30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

小学校教員資格認定試験

【教員採用試験】ピアノと水泳を廃止!

BIGニュースが流れてきた。
なんと、教員採用試験からピアノと水泳が廃止されるという。
『教員採用試験、水泳とピアノ廃止 負担減で受験者増狙う』(朝日新聞デジタル)


わたしはいくつかの県の採用試験を受けたが、もう他の若い子に比べて、ほぼ中年の域であったし、試験会場では最初から周囲の『若さ』に圧倒されて、気を呑まれていた。

おまけに、ピアノを演奏するのはひとりずつ、ではないのである。
時間短縮のためか、同じ受験生が10人ほど、広い音楽室に同時に入るのである。
だから、よけいに緊張した。

そのため、ピアノはもう、心臓がばくばくして、汗もひどい。手のひらがじっとりとして、頭はぼうっと熱くなり、半分失神したまま演奏をした。
途中で、ちょっと難しい箇所があったのだが、案の定間違えた。すると、同じ部屋で受験している若い他の子たちが、「ハッ」と息をのむのが、分かるのである。

教室中の空気が、動くのだ。

「あの人、まちがえちゃった」

ということのオドロキと衝撃、「かわいそうに」という思いに「これで一人減った!やったぜ」という思いがいっきに交錯し、みんなが一斉に、同じタイミングで息をのむのである。
そして息をとめる。(声を出さぬように、という配慮)

だから、わたしは鍵盤を弾きながら、
「おいおい、きみらが緊張してどうする!こっちにその緊張が伝わるだろうが!」
とますます緊張して思い、あとはもう、何をどう弾いたのか覚えていない。

ただし、その後に「とんび」の歌唱テストもあるのだが、こちらはまったく緊張しなかった。もう落ちたな、と思ったからだ。だから、10人の若者がおっさんのわたしを凝視する中でも、わりと平気で、そうであるばかりか逆に、かなり朗々と、のびのびと、われながらうまい、と思えるほどの「とんび」を歌うことができた。こぶしで唸り、しゃくりでアレンジし、思い切りビブラートを効かせる。すべてを駆使した、大人版の「とんび」。なかなか歌えるものではない。

このときは、とんびを練習するためにカラオケボックスに通い、「とんび」をリクエストして、なんども歌ったものだ。

試験官の前で、

とーべ、とーべー、とーんび。
そーら、たーかーくー♪

ピーンヨロー♪、と鳴くところがたいへんに気持ちよく、思わず身体の上半身が左右に揺れてしまう。ところが、歌う際にはあまり身体を動かさないように、というふうに言われていたことを急に思い出し、ぎこちなくロボットのような揺れ方になった。

水泳は、テストのときに雷が鳴った。

プールサイドに整列し、受験の仕方、採点の方法など、事前注意を受けていたときだ。
空は晴れていたのに、急にゴロゴロと音がした。
悪い予感がしたが、一応そのまま試験は続行された。
シャワーをあびて、

「身体をならすために、アップしてください」

というアナウンスがあったので、受験番号順に軽く50mを泳ぐ。
わたしはクロールでかなりゆっくりと泳ぎ、最後はプール内を歩いた。
もうすでにプール内が渋滞していたのだ。100人近くがいっせいに入ろうとするプールは水面が異常に波打ち、そのため荒波による水を飲んでおぼれそうになりながら必死になって進もうする同じ受験生が多くいたため、そうとしか動けなかったからだ。

その時だ。
山の遠くの方に、ぽつッと黒い点のような雲が現れたかと思うと、空一面にそれがみるみる広がってきて、そのうちにザザーッ!と車軸を流すような雨が降ってきた。

わたしたちはいったん、理科室だかに急きょ避難することになり、なんだか冷たく暗い実験室の中でバスタオルにくるまりながら震え、

「これで確実に風邪をひくぞ」

と青ざめた唇をかみしめながら思ったものでした。
日本全国、はるか遠方からも受験者が集ってきたこともあり、試験を中止するわけにもいかぬ。それから40分ほどして、雨が小降りになったところで、つづきの平泳ぎをして、プールサイドであいさつをしてから終わりになった。

採用試験は4日間つづく。
次の日は器械体操と球技。
バスケットボールは制限時間内に10回程度のゴールを、コートのさまざまな場所から決める、という課題だったが、わたしは果敢にせめたにもかかわらず、すべてゴールを外した。
10回とも、である。くりかえすが、嘘ではなく、10回とも、すべて外した。
最後の3回は、もう本当にゴールの真下から、ほぼノードリブルで、真剣にねらったにもかかわらず、外した。

悪夢か、悪魔の計らいか。
わたしは呆然とし、またもや

「あの人、全部はずしちゃったよ」

という、「みんなが息をのむ」感じを味わった。

わたしはとびきりの笑顔で列にもどり、ボールを次の方へ気持ちよく渡した。次の方は、わたしのそのふるまいに恐れおののいたようになり、目を最大に見開いたまま、ぎこちなく手を出した。そして、わたしに対して憐憫(れんびん)の情が浮かんだ複雑な目を向けながら、その縁起の悪いボールをもらい受けた。
わたしはなにか悪いことをしたのだろうか。
その方もなぜだかしらぬが、次々とゴールを外した。不運なことに。



ところで、4日間のうちに、戦友、という気持ちが芽生えるものだ。
最終日、すべての試験課題を終え、最終の案内と説明を聞くために席についたわたしを見舞うために、トイレ休憩中、何人かの若者がわたしのところへ来てくれた。

「あらまさん、いつかきっと、現場で会いましょう」
「あらまさんのおかげで、勇気をもらいました」
「あらまさん、ぼくら一足先に行って、待っていますね」

まだ結果も出ていないのに、すでにそんな会話を交わしたことを覚えている。

ともあれ、ピアノと水泳が廃止になって、まあよかった。
ついでにペーパー試験も無くして、教員の仕事はすべてボランティアでまかなうことにしたらよいのではないだろうか。日本は確実に変わると思う。

プール

【朗報!】教員資格認定試験今年も開催!平成26年度!!

