30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

初任者あれこれ

初任者のお茶くみ!

.
初任者指導の先生に指導されたとかで、
朝、机の上に、湯呑みがおかれて、お茶がいれてあった。

「だれがいれてくれたのかな」
とつぶやくと、隣の先生が、
「なんだか、初任の先生がいれてくれたみたいよ。おどろきよね」

こんなこと、これまでにない動きだったから、へぇーっと思う。

初任者だからお茶?


「教室で子どもと話してた方がいいんじゃないの」

「うん。みんなそう思ってるんだけど・・・S先生が指示してるから、みたいよ」


初任者指導のS先生。
気をきかせて淹れてくれたのは嬉しいけど、朝は忙しいから、気をもむ。

やりたいことを我慢してないかな。
プリント刷ったり、子どもから提出物を集めたり、なんだかんだといろいろ。
気になることがたくさんあるだろうに、お茶くみなんてしなくても・・・

考えてみると、学校というのは、「〇〇するべき」というので動く文化。
だから、こういうことがたくさん多発する。

〇〇するべき、というのではけっして動かない文化であれば、こんなこと起きない。
いやいややる人もいないし、迷惑をだれも感じることがなくて済む。

こっちも気兼ねしなくて済むし、よけいな心配もしなくて済むし、「今日の授業だいじょうぶなんかな。こんなお茶くみなんてしてる余裕あるのかしらん」なんて、気を回さなくても済む。


なんだろうね。〇〇するべき、という文化。
考えてみれば、社会全体が、そういう病魔に冒されている、といってもいい。
ブラック企業の問題しかり・・・。

子どもはそんな「〇〇するべき」では動いていないから、もともとは人間にはないのだろう。
どこで身に着けたんかなあ・・・。やっぱ学校か!

縄文時代18


やはり決定的に楽しかったのは、授業!

.
一日一日が、ようやく終わって。

「なにはともあれ、今日が終わった。今日がおわれば、それでよし」

と、廊下を歩く。



若い、S先生が、話しかけてきた。



S先生、初任者一年目、よく頑張っていましたね!!!

ベテラン教師もみな、国語の研究授業には、全員、襟を正す感じがあった。

あの「ごんぎつね」の追究、本当にすばらしかった。

子どもたちが、意見をとめることなく、みんななにかを伝えようとしていた。

ありがとう!そして、来年も、がんばって!!

うまくいかない、と悩んだ時期もあったみたいだけど、イイ関係でも事件は起こるもの。

ほら、恋人どうしでも、何十年という夫婦どうしでも、もめるときだって、あるでしょ?

いいことばかり、という学級もあるかもしれないけど、それは表面しか見えていないだけ、ということだってある。

S先生は、正直に、きちんと学級を見ているんだろう、と思う。

だから、なんだかいろいろ思うんだよね。

でも、そんなS先生なら、ぜったい大丈夫!!

来年も、バッチリ、応援するよーー!!

ろうか

やはり御時世というわけか、初任者研修で「クレーマーに対するお茶の出し方」講義が行われている現状。


わが勤務校に、唯一、初任者の青年教師、Fさんがいる。

Fさんは、初任者研修に勇んで参加している。

最近、何度か開催されている研修の様子を少し聞かせていただいた。

「まず、保護者でクレームをおっしゃる方に、冷たいお茶を出すことを習いました」


これで、まず目がテンに。

たかだか5年前でしかない、わたしの初任者研修時代よりも、もっともっと時代が新しくなってきてる。
ちょっと、新しくなり過ぎ、という感も。

「へー。別にいいけど、ちょっと斬新過ぎない?」

わたしと同年代の女性先生が、コピー室でプリントを印刷しながら、会話に加わってくる。

「御時世というか・・・。いまどき・・・だよねえ」


まず、初任者研修で、「クレーマー」となる「保護者」という想定そのものが語られたことが、ちょっと、ドキっとする事柄である。
あからさまに語られている点。さらに、その明るさでもって、スーッと研修してしまっている点。淡々としすぎなんじゃないの、という、なんだか落ち着かない違和感があるなあ・・・。

で、どんな内容だったかというと・・・。


「えー、なんでも、百貨店でのお客様対応の基本技術なんだそうですけど」

Fさんは、研修で習ってきたばかりの知識を、ちょっとばかり恥ずかしそうに語り始めた。
水色のシャツに、細く真白い襟が見える、おしゃれな好青年だ。

「夏でも冬でも、どちらもつめたいお茶を出すのが普通なんだそうです」

「へー、なんで?」

「あ、わかった。クールダウンさせるためでしょう?」

「そのようです」


たしかに、ホットな珈琲なんて出してしまって、相手の目と気分が冴えきってしまっては、話が落ち着くどころでないだろう。
百貨店のお客様対応技術としての鉄則だ、というフレコミに、この話、妙にうなずける気がする。

「それから、お母様一人の場合でも、できるだけ一対一にならないこと。相手の数より、一人分、多く同席するのがコツだそうです。ですから、わたしだったらT先生といっしょに・・・」

つまり、同学年の先生を一人だけでもいいから多く、おそらくは主任の先生がいいだろうが、同席させて、2対1で対応せよ、ということらしい。

「お父さんも来られて、相手が二人だったら?」

「その場合は、こちらに管理職を一人増やして、3対2にすると。数的優位が大事なんですって」

なるほどねえ。

ちなみに、ネクタイ正装で対応するのがよいらしい。
また、相手が「地位にこだわりを持つタイプ」である場合、こちらから管理職の教頭や校長が出ていくだけで、ごねる時間が減るらしい。


・・・というような、なんだか本当か嘘か分からないような話が、初任者研修であった、というのだ。

「なんでも、この話を以前、10年研修でやったら受けたので、昨年は5年研修でやったんですって。そしたらまた反響があって、今年は初任者研でも、ということになったらしいです」


いいけど、なんだか、こういう知識って、本来は必要のない知識だと思うんだけどナぁ。


保護者と教師は、タッグを組むべき仲間でしょう。

まあ、いいや。


しかし、初任者研修の資料の中に、

 ○教師受難の時代を強く生きる

 ○うつになる前にSOSを!


というプレゼンの印刷資料があるのを見て、なんだか力がぬけてきました。


でも、私は、ずいぶん保護者にめぐまれている。

どの保護者に対しても、「おもてなしの心」でもって接すれば、ぜったいにみんないい人ばかり、と思えると思う。

保護者のみなさま、そうですよね・・?




6人辞めました




今年の初任者の中で、6人が夏休み中に辞職されたそうです。
同じ市内の話で、2学期早々に聞きました。

200人くらいいた採用者のうち、6人、ということですから、3%。

いろんな家庭の事情などもあるのでしょう。
ですが、やはり、一度は教師をめざした人。
惜しい、という思いがします。

中には、初任者研修の担当者とどうにも折り合いが悪く、指導されるたびに心にひっかかりを覚えてぬぐえず、どうにも我慢ができずに辞めた、という人がいます。

どっちのせいだ、ということは、いえない。

しかし、それは、教育界全体の、「不幸」であります。

では、教官が指導をしなければ、その人は辞めずにすんだのか。
だれにも、分かりません。

よかれ、と思ってやっていることだけは、まちがいがありません。

教育界全体にとって、一番は子どもにとって、「よかれ」と判断されて、初任者研修はあるのだろうと思います。

国がそうした制度をつくり、きちんと初任者を指導するべきだ、という意見が多いのでしょう。

でも、初任者を経験した私が予想するに、おそらく、この制度は早晩見直しされて、いつしか無くなっていくのだろうと思います。




殴られた怪我は公務災害になる?




