳を!!(←絶叫)

話はそこからだ!!(←白目)


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プロジェクトXとは真逆の現象

オリンピックにあまり興味関心のなかった私にも、テレビや新聞報道で情報が耳に入る。小山田さんや小林賢太郎さんのことは週刊誌やワイドショーに限らず、ずいぶん話題になっているようだ。

そもそも今回の五輪には、当初からいろんなケチがついていた。
振り返ると、こんな感じ。
■2015年7月:新国立競技場の計画「白紙に」
■2015年9月:エンブレムのデザインも白紙に
■2017年4月:新国立競技場の現場監督が自殺
■2019年1月:JOC会長の贈賄疑惑
■2019年4月:当時の五輪相が問題発言で辞任
■2021年2月:女性蔑視発言で森喜朗会長が辞任
■2021年3月:容姿を侮蔑する企画を提案、開閉会式の統括が辞任
■2021年3月:聖火リレーがスタート、辞退続出
加山雄三さん、斎藤工さん、黒木瞳さん、TOKIO、広末涼子さん、香川照之さん、藤井聡太さんらが辞退。
■7月19日:開会式の作曲担当、小山田圭吾さんが辞任
■7月20日:関連プログラムに出演予定の絵本作家が出演辞退
7月22日:開閉幕式の演出担当者、ユダヤ人虐殺をネタにしていたとして元お笑い芸人の小林賢太郎氏を解任

このあたりの経緯を伝える報道を、NHKで見ていたとき、ふと浮かんだのは、
「これ、心がどんどん離れていった、ということだな」
ということ。

そして、「プロジェクトXとは、まったく正反対の世界だ」と思った。

心がどんどん寄ってくる、集まってくる、知恵が知恵を呼び、奇跡を起こしていく、ということがある。とくに、みんながなんとしても成功させたい、という思いになると、それが伝播するのか、クラス中がそうなる、学校中がそうなる、ということがある。

高校の文化祭がそうだった。

いろんな困ることが起きても、その都度、どこからか「なんとかしよう、のりこえよう」という知恵が集まってくる。人も寄ってくる。
なぜ人が集まってくるかというと、みんな、そこにかかわりたい、という気持ちがあるからだ。
だから、自分の用事が済んでも、なんとなく体育館の方に集まってきて、演劇のメンバーに声をかけてから帰宅するとか、部室の横で、巨大な「はりぼて」に糊(のり)を塗っている子に「がんばれよー」と声をかけ、様子をうかがってから帰宅するとか、していた。

そうすると、なんか困ったことがあっても、知恵が寄るんですね。
〇〇がないんだけど・・・というと、知っている子がいないか、とクラスに報告してくれる子がいて、するとふだんは面識ないけれど、たしか3組のTくんが持っていたと思う、とか情報が集まってきて、Tくんが必死になって翌早朝に届けてくれたり・・・簡単に言えば、そういうようなこと。

こういうモードになると、不思議とさまざまなことが、どんどんと雲が晴れるようにして起きてくる。みんながみんな、まっしぐらになっているから、他の人の動きがよく見えるし、感謝の念も湧く。「ああ、あのメンバーが、ここ、掃除してくれてたんだ!」もう、感謝しかない。


小学校でもそうですね、なにかの発表を成功させよう、と本気が伝わり始めると、みんなの嗅覚やら目つきやらがするどくなって、

「ねえ!〇〇ということにしようよ!」

というアイデアもたくさん出てくるようになる。
これまでの日本は、そういうことが多かったのではないかと思うね。
プロジェクトXなんて、古い番組だけど、あれを見ていたら、そういう仲間の知恵が不思議と集まって、なんとかして苦境を脱する、という奇跡が起きる。そういう奇跡が、各分野・各地域でたくさん起きてた、ということがわかる。

ところが今回の五輪は、心が寄らなかったみたい。できたらかかわりたくない、という気持ちがあるから、トヨタの会長さんまでが開会式に出席しなかった。
心が寄らなくなったイベントは、苦しい。
心が集まらなくなった目標は、だれもその達成を、のぞまなくなる・・・。

