30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

身体のこと、あれこれ

アレルギー検査について(オオアワガエリとカモガヤ)

この夏、アレルギー検査をしたところ、スギとオオアワガエリとカモガヤの3つに反応することが分かった。特に値が大きいのがスギとオオアワガエリでありました。

私はもともと、20代のころから花粉症を発症していた。
花粉症があまりにもひどく、大学病院でかなり真剣に相談したところ、担当の先生が
「血液検査でぜんぶしらべましょう!」とのこと。
検査をして驚いた。その時はほとんどの項目に陽性と出たのだ。

「食べ物以外、花粉関係はほとんど、軒並みですね」

私は自分がアレルギー体質であることを知った。
当時は神奈川県に勤務しており、学校の近くに巨大な幹線道路があって空気が悪かった。
冬になるとどうもセキが出てとまらず、医者に通って「咳喘息」と診断されたこともあった。その先生は、アレルギーでしょうな、と上記の検査結果をみて言った。

さて、その後わたしは空気のきれいな田舎の街に引っ越したところ、その喘息っぽい症状はほとんど無くなった。空気と水がきれいだ、というのは、大きなことだなあ、と実感できた。

50歳になり、再度検査をする気になった。
症状はひどくないものの、自分の体をとことん知っておきたい、という、どちらかというと知的関心によって、検査をしたくなったのである。

すると、オオアワガエリ、というものが最大値になっていた。

オオアワガエリ


全部で6レベルなのだが、オオアワガエリが3で、スギとカモガヤが2であった。

意外だったのは、ヒノキがなかったことだ。
わたしは自分がヒノキアレルギーだと思い込んでいて、薬を多少長めに飲んで春先をすごしていたが、その行為は無駄であった。

さて、オオアワガエリは5月から8月までの時期、花粉を飛ばすらしい。
なんとなく6月ごろに調子が悪く、スギ花粉にしてはおかしいから、ヒノキがつづいているのかなあ、と不思議に思っていたが、どうやら正体はオオアワガエリだったようだ。
あとはカモガヤ。オオアワガエリと同じ時期なので、やはり体調の自覚と一致する。

これからは5月のゴールデンウイークから6月にかけて、用心することにしよう。

スギとカモガヤ

老眼のこと

自分ではまったく恥ずかしいことに、50代という自覚が薄い。
近所に10代、20代からの仲間が住んでいるせいもあるだろう。つい20代の頃の雰囲気で、仲間と話をしてしまう。

かつて自分が描いていた、「50歳とかになったら、すげえだろうなあ。いろいろと世界の見え方も変わってきて、貫禄つくやろうなあ」という妄想は、完全に打ち砕かれている。
というのも、わたしが20代の頃に接していた40代、50代の方たちは、まあ今考えても、世間的に見ても戦国武将のようなたたずまいを備えていたし、発する一言の重みもあり、伊達政宗や北条早雲がそこらへんを歩いているような日常だった。ああなりたいなあ、と思いながら生きていたが、実際に自分が50代になると、まったく自分の中身が成長しないことに愕然としてしばらく言葉を失うほどだ。

変わらなきゃ、とイチローはかつてCMで言っていた。
自分もそう思い、成長しよう、大人になろう、あわよくば北条早雲のように関東八国をたばねたい、と思っていた。「名こそ惜しけれ」というような貫禄を持ちたい、とも。
しかし自分の成長の歩幅に気づいてしまった。北条早雲どころか、何も持たない子どものまま、である。

しかし、身体の方はきちんと年を重ねているらしい。
とにかく、教科書の字が小さく見えてしまう。
だんだんと腕を伸ばしつつ、「えーっと」と目を細めて教科書を見るようになる。
子どもは敏感で、そのしぐさをみるやいなや「あ、あらま先生、老眼だなあ」と言って笑う。
わたしは「うっせえわ!」と思いながら(口では言わない)
「ええと、正しさとは愚かさとは、それが何か・・・」と教科書を読み始める。

週末になって眼鏡屋へ出かけた。
ところが店員さんが示す老眼鏡の、なんと種類の多いこと!

こんなにメニューが豊富とは思わなかった。
おまけに眼鏡屋は、「目のことを知っていただくため、眼科受診も一度なされては」などという。
「かかりつけ医があると良いですよ」とも。

今日は、眼鏡屋ですぐに購入とはならず、ともかく「老眼の第一歩」ともいえる心構え、を教えていただき、なにかお店の会員になったことだけで、すっかりくたびれてしまった。

そもそも眼鏡とは無縁で生きてきたために、ちょっと試しに、鼻の上にかけてみたが、違和感もあるし、目の前になにかある、というだけで妙な気分になってしまう。これに慣れるような気もしない。
だがこれが無ければ、見えにくいのもたしかだ。

帰宅後、外に散歩に出て、遠い山の上を見た。
遠くを見ていれば視力が回復するかと思ったのだ。
じっと見ていると、稜線がはっきりと見える。おお、見える、見えるぞ・・・。

嫁様にそのことを言うと、いつものように冷たく

「老眼はそんなの関係ないじゃない?」

と、かぼちゃを煮ている。

嫁様は器用にコンタクトをつけたり外したりしている。
ずっとそれで生きてきたから、まったく慣れたもので、流れ作業のようにそれをする。

「眼鏡も慣れるよ、すぐに」

と言ってくれたが、そうだろうか。

ただ、歳をとったためか、見えにくくなった、ということにそれほどイヤな感じがない。
別に見えなくても、そんなに困らない、という感じの方が強い。
これは意外だったが、この余裕の感じ、これだけが自分にとっての「50代としての成長」なのかもしれぬ。

人生の本当に大事なことは、薬のびんの裏側のごく小さな文字が読めるか読めないか、ではない。このことを知っているだけでも齢を重ねた意味がある。これが亀の甲より年の劫、ということであろう。

それにしても、化粧品の後ろの文字、薬品の後ろの文字というのは、なんであんなに小さいのだろうか。1錠のむのか、それとも2錠なのか、じっくり見ても分からない。
たしかどこかに虫眼鏡があったが・・・見当たらない。
50代になってこんな苦労をすることになろうとは思わなかった。

用法・用量の『1錠か2錠か』くらい、もっとでかく表示しろ!!と思う。
もう、適当に2錠とかで飲んじゃうよ?こんな小さい字だったら・・・いいの?と、妄想上の◯◯製薬会社の社長さんに向かって言いながら、とりあえず1錠だけ飲んだけどネ。

oomurakon

【身体を世話する話】大腸内視鏡検査のてんまつ記

年に一度、人間ドッグに入って検診を受けている。
50になって、なんやかんやと注意事項が出てきた。
今回は便潜血というものに赤信号が出て、さらなる検査を受けることになった。

先日その検査に行ってきた。
まず2日前から食事の内容に気を配らなければならない。
わたしは修学旅行の引率中であったために、旅先の旅館の朝ごはんはほとんど食えなかった。
なにしろ、野菜は食ってはいけないのである。

わたしは朝食会場のテーブルで、あらかじめポケットに入れておいた、病院発行の「食べてよいもの」一覧を取り出し、お皿の上のおかずを見ながら、食べてよいものを選りだした。
結局、ポテトサラダのじゃがいもの部分と、白いごはんと、お味噌汁の「汁」だけ。

昼食も、ほぼ食えず。
なぜか「肉」は食べてよいリストに載っている。
これは消化が早く、繊維もないので、大腸に「カス」として残りにくいからだそうだ。
わたしはお昼の弁当のうち、「からあげ」を食べた。
ごはんは炊き込みご飯だったために、ほぼ食えず。

ところが、旅行中だったためにアドレナリンがいつも以上に放出されており、空腹を感じない。
また、前夜はほとんど寝ていないから、テンションが異常である。
ずっと引率で子どもたちの面倒を見てるわけだし、仕事中だから、疲れを感じない。そのまま夜まで突っ走った。

夜になって帰宅し、やはり少量の肉を食い、もうごはん(炭水化物)は摂らずに、寝た。
そのころから空腹を少しずつ感じ始めたが、食べることはできない。がまんが大事だ。
夜の8時に飲むべき薬があった。粉を水に溶かし、ゆっくりと飲んだ。この薬は「ゆっくり時間をかけて」と指示されていたので、10分ほどかけて、一口ずつ、口に運んだ。

夜中に便意⇒下痢。
どうやら下剤だったようだ。
腸の内容物を、すべて出し切らないといけない。

幸いだったのは、前夜がほぼ徹夜であったためか、比較的スムーズに深い眠りにつけた。
こういう状況でないならば、おなかの調子を気にして眠れなかったかもしれない。

朝は、何も食べてはいけないという指示である。
その代わり、薬を飲む仕事が待っている。
食卓につくと、嫁様がのんきなブレイクファーストとしゃれこもうとしていた。
スコーンのようなものと野菜のスープを美味そうに食おうとしていたため、思わず手が出そうになる。すんでのところで、大腸にスコーンと食物繊維を送り込むところだった。ぎりぎりセーフ。

嫁様がにやにや見つめる中を、変な薬をじっくりと飲まねばならない。
2リットルを2時間かけて飲むように、という指示である。
食卓に置いてあったメモ用紙に計算したら、わたしはどうやら12分で200ccを飲むことが必要らしい。さらに詳しく計算すると、1分で16.6cc飲むことになる。

