30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

落語あれこれ

林家木久扇さんの卒業と持ち味の話

テレビでお馴染みの笑点の話題。
55年という長きにわたり、座布団メンバーとして活躍してきた林家木久扇師匠が、この3月で卒業だそうだ。

大喜利でとぼけたことを言う木久扇さん。ほとんどの人は、テレビの笑点での師匠の姿しか知らないのではないでしょうか。でも、そうではありません。木久扇師匠は、とてもクレバーな噺家です。

片岡千恵蔵のものまねが爆笑を呼ぶ昭和演芸についての噺はとても流暢で、組み立ても良く計算されていて、爆笑に継ぐ爆笑。観客はすっかり良い心持ちになってしまうのでありました。

私は木久蔵さんの高座を見てからと言うもの、テレビの笑点での木久扇さんの振る舞いは、全て演技なのだと思うようになりました。まぁ、当たり前っちゃ当たり前ですが。

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それにしても、身の上話で1時間近くも観客を釘付けにする話術の持ち主です。感服しないわけにはいきません。
振り返れば、最も長く笑点のメンバーをやり続けることのできた人です。

長くやり続けることの秘訣は何か、と問われたら、木久扇さんは何というでしょうね。これは、私が想像するだけのことではありますが、きっと、こう、おっしゃるんじゃないでしょうかネ。

「頑張らないことですかね。私は、笑点は努力しないでも、つとまった。私はそれが許されたんですね。みなさんから。たまたまそういう仕事に巡り会えたと言うだけでしょうけど」

というようなことを言うのではないか、と。

努力しないでも、天性の自分の持ち味と才能が、とことん生かされていくような場所、舞台。
そういうものに巡り会えた人は、本当に長く続けられるし、幸せでいられるに違いない。

考えてみれば、タモリさんも努力という言葉が嫌いだそうですし、さんまさんも、努力はしたことが無いそうです。
人はみんな、彼らを見ていて、絶対にそんな事は無いだろうと思うのですが、本人たちは、自分の持ち味が発揮されるような場所を探して、探して変遷していくうちに、周りが自分を生かしてくれたと言うようなことを言っています。

それが努力なのだと言えば、言えそうですが、要するに、歯を食いしばって苦手を懸命に克服すると言うようなストーリーとは、どうやら無縁だったみたいですね。

ちなみに、イチローは、小学校時代の自分は努力していたが、中学からは努力しなくても打てていたし守れていたので、「研究」をしていたと言葉を変えています。



世の中の人の大半はどうなのでしょう。

私の勝手な想像ですが、世の半分以上の人は、もともと持っている自分の天性や持ち味で生きている、というよりも、精一杯の努力をして苦手を克服し、技術やスキルを身に付けて仕事をしていることが多いのではないかと思う。
で、改めて、それは非常に尊い立派なことだと思います。

しかし、できることなら、その子の持っている持ち味を、楽に生かせる(活かせる)道があるのなら、そのほうが良いと考えます。


子どもたちを見ていても、この子がどうしてもサッカーをやらなければいけない理由は無いだろうと思う場合もあるし、もっと違う持ち味があるだろうと思えるような子が、一切他のことをしないで、公文に通ったりピアノを習ったりして忙しくしている場合もある。

公文もピアノも、それ自体はものすごく他のことにも作用するし、有益なものだろうと思うが、どうしてもそれでなければならないから、本人の意を屈して苦手克服の努力をしなければならないと言うものではないと思う。

木久扇さんを見ていると、下手な努力で自分を消耗させないでも、楽に楽しく天性の素質や持ち味を生かすことで、どんどんとその力を発揮できることが、やはり幸福の道だと思える。そういう場との遭遇、それこそが大事なのではないかと思うが、未だ、社会には万人がそういう道を進むようには出来ていない。

もしかしたら就職の仕方とか、金を稼ぐとかの概念が変化して、10年後とかにはこういう社会のシステムが改良されているかもしれない。

まあ、世の中とは、変わるものですから。

良い方へと・・・変えていきたいですね。

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おじいさんが、子どもの真似をするとなぜこうも面白いのか?

落語を久しぶりに見に行った。
寄席に行くのはそれこそ、子育てを始めてからは、ほとんど行ったことがない。つまり、今回は実に20年ぶりの落語鑑賞であった。

久しぶりに落語を聞くと、若い頃とは、また違う味わいがあった。
昔は、話が面白いかうまいか下手か、というところに興味関心があったと思う。
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ところが、自分が50歳を過ぎてからだと、何と言うか、舞台に立つ演者、つまり落語家さんそのものに興味を覚える。

だから、少々セリフを間違えようが、滑舌が悪かろうが、噛んだとしても、相手を悪く思うようなことがない。

演じ手がどれだけ苦労して、緊張して覚悟をして、そこに立っているかがわかるので、面白いかどうかなんて言うレベルで話は聞いていないのである。
思う事は、ただ1つ、頑張って!と、ひたすらに、相手が無事にやり終えることへの応援と、うまく演じたときの相手を讃えるような喜びの気持ちだけ。

若いときには感じなかった、演者へ対する、妙な親近感を今回は新しく感じたのでありました。つまり、これはね、言い換えますと

自分が歳をとり、落語家の年齢に近くなった

と言うだけのことであります。
実際、自分と年齢の近い噺家が、格段に増えました。そのはずです。もう私は53歳を過ぎてますので。

このブログを始めたのが、35歳の時ですから、その当時は、やはりまだ落語家と言えば、自分よりずいぶん年上。年寄りだなぁと思っていた。
今回、自分とさほど変わらない人を何人か見ました。自分より若い落語家さんもたくさんいました。いわゆる真打ちのベテランさんも、年齢が近いんです。

どれだけこの方が苦労されて、この場に座っているかを考えると、笑うどころではなく、泣けてくる気もする。
素晴らしい技量にすごいなぁと感心する思いと、同じく毎日のように人前で相手を飽きさせないようにしゃべる、という点で負けられないと言うライバル心と、お互いに頑張りましょうと言う、思わず肩を叩きたくなるような親近感の、ないまぜになったような気持ちを持った。

もう一つ、今回改めて発見したのは、おじいさんが、子どもの真似をすると、非常に面白い、と、いうことです。
噺によっては、八つぁんの息子の金坊(きんぼう)と言うのが登場するのですが、この小学校低学年くらい歳の金坊が、大概めちゃくちゃ面白い。数ある登場人物の中でも、魅力ある人物です。
この小学校低学年を、70から80を超えたような、白髪とシワの寄ったおじいさんが演じると言うところが、妙に面白い。子どもになりきってしまうのである。どう見ても、本当に幼い子のような表情や仕草セリフ、あどけない目つきなどを、目の前に正座してる爺さまが見せるのです。

で、よくわかりました。

なぜおじいさんが面白いのか。
これはね、タイムマシンです。
だって、絶対に、このおじさんは、そういう年頃を経験してきているのです。金坊のような小学校時代を、この落語家おじいさんは、実際に経験をしてきているのです。だから、うまい。
このおじいさんの子どもだったときの姿が、落語のストーリーを借りて、舞台に生き生きと表出されてきているのです。

観客はそこに、タイムマシンのような、時間の揺れを感じます。
その揺れが、あたかもブランコのように作用し、目まぐるしい視点の変化を得ると同時に、我々はそこにワクワク感や、時空時間の移動を感じ、興奮するのでしょう。ディズニーランドやUSJ、富士急ハイランドには申し訳ないが、どんなアトラクションよりも、こっちの「揺れ」のほうが、精神的には激しいですナ。

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笑福亭仁鶴さんの思い出

笑福亭仁鶴さんがお亡くなりになった。
ニュースを聞いて、また一つ、時代が終わったという感じがして、椅子に座り込んだ。
枝雀さんが亡くなり、米朝師匠も亡くなった。
東京では志ん朝さんが亡くなり、小さん師匠に柳昇さん、文治、柳橋、円楽さんも亡くなった。
忘れちゃいけない、立川談志さんもだ。

米朝師匠の訃報を聞いたとき、呆然としていたら、その後すぐに入船亭扇橋師匠も亡くなって、くやしくて泣けてきた。もう一度、見たい、そのうち見れる、会える、と浅はかにも思っていた。
それから、春団治師匠も可朝さんも、歌丸さんも亡くなった。

寄席(よせ)というのは、一番ホッとできる空間だ。
演者は精一杯の配慮をする。
お客さんは素直に楽しむ。

そこでは、一対一の関係だ。
演者と客は、一対一なのだ。真正面からの、「お互い」なのだ。
噺が終わると、こちらも不思議とお辞儀をしたくなる。そのお互いの関係が、仁鶴さんとはもう結べない。