人は、自分の心に、嘘はつけない。
本当はやりたくないけど、忖度して顔だけ笑って、なーんて。
そんなウソ、いつわり、まんちゃくが、続くわけない。

問題は、最初はみんな、やる気に満ちていた、ということ。
だってみんな拍手してたもの。テレビでも、芸能人が本当に晴れやかな笑顔で、五輪の開催を喜んでいた。それが、いつの間にか、「かかわりたくねえな」になっちゃった。

そのターニングポイントはどこか。
リーダーが消えたところかな、と個人的には思う。
リーダーというのは、みんなの心が寄るところ、中心にいてくれる人。
みんながやがて集まるはずのところ、その中心にいてくれる人。
部屋の中心、囲炉裏のあるようなところに、どっか、と腰を下ろしてるイメージ。
それが、だれもいない、と感じたら、だれも寄り付かなくなる。

だから担任は、いつも教室で、その囲炉裏の火を絶えないように、消えないように、どっしりとかまえて、薪をくべて、うちわであおいで、じっとふんばって見つめていないといけない。それが学級担任のいちばんの姿。心に夢を期して、火をじっと見ているのが、仕事なのだ。

石原都知事もいなくなり、猪瀬都知事も・・・
みーんないなくなろうとしていて、だれも囲炉裏の火をみてる人がいないんだもの。
これじゃあ、プロジェクトがプロジェクトにはならんわね。
「United By Emotion」 が大会のモットーでしたが・・・

やっぱ、こころが整わないと、形をととのえようとしたってダメですよね。

薪をくべる

山の男、という話

北陸地方の奇談集『北越奇談』に、人間と山男の交流の記述がある。
越後国高田藩(現 新潟県上越市近辺)で山仕事をしている人々が夜に山小屋で火を焚いていると、山男が現れて一緒に暖をとることがよくあったという。
身長は6尺(約180センチメートル)、赤い髪と灰色の肌のほかは人間と変わりない姿で、牛のような声を出すのみで言葉は喋らないものの、人間の言葉は理解する様子がうかがえた。
裸身で腰に木の葉を纏っているのみだったので、ある者が獣の皮を纏うことを教えたところ、翌晩には鹿を捕えて現れたので、獣皮の作り方を教えてやったという。

この話が妙に気になり、奇談集『北越奇談』は、かの葛飾北斎が描いているというから、長野県小布施市の「北斎館」まで行き、本物を見てきた。愛知の岡崎市からだと、高速道路で4時間ほど。日帰りで強攻だったが、嫁様のご機嫌を伺いつつの家族へのサービスも兼ねて行ってきた。

Hokusai_Yama-otoko


どうしてこのような「奇妙で話の通じない者」との交流が気になるかというと、やはり日常において、人と人との話が通じない、理解しあえない、ということがあるからだ。

北斎館

今の政治を見ていると、「ひとと人とは理解しあわないのが普通」ということがよくわかる。
たとえば文科省がツイッターで#教師のバトン という投稿を呼びかけた。
本当の役人側のねらいは、教師の魅力や良さをメッセージに込めて現場から発信してもらい、教員のなり手が劇的に少なくなっている現在、少しでもその「なり手」を増やすことに貢献することであった。

ところが、実際には文科省が頭を抱えるほど教師のむくわれなさと現場の苦しさが訴えられてしまい、ねらいとはまったく逆の結果になっている。これは当然で、役人が現場の教師のことを知らないからであり、なぜ知らないかというと、これも無理もない、しょせん、人はひとのことなどわからないのである。

わたしはこれは確信犯で、文科省はこうなることを当然予測し、効果を見込んでやっていると思う。だって、文科省の予算を削ってるのは「通産省」であり「財務省と金融庁」なんだもの。

話を元に戻して、わたしは「話が通じないだろう、と思う人と、どのように接するか」ということに非常に興味がある。これは母親にも当てはまる。なぜなら、生まれたばかりの赤ん坊は、話が通じない。2,3歳ころから通じたかな、と思うことはあっても、話がくいちがったり、大人の常識がまったく子どもの方には無かったり、当然こう考えるだろう、と大人が思うことも、子どもはそうは思わない、ということが連続するからである。

