30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。

人生とは・・・

パソコンに乗車する時代


新緑の爽やかな風に吹かれながら、私は今、猛烈に自分を恥じています。庭の玉ねぎが「あんた、何やってんの?」と呆れ顔でこちらを見ているような気さえします。

事の始まりは、天下のトヨタ様が誇るハイテクの結晶、「アクア」に試乗したことでした。

私はこれまでずっとガソリン車を運転しておりました。何故かってまだハイブリッド車がこの世の中に出る前からガソリン車をずっと乗って、つまり車を1度も買い換えたことがなかったからなんです。今の車に相当長く乗りましたからね。

ハイブリッド車を買うぞと決めてから、心のワクワクが止まりませんでした。

いやあ、素晴らしい。もう、控えめに言っても「神」の乗り物です。ドアを開けた瞬間の気品、走り出した瞬間の静寂。かつて私がWindows 95を40枚近いフロッピーディスクで、祈るような気持ちで(というか、半分悟りを開きながら)インストールしていたあの狂乱の時代からすれば、これはもう、宇宙船ですよ。

私は元々、最先端のコンピューターシステムをガシガシ動かしていた元エンジニアです。JAXAの片隅でシステムと格闘し、デジタルと合理性をこよなく愛する、「ハイテク万歳!」な人間のはずなんです。インドア派で、趣味はと言えば画面の中。道具と体の一体感? 職人のこだわり? そんなものは、江戸時代の職人さんにでも任せておけばいいと思っていました。

ですから、最新のハイブリッド制御なんて、私にとっては「大好物のフルコース」みたいなもの。本来なら、アクア様の滑らかな制御を体感して「フッ、実に見事な演算処理だ……」と、眼鏡の奥の目を光らせてクールに微笑むはずだったのです。

ところが、現実は無情でした。
アクセルを、ほんの、ほんのわずかに踏み込んだその時です。
車はスッと加速します。最新の第5世代ハイブリッドシステムですから、加速そのものは極めてスムーズ。文句の付け所がありません。しかし、その加速の「0.2秒後」、あるいは「0.5秒後」くらいでしょうか。
私の耳に、エンジン様が「……あ、いま僕も回った方がいいっすか? よいしょ」とばかりに、ほんの一呼吸遅れて鳴り響いたのです。

「この感覚、ガソリン車と違うな・・・」

私の脳内で、何かが音を立てて崩壊しました。
エンジニアとしての理性が、「いや、これは最適なエネルギー効率を計算した結果であって、極めて合理的なタイムラグなんだよ」と必死になだめるのですが、私の深層心理がそれを断固拒否します。

「違う。 今じゃない。アクセルを踏んだらその後に音が鳴るのと加速するのが同時に来なきゃ」

……お笑い草です。たった0.2秒ですよ?
普通のまともな人間なら、「お、エンジンかかったな」で終わる話です。実際、最新のアクア様は、かつてのハイブリッド車に比べれば、そのラグなんてほぼ皆無と言っていいほど解消されています。もはや魔法の領域です。
それなのに、私の脳みそは、その「魔法」をバグだと認識してしまったのです。

「加速してからエンジンが鳴り出すのはおかしな感じ・・・」

家族からは、情け容赦ない言葉が飛んできました。
「あのさ、Windows 95をフロッピーで入れた根性があるなら、0.2秒くらい待てないわけ? 加速と音のタイミングがズレてるからハイブリッドをやめるなんて、この地球上でアンタ一人だけよ。宇宙人なの?」
まったくもって、おっしゃる通り。ぐうの音も出ません。

かつてJAXAの末端で宇宙開発の一翼を担った(つもりでいた)男が、最新の国産コンパクトカーの、神業のような0.2秒の制御に躓いて、ひっくり返っている。
「お前は本当にエンジニアだったのか? 実は、江戸時代の鍛冶屋の生まれ変わりなんじゃないのか?」と、自分自身に問い詰めたくなります。
しかし、一度気になりだすと、もう止まりません。

私は、この「0.2秒の絶望」を抱えたまま、世の中の車たちを眺めていて、ある「邪推」に辿り着いてしまいました。
最近、街を走る車たちの色が、やたらと「アースカラー」だと思いませんか?
あの、ちょっとくすんだベージュとか、グレーとか。

あれ、もしかしたら私のような「隠れハイテク拒絶症」の人たちが、無意識のうちに叫んでいる「断末魔の叫び」なんじゃないでしょうか。

中身が高度なコンピューターになりすぎて、もはや自分たちが何に乗っているのか分からなくなった人類が、「せめて外見だけでも土の色に!」「せめて見た目だけでも泥臭い道具に!」と、必死に自然界の記号をかき集めている……。

「なんちゃってSUV」で車高を上げているのも、「俺はパソコンに乗っているんじゃない! ギアを操っているんだ!」と自分を洗脳するため・・・。(ごめんなさい)

本当はスーパーの駐車場に止めるだけなのに、いかにも「今から秘境の川を渡ります」みたいな顔をして走っているのは、失われゆく「物理的な手応え」を必死に守ろうとする、現代人の健気な抵抗なのでは。

……なんて、そんな分析を披露したところで、家族からは「いいから早く玉ねぎに水やってきなさいよ」と一蹴されるのがオチなのですが。
結局、認めざるを得ません。

私は、最新鋭のハイテクを誰よりも愛しているはずだったのに、その実、たった0.5秒の「コンピューター様の忖度(そんたく)」すら許容できない、ひどく面倒くさいアナログ人間だったのです。
システムエンジニアとして、最新のアルゴリズムに敬意を表すべきなのに、私の足裏と耳は「踏んだら即、鳴れ! 爆発しろ!そして加速だ、順番を守れ!」と、原始人丸出しの要求を叫んでいる。
ああ、恥ずかしい。

Windows 95のフロップディスクでのインストールに何時間も耐えたあの忍耐力は、一体どこへ行ってしまったのでしょうか。あの頃の私は、フロッピーディスクを入れ替える「数秒のラグ」にはあんなに寛大だったのに、最新ハイブリッドの「0.2秒のラグ」には、腹を立てて試乗車を飛び降りようとしている。

これはもう、老化なのか。
あるいは、長くなった田舎暮らしが、私を「エンジニア」から「ただの偏屈な親父」へと作り替えてしまったのか。

最新のアクア様、本当にごめんなさい。あなたは何も悪くない。
悪いのは、0.2秒を「永遠」だと感じてしまう、私のバグだらけの脳みそなんです。
ハイテクの頂点に座るべき私が、結局、ガソリンを爆発させて「ブォーン!」と即座に鳴って加速する、あまり賢くない車を探している。

「最新技術? 知らん! 俺は音がズレない方がいいんだ!」と、ヨレヨレのTシャツで叫んでいる姿は、まさに時代に取り残された悲しき化石。

さて、明日も庭の玉ねぎに水をやります。
彼らには0.2秒のラグなんてありません。水をやれば、濡れる。引っ張れば、抜ける。
そんな、コンピューター様が入り込む余地のない、残酷なほどダイレクトな世界。

元システムエンジニアの私が、今、一番ホッとするのは、そんな「アナログの極致」にいる時だったりします。

皆さんはどうぞ、素晴らしいハイブリッドの未来へ行ってらっしゃいませ。
私は一人、ガソリン車の排気音を聴きながら、江戸時代の職人さんのような顔をして、堤防の道をトボトボと走ることにします。
あ、でもボディーカラーだけは、流行りのアースカラーにしておくことにします。


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心理的な安全を担保する

叱らないと言う話をしていたら、あるベテランの先生から、心理的安全の担保だね、と言われた。

まあ、そういうことになるか。

心理的安全というのが確保されると、途端に子供たちは生き生きとし、混乱をしなくなります。

ところが、心理的安全が確保されない場合は、おどおどしてこちらを上目遣いに見つめ、指示を待つ格好になります。アンテナをこちらに向けるのがよくわかります。そしてできるだけ何もしないでおこうと言うふうに構えます。

できるだけ何も問題を起こさずにいようというふうな保守的な態度です。下手なことをして、注意を受けないでおこうという感じになるわけです。

大谷選手、メジャーリーグの大谷選手は、できるだけ何もしないでおこうと言う風には考えなかったのでしょう。

心理的安全と言うのは小さなことから始まります。
例えば、子供に予定を知らせると言うこともそうです。
来週はこんなことがあるよから始まり、次のステップは明日はこういう予定だったねと言う確認も、大きな心理的安全につながります。
また、その日の朝になったら3回目ですが、やはり伝えるのです。
今日はこんな予定だったよね。どんなことに気をつけたらいいかなと。

そんな事は自己責任だから、放っておけば良いのだと言うスパルタ方式もあるでしょう。
しかし、できるだけ心理的な安全は、確保してあげるのです。
そうすると、どんどんと心理的安全を与えてくれる人の方に本音を話すようになります。

この人はわかってくれると言うわけです。

本当に大事なことや、自分自身が大事に思っている事は、心理的安全が図られる人の前では話すのです。

ヴィクトール・フランクル(Viktor Emil Frankl, 1905–1997)は、オーストリアの精神科医であり心理学者です。彼は、フロイト、アドラーに続く「ウィーン第3学派」の創設者として、「ロゴセラピー(意味による心理療法)」を確立したことで知られています。

フランクルは、私たちが「自分の人生にどんな意味があるのか」と問うのではなく、「人生のほうが私たちに問いを投げかけている」と考えました。
そして、人間は、人生からの問いかけに対して、自分の人生をもって答えなければなりません。この「問いに答える責任」を負っているという点において、すべての人類は対等であり、一つの大きな家族のような連帯感を持つべきだと彼は考えました。

そう考えると、教員も子どもも、その意味では、等しく、学びの途中であるわけです。

人生からの問いかけ、に答えるために、人間は等しく自分に与えられた時間を使って良いのです。
そのために大事なのが、心理的安全と言うわけです。

つまり、心理的安全がなければ、心理的安全が与えられなければ、人間は、問いに答えることができないのです。問いに対しての答えを忘れてしまうのです。と言うよりも、問いかけられていることそのものを見失ってしまうのでしょう。

子どもにとっての時間は、自分自身の「問い」を探し、不器用ながらも応答の練習をする時間。
教員(大人)にとっての時間もまた、完成された存在として振る舞うためではなく、自分自身もまた「人生から何を問われているか」を更新し続ける時間。

心理的安全がある場所では、この「試行錯誤する時間」が許容されます。そこでは「正解」を出すことよりも、自分なりの「応答」を紡ぎ出すプロセスそのものが尊重されるはずです。

心理的安全が脅かされると、人は「自分がどう応えるか」ではなく、「どうすれば安全か」「どうすれば怒られないか」という「反応」に終始するようになります。

• 「応答」:内なる使命感や意味に基づいた能動的な行動
• 「反応」:外部の刺激や恐怖に基づいた受動的な行動

「問い」を見失うということは、自分が人生の主人公(応答者)であることを放棄し、単なる環境の「産物」になってしまうことを意味します。だからこそ、心理的安全を担保することは、その人が「人間であり続けるための権利」を守ることと同義なのですね。

教員も子どもも、互いに「人生の問い」に耳を澄ませる「共鳴者」になれるような空間。そんな場所では、知識の伝達を超えた「存在の教育」が行われるのでしょう。

フランクルは著作「夜と霧」を書きました。

彼が戦後に『夜と霧』をわずか数日で書き上げることができたのも、収容所という地獄の中で、すでにその内容を「生きて」いたからだと言えます。

フランクルは「未来のどこかで、あなたを待っている『何か』や『誰か』がある」と説きました。

• 成し遂げられるのを待っている仕事
• 愛されるのを待っている人間
• あなたの帰りを待っている家族

人生とは、自分が何かをする場所なのではなく、人生から問われていることに対して、人生から期待されていることに対して、私はどのように答えるかを考え、実践する場所だと言えましょう。

私の知人が市会議員に立候補します。
実は、私の知人は、市会議員に立候補する方が多いのです。どの方もリスペクトできる方たちばかりです。人生何を問われていると言う風な視点に立てば、自分がそれに答えるためにと言う気持ちになるのがとてもよくわかります。

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「劇的なもの」のゆくえ

パッと輝く。
さっと色が変わる。
こうしたものに子どもたちは、目を惹かれます。
多くの人間がそうでしょう。
なので、理科の実験の時は、そういう「劇的な瞬間」というのを見せるようにしています。
子どもたちの興味の持ち方が変わります。

大人もそうですね。
派手なものには、目を向けたくなるし、派手な動きには神経を研ぎ澄ませてみたくなります。
スポーツの人気があるのは、そういうことでしょう。

「劇的」といえば、平賀源内を思い出します。
日本で広告キャッチコピーと言うものを最初に始めたのが彼だと言われていますね。
人々の耳目を集めるのに、劇的な言葉を使うと言うことに気がついた人なんでしょう。
彼は物産展を開き、多くの人を驚かせました。
人を驚かせるのが趣味だったのでしょうかね?
彼は最初に、珍しいものを集めて並べる物産展で話題を集めます。特に評判を呼んだのがエレキテルでした。
静電気の火花を見せると、多くの人が目を見張って驚きました。魔法使いかと思った人もいたと思います。

こんなふうに、人を驚かせるのが好きだった。彼の生涯はどうだったかと言うと・・・

最後が不遇だったんです。
平賀源内自身の人生もまた、非常に「劇的」で、最後は「孤独」だったのです。

• 絶頂期: エレキテルや戯作、そして広告の才能で江戸中の人気者になり、時の権力者(田沼意次など)とも繋がりました。
• 悲劇的な最期: しかし晩年は、事業の失敗や周囲との不和が重なり、最後は誤って人を殺めてしまい、獄中で孤独に亡くなりました。

「劇的な展開を好む人の晩年」は、恵まれないことが多いようです。どれほど世の中を驚かせ、時代の寵児となっても、その「劇的な手法」が誠実さや周囲の人の【心と心の交流】という土台を欠いてしまうと、最後は誰からも助けを得られない孤独に陥ってしまう……。


人間の普遍的な心理に照らしてみると、平穏な日常も大切ですが、一方で「何かすごいことが起きるのではないか」「この人が世界を変えてくれるのではないか」というワクワク感に、人は抗えません。

高市総理が「1月解散」という劇的なカードを切るのも、まさにこの「源内的な演出」が、今でも一定以上の人々の心を掴むと知っているからでしょうね。

源内の時代は、まだ「驚き」そのものが希少な価値でした。しかし、今は誰もがスマホで24時間、源内のエレキテル以上の「ぎょっとするニュース」を浴び続けています。

その中で、我々は気がつかないうちに、情報に対してのアップデートを済ませてしまったんではないかと思います。おそらくそれは2024年から2025年に起きたのではないでしょうか?