初任研仲間の一人が心配だ。

児童に殴られて、腕と肩の骨を痛めてしまった。
休日に病院へ行くと、骨がずれている、とのこと。
痛みがあり、黒板にチョークで書くことができない。
必要な高さまで、腕をあげると、強い痛みがあるので、できない、という。

公務災害になるのではないか、という他の先生からの声かけがあった。

初任である。
なにもわからない。

「コームサイガイって、なんだろう」
と思いながら、校長室に行って、コームサイガイになるのでしょうか?
と聞くと、

「馬鹿なことを言うな。生徒の身を守ることが教師の務めだ」
と怒鳴られた。

よく意味がわからないが、叱られたのが納得いかない気持ちで校長室を出てきたそうだ。



そのくだりを聞いて、その暴力をふるった児童に対して、暴力は犯罪なのだということをしっかりとわかってもらった方がいいのではないかと考えた。
先生はいくら殴ってもよい、という認識で、本当によいのだろうか。
異常なことをやってしまったのだ、ということを、指導しなくてよいのか?

他の学校の初任者仲間であるので、私としては「聞いた話」になってしまう。
それでも、上記のことを同じ学校の先輩に話すと、

そりゃ、大問題だろ!!!



とのこと。

新潟県のある町では、同じような事件があり、被害を受けた教師の「公務災害にしたい」という希望を校長が取り下げさせて、うやむやにしようとした事件があったそうだ。
しかし、それは通例、学校が町の教育委員会へ報告するのが義務であるらしい。
また、町の教育委員会はそれを県の教育委員会へ報告するようになるらしい。

このあたり、「・・・らしい」ばかりですみません。
法律ではどうなっているのでしょう。

ともかくも、わたしの友人の初任者は、

「もう暴力振るわれるのは嫌だし、病院も行かなきゃだから、できるだけ年休で休みます」

とのことであった。


なんとも、やりきれない話です。
公務災害であれば、なんらか、彼女に対しても、フォローやサポートがあるのではないかと思います。市教委も大きいのですから、人事などにも手を加えて、なんとか、支援ができるのではないかと思うのですが。

公務災害でなければ、ただの怪我ですから、個人の負担で、個人の年休を使って、病院通いをするだけです。また、記録にも残りませんから、同じ職場に何らかの支援がはじまるわけでもなし、人事のサポートもなし、来年度4月からの人事や配置に配慮されることもないのでしょう。

なにか、ヘンですね。
人間の知恵があれば、もっとなにか、みんながよくなるようにできるはずだと思うのですが。

それよりもなによりも、その暴力児童に、厳しい指導が必要なのに、その機会を逸してしまうように思います。
これまでも何度もしかり続けてきた猛者なので、教頭が別室に呼んで、二度としないように厳重注意をしたそうですが、それくらいでは・・・。

上記の話のあと、

「別室に呼んで個人的に厳重注意した、というけど、そんなことなら、100回やってきたの。暴力振るうな、というのも、100回を超えるくらい、言い続けたのに、こんなことになったのだから、やっぱりそれ以上の指導をしなくちゃいけないと思う」

彼女の弁である。

やはり、公務災害にした方が・・・

どうなんでしょう。




初任研レポート提出の実際




初任研も、大詰め、である。
先日は、1年をふりかえっての、レポート提出が命ぜられた。
きちんと、フォーマットも決まっている。

そんなの、つい先日の2学期末に出した、校内の経営反省と同じでいいな、と思ったら、

もっとも厳しい、チェックが入った!


字句はもちろん、今年度の学級の様子の克明なレポートに加え、それに対する反省と、考えられる手立て。

でも・・・。
手立てがわからないからこそ、迷っていたのだ。
だから、結果として反省すべき事項となったのだ。・・・と思うが、
そんなの関係なく、

<今、考えられる改善策>

を書くように、指示されてる。


練り直して練り直して、ほとんど、3学期の授業準備ができない。
指導教官に声をかけるが、ほとんど立ち話。
教官は、他の用事を山ほど抱えているので、何かの仕事の最中に声をかけることしかできない。
立ち話でも、一緒に考えてくれるが、やはり代わってくれるわけでもなし。


時間がとられること、甚だしい。
どうして、今、これをやるようになっているのか?

いつものように、初任者仲間に、半分愚痴メールを送ると、夕方になって仲間から電話がきた。

こちらと同じく、暗い声で話してくれると思ったら、存外、ほがらかである。

「これ(レポート)を書くからって言ったら、来週の授業の準備を手伝ってくれるッて」

声がはずんでいた。


おそらく、その学校の指導教官はとても親切なのであろう。
また、その初任者が常日頃から礼儀正しく、みんなに愛されているのだろう。

ひるがえって、私の指導教官は、大変に忙しい。(いつも深夜帰宅である)
その、私以上に忙しく過労死寸前の指導教官に、授業準備を手伝ってくれ、とは口が裂けても言えない。それも、このレポートのせいで忙しいんです、とは・・・。

レポート、本当なら冬休みにやるんだった。
クリスマスイブに提出せよ、と言われたが、締切が2月1日だったから、

へへん、まだあるな!

と思ってしまったのだ。


俺の馬鹿!




<日の出>インスピレーション




2日の朝、日の出を見た。
今年は2人目の子が生まれる予定なので、ぜひとも日の出を見て、心をととのえたかった。

朝、6時起床。
それでも十分に間に合うように、海岸近くに泊まった。
宿の主には、日の出を見に行くことを伝えてある。
前の晩、親切に、日の出時刻を教えてくれた。7時より前、6時55分くらい、とのこと。
宿の女将さんが、

「日の出の前にも、かなり明るくなっていますから、多少早めに出られた方が」

と忠告をくださる。
いろんなことがありがたく感じられる。

嫁は前日まで迷っていたが、妊婦であることや、4歳の子が気になるようで、
「朝、寝てたら、そのままホっておいて。あなただけでもどうぞ」
とのことである。
子どもにも、太陽が出てくるところを見せたい気持ちが強かったが、ハナをぐずぐずいわせていたことが気になるので、お楽しみは来年に。


午前6時すぎ、外に出ると、もうすでに、うっすらと明るくなり始めている。
おまけに海岸近くで風が強い。宿の玄関を出るとすぐに、首をすくめた。

「さみいー」
ひとりごとが出る。
ジーパンの上から、ウインドブレーカ(下)を穿いていて正解だ。
かなり、身にこたえる。

冬の朝。霜がおりて、庭の芝生の土が無彩色に見えた。
足元を見る。「しもばしら」がある。

田んぼの向こうに目をうつすと、地平線に、オレンジ色のうすい帯ができはじめていた。
しまった、と思いながらエンジンON。
インパネの表示、温度警告が青く光っていたが、無視して走る。暖気運転などしている間はない、と思ったのだ。


10分ほどで、海岸の駐車場へ。
もう初日の出ではない、というのに、けっこう車がとまっている。
2日の朝なら、もうほとんど人はいないだろう、と思ったのになあ。

地元の人が多いのだろうと思うが、駐車場のスペース3台分に1台の割合いで、車を停めている。


ゆっくり走って、端の方に駐車した。
そのままCDでモーツァルトを聴きながら、車中で待つ。
缶コーヒーは必需品だ。

目の前に、浜がひろがっていた。
歩いている人はほとんどいない。
みんな、車中でじっと待っているのか。
砂浜の向こうに、海が見える。

太平洋!