考えてみれば当然で、わたしたちは、相手の脳内で起きることをすべて計画し、コントロールしているわけではない。相手をコントロールするのは不可能なこと。現在の政府がまったく国民感情を理解しないように見えるのも、これはもう当然のことなのである。

わたしが北斎館でこの絵を見ながら小一時間瞑想にふけっているのを、北斎館の方がちょっと変に思って様子を見に来られたが、わたしが別にただじっと考え込んでいるだけなのをみて、安心して元の場所へ帰って行かれた。

北斎の描いた「山の男」は化け物という感じが強く、とても人の姿とは思えない。しかしよくその説明を読むと、身振り手振りなどをみてきちんと気持ちや考えていること、伝えようとすることは理解するようである。
北越奇談のみならず、全国にあるこのような山男奇談を点検してみると、やはり言葉は通じないが、相手のことを親身になって心配したり、手伝ってやったりと、妙なことになかなか心を通じ合わせることができており驚く。

この絵を見る限り、おそらくロシア系の民族であろう。難破船でほうほうのていでたどり着いたのが日本列島であったのだろうか。たしかに冬は列島に向けて季節風が吹きつける。命からがらたどり着いた異国の地で、言葉も通じぬし、「鬼だ!」と驚かれるし、人目につかぬ山の奥へこもってなんとか生き抜こうとしたのだろうか。このロシア人が日本人の暖を取っている場に来て、少なくとも何度かくりかえして交流を試みているのは興味深い。どんな心境だったのか、人恋しさはあったのだろうか、想像するのが面白い。

静岡に伝わる山男奇談によると、あるときに遠州の又蔵という者が、病人のために医者を呼びに行く途中、誤って谷に落ち、足を痛めて身動きがとれなくなった。そこへ山男が現れ、又蔵を背負って医者のところまで辿り着くと、かき消えるように姿を消した。後に又蔵が礼の酒を持って谷を訪れたところ、山男が2人現れ、喜んで酒を飲んで立ち去ったという。

また、「北越雪譜」第二編巻四によれば、天保年間より40〜50年前の頃、越後魚沼郡堀之内から十日町に通じる山道を通りがかった竹助という者が午後4時頃に道の側に腰かけて焼飯を食べていると、谷あいから猿に似たものが現れた。その背丈は普通の人より高くはなく、顔は猿のようには赤くなく、頭の毛が長く背に垂れていた。害をなす様子はなく、焼飯を求めるそぶりをするので竹助が与えると嬉しそうに食べた。この者は竹助の荷を肩に掛けて山道を先に立って歩き、1里半ほど行って池谷村に近くなったところで荷を下ろして素早く山へ駆け登った。その当時は山で仕事をする者が折々この「異獣」を見たという。柳田國男は「北越雪譜」のこの記事を、山人が米の飯に心を引かれた例であるとしている。

わたしがこの「竹助」であったら、谷あいからふと現れたこの「異人」にどのように対応するのであろうか。きっと体がもう硬直して腰をぬかしてしまい、気絶するやもしれぬ。
しかしこの「竹助」さんは、ちゃんと相手の様子をみて『害をなす様子がない』ことを悟っている。きちんと分析し、相手の出方を見定め、コミュニケーションをとっているのである。すごいなと感心する。

このような「山人」「山男」というのは、実は日常に、すぐ近くにいる。
わたしであり、あなたのことである。
言葉を使っているから、日本語を話すからといって、わかりあっているわけではない。
まったく知らないのである。本心なんて。

教室の子どもたちの本心も、わたしはちっとも知らない。
わかったふりをしている教師がいるだけである。

SDGsでアジア人差別を考えようとする子がいる

母は日本人で父がネパール人、という子がクラスにいる。
わたしはその父親に一度だけお目にかかった。
すごく瞳がきれいで、物腰のていねいな方であった。

生まれて3歳までの時期をネパールで暮らした子で、うっすらとそのころの記憶があるという。
今は日本に来ていて、国籍も日本人として生活している。
母親は、なんと普通の公立学校の教員である。市内の別の小学校に勤務している。