何かを見せるとか、「うわべ」を整えるとか、そういうことに大衆は心を動かなくさせたのではないか。あまりにも、そうしたことで、事実実態と表現が異なる姿を見せられてきたからです。
本当はどうかと言うふうに、大衆の気持ちがアップデートしてしまっているんだと思います。

これまで私たちは、素晴らしいキャッチコピーや、キラキラした映像、そして「劇的な演出」によって、実態以上に良く見せられたものを何度も見せられてきました。そして、その後にやってくる「中身が伴わない」という失望を、数えきれないほど経験してきました。

大衆の感覚がアップデートされたというのは、「演出」という魔法が解けてしまった状態だと言えます。
面白いですが、広告なんですけど、アイフルと言う消費者金融がありますね。偶然ですけど、そこに愛はあるんかいと聞いています。まさにそれは今の令和の新しい人たちの感覚なんでしょう。皮肉にもそれが既に広告になっているわけですが。

現代の大衆がアップデートしたというのは、

「驚かされることにはもう飽きた。だから、その奥にある『本当のこと』を見せてくれ」

という境地に達したということなのかもしれません。

劇的な演出で人々を喜ばせる「源内的なエンターテインメント」としての政治は、そこに愛(実体)はあるのか?、という冷徹な視線にさらされているのです。


高市総理がどれほど「広告的」に自分を演出し、強い言葉を発しても、それを受け取る側が「あ、これ広告だな」と気づいてしまった瞬間、その魔法は消えてしまいます。
2月の選挙に向けて、「そこに愛(誠実さ)はあるんかい?」という静かな問いが、SNSの喧騒を超えて、投票箱に静かに積み重なっていくのかもしれません。
「広告の時代」が終わり、「実体の時代」が始まった今、これから私たちは「嘘のない言葉」を政治や社会に求めていく姿勢がより強まっていると思います。
高市総理は、自分を「現代の源内」のような革命児だと思っているかもしれませんが、とにもかくにも、周囲の自民党内での分裂をさせないように頑張る必要があると思います。地道な折衝は時間がかかるかもしれません。また大勢の県や地方の国会議員に理解をしてもらうには言葉を尽くしていく、説明していく誠意を見せる必要もあるでしょう。

今回の解散で、高市早苗総理が、晩年を孤独で寂しく過ごすのか、あるいは社会に貢献してくれたと言うふうに受け止められて、感謝をいつまでも伝えてもらえる人になるかが決まると思います。
今、周りにいる人に、「総理大臣だから」と、利用価値がある存在として、ただ利用されるのではなく、本当に愛されていくのかどうかがこの解散で決まると思います。

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レアを選ぶ行き方

再録シリーズ 2020.9

映画「国宝」が話題となって久しい。
多くの人が最初の映画泥棒を含め3時間を超えるこの大長編を映画館で見たようですが、私は途中で必ずトイレに行く気がしてならず、恐怖に襲われてまだ見ることができないでいます。

私の職場のある先生は、これを見に行って、なかなかに深い洞察を得たようで、「ぜひ新間先生も映画館で見てくださいよ」と、何度もおっしゃっていました。

歌舞伎役者の血筋に生まれたからには、その役者を志すと言う、生きる道筋が、バーンと目の前に見えているわけですね。
私は高校生の頃に、自分がどのような将来を歩めば良いのか、全く見当がつきませんでした。学生と言う身分や状態と働く仕事をすると言う状態との間に、まるでぽっかりと真空空間が現れたかのようで、どのようにしてその先に進めば良いのか見当がつかなくなっておりました。

今でもこういう立場の子はたくさんいるんじゃないかと思います。ニートや引きこもりと言う状態も、こういう真空状態に吸い込まれた感じがあり、自分が何者になれば良いのか見当がつかないと言う状態ではないかと思います。

人生を半分以上過ぎて、50代も半ばに差し掛かろうとする今になって思うこと。
「何者かになろうとする」のではなく、とにかく目の前にあるいわゆる【仕事】を何でもしていこうとする気持ちが、実は人生を楽しむ手っ取り早い方法なのではないか。

お金になる仕事もありましょうし、目に見えないような仕事やお金には何にもならないような仕事だってあるわけですが、その仕事に差を設けるのではなくて、とにかく人間の仕事と思えるようなことをどんどんやっていくのが自分を前に進める1番大事な気持ちなのではないか。稼げるか稼げないかではなく。

本を読むのだって仕事。
自分の興味のある土地へ出かけていくのも仕事。
それは、自分自身が人生の側から託された宿題のようなものです。人生があなたに働きかける夏休みの宿題のようなもので、それを課された感じがするのであれば、それはもうあなたの仕事なわけです。

鴻上尚史さんのエッセイに触発されて、こう思うようになりました。つまり正解の側にいようと思うのは邪魔でしかないと言うことです。

それが世の中的にレアであろうが、レアでなかろうが、そんなのも雑音です。レアな業界で幸せになることもあれば、レアでない世界で幸せになることもあります。そんなこと、誰もやってないよということが関係はしないのです。幸せになるかどうかにはね。

ところで、以下の記事を以前書いたのですが、ちょっと関連するから再録しておきます。

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ネコの体は面白い。
チーターやライオンなど、ネコ科の動物特有の筋肉の付き方をしている。
首を動かさないで、前足と後ろ足、全身を油断なく運ぶ。
ネコは歩いていても、目の高さが動かないそうだ。だから、猫の顔や目ばかりみていると、その分肩の筋肉などがずいぶんとやわらかく上下し、しなやかに動くのがよけいに分かる。

家の猫を見ていると、
「猫の体ってのは、ずいぶんとやわらかく、しなやかに動くのだなあ」
とあこがれに似たような気持ちが出てくる。

ネコが、自分の体の重心を自由にあやつりながら、身体を移動させたり動かしたりする元には、丈夫でしなやかな骨格がある。その骨格に筋肉がついており、それを伸ばしたり引っ張ったりしながら稼働させているわけだ。

なぜこんなふうに意識する癖がついたかというと、先日、ある大学の教授の研究室を訪ね、ちょっと話をしたからだ。
その教授は日本でも珍しい方で、骨格標本をつくることのできる教授らしかった。この教授は骨の専門家なのであった。
私はどういう風の吹き回しか、職員の研修でこの方と会うことになった。

この教授は骨を見て毎日暮らし、骨をつくって日がな一日過ごす。
「骨をつくる」というのは、なかなかふつうの人がやることではないが、要するに動物の死骸を引き取って、そこからあらゆる骨を取り出すのである。

「筋肉が邪魔でしてねえ」

その教授は本当にめんどくさそうに言うのである。

「わたしは骨しか要らんのですよ」

教授は長年の研究の結果、もっとも筋肉を溶かすのに向いているものを発見した。それは、入れ歯をきれいにするためのいわゆる『ポリデント』という商品だそうだ。
他の化学薬品では骨が傷みやすく、ダメだそうである。

「骨までもろくさせてしまうのでは、ダメなんです。骨は残したいが、筋肉は要らん。そのバランスですよね」

教授はいかにポリデントが優秀かを力説するのである。
たしかに、教授の机の横には、ポリデントが段ボールに詰まって大量に置かれており、

「このポリデントで、次はどの骨を取り出しましょうかね」

とにこにこした。

教授はもう毎日のように骨を取り出すためにポリデント溶液をつくり、動物の死骸があると聞けば、すぐに駆けつけてそれを貰い、ひそかに大学構内の自分の研究室まで運んで、たちまちにして骨を取り出すのである。

教授の目下の悩みは、その教授が担当するゼミに、学生が寄り付かないことらしい。

「がいこつ教授、なんてあだ名をつけられましてね。たしかに筋肉を溶かしているので研究室はかなり臭いし、わたしはもう慣れっこで、その異臭の中で弁当なんかも食いますが、ひとり減りふたり減り、とうとう今在籍している学生は、校内広しとは言え、たった1人なんです。この1人が将来、あとを継いでくれる保証はなし、頭の痛いところですよ」

わたしはなぜ、この教授が大学でこんな奇人めいたことをしているのか、分からなかった。
しかし、このときに教授がこの日本でたいへんに価値の高い人であることが、判明した。

警察から電話がくるのである。
ドラマのようだが、事実なのだ。
人骨か否か。
それを正確に判断できる人間が、この世にはなかなかいない。

警察から持ち込まれた骨。
それを教授は神妙な顔つきでみる。
判断は素早い。

「ハクビシンの足の骨ですね」

警察はホッとして、深々とお辞儀をして去る。

・・・そうである。

教授はもう自分がそういうレアな人種であることを自嘲気味にほのめかして、
「ハクビシンはもう、かれこれ五体以上はポリデント漬けにしてやりましたよ」
と、口元をゆるめて言うのでありました。

わたしはその研修というには中身の濃すぎる「研究室訪問」を終えて思うのには、
「後継者問題というのは、どこにでも存在しているのだなあ」
と、深く感じいったのでありました。

骨を研究する人が、日本にはいなければならない。
それが人骨かどうかを、即座に判断できる人も、この世にはいた方がいい。
しかし、そんなレアな職業をめざす若者が、いない。

レアな方が、よいのではないか?
これからの生き方として、レアな方が、生きていく場所ははっきりと固まる気がする。
若者よ、どう考える? 将来をえがいている最中のキミは、大勢が集う道を歩くのか、それとも人がめったに寄り付かない、道かどうかもあやしいような道を、レアな人材になるために歩くのか。

わたしは、レアな道がいいような気がする。
これからの時代は・・・。レアな方が。
たしかに、レアは、たしかに見えにくい。社会からも、見えにくい。
『パッと見』では、発見されない。世の中は、その他大勢が多すぎる。
しかし、一見わからないのだけれども、検索すればたしかにヒットするのが、レアな立ち位置だ。

若者よ、レアを選べ。

人の経験しない道を行き、人の経験しない場を見て、人の経験しない体験を積め。

その教授は、たった一人の研究ゼミ生のために、弁当を取り寄せ、論文も懇切丁寧にみてやり、院への推薦も保証し、ありとあらゆる親切をはたらいているそうである。

「しかし、彼は、ここでは弁当を食わんのですよ」

教授はタイガーのポットからお湯を汲み、お茶をいれて飲みながら、ため息をつくのでありました。

いやはや、人生は深いですナ。

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「◯◯◯市って、世界遺産なの?」の違和感

私が暮らしている市は、観光地であります。

したがって、夏休みにコンビニに行くと、他府県のナンバーをつけた車がたくさんある。
そして明らかに観光客だなと思われる服装やスタイルをした人々に出会う。
良いことであります。経営者も張り切っているでしょう。

コンビニだけでなく、大きなスーパーに行ってもそうです。駐車場に大きなキャンピングカーが止まっていました。
中から中学生らしい子が出てきて、慣れた様子で、お母さんと買い物です。遅れて下の子が出てきて、この男の子は、小学校の高学年ぽかったです。教員は見ただけで何年生位だなとまで考えてしまうので、これは職業病ですね。

その男の子がですね、衝撃的な発言をしたわけです。私はたまたま、です。聞く気はないんだけど、たまたま隣に駐車しちまったもんで、耳に入って来ちゃいました。
それが、タイトルのようなセリフだったわけ。

「お母さん、ここって、世界遺産なの?」

これは面白いですね。
もしかしたら、キャンピングカーで移動しているような家族なので、あちこち、世界遺産を訪ね歩いたことがあるのかもしれません。
さらに言うと、観光地でありまして、夏休みには特有の活気を呈しています。他府県から来たと思われる自動車がたくさんあります。関西じゃないのに関西弁をが聞こえてくることも。
そんな雰囲気を敏感に察して、その男の子は、お母さんに聞いてみたくなったんでしょう。

私は最初それを聞いて、世界遺産だから観光するってあるのかなと疑問が湧いた。

世界遺産に登録されようがされまいが、そんなお墨付きのようなものとは無関係に、人類の営みはそれぞれ価値があります。
世界遺産に登録された途端に、価値が跳ね上がるようなものではありません。
私が住んでいる市には、古代から人が住んでいた旧跡が残されております。どうやら縄文時代には人がいたらしい。人が住んでいる以上、そこには必死の営みがあり、生きるための努力があり、人々が協力してきた証が残されております。それらの価値は、世界遺産に登録されようが、ユネスコが何を言おうが、政府が何を言おうが、そんなこととは、無関係に独立してあるわけです。

富士山が文化遺産登録された時、テレビで万歳を叫ぶ政府関係者が映りましたが、はて、妙だなと思いましたね。コレ、なんのバンザイ?
テンションが凄くて、凄みというか、ある種の狂気さえ感じました。
富士山の文化的な価値は、政府が決めたり、ユネスコが決めたりするものではないのですがネ。

まあ、それでも一般的に、世の中の人が、世界遺産として話題になったときに興味を持つ、普通にそういうことってあるんだろうなと思います。世界遺産と書かれたハンドブックも売られていますし、世界遺産に認定されたと言う話を聞いて、興味が湧いて調べたくなったと言う事はあるんでしょう。

ハイ、そこくらいでちょうどいいです。
そこくらいまでで、充分なんです。


しかし、ワタスの高校の同級生が当時のツイートでつぶやいてましたが、日本ほど世界遺産登録を大々的に政府関係者が喜んだりニュース報道したりしてありがたがる国は見たことないと言ってました。他の国ではニュースにすらならないらしい。
今、イタリアと中国が多いそうです。世界遺産の登録数が。まぁ歴史のある国ですから。

で、彼が言うにはその2つに差ができてきているそうです。それは何かと言うと、イタリアは、だんだんともう登録に飽きてきたのか、もう登録なんてしなくていいよと言う自治体が増えてきているそうです。古代の遺跡だから登録はするが、登録をすると、守る義務が生じ、自治体としてはそれはなかなかの負担になるとの事で。

しかし、中国は割と真剣に報道もし、政府関係者が出席するそうです。つまり国威発揚、ですね。世界一を取りに来てるわけです。オリンピックの金メダルの数のように。

モロ、政治なわけ。
政治的に利用価値があるとみなされているわけです。
政治家がやろうとしてるだけなんです。地元はそうでもない。むしろ、傍迷惑だなと感じていたりします。
中国は、「中国すごい」を、言いたい。
イタリアは、別にそんなこと言わなくても良い。
この辺、ちょっとした趣味の違いなんですね。

佐渡の金山が、世界遺産に認定されたとき、岸田首相が首相官邸のホームページでメッセージを出したとニュース報道で知りました。この時岸田首相が、そのメッセージにほとんど意味のないデマを加えていたために、社会科の先生の間では少しだけ話題になりました。

それは、
「江戸時代初期に手工業で純度の高い金を精錬していたわが国の金山は、当時、世界で算出される金の量のうち1割を算出していたと言われています」
という言葉で、アカデミックな大学教授や専門家たちは、「1割って、誰が言うたの?」と、あっけにとられたそうで。
当時の産出量は、なにしろ16、17世紀のことなので、世界の生産産出量を計算している学者が当時はいなかったのです。分母がわからない。それはアカデミックに合理的に考える人たちにとっては常識のこと。

ところが、スピーチの元になった文化庁の資料には「1割」って出てきてしまうわけ。そのわけのわからない、根拠のないデマの数字が。

数字を言うと迫力が出る。日本スゴイ、が言いたくてたまらない当時の岸田首相にとって、世界の1割を算出したんですよ!ということでの【国威発揚】が、欲しかったのでしょう。喉から手が出るほど。

つまり、世界遺産と言うのは、政治的に作られている側面があるということです。

でも、別にユネスコは1割も算出しているから凄いからだから、世界遺産登録したわけではない。そこが1割だろうが、0.5割だろうが、3割だろうが、そんな数字とは無関係に価値があると判断しているわけです。だから岸田首相は言わなくても良いことを言ったわけ。言わなくてもいいのに言いたくてたまらなかったと言うところに、何かしらの狂気を感じるわけです。

日本すごいと言いたくなってしまうのはどうしてでしょう?

事実、実際の人々の営みの価値と言うものは、権威とは無関係に価値があるのです。
国が言及しようがしまいが、人間と言うのには価値があるんですよね。生まれただけで価値があるんです。命ですから。

そして人々が集団になって協力し合うのは誰かがそれに価値を認めたから、急に価値が出てくるわけではなく、誰かがそれはすごいとかすごくないとか立派だとか評価する前から価値があるわけです。評価されて、初めて価値が出てくるわけではなく、評価の前に既に価値があるわけです。

だんだんと教員向けの話になってきましたね。
そうです、通知表は価値をつけますが、あるいはつけたように見えますが、算数の欄に2重丸を記入する前から、すでに価値があるんです。我々教員がそこにを記入した書き入れたその瞬間に、価値が生まれるわけではない。

世界遺産に登録しようが、しまいが、文化的な価値はあるわけです。考えてみたら当たり前ですね。でも、多くの人は、日本すごいと誰かが言ってくれて、初めて日本には価値が出てくるんだと勘違いをしやすいんです。日本すごいと言われようが言われまいが、誰もそんなこと言わなくても価値があるんです。多くの人はそのことを知っているので、別に日本凄いと他国に言われなくても、あるいは自分自身がそれを連呼しなくても価値かあると知ってます。

しかし、中にはこういうタイプの人がいます。
「日本すごいを言わないと価値がなくなっちゃう。日本すごいと言わないのは、自虐なんだ」

いや、別に日本すごいを言わないのは自虐ではありません。

日本すごい、と、誰かに言ってほしい心象とは、何でしょうか?

