スーパーの駐車場で、パパ、パパーッと連続してクラクションが鳴りました。
私は店を出てすぐだったので、ちょっと離れたその景色を見ました。
すると、若い女性が子供の手をひいて、入り口の方へとこちらへ向かってくるのでした。
そして、クラクションを鳴らした車は、その女性と子供が邪魔だったのでしょう。
とっても、イライラしたようなクラクションの鳴らし方で、私は女性が何かとんでもなくひどいことをしたのかと疑いました。
私の目の前で、おばさん2人が、何あれ?、と言いました。
わかりません。
子供が何か危険な真似をしたのでしょうか?
それとも歩き方が単に遅かったのでしょうか?
それにしても、強引で、圧迫感のある鳴らし方でした。ついそちらを見てわかったのは、運転していたのがおじいさん?だったことです。
60代か70代か。
どうして、あんな風にイライラしたのか、わかりません。
でも、ほんの少し、おじいさんの気持ちもわかる気がします。
もう、自分の人生を振り返って、マイナスの方が大きいんだと思います。
楽しいことも少なかった。苦労ばかりした。
それに引き換え、報われることの少ない人生だった。悔しくてならないんだろうと思います。
誰も自分のことを尊重してくれない。
誰も自分に良くしてくれない。
そういったマイナス感情が積もり、積もった場合は、その矛先は他人に向きます。DVと同じで。
また、自分よりも強い相手には向かいません。
自分よりも弱そうに見える、おじいさんには、そう見える相手に向かうのです。実際にはそうでなくても。
ただ、おじいさんの気持ちになってみると、とにかく自分には時間がないから、目先のことだけよくしてほしいと言う気持ちにもなるかと思います。遠い将来のためになんて言う政策は嫌いで、持続可能と言うのも嫌いです。他人の将来なんて関係がない。とにかく我が身が気持ち良ければ良いと言う感覚でしょう。
残りの人生がハッピーであれば、世界全体の持続可能なんて、そんなことまで考慮しなくても良いと言う極端な考えの人も中には混じっています。めったにいないと思いますが。そういう考えの人がいる可能性はあります。中には「俺の言う通りにすれば良いんだ」と、話し合いまで拒絶する人も。
民主主義はとにかく時間がかかりますが、それは大勢の意見を公平に聞こうとするためです。
このプロセスがあまりにも効率が悪いとして、矢継ぎ早に効率よく政策を進めたがる人もいます。その方が効率が良いと。良い政策であれば、自然とその良さが後でわかるんだ、と。
しかし、その強引さは、かえって非効率になります。大勢の人の気持ちがついていかず、共感を得られず、協力してもらえないから。
日本の国がマイナーカードの普及に相当苦労している様子を見て思ったことがあります。これは進め方のプロセスにかなり問題があったなと。
国民に大いに理解、共感してもらえてから進めていけばよかったのです。いろいろな疑問点やそのことが果たして良いことにつながるかどうかと言う確信が、国民の間にまだまだ生まれてきていない状況で、ポイント、還元等と言う目先のにんじんをぶら下げるような政策は不評を買いました。よくないことを強引に進めようとしていると言う感じや印象が広まってしまったのです。効率よく進めたい、そのことに溺れてしまったのだと思います。そうではなく、民主主義のプロセスを踏めば良かったのです。そうすれば最初は時間がかかるように見えても、共感を得てたちまち広がったでしょう。
民主主義は非効率に見えて、かえって短期的な快楽に溺れやすい人間の思考を抑えてくれます。
公平に意見を聞く態度は、一見すると非効率に見えるが、多くの人が考えのプロセスを共有できるために、多くの納得が生まれます。そのため、かえって効率の良い進め方となるわけです。民主主義は一見非効率だけど、実際には効率的と呼ばれています。
クラクションを鳴らすおじいさんにとってみたら、話しかけて、もっと早く歩いて欲しいとか、危ないですよとか何とかやるよりも、パパーッと鳴らして、脅かしてやるのが効率的と思ったのでしょう。おじいさんの虚栄心は、それで満足しましたが、それを見ていた多くの人たちの気持ちは、ずいぶんざわついたと思います。おじいさんは、そこまで俯瞰的に見ることはできないのです。
クラクションを鳴らして脅かしてやれ!