その子は、SDGsに関心が深く、目標の10番目にある、
『人や国の不平等をなくそう』を研究テーマに選んだ。
SDGs10


そして、それを自分の研究に設定した理由をクラスのみんなの前できちんと発表した。

「いま、アジア人や黄色人種が差別を受けています。これをなくしたい」

彼女はどちらかというと、クラス内ではひょうきんものだ。休み時間に爆笑をとるような面白いキャラなのだが、これを言ったときの彼女の顔つきは本当にまじめで、真剣だった。

東京新聞が、
アジア人差別がアメリカで顕著になってきているが、日本人も例外でなく、被害を訴える日本人が増えているという記事をあげていた。

『コロナ被害が拡大し始めた昨年3月下旬から今年2月末までのアジア系への憎悪犯罪は3795件。加害者は、相手の顔つき、体形だけをみて卑劣な犯行に及んでいるとみられる』(東京新聞)

差別は、不安から始まる。
マウントを取らねば、と焦るのは、自尊心の欠如が原因だ。
自分に満足しているメンタル、自分を肯定するメンタルの持ち主は、相手を肯定する。
それがふつうだ。同じこころの動きだから当然。
自分を否定する者だけが、相手を否定する。

ところで、昔懐かしいイソップ童話。
今はもうすっかり忘れ去られてしまい、子どもも知らない子の方が多い。
イソップは奴隷(といってもギリシャの奴隷は奴隷のイメージとはちょっとちがうらしいが)だったせいか、人間観察をつづけ、この寓話の作者になった。
イソップは、うまく心理学を表現している。
「すっぱいぶどう」や「北風と太陽」など、人間の意識の動きをよくとらえている。
わたしは、このイソップ童話から、差別の元のメンタルを考える授業ができないかな、とよく考えることがある。

人は、強制されると反発したくなる。
つまり、人には自分のことは自分で決めたいという欲求があるようなのだ。

「これあげよう」というと「別に要らない」と言いたくなるが、
「あなたにはあげない」となると、それが無性に手に入れたくなる。
こんな程度のことですら、すぐに心がそう動いてしまうのが人間だ。
いつでも、こころの自由を担保しておきたい。
これは、人間のかなり原始的な欲求だろうと思います。
このような心の働きを「心理的リアクタンス」といいます。

イソップ物語の北風が、旅人のコートを脱がすことが出来なかったのがまさにこれです。
無理やりに脱がそうとすればするほど、そうはさせるものか、と反発しようとするのです。
心理的リアクタンスは日常のあらゆる場面で発生します。
isop


差別のこころを解明し、全人類が、自分の心の動きや状態を、じっくり考えるためにはどうしたらいいのか・・・。

『この目標は、国内および国家間の所得の不平等だけでなく、性別、年齢、障害、人種、階級、民族、宗教、機会に基づく不平等の是正も求めています。』

彼女の長い闘いが、今、はじまろうとしている。

戦争とはなにか~やなせたかしの伝記から~

光村図書の国語教科書には、やなせたかしさんの伝記が載せられている。
やなせたかしさんといえば、アンパンマンの作者であり、「手のひらを太陽に」の作詞家としても有名だ。子どもたちにきくと、手塚治虫よりも「やなせたかし」の方が知名度が高い。

「おれ、今でも部屋にでっかいアンパンマンがあるよ」

身体の大きな、背の高い男子が言うと、教室中に笑いが起きた。

「頭にほこりがつもってるけど、本棚からずっとこっち見てる」

本人も笑いながら語っていた。

そのやなせたかしさんの伝記で中心になっているのは戦争のことで、戦争で弟を亡くしたたかしさんは「正義とはなんだろうか」と考え続ける。自分なりの答えを出そうとしてずっと自問して生きている。
たかしさんはあるとき、道で仲良くおにぎりを分け合っている兄と妹を見る。
「おなかが減った妹といっしょに、おにぎりを仲良くわけあって食べている兄を見て、これだ、と思った」
本当の正義とは、おなかがすいている人に、食べ物を分けてあげることだ。
やなせたかしさんは、そこからあんぱんまんの着想を得た。