報われなかった人が「日本すごい」という言葉に惹かれる心理は、いくつかの要因が絡み合って形成されていると考えられます。

「自分は価値がない」「社会から認められていない」と感じている点。

   人は誰しもこのような気分になる事はあります。誰だって。
そして、このような時、人は「自分自身」ではなく、「自分が所属する大きな集団」に価値を見出すことで、失われた自己肯定感を補おうとします。国家(=日本)という大きな存在を「素晴らしい」と賛美することで、その一員である自分もまた「素晴らしい」という感覚を得られるのです。これは、個人の失敗や不遇を、「日本人全体」の成功や偉大さで覆い隠そうとする心理です。これは誰でも起こり得ることなんです。

   報われなかった自分の人生を直接肯定することは難しい。そこで、自分の不満や挫折を、国家という対象に投影し、その国家の偉大さを賛美することで、間接的に自分自身の価値を代償しようとします。
   「私個人は成功しなかったが、私が所属する国はこんなにすごい。だから私自身も決して報われなかったわけではない」という心の安定を求めるのです。

   「日本すごい」という言説は、しばしば日本の歴史や文化の美点だけを切り取って提示します。これは、現実の厳しい社会や、自分の報われなかった境遇から目をそらすための、一種の「心理的な現実逃避」として機能します。

これらの心理的メカニズムは、報われなかった個人が、失われた自己肯定感を回復させ、社会への不満を解消し、現実から目をそらすために、「日本すごい」という言葉に強く惹かれる理由を説明しています。それは、自分自身を直接肯定することが困難な時に、国家という大きな枠組みを通して自分を肯定しようとする、切実な心の動きだと言えるでしょう。

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やってみて、どうですか 😂

私は20代の頃、何をやっても

「やってみて、どうでしたか」

と、問われる、という日常を送っていました。

まるで禅の修行のようですが、まさに今考えるとよくやってたなと思う位です。

その時に身に付いたものがあり、私は今でも学級クラスで、

「やってみて、どうだった?」

と聞きます。

時折、自分でも不思議に思いますね。
三つ子の魂百まで、じゃないですが、20代の頃に、耳の奥にこびりついた言葉と言うのは離れないもののようです。

ところが忙しくなると、このやってみてどうかをやらない。
次から次へとこなすようになる。
そうすると、子どもの顔は疲れていきます。

私は4月は特に遊びまくります。
教室でゲームばっかりやります。
そして、やってみて、どうだったかと、問うのです。

「友達の顔見ると、よくわかったんだね」
「友達にちゃんと伝えようと思ったら伝わったんだね」
「めんどくさいなぁと思っていると楽しめないんだね」

子供が色々と感想言うので、それを整理していくだけです。
ゲームと言うのは、奥が深いです。
集団で目的を共有すると言うことですから。
気持ちが1つになっていくと、ものすごく盛り上がるし、楽しいのに、少しでも心が離れると途端にめんどくさいものになってしまうのがゲームです。

ゲームを1つやるだけで、そしてそのことをつぶさに見て取ることで、自分の心の状態や友達の心の状態までしっかりと整理されて、俯瞰できるのがゲームの醍醐味です。

ときにはゲーム自体より、その振り返りの時間が長いことすらあります。
その振り返りの時間こそが楽しいのです。私はゲームの時はそれほど力を入れません。ゲームの進行は淡々とやります。でもゲームが終わった途端にみんなにどうだったかと全身全霊で聞くようにしています。

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鉛筆いっぽんサラシに巻いて・・・

サトシくんと言う子がいました。
このサトシくんは、筆箱の中に鉛筆が1本しか入っていないのです。

親と同じく、筆箱の中身については、小学校では先生も指導します。
赤鉛筆1本、普通の黒鉛筆を3本4本、よく字の消える消しゴムに小さなミニ定規を1つ、名前を書くためのネームペンが1本、などのように。

サトシくんも、黒鉛筆は3本か4本持ってくると良いよ

と声をかけるのですが、いつも必ず1本しかありません。
しまいには、筆箱すら持ってこなくなりました。机の引き出しの中に鉛筆が1本あるだけです。

おうちの方に電話をすると、しばらく立派な筆箱を持ってきて、ピカピカの鉛筆が5本ほど入ってるのですが、1週間も経つとやはり筆箱ごと家に置いてきてしまい、黒鉛筆一本に戻ります。

彼は、鉛筆一本でこの人生をなんとかしよう、と決めているのです。

料理人が包丁を、野球選手バットを扱うように、サトシくんは鉛筆をいっぽんだけ持って、すべての活動を片付けようとしていました。

いささか、乱暴ですよね。
鉛筆いっぽんだけで、すべてをこなそうとするなんて。

私が、

「いったい、どんな考えで鉛筆1本だけにしているの?」

と尋ねると、

「1本で何とかなるからね」

と、まるで人生を2回か3回、既に経験してきた人のように言います。

包丁1本さらしに巻いて、の歌詞でお馴染みの

月の法善寺横町

は、包丁一本で身を立てる若人の、心情がよく伝わる歌詞です。

包丁一本晒(さらし)に巻いて

旅へ出るのも板場の修業

待っててこいさん哀しいだろが

ああ若い二人の

想い出にじむ法善寺

月も未練な十三夜


(セリフ)

こいさんが私(わて)を初めて法善寺へ連れて来てくれはったのは「藤よ志」に奉公に上った晩やった。「早う立派な板場はんになりいや」ゆうて、長い事水掛不動さんにお願いしてくれはりましたなァ。あの晩から私は、私

は、こいさんが、好きになりました。


腕をみがいて浪花に戻りゃ

晴れて添われる仲ではないか

お願いこいさん泣かずにおくれ

ああいまの私(わて)には

親方はんにすまないが

味の暖簾(のれん)にゃ刃が立たぬ


わたしは、いつもサトシくんを見るたびに、この歌が思い浮かぶのです。
と言っても、本当に思い出すのは一番はじめの「ほうちょういっぽん、さらしにまいてぇー、たびにでるのぉもぉ、いたばのしゅーぎょおォー・・・」のあたりまでですが。

なにかしら、サトシくんの、登校してからの立ち居振る舞いに、生きる覚悟を感じるのですよ。
生きるというのは、本当にあれこれとあるもの、いろいろとあるものです。

あとで、サトシくんが筆箱を家に置いてくるのは、以前お母さんに、鉛筆を無くしたことを叱られたからだ、と判りました。

「一本しか無かったら、絶対に無くさないからね」

サトシくんの、肝の座ったような顔つきは、この時の覚悟から、滲み出ているものだったようです。

お母さんがどんなふうに叱ったのか判りませんが、彼はその時から、自分の生き方に責任を持ったんだな、と思いました。

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努力して何かを成し遂げる、の怖さ

ブラック企業しか経験してないために、私の評価軸はかなり狂っているのかもしれません。
二十代は、本当に土日という概念がありませんでした。だって休日が無かったからね。

というと、大げさだという人がいますが、本当に1日も休まなかったのですから、これは他と比較しても誰も文句の言えないレベルのブラックだと思います。

さて、三十代は、ブラックでお馴染みのIT業界。その後もブラックの代名詞であります教員と。
ブラック街道を渡り歩いて参りました。

1番のブラックは、教員ですね。IT業界よりも畜産よりも編集よりも販売営業よりもイベント企画よりもブラックです。全部経験して、私自身が証人であります。なかなか世間に居ないかもね、それ全部経験、やった人は・・・。

いや、意外といるのかも?(いらっしゃったらコメントくださいませ。同じ教員という仕事について語りたいです)

さて、ブラック、の本質って何でしょう?

私が考える、ブラックをブラックたらしめるポイントとは何か。

一つは、しない方が良い努力をする、という点。
誰の得にもならない努力があり、正直に言えば、やればやるほど別の方向に行く、ということ。

で、長い人生を考えると、おそらくですが、その「ただしい方向」というのが怪しいのです。それも、Aの方向が正解なのにBを目指してしまった、ということではなくて。
そもそも、「ただしい方向がある」という強迫というか思い込みがすでに間違っている、というわけです。

多くの人は
なにか成し遂げると素晴らしいことがあるんや、この方向や!これがワイの夢なんや!
ということがあって、努力をしていると思います。

で、その方向を間違うと、えらく目的地から離れた場所に行ってしまい、こんなはずではなかった、と思うらしいですな。ブラック企業では、毎日、それが常態化してるのでしょう。

ところが、ブラックとは縁のない生き方をする限り、こんなことは「起こり得ない」のです。
無駄な努力をしない人は、方向なんて考えないのかもしれないんです。

どれだけ働いてもブラックにならない人は、わりと直観で、人間として間違ってない、という程度のことで進んでいる。

やるべきだ、で進まないから、自然に進みたくなるから、間違わないのですね。したがって、後から、こんなはずではなかった、とは断じてならない、というか、非常にそうは、なりにくい。最初から、後悔とは無縁なのです。最初から無縁、というのがポイントかなぁ。

つまり、多くの人が考えるところの、ああ成し遂げた!というのは、一体何を成し遂げたと言うのか、なかなか難しいということです。
もしかしたら、まったく成し遂げてはいない、ってことだってあり得る。
世の中を見てみると、後者の方がどちらかと多いのパターンなのかもしれません。

こう考えると、おそらく人間は、努力、という、なんだか野蛮で、はしたないことを、すればするほど、ズレるのかもしれなくて、

ただ、美味しい飯を食って、家族がいれば家族をささえながら、気分よく何かに取り組む、ということが進み方としては一番良いのかも。

私は血眼になるのは、人間としては面白いですから大好きで、血眼の人を見るのは好きです。
血まなこと言うのは、ある種のトランス状態に近い。
それに、自分も血眼になることは愉快なので時折、それをするんですが、それでも何かを成し遂げるために血眼になるのは、どこか強迫的で品がなく、拒否したい気持ちがありますね。病的な感じがして。「オレは大物にならなくては・・・!」という雰囲気の子が、ごくたまーにいるのですが、ハッキリいって、病的な感じがします。それがブラック、ということですからね。

美味しいカフェ・オ・レを飲みながら、気分よく勉強するのが、ブラックではない人の過ごし方であり、名誉か褒美か、そういう自分以外の何かになるための働き方をするのは、ブラックだと思います。

その意味では、私の二十代は、面白すぎました。もっとも洒落ていた、と今でも思います。
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亡き父に会う方法

実家に帰って、藤の木の剪定をした。
藤の木は、つる性でいろんな風に伸びていく。母が切ろうとするが、母は背が小さい。これまでは、近所に住む姉がちょこまか切ってくれていた。
しかし、20年目となると、そろそろ手の届かない範囲が増えてきた。

そこで、私がノコギリでかなり強めに剪定をした。
できるだけ家の敷地から外へ出ないように、枝の伸びる方向を考えて切っていくと、すでに一度、かなり前に切ったことのある場所などが見えてきた。

おそらく、当時も枝が妙な方向へと伸びたのだろう。デベソにすることなく、きれいに切り落とされている。傷跡はもうすでに樹皮で修復されたように盛り上がり、見た目は分からなくなっていた。しかし、木の方向をあれこれ考えながら、枝ぶりを1本1本、確かめていくと、そうしたこれまでの枝打ちの跡が見えてきたのだ。

母がしたのではない。それはノコギリを使った男の仕業であった。

父が亡くなって、もう六年。
意外なことに、庭木の手入れをすると、ひょんなことから、父の仕事ぶりを見ることになった。

時折、亡くなった人を思い出すことはある。別に墓参りや仏壇の前で手を合わせる時だけでなくとも。
しかし、こうしてふと、その人の具体的な行動の後や、仕事の残った形跡に出会うのは、予期していなかった分、とてもリアルにその人を実感するものだ。

たしかに父のだろう、と思うような仕事の跡は、藤の木の途中まで、見つかった。その先は、枝が暴れていた。
父は大病を患って入院し、長く闘病したから、それ以後の枝はメンテされなかった。途中まで、父が誘引などしたのだろうな、と私には見えた。フェンスに沿って、太い枝がきれいに2本、等間隔で這っているところは、A型の父の性格を思わせた。

亡くなってからの6年で、さらに藤の木は伸びた。私は、自分で剪定できそうな範囲におさまるよう、将来を考えて枝の方向を決めた。

作業の終わりかけ、脚立を片付けようとして、ふと思いついてまた脚立に昇った。で、写真を撮りました。

息子に見せるため、ね。
じいちゃんの剪定の跡だぜ、と。

まあ、息子は軽く、「ふうん」と言うだけだろうけど。

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映画にラベルをつけてほしい

映画館についても、なかなか入場する気にはならない。
なぜかと言うと、映画のタイトルやポスター類をみても、どんな映画なのか、よくわからないのだ。

ともかく、私のその時の希望は、

できるだけ音が少なく、爆発などせずに、欲を言えば、あまり複雑なストーリーではなく、できるだけ楽にぼーっとして見られる映画が見たい。

ということだった。

何せ2時間近くも、座っているだけで疲れるのである。
画面の向こうに、大きな音が聞こえて、破裂などしていれば、聞いているだけで疲れてしまう。

できるだけ、静かそうなのが良かった。最後まで、静かでおとなしそうなのが。
できたら、ドキドキハラハラもしたくない。

こんなこと言うと、そんなつまらなさそうな映画どうして見るの?
などと、おそらく、若い人ほど言うに違いない。私も若い頃はそうだった。スリルを求めた。サスペンスが好きで、ハラハラ・ドキドキすればするほど満足した。

自分も今日映画館に着くまでは、自分のことをそうだと勘違いしていた。
実際にその場に着くと、私は自分の年齢を自覚した。もう、ドキドキ、ハラハラすら、求めなくなっていたのである。

その代わり、起承転結も必要なく、できたら、起・承・承・・・・くらいが望ましい。結すら不要である。主人公のその後がどうだろうが、どうでも良い。それぞれが好き勝手にすれば良いだけのことだ。

私は、究極的には、どこかの何も知らぬ爺様が出てきて、そのおじいさまが、朝起きて、起き上がって、椅子に座って、新聞を読みながら、茶をすすっている、たったそれだけの映像を、2時間連続で見たほうが、どんなにか、人生について考えられるかとも思う。

そのような映画があれば、私は毎日でも見に行きたい。
今度のじいさんが、前回のじいさんと、どのようにお茶のすすり方が違うか、それだけでも本当に勉強になると思う。そして、そこから、彼の人生と、これまでの遍歴と、人生観の違いすら感じることができそうだ。
新聞を取っているかどうか、どこの欄から読み始めるのか、お茶を飲むのか、それともホットミルクを飲むのか、あるいは使い古したマグカップなのか、それとも寿司屋の湯のみなのか。

座っている椅子はどんな風か、腰をかけて、どんなふうにため息をつくのか。
その様子を眺めているだけで、人生を考えることができる。

映画館に要望がある。
静かな映画にはサイレントの頭文字である【S】と言う記号を、タイトルの横につけて欲しい。そうすれば、私のようにもうドキドキもびっくりもしたくない。静かにぼーっとしていたい人も、その映画を選択できるからだ。
体力がない。ドキドキする体力は、夏休みの研修をこなしている現役の教師には、もう残っていないのである。

私がそんなふうに、できるだけ静かな映画を探していたところ、1つ見つけた。
それが、【90歳。何がめでたい】という、佐藤愛子さんのエッセイ集を元にした映画であった。

これは、静かだろうな。

直感が当たった。

映画は、期待通りの静けさであった。
草笛光子さん演じる、愛子ばあさんの一挙手一投足を見ているだけで、こみ上げてくるこの満足感がたまらなかった。

火薬はいらない。
盛り上げもいらない。
淡々と人生の日々の出来事が繰り返されていくのが、この人生の最も価値のある瞬間だ。また、その人一人ひとりの自己決定の清々しさを、他人はすべからく尊重するべきで、そうなると、人は必然的に余計な口出しをしなくなる。