ところがいざそれをはじめると、コップに注いだその薬を口に運び、ぐびぐびと吸い込み、ごくりと嚥下するまでに、45秒くらいかかるのである。わたしは嫁様のスマホで1分ごとのメトロノームを設定し、太鼓の音がどどん、と鳴る音とともにごくり、と飲むのを繰り返した。
嫁様はその様子をみて、笑い転げている。

「何計算しているのかと思ったら、そんなことなの」

どどん、とスマホが鳴るたび、わたしが気難しい表情でまずい薬を飲む。
飲むたびに悲しそうになるのをみて、おかしくて仕方がないらしい。

「それって、そんなにまずいの」
「うん、まずい」

味は妙てけれんな、ポカリスエットのよう。
正直、ポカリよりも濃く、強烈であり、続けて飲もうという気にはならない。サウナに3時間ほど入って出てきたときでさえ、3口でけっこう、と言う味であろう。

で、おそろしいのはその後。どんどんと便意が襲ってきた。
最後の方は、トイレから出てきてすぐ戻りたくなった。
リビングの椅子に腰を掛けるや否や、またすぐにトイレに駆け込むという始末である。

行くごとに、便座にしゃがむごとに、大便が変化した。
どんどんと水っぽくなり、ほとんど小便のような水に変わった。
最後には肛門からシャアーッと尿が出てくるような錯覚になった。おまけに色もなく、わたしは口から水を入れて、そのまま直後に水を出す、というあたかも口から肛門までが一直線につながった、人間ポンプのような雰囲気になったのである。

医者からもらった取扱説明書を読むと、どうやらその時点が目標地点だったらしく、薬の袋がキャラクターになったようなイラストの怪人が、マンガの吹き出しで、

「便がこうなったらゴールだよ!」

と言っている。こいつを信じることにした。

満を持して、わたしは予約時間に日赤の受付に立った。
総合受付、という看板を見ながら仁王立ち。気分は完全に、「道場破り」という感じ。

最初にすることは、肛門の部分だけが開いたパンツにはきかえる、という行為である。
恥をしのんで、わたしはその「肛門が開いたパンツ」をはいた。
更衣室はせまく、極小縦長のロッカーに着替えを詰め、パンツをはくともう「敗北感」が襲ってくる。わたしは病人だ、という気分が腹の底から充満してきた。

うつろな目で更衣室を出ると、70過ぎの先輩が尻を妙な風に押さえてあらわれ、私と入れ替わった。どうやらこの老人の次に、検査を受けるらしい。

さて、手術室に入ると、武装した医者が待ってました、とばかりにわたしをベッドに寝かした。
最初は左を下にして、横寝の姿勢。
肛門に、ボールペン位の太さのなにかを押し当てられた気がした。
わたしは頭の中で、「あ、これはボールペン位の太さかな。でも、もしボールペンだとしたら、きっと4色ボールペンくらいの太さだろう。1色ってことはないな。もっと太いもの」と思った。

しかし、そんなのんきなことを考えている暇はそれ以降一度も与えられなかった。
どんどんとその4色ボールペンが体内に侵入し、おなかの中をたしかに何かが動いていく感触がしたからである。モニターを見ていると、巨大なピンク色の鍾乳洞を、探検隊が進んでいくカメラのようだ。

それまで無言だった先生が

「ちょっと痛いかも」

と言うと、ようやくこの男性の先生の年代がわかった気がした。
その低く、落ち着いた声のトーンを聞く限り、大丈夫だ。同年代である。
同年代ならなんてことはない。ちっとも恥ずかしさも感じない。だって同年代だもの。
昭和40年代生まれの男なら、「手のひらに太陽を」だって歌えるであろう。ゴレンジャーも現役で見ていたかもしれないし、仮面ライダーだって1号か2号、もしかしたらV3・・・











いでっでででで!!!

激痛が走ったのは、どうやら大腸のカーブ、4つ角のところにカメラが到達したためらしい。
90度ちかく曲がるので、どうしても大腸の壁面をこするのだそうだ。

しかしそれを過ぎるとそうでもない。ふーっと大きなため息をつく。

いでっでででで!!!

2回目のカーブである。
今度は脳裏に急に、とある新聞記事が浮かんだ。脳と言うのはときおり、妙な記憶やデータを表出させる。わたしが思い浮かべた一面の記事には、「レーガン大統領ポリープ手術」という見出しがでかでかと書かれていた。たしかにレーガンは現役時代に一度、大腸のポリープを摘出している。

イダッ、イダイ、イデデデッッッッ!!!

3回目のカーブ。さっきよりも痛い。

そうすると医者が

「一番奥まで到達しました。あとは抜いて戻るだけなんで、痛くないですよ」

と、ちょっとこっちを心配するかのように言ってくれた。

医者はそれから一切無言になり、慎重にカメラで撮影しながらカメラを抜いていった。
わたしはテレビ画面を見ながら、写真の枚数が2枚、3枚、と増えていくのを見つめた。
パシャ、パシャ、という音はしないのだが、わたしはその数字が増えるたびに心の中で
「パシャッ」という効果音を唱えた。

合計24枚撮影した。

そして最後の方で

「これ、あらまさん、わかりますかね。腫瘍です。大きさは3mm。取りますか?」

と言った。

「はあ」

と言うと、立て続けに

「今日とる必要もないですが、大きさも3mmでたぶん良性ですので。しかし、この後変異していく可能性もあるにはあるので、まあとっちゃった方が。今度また別の日に来ると、結局また、このチューブを入れなきゃいけないんで」

と説明した。

最後のセリフの「また入れなきゃいけない」という部分が言い方は、たしかに本当に面倒くさそうで、くわしく書くと

「結局、まーた、入れなきゃあ、いけませんからねえ」

というような感じ。
せっかく軽トラからおろした堆肥が、場所が悪かったのでもう一度また、軽トラの荷台に乗せなきゃいけない、というようなものの言い方だったので、わたしは速攻で

「じゃついでにとってください」

と言うと、もうそれを言い終わるか言い終わらないうちに医者は右手の道具をはりきって操作し、

「じゃ、とりますね^ー♪」

と、ものすごくテンションを高くしてゲームを始めた。
実際、この人は、スーパーマリオやその他のゲームの達人だろうと思う。手に持ったゲームスティックを芸術のように扱うのだろうと思う。でなきゃ、たった3mmの腫瘍をきれいに縄でしばりつけ、おさえつけて「しばり首」のようにし、その後の皮膚を接合するためにせんたくばさみのような器具でチョンチョンと挟む、なんてことができるわけがない。

わたしはテレビ画面で見ていたから、もっと大きな、10円玉くらいの大きさの腫瘍かと思ったら、たった3mmだそうである。せんたくばさみもそれより小さいくらいで、2mmくらいのものでありましょう。

すべてが終わってわたしは素直に「ありがとうございました」と述べた。
実際、彼の活躍はすごくて、わたしは目の前に、その「縛り首にして取り除いた腫瘍」をみせてもらったが、大腸カメラにうつっていたそのままで、きれいに摘出されていたからであります。

帰宅してなにかうまいものをくってやろう、と考えたが、なぜか食欲がわかず、修学旅行から続いた疲労が急に全身を襲ってきたために、わたしはそれから12時間、眠り続けました。

後日結果が出るのだが、悪性だった場合は半年後。
良性だった場合は2年~3年に一度、同じように内視鏡検査を受けるべきだ、とのこと。

50過ぎると、あちこちにいろんなものができてくるらしい。
みなさまもお体だけは気を付けて。では。

(久しぶりの記事が、こんなに学校教育とは無関係の記事になってしまいました)

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教員の健康を考える

教員に限らず、人間は健康が大事だと思います。
基本となるのは、規則正しい食生活、十分な休養、適度な運動でしょうか。

わたしには持病があり、20代の初めから、かなり気を付けて暮らしてきた。
まずは椎間板ヘルニア。
椎間板の間のクッションのような役目をしているものが、つぶれて一つ消滅している。
そのため、わたしの腰椎は非常に硬い。あるところまでいくと、曲げられなくなる。
20代の初めに手術をしたんだけど、ずっと腰痛もちであります。

さらに、腎臓結石。
石ができやすいのは父親譲りで、そういう体質なんでしょう。
結石が尿管まで来てしまうと、突如としてのたうちまわるような背中や腰の痛み、腹部の痛みがはじまって、息ができなくなる。
これは近くで見ている人は嘘だと思うみたいですね。だって、その直前までなんともないから。
それと、痛み止めなど注射して、しばらくすると、痛みがすっと消えてしまう。
そうなると、もう見た目はなんともなくなるわけ。
私の嫁様は、わたしがのたうちまわる姿を目撃しているが、あとでケロリとなった姿を見て
「あれは嘘だったのだろう」
と本気で思ったらしい。

いや、本当なんすよ。その時は激痛なの。息ができないんだから・・・。
ふだんから、小芝居じみた言動を繰り返しているせいで、嫁様にも信頼されなくなっています。
反省しなければ。

わたしはこの2つを予防するため、若いころからあれこれと勉強をするはめになった。
20代の後半ごろから始めた(自発的な)節制の、まず一つ目が禁酒(ビール)である。
ビールは結石をつくりやすい。だから、飲まない。

