近所の寄り合いで駄弁っているときに判明したのです。
若い30代の男性が「二礼二拍手一礼を子どもに教えた」という話をしてたら、「地元の年寄りはそんなの昔は誰もやらんかったわ。今でもやりゎせんけど」と、その94歳の素敵なお婆様がおっしゃってました。
それを聞いて、みんな笑ってましたけど、たしかその場には神主さんもいたんだよね。普段着だったけど。否定してませんでした。
明治期、特に昭和になってから流行してるムーブメントのようで、伝統というわけではないようですね。私はてっきり伝統なのかと・・・。
さて、このように明治期に始まったものが「伝統」と呼ばれるのには違和感を抱くわけですが、江戸時代から、あるいはそれよりも前の神社はどんな雰囲気だったのでしょうか?
まず、今のような二礼ニ拍手一礼、などと言うような決まった作法を、江戸時代の人はそれぞれ持っていなかったようです。町人なら町人、商人なら商人、大工さんであれば大工さん、武士なら武士、と言うそれぞれの人間の、畏敬の念をそれぞれが示していたと言うわけです。
ちなみに落語に出てくる熊さんとか、天神様にお参りしたりしますが、誰もそんな複雑な事はしていません。
明治8年の式部寮による「神社祭式」ではただ「再拝拍手」とのみ記されています。それまでの日本では、古来よりそのことすら定まっておりませんでした。定まってない、ということが伝統だったわけ。
なんだか、校則を想起させますね、この展開・・・。神社の作法と校則の、類似点が凄い。「これが正しい!間違いは許さない!正当なもの以外は排除する!」ってな、雰囲気を感じるんだよねー。
まあ、私が住むような田舎では、江戸時代から昭和を経て、令和に至るまで、礼拝の作法の形はずっと自由だったようで、まあ普通はそうだろうなあ、でなきゃ続かないもんな、と納得したのでした。
それにしても、我々は、江戸時代の庶民の実際の姿や心情を、もっと学んだ方が良いかもしれません。江戸時代の川柳とか、庶民の心持ちに多く触れることができますから。
参考文献・
神道の成立(高取正男・平凡社ライブラリー)
古神道は甦る(菅田正昭・橘出版)
神道の本(学研)
ちなみに、
この神社での作法については諸説あります。
「二回おじぎをして二回拍手、一礼(再拝二拍手一拝といいます)」というポピュラーな作法についても、「いや、拍手をする習慣は宮中にはないので拍手をしてはいけない」とか「男性はいいが女性は拍手をするものではない」とか、「一般神社は再拝二拍手一拝だが、出雲大社と宇佐神宮と弥彦神社は再拝四拍手一拝なのだ」とか、「伊勢神宮は四拝(または八拝)八拍手(八開手・やひらで)一拝だ」とか、「いや、本来古い祭祀を司ってきた白川神道の正しい所作は三拝三拍手一拝で、それが正しいのだ」とか、さまざまな異説、ときに「すべて間違いだ」という指摘があります。
だそうです。非常に難易度が高いですね。これではますます神社が遠いものになりそうです。
こうした論議も、なんだか学校の校則のようで、なんだか残念な気が・・・。