波がしらの白い部分が見えるが、音は聞こえない。
水平線には、かすかに雲がかかっている。惜しいなあ。


しばらくして、かなり明るくなり、その後、チラッとオレンジ色に光った、と思うや否や、一筋の光が水の表面をサーッと走り、自分の目の前まで、道ができた。
感動しました。
しだいに色が濃くなり、水面の動きに合わせて、太陽と同じくらい明るい光が水面にも照り返して、まるで太陽がいくつもあるよう。
きれいに雲も消えた。
浜には、同じように車を降りた人が何人も立っているが、みんな黙って、水平線を見ている。

日の出を見るたびに思うのは、こうして、太陽を見る、という行為は、おそらく太古の昔から、人類がずっと続けてきた、ということ。
どんな思いで見たのかな、と思う。

今年、どんな年になるのか。
あるいは、するのか。

初任という年が、もうすぐ終わる。
今年は、必死に走ってきた。
とにかく、周りに合わせ、やってくる仕事を片端から片付けた。
そして、やったらよい、と思われることに、チャレンジもしてきた。
こなしてきた、という感もある。

こなす、というニュアンスで、今年はすごしたくない。
今年は、1年の見通しを持って、すごしたい。
そして、事柄よりも、中身がどうだったのか、自分の側のテーマ、取り組みどころを、さらに焦点化させていきたい。

学級すべての子どもに、成功体験を積ませる。
それがやれる教師になる。
BLOGには、これまでよりもっと、授業内容を書き込めるようにする。

プロとして、純粋に。
一筋の道を。

思いが、湧き起こってくる。
子とともに。繁栄せん、と。

風がやんだようだった静かな浜。

子どもにつける名前をあれこれと考えた挙句、帰途につく。
ようやくふりかえると、そのうしろの町全体が、朝の明るさに包まれ始めていた。




小学校1年生が酒臭い! 昇降口(児童の玄関)での悲劇




これまた、初任者研修での よもやま噺(ばなし)。

ある初任者仲間の言うのには、その学校は、環境教育の一環として、
「リサイクル」
を行っているらしい。

「まだやってるんだ」
「行政がやってる仕組みを教えた方がいいんじゃない」

いろいろと意見が飛び交う中、話には、意外なつづき があった。


「ところが、リサイクルの日になると・・・」


朝、環境委員会が、玄関のところで、リサイクルを呼びかける。
1年生が黄色い帽子をかぶって、元気に登校する。

「おはようございます!」

委員会の仕事は高学年だ。
おにいちゃん、おねえちゃんたちに向かって、元気にあいさつをしてくれる。
ほほえましい。
異年齢交流、などという好ましい単語が、頭をよぎる。

ところが、おかしいな、と思うのだ。

クンクン・・・

なにか、へんなにおいしない・・・

高学年は、またか、と思う。
つまり、1年生が、酒臭いのだ。
アルコール臭を、ぷんぷんさせて、ビールのアルミ缶の入った袋を手に提げてくる。
くさいので、その袋を、腕で前に突き出すようにして、持ってくる。

はーい、ありがとう。


受け取ったアルミ缶は、カンをつぶす、専用の機械で、高学年がつぶしはじめる。
足でペダルを踏むと、アルミ缶がかんたんにつぶれる、便利な道具だ。
導入は、アルミ缶のリサイクル運動が叫ばれた、10年以上前だという。
COP3の頃だろうか。
あるいは、リオの地球サミットのころか?

高学年がいよいよアルミ缶をつぶす。
アルミ缶といっても、要するに、ビール缶、である。

いきおいよく、ペダルを踏む。

ぷしゅー!!!

これまた、いきよいよく、ビールの泡が、四方に飛び散る。
一気に、学校の昇降口、つまり玄関付近はアルコール臭くなる。

1年生は、それをみて、眉間にしわをよせ、

「くさい!」

と言いながら、小走りで教室へ逃げていく。
高学年は、良心の痛みを感じながら、あいまいな微笑で、それを見送るのだ。
「ごめんね」

「だから、ビールの泡をとばすなって、言ったろ!」

高学年はお互いに口喧嘩を始めてしまう。

1年生の先生が、心配で見に来る。

「ほら、○○ちゃん、早く行こうね、ソラソラ・・・」

1年生の背中を押しながら、すばやく教室へ連れて行く。



次の1年生も、ビール缶。
アサヒだ。

次の2年生は、キリン。

ビール缶が多い。


ビール缶だけを禁止したら?
酒類は全面禁止だよね。

「いや、それだとまったく集まらなくて、つぶす機械がもったいないってんで、ビールも、やはりアリ・・・、なんだよ」

と、勤務校の先輩が教えてくれる。

しかし、つぶす機械を運転することが必要だからって・・・。
なんとしてでも、酒であってもビール缶であっても、是が非でも集めねばならないとは、いったいなんという仕組みであろう。


「PTAからもさ、缶を学校が集めてくれるから、便利で助かるって・・・」


朝、母親が、
「○○ちゃん、これ!今日、リサイクルでしょ!」
素直な低学年は、これに逆らえない。
高学年がほとんどリサイクルデーに何も持ってこないのは、敏感で、やはり何かを感じているからだろう。また、母親に抵抗するだけの力があるのだろう。

素直な低学年は、めげずに、母親から手渡されたビール缶を学校へ運ぶ。

学校のリサイクルデーは、家庭ではごみの日。ビール缶を、捨てる日、なのだ。

いや、問題はそこではない。

いったんやりはじまった、「よいこと」は、ストップが効かないのだ。
やめる、ということ。
やめる、という勇気。
今、学校に必要なのは、その勇気だ。

行事を、半分に減らそう。
学校スリム化。
必要だということは、みんな分かっている。(でもできない)




ついに懇談会に登場の犬 つづき




前回、学級の懇談会に犬が登場した話を書いた。



そのときは、廊下でキャンキャンと吠えたので、飼い主がすぐに帰宅したのだが、しばらくして、実際に本当に来たらしい。
これは初任者の会合で、続報を聞いた。
みんな、心待ちにしていたらしく、顔を合わすなり、

「そういえば、この間の話・・・」

とすぐに話題になっていた。

そこで、話の本人が言うのには、

翌日に再度、親から面接の日程をうかがう電話が入り、数日後、再度、登場したとのこと。
もちろん、散歩の途中である。
犬の散歩は、非常に重要だからだろう。

まさか、わが子の話よりも、犬の話ばかりだったんじゃ・・・
そんなことないよね・・・


みんなが期待したとおり、半分以上、の話だったそうである。


エー!!!
犬の方が、大事かよ!!! ←(みんな、同時にツッコミました)




ついに懇談会に犬が登場!!!!!