まあ、結石で苦しむのは自分なので、そうならないために節制するのはまさに自分自身のためであります。

ビール以外にも実はあれこれと、食べ物や飲み物で結石につながるものがあり、これらすべてを防ぐのは難しい。
そのために工夫をして、できるだけ「酸」を体に入れた方がいいと思って、酢を飲んでおります。
酢は、酢酸ですね。クエン酸でもいいだろうと思われる。
つまり、酸で石を溶かせるのではないかと思うわけです。カルシウムが塩酸に溶けるでしょう。あんなイメージで。(注:エビデンスなし)

夜になると、毎晩、黒酢をうすめて飲んでおります。
また、給食の後にクエン酸飲料をひそかに飲んだり・・・
これがおいしい。わたしの体には、「酢」とか「酸」とかが、あっているように思う。
だって、すごくおいしいもの。

自分の体のことを一番よく知っているのは自分だろうと思います。
また、どのような生活習慣が自分の健康にどのような影響を与えるかを把握しているのも自分。
健康管理は自分で人生を管理するようなものだと思います。

さて、わたしが尊敬する方が東京の調布に住んでいて、わたしは彼からいろいろなことを学びました。
その方の職業は、鍼灸師。中国で実際に人間の体の隅々までを研究してこられた方です。
彼が時折、WEB上に情報を出しているのを見て学んでいるのですが、これが非常に含蓄に富んでいる。

ここでは、以前教えていただいた、雑誌の記事を紹介します。



どうも、人間というのは、腸が主人公らしい。
腸の内側が体内であり、腸管の外側は、体の外、ということ。
原始生物の環形動物、たとえばチューブワームなどをみていると、あれなどは、ほぼ腸だけで生きている生物ですね。人間(生物)の元の形はこれか、と納得できる気がします。
それだけ、腸が大事、ということ。わたしたちの本当の中身は、腸管である。
腸管が、その人の本体、ということになろうか。
進化の過程をていねいに見ると、腸以外は、あとから付いた付属品なわけね。脳でさえも。

まとめ。
腸には、食物繊維がよいようです。
今年の目標として、できるだけ多くの食物繊維をとれるように頑張ろうと思います。
まずは筑前煮かな。あれはこんにゃくも入るし、にんじんとかれんこんとか、なんだか繊維っぽいからね。
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前転を10回した後に後転ができるかどうか

1週間ほど前だろうか。
Tくんたちが、熱く討論をしているのを見た。

めったに議論などしたことがなさそうなTくんなので、なにごとならんと近寄ってみると、どうも「目が回るということ」について話しているようだ。

Tくんの周囲にいる数人も、まあどちらかというと論理的な感じの男子ではなかったので、こりゃおもしろそうだと思ってわたしも参加し、一緒になって「ふむふむ」と聞いてみる。

彼らが議論していたのは、
【前転を10回したあと、後転ができるかどうか】であった。
Tくんは家でふとんを2枚つなげ、行ったり来たりの前転を10回やって弟に自慢した。
すると、今度は後転ができるかどうか、という話になった。
弟はできないので、Tくんは自分が見本を見せようとして後転をしたところ、

ぐにゃぐにゃ

になったという。

からだが、たこのように、ぐっにゃぐにゃ になったそうだ。

Tくんが言うには、
それはつまり、直前まで前転をひっきりなしに繰り返したので、脳がエラーを起こしていたのだろう、ということであった。

「ほんとうだって。前転を10回繰り返したあとに、すぐ後転をしてみたら、ぜんぜん、できなかった。だれでもそうなるはずだ」
「えー、Tくん、もともと後転ができなかったとかじゃなくて?」
「そうそう。俺は後転はできるんだって。でも、前転10回のあとは、無理だった」

そこで、次回の体育の時に実験をしてみたい、という。




先日、体育館での体育の授業をやったときのこと。
彼らはその約束を覚えていて、

「先生、みんなで前転10回やろう」

という。

「そのあと、だれか後転ができるか、しらべてみようよ」


で、やってみましたよ。

すると、まず前転10回をやれた子がすくなかった。
途中の6,7回くらいで、目を回す子、方向を失う子もいる。
気持ちわりい、とやめてしまう子も。

しかし実験精神に富んだ数人の猛者もいて、もちろんTくん本人もまじめに10回前転をした。

Tくんと他の数名が、後転にチャレンジした。

みんな並んで、おもむろに、えへらえへら、と薄い笑みをうかべてマットに背を向けると、
そのまま後転をしたのですが・・・。

一応、最初の1回はできたのですが、

2回目に、ほんとうに

ぐにゃーーー

と、だれもが薄笑いをうかべたまま、床にへばってしまい、

チャレンジした全員が全員とも、

「か、か、からだがーーー、うご、うごかねええええ」

と言って、酔っぱらった感じになりました。

みんな大笑い。

危険なので、みんなマネしないように、と釘をさしておきました。

ふつうの人は、脳がエラーを起こすのではないでしょうか。
前転10回、すぐに後転をやると・・・。
体操選手の内村航平さんなら、大丈夫なんでしょうけど。

Tくんは来年の夏の自由研究で、

「人間はなぜ目がまわるのか」

を研究するそうです。めでたし、めでたし。

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おじさんだもの

今までさほど気にしていなかったが、コレステロール値が高くなっていた。

大きな病院での人間ドックを受けた。
さすが大病院で、廊下が長い。
待つ時間も長い。
説明も長い。

「〇〇の窓口でこれこれをし、次の曲がり角をまがってこのファイルを出し、その後ここへ戻ってきて〇〇をし、声がかかるまで〇〇をしてください」

これを超忙しそうな看護師さんから、たった一息で言われると、体が凍りそうになる。
もう一度聞きなおすのは、とても気の毒でできない。
看護師さんの目をみると、マスクの上で気の毒にもせつない大きな二重瞼が。
その下に、
「これ、一回で覚えてね。わたしとんでもなく忙しいので、一回で覚えてね」
という瞳がうるうるしている。

しかしやはりわからないので、大変失礼ですが、と前置きしてこちらも恐縮して尋ねる。

「えっと、これをしたあとにかどを曲がってこれを受けて?・・・」
「いえ、ファイルを出したら戻ってきて〇〇、です」

もうそれ以上聞くのは、かわいそうで無理だ。
お互いに絶望に近い表情になりつつ、お互いの安否を気遣いつつ、そこで別れることになる。

長い廊下を、必死で歩く。
行き交う白衣の方たち。
病院というのはなんでこんなに、『必死な空気』が充満しているのだろう。
ひとの命がかかっている、という感じがする。

長い廊下を歩いてたどり着くと、A棟ではなく、そこがB棟であったことに気づき、戻る。
行き過ぎたのだ。

肺活量を調べるところで、すんでのところで倒れそうになった。
死ぬほど吐いてください、とおっしゃった看護師さんが、わたしのすぐ横で、力士のようにふんばった格好で、

「はい!!そこで、フーーーーーーーッッツツっと!!!!」

とおっしゃる。
わたし以上の、必死の形相だ。

「はい、吐く! 吐く!! 吐き切る!!!」

病院のフロアの隅にまで、彼女の大音声が響いていく。

「もっともっと!!!吐けるだけ、いっきに吐くぅぅぅッ!!

わたしの横で励ましてくれるのは、中腰姿の看護師さん。
白鳳が四股(しこ)を踏むところかな、と一瞬、思う形だ。
土俵入りを思わせる。
わたしも思わず、看護師さんと同じような、土俵に入る格好をとってしまう。
そして、思い切り水色の筒を咥えて、首をふりながら息を吐く。

肺の空気がすべて、この水色の筒に吸引されたかと思ったとき、目の前がくらくらした。

すると看護師さんがパソコンの画面をチャッチャと操作して、急に事務的な声になり、

「はい。今の調子で。つぎ、本番です」

と言った。

こんなに頑張ったのだから、なにか欲しかった。
音楽が鳴り響いて、くす玉が割れてほしい、とまでは言わないが。
少なくとも、抱擁して「がんばったね!」くらいは、言ってほしかった。

こんな活動が、胃カメラ、エコー、眼底検査、聴力検査、さらにあれこれ。

ぜんぶ回ったところで、確信したのは、「病院は元気でないと来てはいけない」ということだ。

最後に医者が出てきて、総合的な診察をしてくださる。
わたしより若い医者で、ちょっと複雑な気持ちになる。
いや、若くてもいいんですけど、予想とちがったから・・・。

予想していたのは、白髪交じりのおじいさん。
ひげを生やした、ご年配の先生が貫禄たっぷりに、

「はい、あらまさん。えっと、コレステロールが高い、と。はい、これ。不摂生ですね。夜中になんか食べちゃう?はい、はい、そうですね、ま、ま、加齢もあるのでね。ちょっと我慢してもらって」(森繁久彌の声)

というのなら、わかる。
素直な気持ちで、「気を付けます」と言いたい。

ところが、出てきた医者が、まだ20代か30そこそこの若い彼。

めっちゃ、年下やん!
すげー違和感あるー、と思っていたら、やはり

「50代なのでね。これからが大事で、いろんな病気にもつながりますからねー」

とかなんとかいう。
いやあ、若い人に言われると、余計になんか、ちょっとがっくりくるものが・・・。

おじさんなんだからね。
夜中、食べたいからって食べてちゃ、いかんのよね。
我慢しなきゃネ。おじさんは、ガマン!

