55年という長きにわたり、座布団メンバーとして活躍してきた林家木久扇師匠が、この3月で卒業だそうだ。
大喜利でとぼけたことを言う木久扇さん。ほとんどの人は、テレビの笑点での師匠の姿しか知らないのではないでしょうか。でも、そうではありません。木久扇師匠は、とてもクレバーな噺家です。
片岡千恵蔵のものまねが爆笑を呼ぶ昭和演芸についての噺はとても流暢で、組み立ても良く計算されていて、爆笑に継ぐ爆笑。観客はすっかり良い心持ちになってしまうのでありました。
私は木久蔵さんの高座を見てからと言うもの、テレビの笑点での木久扇さんの振る舞いは、全て演技なのだと思うようになりました。まぁ、当たり前っちゃ当たり前ですが。
それにしても、身の上話で1時間近くも観客を釘付けにする話術の持ち主です。感服しないわけにはいきません。
振り返れば、最も長く笑点のメンバーをやり続けることのできた人です。
長くやり続けることの秘訣は何か、と問われたら、木久扇さんは何というでしょうね。これは、私が想像するだけのことではありますが、きっと、こう、おっしゃるんじゃないでしょうかネ。
「頑張らないことですかね。私は、笑点は努力しないでも、つとまった。私はそれが許されたんですね。みなさんから。たまたまそういう仕事に巡り会えたと言うだけでしょうけど」
というようなことを言うのではないか、と。
努力しないでも、天性の自分の持ち味と才能が、とことん生かされていくような場所、舞台。
そういうものに巡り会えた人は、本当に長く続けられるし、幸せでいられるに違いない。
考えてみれば、タモリさんも努力という言葉が嫌いだそうですし、さんまさんも、努力はしたことが無いそうです。
人はみんな、彼らを見ていて、絶対にそんな事は無いだろうと思うのですが、本人たちは、自分の持ち味が発揮されるような場所を探して、探して変遷していくうちに、周りが自分を生かしてくれたと言うようなことを言っています。
それが努力なのだと言えば、言えそうですが、要するに、歯を食いしばって苦手を懸命に克服すると言うようなストーリーとは、どうやら無縁だったみたいですね。
ちなみに、イチローは、小学校時代の自分は努力していたが、中学からは努力しなくても打てていたし守れていたので、「研究」をしていたと言葉を変えています。
世の中の人の大半はどうなのでしょう。
私の勝手な想像ですが、世の半分以上の人は、もともと持っている自分の天性や持ち味で生きている、というよりも、精一杯の努力をして苦手を克服し、技術やスキルを身に付けて仕事をしていることが多いのではないかと思う。
で、改めて、それは非常に尊い立派なことだと思います。
しかし、できることなら、その子の持っている持ち味を、楽に生かせる(活かせる)道があるのなら、そのほうが良いと考えます。
子どもたちを見ていても、この子がどうしてもサッカーをやらなければいけない理由は無いだろうと思う場合もあるし、もっと違う持ち味があるだろうと思えるような子が、一切他のことをしないで、公文に通ったりピアノを習ったりして忙しくしている場合もある。
公文もピアノも、それ自体はものすごく他のことにも作用するし、有益なものだろうと思うが、どうしてもそれでなければならないから、本人の意を屈して苦手克服の努力をしなければならないと言うものではないと思う。
木久扇さんを見ていると、下手な努力で自分を消耗させないでも、楽に楽しく天性の素質や持ち味を生かすことで、どんどんとその力を発揮できることが、やはり幸福の道だと思える。そういう場との遭遇、それこそが大事なのではないかと思うが、未だ、社会には万人がそういう道を進むようには出来ていない。
もしかしたら就職の仕方とか、金を稼ぐとかの概念が変化して、10年後とかにはこういう社会のシステムが改良されているかもしれない。
まあ、世の中とは、変わるものですから。
良い方へと・・・変えていきたいですね。