初任者の仲間とひさしぶりに会った。
2学期もおしせまった、という時期にもかかわらず、他校で初任者の研究発表があったのだ。

「忙しい時期になってしまったねえ」
と言いながら、指導主事の先生も来られて、
「しっかり準備させてもらったから、この時期ならではの授業するからね」

と、発表者の代弁をしていらした。

発表者になっている、同じ初任仲間の先生。
われわれの控え室に挨拶にこられて、いやあ、と頭をかいている。

「がんばってください」
「緊張しますよ」

しかし緊張している様子でありながらも、その後、やはり子どもたちと一緒になって掃除をしている姿には自信もうかがえる。
堂々と、子どもたちに指示し、テキパキと自身も清掃に取り組んでおられる。
日頃の姿なんだろうな、と感心してみていた。

同じ初任仲間が、こうして授業をする機会がある。
それを見させてもらえる。とても新鮮な気持ちだ。


教室の掲示を、他の仲間と共に見ている。
工夫がある。
なるほど、と思うこと。メモをする。
すると、指導主事が来て、

「感心、感心。同じ仲間から学ぶことって、多いよね」

と声をかけてくださる。

こうして声をかけてくださる姿勢こそ、われわれが学ぶことなのだろうと感じる。



さて、このときの授業はとても学ぶことが多かったのだが、話はこれで終わらない。
この授業後の話し合いのあと、雑談風になったときのこと。


「先日、ついに、と思うことがありました」

と、ニヤニヤしながら、初任の仲間が話し始めた。


なにが、『ついに』なのか、と思って聞いていたのだが、これがすごい。

個人懇談の週。
学校に、かわるがわる、時間約束をしていた父母が面談に訪れる。
教室の前に用意された机とイスに腰をかける保護者。

教室には教師がいくつかの資料を用意し、個別の保護者と20分きざみのスケジュールで、懇談をしていく。

すると、ある保護者との面談の途中で、廊下の方から、オヤ?と首をひねるような音。

キャン!


なんの音だ?
と思っていると、

つづいて、

「シッ!しずかに!」


と声がした。

ますます、なんだろう、と思っていると、さらに大きなボリュームで、

「キャンキャン!!キャン!キャウーン!!」

と音が!!!

なんだ、なんだ?と、面談中の親と顔を見合せて首をひねっていると、

教室うしろの扉がガラッと開き、

「すみませ~ん。ちょっとうるさくしちゃったんで、パスして帰りま~す」

と、若い母親が顔を出した、という。


その後ろに、首輪につながれた、一匹の茶色いチワワ。

散歩の途中で、個人懇談に立ち寄った、ということであった。


それを聞いて、指導主事も笑い転げ、

ついに、ねえー!」

「ははあ、ついに、ねえ」

「犬まで来たか」

「落ちたもんだねえ、懇談会も」

「散歩の途中かあ」

教師としては、

ここまでなめられたか

という思いなのだろう。

それが

「ついに」

という言葉になって、みんなのため息をさそったのだろう、と思われた。




初任者を行事が苦しめる




またも、全校行事、である。
正直、本当にゆるしてほしい。
もう、行事はこりごり。
行事ばかりで、学級のことも、授業のことも、非日常の動きばかりが多くなる。
定例の時間割がどんどんくずれ、子どもは落ち着かない。

行事の意義はわかる。
やったら、たのしい。
燃える実行委員が育つ。
それも分かる。高学年のやる気の子たちには、思い出の行事になるのだろう。

でも、多すぎる。
授業が、おくれる。できなくなる。
行事の準備で、時間がとられる。

学級で、これから、とねらっていたことも、考えていたことも、
すべてそれにふりまわされていく。

学校行事には、光と影がある。

光の部分は、輝いている。
反省用紙には、光が書かれる。

やってよかった・・・。
子どもたちも楽しんでいたし・・・。
行事を行う、意義はある。
少なくとも、やり方を変えれば、もっとよくなる。

なるほど、そうかもしれない。



こうした思考のくりかえしだから、

「やめましょう」

この英断が、なかなか下されない。

初任者には、キツすぎます。
初任者をくるしめる、行事が多すぎます。

運動会も、オリンピックと同じく、4年に1度でいいくらいです。

行事を2分の1にへらす運動、「G・2分の1」運動をはじめたい。




初任仲間のピンチ




初任仲間から、携帯メールにSOSが入った。
もうだめだ、という。
すぐに、とにかく集まろう、と連絡。
金曜の夜。何人か、本人の承諾を得た、気心知れた初任仲間を集めた。

詳細に、話をきく。

学級がうまくいってないという話は、すでに聞いていた。
初任で、いきなりの高学年。
たよりの学年主任はまだ若手。苦しんでいる隣の学級まで、手がまわらない、といった様子らしい。
これまでも事件があり、他のベテランが持ちたがらなかった学年。
初任に、それが、まわされたのだ。


ファミレスだと、他人の耳に入るかもしれないというので、急きょ、カラオケボックスに入った。歌が目的なのでなく、じっくりと話を聞くためだ。
とにもかくにも、座るやいなや、話をきこう、となった。

えらい。
彼女は、学級の具体的な事実を、レポートにまとめていた。
自分なりに、客観的に分析したい、と思っているようだった。

学級の荒れ。
なにが、原因なのか。
それはむずかしい。
さまざまな要因が、複数からんでいるからだ。
だから、そういう、原因を一気に解明しよう、というアプローチは避けよう、と話した。
コストがかかりすぎる。時間も、体力も、気持ちも。

だから、こう考えてみた。
どこから、いつからが、ターニングポイントになったか。

まだいける、という感覚があったとき。
そうではなく、もうだめか、となったとき。
その境目。


それを聞いたら、徐々にわかってきたこと。

つまり、初任者の会合のために出張していたときに、ある事件が起きていた。
それは、授業に補教で入った、教頭が引き起こした。

教頭は、本来ならば書写の授業をする。
しかし、そうではなく、こどもたちと、クラスのことについて、話し合った、というのだ。

「今のクラスの現状を見ていて、必要だと思った」

あとから教頭から聞かされたそうだが、事前に、担任には何の連絡もなかった。
あとで聞かされたことだった。

担任のいないところで、クラスのこと、学級のこと、担任の先生のことについて、話し合った、というのだ。
そして、何を引き出したのか。

子どもたちの、不満を引き出した、というのだ。

「まず、不満を出させないと、パンクすると思った」

これが教頭の言い分だ。

「子どもとの信頼関係をつくりなおす必要がある。そのために、まずは子どもたちの生の声を直接聞く必要があると考えた」


そして、アンケートまでする。

子どもたちからは、担任への不満、学級全体への不満が、ぶちまけられた。

子どもたちのわがまま、逃げ、責任の転嫁、担任への不満、そういったものを、紙に書かせたのである。

まじめな子たちまで、そういったことを書いた。
あとで担任のもとを訪れたまじめな女子。
「教頭先生が、そういうことをかけ、というのだけど、書くのがつらかった」
と言ったそうだ。

そして、この時間のあとから、
問題行動がエスカレートしていく。
担任を見る目が、あきらかに、変わったものに感じられるようになった、という。
まじめな子で、協力しようという姿勢のあった子まで、まともに見ようとしないようになった。
どうせだめだ、というあきらめムードが生まれたようだ、と。