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『土用の丑の日』を改革しよう!・・・水産庁の方へ

以下は、水産庁の方がひょっとしたら見てくれるかもしれないので書きました。
水産庁に所属する以外の方は、深く考えず、読み飛ばしてください。

◎なぜウナギを食べるのか

7世紀から8世紀に編纂された「万葉集」に、ウナギを詠んだ歌があります。
石麻呂に吾れもの申す夏痩せに
よしといふものぞむなぎとり召せ

(大伴家持)

「夏の暑さで大変でしょう。身体が弱ってきたと感じたのなら、むなぎ(ウナギ)を食べると良いよ」
友人の石麻呂という人に、家持がそう勧めたという歌です。
現代の栄養学と照らし合わせても、合理的だと言えるでしょう。

◎ウナギは大切な水産資源

日本人が、「土用の丑の日、うなぎの日。鰻を食すれば、夏負けすることなし」という平賀源内のコピー文に魅力を感じて、家族そろって鰻を食べてきたことは、とてもユニークだし、楽しいことです。

ところが、水産資源を一度に大量に消費することには問題があります。特に、現状のような売買の仕組みそのままで、消費することは大問題です。

売れ残りが、大量に出ます!

そして、それらはほぼ全量、焼却処分です!

日本人が完全に予約制でウナギを注文するならまだ被害は軽微で済むかもしれません。水産業の現場にまで1匹単位で予約をいれて、完全にその予約の数に従って仕入れをするのなら。
しかし、天然であれ養殖であれ、売れるかどうかわからない数を大量に「かば焼き風に仕上げて販売網にのせてしまう」ために、売れ残りの量が毎年3割もあり、それらが消費者の意識にのぼらないところで廃棄され、重油で燃やされていることを考えれば、水産資源を

今しかない!
この道しかない!
今でしょ!


と、ヒートアップした感覚で大量に売ろうとするのは、合理的ではありません。

人間は常に冷静である方が得をします。
生きているのだから、人間もたまにはヒートアップしたいときも無論、あります。そして、時と場合によってはヒートアップすることが楽しいのです。しかし、他国との関係やこういった経済に関係する思考は、できるだけ冷静なのがよいのです。

そこで、提案をします。

「年に一度だから」という理由のために経済的損失がでかくなってしまった、というこの風習を変えるため、うなぎを食べる日を、合理的に増やしましょう!

たとえば、もう一度、こよみを見直してみましょう。
なんと、土用の丑の日は、年に何度もあるじゃないですか。

【2019年の土用の丑の日】
1月28日、4月22日、5月4日、7月27日、10月31日

【2020年の土用の丑の日】
1月23日、4月16日、4月28日、7月21日、8月2日、10月25日、11月6日

水産資源の貴重さを十分に学習してから、(公共広告機構などでCMするといいと思います)今年は鰻をいつ食べようか、と7月に集中しないように考えるのです。

土用の丑は、春にも秋にもある!

ということです。

こう考えると、ウナギだけではありません。
クリスマスケーキの大量廃棄も、大問題です。
これも重油で燃やすらしいです。
せっかく中東の国から地球を半周してまで日本に運んできた貴重な重油。
ケーキを燃やしてよいわけがありません。

そこで、増やします。

【2019年のクリスマスケーキの日】
2月28日、5月22日、7月4日、9月27日、12月24日

クリスマスだ、と言っているのではありません。
あくまでも、クリスマスケーキを年に分散して食べよう、という日です。

おそらくジャニーズやよしもと興業の芸人さんたちが、

「おれは2月に食うよ」
とか
「おれは新緑のすてきな5月」
だとかテレビで言えば、日本人はすぐに「じゃわたしも」と考えるでしょう。

しかし年のチャンスが5回あるわけですが、そのすべて5回ともケーキを食べると不幸が訪れる、という都市伝説も一方で流しておいた方がよいかもしれません。食い過ぎです。それは。


christmas_cake

健康を知らない。

一昨年でしたか。
四十肩をやりました。1か月間くらい、黒板にチョークで書くのがしんどくてたまりませんでした。

それでも黒板に字を書かねばなりませんから、上がらない腕をもう片方の腕で持ち上げ、身体を傾けて、さらに背伸びをしたりしながら、何とか授業をしていました。

「へんな恰好!!」

子どもたちは笑いましたが、こっちは笑いごとではありません。
そのうちに逆の手で、板書ができるようになってきました。算数だけですが・・・。
数字なら、利き手とは逆の手でも、書けたので。
あんなに短期間に、すらすらと利き手とは逆の手が動くようになったのは不思議なコトでしたね。
必死だったからかな。


最近も腰を一度痛めました。
どうやら、姿勢も悪いようです。
身体の疲れやすさも感じます。

この秋から、根本的に学びたくなりました。
骨の付き方、筋肉の付き方。
自分の身体を、きちんと知りたくなりました。

猫背気味なんです。
昔からそうでした。
どうやら、ふだんの姿勢、歩く姿勢、足の着き方まで、ぜんぶ法則があるらしいですナ。
こうやっていると、つらくなりますよ、という法則が。
四十肩、五十肩、腰痛、みんな、大前提としてあるはずの、「正しい姿勢の保持、歩き方、走り方」を知らないところから、きているようです。

これだけ長い間生きてきたのに、
その間、ずっと歩いていたし、走っていたし、立っていたのに、
「あなたは正しい姿勢を知らない」
と言われたようで、本当にがくぜんとしました。

健康を知らないから、健康にならない。
幸福を知らないから、幸福にならない。
どうやら、通じるものがありそうです。

いったい、どんな姿勢が、正しい姿勢なのでしょう。

わたしの姉は、ふだんから着物を着ていますが、やはり姿勢は良いですね。

「だんだんと、着物でないと疲れるようになってきたの」

だって。
洋服を着ていると、疲れるらしいですな。
どれもこれも、身体の使い方、ということなんでしょう。
不思議なコトです。

shisei_man_good



教員と『骨』との付き合い方

魚に骨があるように、人間にも骨がある。
そして、どうやら昔の日本人は、「筋肉よりも骨」で米俵をかついだらしい。

俵を運ぶ人


昔から腰が弱くて、1年に1度は

「いや、ちょっと待てよ、これ、あかんやつや・・・あかん、アカン、、、、」

となって、そろ~っと動いて、動けなくなることがある。
少し休んで回復することも多いが、かつてはそのまま動けなくなったことも。(ぎっくり)
だから、身体の使い方、ということでは人一倍、関心がある。

最近、ある人から「骨ストレッチ」というものを教えてもらい、実践している。
一番の研究家は、著作も出している『松村卓』という方だ。
興味のある方は、調べてみてもらいたい。

このストレッチに、骨を意識する、というアプローチがあり、これは面白い。
特に、『立つ』姿勢が変わると、効果をいろいろと実感できる。
骨を意識して立つと、なんと、電車内で吊革無しで立ちつづけることができる。
ガタン、と揺れても、キーーーッ、と停止しても、揺れ戻しがあったとしても、なんのその。
柳に風、と受け流し、楽に立つことができるのだ。

わたしの腰痛に、もっとも役に立っているのが、『手首腰伸ばし』。

(準備)
親指と小指を「きちんと」くっつけて輪をつくり、残り三本指はスッと伸ばす。
さらに別の手の親指と小指で手首の固い骨のあるぐりぐりしたところを「きちんと」はさみこむように持つ。

①椅子に浅く腰かけた状態で腕を前の方へ伸ばしていく。
②押さえている側の手で、押さえられている側の手や腕を前方へ引っ張るようにしていく。
③そのままの力で自然に前方へ引っ張りながら(引っ張られながら)ゆーっくりと、腰を伸ばす。
④これを7回ほどやる。
⑤左が終わったら右もやる。

これをやるようになったら、なぜか身体が柔らかくなってきた。
なんでなのか、ぜんぜん、分かりません。なにか理由はあるのでしょうね。骨とか筋肉とか。

米俵をかつぐことは、生涯のうちでも、まあ、それほど無いでしょうが、筋肉が極端に発達したようには見えない江戸や明治の女性たちがそれを仕事にしていたと聞くと、やはりこれは、身体の使い方、ということになるんだろうな、と思えます。

教員も、骨を意識して、授業をした方がいいですね。
これからは白墨(チョーク)も、親指と小指を輪っかにして持つようにしようっと。

40代後半のオッサン、という事実

.
わたしも事実は40代後半のオッサンになってきていて、職員室でも私より若い子が半数はいるのだし、〇〇主任、というやつばかり任されて忙しくて仕方がない。こういうときはもう本当に、心底、若いままで居たい、と願いたくなる。

最近、一番年を実感したのは、肩のことである。

肩が、あがらなくなった。

もう1週間になるだろうか。
なんとなく上がりにくいな、と違和感はあった。
それが、この週末から、もうまったく上げられなくなってきた。
水平に近づくだけで、

「い、イダダダッ・・・!」

となるのである。

職業がまずい。
小学校教員である。
チョークが持てない。

自然、黒板の上半分に、書くことができず、下の方ばかりに書いている。

「?」

子どもたちは最初、何も言わなかったが、なんとなくヘンだな、と感じたようだ。

「先生、なんで上から書かないの?」

わたしは理由が言えない。

「なんでか・・・。痛くて腕が上がらんのよー。トホホホー」

すると、かわいそうに、という同情する視線と空気の中に、一部、

「・・・ありゃあ、四十肩とかいうやつだ」

と、ボソボソという声が聞こえてくる。

「・・・うちのバアバも、おんなじ。上の方に、手が動かんのよ」

バアバかよ。



自分ではまったく20代のような精神状態でいる。
いや、もっと正直に言うと、わたしの精神構造は10代後半から、ほぼ変わっていない。
20代前半から後半にかけて、考えの精度は高まったように思うが、それ以後はまったく進化していない。40代になり、むしろ、徐々に精度が落ちて行っている。