【90歳。何がめでたい】は、そんな映画でありました。良い映画を見た、という満足が、帰り道の私の足取りを軽くした。

この夏、オススメであります。

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中年クライシス・・・についての論考

若い時は、得られるものがどんどんと増えていく。
ものも資格も仕事も立場もどんどんと増えていった。

知り合いも同僚も増え、家族まで増えていく。
人間関係がどんどんと広がっていく。

ところが50代になるとだんだんと、そのあたりが整理整頓・淘汰され、厳選されたものになっていく。

これは必ずしも、悪いことでもない。
自分が人生に求めるものが明確になったとともに、質も形もシェイプアップされ、昇華したのだとも言える。

自分が手放すものに気づくと、さみしいという気持ちも湧く。
と同時に、日常の些細なことが心に刺さるようになる。

例えばコンビニエンスストアのレジの人とちょっとした会話で、お互いに笑顔で別れたりすることが嬉しくなったりする。

本を読むときに、この本を書いた著者の考えが心に染みたりより近く感じたりするようになる。

映画を見ても、ストーリーそのものもそうだが、この作品を撮った監督や役者と言うものに目が向き、それらの人々と一緒にいるかのような感覚や、その人と自分との関係を考えたりする。

教員は職業柄、毎日図書館に通っているようなものであり、私は学校の図書館を図書委員の仕事を確認しながら、好きな本も見て回るのが好きだ。

そして本当に自分がタイムスリップしたかのような気持ちになる。

この間は、モモちゃんとプー、モモちゃんとあかねちゃん、などの名作を図書館で見つけ、しばらく、立ち読みをしたところ、目頭が熱くなってきて困った。作者の、大人としての、親としての、一保育者としての気概を感じるからだ。

また、ミヒャエル・エンデの様々な作品、ジムボタンの冒険や、果てしない物語などを見つけたり、ドリトル先生のシリーズ、いぬいとみこさんの名作、北極のミーシカムーシカ、その他の本ともなれば、背表紙で本を見つけた瞬間に、心が躍る。

そして、明確な違いを感じる。
子供の時や若い時に読んだ本は、本そのもの、作品そのものに関心があった。

しかし、今は違う。

その物語を書いた当時の作者の気持ちや考えや、人生観と言うものに、どうしても興味が湧いてくる。この文章を少しずつ書き進めていく最中の、作家の心持ちや考えや、日々の暮らしと言うものに興味が湧いてきて、どんな食べ物を誰とどんなふうに食べながら、どんな街をどんなふうに散歩しながら、この物語の着想を得たのだろう、と考えているのだ。

これは、人生と言うものを、ある程度経験してきたから、いつの間にか、そんなふうな所作が身に付いてしまったのだろうと思う。

一朝一夕で身に付いた所作ではない、ということやね。いいのか悪いのか、中年になると、人生を見る見方が変わるということですな。

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校長先生へのタメ口についての考察

これはわたしの悪いところ、短所なのですが、校長先生に馴れ馴れしくしてしまいます。以前は時折、タメ口で話してしまったために、自己嫌悪に陥ることすらありました。

これは20代の過ごし方に問題がありまして・・・。

通常の人は、生活のほとんどを敬語か丁寧語で過ごしているのが普通だと思うのですが、わたしは20代の約10年ほどをまるっと、「無敬語」で過ごしました。おそらく、こんな人は人口の中では0.1%以下だと思います。

これでも中学・高校時代の部活はPL学園ほどではなくとも、一応縦型社会とも言われた体育会系でしたし、大学の寮は400人規模の破壊的なくらいの超縦型パワハラ社会でくらしました。先輩の無茶振りやパワハラにも耐えて過ごしましたね。実はめちゃくちゃ楽しかったのではありますが、若い頃のわたしは敬語をふつうに使えていました。

でも、やはり、20代の経験は大きいですね。

敬語を使わない暮らしを一度経験すると、これが楽でラクで・・・

どんな人も、肩書きで見ない、立場で見ない、性別や家柄や、能力や行動、影響の大きさなどては見ないというクセがついちゃった。誰に対してもタメ口。親戚のおじちゃんや、いとこのニイちゃんと話してる感じ。お母さんとか・・・、家族と話す雰囲気。ほら、そんな中なら、敬語じゃあ、逆に変でしょう?

こんな経験をすることはほぼ不可能なので、いくらわたしがこんなことを、ここて熱弁したとて意味はないんですが・・・

とにかく、ラク。

同時に、若い人が私に対してタメ口で話しても、弟・妹的な目線なのでまったく問題無いどころか、それが普通という気がする。

教室でも子どもが私には、タメ口です。
普通です。
わたしに敬語で話してくる子は、6年生の児童会の子くらいしかいません。これを批判する方もいます。もっと先生への言葉遣いはきちんと丁寧語でするように躾けたほうがよい、と。将来のためだ、と。わたしは教員になりたての頃に、そう注意されまして、教員という職業はまだ始めたばかりでわからないことだらけでしたから、そういうものか、と思いまして、かなり子どもたちにもいちいち注意したものです。 このブログでも、敬語については何回か書いたかなと思います。


今の私は、研鑽に研鑽を重ねまして、校長先生に敬語を使うことができるようになりました。今はまったく、敬語が普通になりましたね!見てください、この晴れ姿を!ここまで10年くらいかかりました。
つまり、敬語に染まるのは時間がかかるのですが、不要となれば、明日からでも敬語を手放すことはできるのです。10年間まるっと無敬語、という生活も、だれでもすぐにできる、というわけですネ、人間という生物は・・・。経験上、それが言えます。

ところで、前回の記事のように、人と人との間に、まったく「存在価値の差や違い」が無いとしたら、パワハラはなくなりそうに思いますが、なかなか無くなりそうにありません。こうしたらどうでしょう。「ノー敬語デー」をつくるのです。上司に対して、その日は敬語を使わない、という日。お互いに、ですから、だれかを特別扱いはしないのです。国家がそれを推進するのなら、どんな上司もぐっと耐えるでしょうからね。

「人はだれでも心から好きな人やモノがあり、愛することができるわけで、どんな人をも馬鹿にすることはできない」と、朝8時になったら日本人は全員これを唱和しまして、総理大臣がテレビ中継、インターネット中継で「本日はこれより、どんなオフィスでもノー敬語です」と宣言します。面白いと思いますがねえ。


今のわたしは、職場ではもうかなり年齢が上になってしまいまして、コピー機の前に立つと、若い子たちが「あ、すぐに終わります」とかいって、ゆずってくれようとしますし、みんな私に敬語を使います。今はもうその環境に慣れちまいましたが、自分はノー敬語でもまったく問題ありません。どんな若い先生も弟や妹の気分ですから。この感覚はどうしようもない。そういう人生を歩んできてしまったので。

パワハラの新聞記事を読むたびに、そんな想像をしています。パワハラがなくなればいいのに、と思います。DVとか。

ところで、ノー敬語デーのときに、なんでワシに対してみんな敬語を使ってくれないんや!と腹を立てる上司がいるんじゃないか、とみなさん思いますか?

わたしは、案外とそんなにいないのではないか、と思いますネ。

そうして、敬語じゃないと腹が立つ、という人がいなくなったとたんに、敬語は本来の輝きをとりもどし、正常に機能し始めると思います。そうなってはじめて、敬語の良さが際立ってきて、お互いに敬語で話し合えることの良さを、日本人全体が享受できるようになるのでしょう。まあそうなったらパワハラは日本から消えますが、パワハラが無くなれば、自分を誤解して卑下してしまう日本人は、居なくなり、日本全体の大きな国益に繋がると思いますナ。

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人生は3対7で相手寄り

若い頃は、人生と言うのは100%自分のものだと思っておりました。
計画せねば、考えねば、と。
一から百まで自分の人生だと。

働くようになってから、意識が変わりました。人生は半々だなぁと。
5割は、自分のために。残りの5割が、世のため、人のため、相手のためだと。

ところが、20歳をこえたころからか、なんだか、哲学的に、物事を考えるような癖がつき、自分のためと言うものは一切ないなぁと言うふうに考えるようになりました。
つまり、人生は100%自分のためなんて事はなく、人のため世のため、自分以外のもののために動くのが真実だなと。

しかし、どうやらこれは多分に意識過剰な考え方だったようで、
「そう考えるのが正しいし、理にかなっていると思えるから、そう考えよう」
と言う雰囲気を持っていました。

その後、揺れ戻しが参ります。
結婚して子供が生まれたにも関わらず、無職だった、あの頃。
嫁様の貯金に頼っていたあの頃。

人生と言うのは、自分のために10割使って当然だと考えるようになりました。
これは、超氷河期と呼ばれる時代だったこともあるでしょう。政治の責任システムの責任もあると思います。だって、世の中資本主義だもの。

そして、50を過ぎ、今私が思う感覚は、結局、自分のためが3割、世のため、人のためが7割だと考えるに至りました。
どうですか?この数字の感覚・・・。

トータルで考えるとそのくらいかなと思うのです。
それは、自分のためか、相手のためかの境目が、歳とともにどんどんとぼやけてきていることにも影響されています。

たまに時間がぽっと空いて、とりあえずのんびりできるなと言う時間が生まれたとします。この時に、自分のため!と気合を入れて時間を過ごす事は到底不可能です。どう過ごしていても、そこに100%自分のためだけの行動はありません。同じように、世のため、人のために尽くしている仕事の時間の中にも、自分のためと思える時間もたくさんあるわけで。

そう考えると、自分が3、周囲が7・・・かなぁ。

トータルで見ると、エネルギー配分がそのくらいな気がする。
皆さんはいかがですか?

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古い木製の椅子に、ニスを塗りました。しかし、あまり良い仕上がりにならず・・・
次回はもう少し色のついた、耐候性のあるペンキを塗ろうと思っています。
この仕事は一体誰のため・・・

見ているとぶつかる

数ヶ月前に、息子と一緒に東京の街を歩きました。渋谷新宿、浅草上野、・・・
そうして、私がすでにかなり耄碌(もうろく)していることに気が付きました。

なにせ、人にぶつかる!あるいは、ギリギリぶつかりそうになる!

息子を見ていても、同じです。
駅の構内を歩き通した後、2人で同時に同じ感想を言いました。
「ぶつかりそうで怖かったねー」

これでも30代の前半は、かなり長い間東京暮らしでした。都庁に面接に行ったこともあるし、五反田にある会社に非正規でしたが、しばらく勤めたこともあります。250%を超える満員電車で、カバンがもぎ取られたこともあります。

その頃は、実は歩けていました。
JR線や小田急線が通っている、町田の駅の人混みも、凄まじいものがありますが、普通にスイスイと歩いていたのです。今の私からは、想像もつきませんが・・・

そこで、つらつらと考えるに、あることに気が付きました。
それは目線の置き方が違っていたということです。

今回、私が息子と2人で歩いてみて、ありとあらゆる人にぶつかりそうになったのは、実は理由がありました。
私は後半それに気がついたので、目線の置き所を変えてみたところ、驚くべし。あっという間に、昔の私のように、人にぶつからずに歩けるようになったのです。

この発見はノーベル賞級の発見だと思うので、ここに書いておきます。

それは、人とぶつかりたくなければ、人を見ないということなのです。

これが逆説中の逆説で、人は売ろうとすると、手を引っ込めるし、こちらがやらぬと言うと、相手は欲しいというのです。

人とぶつかりたくなければ、最新の注意を払って動いてくる、やってくる人間を目を凝らして見るべきだと思うかもしれません。しかし、実際は逆です。
向こうから、アリのように群がって、私のほうに押し寄せてくる人の群れを見てごらんなさい。
その人間を、いちいちあの人がぶつかる、この人がぶつかりそうだ、やばいなどと、いちいち見ていてはぶつかるのです。

人間に注意を向けた途端にぶつかるのです。これはものすごく大きな真理だと思いませんか?

そのことに気がついたので、後半は人間には注意を向けないようにしました。そして、何を見ているかと言うと、見ているようで、何も見てはいない、何も見ていないようでいて、実は流れを見ている、風を感じているとでも言いましょうか・・・

そうすると、全くストレスなく歩けるのです。今から20年ほど前に、町田の駅で乗り換えていた私は、そうやって、ノーストレスで歩けていたのです。思い出しました。

田舎育ちの息子は、顔面蒼白になりながら、過呼吸になって歩いていました。そして、黒いカバンにぶつかったとか、おばあちゃんが避けきれなかったとか、文句をぶつぶつ言っていました。

そこで私は彼に告げました。

「息子よ、風になれ」

それが世界の真実なのです。


ところで、思い出した小話がもう一つ。

アメリカの中西部にある砂漠のような場所で、所々にガソリンスタンドがありますね。
そのガソリンスタンドに向けて、時折、看板を見かけるのです。この先あと50キロでガソリンスタンドがあるよ、とか。

ガソリンスタンドに行くための看板は、砂漠の真ん中にポツンと立っているような形になります。果てしなく続く道路と、ポツンと立った看板。見える景色はたったそれだけです。

なんとなくこの先の展開が読めましたか?
ご名答!

なんとその看板は、たくさんの自動車にぶつけられて、曲がったり凹んだりしているのだそうです。
そうなんです。人間は見ていると、それにぶつかるのです。

広い広い砂漠なのに、絶対に、避けられるはずの看板に、ぶつかってしまうのが人間なのです。

つまり、人間は、意識にのぼったものを、ずっとずっと見ていると、それに到達してしまうと言うことです。

毎日、毎日、純粋な幼い子供のように、プロゲーマーになりたいと思っていると、なってしまうと言うわけです。
また、こんな感じのティーカップがないかなぁと思って、ありとあらゆるカタログに目を通していると、いつかドンピシャの物を見つけてしまうのです。

憧れて憧れて、毎日写真を見ていると、その野球選手に、いつか会えるということなのです。

人生って楽しいですなぁ。IMG_5744

苦手なことはしなくても良い、はダメ?

35歳から教員になったので、学校の文化にどうしても馴染めなかった部分はたくさんありました。

その中の1つが、
「苦手な事はしなくても良いか?」
と、いうことです。

私は、若い頃から、なんとなく人間は得意なことをするのが1番幸せだと言うふうに感じることがよくありました。
なので、苦手なことに泣きながら取り組むと言うような行動は、どうにも馴染めなかったのです。
吹奏楽部の子らが、肺を鍛えると言う顧問の指示で、校庭を泣きながら走っている姿を見ると、少し違和感がありました。

実は私は19歳の時から、約10年間の間、得意、不得意、という分類をほとんど考えることなく過ごしていました。
その代わりに、キーワードとなっていたのが、持ち味ということでありました。

持ち味を最大に生かす

このキーワードが常に頭にあり、何度も何度も繰り返しリフレインして、脳内再生をしながら、持ち味って何なのだろう?とばかり、考えておりました。得意不得意と違って、持ち味となると周囲の人にとってどうかという判断が必要ですから、自分1人のことではなくなります。お互いの事になるのです。

ところが、教員になってみると、学校ではそうはいきません。その子にとって不得意・苦手なことも教える必要があるからです。徐々に、子どもに対しては、新しいこと、課題ができるようになるよう、資質能力を注入する、と言うことを考えるようになりました。

文科省はそんな言葉は使っていません。資質能力は、育むものだ、とされています。
しかし、当時の私は、育むというよりかは、注入するものと言うふうに捉えていたのです。

今でも、財界の方や、経営者の方は、インプットやトレーニングが大事だ、小学校中学校位までは詰め込み教育も必要だ、と著書に書いている人も多いです。

注入するとなると、やはり、苦手な分野において、それまでつけていなかった知識や、思考方法を、覚えさせるトレーニングさせると言うふうに聞こえます。

ところが、文科省の言うように「育む」となれば、これは注入するとは少し違います。
県教委主催の研修を受けて、知識を注入するのではない。新しい見方や考え方を注入するのではない。あくまでも育むのだ、と、聞いても、正直よくわかりませんでした。

やはり毎日、新しい知識を教科書や教材を通して、教えているというのが実態です。これは注入しているのか、育んでいるのか、どちらなんだろうといつもわかりませんでした。
確かに、課題に対して、様々な角度から考えられて、自ずと解を導くような子供にとっては、育むという言葉がぴったりな気がします。
しかし、その分野が苦手で、多角的なものの見方もなかなかできず、考えても考えても混乱するばかりで、結局、友達の意見を半信半疑で聞いただけ、という子もいるのです。この場合は、資質能力を育んだことになるのでしょうか?どちらかと言うと、知識を提示し、注入したと言う感じが・・・

さて、話は変わりますが、実際に大人になったときに必要な能力と言うのはなんでしょう。
大人になった時、苦手なことを嫌がらずに取り組んだ方が良いのか、それとも苦手なことではなくて、どちらかと言うと、苦手な事は他の人に任せて、自分は思いっきり得意な分野を突き進んだ方が良いのか。どちらなんでしょう?