こういう、「相手の心情などどうでも良い、すぐに脅かせば良いのだ」する権威主義は、俺が権威なのだから言うことを聞けと言うことです。
女子供は黙って家に引っ込んでいろと、極端に考える人までいます。
政治家が目の前の事しか見えなくなってくると、やけに勇ましい口調に変わりますね。統率したがる、命令したがる、自分は偉いんだと言いたがる、部下に、あれこれやらせたがる、椅子を引かせたり、ドアを開けさせたりします。極め付けは民主主義の悪口を言い始めます。遠回りだけども、本当は効率的である民主主義を馬鹿にし、権威主義になっていくのです。
こういう政治家が増えると、その結果、権威の言うことさえ聞いておればよい、と考える人が増えます。これは短期的に見ると楽で簡単に世の中を変えていけますが、長期的に見ると、自分がこの国を支えるんだと言う愛国者は激減します。どうせこの国のやることなんて、と他人事でつまらないと感じるようになり、自分の国だと言う感覚が薄れて、国力は落ちていくでしょう。「女子供は家に引っ込んでろ」の家父長制度と権威主義は、まさに国を滅ぼす考え方だと言えます。
女性の天皇はまかりならん、と強く、憤るおじいさんもいます。何故かと問い詰めていくと、自分が男性だからと言う理由です。アホらしいです。
それでも、私だって、我が身を振り返ると危険なんです。
もうすでに、50代半ば。
あと何年かで還暦です。
完全に中年のオヤジであり、どちらかと言うと、家父長制度のような権威主義の誘惑を感じることだってあるのです。
私が一言言えば、全員がその指示を受け入れ、統率された動きを見せるなんて!すげえ!と、誘惑にかられますね。本当はめちゃくちゃ気持ち悪いけど。
権威主義という誘惑に負けたおっさんたちの、いわば、最後の砦が、そろそろ崩れようとしています。それが選択的夫婦別姓です。

私は店を出てすぐだったので、ちょっと離れたその景色を見ました。
すると、若い女性が子供の手をひいて、入り口の方へとこちらへ向かってくるのでした。
そして、クラクションを鳴らした車は、その女性と子供が邪魔だったのでしょう。
とっても、イライラしたようなクラクションの鳴らし方で、私は女性が何かとんでもなくひどいことをしたのかと疑いました。
私の目の前で、おばさん2人が、何あれ?、と言いました。
わかりません。
子供が何か危険な真似をしたのでしょうか?
それとも歩き方が単に遅かったのでしょうか?
それにしても、強引で、圧迫感のある鳴らし方でした。ついそちらを見てわかったのは、運転していたのがおじいさん?だったことです。
60代か70代か。
どうして、あんな風にイライラしたのか、わかりません。
でも、ほんの少し、おじいさんの気持ちもわかる気がします。
もう、自分の人生を振り返って、マイナスの方が大きいんだと思います。
楽しいことも少なかった。苦労ばかりした。
それに引き換え、報われることの少ない人生だった。悔しくてならないんだろうと思います。
誰も自分のことを尊重してくれない。
誰も自分に良くしてくれない。
そういったマイナス感情が積もり、積もった場合は、その矛先は他人に向きます。DVと同じで。
また、自分よりも強い相手には向かいません。
自分よりも弱そうに見える、おじいさんには、そう見える相手に向かうのです。実際にはそうでなくても。
ただ、おじいさんの気持ちになってみると、とにかく自分には時間がないから、目先のことだけよくしてほしいと言う気持ちにもなるかと思います。遠い将来のためになんて言う政策は嫌いで、持続可能と言うのも嫌いです。他人の将来なんて関係がない。とにかく我が身が気持ち良ければ良いと言う感覚でしょう。
残りの人生がハッピーであれば、世界全体の持続可能なんて、そんなことまで考慮しなくても良いと言う極端な考えの人も中には混じっています。めったにいないと思いますが。そういう考えの人がいる可能性はあります。中には「俺の言う通りにすれば良いんだ」と、話し合いまで拒絶する人も。