つまり、わたしは世の中の10代後半から20代前半の男の子と、ついうっかり、友だち気分で話してしまうくらい、気持ちが若いのである。

・・・否、成熟していないのだろう。
その証拠に、このブログも、同じようなことばかり書き続けて早10年が経つ。

ブログを10年やって気が付いたのは、たった一つ。

「どう書けばいいか、ますます分からなくなっている」
ということ。

肩がうまく回らないのと同様、
職員室では仕事で首が回らないのだし、
いざブログを書くときは頭がまわらず、
40代後半はますます面白いなあと思いますナ。

fune

花粉症のこと

タモリさんのやっているNHK、「人体」の番組をご覧になりましたか。花粉症のことをやってましたね。

私もスギ・ヒノキのアレルギーがあります。
もう毎年のことで慣れてきていて、薬で対処できることも分かっているので、さほどつらくはありません。しかし、正直、面倒でした。花粉症のために薬を飲むことや、症状に応じて薬の量を増やしたり、目薬をさしたり・・・。そういう日々のことがめんどうやなあ、と毎年思っていました。

NHKの番組の中で、『花粉症にかかりにくい、不思議な場所』というのを紹介していました。日本にあるのです。どこかというと、それはなんとお寺でございました。
修行しているお坊さんたちは、なぜだか不思議と、花粉症が改善している人が多いのだそうです。

花粉自体は別に人間の身体を攻撃するわけではありません。
しかし、外部から人体に入り込んでくる異物ですので、人間の免疫細胞がさかんに攻撃します。その結果、鼻水や涙が出たり、くしゃみ、せき、という「防衛反応」が引き起こされる、と。
一方、免疫細胞たちが花粉に反応しているとき、「あれ?そんなに防衛しなくてもいいらしいぞ」となればどうでしょう。それほど強く対応しなくてもいい、ということになれば、鼻水もくしゃみも、収まってきます。

このように、免疫細胞たちに、「そんなに激しく反応しなくてもいいぞ」と伝える役割を果たしているのが、どうやら一部の腸内細胞らしいのです。そのことが、NHKの番組で新しい情報として紹介されておりました。

つまり、花粉症は、その「一部の腸内細胞」が、上手に働いてくれさえすれば、かなり症状自体がおさまってくるらしいのでした。

『免疫細胞の暴走を抑えるブレーキ役の細胞が、腸内細菌の一種であるクロストリジウム菌の働きによって、私たちの腸でつくり出されていることが、最新研究で明らかになってきました。
クロストリジウム菌は、私たちの腸内の「食物繊維」をエサとして食べ、「酪酸」と呼ばれる物質を盛んに放出します。この物質、実は腸に集結する免疫細胞に「落ちついて!」というメッセージを伝える役割を担っています。クロストリジウム菌が出した酪酸が、腸の壁を通って、その内側にいる免疫細胞に受け取られると、暴走を抑えるブレーキ役の細胞へと変身するのです』


そこでわたしが実験したのは、寺の坊さんたちのように、
〇食物繊維を積極的にとること。
でした。


料理の本をめくり、食物繊維の多そうなものを家族で食べることにしました。
一番多かったのは、切り干し大根と筑前煮でしたかな・・・。
りんごもたくさん食べました。(この時期でも、まだスーパーにありました)

するとですね。
結論から言うと、かなり花粉症が改善したような気がします。
これだけではなく、きっと他にもいろいろなことが総合的に働いたのでしょうけど、花粉症をちょっとでも楽にしたい、といろいろとやってみたからかな・・・


あと、わたしの健康面を司っている師匠が東京の調布市に住んでいて、鍼灸師をされているのですが、その恩師からの指示も花粉症改善に役立っていたようです。いろいろとアドバイスをくれて、あんまりたくさんアドバイスをくれたため、内容はほぼ忘れましたが、たった一言、「太陽の光を浴びよ」というのが印象に残っています。

この場をかりて、師匠に感謝するとともに、

食物繊維

自体にも、感謝しながら、さらにこのような腸の細菌たちの働きや腸内のメッセージ物質たち、大自然の働きにも感謝しつつ、タモリさんに感謝しなければならないと思っています。そしてなによりも、タモリさんを起用したNHKのエグゼクティブ・プロデューサーに・・・!タモリさんじゃなきゃ、観なかったかもしれないし、ネ。
あと、めったにテレビを見ないのに、見る気になった自分にも感謝!

ありがとうございました。

tikuzennni

花粉症に勝つ!!

.
日頃、何かに打ち勝とう、とは思わないのだが、
花粉症にだけは、なぜか

「打ち勝つんだ!」

という強い気持ちが湧いてくる。

今朝は、なんだか寒の戻りで寒かった。
それにも関わらず、わたしはパンツ一枚で、リビングに仁王立ちになる。
なぜか?
乾布摩擦が効く、という記事を読んだからだ。
気分が乗ってきたので、ついでに水垢離までした。丁寧すぎるか・・・。まあ、いい。花粉と戦うには、それなりの精神状態が必要だ。私はリビングの真ん中で気合を入れながら、乾布摩擦をした。

乾布摩擦をして余計に鼻水が出て、くしゃみをしていたら
妻に「そんなかっこで・・・馬鹿じゃないの」と言われた。
妻には勝てないが、『花粉症には、勝ちたい!』と真剣に思う。



そこで、思い出したのだが・・・

実はわたしは20歳のころ、運命のいたずらであろうか、なかなか数奇な運命をたどる一人の行者と知り合ったのである。
彼は現在、行者のランクを超えて、仙人を目指すようになった。もちろん、人目を忍んでひそかに、だ。今は、世を忍ぶための仮の姿として、たまたま東京都内で鍼灸師をしている。しかし、あくまでもそれは、口に糊するためのナントカに過ぎぬ。実際彼は、イチローも驚くくらいの努力家である。今も、寿命500歳を超える長寿を実現するために、ありとあらゆる訓練を続けているのだ。

乾布摩擦をしているうちに彼のことを思い出したので、メッセンジャーで連絡をとってみた。

以前、電話で連絡をとったときには、たしか「体温を上げるのが一番大事だ」と言っていたが、花粉症を打ち負かすのにも、体温はやはり大事なのだろうか・・・。


すると、彼は、ちょうど折り悪く、鍼灸の仕事の真っ最中であったらしく、患者さんの腰に鍼を打ちながら、「今はちょっと・・・あとで返事するわ」と、気さくな応対。

数分待っていると、

「花粉症は体質改善だ。元から攻略せんならん・・・。じっくり返事してやるから、夜、PCから返事する」

と期待できる返事も届いた。

持つべきはやはり友だ、と安心し、夜を待った。




ふくろうの鳴く夜になり、風呂からあがって子どもを寝かしつけてから、ふるえる指でPCを起動。
メッセージを確認すると・・・。


キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

期待できる一行目に、すでに実用的なアドバイスが書いてあった。
「ビタミンDが重要だ」
その一言から、最後の行にいたるまで、わたしが摂取すべき食品群が、ずらりと明記してある。

・・・

師のおっしゃるには、どうやら腸活はいいようである。
それと、やはり昔から伝わっている酵素関連の栄養を摂ること、
太陽光線を浴びること、野菜、大豆、海藻、乳酸菌、ヨーグルトなどが大事なようであった。

それにしても、花粉症に打ち勝つための方策を、こんなにも丁寧に、
しかも断言して書いてくれるのは、ありがたい。

「これでひとまず、体質を改善しろ!きっと(人生がすっかり)変わる!」

なんと力強いお言葉であろう。
わたしは師のお住まいになっているはるか東方を臨みながら、何度も拝を繰り返すのであった。

私は本日、スーパーで次の物を購入した。

1)にがり
2)のり
3)ブラックベリーの実
4)海藻
5)マグネシウム錠剤
6)ビタミンD錠剤
7)野菜
8)味噌
9)納豆
10)糠漬けの漬物
11)さば缶
12)バナナ
13)パイナップル
14)紫蘇の葉
15)にんにく


金はかかったが・・・

師匠の教えに従うことができる素直な自分がいて、わたしは嬉しかった。

スーパーから出てくるときの足取りも、非常に軽かった!
そして、すぐに太陽の光を浴びた。20秒くらい。

心なしか、花粉がわたしの身体から、去っていくような気がする。

「ふふふ・・・」

この冬日の弱い太陽光線を浴びることで、体内に巣食う邪悪な花粉どもが焼き殺されて行くのだ。

ああ、断末魔の悲鳴が聞こえる!!

私はニタリ、と笑ってスキップして駐車場を横切る。

もう、花粉とはおさらば、だ。
くしゃみ、鼻水、鼻づまりと、永遠にサ・ヨ・ナ・ラ・・・。

いいこと、聞いたゼ!!

今はもう、師匠に歯向かったり、抵抗したりなんか、しない!ぜったいに!!