これは見事に世間でも意見が分かれています。

経済・財界の方の著書を読むと、わりと最近は、苦手な事は他の人に任せたほうが組織全体の成果は高くなる、と言う意見が多いようです。

だからといって、子供の時から苦手なことを避けて通るようにしてはいけないとおもいますが・・・

しかし、一方で、
苦手なことに取り組むことこそが、最も大事なのだ、と言う間違ったメッセージが子供に注入されないように気をつける必要があります。

まず、根本的に大事なのは、あなたの得意なことや、持っている持ち味をとことん生かすようにすることがいちばん大切なことであること、そしてあなたの持ち味が、とことん生かされるような場所や役職や係になることで、実際に周囲からそのようなパフォーマンスを期待されるような、場面設定を自分に対してすべきだと言うことです。

それを100回位、子どもに教え、体験もさせた後で、ほんの2〜3回程度、
「ただし、自分が苦手なことも何とか工夫してやり抜くような態度も大事だよね」
と伝えるのが良いと思います。

子どものときは、苦手なことに取り組むのが本筋なのではなく、自分の持ち味や良さを発見し、その世界に浸り込むことこそが、最も大切な体験であることには違いない。しかし、だからといって苦手なことを全て避けるのではなく、何とかして苦手なこともある程度のパフォーマンスでこなせるような工夫をしていくことが大切だよと言うことだと思います。

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結局、天職についての問題 3

当時の私には、すべてが学びの対象と感じられていました。若い人はたいがい、そうでしょう。

やってみてわかったことは、私は業務の成績を上げるというよりも、この仕事が人間にとって、あるいは若者にとって、どのような意味があるのかを文章にしたり、かんがえたりすることのほうが面白いと思ったことです。これは、私の適性の発見につながりました。

その後、今度は転職して野菜の小売業を行いました。
これもまた、学校の勉強のような感覚で仕事を行いました。実地演習のような雰囲気です。

トラックを運転し、家をまわり、ご家庭の玄関先で野菜を売るのです。大阪はすみずみまで回りました。おかげで大きな道路を覚えたばかりか、どんな場所に、土地に、どんな人々が暮らしていて、昼間暇そうにしている人もいれば、忙しそうな人もいるし、経済的にもさまざまなレベルで人は暮らしているということが分かりました。また、非常にたくさんの奥様方とお話をするのは、面白いばかりか、なるほどと思うことも多く、勉強になりました。

当時の私は仕事も頑張っていたのですが、こういった仕事は非常に大切だけど、自分はどちらかというとこのことで儲けようという気分はどうしても湧いてこないな、と感じておりました。
当時の自分のモチベーションは、何だったのだろう、と振り返ってみると、

ここから何を学んだか

を、文章にしたり人に話したり、その仕事から社会経済の仕組みや人の集団の変化を考える、ということのほうが結局は大きな関心事だということがわかったのです。車を運転しながら、アレコレとメモをしたり、考えたりしてましたね。

とうとう腰を痛めてこの仕事に見切りをつけたのですが、また転職しました。
今度はインターネット関連の仕事や、新聞を作る仕事を行いました。私としては、これは非常に面白みがありました。徐々に、自分のモチベーションが強まっているのを感じました。インターネットの仕事は、情報の伝達、ということにつながります。わたしはその部分でも興味が強く、人と人がどう情報の伝達を行うのか、その社会的な意味はなにか、と考えてばかりいました。新聞づくりはもう面白くて仕方がありませんでした。文章を書くのは、自分にとって中毒のようなものでしたから。

途中で、面白そうなJAXAの相模原キャンパスに常駐する、情報セキュリティ担当の仕事をしましたが、これもまた渋くて粋な仕事でした。

そこまで進むと、もう28歳になっておりましたので、ここらであれこれと考えた結果、要するにわたしの興味関心は、どうしても社会科学的な分野になってくるのがわかりました。
残りの人生は、そこに深くリンクする仕事でありたい。社会論を考え続けたい、人間にとって有効な社会システムを、ずっと人と話しながら考え続けたい。

このモチベーションは、どうにも下がらないことが、これまでの経緯で自分にわかっていました。

で、再び転職して、選んだのが教師という仕事です。

毎日、学級という人間社会がどう動くのか、何が有効なのか、システムとして大事なのはなにか、人と人とが話し合うためにはなにがポイントになってくるのか。お互いがわかりあうために必要な手段とはなにか。

考え続けるのが面白くて仕方がありません。

でも、この教師という仕事にたどりつくためには、30歳までの10年間が必要でした。
このくらいは必要でしょう。20歳ですぐにたどりつかなくてもいいのではないでしょうか。
もちろん、最初からほぼ自分の計画が立てられていて、同じ分野を少しづつ耕していける人もいます。そういうことが可能な人は、とても幸運だと思いますね。

まあしかし、時間をかけてゆっくり見つけることもできる、ということです。
むしろ、多くの人にとっては、最初からそのくらいの計画でいる方が無理がないような気もします。大事なのは、20代は、観察しつづける、まなびつづける、ということではないでしょうか。

自分が関心をもっているのはなにか、と。

決めつけないで、早わかりしないで。
できるだけ、ちょこちょこと、多方面に興味を向けて、味見をしつづけることです。そして、ワンランク難しいことに挑戦してみると、面白さが見えてくる。少しだけ頑張りながら、変化を感じ取りつつ、自分の中に一貫してつづくもの、モチベーションが下がらない対象を見つける。

わたしはどちらかというと、常識的なものはつまらない、という妙な思い込みを持っていますから、同じことをしゅくしゅくとつづけるのは得意ではありませんでした。
嫁様はまったく逆で、新しいことはしんどいので、同じことを続けていくことこそが幸福だと断言しています。それもまた、正しいのです。

自分のタイプを見極めて、モチベーションができるだけ持続しやすそうな、興味対象を発見すること。

そして、そこに関連する業務・仕事を見つけられたなら、幸福度は高くなると思います。

がんばれ!息子!

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結局、天職についての問題 2

さて、息子の進路について考える、のつづきです。

私自身は、落語家になるより以前に、もっと大事にしたいことがあるならば、それを優先したほうがいい。そうでなければその大事なことは、二度とできないだろうから(人生の後半ではやり直しができないこともある)、と考えました。 とくに、人生に大きな賭けがあるとしたら、若いときにその大きな賭けをした方が良い。小さな賭けはしなくてもいいが、大きな賭けは、賭けた場合と賭けなかった場合とで、死ぬ直前での後悔の度合いがちがうだろうと思ったのです。

そこで、落語家になるよりも、さらに大きく賭けたいこと、こだわりたいことはなんだろうかと、かなり考えることになりました。

落語家に決めたと、仕事をピンポイントで決めたり、【お笑い関連】のように業種をしぼったりするよりも、その前が大事ということです。
そうでなく、もっと自分の幸福に直結するような、大きなことから埋めていこうというわけです。
小さなもので袋を一杯にすると、もうその袋には大きなものは入りませんからね。先に、大きなものを考えるのです。
いま振り返ってみると、こんなふうな思考のおかげで、コレ、と限定しないで考え続けられるようになったのかなと思います。

大事なのは、好きを仕事にするのは危険だということです。
好きが必ずしも強みとリンクしているわけではないことと、向いているかどうかと相関していない場合もあるからです。また、好きだと長時間取り組むことが平気な代わりに、やりがいを搾取されてしまい、これもまた望む幸福が得られるとは限りません。
いったい、幸福とは何でしょうか?
ますます悩むことになりました。

18歳の当時、わたしが結論を出したのは、

「こんなに迷うということは、自分はあまりにも世間を知らなさ過ぎるからだろう。世の中の端っこの方、隅っこの方を、しっかりもっと見て学んだほうがいい。テレビやマスコミや本で紹介されているだけでは、世界はわからない」

ということでした。

そこで、青年海外協力隊になろうとしましたが、当時、手紙をやり取りしていた同級生の話を聞いて、挫けてしまいました。

同級生だった田平という友達が国連の仕事をし、東ティモールで初めての国政選挙を行いましたが、金持ちが人々をすぐに二束三文で買収したそうです。金で票を集めておりまして、かえってマフィアのような人物が公認で政治を行うために治安が悪くなったことを嘆いておりました。そうならないように心血を注いだのに、挫折をしてしまい、気の毒にも人間不信で世の中を呪っておりましたが、まあそんなこともあるのですね。

私は結局、1年後には牛舎で牛にミルクをやる仕事に就いたのですが、これは愉快でした。わたしが世の中をよく知るには、農業という仕事はかなり有効だったのです。ミルクを手にしたり、肉を手にしたりするためには、こういった作業が、世話が、仕事が、必要である、ということを認識するのは、社会の成り立ちを理解するには非常に勉強になりました。
(つづく)

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結局、天職についての問題 1

息子が大学生になり、1年間が過ぎまして・・・。
将来のことで、本当にたまに話をすることがあります。
未来の計画は自由なので、その自由さにめまいがするほどですね。

生涯において自分がどのような時間を過ごすのか、自由であります。
人生は限られた時間ですが、どのように使うのも自由。
人間とはすばらしいですな。

ところが、あまりにも選択肢が多すぎると、ひとはあまり、幸福とは思えなくなるそうですね。アメリカの心理学の研究で、データがあるようです。
みなさんは、どう感じますか?



わたしは15歳のころから、この「何をして過ごすのか問題」というのに関心をもちまして、この問題の解決方法を探り始めました。

死ぬときに、後悔したくない、というのが一番だが、そのためには自分の設計に心の底から納得していなければならない。

ではどうするか。

わたしが15,6際の頃は、日本がバブルの頂点にあったときで、世の中が浮かれておりました。
今のように手堅く貯金の計画をしたり、収入と消費のバランスを取って人生設計を行うような雰囲気ではなく、生きている残りの時間をどうやって過ごすか、ともかくありとあらゆる選択肢がある、という状況。

高校の友達も、日本はつまらんからオーストラリアに行ってくる、とか、でかいイベントをしたいとか、政治家になって世の中を変えていく夢を語ったり、ビル・ゲイツに会うツアーに参加しようとしたり、多少若さゆえの狂気じみたニュアンスはありましたが、本当に自由な発想があったのです。

わたしは落語家になろうとしていましたが、

好きなことを職業にするかどうか

このことで非常に悩みましたね。
(こういう人は多いと思われます)

結局、落語家にはならなかったわけですが、そのときに思ったことは、
1)好きなことが必ず得意な訳では無い
2)好きなことでなくても、のちのち得意になっていくことがある(まだ未発見)
3)やりたい!と思うことは細かいレベルではすごく流動的
ということでした。

具体的には、以下のようなことがあると、幸福になるはずが、そうでもなかった、ということになりかねません。

罠1:好きを仕事にする→それが本当に得意で世の人に需要があるかどうかは別問題。
罠2:給料の高さに釣られる→本人が向いてなくて無駄な努力を強いられるかも。
罠3:仕事のラクさで選ぶ→自分を生かせないという不満が静かにたまりそう。
罠4:業界や業種を絞る→意外とそれとは異なる業種こそ天職の可能性も。
罠5:適正や強みを生かす→周囲を見ると上には上がいるために報われないと思うかも。
罠6:自分の直感を信じる→脳内情報にバイアスがかかっていて、あてにならないことも。
罠7:性格テストを気にする→性格はコロコロ変わるのであてにならない。

こんなことを言い出すとキリがありませんが・・・


ただ、したいこと、というのはなかなか容易には見つかりません。
なんとなくやってみたいかも、というのもたくさんありすぎて、迷いはどんどん深まります。
結局、いちばん有効な視点は何かというと、つまるところ、

モチベーションが持続する

というのが大事だと思ったのでした。

ちょうどその頃、持続可能な社会、ということも言われ始めており、ブラジルで気候サミットが開催されたりもしていましたね。(COP3)

持続可能なモチベーション。
はたして、それは・・・。

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林家木久扇さんの卒業と持ち味の話

テレビでお馴染みの笑点の話題。
55年という長きにわたり、座布団メンバーとして活躍してきた林家木久扇師匠が、この3月で卒業だそうだ。

大喜利でとぼけたことを言う木久扇さん。ほとんどの人は、テレビの笑点での師匠の姿しか知らないのではないでしょうか。でも、そうではありません。木久扇師匠は、とてもクレバーな噺家です。

片岡千恵蔵のものまねが爆笑を呼ぶ昭和演芸についての噺はとても流暢で、組み立ても良く計算されていて、爆笑に継ぐ爆笑。観客はすっかり良い心持ちになってしまうのでありました。

私は木久蔵さんの高座を見てからと言うもの、テレビの笑点での木久扇さんの振る舞いは、全て演技なのだと思うようになりました。まぁ、当たり前っちゃ当たり前ですが。

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それにしても、身の上話で1時間近くも観客を釘付けにする話術の持ち主です。感服しないわけにはいきません。
振り返れば、最も長く笑点のメンバーをやり続けることのできた人です。

長くやり続けることの秘訣は何か、と問われたら、木久扇さんは何というでしょうね。これは、私が想像するだけのことではありますが、きっと、こう、おっしゃるんじゃないでしょうかネ。

「頑張らないことですかね。私は、笑点は努力しないでも、つとまった。私はそれが許されたんですね。みなさんから。たまたまそういう仕事に巡り会えたと言うだけでしょうけど」

というようなことを言うのではないか、と。

努力しないでも、天性の自分の持ち味と才能が、とことん生かされていくような場所、舞台。
そういうものに巡り会えた人は、本当に長く続けられるし、幸せでいられるに違いない。

考えてみれば、タモリさんも努力という言葉が嫌いだそうですし、さんまさんも、努力はしたことが無いそうです。
人はみんな、彼らを見ていて、絶対にそんな事は無いだろうと思うのですが、本人たちは、自分の持ち味が発揮されるような場所を探して、探して変遷していくうちに、周りが自分を生かしてくれたと言うようなことを言っています。

それが努力なのだと言えば、言えそうですが、要するに、歯を食いしばって苦手を懸命に克服すると言うようなストーリーとは、どうやら無縁だったみたいですね。

ちなみに、イチローは、小学校時代の自分は努力していたが、中学からは努力しなくても打てていたし守れていたので、「研究」をしていたと言葉を変えています。



世の中の人の大半はどうなのでしょう。

私の勝手な想像ですが、世の半分以上の人は、もともと持っている自分の天性や持ち味で生きている、というよりも、精一杯の努力をして苦手を克服し、技術やスキルを身に付けて仕事をしていることが多いのではないかと思う。
で、改めて、それは非常に尊い立派なことだと思います。

しかし、できることなら、その子の持っている持ち味を、楽に生かせる(活かせる)道があるのなら、そのほうが良いと考えます。


子どもたちを見ていても、この子がどうしてもサッカーをやらなければいけない理由は無いだろうと思う場合もあるし、もっと違う持ち味があるだろうと思えるような子が、一切他のことをしないで、公文に通ったりピアノを習ったりして忙しくしている場合もある。

公文もピアノも、それ自体はものすごく他のことにも作用するし、有益なものだろうと思うが、どうしてもそれでなければならないから、本人の意を屈して苦手克服の努力をしなければならないと言うものではないと思う。

木久扇さんを見ていると、下手な努力で自分を消耗させないでも、楽に楽しく天性の素質や持ち味を生かすことで、どんどんとその力を発揮できることが、やはり幸福の道だと思える。そういう場との遭遇、それこそが大事なのではないかと思うが、未だ、社会には万人がそういう道を進むようには出来ていない。