授業の中では、子どもたちと伝記を読んで、それぞれがそこから自分で考えたこと、生きるヒントをもらったことを文章に書いてみた。すると驚いたことに、こんなふうに書く子がいた。

「やなせさんは戦争で人を殺したと思います」

それがまた、クラスでいちばんよく本を読んでいるような、秀才の女の子だったから、わたしは驚いた。彼女が書いたのであれば、この文面は、よほどよく考えたうえでのものなのだろう。

どういうことか、さらに読み進めて、なるほど、とうなった。

彼女は、教科書の文中の、ある部分が気になったらしい。
それは、戦争について、やなせさんが触れた箇所。
そこには、
「戦争は人を殺すもの」とある。

彼女は、
「あれ?」
と思う。

ふつう、戦争について書く場合、よくあるパターンは、こうじゃないか、と。
「戦争は人がたくさん殺される」

ここがどうしても気になって、考えたようである。
どうしてやなせさんが、殺される、ではなくて、殺す、と書いたか。

さて?どう思われますでしょうか?

あんぱんまんは、顔を食べさせるのが仕事だ。
おなかのへった人に顔を食べさせると、あんぱんまんはもう顔がほとんどなくなってしまい、首から下だけの身体でもって、空を飛んで帰る。
絵本が出版された直後には、苦情がたくさん届いたらしい。
こんなのは偽善でしか無い、と。

ところが、作者のやなせさんは、ひるまなかった。
なぜか。やなせさんが、この主人公に込めた、一途な願いがあったからだ。

たとえば、いじめられている子がいるとする。
その子を救おうと思う。
しかし、そのいじめられた子をかばったことで、逆に今度は自分が標的にされ、攻撃を受けるかもしれない。それでもその攻撃を恐れてはいけない、ひるんではいけない、というのだ。
anpanman

なぜ、やなせたかしさんが、あからさまな「自己犠牲」の価値を言うのか。
それは、「いじめられることなんて、たいしたことがない」と心の底から言い切れるからだ。
だれかをかばって本当にだれかを助けようとし、それで誰かが助かるのなら、たとえ自分が、そのとばっちりを受けていじめられてもぜんぜん平気だ。

多くの子は、このことから、

「やなせさんはえらいなあ」

と書く。
立派な人だから、こういうことが書けるのだろう。
ぼくには、わたしには、とてもそんなことはできない、と。


しかし、前述の彼女は、違った。

「やなせさんは人を殺したと思います。戦争で。命令されて」

と書いた。

もうお分かりでしょう。
自分が痛い目に遭うことなんて、人の命を奪うことに比べたら、へっちゃらだ、というのです。
自分が人を殺した。そのことの痛みは、自分がいじめられるなどということよりも、何倍も大きい。
比較にならないくらいの苦しみなんだ。
だれかを救おうと思い、人を殺した。
当時の日本の青年は、みんなこうだったのではないか。
大東亜、アジア共栄圏の繁栄のため。
アジアの友好のため。
悪い欧米諸国をやっつけ、アジアに大きな独立と平和を勝ち取るため。
八紘一宇、本当の世界をここに実現するため。
そのために、やなせさんは、人を殺したのだ、とその子は書いた。
そして実際に、やなせさんは、人を殺したことが、どれだけ深い傷と闇をもたらすか、ということに苦しんだ。「殺すよりも殺された方が、何倍もマシだったと考えた」

彼女は戦後、やなせさんが苦しみぬいた、加害者としての自責の念をあばいた。
そして、あんぱんまんが自己犠牲に立ち、ぜったいに敵を倒さない、ぜったいに命を奪わない、といういかにもクリーンな主人公になった背景に気づいた。

やなせさんの苦しみを知らない人が、かんたんに言うかもしれない。
「あんぱんまんなんて、うすっぺらいヒーローで、あんなきれいごとばかりで成り立つわけがない。この世はきれいごとばかりじゃないんだぜ」

しかし、やなせさんは地獄を見た。地獄を知ったからこそ、あんぱんまんを生み出した。
うすっぺらい、きれいごと、とみるのは、地獄を知らないから、無知だからこその見方だろう。
人の命をうばった者の、そのつらさ、地獄を知ったものが、ようやく呻吟と苦しみの果てに、腹の底から絞り出すように生み出したのが、あんぱんまんなのだ。