高校生の頃に名古屋の「なごやか寄席」に出てくれた。ラジオ番組の収録だ。
前から3列目で仁鶴さんを見ていると、この人は顔と声のトーン(質)で、ものすごく得をしているな、と気づいた。もちろんお顔はご本人のおっしゃる通りで四角くて大きく、口が横にも縦にもよく開いて動く。しかしながら声はしっとりとしていて、聞いている人を落ち着かせる。
最大の特徴は眉で、これは各方面からも指摘がある通りだ。仁鶴さんの評にはたくさんの識者がこのことについて書いているが、眉が上がっても目つきがするどくならず、逆に小さな目が一生懸命にまっすぐを見つめるためにこの人の素朴さや正直さが強調されてくる。
ボンカレーのCMやモルツのCMでも、目を一生懸命に見開こうと眉をあげればあげるほど、他の人にはないくらいの「努力」を感じさせる。最大に見開いたとしても、その小さな瞳は小さなままだからだ。だから、多くの人が、この人の顔やしゃべりに、圧迫感を感じない。

圧迫感を出さない、逆に素直で純なものを感じさせる。
それが、この「眉」なのだ。このことは、芸人の最大の長所であったろう。
人は、「どうだ、すごいだろう」を見たいわけではない。
そこが、芸だ。

テープで一番聞いたのは「道具屋」「初天神」「青菜」だったか。
近所の図書館で借りたのを、ダビングして自分で何度も聞いた。
噺が短いから、覚えようと思ったのだ。
でも覚えられなかった。やはり言葉のイントネーションが違う。関西の落語は名古屋の高校生にはまねができなかった。仁鶴さんは、あの「眉」で、あの「声」だからこそ、面白かったのだ。
とぼけた感じや、やさしい話し方が好きだった。

今、日本中が訃報に接して暗くなっている。
エンゼルス・大谷選手の40号のホームランで一瞬だけ明るくなったが、一時しのぎだった。
仁鶴さんの訃報を聞いて、喪に服す人は多いだろう。
仁鶴さん、浄土よりこちらの世界をどうか優しく見守ってくださいね。
合掌。

仁鶴師匠

今年はユーチューブを始めたい

ユーチューブをやりたいと思ったのは、すごく面白い動画に出会ったことがきっかけです。
昨年の9月ごろでしたか・・・。

わたしはそのころ、5年生のキャンプを控えていました。
土日になると飯盒炊飯の動画を見て、子どもへの指導の方法を考えていました。たまたまその中でみた動画が、すっごく面白かったのです。

ソロキャンプにあこがれている方が、山ではなくて自宅の庭で外用の時計型ストーブに火をつける、というただそれだけの、本当に意味のないような焚火の動画だったのですが、すっごく面白かった。

人間の顔は出てきません。セリフもない。
ただ、ゆっくりと焚火をしているだけ。
そこに、ときおり、その人のひとりごとのような、文字のテロップが入るのです。
「あちち」
とか。

「そろそろ湯を沸かすか・・・」
というような。

「あれ?コップをどこへ置いた?」
とかね。

で、時おり、目の前の道を小さな息子さんが自転車で通っていき、
「あ、息子だ」
とか。

まあ、日曜日の昼下がり、『お父さんなにやってんの!』という感じですね。
会社員のお父さんが、非日常を求めて、庭で薪をただ燃やす、というだけ。
それも、10分くらいの短い、ポエムのような動画でした。

おもしろかったのは、最後、奥さんに呼ばれて、「ちょっとー」と言われて、「今日の動画はこれで終わりです」となる。子育て家族のお父さんが、本当に30分程度でしょうか、自分だけの時間を焚火で過ごすわけ。

それをわざわざ、編集し、10分の動画にしている。
わたしはこれを見て、これが現代の俳句かしら、と考えました。
お父さんはその後、家族のためにスーパーに買い物に行くわけですが、
『その方の日常を、スパンと横からぶった切ったような、その断面を眺めているような』感じがしたのです。

おお、こんなことができるんだ、動画って、と感心しました。
人生を切り取るのは、落語か俳句か短歌か、それとも昭和の歌謡曲だとばかり思っていました。
ところが、この動画は、その方の声も顔も見えないけれど、生活の雰囲気や感じていることや、いいお父さんなんだな、ということや、なにか仕事のことで考えているんだなとか、語らないこと、画面に映されていないあれこれを、ものすごく感じさせてくれました。

動画って、その人の目線が現れるから、本当に「人間性」が出るみたい。
わたしの知り合いの動画編集の青年も、同じようなことを言っていました。
「動画は人間性をアピールできるツール」というようなことを言ってました。
そうだな、と思います。

いいなあ、こんな動画ならぜひ撮ってみたい。
そう思ったのが、去年の秋でしたかね。
今年はぜひ、動画をとってみたい。
俳句ですよ、これは。

今のYoutubeって、多くの人が投稿しています。
まあユーチューブだけじゃないですけどね。
多くの人がつぶやいている日常を、

俳句動画

のようにして、こんなふうにアップしている人がたくさんいるのを初めて知りました。
アクセス数はとても少ないですね。だから、これでお小遣いを稼ごうとか、そんなのではないのでしょう。あくまでも、

俳句

のようなスタンスだと思います。
ぜひやってみたいですね。

というか、小学校の授業で、こういうのやろうと思ったのですよ。
ちょっとしたつぶやき動画というのか、セリフ無し、顔なし、演技無し、広告なし、アピールなし、というようなことでの、

【純粋俳句動画】

を子どもがつくったらどうだろうか。

日常を撮影して、最後にその子なりのつぶやきをテロップで入れたら・・・

まあ、直感だけです。面白そう、というネ。
なんの授業になるんだろうか、道徳なのか図工なのか・・・。

いいなあ。やってみよう。

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柳家小三治さんの「初天神」

学校で招いたお話サークルの方が、落語を演じてくださった。
子どもたちは、落語なんて生で見るのは初めての子ばかり。
「右を向いたら女の人で、左を向いたら男の人だったからすごいと思った」
こんな感想が出るくらい。

久しぶりに落語のことを思い出したので、
昔描いた記事から再掲。

もう20年以上前に、小三治さんを国立演芸場でみたときに書いたもの。
半蔵門の駅へ向かって歩いて帰るときに、心の中で何度も
「来てよかった、来てよかった」とつぶやいたっけ。

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柳家小三治さんの「初天神」。

涙が出る。

最高の舞台だ。
この目で見れて、幸福だった。
小三治さんがいて、本当によかった。落語が、ますます好きになった。

まくらの時の所作から、湯飲みに手をのばすしぐさから、そこから、しびれた。

この動き。
背筋がのびて、かといって、力が入りすぎていない、自然体。
ちょっとしたくすぐりで、肩と背の形が変わり、そこが客の笑いを自然に誘う。とても落ち着く。
春風亭柳橋さんの物まねだった。

どうしたら、あんなふうに、座布団にすわれるのだろう。

客におもねず、ゆずらず、それでいて、何も意図せず、といった風。
楽でありながら、すべて計算尽くし、といった感がある。
何が起きても、どんな料理でも、してみせる、という自信だろう。
鍛え上げた、あるいは、筋金入り。
と、言っていい。

力量なのだろう。


教壇に、あんなふうに立ってみたい、と思う。
それができれば、教師としての、名人だろう。

初天神。
むだのないセリフ。
出だしから、いきなり、魅せてくれる。

おっかあ、羽織をとってくれ、といったときの、鼻に手をやるしぐさ、そこからすでに、100%の出来だ。小三治としてはふと、自然に出たのかと思うが、すでに登場人物になっている。見事すぎる。

金坊が、わずかに上を向いて、にこにこ現れるときの、かわいらしさ。
あ、そういえばさ、天神様が初天神だもの、父ちゃん天神様好きだからさ、天神様行くんだろう、・・・

このくだりも、とぼけたような、真剣になったような、子どもの表情が、どうしてこの70歳近い老人の表に、くっきりと浮かび上がってくるのだろう、とため息がでてしようがない。

団子に、蜜と、あんこ、両方を選ばせるところの、セリフのこまかさ。
しびれる。

そして、きわめつけは、蜜のすすり方。
「なんだこれ、この水あめみてぇな・・・これは蜜じゃねえ、水だよ」
最後の方のセリフが聞き取れない、そうだ、そのはず、すでに口元に串をやって、蜜をすすりはじめている。なんともリアルだ。ぐいぐい、ひきこまれていく。無駄の無さ。完璧だ。

これで見せ場が終わり、なのではない。だからすごい。
凧揚げの、セリフ。

「引きがいいねえ・・どうでぇこりゃ、そうらそら・・・・、おっと、こりゃあ、糸、足んねえかな。もっと買ってくりゃよかったな」

このとき、もっと買ってくりゃよかったな、のところは、本当に男のつぶやき、なのである。セリフではなく、つぶやきなのだ。すごい臨場感がある。背中がぞくぞくと震えた。

凧を見上げる視線がぶれない。おそらく、ホールの天井付近から二階席を見上げているのだろうが、本当に凧が、揚がっているように見える。

最後。
「こんなことなら、父ちゃんなんて連れてくるんじゃなかった」

泣けた。
落語は『微笑の哲学』だといった人がいたが、本当だ。
その哲学が生きている。
人間の可笑しみ、さびしさ、楽しさ、思わず出てくる微笑、苦笑・・・。

ああ、人間がいる。
人(ひと)が、生きている。
人がいとおしい、いとおしさの湧き上がる舞台だった。落語の奥深さ、そして哲学、人生が塗り込められた舞台だった。つきぬけるような、人の表現・・・。



人を、愛さずにはいられない、と思う。
落語を聴けば聞くほど、人が好きになる。

kosanjisan

1月3日の鈴本演芸場がすごい!