これでまた、花粉症改善に一歩、近づいた!
kafun_tachimuka_woman

体温をあげにゃいかん

.
わたしのまわりの友人たちに、ちょっと変わった人たちがいるが、一人が先日電話をかけてきて、

「ともかく、体温をあげにゃいかん」

と力説していた。

わたしがこのところイベント続きで忙しく、ついうっかりとその電話口で、

「ちょっと身体が疲れた」

などと、口走ってしまったからである。

その男は体調の管理に関してなかなかに口うるさく、わたしの親や嫁さんよりも私の体を心配してくる。

「お前な、子どもに向き合うには、一に体力、二に体力、だぞ」

と言う。

たしかにその通りだと思うのだが、彼は電話口で矢継ぎ早に指示命令を下し、わたしがメモしたかどうかまで、怪しんで確認してくる。

最初、いい加減に聞いていると、なるほど、と思ったことが少しあったので、

「それはいいことを聞いた。ありがとう」

と、余計なことを言ってしまったのがいけなかった。

その後、15分は彼の講義を聞いたのだが、惜しいことに今現在、そのすべてを私は忘れてしまった。


ただ、ついさきほど家庭の風呂に入っていて、少しばかり、思い出すことに成功したので、今夜はそれを書き留めておく。

1)疲労をなくすには、体温をあげにゃいかんこと

2)そのためには、じっくりと風呂につかること。
  家庭の風呂ではじっくり浸かるのがむずかしかろう。
  そういう場合には、近くの温泉やスーパー銭湯に行くがよい。
  そこには食事処もあれば、無料の飲み水もあり、寝転んでくつろぐだけの専用スペースもある。
  半日もすごすうちに、何度もおかわりをするように、のんびりだらだらと風呂に入れるであろう。

3)トクホンやらサロンパスなどは決して貼るな。金がかかるし癖になる。
  貼らないとよけいにだるいような気がしてきてしまう。
  今日は貼っていないから疲れやすい、と良くない言い訳を考えるようになる。

4)風呂に入ったら、体があたたまったのかどうか、自分の体のあちこちに聞け。
  「どう?足首さん。あったまった?」
  その返事を聞け。

5)食い過ぎるな。ひと口、ひと品、じっくり食え。

彼はいったい、どこでその奥義を会得し秘匿するに至ったのであろうか。

「どうだ。これでお前は健康になるはずだ」
「わかった。ありがとう。ところでどのアドバイスも的確過ぎて心の底から勇気づけられたよ。まるで仙人のようなアドバイスだった」
「いや、俺は仙人をめざしている」

彼がその後言うには、実際に500年以上生きた人間がいるらしく、つい最近まで、250歳ほどの人間も存命していたらしい。

「そりゃ、なにかの間違いではナイか?」
「いや、おれは独自の健康法を編み出し、ただいま実践中だが、すこぶる健康になった。おそらくその記録も塗り替えられるだろう。ただし、俺はギネスには載らない。インタビューが面倒だからな。あと200年生きるとなると、こうしてはおられん。じゃ、俺は薬草の研究で忙しいから、これで」



さて、先のアドバイスの4番目にあったように、
わたしは家の風呂につかるうち、体のあちこちに、あったまかったかどうか、確認して聞いてみたが、弱ったことに返事が聞こえない。
足首や太もも、肩甲骨に聞いてみたが、

「・・・」

返事がない。

「おうい。あったまったのか?」
「・・・」


つまり、自分の体があったまったのかどうか、実のところ、なんだかさっぱり分からないのである。
ただ、体の表面は熱いような気がするし、ほてって暑いから、風呂を早く出たいのだが、もし体の芯が今ひとつであったらどうしよう、と判断がつかないのである。

そこで、風呂に出たり入ったり、出たり入ったり、意味も無く鏡を見つめてみたり、自分に話しかけてみたりと、ずいぶん時間を浪費してから風呂を出た。
すると脱衣場の扉を開けた嫁がたったひとこと、





「あッ、生きてたーー!」

おかざきのおんせん

自分の身体は、巷の情報より実感で。

.
久しぶりに両親と話したら、以前やっていた〇〇健康法とか、やめてしまった、と言っている。
長続きしなかった。
以前、実家の玄関に、商品のダンボールが積んであった。
今では、きれいに無くなってるらしい。

ちなみに、自分も無精もので面倒くさがりなので、なにも長続きしない。
とくに近頃は、情報を入れること自体が面倒なのか、
テレビを見ても5秒と持たずに消してしまう。

「え?見るんじゃないの?」

嫁様がきょとんとしている。

スイッチ入れて、すぐに消すだけなので、

「じゃ、なんでいちいちスイッチ入れるの?どうせ見ないのに」

いや、これはなんだろうか。
なんとなく、台風が来てるとか、なにか火山が爆発したとか、天変地異があるかどうかだけをチェックしているだけだナ。
テレビをつけた瞬間、アナウンサーが

「爆発してます!」

とか

「すぐに避難してくだされ!」

としゃべっていなけりゃ、それでいいので、すぐにスイッチOFF、ということです。


こんなふうで、生活自体が省エネ傾向にあり、〇〇健康法もどんどんと断捨離されていく。
情報の断捨離!

これをすると、自分の内部に目が向くようになります。
内部の方が、確実に面白いからネ。実にオモチロイ。


そんなわたくしが、数少ない健康知識の中から、これは自分の身体に合っている、と見極めたものがいくつかあり、それは他の人にはおそらく当てはまらないようだけれども、自分には確実に効果があるので紹介します。

以下。

おすすめできない健康法

1) にんにくを食う。

これは、血流が良くなる。
30代に入ってシステムエンジニアになり、徹夜が続いた激務の中、偶然発見した健康法。
朝、起きた時のスタートダッシュがすばらしくなる。ただし難アリ。

2) 梅しょう番茶をのむ。

梅肉+しょうが+番茶。
この組み合わせでホットな茶を飲んでいると、効果がある。
大学生の頃、賃貸の部屋をシェアしていた友人に勧められて飲み始めました。
そいつ(現在は神主)が言うには、
「おれには合わんが、お前には合うかもわからんから」と妙な勧め方をしてましたナ。

3) 風呂に入って寝る。

これは20代の頃、500キロの巨牛と毎日格闘していた時に偶然発見した健康法で、風呂の湯につかりながら、うとうとして、寝る、というもの。
1時間ほど熟睡したときがあり、そのときに得た爽快感はすばらしく、決して周囲におすすめはできないものの、自分では様々な工夫をして、今でも時折これを実践しています。

4) 息を止める。

おしりをきゅっとしめてから、息を吐ききり、息を止めます。
自分ばかりが酸素を吸っていては申し訳ないので、時折、息を止めなきゃいけない。(冗談)
他の人には無い効果が私にはあり、考え事を進めていくときや、なにかを覚えたい時に効果ある。これは、水泳部に入っていた高校時代、潜水すると信じられないほど気分が良くなることから偶然、発見したもの。ただし、苦しいので、非・おすすめだ。

5) 嘘くさい太極拳をする。

決しておすすめできない。怪しい動きで、表面上、あたかも狂人のように見えるから。一見すると、もう極端な話、怖いと思うほどらしい(嫁様談)。しかし、絶大な効果があるので、やめるわけにいかない。

6) 天井を見て寝そべり、足の裏をできるだけ高く天に向かって差し上げる。

腰を手で支え、ほとんど肩と後頭部のみを地面に接地させるようにして、脚を空中高く持ち上げる。息を吐きながらやるのが効果的だが、おすすめはしない。

7) 山の頂上の一点を見つめる。耐えきれなくなるまでやる。

これも、ある種の効果がある。おすすめ不可。

8) 歯をかちかちさせる。骨どうしの、ハッキリとしたいい音がする。

30回。運転中にやる。効果抜群。舌をかみそうになるので、おすすめしない。

9) あー、いー、うー、えー、おー、とゆっくりはっきり言う。

顔の表情を変化させ、思い切り表情筋を伸ばしながら、言う。
効果あり。現象としては馬鹿な顔に見えるので、おすすめできません。

10) 勝手な歌を歌う。

誰の作曲でもなく、誰の作詞でもない歌を、でまかせに歌う。
絶大な効果あり。これもアホくさいのでお勧めできない。

え?いったい、なんの効果があるんだって?

