この記事は、3年以上前に書いた記事の原稿ですが、非常に具体的な事例なので、身近に気にされる方がいると困ると思い、あえて公表を避けてきました。
既に3年以上が経過し、既にその子は小学校を卒業、また私も勤務校が変わったために、長いこと下書き状態であったこの記事を改めて書き直し、新たに編集し直し、初めてアップすることにしました。
では、ここで言う気になる子とは?
実は、その該当児童は、「被害を訴える」ことにたけていたのです。
気になる点は、そのことだけです。
本当にとても良い子で、クラスのために何度も活躍したし、勉強も頑張るし、とても素直な良い子でした。友達もたくさんいて、その子が笑うとみんなもつられて笑うようなコミニケーション能力も高い子でした。
そんな子だったから、あえて気になったことなのかもしれませんが・・・
さて、その子は、被害を、オーバーに脚色してしまうのです。
例えば、
肩を触られた→ 叩かれた
ここに置かないでと言われた→なんでここに置くんだ!馬鹿野郎!と怒鳴られた
椅子の背をトントンとした→椅子の背を思いっきり引っ張られた
と言うふうに、他に言いふらしてしまうのです。
実際に私が見て、これは違うよな、何とかして被害を大きくして言おうとしているんだな、と全てを目の当たりにして思ったことが「何度も」ありました。
ここで私が問いたいのは、
その子がそのように被害を受けた、あるいは被害を大きくして言わなければならなくなる、そういう精神状態に追い詰められているのであれば、なぜそのように追い詰められているのか、という点。
友達とその直前まで仲良くしていたはずなのに、特に何かその子を怒らせるような要素が他にあるわけでもなさそうなのに、誰もその子を責めてはいないのに・・・。
それにもかかわらず、他の子を徹底的に責めようとする。
あるいは自分が被害者だ被害を受けたのだと言うことを切に訴えようとする。
これは、何だろうか?
と、当時、強く思いました。
そして、これは、防衛反応だろうなと直感しました。
責められ責められ、謝罪を要求され、これまでの人生のどこかで否定を受けてきたためでしょう。
誰もクラスの友達でその子自身を非難したり、蔑んだり、恥ずかしめを受けさせたり、責めたりする子どもなんていないのです。
それでも、そのように、振る舞わざるを得ない、彼の心の状態。
彼の人生の中で学んできたことの大きさを思います。
自分が被害者であり、決して自分は加害者ではないと、周囲に常に申し開きしなければならないと言う状態。
自分はシロです、というか、自分は被害を受けた側の被害者です!と、叫んで回らないと、自分の身に何か良くないことが起こると言う予感です。
この子の心が癒され安らぎ。安定してくるために、どんな関わり方をしていけば良いのかな、と考えました。
1番は、彼が【自分が被害者である】と叫ばないでも、周囲から決して責められないと言う安心感です。
2番目に、誰もあなたを責めてないよと言うメッセージを明確にすることです。
3番目は、あなたが被害者だから救うのではないよと言うことです。被害を受けていなくても加害者だとか被害者だとか、そういうお互いの関係以外のところでも十分にあなたの希望には協力するよと言う姿勢を示すこと。人間関係はもっと豊かで、単純な加害者と被害者、どちらかに偏ると言うものではないのです。
4番目は、実際にあなたの希望を教えてね。ぜひ協力させてねと言うことを常に常に伝え続けることです。
具体的には
「僕は、◯◯してほしいです」
「僕は、さっき、◯◯して欲しかったです」
と言う言い方で、あなたの気持ちを教えてね、と言い続けるようにしました。
別に、あなたがかわいそうな身の上で、かわいそうな被害を受けたから、保護するのではなく、あなたがどんな状態であれ、常にあなたを応援するのが周囲の大人ですよと伝えるのです、
あなたは何がして欲しいの?と、とにかくその子に聞いていくのです。
そしてきっちり言わせます。
日本語としてきっちり言わせていきます。
話型を、確実にその子にインプットさせるのです。「〇〇してほしい」
そして、それが言えたら褒めます。
はっきり教えてくれてありがとう。これで協力しやすくなったよ、と。
「ぼく、〇〇して欲しい」
が、使える子供に育つと、どんどんと子育ては優しくなります。簡単になります。僕は被害者なんだ!と言うことを言わなくても協力してくれる。そんな大人が周囲にいることがはっきりとわかるからですね。

既に3年以上が経過し、既にその子は小学校を卒業、また私も勤務校が変わったために、長いこと下書き状態であったこの記事を改めて書き直し、新たに編集し直し、初めてアップすることにしました。
では、ここで言う気になる子とは?