アンケートに、先生を変えろ、と書いた子。

それを、書かせてしまった教頭。

こういう意見を、受け止めていく、と約束してしまった教頭。

許せない。




初任は行事がつらいです




週案を書いていたら、なんだか悲しくなってきた。
行事だらけ、である。

毎週、特別な企画がある。

○PTA祭り
○お話会
○クリーンデー(地域掃除)
○遠足
○福祉体験学習
○地域交流
○音楽鑑賞会
○合唱大会
○個人懇談
○授業参観・・・。

書いているだけで、疲れてくる。。。


これ、ぜんぶ、本当に必要なんだろうか、と考えてしまう。
ぜんぶ、やらなきゃあかん、のか。


そこに、さらに、教頭から声が。

「○○主任宛てで、こんなの(FAX)が来てるけど・・・」


視聴覚主任の研究集会だそうだ。
△△小学校での会合連絡。

出張扱いだ。
また、これで金曜日の5,6校時がつぶれる。

さらに、初任者研修。
校内研究の授業発表。
指導主事が、初任者の授業を見に来る、など・・・。


これらが、12月上旬まで、毎週、つづく。毎週、だ。


このシステム、仕組み、尋常ではない、と思う。

初任者で、つぶれる人が出るのも、不思議でない。

SOS、を発信する人がいないのだろうか。
こんなところ(BLOG)で書いてみたところで、何も変わりはしないと思う。
しかし、面と向かって、誰にいえばよいかもわからない。

校長か?


教頭先生は、
「たいへんだなあ。よくがんばってくれているなあ」
を繰り返す。

「行事だらけで、授業どころじゃないです。行事って、これ以上、減らないんでしょうか。」

それを聞いても、笑っているだけです。
お立場があるのでしょうから。


これ、みんなが通ってきた道だから、仕方がない、ということなんだろうかなあ・・・。




大家の間で初任者は悩む




大家が二人。
それぞれ、自負がある。
だから、お互いを意識する。お互いに、譲り合う。

職員室で、よくある光景だ。

その大家のはざまで、ストン、と落っこちる現象が起きる。
それを、「タイカ・ストン現象」と名付けた。


ことの詳細は、こうである。

音楽の大家が、学校にいる。
音楽の実践を、ずっと続けてこられた。
市の教育実践として、ずいぶんと評価の高い実践が積み上げられた。

その○○先生のいる学校に、初任者が赴任する。

ところが、今度、別の先生が、あたらしく赴任される。
いったんは退職した先生ではあるが、これもまた音楽の実践をずいぶんと積まれた方だ。
○○先生の実践はすごい、と、うならせた。
退職後、非常勤の講師として、理科の専科として来られた。

音楽の大家といえど、退職後の非常勤で、理科で、来られたのだ。
人の配置は難しい。
おそらく、通勤距離などの関係があったのであろう。
他の人の都合もつかない。本人の通勤希望と、人事の配置。
調整がいろいろとあって、こうなってしまった。


再雇用の△△先生も音楽の大家だが、まあこの学校で、理科でやってもらうしか、しょうがない。
そんな按配であったようだ。

つまるところ、音楽の大家が、ふたり、学校に存在するようになってしまった。


この状況に、危機感をもてるのが、ベテランである。
そして、そんなこと、まったく気にしない、(できない)のが、新人である。
初任者は、まったく、感知できない。

そして、たまたま運の悪いことに、初任者のもつクラスが、音楽のコンクールに代表で出ることになってしまった。

周囲は気軽に言い合う。
「大丈夫よ。音楽の堪能な先生がたくさんいらっしゃるもの。」

実際に、そうである。
初任者は、安心する。

主任はこういう。
「今年、○○先生は専科ではないけれど、あの先生になんでも相談するのよ」

○○先生は、音楽専科ではない。
だから、遠慮勝ちに相談しに行く。

「本来は、担任の私がやることですが、音楽が苦手です。教えてください」

○○先生も、悪い人ではない。
「音楽専科がいないし、初めてだから大変でしょう」
初任者に同情してくれる。
そして、いざ、なにか教えてくれるのかと思いきや、

「大体は言えるけど、・・・」
と、歯切れが悪い。

「△△先生に聞くといい。あの先生は、大家だから」
○○先生は、目上の△△先生に遠慮しているのだ。

実際、最初のうち、△△先生は、音楽の授業を見に来てくれる。
古いネクタイをしめて、おじいちゃんの雰囲気を漂わすものの、さすがに発声は抜群だ。
そして、いろいろなアドバイスをくださった。
一番心配だった指揮法についても、
「まあ、おいおい教えるよ」
と言ってくださった。

「これからも、よろしくお願いします」
初任者は、ほっと胸をなでおろす。


異変は、このあとだ。
コンクールが近づくにつれ、微細な指導が必要になってくる。
そのつど△△先生に尋ねたいことが増えていく。最初はいいが、時間のない中での指導、お互いの都合がつかないときもある。昼休みに聞きたいと思っても、非常勤だから帰ってしまわれている日もある。
「あのこと、聞いておきたいんだけどなあ」
不安顔の初任者。

思い立って、○○先生にそのことを言うと、

「わたしのやり方と、△△先生のやり方がくいちがうといけないからね。やっぱり、大事なところだから、△△先生に聞いてください」

要するに、教えてもらえない。

そのまま、日がすぎる。


コンクールまであと何日、となってから、ようやく、久しぶりに会えた△△先生に聞いてみるが、

「今からではねえ。まあ、とりあえず***をしておけばよいよ。時間がないから、そうするほか、仕方がない」

なあーんだ、と初任者は思う。

結局、本筋は教えてもらえないまま、とりつくろったような指導しかできなかったではないか。

コンクール当日。
なんとかやりきって、他の学校の先生にこう言われた、とのこと。

「あなたの学校は、○○先生も、△△先生も、いらっしゃるのでしょ。両方とも、音楽の大家よ。きちんと、指導していただいたの?指揮のやり方だって、もっと教えてもらえたと思うよ」

がっくりだった、と残念そうに発表する初任者。
同じようなことを思い出していた仲間もいたにちがいない。
初任者の会合で、いろいろなことを思う。

・大家がいると、やっかいだナァ。
・そうとは言えない。大家がいることが問題ではなく、複数いることが問題なのだ。
・どっちの大家につくか。右か、さもなくば左か。
・いずれにせよ、一つに決めることさ。
・あなたは、どっち、か・・・。なるほど。
・いや、ちがうだろ。初任は、そういう事情があることを知ったうえで、なんとか食らいついていくのさ。
・どっちにも、両方かい?
・そりゃ、難題だ。
・大家の狭間で、ストーンと、落っこちてしまった感じ。
・そうそう。落っこちた。
・タイカの間に、ストーンか・・・困るよなあ。