今年の秋以後、映画界で話題になっていたのが、伝説のバンド、クイーンの実話を元にした映画、「ボヘミアン=ラプソディ」だ。

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そのリード・ボーカルにして、史上最高のエンタティナーと讃えられた、フレディ・マーキュリーの生きざまを映し出した、ミュージック・エンターテイメント。
すでに映画の世界では、あの不朽の名作、スターウォーズに匹敵するほどの動員数を稼ぐのではないかというから、凄すぎる。

ところで、落語界に目を向ければ、この年始のビッグイベント、正月初席がすごい。
1月3日の鈴本演芸場、第三部。これがいちばんのおすすめだろう。

ちなみに、ラインナップはこうなっている。
【 第 三 部 】
当日券発売:12時00分
開  場 : 17時20分
開  演 : 17時30分
終  演 : 20時40分
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17:30
曲  独  楽 三  増 紋之助
落     語 林  家 たけ平
落     語 柳  亭 燕  路
音 曲 漫 才  お  し  ど  り
講     談 宝  井 琴  調
18:10
漫     才  ホンキートンク
落     語 五街道 雲  助
落     語 春風亭 一  朝
落     語 桃月庵 白  酒
粋     曲 柳  家 小  菊
落     語 柳  家 権太楼
お仲入り 19:10
壽  獅  子  太 神 楽 社 中
落     語 柳  家 小三治
も の ま ね 江戸家 小  猫
落     語 柳  家 喬太郎
紙  切  り  林  家 正  楽
落     語 柳  家 三  三
20:40

ここまで見事な演目構成を、思う存分楽しめるとあれば、行かない理由が見つからない。
まさに、クイーンの『ボヘミアンラプソディ』を超える、稀代のエンターテイメント・ショー、である。

このうち、背筋を伸ばし、たたずまいを直して見なくてはいけないのが仲入り後の、柳家小三治だろう。すでに80代に入ろうかという師匠の、そのご尊顔をうかがうだけでも、価値のあるチケットになる。

小三治さんで正統な古典落語を聞いて、心境を整え、新年のあたらしい出発を心に誓うことが叶うのだから、落語ファンならずとも、日本人なら全員が行って当然だと思う。

そしてそれだけではない。師匠のあと、柳家喬太郎がでる。あの、陽気な顔を見られるだけでも『福』が舞い込んでくる気がする。
さらには、紙切りの正楽師匠も出る。
あの、とがった鋏(はさみ)をどう使うか分からないから、危険な香りがぷんぷんする師匠だ。あまり近くの席で見ないほうがいい。下手なホラー映画よりももっと怖い。だが、その怖さを間近で体感できるとあれば、行かないわけにはいくまい。

振り返ってみると、大御所の小三治師匠に至るまでの、道のりが、心憎い。
最初は、曲独楽の三増紋之助さん。
正月のめでたい気分を、さっくりと味あわせてくれそうだ。
会席料理のコースでいったら、先付、お通しにあたる。
まずはさっぱり、上品な赤貝の酢の物、といった感だろう。

次に落語、林家たけ平。こぶ平の弟子だが、小朝の指導も生きている本格派だ。
料理で言えば、前菜・小鰭(こはだ)、という感じ。
塩と酢で締めたやつは、口中がさっぱりとしながら味がある。

その後、柳亭燕路、おしどり、ときて、講談・宝井琴調(たからい きんちょう)だ。
琴調さんは、年末になると「暮れの鈴本 琴調六夜」として、鈴本の夜をしきっている重鎮。
五代目(先代)の馬琴さんが師匠という、本物の正統派であり、今の講談界でもっとも実力のある人だろう。

ここで、ちょっと、吸い物、お刺身、と一気に出てきた感がありますね。

大物を味わったあとで、ホンキートンクの漫才を軽く味わう。
これもまた、洒落ていますな。
その後、落語のオンパレード。たぶん、顎がひきつるくらい笑えるでしょう。

五街道雲助
春風亭一朝
桃月庵白酒
柳家権太楼
と。

次から次へと、舞台にのぼってくる、じいさんたちの顔。
これでもか、これでもか、と眺めることができます。
年を取った男の人の顔というのは、なぜこうも、味があるのでしょう。
歴史というものは、なかなか理解できないものですが、パッとみて感じるのにこんなにうってつけのものはありません。すなわち、じいさんの顔です。60分もずっと長い間、お年寄りの顔をみていれば、時の流れ、というものをきちんと理解することができるはずです。

さて、仲入りには必ずトイレに行きましょう。
そして、かならず手を洗い、うがいをして、身を清めます。
懐(ふところ)にしのばせてきた塩を口にふくみ、気持ちを静め、集中します。

ホールの廊下を静かに歩き、座席へゆっくりと座ったら目を閉じて、深呼吸しておきます。
目はまだしばらくつむっておきましょう。仲入りが終わり、出囃子が聞こえます。
出囃子の音を聞きながら、

「今は江戸時代だ、江戸時代だ、江戸時代だ」

と、3べん、唱えましょう。

そして着てきた和服のたもとから手を入れて、襟がたるんでいないかチェック。
もしかしたら小三治師匠と目が合うかもしれません。これは、まさかのときのための準備です。
最後に、深く息をしながら、ゆっくりと目を開きます。

きこえてくるのは、・・・小三治師匠の出囃子、『二上りかっこ』。
あの、軽妙なリズムが聞こえてくるだけで、胸をうつものがありますね。

さあ、あなたの目に映るのは、あの、小三治師匠です。
蒸し物、焼き物、煮物、ご飯もの、すべてを凌駕する、メインディッシュは、この方でしょう!

kosanji

「江戸時代以来」の落語ブームって、ほんと?

.
今、どうやら落語ブームが来ているらしい。
【NHK クローズアップ現代 2016年10月放送】
「いま、「江戸時代以来」の落語ブームが巻き起こっている。首都圏の落語会は月1000件以上と10年前の倍。深夜寄席には大行列ができ、20―30代のファンが急増。個性派若手ユニット「成金」ら、新世代の成長が著しい。落語本来の「大衆性」を取り戻そうと、言葉使いを変え、SNSを駆使し、カフェの出張落語会まで仕掛ける奮闘ぶりだ。デジタル隆盛の中、落語特有のライブ感や世界観に共感し、魅了される若者たち。オリジナル小噺も交え、「平成の落語ブーム」の魅力をひもとく。」

この番組をみたとき、なにが衝撃だったかというと、
「おおお!今、落語ブームなのか!」
ということ自体に感動した。

天下のNHKが、そう断言してくれた、ということが、何よりも嬉しくて、とても気分が高揚したのを覚えている。

自分の中では、平成になってもう2度ほどブームが起き、すでにブームが去ったのか、と思っていたら、なにやら世間の感覚とちがったようだ。

まあ、そんなことはおいておいて、

落語がブームになるのは、明治のころからの日本の伝統であるが、いつの時代にも、わたし同様、落語に魅力を感じる人は多いらしい。とくにこの頃の若い人は、落語が新鮮に感じるのだ、という。

何よりも、登場してくる人物がいい加減で、また洒落ていて、さらにいえばコミュニケーションが上手である。

この、コミュニケーションの上手さ、というのが、どうやらあこがれ、であるようだ。

今の時代、コミュ障、なんていう言葉ができるくらいで、人々の中の強迫的なまでの、

「コミュニケーション上手にならなければ」

という観念が、現代人の多くをつき動かしている。

その肥大化した観念を持った現代人が聴くと、江戸の人付き合いのセンスをもつ熊公や八っつぁんのもつ浮かれたノリが、まるで異星人のように感じられるらしい。長屋のご隠居と共に、熊公も定吉も番頭さんも糊屋の婆さんも、みんながみんな、世間知らずのままでも決して動じず、軽々と生きている有り様が、若い人に受けている。

本屋に行けば、棚に並んでいるのは

「人付き合いがうまくいく方法」

だとか、

「雑談力」

だとか、

「上司や部下とうまくコミュニケーションをとる会話術」

なんていう本が束になって売られている。
今や、コミュニケーション不安という強迫で、ずいぶんと市場はにぎわっているらしいことがわかる。


落語って、ただのおしゃべりのような気もするし、

だったら漫才やコントの方が、現代風であると思うのですが、なぜ落語なのでしょうネ?