もしかしたら就職の仕方とか、金を稼ぐとかの概念が変化して、10年後とかにはこういう社会のシステムが改良されているかもしれない。

まあ、世の中とは、変わるものですから。

良い方へと・・・変えていきたいですね。

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50過ぎて、泣くのが楽しいと思い始める

50を過ぎたおっさんが、人前でわんわん泣いていたら誰だって「ひく」だろう。
わたしも同じだ。隣でおっさんが泣いていたら、ちょっと避ける。

ところが、泣く方からすると、これが本当に快感でありまして、
やったことがある人はわかるだろうなあ、という感覚であります。

今回も、泣き顔を、5分くらい人前にさらしてしまいました。
5分泣き続けると、もういい加減、『芸』のうちであろう、というのが私の解釈だ。
ただ洟をすするとか、嗚咽するとか、そんなことの繰り返しだと飽きてくる。
だから、時折、「笑い」をはさむ。

わたしの話を聴いている保護者が、一斉に笑う。
わたしもつられて笑ってしまう。
すると、泣いているのか笑っているのか、ちょっと分からなくなりますが、
涙も乾いてくるのですが(途中で)

でも、最後にまた、子どもたちの次の新たな出発を語るくだりで、結局はまた、むせび泣くのであります。私はこれを、礼服や綺麗な着物を着飾った保護者の前で、だれに遠慮することもなくやってのけることができる。教師に生まれて良かった、とつくづく思いますナ。

卒業式で、入学した6年前(正確には5年と11か月半前)の映像を見たのです。
6年前のビデオカメラの性能たるや、もう本当にレベルが高い。ばっちりと子どもたちの表情も精密に映っている。画素数も高い。

かわいい顔をした、あどけない顔をした、あの子もこの子も、背の高かったAちゃんも小さかったBちゃんも、みんな映っておりました。

そしてその後方に、たくさんのカメラを持った保護者が、期待と不安をないまぜにした、なんともいい顔で、たくさんみえるわけです。

わたしはもう齢50を過ぎております。
だから、このときの保護者の気持ちが、イタイほどよくわかった。
入学式の保護者と、今日の卒業式の保護者は、同じ保護者なのです。
同一人物。

つい先ほど、テレビ画面で大写しにしてみたのは、6年前の保護者で、今実際に目の前にいるのが、6年後の今の保護者のわけだ。6年間、子どもをずっと見てきた親のことを思うと、目の前に参列する保護者を見ていると、もうこれは見ただけで泣けるのであります。

子どもがつまづきそうな小石があったらそれを拾おうとし、
枝が落ちていたら拾い、
楽しくわくわくして登下校してほしくて花を植え、木陰で休めるように木を植えて。

そういうことをたくさん、たくさん、保護者は毎日のようにやってきたわけで。

それを思うと、もうそれだけで泣けてしまい、今日もまた、私はマイクを持ったまま、卒業式で保護者への一言がなかなか言い始められず、ハンカチで涙をぬぐうのであります。

そしてその姿を見て、思わずもらい泣きをする保護者もいたりして、それを見てまたもらい泣きをする他の学年の先生もいたりして、ただただ、広い体育館に大勢の大人の、鼻をすする音が合奏となり、こだましておりました。

わたしは毎朝、学校へ行く際、小さな水筒にお茶を入れてもらっています。
嫁様が毎朝、それをしてくださるわけですが、わたしがなにか今日の授業のことを思いついてニヤニヤしていると、

「あ、にやにやしてる。なに、にやにやしてるの」

と、興味を持って聞いてきます。

授業のことを話しても伝わらないのでごまかして出発するのですが、
それにしても、そんなふうに、楽しそうに学校に出かけるのが嫁様には伝わるらしく、

「いいなあ。楽しそうだよね」

と言われることもある。

その話を子どもたちの前で、最後に話した。

「こんなふうに、おうちで先生は、いつも楽しそうでいいね、と奥さんに言われて毎朝、学校へ通うことができました。これはもう、みんなのおかげで、みんなと出会えて、毎日こうやっていっしょに勉強したり、暮らしたりすることができたからです。感謝です」

ところがこれだけの内容を言うのに、また泣ける。もう、一日に、何回も泣けるのです。
これが、としをくった、ということの具体的な姿ですね。もう涙腺を押さえるための筋肉が、弱ってしまって動かないのですよ、きびきびと。だから、もう鼻水と同じく、だだ漏れ。

で、泣いた後、もうすごくさわやかな感じがある。
これは、泣くことの効能でしょうね。人間に与えられた、とてもいいシステムであろうかと思います。上手に感情をメンテナンスする、とでもいいましょうか、そういう大きな「癒し」効果があるね、泣くことには。

平安時代、在原業平という人をモデルにして書かれた「伊勢物語」。
それをみると、当時の大人の人がいかによく泣いたかが、わかる。
たとえば、

「“かきつばた”という五文字を句の先頭に置いて、旅の心を歌に詠め」
と言ったので、詠んだ歌は、
からころもきつつなれにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ
〔唐衣を着ているうちに体になじんでくる褄つまのように、長年連れ添って馴染んだ妻が都にいるので、はるばるとやって来た旅のわびしさが身にしみることよ〕

と詠んだところ、みな乾飯の上に涙をこぼして、乾飯がふやけてしまった。

という部分があったり、さらには

ちょうどその時、白い鳥でくちばしと脚が赤い、鴫ほどの大きさである鳥が、水の上を動き回びながら魚を食べている。
京では目にしたことのない鳥なので、一行は誰も見知っていない。
渡し守に訪ねたところ、
「これが都鳥だよ」
と言うのを聞いて、
名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
〔都鳥よ、そんな名を持っているならば、さあお前に訪ねようじゃないか。京の都にいる、私の愛するあの人が無事でいるのかいないのかを〕

と詠んだところ、舟に乗っていた者はみなこぞって泣いてしまった。

などという部分があり、当時の人が運命に逆らえない世の不条理を思うたびに、いかにわんわんと泣いていたかがわかる。

これは理があることで、本当に泣くと、スッキリする のであります。
古来より人間は、泣くことで感情をメンテナンスして、生きてきたのでしょうね。

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「結局一日2食か3食か」問題

20代の10年間は、はっきりとまじめに一日2食。
朝ごはんを食べず、11時ごろに昼食を食べ、夕食を夜8時ごろ食べていた。

計算すると、一日のうち、夜間から昼までの15時間は空腹である。
当時はよく考えもせず、みんながやっているから、というのが最大の理由であった。

20代にそのような食生活を送っていたため、30代になってシャバで働くようになると、周囲に朝食をとっている人もちらほら見受けられ、

「あれ?食べた方がいいのかいな」

という不思議な気分。

このころ、いっしょにシャバに出た仲間のHくんと会うと、やはりお互いに悩んでいるのは朝食を食うかどうか、という問題で、

「いやあ、あのあと、実は山小屋で働いたんだけど、朝4時に起こされていきなりすぐに『いただきます!』と山盛りのごはん。10年間朝食を食ってない身体には、あれは堪(こた)えたわ」

と、めげた顔をした。
わたしはその話をした時には、まだ朝食を食っていなかったので、ときどきHくんのその話を思い出すたび、「やはり朝食は危険なんや」と再確認していた。


ところが。
ほんの数か月であったが富士通のコールセンターで働いていたとき、ひょんなことから朝食を食べるようになった。
武蔵小杉駅の小さなマクドナルドで、かならず朝マックを食う同僚がいたためである。
あるときふと誘われて、朝、あのやわらかなマフィンだとか目玉焼き?を食うと、感動して涙がこぼれそうになったことを覚えている。

「朝食、ひさしぶりや~」

同僚は不思議そうな顔をするばかりであった。

それから朝食の研究を始め、結局はしばらく、ごはんと味噌汁となにか、という簡単な朝食を食べるようになった。朝食を始めると、体もなんだかそうなっていくようである。それまでは気にしたことがなかったのに、起きるや否や、
「なにか食べたいナ」
と思うようになった。見事な変わりぶりである。同時に、なにかようやく人並みになれた気がした。

「すごいな俺。ちゃんと朝食を食ってるwww」


その後しばらくエンジニアの仕事をしていると、やはりなにか口に入れてからでないと、どうもなにかやる気が起きないというか、頭が回らない気がする。
それで、エンジニア時代も朝食を家で食べた。間に合わないときもあったが、そんな時は仕事をしながら、なにかほおばって食べたこともあった。

当時を思い出すとある光景が思い浮かぶ。

エンジニア時代に隣の席にいたのが、わたしより4,5歳は年下であろうYくんで、彼は独身貴族であったためか、必ず朝、職場にくるとすぐにサンドイッチをほおばるのであった。
そして、必ずといっていいほど、彼がサンドイッチをほおばった瞬間に、顧客から電話が入るのであった。そんな時は彼が呑み込み終わるまで、わたしがしばらく応答し、時間を稼いだこともあったナ・・・。


その後わたしはなぜか小学校教員になったのだが、さて、朝食はどうなったか。
今度は、食えなくなったのでありました。
なぜかというと、単純な理由で、朝早く起きねばならなくなったためです。
駅前の便利の良いマンションに住んでいたが、ぎりぎりまで寝てしまい、間に合わない。
だんだんと朝食を食わなくなってしまった。

しかし、これは思いがけない変化をもたらした。
おどろいたことに、体調が良いのである。
わたしは子どもには
「早寝早起き、朝ごはん!」
と教えながらも、自分自身は一日に2食しか食わない生活をつづけた。

やがてまた時代がうつり、田舎に引っ越した。
すると、今度はまた通勤に余裕がでて、朝食を食べるようになった。
加齢もあったのか、ちょっとずつ体重が増えてきた。
それは私にとっては危険なことで、ちょっと増えるだけで、腰痛が出る。ほんの2キロくらい増えただけでも、なにか腰回りにおもりが増えたようになって、腰痛がピリピリと始まるのである。

わたしはまた、朝食を食わなくなった。
すると、とたんにまた体重が減る。
結局のところ、どっちが健康にいいんだか、悪いんだか、さっぱり分からない。
今はともかく、食べないで暮らしている。
夜8時以後は食べないで、昼は12時40分まで食べない。
なんと、16時間は空腹である。

小学校の教員は生活リズムがこのうえなく安定しており、きまった時間に起きて決まった時間に寝るし、おそらく細かく見ていけば、5分もちがわず、毎日おなじ行動をとっている。
教室で子どもたちが見ている前で間食する勇気はないので、やはり16時間の空腹時間がある。したがって、15時間以上の空腹でスイッチが入ると言われている、「ケトン体活動」は保障されているのである。

ケトン体というのは、小さな飢餓状態を感ずると始まるホルモン活動の一種だそうだ。
長時間の空腹があると、ケトン体が活動を開始する。
そして、人体の危機に対応するための様々な活動をするのだが、その活動の中の一つが、活動の結果として「やせる」効果を生むらしい。これを一部の人は「ケトンダイエット」もしくは「ケトン体ダイエット」とよぶ。(炭水化物を制限する、という人もいて、ケトン体ダイエットの一つの方法らしい。しかし私は炭水化物はがんがん食べているため、純粋にはケトン体ダイエットではない)

ケトン体を故意に活動させることには、賛否両論がある。
調べてみると、医学の世界ではケトン体ダイエットを推奨する学者もいるし、逆にケトン体ダイエットを危険視する学者もいるそうである。ただ、先に書いたように、わたしの実践方法はただ単に『空腹の時間帯がやけに長い』というだけのことである。したがって、おそらく私のは「ケトン体ダイエット」ではない。

朝食をぬいているだけ。
ただ、空腹を長時間にしているだけ。
ただの手抜き、なまくら、である。ナマケモノがやるダイエットなのだ。すなわち、#なまくらダイエットである。

朝食を抜いて、超ショック!
超ショックダイエット!

と呼ぶのが正しいであろう。

ともかく、お昼の給食は毎日子どもたちがごはんもおかずも大盛りにしてもってくるし、夕食も腹が空くので、いつも、嫁様が「よう食べるねえ」というほど、この上なくたくさん食べる。
これだけ食べてるのだから、ダイエットじゃないよな、と自分をなだめている。

木もれ陽の朝食

長い旅に出ている~なぜ「漂流」なのか~

いつもとはちがう景色を見に行く、というのはとてもエキサイティングなことだ。

人生は旅に例えられることが多い。
わたしは10代の後半に個人的な興味から旅に出て、気持ちの上ではそれがまだ現在も続いている。
牧場に行ってみたり、農園に行ってみたり、都会を散策したり・・・。

まだ10代後半という自分にとっては、すべてが「知らない」ことだらけ。
その場で「え?」と思うことが多く、「どうしよう」となることばかりだった。
ところがそれがスリリングでやめられない。
というのは、自分で自分の反応を知りたかった、というのが根底にあるからだろう。
自分はいったいどう考えるのだろう、どう思うのだろう、どちらを選ぶのだろう。
それを毎日のように「問われる」体験が、楽しくてやめられないのだ。

わたしはあるとき、「幸福」ということを考えたが、これが難解だった。
で、考えていくうちに思い浮かぶのは、ことごとく「不幸」ということであった。
そうなのだ。不幸のさまざまな情景とか状態とか言葉とか、その言葉の手触り、におい、感触は浮かぶ。しかし、かんじんの「幸福」が浮かばない。

これは「安全」を考えるのと同じだろうと思う。
「危険」は具体的なイメージで浮かぶ。
ナイフ、爆薬、断崖絶壁、電気、ガラス、なぞの液体、ヨトウムシ・・・
危険はことごとく、具体的なのだ。
しかし、「安全」は、どう考えても、「具体的ではない」。
結局、「安全=ナイフや爆薬や断崖絶壁・・・が無いこと」となってしまう。

自分の場合、「幸福」を考え始めたとたん、本当によくわからなくなった。
自分が知っている、という感じはずいぶんと以前に消えてしまい、
「わからねえなあ」という思いだけが毎日、毎日、果てしなくつづく。
だって、それはそうだ。わからないものを探すんだから。

畑で、ヨトウムシを探すときは、探しているものが明確だから、迷わない。
掘り返した土の中にヨトウムシを見つけたときには、「よし、見つけた」と思うことができる。
見つからない場合も同様に、「ああ、見つからない」と思うことができる。

ところが、いったい何を探しているんだか、それすら曖昧模糊としてきたとき。
見つかったんだか、見つからないんだか、それすらも漠然としてきてしまったとき。
世界に対して何も知らない、というだけではなく、一時的にせよ、自分自身が何を求めているのかということについても分からなくなっていく、ということがあるように思う。

自分の中に確実にあったと思うのは、「探求する姿勢」だけだ。
あらかじめ、探しているもののイメージは、無い。
特定の対象をさがしている、という風ではない。
しかしながら、やはり『探求』という姿勢は、ずっと脈々と自分の中に生きている状態。

特定のターゲットが無いのだから、関心の向いた先が、限定されない。
いつこの試みが終了するのか、どこで落ち着くのか、まったく自分でも決められない。
したがって、なにか、どこか、自分の中のある部分が、納得したり、矛を収めたくなるまで、「待つ」という状態がつづいた。

だから、自分の中で、行くあてもないし、どこかにおさまる気もさらさらなかった。
それで、職業遍歴のようなことにもなったのであろう。
このブログの左側に、自己紹介のようにして書いた文章(10年ほど前に書いた)があるが、ここに「漂流」という言葉をつかったのも、上記のようなことがあったからだと今は思う。

わたしが自分のことを教師、と考えるとき、ほんのちょっとだけ違和感が消えないのは、こういう過去があるからだろう。現時点であっても、教師になって15年が経つというのに今もなお、「職業に就いている」という気がないのは、自分でも不思議なことだ。

授業がしたいのでもなく、
子どもが好きなわけでもなく、
それでもこれが天職だと思えるのは、
「知」の探求が、小学校の教室ほど純粋にやれる場所はないな、と思っているからだ。

子どもは発達途上であり、ちょっとしたことですぐに面白がってくれるし、
純粋な完璧主義者として緻密さを求めているかと思えば、
「こんなのじゃ、やだ」と言って中断し、ぽい、と投げてしまうくらい気分屋だ。
また、理想主義者でもあるし、正義感のかたまりでもある。