お互い、励ましあって、進んでいきたい。




先輩から叱ってもらっているかどうか




勤務校に、栄養指導のための実習生が来ている。
栄養教諭となるための勉強だそうだ。

「先生のクラスで、授業をさせてください。」
との話が先日あり、了解していた。
その授業が、本日、私の学級で行われた。

短期大学の女性の先生。
若い。笑顔がすてきだ。さっそく、子どもたちがとりまいて、あれこれ話しかけている。

さて、その授業が始まって、驚いた。
見てすぐ、目にとびこんできたのが、持参してきた模造紙。

栄養を種類に分けた、「栄養三色」の説明が書かれてある。
働く力になる黄色、血や肉になる赤、身体の調子を整える緑の3色。

それはよい。
その周囲に、色とりどりのカラーペンで、かわいい花やぬいぐるみのクマのようなキャラクターが、ところせましと書かれていたのだ。

発達障害のある子はもちろん、そうでない子も含めて、これが目に入らない子はいないだろう。

「かわいい~!」


受けをねらいたい、という目的があったのか。
それであれば、目的は半分、達成されていた。



このことについて、最初は、これは伝えた方がよい、と思った。
「あのキャラクターや絵は余計な情報だと思います。気になってしかたのない子にとっては、とても罪なイラストです。混乱をまねく情報ですから、ない方がよいと思いますよ」

こういうふうに、伝えたいと思った。
「ぜひ、言っておこう」
そう、かなり強く、思った・・・・はずだった。


すみません。
そう思っていたのですが。

あいにく、授業が終わるころになると、おそろしいことに、私の中の考えが変わっていた。

下手に気を悪くされても困るしな。ずっとつきあう人じゃなし。ここは、ありがとうございました、と一言で終わっておこうかな。

そう思って、ついに、このことを言わずに一日を終えてしまった。
今、ここでこうやってEduブログに書きながら、反省している。

と、話はここで終わらない。
自分はどうなんだ、と省みて、思うのだ。
初任者という立場。
同じようなことをやっているのかもしれない。

これは帰りの電車の中で、ふと思いついたことなのだが、

他のベテランの先生が見て、
「あれは子どもを馬鹿にしているな」
と感じることを、してしまっているのかもしれない。

そして、そのことを、今日のわたしと同じように、
「言っておこうかな」
と思ってくれたかもしれない。

で、同じように、
「でもやっぱり、やめとこ。人間関係悪くすることないし。言って誤解されて、気分悪くされても困るし・・・」
と思われていたら、どうしよう・・・。

帰りの電車に揺られながら、
「もしかして・・・」
と思うと、

自分はちゃんと、叱ってもらえる人になれているか。と自問したくなった。

愛想笑いで、適当におだてられて、言ってもらわずに損をしていることはないか。
逆に、しっかり声をかけてくださる先輩、叱ってくださる先輩に、よし、と思ってもらえるように、感謝の気持ちでもって、その言葉を受け止めているだろうか。




教師の服装はいかにあるべきか




ツァラトゥストラはかく語りき。
初任者の悩みについて。

小学校教師の男性教諭は、ふだん、どんな服装をしているべきであるか。

そも、このところの急激なる気候の変化と寒暖の差は如何。

上着を羽織るべきか、それともぬぐべきか。

はて、上着とは何を指すや。

スーツか。はたまた、ジャージ。ウインドウブレーカーなるものか。

ポロシャツは如何。

ドレスシャツが定番と聞くが真なるか。

ボタンダウンでネクタイ無し。
ネクタイ無し、どうも落ち着かない。首元が。

茶系のスーツは鬼門。そんなのめったに見かけないが???昨シーズンよく見かけた色のスーツ。秋冬は暖かで、やわらかい印象だ。
どうだろうか?

ジャケット×パンツ。
高校教師か予備校教師、塾講師ならほとんどがこれ。
小学校教師でも、可?

それとも、やっぱり、Tシャツ、ポロシャツに、ジャージ?定番かなあ。

以前勤務した学校の校長は、ジャージでいい、と何度もおっしゃった。
それは、
「ジャージでいい」のか、「ジャージがよい」のか、本当に判断に困る言葉づかいであった。
しかし、何度も
「ジャージ、ジャージ」とおっしゃるので、校内のほとんどの先生はジャージ姿であった。

でも、なんだか、気合いが入らんのですよ。
ジャージだと・・・

初任者は、こんなところから、気をもんで、気を病んで、気になってたまらないのです。




運動会の応援歌は要るのか?




運動会で、赤組白組に分かれる。
対抗戦だ。

もりあげるのが、応援団。
応援してもらうと、力が入る。
わたしも、大好きだ。


ところで、運動会が一番、盛り下がるところがある。
ここが、いつも、くやしい。
なにかというと、応援団のつくる、応援歌だ。

この応援歌がむずかしい。
歌詞表をみるならばいざしらず、記憶して歌えるところまで、歌いこんでいない。
うろおぼえで、てきとうに歌うしかない。
だから、小声になる。

応援団でさえ、なんとなしに、小声になってしまう。

昨年も同じことを思ったのだが、今回の練習でも、やはり、声が小さい。
これでは、また盛り下がることになろう。
もうすぐ本番だというのに、なんだか・・・と思ってしまう。

私の立場からできること。
いろいろあろうが、今のクラスで、何回も歌うことかな。
まず、担任である私が、覚えることかな。


そう思って、何度も覚えようとするが、やはりこの歌詞の長さ・・・
そして、慣れない曲に、「徒労」の二文字が脳裏を去来する。


応援歌は、なくてもいいんじゃないか・・・
こわくて、誰にも言っていない。
職員室の常識、というやつだろうか。
初任のくせに、といわれるのが怖くて、誰にも言えずにいる。

しかし、ずっと、思っている。思い続けている。

応援歌、なくてもいい。


初任だから言えずにいる、という私のこの臆病が、すべての根底にある以上、なにかこう、ガラスが曇ったような、すっきりとしない状況が続くのだろうな。

叱られてもいいから、こう思う、と言えたらいい。

結局、叱られるのがこわい、というだけか。
自分ながら、なさけない。トホホ、だ。




初任者のお茶くみ義務




初任者の会で、話を聞く。

学校ごとにしきたりがある。
初任者は朝、お茶くみをする。
職員室の人数分、40杯。
事前に、湯飲みを温める。

それを聞いて、おどろいた。
率直な疑問をぶつけてみる。
「それって・・・湯飲みを全部、誰のものかとか、覚えないといけないですよね。」

「そうなんです。でもだいたい覚えました。最初、教頭から、こんなのすぐに覚えるから、と言われたんですが、本当にその通りでした。すぐに覚えちゃいましたよ。」

朝、7時30分からやる。
それも、時間が最初から決められている、とのこと。

「じゃあ、朝のうちにプリント印刷しておこうとか、できませんね」

その日の授業準備で、朝のうちにどうしてもやっておかなくては、ということがあったら、どうするのだろう。

「そうなんです。だから、7:00前には出勤します。それで先に自分の仕事をするんです。その後、初任者の仕事をして。。。。という感じですね。」

5時30分に起床、だそうだ。

「その、初任者の仕事ってなんですか。」

「廊下のモップがけと、そのお茶くみですね」

初任者の集いでは、いろいろな話題がでる。

「お茶くみなんてしたことないなあ」

そう言うのは、また別の学校の先生だ。

「せいぜい、同じ机の列の先生とかかなあ」
「あと、会議の時はいれたり、運んだりする」

早朝のお茶くみ義務は、半分くらいの割合だった。



わが校では、そういうものはない。

「そのかわり」

会の終盤、早朝組の一人が言った。

「早くにくると、いろんな先生の仕事が見えてきますよ。教室の朝の様子が見えますしね。。。。その日授業で使う道具が机の上に乗っているから、あれって何ですか?とか、聞いたりして教えてもらっています」