それは、ネ。


現代人が、物語(ストーリー)に、飢えているから、ではないでしょうか、ね。

コントや漫才の表出する「物語(ものがたり)性」は、一時のもの。一過性。束の間のもの。

ところが、落語は、それらよりかは、はるかに世界に広がりを感じさせる。

テレビ番組のひな段芸人のお喋りや、コント漫才にはない、さらなる刺激を、若い人が求め始めた、ということではないでしょうかね。

「らくだ」(落語の噺のひとつ)

なんて聞いたら、若い人たちみんな、卒倒しちゃうんじゃないでしょうか。
だって、最初から、死人を背負って歩くのですよ。
「長屋の花見」、「算段の平兵衛」、「粗忽長屋」の死人など・・・
落語には、放送禁止レベルの描写が、わんさか。

また、長屋の空間にはプライベート感など、一切ありません。
「おい、いるかい」
なんて、すぐに誰でも部屋に入ってきちゃう。
その部屋だって、たたみ三畳、四畳、広くて六畳。
江戸間の六畳がつづく路地で、わいわい言いながらみんなで暮らすんですから。

当時はおそらく、コミュニケーション、なんていう言葉も、なかったでしょうね。コミュニケーションなんて言葉を使いだしたから、みんな悩むようになったのかもね。



現代は、人間から人間へ、の刺激が足りないのでしょう。
とくに若い人たちには。

そんな長屋の【絶頂レベルの刺激世界】を、熊さんや八っつあんたちは、いとも軽妙、軽々と飄々と泳ぎ、わたっていく。

その姿に、最高レベルのあこがれ、を感じているのではないでしょうか。

ブーム

中高生こそ、落語を聴け!

.
落語歴30年以上だから、このくらい言ってもゆるされるやろ。

「中高生は、落語を聴け!」

その理由は、耳に残るから、である。

いつまでも、残る。

たぶん、死ぬまで、残りつづける。

こんな残り方は、中高生でとことん聞きまくった状況でないかぎり、ありえないだろう。


なぜ、中高生のときの映像は、いつまでも生きているように、記憶に残るのだろうか。

わたしは、米朝が舞台上で

「還暦を迎えまして」

と言ったのを間近で見た。
「算段の平兵衛」という、ひときわ長い噺で、体力の要る舞台だったと思うが、米朝はノリにのっていて、絶好調だった。

わたしは還暦の爺さん、というのはよぼよぼのイメージだったのだが、米朝は枕のボケもギャグも新鮮で、ウケに受けていたから、やっぱ落語は爺さんに限るな、と帰り道に歩きながら合点したものだ。

今からすれば、還暦なんてまだまだ若手だ。

わたしは、たちまち、米朝のファンとなった。

ファンになって一番困ったのが、新聞の見出しをみて、ドキッとすることである。

新聞の一面に、黒々とでかく、トップの見出し!

朝一番に、
「米朝緊急会談実現」

とか真っ黒のでかい見出しの字を見ると、本当に心臓がとびだしそうなほど驚いた。

いったい、米朝師匠がだれと会談したのか!?

まさか関西圏を飛び出して、円楽さんと日テレ「笑点」にでるなんて話してないだろうな・・・。

ところが大体、新聞のトップ一面に載った「米朝」は、米朝師匠のことではないようだったので、がっかりしたものだ。

いまだに、アメリカを「米」と書くことには、ずいぶん違和感がある。
(北朝鮮を「朝」と略すのも、いい加減やめてほしい)


***


中高生のころ、学校の勉強はそっちのけ、全精力を落語に傾けていた時期、おそらく脳みそが特殊に開発されたとしか思えないが、今でも当時のギャグや声の調子、枕の小噺など、すべて脳裡によみがえってくる。

いつでも無料で動画が見られるようなものだ。

いってみれば、すっかり脳みそに永久保存されているわけ。


わたしは、ひまなとき、ふと目をとじる。

そして、頭の中で、チャンネルを合わせる。

「きょうは、えっと・・・、米朝にしようかな。話は・・・、そうだなあ、池田の猪買いか、皿屋敷か・・・」

すると、自動的に再生がはじまり、映像がスーッと流れていく。



で、飽きない。

なぜかというと、同じ話をきいても、発見があるからで、2回目には見えなかったことが、3回目に見えてきたり、10回目に見えてきたり、100回目

ハッ!!

とすることもあるからで、こうなったら、私の人生に、もはや、新作は要らない。



よく、ビデオレンタルなんかで、新しい映画の新作を次々に借りる人がいる。
私の嫁様も、よくハリウッド映画の新作を借りて来て見ているが、わたしは見ない。

なぜなら、そんなものを見ている暇はなく、時間の余裕がないからである。
忙しい中でも、暇をみつけては、落語を見なければならないからである。

カーナビのハードディスクに、小三治さんの落語がかなりつめこんであって、わたしはそればかり聞いている。たまに嫁様が同乗するときに小三治の音声が流れると、

「うわっ!またこれ聞いてる!・・・ったくもぅ、同じのばっかりで飽きないの?」

と、本当に呆れたように言われるけど・・・。


でもね、飽きないのですわ。

舞台の落語もいいけど、

音声で聞く落語や、脳内再生する落語はね、

ここでこんなふうに、とか、

ここの言い回しはもっとこう、とか、

声をはるところ、

ぼそっというところ、

間延びしたこえでとぼけたようにいうところ、

おかみさんが極端に下手に出る言い方とか、

わざと丁稚がカン違いして言うところとか、


聴きながら、どんどんと、

工夫をして、

聞くのですよ。




だから、忙しい!

だから、一度聞いたくらいじゃ、消化できない!!

何度も聞かないと、分からない!!

したがって、おんなじ噺を、

何度も何度も何度も何度も、くりかえしくりかえし、

聴くことになるのです。



当然、世間の話題に疎くなります!

ざんねん!

なんで、こんな趣味嗜好になっちまったんだ?



はっ、きっと米朝のせいだ。ちっくしょう!
あいつの落語をきいたせいで、こんなことに・・・


いや、

米朝師匠の、おかげですね。

おかげで、カネのかからん趣味が手に入りましたから。

ありがたい!

米朝師匠、安らかに。合掌。

beicho


写真は、一昨年夏の「米朝展」。

春風亭一之輔のまなざし


春風亭一之輔に、熱い視線が集まっている。
なにしろ、あの眼光鋭い、小三冶さんが

「あの人はなかなか」

とおっしゃったそうですよ。
こりゃー、なかなかの逸材と見ました。

なによりも、客をのんでかかっているのがイイって。

客をのんでかかる、というのがどういうことなのか、まだ分かりませんが、ひたすら

「どうなってもいい」

という感じの雰囲気がするんだとしたら、・・・たいへん、いいですねえ。

受けるかどうか、ということについて、冷静な人ほど、「どうなってもいい」という雰囲気がするのです。小三冶師匠もそうですね。枕から笑えるのは、この人、今日の噺なんざ、どうでもいい!と思っているんじゃないか、という、軽味(かろみ)が、おかしみに通じるからだろうと思います。
受けるかどうか、びくびくしているような弱気が見えると、なんだか気の毒になって、笑えませんからね。
一度、人生、「どうなってもいい!」という境地を知ることが大きいですな。

さて、一之輔さん。
びくびくしていません。
弱気が見えないのです。
この強気は、どこからくるんだ、と。
明日から落語家辞めてもいい、というくらいに思っているんじゃないか、と。
(それは立川談志師か)

受けるかどうか、客を試しているようなところがあり、

「ふふん、この程度で、これだけ笑うのか、ほお」

というような計算をしている風がある。(ここらは春風亭小朝師に似る)

また、受けないで当然、というような風がある。
「こちとら、笑ってもらおうなんて、思ってませんから」という感じ。
笑わせる、という風でなく、演じる、という具合。
演じて、演じて、演じて、笑わせる、という具合。

「受けないのは、演じていないから。」

これは、だれの言葉だったか・・・。
いつも思い出すのですが、キラ星のごとく光り居並んだ、あの昭和の名人たちのうちの、誰だったかのセリフでございます。興津要氏だったか、安藤鶴夫(アンツル)氏だったか、どなたかの本で読んだのだったかなあ・・・。

教員も、演じてナンボ、でしょうかねえ。

寺尾 聰さんの父親、俳優・宇野重吉さんの言葉に、

「思えば出る」

というのがある。
つまり、思いと芸(行い)が一致している状態、それが実ということ・・・だと。


言いたいことがあれば。
他の人より何倍も何十倍も思わなくては駄目。
人が10思うとしたら、100思えばいい。
そうして思いを深くしていけば、自然と伝わるものなのだ、と。
ああしよう、こうしようと小手先のことなどに執らわれるな。形にとらわれると、伝わらない。

・・・ということらしい。

その、「思い」とは何か。

以前は、「思いを放す」みたいなことばかり考えていて、
ともすれば「思っちゃダメ」のようにもなりかけて、我執を放すというのは難しいなあ、などと嘆息していたものだが、徒労であった。