ウワハハハハ。

そりゃ、きみ。
やってみたものしか、分からん、てなものですヨ。


4

なおしなおしの日々

.
朝、起きて手洗いに行ったのが、おそらく4時ごろ。

外はまだ暗かった。

それなのに、<教室でモンシロチョウを飼うための箱を探そう>と、ふらふらと庭に出て、物置に入った。

寝ぼけていたのかも。

荷物の奥の方に箱が見えたので、手を伸ばそうとしたとたん、足元のなにかにつまづいて、脚がもつれて前にのめり、あいにく、そこにあった大きな金属の棚のふちで脇腹を打ってしまった。

「うー、いてて」

一人で、うめいた。

<怪我してたら、組体操の演示ができん>

日頃、自分の身体を商品のように考えているのは、だんだんと身についてきた職業意識というわけか。

風邪をひいて、鼻声になったりすると、なんとなく、傷んだ道具で大工仕事をしているような、安い仕事をしている気がして申し訳ない。

脇腹の痛みはしだいにおさまったけれど、なんとなく早朝のしずかな時間に、家族も知らないところで勝手に痛がっていた自分が、滑稽(こっけい)に思えてくる。



朝の静かな時間を、庭ですごした。
まだ青くひんやりとした空気の中で、腹式呼吸、勝手な創作ヨーガ、<嘘くさい>太極拳などをする。

この、嘘くさいヨーガと太極拳は、まともにならったことはないのだが、やっていると、身体がほぐれて、爽快になってくる。嫁様は、この嘘くさい太極拳が大嫌いで、

「ぜったい嘘だし、みっともない動きだからやめて」

と非難するが、ちっとも気にしない。

嫁が眉をひそめる嘘くさい太極拳も、息子には受けが良く、息子はわたしの真似をして奇妙に身体をくねらして遊ぶ。

「へんな動きを教えないで。真似しちゃうでしょ!」

と嫁は怒るが、ちっとも気にしない。



今朝は、嫁も息子も見ていないから、ひとりきりで嘘くさい太極拳を数々こなし、なかなかに爽快な早朝であった。



メンテナンス、という意識はないのだけれど、自分の身体に意識が向くようになってきたのは、多少なりとも、「中年としての心構え」になってきた、ということだろうか。

玄米菜食がよい、糖質制限がよい、酵素摂取が大事など、巷は健康法ブームで喧しい。
自分の身体の状態は今どうなっているのか、よくよくしらべてみないことには、どこかのだれかのいうことに、そこまで頼ってよい保証はない。

自分の身体は、まったくもって、よく分からないことだらけ。

どんな食事で、どんな生活習慣で生きるときが、いちばん調子がよいのか、まだちっとも分からない。

「空腹」が気持ちよい、という感覚があって、それは20代のころから、変わらない。

多少空腹な時に、身体を動かす、ということがいちばん気持ち良い。

久しぶりに、牛の世話をしたいな、と思う朝であった。

春のあぜ道2

腰痛のベストアンサーという本にもマッケンジー法は・・・




腰痛が快方に向かったのは、まったくの簡単な運動による。
つまり、うつぶせになり、深く息を吐き、全身(おもに腰部分)を、しずむように地面につける。
この簡単なコトを、毎晩くりかえし、地道に続けていたら、まあ1週間でかなり楽になり、

「あれ?自分って、腰痛だったの?」

と思うくらいになった。

あまりにもあっけなさすぎるのが、マッケンジー法の、アピール力の弱いところなのだろう、と分析している。



さかのぼること、2週間ほど前のこと。

ひさしぶりにぎっくり腰に近いような具合にまでひどくなり、立って歩くのがつらいほどになった。
土曜日だというのに、陸上競技場の背もたれのない観客スタンドで、子どもたちのリレーを注視し応援していたせいだ。
不自然な姿勢で、長時間、疲れているのにも関わらず、座り続けていたのだから、この結果だ。

「あててて・・・」

妻が、

「だから言ったでしょ」

とでもいいたげな表情で、

「まったく。休みの日だっていうのに、学校の用事で出かけちゃうんだから。それで腰痛になったって、介護してあげないよ」

まったく冷たい妻の仕打ちだ。
最初、妻は、土曜日に学校の用事があることをまったく信じなかった。

「そんなことあるわけないでしょう。学校の教師が」

たしかに、以前くらしていた、組合の強かった県の学校では、休日出勤はなかった。
しかし、引っ越したら、事情がちがった。
休日でも、馬車馬のごとく、みんな働くのが当然なのである。
中学校ではない。小学校で、そうなのだ。

昨年末の学級の荒れ対応、また職員室の「お局」対応、友人の悩み相談などでめまぐるしく忙しかった年度末を終え、すぐに自分の用事では長距離の引越し、新居の準備、新学期、すべてのことを終えて、やっと6月。
その6月も終えて、いよいよ7月だ、というこの時期に、久しぶりに腰痛が悪化した。

「あー、疲れが出ちゃったかなあ」

と言ってくださったのは、事務の先生だ。

「先生は春からずっと忙しかったでしょう。ちょっと休みなさい、というサインよね」

その一言が、本当にうれしかった。


ただ、現実問題、学級をほっておいて休めるわけでもなく、緊急に一日休ませてもらったが、その後はふつうに出勤するしかない。
整形外科で手術を勧められても、そんなことは無視し、教室へ出向いて授業をしなければならない。

椎間板ヘルニアでも、学校を休むわけにはいかない。
それが、大人の抱える現実なのだ。


さて、ヘルニアの私が最後にすがったものは、マッケンジー法でありました。
職場の方に心配されて進められた整骨院、びわ灸という治療もやりました。
びわ灸はたしかに気持ち良く、身体が芯から温まった感じがしたし、その後はかなり気分良く、身体も軽くなったのに・・・

でも、そんなことよりもなによりも、痛みがまったくなくなって、痛みからの解放をもたらしてくれたのは、マッケンジー法でありました。


たまたま本屋で、「腰痛のベストアンサー」という新しい新刊を見た。
マッケンジー法が載っているかとみたが、載っていない。
書いているのは、大学病院の先生ばかりだ。
なぜ、大学ではマッケンジー法が認識されないのだろう????


わたし、これで、なおっちゃったのに。ナゼ???
まだ、知られていないのだろうか?
(すいぶん前のTARZANで特集されていたのに)

ちなみに職員室で腰痛の話をすると、みんな身を乗り出して話に参加してくれます。
教員というのは、腰痛とかなり縁のある職場なのでしょう。

そこで教員である諸先輩方にマッケンジー法を聞いてみたが、だれも知らなかった。
まだまだ、マイナーな治療法なのらしい。(これは、2010年7月時点での記事です)




腰痛騒ぎその後 マッケンジー法




職場の大先輩とお話。
「やっぱり引っ張ってもらうと楽になる」
「医者に、運動しろと言われて、走っている」
「走ってる!?だめでしょう!そんなことしたら」
「腰痛のレベルがちがうんじゃない?」

喧々諤々とは、おそらくこういうことをいうのだろう。
話している内容が、子どものことではなくて腰痛なのが残念。
しかし、腰痛で苦しむ人の多いこと!
職員室で、一番盛り上がるのが腰痛の話である。
これはむしろ、お互いにさし障りのない話をしながら、コミュニケーションの微妙な修正を行っているのではないかと、妙に勘ぐってみたくなる。
政治の話も野球の話も、微妙に人間関係に影響を与えるから、いちばん無難な話題が腰痛なのかもしれない。

で、当の私は整形外科で一日おきの牽引(けんいん)療法に取り組んでおりました。

おりました、というのは過去形で、なんでかというのを今から説明します。

実は12カ月点検で、愛車をディーラーまで持って行った時のこと。
1時間ほどいただきます、ということなので、ショールームでコーヒーをのみつつ待っていたのだが、そこで販売員が見積もりを持ってきて、

「1万7千円ほどです」

という。

私としては、財布の中にそれだけの金額が入っていたつもりだったが、実際不安になってみてみると果たして足りぬ。
そこで、近くのコンビニエンスストアまでぶらぶらと出かけ、ATMで金をおろしたとたん、目に入ったのが、とある雑誌であった。

今月号の、Tarzan(ターザン)である。
なんと、肩こりと腰痛の特集だ。
これは必須、と買って帰り、ショールームの椅子にこしかけて一心不乱に読み始めた。

すると、そこに、腰痛界の常識をくつがえす!と紹介があり、

マッケンジー法


が簡単に説明してあった。
(Tarzan編集部の方、うまく肝心なことをまとめてくれていました。ありがとうございました)



今、試しています。
マッケンジー法は、身体を反らす体操と、前屈する体操があるのですが、私の場合は反らすことで楽になりました。
力を入れて、というのでなく、ただうつぶせに寝ているだけで、何か腰の関節がゆるんできて、楽になってきた感じがしたので驚きました。

もう少し、続けてみます。


ただ、これを職場の女性の大先輩に言いましたところ、

「そんなのウソくさいなあ。あとでひどくなるんじゃない?」

とのこと。
ふだんから私が嘘ばかりついているような口ぶりですが、これがこの大先輩の気さくなところで、私をうまく扱ってくれているのが分かります。心をつかむのが、本当にうまい、のです。
尊敬する人が多い職場であります。




腰痛対策の究極策は




腰痛対策のために不眠不休で検索をつづけた。
田舎の母や父に電話していたので、お店に来るお客さんに聞いた情報、というのも飛び込んでくる。(ちなみに喫茶店を経営している)
ありがたい。息子の腰痛がかつてない広報力で広まっていることに、なんら引け目を感じないらしい。

「あんたの腰痛のことで、お客さんが本をもってきて・・・」
「温めた方がいいって人とね、冷やす方がいいとかいう人もおって・・・」

いろいろと情報を寄せてくれるのはありがたいが、肝心なのは、椅子、である。
今は目下、いすのことで脳がフル回転しているのだ。
しかし、喫茶店のお客さんと一日中、腰痛の話をしているのはちょっとかわいそうで、母に同情する。

「もういいよ。椅子のメーカーの社長さんとかがもし来たら、聞いておいて」

「わかった」

そんな社長さんが田舎の喫茶店に来るとは思わないが、そこを「わかった」と引き受けるあたりが、親心であろう。泣けてくる。

あとは、大都会に暮らす20代のころの知人で、中国で鍼灸を習得したという漢方のプロ。
彼に、料金を払うから自宅に来てくれ、と頼んでおいた。
「OK。フルセット、持って行ってやるよ。すべての漢方を処方してやる」
これまたありがたい話。
しかし、私が知り合った若いころは大ぼら吹きの変人だったから、先のセリフもこちらの窮状を半分おもしろがっているとしか思えない。
でもまあ、ありがたいことだ。感謝。

さて、両親や家族までを巻き込んだ腰痛騒動が、その後どんなふうに進展したか。
実は、あっけないほどまでに、今、ナイスな感覚でこのPCに向かっている。
答えは、検索で見つけた、

「腰痛 バランス」

のキーワードで導き出された。

私としては、バランスチェア、というのを調べていたのだが、そこになんと、

「腰痛 バランスボール」

というページがヒットしていたのだ。
偶然クリックすると、そこに

「腰痛で椅子をさがしあぐね、たまたま家にころがっていたバランスボールにすわって事務仕事をしたところ、これが具合がよく、すっかり腰痛が良くなってしまった。」

という方の文章を発見したのだ。

ねだんを見ると、1800円。
2000円以内、である。
近所の30分マッサージと同じくらいの価格でもって、椅子が購入できるのなら、と心がときめいた。

だってつい先ほどまで、この腰痛のためなら、5万や8万、10万を超える価格の椅子を購入しなきゃならんのか、と眉をしかめて悩んでいたのだもの・・・。

これに、決定!