なるほどなあ。




授業の進度が遅いというクレーム




児童が、何でもやりたい放題、勝手な行動をとるようになる。
授業中の立ち歩きが平気になってしまう。

とても授業どころではない。
授業の進度が、当然、遅れる。

保護者から、

「このクラスだけ、授業の進度が遅いようだ。どうなっているのか」

とクレームが来る。


・・・・こうした場合、どう切り返していくか。


初任者の仲間たちで、どうするか、話し合った。
初任者研修の、合同グループ討議が始まったのだ。

ところが、このグループ討議の最中、すすり泣く声がする。
見ると、ハンカチで顔を覆い、泣いている女性が一人、視界に入った。


提示された課題が、・・・身につまされるのだ。
まさに、自分が置かれている状況だからか。
話を聞いてみると、つい先だって、まさに同じことが起きた、という。
校長以下、管理職が守ってくれたわけではない。

「○○さんもがんばっていることは分かる」

というなぐさめの言葉はあった。
でも、学級をどうしていったらよいか、具体的なアドバイスや行動は、皆無だった。

年配の学年主任に、
「結局、あなたが担任なんだから」
と言われたそうだ。

初任だからといって、甘いことは言ってられない。
その主任の方の気持ちも、分かる気がする。
しかし、今、一番弱っているのは、彼女だ。初任の、何も分からないまま、現場に立ちすくんでいる、彼女なのだ。

保護者からのクレームが、どれだけの影響があるものなのか、それすら分からない。
ただただ、自分がいけないのだ、と思う。
なんとか打破できる、という自信はない。不安のかたまりだ。
それでもなんとかしなければ、と思うが、緊張で心臓が飛び出しそう。
どうすればよいのか、途方に暮れるから、余計に、頭が働かない・・・。


その彼女に対して、甘いことはできない、と放っておいている。

何年か、現場を経験すれば、
「いろんな保護者がいるから」
「なんだかんだいっても、夏休みがくるし、1年だってあっという間に終わるよ」
「どれだけがんばったって、まともに見てくれる保護者は、所詮、そうはいないものだ」
「内容をできるだけ削って、とばしていけば、まだなんとかなる」

いろんな思いも湧いて来るだろう。

しかし、まだ、初任者なのだ。
未経験で、教壇に立ってしまった、初任者なのだ。

絶対に、してはならないことをした、というほどの、思いをいっぱいに抱えて、顔面蒼白、青息吐息である。

初任者研修のグループ討議が、なんともいえない空気に包まれる。

学級の荒れている様子を聞く。
すさまじい。
授業はおろか、教室を正常な状態に保つことすら出来ていないのだという。
給食の後、掃除をしない子どもたちの前で、ひたすらこぼれた汁を拭く、という。
牛乳のパックが、教室のあちこちに放置されている。
それも、中身の入ったまま。
無言で片付ける教師。
手伝おうとする子も、いないのだそうだ。


顔を見合わせる十人のメンバー。
しかし、どの顔も、みんな、疲れていて、
明日はわが身、と思いながら、聞いているのだ。

だから。

下手ななぐさめの言葉もなかったし、
「なんとかなるよ」というような、無責任な言葉かけも、無かった。

ただただ、
「あと、20日です。最低限のことをできるだけやって、夏休みになるのを待ちましょうよ」

という感じの話ばかりだった。


ハンカチをとると、泣きはらした目で、みなさんありがとうございました、と礼を述べていらしたが、またそれが、痛々しい。
なんともいえない沈痛な表情で帰ることになり、無口のスーツ姿の男女が、何十人も会場を立ち去る姿がまた、この集団の、あまり明るくない将来を暗示しているかのようであった。


初任者研修は、きびしい現実に直面する場だ。

歯を食いしばって、歩き続けなければならない。
身を硬くして、立ち向かっていかねばならない。
それをあからさまに知って、それとは正反対の、自分の自信のなさにも直面して・・・。

初任者研修。

ようやく、その意義が、見えてきた気がする。




初参観で学ぶこと




初任者研修。
いろんな研修方法があるが、中でも一番興味深いのが、初参観だ。
つまり、各学級、先輩方の授業を参観させていただき、学ばせていただく機会である。

初参観の始まる前に、どんな授業をするのか、概要を少しだけ、立ち話程度にしておく。
この立ち話が、効く。
予習である。

先に、年間計画もあるし、初参観の予定もほとんど書き込まれている。
それをみれば概要は分かるも同然。
しかし、顔をつき合わせて、少しだけでも教えていただくことが効果的だ。
さすがは教師、ツボを、10秒程度に縮めて、教えてくれる。
だから、座って話すのではなく、たって話すことにしている。
先輩達だって、時間が短く、効率よく話したいと思っているはずだろうから。


初参観で、気をつけていること。

○はじまりの時間に遅れないこと。
○終わりに、必ず礼をし、感想を一言、云うこと。
「・・・で子どもに考えさせたところが、とても参考になりました。」等

○学級の掲示物を見る。
○時間配分で気になった点について訊く。
○単元全体の中で今回の授業を考える⇒あらかじめ事前に指導していた点を訊く。
○子どもの発言の背景が分からないときに、真意を訊く。

○教材の工夫について訊く。
○教科を通して、どんな力をつけてあげたいとねらっているのか、一番ねらっていることはどんなことか、尋ねる。

○子どもをほめるとき、一番気をつけていることは何かを訊く。

今、思い浮かぶことの整理。




初任研で出張




学級経営案をもちよって、初任者が集った。
指導主事のお話を聞く。
それぞれの学級の様子を出し合う。

「苦しいです。」

目の前の、スーツ姿の仲間が、口を開く。
冒頭から、重苦しい話題になりそうだ。

・授業の始まりに、時間がかかる。
・子どもたちの中の、リーダー格の子が、だんだんに威張りだしている。
・授業をどうしたらいいのか、わからない、・・・など。

どんな学級にしていきたいか、話し合う。

学級目標に掲げたもの。
ADHDや自閉症の児童に対応しようとして工夫して書かれた箇所。
学級経営案に、それぞれの担任の、苦心が見えてくる。

元気な学級、がんばる学級、という言葉が出てくる。

元気とはなにか。がんばる、とは、なにをがんばるのか。そもそも、がんばる、というのはどういう状態をさすのか。なにで評価できるのか。

いろいろと話し合うことになる。

うーん。
頭を悩ませるわれわれ、初任者たち。
むずかしいなあ。

あらためて、学級とはなにか、自分はどんな学級をめざすのか、考える機会になった。

自分の学級経営に、「一歩踏み出すクラス」という文がある。
この、一歩踏み出す、とは何か。

目の前の、他の初任の仲間に、尋ねられた。

踏み出す前と、後で、どんなちがいがでてくるのか。
子どもは毎日成長している。
そのことと、あえて、意識して、一歩踏み出す、ということのちがいは何か。
一歩踏み出すとは、カラをやぶることだ、と話した。