わたしがいちばん子どもを尊敬するのは、多かれ少なかれ、ほとんどの子が
不当な権力行使を嫌い、平等をのぞむことだ。
これは、気持ちのいいくらい、ほとんどの子がそうだよ。

夕焼け1

人生は重き荷を背負いて行くがごとし

徳川家康公が言ったとされる、
「人生は重き荷を背負いて行くがごとし」
という言葉があります。
新入生のランドセル姿を見ていると、そんな言葉をふと思い出しますね。

ところが、今や学校では置き勉が当たり前。廊下に備え付けのロッカーだけでは足りないから、学校で全員にファイルケースを買いまして、教科書類はほとんど置いていくシステムになっています。
ランドセルが重かったのはすでに過去の話になって久しいわけなので、今の子たちは

「え?ランドセル?・・・べつに、重くないし」

という反応でしか、ないでしょう。


だから、ランドセルは今の子どもたちにとっては、良いものであります。
重く苦しい『荷物』だ、とは認識されていないからですね。

ところが、先日、わたしが見た子は、ひどく重そうなランドセルをしょっていた。
見たところ、低学年かな。1,2年生くらいか。
とっさに思い出したのは、
「人生は重き荷を背負いて行くがごとし」でありました。
彼は、ひどく重そうなランドセルを、よっこらせ、よっこらせ、と運んでいた。

きみは、竈門炭治郎か、という感じ。
いや、ここは小学校だから、二宮金次郎か・・・。

その子は必死の形相で、ともかく懸命に歩いていく。
なぜか6年生の昇降口にいて、校舎をグルーッと回って、1年生の昇降口に行こうとしているらしい。お兄ちゃんかお姉ちゃんの、忘れ物かなにかを取りに来たんだろうか?事情があるのかな。

それにしても必死なので、じっと見てしまった。
そこではたと気が付いた。
なんか、大変そうなんだけど、いい顔をしてんだな。

「ぼくはこの重い荷物をがんばって運んどるんや!」
という感じが伝わってくる。

せや、重いけど、こんな日があってもいいやんか。

ランドセル

わたし自身は、もう教師になって十何年も経過してしまったことや、
いい加減、なかなかに年をくってしまったために、
今はもう、本当になにも持たずに学校と家を行き来している。

空手です。
右手も左手も、空っぽ。
車のキーだけを、ポケットに入れて持ってる。

これは最高です。なんせ、忘れ物がない。
だって、最初から無いんだから。持ち物が、ない。
ハンカチとティッシュと車のキー。それだけ。
軽いって、いいですよ。


重いのもいいけど、軽いのもイイ。
重いのを一生懸命持つのも、イイ。だけど軽いのもイイ。
徳川家康は
「振り返ってみると、重い荷物持ってたなー」
という感じなのかな。
きっと、そうなんだろう。

将軍になり、幕府を開き、自分が天下を取った。
ああ、ふりかえってみると、なんて遠い道のりだったろうか。
それにしても、今の身の軽さよ、わが世は春だのう。

「人生って、こんなに軽いものだったんだっけ?」

きっと、徳川家康さんは、そういう感覚をふと、覚えたのだろう。
長い人生、起伏の激しい人生街道、波乱万丈の人生路をしみじみと振り返って、

「うそ!人生、めっちゃ軽いやん!こんなんだと思わんかった!」

って。

きっと、そうや。

わたしも早く、そんな心境になってみたい。
今、相当軽い思いをしているが、もしかするともっと本来の自分は軽いのかもしれない。
もっともっと、さらにさらに、軽くなれるのかもしれない。そこを追求してみたい。

軽く、軽く、もっと軽く。
これ以上ないと思っても、さらに本当の軽さがあるかもしれないから。

どんどんと。
軽さの極限へ!がんばろう!!!!
さらに、さらに、軽くなろう!!


うーん、・・・こうやって気負うのが、軽くなれない原因なのかもな・・・。

輝きだす記憶のカケラ、という話

先日、国語で「大造じいさんとガン」の学習をしていたら
大造じいさん、と答えるべきところで

「兵十(ひょうじゅう)?」

と答えた男子がいて、クラス中が大爆笑になった。

兵十というのは4年生のときに学習した「ごんぎつね」の登場人物で、
たしかに兵十も大人の男性だし、大造じいさんと重なる点が多い。
両方とも昔の話で、主人公が銃を持ってる。動物と関わる、というのも同じだ。

「兵十は去年でしょ!」
と隣の女子がたしなめると、クラス中が大爆笑した。
「あっちはごん、こっちはがん!」

わたしはその時に、涙を流しながら大笑いする子らの姿をみながら
不思議な感傷にとらわれていまして、

これが青春、というもののような気がする・・・

と、ふと思った。

もちろん、こんなワンシーンのことなど、すぐにみんな忘れちまうでしょう。
あと1年もすれば、子どもたちにとっては大昔のこと。
そんなことあったっけ?という話になります。


考えてみると、クラスというのはふしぎなものです。
縁もゆかりもないような、ふつうは出会わないような人と、こうして出会っていっしょに過ごすのですからね。

○自分はなにに心を動かされ
○どういうことに充実感を見出しているか

一人ひとりがちがうのですが、なかにはそれを共有しあえる友達も出てきます。
そこには一切の利害関係はありません。なぜって、そこにいるのは、
たまたま理由もなく集まった、ただ学区が同じだった、というだけの人間どうしだからですね。

同じ教室にいる仲間でも、
モチベーションに違いはあるし、
苦手な人もいるし、
尊敬できない人もいる。
その中で、共に出会い、泣いたり笑ったりしている。
これは、なにか相当な理由があったとしても、なかなかできない世界ではないだろうか。
自分から選択したわけではないからね。

青春というのはむろん、人によってちがいます。
多くの人が、「青春=きらきらしてる」ととらえるのではないかと思う。

しかし、今回のように、
「大造じいさん」を言うときに
『ええっと、兵十(ひょうじゅう)?』
と言ってしまい、クラス中が大爆笑するような、そんなちっぽけな、ただそれだけで意味のないようなものが、あと何年後かにふと、頭の片隅から湯気がたちのぼるように、記憶のカケラとしておぼろげに思い出されたことがあるとしたら、これはもう立派な青春ではないだろうか。

つまり、今回のことに限らず、どうしたって人は、昔を思い出すのです。
あのとき、あんなことがあったな、あの人がこう言っていたな、あんな恰好をしていたな、こんな気分だったな、とか。

「ああ、あんなことをしていたよなあ」

と、突然に、ある気分と共に、思い出すのですよね。人間は。
おそらく、今はたいしたことないと思うような、一瞬の気分や、出来事や、光景を。

そして、考えてみると、そのたいしたことがないようなものを、自分の中でしっかりととらえていて大事に持っているわけで、それが青春というわけ。
あとになって思い返すと、大事な、大事な、大事な、自分という人間の生涯の思い出になっているわけで・・・

・・・というようなことを、一瞬でわたしはどうやら考えたようで、
大爆笑が済んだ子どもたちが、涙を拭きながら顔をあげて、ふたたび私の方を(つまり黒板の方を)みたのを感じながら、

「ああ、どうやら私は、このときのことをあとで思い出すんだろうなあ。ふと、ね。そして、きらきら、とね」

と思ったのでした。

で、どうせあとで思い出すようなことをやってんだから、全力を尽くそう、と改めて思ったわけ。
あとで思い出すんだから、ね。

gon

土門拳の古寺巡礼

今朝、みぞれが少し降った。
雪がふんわりと舞う姿も良いが、みぞれになって、冷たく重く、
弾丸のように降りしきる、というの。
それはそれで、景色としては「ありだな」と思う。いかにも冬らしくて。

高校生のころの私は、はっきり言って人間というのはダメだなと自分のことも含めてかなり悲観していた。そういう心情になると、

人生というのは、苦しいものだなあ
社会というのは、厳しいなあ
人間というのは、愚かだなあ
ということばかりが思えてきて、鬱々とし、
いつの間にか、ふらりと古寺巡礼でもしてみようか、という気持ちになる。

高校2年生が3年生になる春といえば当時は受験勉強のさなかで、
残りが一年を切ったぞ、という緊張感で胃が痛くなるくらい。
周囲を見るとみんな下校前にも図書館にこもり、どんどんと単語帳をめくっている。
わたしは勉強にくたびれると(というか、くたびれてばかりいたけど)図書館の妙な本ばかり探して面白がっていた。

その中に、だれも手をつけていなさそうな写真集があり、わたしはそれを眺めた。
仏像の本であった。ばかでかく、持っていたら重すぎて何度も持ち直すくらいだった。

それが土門拳の『古寺巡礼』だった。
わたしの当時の心情にぴたりと合ったのは、その中の一枚の写真で、ありていに言って私はすっかり心を奪われてしまった。

白黒の大きな写真は、法隆寺の円柱を何本も斜めから撮った構図で、おまけに雪が降っていた。
まだ降り出して間もないころで、急に天候が悪化した感が出ていた。その雰囲気も、当時のわたしの心境に妙にマッチしていたのだろう。また、雪というよりもみぞれのようで、その雪の粒は粗く、スピード感があり、斜めに厳しく降り注いでいた。

ところが、救われることに、そのみぞれの間から、堂々たる柱が見えるのである。
それはあまりにも整然としており、さらには小さな傷までがあちらこちらに目に入るために少しばかり痛々しく、長い風雪に耐えてきたことが一目で、非常によく理解できた。

この柱が、強風にも耐え、雪にもみぞれにも耐えてきたことが、この写真はとてもよくわかるのである。そして、その柱が少しばかり丸みをおびていて、とても人間らしいこと、天井の重い梁をたくさん支えていることなど、当時のわたしは写真の片隅から食い入るように見て、いっぺんに惚れ込んでしまった。

その後、わたしは独りで、高校生にしては一大決心をして大金を払い青春18きっぷを何度か買った。そして京都や奈良にも出かけ、法隆寺を見た。ところが雪の降るころは忙しくてなかなか行けず、写真通りの構図で、みぞれの降るような景色を実際には一度も見ていない。

わたしは大学生になって多くのことがあり、心境がかなり変わったために、なかなか思い出さなかった。でも、なぜか今日のみぞれ、今日の雪は、当時のことをふと、思い出させたな。

近頃は、コロナの大変なニュースばかり見ていたからだろうか。
雪というのは、心をけば立たせるのではなく、心を鎮めてくれる。
人の心も、世の中の不安も、ひとときの間、ふんわりと鎮めてほしいものだ。

mizore2

人生は、向うからやってくるもの

子どもは、人生というのは、向うからやってくるものだ、と思っているのではないか?

まるでゲームのように。

ほら、あるでしょう。
ゲームセンターなんかで、道路が向うからつぎつぎと風景を変えながらやってくるサーキットゲームが。

運転席に乗り込むんだけど、その運転席が前に動くわけではない。
ゴーカートじゃないから。
ゲームセンターの床の上に置いてあるマシンだから。
ゲームセンターの隅の壁際に、自分自身はいつまでも停まっているわけ。
前に進んでいると思うのは、乗り込んだ人だけ。

マシンの横から客観的にその姿を見ている人からすると、

「あ、あの椅子に腰掛けた人、いそがしくハンドルを動かしているな」と見えるゲームね。

あー。

そうそう。そのゲームですよ。
思い出しました?

car


カーレース
 (↑ これはちょっと古いかな)

こんな感じかもしれない。
子どもの感じ方って。

子どもからすると、自分が進んでいるんじゃなくて、人生が向うからやってくる。


ところが、大人はちがう。
自分が切り開いて、進んできた、と思っている。
自分が選択して、道を選んで、さらにはからまった茨(いばら)や蔦(つた)の葉をよけながら、大きな石を避けながら、小川を飛び越えながら、

自分こそが進んできた、という感覚がある。

だから、これからもずっと、前に進まなきゃいけない、と感じている。
そして、子どもに言う。

「人生と言うのは、イバラの道だ。四方八方に気を配って、怠りのないよう、勇気を出して進んでいくんだぞ」

 ↑ こう思っているからかもしれない。
だから、大人ってのは、毎日大変な思いをして生きている。

また、世の中の一方では、進むべき道が分からない、と悩んでいる人もいる。
自分には、やるべきことがわからない、いい道がない、どの道を進めばいいのか分からない、という。
そして、

「自分は停まっちゃった」

と思って、嘆いたり、みんなと比べて引け目を感じたり、する。


安心してください。

子どもは世界が違います。
人生の方が、向うからこちらに向かって、どんどんとやってくる。
進もうとしなくても、道に合わせてハンドルを動かしていけばいい。
ずーっと右に向かってハンドルを切ってみたり、ずーっと左に向かってハンドルを切ってみたり。
ただ、それだけ。


えーッ??
だったら、だったら、人生の意味は?
生きていくために必要な、生きる理由とは?


↑ ほらほら。
大人は、そこに「意味」や「理由」を探そうとするけど・・・。

子どもは、精いっぱいに生きている。
自分では決して、「自分が精いっぱいに生きている」なんて思わないのに。
そんなことを考えなくてもいいくらいに、精いっぱい生きているわけ。
目下のところ、大人に向けて大きくなるぞ、というだけで、すごい充実している。
大人のように、なにかを達成するために生きているわけでないのに、充実してる。

大人になればなるほど、「どうやったら充実するのかわからない」となっていく。
大人は、なにかをやるのが人生だ、と考えて、前へ進もう、となる。
反対に、子どもは、「人生の方からぐんぐんとやってくる」と思ってる。

事実が分からなくなる・・・という件

だれでも、そうなる可能性がある。
それが、「事実が分からなくなる」ということ。
考えてみると、だれも事実がこうだ、ということが言えない。
人間ならだれでも、事実を事実と断言することができない。
人間はどうしても「脳」でものを見たり聞いたり判断する。
その「脳」がエラーを起こしている可能性があるからだ。
機械人間でない限り。(あ、機械も故障するか)

怖いのは、エラーを起こしやすくする方法があることだ。
脳は、自分を『否定する』ことで、足踏みをする。
これは、ただしい認知に戻ろうとしての正常な動作である。
たとえば、二度見。
人間はだれでもぎょっとして二度見することがある。
これは脳がとっさに映像を処理しきれず、確かめようとして視覚情報に再度頼ること。
脳はとっさに一時的な処理を行うが、脳のどこかで
「そんなはずがない」
という理性と論理的な思考が働く。
そこで、いったん、足踏みをする。
自分が視覚をフルに使って得た情報に自信をもってもいいのだが、いったん「否定」し、足踏みをするのだ。だから、二度、見ようとする。情報を脳内に構成しなおすためにもう一度、情報をインプットしないといけないから、二度見るのだ。

しかし、これが頻繁になってくると、自分の判断能力が衰えてきていると思うか、
あるいは、自分には判断する能力が欠けている、というふうに考えるようになる。
すると、

現実に起きている事実と 自分の脳内でそうだろう、と思うこととが、乖離しているように感じる。
これがたまにある程度だったら、

「あちゃー、ボケとったなー」
「あれ、やっちゃった。思い込んでたな」

で終わるかもしれないが、頻繁にあるとそうはいかない。

「事実が分からない」

という極端な不安心理が襲うようになる。

外国の映画で、悪い奴が主人公の精神状態を追い詰めるために
「あれ?車を変えたのですか?」
という主人公を憐れむように見ながら、
「なにをおっしゃっているのです?わたしはもうずっと前からこの車ですよ」
という。
「ええ?たしかつい先日までは〇〇に乗っていたはず・・・」
「どうしたのですか。最近のあなたはおかしいですよ」
という芝居を打つ。
悪い奴の仲間がこうしたことをどんどんと展開し、しだいに主人公が追い詰められていくわけ。

事実とは何かは分からない。
自分の脳がこうとらえた、ということは言える。
しょせん、脳がこの程度、という納得があれば、悪い奴にだまされることもない。
だって、悪い奴の脳だって、この程度なんだもの。
「あなたの認知がゆがんでいるということもある」
と言い返せるようになっておかないと。

