初任者指導の先生に指導されたとかで、
朝、机の上に、湯呑みがおかれて、お茶がいれてあった。
「だれがいれてくれたのかな」
とつぶやくと、隣の先生が、
「なんだか、初任の先生がいれてくれたみたいよ。おどろきよね」
こんなこと、これまでにない動きだったから、へぇーっと思う。
初任者だからお茶?
「教室で子どもと話してた方がいいんじゃないの」
「うん。みんなそう思ってるんだけど・・・S先生が指示してるから、みたいよ」
初任者指導のS先生。
気をきかせて淹れてくれたのは嬉しいけど、朝は忙しいから、気をもむ。
やりたいことを我慢してないかな。
プリント刷ったり、子どもから提出物を集めたり、なんだかんだといろいろ。
気になることがたくさんあるだろうに、お茶くみなんてしなくても・・・
考えてみると、学校というのは、「〇〇するべき」というので動く文化。
だから、こういうことがたくさん多発する。
〇〇するべき、というのではけっして動かない文化であれば、こんなこと起きない。
いやいややる人もいないし、迷惑をだれも感じることがなくて済む。
こっちも気兼ねしなくて済むし、よけいな心配もしなくて済むし、「今日の授業だいじょうぶなんかな。こんなお茶くみなんてしてる余裕あるのかしらん」なんて、気を回さなくても済む。
なんだろうね。〇〇するべき、という文化。
考えてみれば、社会全体が、そういう病魔に冒されている、といってもいい。
ブラック企業の問題しかり・・・。
子どもはそんな「〇〇するべき」では動いていないから、もともとは人間にはないのだろう。
どこで身に着けたんかなあ・・・。やっぱ学校か!