思うのは自由。
もともと、自由なもの。
なんと、開放された気分だったろう。

相手が何を思うのも、自由。
わたしも、自由。

で、いったい、「何を思うのか」が・・・。
やはり教員、演じてなんぼ、ですかねぇ。
あれだけ純粋な眼で、見つめる目のある空間(教室)で、「なにか」を伝えなくてはいけないのですからナ。

「俳優とは本質を行動であらわす芸術である」(ステラ・アドラー)




映画「小三冶」を見る


休みの日なので、なんだか頭の中がいつもとちがう。

急に、過去のことをふと思い出したりする。

なつかしくなって、これまでずっと棚の中にねむりつづけていた、秘蔵のDVD、「映画<小三冶>」を見た。

なんだか、胸に迫るものがあって、何度も繰り返し見た。

お客のために、ついがんばってしまう。

師匠は、そんなことを言っていた。

目の前に、客がいる。
プレイヤーとして、最高のモノを見せたい、と思う。

わかります。その気持ち・・・。




師匠と同じにしては気が咎めますが、教師も似たことを思います。
この授業を、最高のモノにしたい、と思ってやっています。



小三冶さんの、まくら。
まくらの最初は、独特の間からはじまる。
また、ぽつっ、ポツッ、と、身近な話を繰り出してくる。

こんなあたりは、授業の導入ととてもよく似ていると思う。

入船亭扇橋さんが、小三冶さんに噺のアドバイスをするシーンも印象に残った。

「鰍沢」がやりたい、という小三冶さんに、

「あれは、トントントン(扉をたたく音)、はーい、というだろ。あの「はーい」が低いんだよね。<はーい!>なぁーんて、高い声じゃぜんぜんだめだ。(少し下目線で、低く)「はーい」・・・こうでなけりゃ。あそこが肝だ」

と、すぐさま噺の一番大事な聞かせどころを教えていた。
あれは、頭の中に、そういったものがなければ、言えない。
鰍沢をとことんやりぬいた扇橋さんならではの、アドバイスだった。




「南山大学の落研」の思い出




落語に出会ったのは、中学時代。
高校でハマった。
今のプロの落語家もそうらしい。
先日、柳家喬太郎さんも同じことを言っていらした。(噺のまくらで)

高校の頃、近所の南山大学の落研を訪れると、部室に入れてもらえた。部長(主幹)の可愛家悪魔(かわいやでびる)さんなど、今でもなつかしくあのときの光景をまざまざと思い出せる。
高校生の私に、ずいぶんと気をつかっていただいた。

ある日、大学生の先輩方が、高校生の私に向かって、写真クイズを出した。

「これ、だれかわかるか」

立派な写真のコピー。
大切なファイルから出して、私の目の前に置いた。
羽織を着て、噺をしているところ。高座姿の白黒写真だ。
ひと目で、昭和30年代、戦後間もなくの全盛期のころと分かった。
古今亭志ん生や桂文楽をはじめ、きら星のごとく居並んだ名人たち。

この人は・・・。

一瞬、自信がなかったものだから、頭の部分だけを遠慮がちにつぶやいたと思う。
こっちは初心な高校生。たばこをスパスパと吸い、車を運転する大学生が、立派な大人に見えた。自分だって数年後にはそうなる、とわかっていたのに。

「春風亭・・・ですか」
「そのあと、なんや」

ちょっと考えて、柳橋、と出てきたのに、間違えるのがこわくて、ついこう言ってしまった。

「すみません、わかりません」
「おしいな。6代目の柳橋師匠やがな。おぼえとけ」

関西から来られた方らしかった。
(伏見の中電ホールで落語会をした折、<ちょうずまわし>をたいへんうまく演じられたのを記憶している)


そんなことを南山大学の部室でやっている頃。
恋勢家乙女先輩から声がかかった。

「いっしょに、噺ききに行こうよ」

部員みんなで行く企画があった。
それが、小三冶師匠、との出会いだった。

みんなで地下鉄を乗り継いで、名城線のどこかの駅で降りた。
ホールへ着くと、ひとりの女性の先輩が、

「百川(ももかわ)でありますように・・・百川でありますように・・・」
とつぶやいている。
それをみんなでうんうん、とうなずきあっている。

私は他の人の百川をすでに聞いていたから、自分の知らない新しい噺がいいな、と漠然と思った。

今となっては、百川で本当に良かった、と心の底から思う。
まぶたを閉じると、あの頃の小三冶師匠の声までがよみがえってくるようだ。
噺のまくらがまた面白く、これ以上長くなると2つめの噺ができない、といって最初の一つ目の高座を降りたのを覚えている。

さて、2席目の「百川」、終わった途端に、くだんの女先輩が、他の先輩たちに抱きかかえられて座席から運ばれていた。夢にも思わなかった「百川」が聞けて、放心状態、だった。泣き崩れていた。

「よかった、よかった・・・!」

南山大学の大学祭。その年の落研は、なんと桂枝雀師匠を招いた。
桂枝雀さんは、豹柄の、奇抜でおもしろい帽子をかぶってタクシーから降りてきた。
あんな格好だったら、確実に芸能人だとばれてしまいそうな・・・、と思った。
私は高校生の当時付き合っていた彼女を連れて枝雀さんの噺を聞き、枝雀師匠を紅潮した顔で出迎える可愛家悪魔さんたちを見た。

卒業を間近に控え、わたしは南山大学を必死の思いで受験したが、落ちた。
可愛家悪魔を襲名したかったが、それはできなくなった。
そのかわり、島根へ行って、宍道亭しじみ、となる。
ああ、なんだか涙腺がゆるんできた。




NHK爆問学問、今度は横澤プロデューサー




横澤彪(よこざわたけし)さん。

笑っていいとも、おれたちひょうきん族、という番組のプロデューサーとして名をはせた横澤さんが、爆問学問に出ていた。
爆笑問題も今度ばかりは生意気なことを言っていられず、正座でもして会うのではないかと思ったが、番組の冒頭ですぐに太田光が

「オレ、風呂入ってきた」

といったのが、衝撃だった。
やはり、ちゃんと身を清めてきた、というわけだ。
さすが太田さん。


横澤彪氏は、もうほとんどの人がご存じでしょうが、フジテレビの名プロデューサーであります。
お笑い界のビッグ3ことタモリ、ビートたけし、明石家さんまをスターダムへと押し上げることに一役買った。


横澤氏に向かって、テレビとはなんぞや、芸人とはなんぞや、漫才とは、と太田も矢継ぎ早に質問攻め。
彼が一番気になっていることなのだ。
その答えを言う資格を持つ人間は、そうめったにいない。
横澤氏は、その数少ない一人。
その人に、直に聞けるチャンスであったのだから、太田さんも今回ばかりは番組のことなんて半分すっとんでいて、自分が本当に聞きたいことを、本音で訊いていたのにちがいない。
テレビの画面からは、なんだかそんな空気感が押し寄せてくるようであった。



横澤氏が

「ニュースキャスターやんなさいよ。だって、いろいろと見る目があり、きちんと判断できる賢さがあるんだから」

と爆笑問題の二人に向かって言っていたが、それは大賛成だ。
テレビの中でそのセリフが聞こえた時、おもわず

「そうだ!」

と叫んでしまった。


かつて、ビートたけしが出てきたとき、山藤章二氏が

「たけしにニュースステーションをやってほしいなあ」
と言っていたが、その気持ちと同じだろう。
世相、時事ネタの世界に生きてきた山藤さんが、ビートたけしにこそ、本音で世相をきってほしい、ニュース番組の構成枠をとっぱらって、新しい世界をテレビ界につくってほしい、と期待した。
同じように、
テレビの世界に閉塞感を抱いている横澤氏が、爆笑問題に

「テレビ番組の枠をこわしてよ」

と依頼していると思った。

それにきちんと響くのが太田で、さすが、と思う。
太田も、現状のテレビ界が閉塞している、と訴えていた。
横澤氏も、「このままではよくはなっていかない」と。

上手に世間を騙す、というテレビの世界。
心地よく、ショーを見せていくのがテレビの世界。

それとはべつに、漫才という芸事の世界がある。生で、板の上で、客の息遣いを感じながら演じるという世界だ。

「そっちの世界をやめてしまってはだめ」

と横澤氏は言う。


太田は、漫才だけで食っていかれたらいい、という主旨の発言をしたが、それは実現されていない。現に、漫才だけの長寿番組は存在しない。
それよりももっと、世の中、視聴者が期待する、テレビ的なショー、というものがある。
太田さんは、そこでも生きていかねばならない。
爆笑問題の二人には、それをも背負っていく責任がある。
(、と横澤氏は言う)


