なんと、教員採用試験からピアノと水泳が廃止されるという。
『教員採用試験、水泳とピアノ廃止 負担減で受験者増狙う』(朝日新聞デジタル)
わたしはいくつかの県の採用試験を受けたが、もう他の若い子に比べて、ほぼ中年の域であったし、試験会場では最初から周囲の『若さ』に圧倒されて、気を呑まれていた。
おまけに、ピアノを演奏するのはひとりずつ、ではないのである。
時間短縮のためか、同じ受験生が10人ほど、広い音楽室に同時に入るのである。
だから、よけいに緊張した。
そのため、ピアノはもう、心臓がばくばくして、汗もひどい。手のひらがじっとりとして、頭はぼうっと熱くなり、半分失神したまま演奏をした。
途中で、ちょっと難しい箇所があったのだが、案の定間違えた。すると、同じ部屋で受験している若い他の子たちが、「ハッ」と息をのむのが、分かるのである。
教室中の空気が、動くのだ。
「あの人、まちがえちゃった」
ということのオドロキと衝撃、「かわいそうに」という思いに「これで一人減った!やったぜ」という思いがいっきに交錯し、みんなが一斉に、同じタイミングで息をのむのである。
そして息をとめる。(声を出さぬように、という配慮)
だから、わたしは鍵盤を弾きながら、
「おいおい、きみらが緊張してどうする!こっちにその緊張が伝わるだろうが!」
とますます緊張して思い、あとはもう、何をどう弾いたのか覚えていない。
ただし、その後に「とんび」の歌唱テストもあるのだが、こちらはまったく緊張しなかった。もう落ちたな、と思ったからだ。だから、10人の若者がおっさんのわたしを凝視する中でも、わりと平気で、そうであるばかりか逆に、かなり朗々と、のびのびと、われながらうまい、と思えるほどの「とんび」を歌うことができた。こぶしで唸り、しゃくりでアレンジし、思い切りビブラートを効かせる。すべてを駆使した、大人版の「とんび」。なかなか歌えるものではない。
このときは、とんびを練習するためにカラオケボックスに通い、「とんび」をリクエストして、なんども歌ったものだ。
試験官の前で、
とーべ、とーべー、とーんび。
そーら、たーかーくー♪
ピーンヨロー♪、と鳴くところがたいへんに気持ちよく、思わず身体の上半身が左右に揺れてしまう。ところが、歌う際にはあまり身体を動かさないように、というふうに言われていたことを急に思い出し、ぎこちなくロボットのような揺れ方になった。
水泳は、テストのときに雷が鳴った。
プールサイドに整列し、受験の仕方、採点の方法など、事前注意を受けていたときだ。
空は晴れていたのに、急にゴロゴロと音がした。
悪い予感がしたが、一応そのまま試験は続行された。
シャワーをあびて、
「身体をならすために、アップしてください」
というアナウンスがあったので、受験番号順に軽く50mを泳ぐ。
わたしはクロールでかなりゆっくりと泳ぎ、最後はプール内を歩いた。
もうすでにプール内が渋滞していたのだ。100人近くがいっせいに入ろうとするプールは水面が異常に波打ち、そのため荒波による水を飲んでおぼれそうになりながら必死になって進もうする同じ受験生が多くいたため、そうとしか動けなかったからだ。
その時だ。
山の遠くの方に、ぽつッと黒い点のような雲が現れたかと思うと、空一面にそれがみるみる広がってきて、そのうちにザザーッ!と車軸を流すような雨が降ってきた。
わたしたちはいったん、理科室だかに急きょ避難することになり、なんだか冷たく暗い実験室の中でバスタオルにくるまりながら震え、
「これで確実に風邪をひくぞ」
と青ざめた唇をかみしめながら思ったものでした。
日本全国、はるか遠方からも受験者が集ってきたこともあり、試験を中止するわけにもいかぬ。それから40分ほどして、雨が小降りになったところで、つづきの平泳ぎをして、プールサイドであいさつをしてから終わりになった。
採用試験は4日間つづく。
次の日は器械体操と球技。
バスケットボールは制限時間内に10回程度のゴールを、コートのさまざまな場所から決める、という課題だったが、わたしは果敢にせめたにもかかわらず、すべてゴールを外した。
10回とも、である。くりかえすが、嘘ではなく、10回とも、すべて外した。
最後の3回は、もう本当にゴールの真下から、ほぼノードリブルで、真剣にねらったにもかかわらず、外した。
悪夢か、悪魔の計らいか。
わたしは呆然とし、またもや
「あの人、全部はずしちゃったよ」
という、「みんなが息をのむ」感じを味わった。
わたしはとびきりの笑顔で列にもどり、ボールを次の方へ気持ちよく渡した。次の方は、わたしのそのふるまいに恐れおののいたようになり、目を最大に見開いたまま、ぎこちなく手を出した。そして、わたしに対して憐憫(れんびん)の情が浮かんだ複雑な目を向けながら、その縁起の悪いボールをもらい受けた。
わたしはなにか悪いことをしたのだろうか。
その方もなぜだかしらぬが、次々とゴールを外した。不運なことに。
ところで、4日間のうちに、戦友、という気持ちが芽生えるものだ。
最終日、すべての試験課題を終え、最終の案内と説明を聞くために席についたわたしを見舞うために、トイレ休憩中、何人かの若者がわたしのところへ来てくれた。
「あらまさん、いつかきっと、現場で会いましょう」
「あらまさんのおかげで、勇気をもらいました」
「あらまさん、ぼくら一足先に行って、待っていますね」
まだ結果も出ていないのに、すでにそんな会話を交わしたことを覚えている。
ともあれ、ピアノと水泳が廃止になって、まあよかった。
ついでにペーパー試験も無くして、教員の仕事はすべてボランティアでまかなうことにしたらよいのではないだろうか。日本は確実に変わると思う。