そして、休日をいいことにさっそく実行し、ホームセンターでたたき売られていたバランスボール、アルインコの65センチ、を購入してきました。


今、そのボールにすわってこれを撃ち込んでおります。
こうしてキーボードをたたきながら、ゆらゆら、ゆれるともなく揺れている感覚。
おしりは決して、いたくありません。(やわらかいボール)
しかし、弾力があるので、沈み込んで姿勢が悪くなることもありません。
太ももの裏も痛くない。
貧乏ゆすりをしているようで、ストレッチをしているような・・・

一番のきわめつけは、背もたれがないこと。
長時間は無理かもしれません。
でも、腰はまったく痛くないです。
つまり、<不断:ストレッチ状態>だからだろう、と思います。

事務机の中にも、ボールがすっぽり入ります。





問題点は、長男5歳が、目をまるくして、

「パパ、勉強してないよ。ボールで遊んでるよ!」

と妻に報告したこと、くらいでしょうか。
職員室の椅子もみんなボールにしたら、退勤時間も早くなって、よろしいのではないでしょうか。




腰痛に具合のよろしい椅子を探す




教師の仕事をする前は、システムエンジニアだった。
深夜までPCに向かう毎日。
頭がふらふらになって、帰宅する。
ふとんにつっぷすように寝るだけの毎日。
腰痛がおそってきたのは、そんな不摂生と、姿勢の悪さ、長時間にわたり椅子に腰をかけて立ち上がらない、という生活スタイルに原因があった。

教師になり、毎日立ち歩くようになる。
これは、腰痛によろしい。
同じ姿勢にならない。
それで、これまでほとんど、腰痛とは無縁できた。
教師になってよかった~!だって、腰痛からも解放されたし・・・

と、思っていた。



ところが!!!

つい先月くらいから、寝ている最中に痛みを覚えるようになってきてしまった。
寒さかな、と気にしていなかったが、職場でも痛むので、さすがに整形外科に行った。
腰椎のクッションが、どうやら痛んでいるよう。

きた!!

やばい。
腰痛が、復活してきたのか・・・
あの痛みを思い返すと、なんだか目の前が暗くなる思いでありました。

そこで、どうやって治すかいろいろと探っているところなのだが、とりいそぎ、現在まで使用していた立派な事務椅子を処分した。
これは、広い座面であぐらもかけた。このあぐらが、いけない。
そして、座面のスポンジ。このやわらかさもいけない。
見ていると、こいつのせいだ!と思いたくなるような椅子だった。
椅子をみているうちに、こいつのせいだけでもない、とは分かっていたものの、気分で処分してしまいました。

そして、ネットで調べたり、知人に聞いたりしてみるものの、悩みは増すばかり。

○10万円以上の立派な椅子で、さまざまな調節ができるもの
○バランスチェアとよばれるアイデア椅子
○アーユルチェアとよばれる、坐骨ですわる椅子
○ハラチェアとよばれる、座面の割れているアーユルに似た高級椅子

といったあたりを、ぶらぶらと見たが、さらに悩みが増す。
つまりは、座ってみなけりゃわからない。

しかし、そんな座ってしらべる暇はなし。
春には引越しだし、土日はすでに多くの事柄で埋まっています。

すると、アーユルチェアだけは無料で試すことができる、と分かった。
郵送で、タダで送ってもらえるらしい。
まよわずボタンをポチっと押して、頼むと、きたきた、届きました。
でかい箱の中に、椅子が。
わりと簡単に届いたな。

すわってみると、おお、いい感じがする!
これだと、意識して、背筋を伸ばして座りたくなる!
こうやってブログを書くのも、悪くない!

と思っていたが、座面が堅すぎるので、すぐに尻が痛くなって、ギブアップ。
また、気がついたらそのまま、例のごとく、いつものような悪い姿勢にもどっていました。
つまり、意識と気合がつづかなければ、アーユルでもだめ、ということ。

これでだめなら、その他でもだめだろう、という思いと、何かまだあるはずだ、というかすかな意地で、泣く泣く返却しました。
(そのまま購入だと何パーセントか割引だったのだけど・・・)

椅子さがしの記事。
教育とは一見無関係ですが、ちょっと続きます。
なぜかというと、わたしの学校には、腰痛の先生が10人いるから!!
(整形外科に通っているのが、6人います!みんなで腰痛の話で盛り上がれる職場!!!)




職員室ロッカールームをみれば教員の実態がわかる




男性の教員が使うロッカールーム。
わが校のロッカールーム(職員更衣室)は、とても狭い。
その狭い男性のロッカールームの、そうじ当番が回ってきた。

ひとりでごみを掃いていて、気がついたことがある。

それは、ごみ箱の中身だ。



ごみ箱に、湿布のよれよれになったもの、つまり、肌につけていたシップをはがしたものが、たくさん入っていた。

それをみて、思い浮かんだ。
1年担任の、S先生。

腰痛もちだ。
もう、かなりお歳も召していらっしゃる。
おそらく、ここでジャージから普段着などに着替えたりされる際、ぺりぺり、とはがして、ゴミ箱に捨てられるのだろう。
私が初任の年に、いろいろと親切に教えていただいていた先生だ。
腰痛で顔をしかめながら、廊下を歩いていらした姿を思い浮かべると、なんともいえない気持ちになる。

さらに、40代後半。
おそらくこの学校で、もっとも脂ののった・・・、と思われるT先生。

T先生も、ふくらはぎ痛をうったえておられた。

先日、朝会の準備で、朝礼台を数メートルほど移動させたとき、地面にうずくまっていらした姿が思い浮かぶ。
やはり、幅の広い、ひんやりシップを毎日使用されている。


次に、若手なのに、椎間板ヘルニアの経歴があるD先生。
楽になったといっては、週末に好きなテニスをしてしまう。
案の定無理がたたり、腰痛に耐えている日々だ。

若手だから、始業式や1年生を迎える会で、さかんに荷物を運んで頑張っていらしたが、ここにいたって無理が表面化し、先日、ついに整形外科に行かれた由。
おそらく、そこでもらってきた、シップだろう。
肌色のシップをここのところ、毎日活用されている、とみえる。


つまり、教員は、腰痛やあちらこちらの身体の故障と闘う運命にあるということだ。

発達障害の子にかぎらず、人なつっこい低学年の子だって、思いきり身体にとびのってこられたら、ぐっとふんばらなければならない。そのときに、腰に痛烈な痛みが走るのだ。

S先生は、1年生担任。
自分は、子どものスキンシップをだれよりも喜び、大切に思う、と言いながら、実は腰がひけている、と自嘲気味におっしゃられていた。

「子どもを避けるような身体になっちゃ、おしめえよ」

しかし、その細かな指導の技術は本物だ。
もっといろいろと教えていただきたい先生である。


教員のための腰痛対策本、が出版されたら、明治図書のランキングで、かなりいいレベルにいくのではないだろうか。

たとえば、こんな特集は・・・。

・職員室での腰痛対策!あなたの椅子は、本当に合っていますか?
・学年末から始業式、ゴールデンウイークまでの繁忙期を、この腰痛対策で乗り切る!
・子どもにばれない、腰痛コルセットの選び方。
・子どもがとびかかってきたときに、ひらりと身をかわすための柔軟体操1,2,3
・かがむことのない荷物の位置を定めた、腰痛教師にやさしい教室備品配置。
・腰痛先生のための赤鉛筆指導。こうすればかがまなくて済む!
・机間巡視のとちゅうに子どもの消しゴムが落ちた!ひろうか、ひろうまいか。場面別、腰痛もち教師のただしいふるまい方。
・腰痛教師がなごむ店。このマッサージがすごい。


Eduブログの本家、明治図書の出版にかかわる方、いかがでしょうか。
ちなみに私も腰痛保持者であり、腰椎4番と5番の間がつぶれています。
疲労がたまると、しびれも出ます。
それでも、こどもの前に立つと、痛みがなくなります。(意識がなくなる)
教員になって、よかったと思っています。




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