教室は、子どもたちに心地よく、<納得する空気、やってみよう、と思わせる何か>を味あわせるところ。
これは寄席に似ている。

ところが、実際の子どもは、テレビのショーの方になじんでいる。
現代の教員は、板の上で子どもたち相手に、授業というクラシカルなショーを見せつつも、さんまや新助や爆笑問題がやるトーク番組のような、もっと生の、もっと本音の、透明で教師の意図や気持ちの裏がわまで見えてきそうな<テレビ的なショー>を要求されている。

現代の教師が立ち悩んでいるのは、たとえてみれば、寄席芸人とテレビ芸人のちょうど境目のあたり。



つまり、現代教師は、爆笑問題と、立場が似ている。




NHK爆問学問で<落語>を




爆問学問、NHKの人気番組である。
漫才コンビの爆笑問題の二人が、毎回、さまざまな分野の第一人者と語り合う。

太田光が<落語>をどう見ているのか、知りたくて見た。

「千両みかん」について。
みかん一袋に100両の値打ちがあるわけがないのにもかかわらず、その計算に目がくらんで逃走する番頭の姿。これを話題にし、太田光いわく、金は「虚」である、と。
これはまったく同意見で、うなずいてみていたら、隣で嫁さんが

「何年か前に、あなたもそういうことを言っていた」

というので、そうだったっけ?というと、

「千両みかんの話をしながら、金が虚だということを落語がそのまま表している、と言っていた」

という。
驚いた。
我ながら、ちゃんと気付いていたのだ。
そもそも自分は、金が虚、である、ということを追いかけ続けた20代を過ごしていたから、そのあたりはかなり敏感になっていたのかも。
千両みかんを聞いて、太田さんと同じように感じていた人も多いはず。
私もその一人。

江戸学の田中教授が、

「粗忽長屋って、すごい話ですよ」

と言っていた。
最初は、? と思っていたが、この番組の最後の方で、


「落語は、解釈しない。良い悪いを判断しない。人間をそのまま描いている、ここに人がいますよ、というだけ」

と田中教授が言っていたのを聞いて、ああそうか、と合点がいった。

うっかりもの=バカ者=あわてもの=へんな人、と現代人はさまざまに言い方を変えながら、最終的には、「変」という「マイナス」の言葉で烙印をおし、イメージづくりをしてしまう。つまり、価値を定めてしまう。
しかし、落語(あるいはその背景にあった江戸の町民の文化、行き様)では、そこつもの、と呼ぶ。そして、そこつ、という言い方には、それを許容する響きがあった、というのだ。

そこつもの、という言葉には、「変、へんな人」という言い方にはないあたたかみがある。


あと面白かったのは、太田光が立川談志師匠が言っていた言葉を紹介して

「業の肯定」ごうのこうてい

というのを言っていたので、そうか、と一旦は思ったがそのあとで、

肯定も否定もなく、それから離れて、ただ表した、というだけでないかという気がした。

ただ、今の世の中は業を否定することが社会の常識、表の論理となっているから、だから否定をしない落語表現はそのまま「肯定」をしているかのように見えてしまうのか、と思ってあながち立川談志師匠の言い方でも間違いではないと考えた。


太田光の時事ネタ漫才は、落語の世界に似ているなと思う。
落語もまあいってみれば、「人間そのものがおもしろい」と言っているわけで、
爆笑問題がなぜ時事ネタを中心にするかというと、人間の巻き起こす本当の事件そのものが面白いから、人間の存在、行為そのものが、笑えることばかりだから、というが、そのことと落語の精神性は、底で繋がっている気がする。

子どもが生(なま)で生きている教室という空間は、かなり落語的だと思う。
やっていることは、本当に笑えることばかりだ。




「落語家はなぜ噺を忘れないのか」




「落語家はなぜ噺を忘れないのか」(角川SSコミュニケーションズ)。

柳家 花緑(やなぎや かろく)さんの著書である。
ずいぶん前から本屋で見て、気になっていたが、ついにこの土曜に購入。

一番気になったのは、噺をどう覚えるか、というくだり。
もちろん、全部、すべて、ノートに筆記する、ということであった。
ただ、テープに録音し、それを聞くのではない。
聞くだけでは勉強にならない。

すべて、ノートに、一字一句、書きこむのだそうである。



となると、授業の修業にもそれを生かすことができそうだ。

名人と呼ばれる方の授業を聞き、それを一字一句、ノートに起こすのだ。

ただ、教育界にはなぜか、落語家のように、定番の名人とよばれる人がいない。
自称名人は多い。
なぜか。関東の落語家のように、「前座、二つ目、真打」という位がないからか。


真打で、テレビに出る暇がないくらい忙しく、全国各地から呼ばれて、ホール巡りをする落語家は、まあ人気や実力ともに、名人級なのだろう。
あるいは、寄席や国立演芸場や浅草演芸ホールなどでトリをとる方も、名人なのだろう。

そういった方の、これぞ、という噺を、ノートにとって覚える。
それも、自分の目の前で、自分に稽古をつけてくださる、その噺を覚える。

だから、それを何度も何度もノートにうつしたのを口でくって練習し、血肉にすることが可能なのだ。

同じように、教師修行ができたらなんと幸せなことか。




楽太郎さんの落語




久しぶりに、楽太郎さんの落語を聞いた。
高校生の時以来。
つまり、22年ぶり。
楽太郎さんの印象も、もちろんちがう。

おもしろいことに、記憶の中での楽太郎さんは、今でも元気にしゃべっている。
つまり、脳みその中で、楽太郎さんはちっとも年をとらず、活躍中であります。
なんだか不思議な感じがする。
私が高校生のころに見た楽太郎さんはずいぶん年上のおじさんに見えたが、あの頃の楽太郎さんはずいぶん若かったのだなあ。

酒の話、であった。
あとでホールの出口に貼られたのを見たら、

「ずっこけ」 三遊亭楽太郎、 と書いてあった。
あれは誰が書くのか。ホールの係の人だろうか。
マジックで、ずいぶん適当に書いたような字だったが・・・。

枕もおもしろかった。
のどが渇いて、寝る寸前になって、ちょいと水がわりにビールを・・・ということで始まり、結局各種の酒をかなりの量、飲んで、またビールを飲みだす、エンドレス、というのだった。これは笑った。隣の人が笑いやんでも、つぼだったらしい。私はずっと笑い続けた。

こういうのが、楽しい。


春風亭小朝さんが、

「三遊亭園朝作・牡丹灯篭より、お札はがし」

という長い話をされて、これはずいぶん貴重な舞台だった。
小朝さんが7人の役者を次々と変えて演じるのが、まあこれは力ある人だからこそできるのだなあ、とあらためてプロ、名人の境地を知りました。


その前に、春風亭昇太さんが、壺算をやった。
これは国宝の桂米朝さんでも聞いたし、桂枝雀さんでも聞いたし、いろんな人のを聞いた。けれども、何度聞いてもやはり楽しい話だ。昇太さんもうまかった。元気があるし、明るい。店の人にからむところが他の人とちがう展開だったが、ずいぶん自然だったし、昇太さんならではの工夫があったのだと思う。これは新鮮な気がした。


3学期も中途になってきたし、引越しの準備もあるし、ということで、途中の骨休み、となりました。

妻と家族に、感謝です。




桂歌丸師匠がお怒りに




学校の仕事が長くなりそうだったので、夕方勤務終了後、近くのそば屋でかつ丼を食べていた。
食ってから、本腰をいれて仕事をしよう、というやつだ。
いつもは空腹に負けて、お菓子のようなものをポリポリと食べてしまって非常に健康上良くない。
そのため、今日は遅くなるよ、と妻に断って、食事を済ませてからしっかりと仕事に取り掛かる算段であった。

かつ丼を食べながら、なにげなくテレビ画面に目をやると、たちまちにして視力が吸い寄せられるように画面に張り付いた。

一瞬、こうした自分の身体の反応についていけずなにが起きたか分からなかったが、よく見ると、桂歌丸師匠が、TVの画面にうつっていた。

すぐに分からなかったのは、着物、羽織り姿でなかったからだ。
ふつうの洋服の格好で、なにやら興奮してしゃべっていた。

なにをおっしゃっておられたかというと、例の民主党の、「事業仕分け」のことだった。
子ども伝統文化教室などの予算が削られることに対して、お怒りになっていたのだ。

「自国の文化を守っていく活動のために、国の予算を使うのがなぜおかしいのか」

ということだった。

まさに得たり!
大賛成である。
百人一首や書き初めなど、正月ならではの伝統文化が、はっきりいって廃れつつあり、それを懸命に支えている教師や地元住民のボランティアが、伝統文化教室を開いている。子どもたちのために一肌ぬいでいる。それが、実態だ。泣けてくるほどだ。
それを、なぜ、やめさせよう、というのか。

???
である。

おそらく、あの仕分けに関わっていると、すべてが無駄に思えてくるのでしょう。
つきつめていけば、生きているのが無駄だ、ということに究極的にはなっていくようで。

「たとえ無駄、とわかっていても、食わないお頭がついていない鯛には、ありがたみがないねぇ」

鯛のお頭は食べない部分だけど、やはりついていないと、文化の意味が無くなる。
それでは、文化はほろびていくのではないでしょうか。


歌丸師匠がお怒りになられていらっしゃいますよ!!!