民主主義はとにかく時間がかかりますが、それは大勢の意見を公平に聞こうとするためです。
このプロセスがあまりにも効率が悪いとして、矢継ぎ早に効率よく政策を進めたがる人もいます。その方が効率が良いと。良い政策であれば、自然とその良さが後でわかるんだ、と。
しかし、その強引さは、かえって非効率になります。大勢の人の気持ちがついていかず、共感を得られず、協力してもらえないから。
日本の国がマイナーカードの普及に相当苦労している様子を見て思ったことがあります。これは進め方のプロセスにかなり問題があったなと。
国民に大いに理解、共感してもらえてから進めていけばよかったのです。いろいろな疑問点やそのことが果たして良いことにつながるかどうかと言う確信が、国民の間にまだまだ生まれてきていない状況で、ポイント、還元等と言う目先のにんじんをぶら下げるような政策は不評を買いました。よくないことを強引に進めようとしていると言う感じや印象が広まってしまったのです。効率よく進めたい、そのことに溺れてしまったのだと思います。そうではなく、民主主義のプロセスを踏めば良かったのです。そうすれば最初は時間がかかるように見えても、共感を得てたちまち広がったでしょう。
民主主義は非効率に見えて、かえって短期的な快楽に溺れやすい人間の思考を抑えてくれます。
公平に意見を聞く態度は、一見すると非効率に見えるが、多くの人が考えのプロセスを共有できるために、多くの納得が生まれます。そのため、かえって効率の良い進め方となるわけです。民主主義は一見非効率だけど、実際には効率的と呼ばれています。
クラクションを鳴らすおじいさんにとってみたら、話しかけて、もっと早く歩いて欲しいとか、危ないですよとか何とかやるよりも、パパーッと鳴らして、脅かしてやるのが効率的と思ったのでしょう。おじいさんの虚栄心は、それで満足しましたが、それを見ていた多くの人たちの気持ちは、ずいぶんざわついたと思います。おじいさんは、そこまで俯瞰的に見ることはできないのです。
クラクションを鳴らして脅かしてやれ!
こういう、「相手の心情などどうでも良い、すぐに脅かせば良いのだ」する権威主義は、俺が権威なのだから言うことを聞けと言うことです。
女子供は黙って家に引っ込んでいろと、極端に考える人までいます。
政治家が目の前の事しか見えなくなってくると、やけに勇ましい口調に変わりますね。統率したがる、命令したがる、自分は偉いんだと言いたがる、部下に、あれこれやらせたがる、椅子を引かせたり、ドアを開けさせたりします。極め付けは民主主義の悪口を言い始めます。遠回りだけども、本当は効率的である民主主義を馬鹿にし、権威主義になっていくのです。
こういう政治家が増えると、その結果、権威の言うことさえ聞いておればよい、と考える人が増えます。これは短期的に見ると楽で簡単に世の中を変えていけますが、長期的に見ると、自分がこの国を支えるんだと言う愛国者は激減します。どうせこの国のやることなんて、と他人事でつまらないと感じるようになり、自分の国だと言う感覚が薄れて、国力は落ちていくでしょう。「女子供は家に引っ込んでろ」の家父長制度と権威主義は、まさに国を滅ぼす考え方だと言えます。
女性の天皇はまかりならん、と強く、憤るおじいさんもいます。何故かと問い詰めていくと、自分が男性だからと言う理由です。アホらしいです。
それでも、私だって、我が身を振り返ると危険なんです。
もうすでに、50代半ば。
あと何年かで還暦です。
完全に中年のオヤジであり、どちらかと言うと、家父長制度のような権威主義の誘惑を感じることだってあるのです。
私が一言言えば、全員がその指示を受け入れ、統率された動きを見せるなんて!すげえ!と、誘惑にかられますね。本当はめちゃくちゃ気持ち悪いけど。
権威主義という誘惑に負けたおっさんたちの、いわば、最後の砦が、そろそろ崩れようとしています。それが選択的夫婦別姓です。