・・・とまあ、そんなことを小学生が自分で気づいて、「感想文」に書くなんて、すごいと思いますね。

教科書の文中には「戦争は人を殺すもの」という文があるけど、「戦争は人に殺されるもの」という文は、この伝記には載っていない。彼女はそこに気づいた。そして、やなせさんがなぜ、人を殺すのが戦争と書いたのかを考え、戦争は殺されるから恐ろしいとは書かなかった理由に思い当たった、これがヒントだった、と、教えてくれました。

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人はなぜ平らな道でも転ぶのか

年末の最後の終業式の日。
そのとき、わがクラスでは事件が起きていて、
その対応でたいへんな日でありました。
事件とは何かというと、Sくんがころんだことです。


Sくんがころんだのは、なにもない、床だけの、階段の手前の広い場所。
たいらで、つるっとしたところ。

自分でも
「なんでころんだのか、わかんない」

ところが膝頭をしたたかに打ちまして、
床にがくっと崩れ落ちた衝撃で、
ひざのお皿がとにかく痛いとのことで、
すぐに病院に運びました。

子どもたちは担任が突然いなくなることにも慣れてますから、
「あとは教室大掃除して、身の回り片付けて、時間になったらさようならして!」
とわたしが居なくなっても
「はーい」
という感じで、淡々とすごして時間になったら帰宅したようです。

わたしは何度もいぶかって、Sくんに確認したのですよ。
それは何かというと、

「なにかにつまづいたのでは? あるいは薄いシートのようなものの上に靴が乗って、すべったのでは? 床になにか落ちていたか?」

ということ。

ところが何度確認しても、そうではない。
何もないところで、Sくんはただ、簡単に言えば、自分から、勝手に転んだのです。
わたしは、最初、ひとは「なにもない、つるっとした、平面の床では、人というのはなかなか転ばない」と思い込んでいた。決めつけていた。
だが、実際には、ひとは「なにもない平らな面でもころぶ」のであります。

人間は、簡単にいうと、以下の2種類に分けられることを、今回理解しました。
ひとつは、「なにかにつまづいて転ぶ」タイプ。
こちらは、ふだん、地面をよく見ていません。
だから、石が顔を出しているとか、木の根っこがところどころにある場合に転びます。

もう一つは、「でこぼこしたところの方がしっかり歩ける」タイプ。
こちらは平らな方が歩きにくい、と感じています。
はっきりと、右、左、と重心を決めて、体重をそちらに交互に傾けることが好き。
山道などで、ちょっとした段差や階段など、左右に体重を移し替えて、ぐっと体の片側に交互に重心を置きながら歩くのが得意です。
だから、階段とか段差のあるところ、あるいは山道の方が転ばない。
でも、なんにもない、平らで、なめらかで、つるっとしたところだと、
「今、どちらに体重をかけていいんだか、わからなくなる」。
そこで、転ぶのです。

人間は得意不得意がありまして。
平らなところを転ばないで走る、という試験だと勝てる子も、
山道はどうか、と試験項目が変われば、まったく勝てません。
逆に、山道では大得意という子も、きれいな競技場のトラックだとうまく走れないのです。

今度駅伝がありますが。
あれはいいですね。チームですから。
山道が得意な子は、山道で。
市街地が得意な子は、市街地を走ればいいのです。

でも、個人対個人になると、やっかいです。
だから、人間は、得意な競技で勝てばいいわけね。
逆に言うと、不得意な競技で負けても、それはそれで、ぜんぜん大丈夫なわけだ。

わたしは、高校入試に「落語」があったらクラスで1位をとる自信があったねえ。
「音楽」に、ホーミーがないのも、惜しい。あるいは口笛、という単元があれば。
評価基準が変われば、世の中のありとあらゆる評価は、がらりと変わるでしょうナ。
大学入試に、落語があれば、と願うひとは、わたしだけでは無いでしょう。

人はなぜ平らな道でも転ぶのか。
なぜかというと、人間にはタイプがあり、それぞれに得意不得意があるから、ということになりますね。
どうでしょうか?

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