そして、落語の授業ができるように、予算を組んでください!
落語家を全国の小学校で月一で見られるように!!

秋には音楽会だけでなく、子どもたちが取り組む「落語会」を。
親も祖父母もみんな見に来てほしい。運動会、音楽会、そして落語会を小学校の定番の行事に。


民主党の方!政府の方!!文部科学省の方!!
落語を小学生に、勉強させましょう!




志ん朝CDを聞いて教師の技量を磨く




春休み。
子どもたちは休みでも、教員にとっては一年で最も厳しい時期である。

今日も学校へ行くと、

・要録整備の遅れている先生たちが必死で要録づくりをしている。
・異動の先生がご自身の荷物をたくさん片づけしている。
・新人教師が昨年度中の教科書をさがしまわっている。
・音楽の先生が次年度の歌のCDをパソコンでつくっている。

というような光景が見られた。

なかには、

「頭を真っ白にするために、沖縄へ行ってきます」

というベテラン先生もいて、そこは人それぞれのペース。
しかし、さすがベテラン。
教室は片付いているし、教科書や要録やワックスがけなど、やらなくてはならない仕事はしっかり終えられている。
すばらしい。

こういう段取り力、行動力、実行力をぜひ見習っていきたいものだ。
おまけにその先生は、来期は特別活動(特活)担当とのこと。
多くの資料などを、次年度最初の「職員会議」に向けて、すでにしっかり準備されている。

「あの先生は特別よね」

というセリフも、昼食時には聞かれたが、
他にも、ゆっくり休んでいる、といううわさの年配の先生も何人かいるから、やはりそこは経験の差もでるのだろうか。

昨年初任者の先輩も、必死になって要録のコメントを手書きしている。
先輩といえど、まだまだ20代の若手だから、何かと仕事の手際が悪い。

「さっきから、探し物ばかりしているんですよ」

泣きそうな声で、若い女性の先生。
半分、自虐気味なツッコミを自分に入れながら、まいったマイッタ、という感じで足早に教室へ。
そういえば、何度も職員室と廊下を行ったり来たりしている。


かくいう私も、二年越しの荷物を片づけたり、休日だというのにこのありさま。
他の学校の先生で、春スキーに行った人がいるらしい。
そういう話を聞くと、どうもこの学校だけ、とくに段取りが悪いのではないかとめげる気分にもなる。


夕方、家に帰ると、さっそく気分転換に落語鑑賞。
姉から誕生日プレゼントで送られてきた、「古今亭志ん朝ベスト」のCDをきく。

姉は、大須演芸場でかつて志ん朝の舞台を見て以来の大ファンだ。
その志ん朝が亡くなった時は、電話口にしんみりとした口調で
「かなりショック・・・」
と語っていたほどの人。

私が小三治の話ばかりするものだから、これでも聴け、ということなのだろう。


私は小朝さんが、この故・志ん朝さんのことをさかんにほめているのを聞いていたから、やはり何度か聞いてみたことがある。
一番聞いたのは、20代か。
志ん朝さんは、たしかにうまいし、おもしろい。ウマいのにもいろいろあろうが、この人の噺は、巧い、という感じだ。
しかし、20代の私は、
「小朝さんや、桂枝雀さんの方が面白いな」
と思っていた。


ところが、春の休日。
わたしは、その姉から送られたCDを聞いて、度肝を抜かれましたぞ。
教員になってから聞くと、志ん朝さんの偉大さが、ビンビン伝わってきました。

なにより、声がいい。
発声がいいし、トーンがいいし、はじめのつかみ、ぐいっと話にひきこむ力、すべてうまい。
登場人物の描写や声の使い分けもいい・・・

こう書いていて、ふと気が付きました。


この志ん朝師匠という人は、声が抜群に明るい のだ!!!


教師になってみると、なんだか気づく。

客をぐいぐい引き込むこの話術、ちがう世界へいざなう力、声色、明るさ、ハイトーンと陽気な良さが、ビンビン伝わってきた!

この明るさ、華のある感じ、こうしたものが、教師にも必要なのだろう。

得難い、春の休日のCD鑑賞であった。




NHKプロフェッショナル住吉美紀さん




NHKの看板番組、プロフェッショナル仕事の流儀。
10月14日(火)の夜、放映された、
「笑いの奥に、人生がある~落語家・柳家小三治~」を見た。

以前、本BLOGでも取り上げた。
なんてったって、あの、小三治さんである。
期待していた。

キャスターの、住吉さん、という人の名前を、これで覚えることになった。
女性キャスター、あまり名前まで興味がなかったが、

残念で、残念で、くやしくて、くやしくて、

覚えてしまった。

住吉さんが、小三治師匠に向かって発した、あの言葉。

「おそばを食べるところ、あれを、演ってみていただけませんか」

小三治師匠の顔が、瞬間、曇った。

小三治「おれ、あれ、うまくねえんだよ」

茂木・住吉「いやいや、そんな・・・」

結局、師匠は演じて見せてくれるのだが、それは場の空気を察して、若い人に頼まれたからには、ということでやってみせてくれたのだろう。


この場面で、見ていた私の背筋も凍りかけた。
多くの小三治ファンが、同じことを思ったに違いない。
なんで、ここで、そばをすすらせるのか。
NHK、という放送で。プロフェッショナル、という番組で。
映像を極力、断り続けてきた、この師匠に向かって・・・。

住吉さんが、あまりにも無邪気に笑っている。
この無邪気さ、子どもっぽさ、あどけなさに、小三治師匠も、何も言えなかった。


そばをすする。
この芸は、小三治の師匠、人間国宝の小さん師匠が得意だ(ということになっている)。
それをやってみせろ、といわれて、ふつうは、小さん師の顔が思い浮かんで、遠慮するのが筋というもの。いつまでたっても、師匠は師匠。師の芸には及ばない。とてもわざわざ、お見せするものではない。得意がって、やってみせるものではない。
とくに、小さん師に、芸を全否定された、小三治師匠である。
小さん師に、特別な思いをもっている。

もちろん、噺をするのであれば、ちがう。噺の中で出てくる動作としては、やる。演じる。
だが、プロフェッショナルという番組で、いかにもそれが上手だから、やってみせろ、といわれてやるものではない。それではあまりにも、無粋である。師に対して、遠慮がないではないか。

住吉さん、どうか、あの言葉だけは、反省してください。
師匠は怒りませんでしたが、ふつう、落語家であれば、怒鳴り返しても、おかしくない出来事でしたよ。

同じようなことを、イラストレーター(似顔絵作家)の山藤章二さんが、エッセイに書いていた。
山藤さんが、漫画家の加藤 芳郎さんのパーティに参加したときのこと。
「まっぴら君」で活躍する加藤さんの、出版記念パーティ。
多方面で活躍する加藤さんのお祝いだから、いろんな知人が集まっていた。
みんなが粋なスピーチで会場をわかせ、楽しい集いであったが、ある時点で様相が一変する。

おそらく、マスコミからの依頼があったのだろう、と山藤さんは書いている。
「何か、漫画家の集まり、いかにもそういう具合の写真がほしかったのだ」

舞台にセットが作られ、まっぴらくん、と大きな文字が書かれた上に、何人かの漫画家が似顔絵を描き始めたのだ。
「ま」「っ」「ぴ」「ら」「く」「ん」の字の形に合わせて、即興で絵を加えて描く、よく漫画家がやる、あれ、である。

これをみて、山藤さんはほとほと、残念でならなかった、とある。
漫画家といえば、これか。

漫画界の巨匠、加藤芳郎さんである。
なにも、この加藤さんのパーティで、こんなことをしなくてもよいじゃないか。
もっと、粋なことをやれるのに。どうして。まったく、似合わない。
誰かが、「漫画家なんだから、これをすれば」と提案したのだとしたら、その安易さは罪である。
山藤さんは、後味の悪い思いがぬぐいされなかった、と書いている。
その後味の悪さは、おそらく、加藤さんに対しての、申し訳なさ、であろう。
「こんなことをさせてしまって、申し訳ありません」という、漫画家仲間の礼儀を欠いたことの、非礼をわびる思いなのだろう。

小さん師匠に対しての複雑な心境をもつ小三治師匠に、その師が得意としたものを、あえてやってみさせたNHK。小さん師匠が生きていらしたら、とても失礼で、そんなことはできません、となったであろう行為をさせた。

「おれ、へたなんだ」

と、遠慮勝ちに言っては見せたが、小三治さんはやってみせてくれた。
目の前のキャスターに、恥をかかすまい、とする心が働いたのだろう。

でも、本当は、遠慮したかったに違いない。
師匠に全否定されたからこそ、師匠を全肯定する。
それが、小三治流なのではないか。
いつも、小三治さんには、師匠への思いがあるのだ。