実は、その該当児童は、「被害を訴える」ことにたけていたのです。
気になる点は、そのことだけです。
本当にとても良い子で、クラスのために何度も活躍したし、勉強も頑張るし、とても素直な良い子でした。友達もたくさんいて、その子が笑うとみんなもつられて笑うようなコミニケーション能力も高い子でした。
そんな子だったから、あえて気になったことなのかもしれませんが・・・
さて、その子は、被害を、オーバーに脚色してしまうのです。
例えば、
肩を触られた→ 叩かれた
ここに置かないでと言われた→なんでここに置くんだ!馬鹿野郎!と怒鳴られた
椅子の背をトントンとした→椅子の背を思いっきり引っ張られた
と言うふうに、他に言いふらしてしまうのです。
実際に私が見て、これは違うよな、何とかして被害を大きくして言おうとしているんだな、と全てを目の当たりにして思ったことが「何度も」ありました。
ここで私が問いたいのは、
その子がそのように被害を受けた、あるいは被害を大きくして言わなければならなくなる、そういう精神状態に追い詰められているのであれば、なぜそのように追い詰められているのか、という点。
友達とその直前まで仲良くしていたはずなのに、特に何かその子を怒らせるような要素が他にあるわけでもなさそうなのに、誰もその子を責めてはいないのに・・・。
それにもかかわらず、他の子を徹底的に責めようとする。
あるいは自分が被害者だ被害を受けたのだと言うことを切に訴えようとする。
これは、何だろうか?
と、当時、強く思いました。
そして、これは、防衛反応だろうなと直感しました。
責められ責められ、謝罪を要求され、これまでの人生のどこかで否定を受けてきたためでしょう。
誰もクラスの友達でその子自身を非難したり、蔑んだり、恥ずかしめを受けさせたり、責めたりする子どもなんていないのです。
それでも、そのように、振る舞わざるを得ない、彼の心の状態。
彼の人生の中で学んできたことの大きさを思います。
自分が被害者であり、決して自分は加害者ではないと、周囲に常に申し開きしなければならないと言う状態。
自分はシロです、というか、自分は被害を受けた側の被害者です!と、叫んで回らないと、自分の身に何か良くないことが起こると言う予感です。
この子の心が癒され安らぎ。安定してくるために、どんな関わり方をしていけば良いのかな、と考えました。
1番は、彼が【自分が被害者である】と叫ばないでも、周囲から決して責められないと言う安心感です。
2番目に、誰もあなたを責めてないよと言うメッセージを明確にすることです。
3番目は、あなたが被害者だから救うのではないよと言うことです。被害を受けていなくても加害者だとか被害者だとか、そういうお互いの関係以外のところでも十分にあなたの希望には協力するよと言う姿勢を示すこと。人間関係はもっと豊かで、単純な加害者と被害者、どちらかに偏ると言うものではないのです。
4番目は、実際にあなたの希望を教えてね。ぜひ協力させてねと言うことを常に常に伝え続けることです。
具体的には
「僕は、◯◯してほしいです」
「僕は、さっき、◯◯して欲しかったです」
と言う言い方で、あなたの気持ちを教えてね、と言い続けるようにしました。
別に、あなたがかわいそうな身の上で、かわいそうな被害を受けたから、保護するのではなく、あなたがどんな状態であれ、常にあなたを応援するのが周囲の大人ですよと伝えるのです、
あなたは何がして欲しいの?と、とにかくその子に聞いていくのです。
そしてきっちり言わせます。
日本語としてきっちり言わせていきます。
話型を、確実にその子にインプットさせるのです。「〇〇してほしい」
そして、それが言えたら褒めます。
はっきり教えてくれてありがとう。これで協力しやすくなったよ、と。
「ぼく、〇〇して欲しい」
が、使える子供に育つと、どんどんと子育ては優しくなります。簡単になります。僕は被害者なんだ!と言うことを言わなくても協力してくれる。そんな大人が周囲にいることがはっきりとわかるからですね。
