新緑の爽やかな風に吹かれながら、私は今、猛烈に自分を恥じています。庭の玉ねぎが「あんた、何やってんの?」と呆れ顔でこちらを見ているような気さえします。
事の始まりは、天下のトヨタ様が誇るハイテクの結晶、「アクア」に試乗したことでした。
私はこれまでずっとガソリン車を運転しておりました。何故かってまだハイブリッド車がこの世の中に出る前からガソリン車をずっと乗って、つまり車を1度も買い換えたことがなかったからなんです。今の車に相当長く乗りましたからね。
ハイブリッド車を買うぞと決めてから、心のワクワクが止まりませんでした。
いやあ、素晴らしい。もう、控えめに言っても「神」の乗り物です。ドアを開けた瞬間の気品、走り出した瞬間の静寂。かつて私がWindows 95を40枚近いフロッピーディスクで、祈るような気持ちで(というか、半分悟りを開きながら)インストールしていたあの狂乱の時代からすれば、これはもう、宇宙船ですよ。
私は元々、最先端のコンピューターシステムをガシガシ動かしていた元エンジニアです。JAXAの片隅でシステムと格闘し、デジタルと合理性をこよなく愛する、「ハイテク万歳!」な人間のはずなんです。インドア派で、趣味はと言えば画面の中。道具と体の一体感? 職人のこだわり? そんなものは、江戸時代の職人さんにでも任せておけばいいと思っていました。
ですから、最新のハイブリッド制御なんて、私にとっては「大好物のフルコース」みたいなもの。本来なら、アクア様の滑らかな制御を体感して「フッ、実に見事な演算処理だ……」と、眼鏡の奥の目を光らせてクールに微笑むはずだったのです。
ところが、現実は無情でした。
アクセルを、ほんの、ほんのわずかに踏み込んだその時です。
車はスッと加速します。最新の第5世代ハイブリッドシステムですから、加速そのものは極めてスムーズ。文句の付け所がありません。しかし、その加速の「0.2秒後」、あるいは「0.5秒後」くらいでしょうか。
私の耳に、エンジン様が「……あ、いま僕も回った方がいいっすか? よいしょ」とばかりに、ほんの一呼吸遅れて鳴り響いたのです。
「この感覚、ガソリン車と違うな・・・」
私の脳内で、何かが音を立てて崩壊しました。
エンジニアとしての理性が、「いや、これは最適なエネルギー効率を計算した結果であって、極めて合理的なタイムラグなんだよ」と必死になだめるのですが、私の深層心理がそれを断固拒否します。
「違う。 今じゃない。アクセルを踏んだらその後に音が鳴るのと加速するのが同時に来なきゃ」
……お笑い草です。たった0.2秒ですよ?
普通のまともな人間なら、「お、エンジンかかったな」で終わる話です。実際、最新のアクア様は、かつてのハイブリッド車に比べれば、そのラグなんてほぼ皆無と言っていいほど解消されています。もはや魔法の領域です。
それなのに、私の脳みそは、その「魔法」をバグだと認識してしまったのです。
「加速してからエンジンが鳴り出すのはおかしな感じ・・・」
家族からは、情け容赦ない言葉が飛んできました。
「あのさ、Windows 95をフロッピーで入れた根性があるなら、0.2秒くらい待てないわけ? 加速と音のタイミングがズレてるからハイブリッドをやめるなんて、この地球上でアンタ一人だけよ。宇宙人なの?」
まったくもって、おっしゃる通り。ぐうの音も出ません。
かつてJAXAの末端で宇宙開発の一翼を担った(つもりでいた)男が、最新の国産コンパクトカーの、神業のような0.2秒の制御に躓いて、ひっくり返っている。
「お前は本当にエンジニアだったのか? 実は、江戸時代の鍛冶屋の生まれ変わりなんじゃないのか?」と、自分自身に問い詰めたくなります。
しかし、一度気になりだすと、もう止まりません。
私は、この「0.2秒の絶望」を抱えたまま、世の中の車たちを眺めていて、ある「邪推」に辿り着いてしまいました。
最近、街を走る車たちの色が、やたらと「アースカラー」だと思いませんか?
あの、ちょっとくすんだベージュとか、グレーとか。
あれ、もしかしたら私のような「隠れハイテク拒絶症」の人たちが、無意識のうちに叫んでいる「断末魔の叫び」なんじゃないでしょうか。
中身が高度なコンピューターになりすぎて、もはや自分たちが何に乗っているのか分からなくなった人類が、「せめて外見だけでも土の色に!」「せめて見た目だけでも泥臭い道具に!」と、必死に自然界の記号をかき集めている……。
「なんちゃってSUV」で車高を上げているのも、「俺はパソコンに乗っているんじゃない! ギアを操っているんだ!」と自分を洗脳するため・・・。(ごめんなさい)
本当はスーパーの駐車場に止めるだけなのに、いかにも「今から秘境の川を渡ります」みたいな顔をして走っているのは、失われゆく「物理的な手応え」を必死に守ろうとする、現代人の健気な抵抗なのでは。
……なんて、そんな分析を披露したところで、家族からは「いいから早く玉ねぎに水やってきなさいよ」と一蹴されるのがオチなのですが。
結局、認めざるを得ません。
私は、最新鋭のハイテクを誰よりも愛しているはずだったのに、その実、たった0.5秒の「コンピューター様の忖度(そんたく)」すら許容できない、ひどく面倒くさいアナログ人間だったのです。
システムエンジニアとして、最新のアルゴリズムに敬意を表すべきなのに、私の足裏と耳は「踏んだら即、鳴れ! 爆発しろ!そして加速だ、順番を守れ!」と、原始人丸出しの要求を叫んでいる。
ああ、恥ずかしい。
Windows 95のフロップディスクでのインストールに何時間も耐えたあの忍耐力は、一体どこへ行ってしまったのでしょうか。あの頃の私は、フロッピーディスクを入れ替える「数秒のラグ」にはあんなに寛大だったのに、最新ハイブリッドの「0.2秒のラグ」には、腹を立てて試乗車を飛び降りようとしている。
これはもう、老化なのか。
あるいは、長くなった田舎暮らしが、私を「エンジニア」から「ただの偏屈な親父」へと作り替えてしまったのか。
最新のアクア様、本当にごめんなさい。あなたは何も悪くない。
悪いのは、0.2秒を「永遠」だと感じてしまう、私のバグだらけの脳みそなんです。
ハイテクの頂点に座るべき私が、結局、ガソリンを爆発させて「ブォーン!」と即座に鳴って加速する、あまり賢くない車を探している。
「最新技術? 知らん! 俺は音がズレない方がいいんだ!」と、ヨレヨレのTシャツで叫んでいる姿は、まさに時代に取り残された悲しき化石。
さて、明日も庭の玉ねぎに水をやります。
彼らには0.2秒のラグなんてありません。水をやれば、濡れる。引っ張れば、抜ける。
そんな、コンピューター様が入り込む余地のない、残酷なほどダイレクトな世界。
元システムエンジニアの私が、今、一番ホッとするのは、そんな「アナログの極致」にいる時だったりします。
皆さんはどうぞ、素晴らしいハイブリッドの未来へ行ってらっしゃいませ。
私は一人、ガソリン車の排気音を聴きながら、江戸時代の職人さんのような顔をして、堤防の道をトボトボと走ることにします。
あ、でもボディーカラーだけは、流行りのアースカラーにしておくことにします。






