そばをすすれ。
それだけは、ご法度だったでしょう。
住吉美紀さんのせいではなく、番組スタッフの責任かもしれない。




笑いの奥に、人生がある~落語家・柳家小三治~




NHKで、柳家小三治さんの特集がある。

以前、このBLOGで、
小三治さんの「初天神」について書いたことがあったが、ファンとしては驚愕するとともに、この番組に対する感謝の念と、多くの人に薦めたいという熱い思いがふつふつと湧き上がってきた。

小三治。
今の落語界の、正統派、そして重鎮、名人である。
この人を、この人の元気なうちに、見ておいてほしい。

明日、10月14日(火)の夜、放映される。
午後10:00~午後11:00。
プロフェッショナル 仕事の流儀「笑いの奥に、人生がある~落語家・柳家小三治~」である。

番組紹介には、
当代きっての名人と呼ばれる孤高の落語家、柳家小三治(68歳)。無駄な動きを極限までそぎ落としたその話芸は、「目の前の小三治が消えて登場人物が現れる」とまで称される。2008年8月、小三治は池袋の演芸場での真夏の7日間の寄席に挑んだ。名人と呼ばれてなお、さらに芸の道を究めようとする柳家小三治の真摯(しんし)な日々に密着する。

とある。

DVDはおろか、映像も残したくない、音源もできるだけ残したくない、噺は、生(ナマ)でこそ価値がある、と言い続けてきた巨匠の映像である。
おそらく、年齢や現時点の落語界での立場などいろいろと考えつくした末の判断なのだろう。永久保存版、まちがいない。

教師は、話すことが商売。
話す技術が要る。
言葉の力で、子どもたちを、別世界へいざなっていくことがある。
それができるのと、できないのと、まったくちがう。

天才の世界を知り、あこがれをもつことが、今の若手先生には絶対必要な条件だと思う。
おすすめします!

ぜひ、見てください。




小朝と三枝




二人会。

三枝さんが最近とりくんでいるネタ、今回はかなりよくなっていた。

最後、兄弟が集まって、米寿の祝をふりかえるシーン。
ケーキに88本もろうそくを立てようと提案した末っ子の修平と、長男・信一郎が少しばかり言い合うシーン。

「今日は、ご苦労さんやったな。」
ビールグラスを手にして、乾杯にうつろうとする場面。
なんだか、場面がさっと変わったのが、よく分かった。

三枝さんの体調にもよるのだろうが、前回同じネタを見たときは、ここあたりの描写がよく伝わってこなかった。
場面展開が、荒かった。
長男の顔、おじいさんの顔、修平の顔、どれもちがう。
今回は、
「今日は、ご苦労さんやったな」
のセリフと顔の表情だけで、あ、信一郎だ、と分かった。

急いでいない。
前回とはちがった、余裕を感じさせた。
話を、常に工夫する三枝師匠の探究心を、素直に学びたい。

さて、教員として、授業の語りをどう探求していくか。

ちょっとした、言葉のえらび方、タイミング、どれもちがってくる。
子どもの表情をどう読み取るか。

落語に学ぶことは多い。




桂米朝さんの「算段の平兵衛」




もう20年前になる。

池下のホールに、米朝師匠がやってきた。
当時高校生だった私が、小遣いをはたいて見に行くのに、決断の秒数はかからなかった。
気付いた時点ですぐにチケットを買ったが、やはり席は真ん中より後ろで、くやしい思いをした。

一番、米朝さんが、ノッテいた時代だと思う。
話にキレがあり、体力もあり、くすぐりにも冒険があった。

今でも目に焼きついているのは、平兵衛が死体をかついで踊るシーン。
死体をかついで懸命に手足を振る男の、汗だくの努力、必死さと、
かつがれた死体の、だらんとした手足が、対照的に表現されていた。

前後に横に、と勝っ手気ままにゆすぶられた、死体のかなしさ、おかしさ。
こわい話なのに、会場はどっと笑う。
すこぶる現代的な笑いだ。
スティーヴン・キングを連想させる。


この話を掘り起こした、米朝さんの努力や、意地、を感じた。
現代に通じる、今の笑いにも通じる世界が、「算段の平兵衛」にはある。


米朝さんの、脂の乗り切った時代、あの時代の高座を見ることが出来て、今、すごく感謝している。いいときに、見ていたな、と思う。
嫁に、米朝の話をすると、いつも
「いいなあ~」
と言う。

「いちばんいいときに、見ていたんでしょう」

高校生、という自分の年も、いちばんよかったし、米朝師匠はおそらく60代、還暦を越えたばかりのころだったろう。その、米朝師匠の年も、よかった。
双方にとって、よかったタイミングで、見ておいてよかった、と思えるものを、見ていた。
この幸運には、自分は一生、感謝しつづけるだろう。


今、そういうものがあるか、とふと思う。

教師の世界に入り、今、一番見ておいたらよいもの。

教師の世界にも、2007年問題はある。
これから5年くらい、退職される先輩方が、とてもたくさんいらっしゃる。
この先輩たちの授業を、みておかねばならない、と思う。
そして、表面だけでなく、発問や動作の、その奥に何があるか、どんな意図があるのか、を見えるようになって、みなくてはならない。
そこまで勉強し、学ぶ時間はないかもしれない。
だから、焦る。

焦りながらも、もしかしたら大事なことなんて見えていないかも、と思いながらも、目に焼き付けるために、隣の教室へ通わなくてはならない。




小三治さんの「初天神」




東京落語会。
イイノホール。
柳家小三治さんの「初天神」。

涙が出る。

最高の舞台だった。
この目で見れて、幸福だった。
小三治さんがいて、本当によかった。落語が、ますます好きになった。

まくらの時の所作から、湯飲みに手をのばすしぐさから、そこから、しびれた。

この動き。
背筋がのびて、かといって、力が入りすぎていない、自然体。
ちょっとしたくすぐりで、肩と背の形が変わり、そこが客の笑いを自然に誘う。とても落ち着く。
春風亭柳橋さんの物まねだった。

どうしたら、あんなふうに、座布団にすわれるのだろう。

客におもねず、ゆずらず、それでいて、何も意図せず、といった風。
楽でありながら、すべて計算尽くし、といった感がある。
何が起きても、どんな料理でも、してみせる、という自信だろう。
鍛え上げた、あるいは、筋金入り。
と、言っていい。

力量なのだろう。


教壇に、あんなふうに立ってみたい、と思う。
それができれば、教師としての、名人だろう。

初天神。
むだのないセリフ。
出だしから、いきなり、魅せてくれる。

おっかあ、羽織をとってくれ、といったときの、鼻に手をやるしぐさ、そこからすでに、100%の出来だ。小三治としてはふと、自然に出たのかと思うが、すでに登場人物になっている。見事すぎる。

金坊が、わずかに上を向いて、にこにこ現れるときの、かわいらしさ。
あ、そういえばさ、天神様が初天神だもの、父ちゃん天神様好きだからさ、天神様行くんだろう、・・・

このくだりも、とぼけたような、真剣になったような、子どもの表情が、どうしてこの70歳近い老人の表に、くっきりと浮かび上がってくるのだろう、とため息がでてしようがない。

団子に、蜜と、あんこ、両方を選ばせるところの、セリフのこまかさ。
しびれる。

そして、きわめつけは、蜜のすすり方。
「なんだこれ、この水あめみてぇな・・・これは蜜じゃねえ、水だよ」
最後の方のセリフが聞き取れない、そうだ、そのはず、すでに口元に串をやって、蜜をすすりはじめている。なんともリアルだ。ぐいぐい、ひきこまれていく。無駄の無さ。完璧だ。

これで見せ場が終わり、なのではない。だからすごい。
凧揚げの、セリフ。

「引きがいいねえ・・どうでぇこりゃ、そうらそら・・・・、おっと、こりゃあ、糸、足んねえかな。もっと買ってくりゃよかったな」

このとき、もっと買ってくりゃよかったな、のところは、本当に男のつぶやき、なのである。セリフではなく、つぶやきなのだ。すごい臨場感がある。背中がぞくぞくと震えた。

凧を見上げる視線がぶれない。おそらく、ホールの天井付近から二階席を見上げているのだろうが、本当に凧が、揚がっているように見える。

最後。
「こんなことなら、父ちゃんなんて連れてくるんじゃなかった」

泣けた。
微笑の哲学が生きている。
人間の可笑しみ、さびしさ、楽しさ、思わず出てくる微笑、苦笑・・・。

ああ、人間がいる。
人(ひと)が、生きている。
人がいとおしい、いとおしさの湧き上がる舞台だった。落語の奥深さ、そして哲学、人生が塗り込められた舞台だった。つきぬけるような、人の表現・・・。



人を、愛さずにはいられない、と思う。
落語を聴けば聞くほど、人が好きになる。




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