「あれ?車を変えたのですか?」
という主人公を悪い奴が憐れむように見ながら、
「なにをおっしゃっているのです?わたしはもうずっと前からこの車ですよ」
と言ったとしたら、
そう芝居を打つ悪い奴に向かって
「そうですか。わたしたちの脳はお互いに事実に到達できませんからね。まあそれらしい証拠がまたぞろ集まってきたところで、どうもそうらしい、ということにしておく程度にしておきましょう。あなたもわたしも、お互いに思い込んでいるのでしょうからな、ははは」
と煙に巻いてほしい。

さて、なんでこんなことを書くかというと、
教室でものがなくなった、という事件が起きたからです。
まあ消しゴム一つなんですがね。
MONO消しゴムのでかいやつ。
それと、同じく筆箱に入っていたはずの京都のキーホルダー。
それが一度に無くなって紛失し、

「だれかが盗ったのでは」

ということになった。

捜索⇒該当児童の家庭への連絡⇒子どもたち全員の荷物調べ⇒全家庭への連絡通知と家庭内での捜索依頼⇒(授業をつぶして)クラス内での聞き取り⇒(授業をつぶして)全員が休み時間に何をしていたかの調査⇒(授業をつぶして)その調査に嘘がないかどうかのさらなる調査⇒(授業をつぶして)他のクラスの子たちへの聞き取り調査⇒キーホルダーを持ってきた子の家庭への謝罪連絡、と進むのが予期されました。

ところが、本人が思い出してくれた。

「あ、そうだ。お姉ちゃんに言われてキーホルダー、外したんだった。MONO消しゴムも、小さいのに替えたんだった」

これで、上記のように授業をつぶした捜査をしなくて済みました。

で、上記のような『認知』の授業をしておいた方がいいのでは、と思うようになりました。
その子が素直に言ってくれたからよかったですが。
意地を張って、

「ぜwったいに学校に持ってきてた!!」

とか

「だれかが盗った!!」

とか言われた日にゃ・・・

誰だって認知にはゆがみが生じております。
その証拠に、風邪をひいたら、コロナでなくとも嗅覚が落ちるそうですぜ。
人間なんて体調の変化ですぐに認知がゆがんでしまって、昨日とちがってくるんすからナ。

一枚の紅葉

【さかさま】長生きの秘訣は・・・

.
アメリカのテレビ局。
ある番組で、100歳を超えて長寿をエンジョイしている人にインタビューをした。

ま、どこの国でもこういう番組を、つくるみたいネ・・・。

「何をしたら、そんなに長寿になれるのでしょうか?」

そしたらそのしわくちゃのおじいちゃん、

「なんでそんなことを聞くんだ」

と、ぶつぶつ言う。

べつに怒っているわけではないんだけど、不思議そうに、逆に訊くわけ。
ところが、テレビ局の方は、はやく、答えが欲しい。
だから、話を進めようとする。
その白髪のおじいちゃんをいたわるようにしながら、タレントが聞く。

「いやいや、みんなが聞きたいんですよ。テレビに映すと、スタジオで、みんながそれを待っているんです」

じいちゃんは、それには、答えない。
この場面だけみると、じいちゃんが頑固に見える。

なんでこのじいちゃん、聞かれたことに、答えないんだ?素直じゃねえなあ、このじいさんは!

・・・とか、思っちゃう。

だって、すぐに答えてあげればいいのに・・・って、ね。

たとえば、

「わしは毎日、散歩をしているからのう」

でもいいし、

「わしは毎朝、ヨーグルトを食っておるし、それを20年続けているんじゃよ」


とかね。

視聴者は、そういう返事が欲しいわけ。
まったく、視聴者の期待に、応えてくれないの。このおじいさん。・・・ったく、頑固だよね。
融通が利かないというか・・・。



ところが、事件は急展開する。

インタビュアーのタレントに向けて、じいさんが、かます。

「じゃ聞くが、お前さんは、長生きできると思うのか?」

「いや、私は無理ですね。たぶん。(スタジオ爆笑)

「なんでそう思う?なんで自分は短命なんだと思うのだ?」


じいさんの目は、なんだか眼光がするどい。
玄関で、杖を持ったまま、でかい声で話す。
タレントは、少しうろたえながらも、

「いやあ、生活が不規則ですしね。夜遅くまで起きていることが多いし。・・・それに、たぶんあまり食事もヘルシーじゃないから」

「じゃ、わしの答えは、その逆じゃ。わしはそういうことをしてこなかったから長命なんじゃ。わかった?」
(スタジオ、シーンとした後、一部、ヒュー!という歓声)

インタビュアーが、もっと情報を引き出そうとして、

「ああそうですか、そういうことを気を付けていたら、長命になれるんですか。なにかこういうことをした方がいい、ということはないでしょうか?」

じいちゃん、顔の前で手をひらひらさせながら、Ah、「ないよ」
って。



インタビュアーは必死に食い下がる。

「すみません。なにか運動はしていらっしゃいますか?」

「太極拳を少々な」

「おお!太極拳をすれば、長生きができますか?」


「もう20年以上、まともにやってないから、わからんよ。そんなこと」


(ズコッ!)・・・太極拳以外には、なにかやっていらっしゃらないんですか」

「社交ダンスか・・・」

「おおお!!!社交ダンスをしてるんですか!」

カメラに向かって、目を丸くして驚くタレントの顔がアップになって映る。


「でも、もう40年以上してないよ」


(ズコッ!!)今、なにかしていらっしゃることはないですか」

「むしろ、しないように、と気を付けているな」

「そりゃ、いったい、なんです?」


爺さん、目を輝かせて、言い放つ。

「お前さんが、短命の原因と思うようなことを、しないのだあ!うわっはっはっは・・・」


爺さんはその後、妹さんの農場まで散歩⇒そのまま泊まる⇒トマト食べる⇒羊肉を食べる⇒寝る⇒ビリヤードをやる⇒・・・

なんか、そんな感じ。


なんでこう、世の中はサカサマなんだろう、と思うことばかり。

しようしよう、と思うとうまくできないのに、
『しない』でいると、うまくできることがあって・・・。


逆さまだねえ。



逆さま、というので思い出す。
さだまさしさんがコンサートで言ってたこと。

死んじゃったばあちゃんが好きで好きで、夢で逢いたい、おばあちゃんが夢に出てきてほしい、出てきてほしい、と願っていると、出てこない。

で、観念して、あきらめて、心が、そこから離れたな、というときに、

もうあきらめてから、ようやくホッとしたように、おばあちゃんが夢に出てくる。

どうも、脳みそがそうやってバランスを取ろうとしているかのようだと、さだまさしさんは、振り返っている。


人間の思考は、かなり逆さまのようで・・・。

ぬこ

重いコンダラ

運動会の前日。
大勢の先生方で、校庭の準備をしておりました。
徒競走のラインを引いたり、集団種目の道具の確認をしたり、してました。

わたしもその中にいたのですが、ふと見ると、校庭に土の低い場所があるのに気づきました。
土日に雨が降り、雨水が流れたようです。

体育主任の先生もそれを見つけて
「ここ、土で埋めましょう」
と、バケツやら一輪車やらで、土を運び始めました。

それまでラインカーで線を引いてた先生たちも集まってきて、みんなで足で踏んだり、トンボでならしたりしました。

ところが、柔らかい土を盛っただけなので、そこだけ固くならない。
試しに走ってみると、足がとられて地面が削れるのです。
「これ、転んでしまうかな?」
と心配になりました。

上からしっかり、土を押し固めないと、ダメなようです。

校庭を見回すと、校庭の端、フェンスのところに、恰好なモノを見つけました。
それは、こんなやつ。
つまり、整地用手動式ローラーです。

Kondara_J09_01
わたしがふざけて、

重いコンダラで、かためるしかないかなー」

とつぶやくと、若いT先生がまじめな顔で

「コンダラ・・・?ですか?え・・・」

と困惑気味に言ったのです。

わたしは

「いや、ローラーだけど、まあふざけてコンダラっていうんだよね」

するとT先生はやはり真面目です。
50のオッサンで、主任の私が、にやりともせず解説気味に言うものだから、T先生も恐縮しつつ、

「へー、なんていうのか、知りませんでした。コンダラ、とってきましょうか?」

という。

わたしはまったく、フザケ甲斐がなく、なぜそれを【コンダラ】というかを解説する気もなくなって、そのまま

「うん。コンダラ、いっしょに取りに行こう」

と言って終わりにしてしまった。

いっしょに校庭の端までそのまじめな若いT先生と、ローラーを取りに歩きながら

「いや、コンダラって正式名称じゃないからネ。嘘だからネ」

という解説を、

「しよう、しよう、した方がイイ、した方がいいよな、うんぜったいその方がイイ

と思いながらも・・・すみません、

ついそのままにしてしまいました。

星飛雄馬の話をし、花形満のこと、大リーグボールのこと、養成ギプスのこと、ちゃぶ台をひっくり返す話もしたほうが良かったかもしれませんが、彼は興味はないでしょうし、グランドでいきなり歌も歌わないほうが良いでしょうからナ。

♪ 思い、込んだら、試練の道を・・・ 行くが 男の ド根性・・・

「自分のあたまで考えるのがカッコイイ」VS・・・

依存はカッコ悪い。
自立がカッコイイ。

 ↑ これはそうとも言い切れない。
そもそも人間は、人とひとの間で生きるのが当然で、すべて周囲から受けたもので生きている。だから、依存するというのも当然で、相互に依存しあって生きているのが事実。相手に依存できることが社会的動物の証でもある。

しかし、自分の感情まで、依存させるのはカッコ悪い。
たとえば、隣の家のおじさんが、

「テリー伊藤はかっこいい」

と言ったので、自分もテリー伊藤を好きになる、というのはいささか短絡的すぎる。
根拠を自分で言えないくらいに、「思慮が浅い」という批判は受けるべきだろう。
なぜテリー伊藤がかっこいいの?と聞かれて、

「えっと・・・隣の人がそう言ってたので」

というしかない程度なのだから。

自分の感情は、自分の中に湧き上がってきたものを見て、あるいは
知恵を使い、自分らしさを追求したうえで
「わたしはこれが好きだ」
というべきである。

自分の好み、という自分の主体性のつまった感情まで、
他人に操作させるのは、カッコ悪い。

---------------------------

と、これに近いような議論を、教室でする。
たとえば国語の授業で、討論になった時に、
「Aだと思う」か「Bだと思う」か「そのどちらでもない」か、
どれかに自分で胸を張って手を挙げる、という場面。

隣の席の剛田武が
「おれはAだ。おいのび太、お前もAだよなあ」
と言ったとき、
「いや、ぼくはBだなあ」
と涼しい顔で、なんの躊躇もなく言えるかどうか、ということ。

このときに、感情的に剛田武になびいてしまうのか、
あるいは精神のよりどころとなるくらいに、日ごろから崇拝してやまない源静香が
「のび太さん、わたしはBよ」
と言ったからBだとするのか、
あるいは自分で考えて、どうも今のところどちらでもないなと判断して
「どちらでもない」
に挙手するのか、ということ。

このときの自分の感情に、責任を持つことって、かっこいいじゃないか、ということ。

------------------------------

剛田武になびくのは、恐怖感に支配された、ということになる。
あるいは源静香になびくのは、崇拝思考(陶酔感)に支配された、ということになる。
どちらも、主体性がないことが共通している。

主体性をもとう、というのが文科省の大方針である。

------------------------------

恐怖感にも自分の魂を売り渡さず、
かといって
陶酔感にも自分の魂を売り渡すな、
というのが、文科省の方針である。
文科省はただ一つ、「自ら主体的に考え、自ら主体的に創造せよ」と教える。

-------------------------------

・・・と、ここまでは理想論であります。

実際は、子どもはうんと「非主体的」になってしまいがちだ。
先生が言うから、友達が言うから、お母さんが言うから、ということで、
いともやすやすと決めてしまい、自分の好みまで深くさぐることがない。

まあだからこそ、小学校教育があるのでしょう。

さらに突き詰めると、この話はいじめにもつながります。
いじめを肯定する子も、ちらほらいます。
自分が気に入らない子をいじめて、何が悪い、と開き直るのです。

これは、むしゃくしゃして鬱積した感情を吐き出したい、というだけなので、良いとか悪いとかの道徳では抑えることができない。<知的ではない態度>に向けて<知的な対話>を促しても、子どもは受け入れません。
その子は、自分ではどうにもできないような、むしゃくしゃした感情に溺れてしまっているから、そこから真に主体的になる道をたどっていかないと本当には自立できないのですが、もう自分がそういう感情に溺れていることすら客観視できないし、自分を取り巻く状況をつぶさにしらべることもできなくなっている。
だから、いじめ、という非道徳的な行為も平気で行ってしまえる。

そういう子に、「自分を見失っているよ」というセリフは届きません。
そんなふうに自己を客観視できる子なら、そもそもいじめなどしないし・・・。
いじめる子は、ただ、どこかで周囲からINPUTされた、勝手な感情を吐き出しているだけです。
そして、そんなふうに吐き出すことの快感に酔いしれているだけ。
まったく主体的ではありません。

このように、主体的態度が育っていない子どもを、主体的に考え行動する子にするにはどうするか、というのが文科省が100年ほど悩み続けていることです。その最中に、太平洋戦争などの不幸な事件も起きました。金属バット殺人事件もあったし、神戸の酒鬼薔薇事件もあったし、最近では神奈川県津久井市の事件もありました。どれも、「感情を吐き出す」ことに酔いしれた事件でした。

で、教師はどうするか、という難問ですが・・・

はっきり言って、難問です。
「主体的な態度」というのは、長い時間をかけて獲得するものなので、
授業でちょっと考えたからといって、なにかすぐに身につくかというと・・・

そうではありません。

------------------------------------

したがって、この方法がいいかどうか、わかりません。
まだ自分でも、考えあぐねています。
しかしまあ、なにかするしかないので・・・とりあえず、この1学期には

「いじめはかっこいいだろうか」

という討論を仕組む、というのをやってみました。

いじめは正しいかどうか、ではありません。
かっこいいかどうか、です。
だから、正解はありません。(かっこいいかどうかは人によるので)

ただし、話し合いの場では、自分はどう思うかを言うことになります。
で、かっこいいなら、なぜそう思うのか、
かっこよくないのであれば、なぜそう思うのか。
その考えの奥を尋ねられる、というわけです。

これまでは「良い悪い」の軸でしか、考えていなかった子ばかりです。
1年生の時からそう習ってきたから、という子もいます。
すると、「〇〇先生がそう言ったから、というのはもう卒業しよう。これからは、自分で考える、というのを大事にしよう」と伝えます。
「いじめは良くないから、カッコ悪い」
という子には、
「なぜ良くないと、カッコ悪いのですか」
と聞きます。
すると、だまってしまいます。成績の良い女の子なんて、困ってしまいます。
そんなの、考えたことない・・・。

『たばこを吸う人だって、身体には決してよくないと思っていても、かっこつけて吸う人いるでしょう。良くないことがカッコイイ、と考える人だっているよね』

というと、さらに混乱してしまいます。

今年はこれをやったら、ほとんど全員がカッコ悪いに挙手したのですが、
いちばんみんなが納得した理由は、
「いじめをする人は、パワハラだからキモイ」
というのでした。
小学生がパワハラという言葉を使うことに驚きました。
解説抜きでみんな理解してました。さすが現代っ子。

わたしが
「なぜパワハラが(キモイの)?」
とさらに尋ねると、
「自分の感情しか見てないから、キモイ」
というような感じでした。

ある女の子は、こうも言いました。
「たぶん、いじめる人は、こういう(話し合いの場)だと何も言わないでごまかしてしまいそうだから」と。

みんなで討論をくりかえすうちに、教室のまんなかに、
いじめっ子の、苦しいような、切ないような『感情処理のようす』が浮かんできたのです。

これは、良い悪いとか、正しいか正しくないか、という視点からは、けっして見えてこない景色かと思いました。
ここでは、子どもたちが、「熟考」するのが当たり前、だときちんと実感することが大事で、感情を吐き出すという友達のせつない姿は、「討論を前提にする子たち」だからこそ、見えてくるのでは、と思いました。

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