しかし、殻をやぶる、という言葉にしたって、それがいったい、なんなのだ。
具体的な、子どもの動く映像となって、自分にはそれがはっきりと具体的にえがけているのか。


子どもの強さや弱さ、課題、悩み、そういったものをひっくるめて、理解して、なお、本質的な「殻やぶり」をうながしていくこと。
自らの、内なる目的を知ろうとする人間に、育っていくための、「殻やぶり」でなければならない。
初任研の会合を終えて、それぞれ、駅までの、川のほとりの道を歩きながら、ぼんやりと考えが続いた。
ひさしぶりに、夕焼けの見える時間に、帰宅できるな。
駅ビルのガラスに、オレンジ色が照りかえる。
また、あした。




初任者3日目




初任者の会をしてくれる、という。

昨年、一昨年、その前、というように、ここ3,4年ほどの間に入ってきた、若い教員たちだけで、いっしょに食事をしませんか、という。

若い人が多いが、私のように子持ちの30代後半でも、まぜてくれるらしい。
というより、私をだしにして、みんなでいっしょに呑みたいのだと思う。

そこで誘われるままに行くと、ま、ま、今日の主人ですから、ということで、一番真ん中の席に座らせられる。
和食の、気の利いた店。
店の入り口に、べんがら色ののれんがかかり、小粋な生け花がかざってあるのをみて、
「なかなか」
と思う。

いろいろ、話題が出た。
ここでは、おかまいなしに、
「ベテランズがさあ」
という話ができる。

○○先生の総合の授業を見たが、すごかった。
○○先生は、本当は専科希望だったらしい。
○○先生は、昔、こんなことをしていたようだ。

いろんな、見聞きしてきた話を、ここぞ、とばかりに。

誰かが得意分野について話すと、それ、こんど教えてください、とみんなで口々に言う。

すごいなあ・・・。
意欲満点だ。



ベテランズがいない場での話し合い。
たまには、こんな場があっていいな。

お互いに、なんとなくの共通感、一体感をもちつつ、解散。

ふんどし、しめなおす。(しめなおしてばかりだな)




初任者研修がスタート




初任者2日目。
さっそく、県の教育事務所でセミナーがある。
初任者としての心構えについて。
訓示が続く。

あとは初任者研修の年間スケジュール。
おおくの採用者がいるので、グループに分かれて自己紹介をした。
これから、お互いに研究発表をしあったり、レポートを書いたりなどしていくらしい。

みんな、若々しくて、いいなあ、と思う。
こっちは子持ちの、30代後半のおやじだ。
はじけるような、パワーの有る自己紹介が続いたあと、つかれきった私の自己紹介で、ちょっと申し訳ない。

ところが、身体の疲れが、かなりピーク。
正直、バス停で倒れそうだった。
ちょっとマジで、休んだほうがいいな、という感じだ。

ちっとも教室は片付いていないし、計画も立てられていない。
それなのに、すでに新学期準備に突入してしまっている。・・・。
おまけに、初任者研修がスタートした。
休んでなど、いられない。


床屋にしばらく行けなかったので、駅前の美容室にとっさに入った。
カット代が目の飛び出るような値段だったのが、あとでわかったが、今は時間を買うのだ、と言い聞かせて、そのまま切って貰った。

でないと、今週、どこにも時間の空きがない。
ぼさぼさの髪で、子どもと挨拶しなければならない。


土曜日になんとか教室を整えるとしても、日曜日は自治会の会合があり、年度始めの引継ぎだ。これがまた300世帯を超える巨大集合住宅だから、やることがたくさんある。副会長なんてやるんじゃなかった。ああ・・・。

しかし、それでもなんとかやれてしまうんだから、人間って、ちょっとやそっとでは倒れないんだなあ。




初任者1日目




初任者1日目。
市役所で、辞令交付の式があった。
この日のために、7年かけたのだ、ようやくたどりついた、という感慨が湧いてきた。

式では、教育長から辞令を手渡してもらう。
新校長と面会し、午後、共に学校へ。

途中、市役所前の桜が見えた。
ほぼ、満開だ。
めでたすぎて、華やか過ぎて、ちょっと恥ずかしい。


学校では、新校長を迎えるために、花道が用意されていた。
そこを、新校長が歩いていく。
待っていた職員がいっせいに拍手。
わたしは、その後をそっと追いかける。

すぐに職員室で、挨拶。
辞令を校長から、みなの前で再度渡してもらった。転任していらした方たちも、同様だ。
ひとこと挨拶、というので、最後に新人としての挨拶をした。

「本日、新採用としてまいりました。初任者ですので、ご指導くださるようお願いいたします」

どっと笑い声が起きる。

それはそうだ。
昨日まで、大きな顔をして職員室を歩き回っていた男が、急に神妙な顔つきになって、初任者でござい、というんだから。

昨年、大変に世話になった先生が、笑いをこらえている姿が目に入った。

昨日までは、臨時任用。今日からは、新採用。
一日ちがえば、世界がちがう。

挨拶のあと、職員会議。
校務の分掌が説明される。
書面を見ると、わたしは、視聴覚主任と情報PC担当。そして、視聴覚の研究会出張に行くことになっていた。

初任者研修もあるから、出張が多い年になりそうだ。覚悟しなければ。
教室に残される子どもたちがかわいそうだが、制度上、仕方があるまい。

他の先生が心配してくれる。
「先生、出張だらけじゃない」

出張の間、子どもたちに何をさせるか、ずいぶん考えなくてはならないだろう。


会議の後、同学年を組む、相棒の先生といっしょに教材を選ぶ。
教材会社が、おおくの教材を運び込んでいる。
子どもたちの実態に合わせて、もっともふさわしいものを選んでいく。
この作業は、他の先生たちは、午前中に終わらせていた。
初任者の私と組んだために、相棒の先生は、午前中はこの仕事が出来なかったのだ。
初任者と組むと、相手の出張を考慮しなければならず、その面の苦労が1年間つづくことになる。

「すみません。待っていただいていて・・・」
「いえいえ。先生は初任ですもん」

作業が終わると、夜の7時をとうに過ぎていた。

相棒の主任が、始業式前にやったらよいことの一覧表をくれる。
このメモを見ながら、すべてを進めていくのだ。
こうしたメモがあれば、助かる。ありがたい。


この後、初任の私は、職員室に戻り、自分の席を整える。
まだ、何も入っていない引き出しに、鉛筆など文房具からそろえていく。
他の人たちは、これも午前中にやってしまっていた。
つまり、出張が多い分、初任者は、すべての作業が後手後手になる。
全体から、ワンテンポ遅れてしまうのだ。

「ようし」

上着を脱いで、Yシャツのそでをまくった。

分掌のファイルやノートを引き出しに。
教材資料や判子類をしまう。
直近のスケジュール表、それに、職員会議の資料を、平たい引き出しに入れて、すぐに取れるようにする。

あれこれしているうちに、時計を見ると、9時。
残っていたもう一人の年配の先生と、帰ろうか、と話す。
扉を閉め、職員玄関の鍵をしめた。

校舎の電気が消えると、街灯のあかりが目立って見える。



さあて。


明日も出張。初任者の研修、1日目が始まる。
さあ、人生に一度しかない、初任者としての1年が始まっていく。




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