☆平成26年度教員資格認定試験
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/nintei/1347206.htm

朗報!

今年は一般教養試験がないため、もしかすると高卒だけでは受験できないのではないか、という憶測を掲載していましたが、そうではなかったようです!!

つまり、これまでと同じく、高卒の方でも受験可能です。
ただ単に、一般教養試験が無くなった、というだけの模様。

となると・・・




これまで以上に、これは大チャンス!!!!

ビッグウェーブ
が来てます!!!!

みなさん、安心して、受験してください!!!




(引用開始)


受験資格は、次のいずれかに該当する者です。

ア 大学(短期大学を含む。)に2年以上在学し,かつ,62単位以上を修得した者及び高等専門学校を
卒業した者並びにこれらの者と同等の資格を有すると認められる者
イ 高等学校を卒業した者その他大学(短期大学及び文部科学大臣の指定する教員養成機関を含む。)に
入学する資格を有する者で,平成26年4月1日における年齢が満20歳以上のもの

(注)(a) ア,イのいずれに該当するのかが不明で,受験資格の有無を確認したい場合は,出身校の名
称,卒業・修了の年月日,当該学校の設置者などを詳細に記し,切手を貼り,宛先等を明記し
た返信用封筒を同封の上,受験を希望する試験実施大学の担当部署宛てに照会してください。
(b) 専修学校,各種学校,学校教育法以外の法律に特別の規定があるもの(保育大学校などの各
種大学校など)は上記アには該当しません。また,いわゆる「専門学校」は専修学校にあたる
ものであり,高等専門学校ではありません。
(c) 文部科学大臣の指定する教員養成機関(以下,指定機関)に入学する資格を有する者とは,
指定機関の学科等に入学する資格を有する者のみ該当します。(「4 試験科目等の一部免除」
の対象者についても同様です。)なお指定機関の学科等の一覧は文部科学省ホームページ
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoin/daigaku/1308277.htm)をご覧ください。


Ⅳ 認定試験の実施方法

試験実施大学
宮城教育大学 東京学芸大学 横浜国立大学 静岡大学 岡山大学 熊本大学
宮城教育大学は第1次試験のみの実施です。宮城教育大学で受験する場合,第2次試験以降
は横浜国立大学での受験となります。また,出願書類は横浜国立大学へ提出してください。


(1) 第1次試験
ア 期日 平成26年9月6日(土)及び9月7日(日)の2日間

イ 場所 試験実施大学
(宮城教育大学,東京学芸大学,横浜国立大学,静岡大学,岡山大学,熊本大学)

ウ 試験の内容及び方法
教職に関する科目(Ⅰ)⇒教育原理,教育心理学,特別活動,生徒指導等教職に関する専門的事項(択一式とする。)
教職に関する科目(Ⅱ)⇒小学校の各教科の指導法及びこれに付随する基礎的な教科内容
ただし,受験にあたっては,音楽,図画工作及び体育の各教科のうち2教科以上を含む6教科を9教科の中からあらかじめ選択すること。(択一式とする。)
※ 平成26年度より,一般教養科目の試験は実施しません。

エ 第1次試験の合否結果通知
第1次試験の受験者には,試験実施大学から9月29日以降に本人宛てに合否を通知します。

(2) 第2次試験
第2次試験は,第1次試験に合格した者に限り受験することができます。
ア期日平成26年10月18日(土)及び10月19日(日)の2日間
イ場所試験実施大学の定める場所

(後半略 引用ここまで)

【朗報!】平成26年度小学校教員資格認定試験実施の方向!!

朗報です。

どうやら、ぎりぎりになるまで、教員資格認定試験を事業として実施してくれる4年制大学が、

簡単には

見つからなかったみたいです。
ところが、簡単には見つからなかったけれど、

最後の最後で、事業者としてやってくださる大学機関が現れ、実施を予定してくれているようです!



よかった・・・。


ただし、これまでのように、大きな試験として実施してくれるわけではないようで、面倒な試験を、簡略化して、実施するようです。

そのうちの一つの手段として、

◎一般教養科目を実施しない

というようになったようです。

これは、ある程度、大学での取得単位を前提とする条件です。
つまり、私のように、大学では単位がほとんど取れず、高卒と同じ条件で受験する、ということができなくなったことを意味しています。
少なくとも、短大等である程度、課程を修了したり、単位を取得したり、という条件が必要になるでしょう。
(所定の教科4単位以上、教職31単位以上の専門科目を修得、くらいか・・・と思われます)

ちょっと、狭き門になりました・・・


詳細は、今月下旬にWEB上でも周知される予定だということです。






(ここから引用)

教員資格認定試験第1次試験における試験科目の一部変更について

平成26年3月
初等中等教育局教職員課

このたび、教員資格認定試験における試験科目の見直しを行いました。

その結果、幼稚園教員資格認定試験、小学校教員資格認定試験及び特別支援学校教員資格認定試験の全てにおいて、一般教養科目を実施しない予定となりましたので、お知らせいたします。

試験の詳細については、平成26年度教員資格認定試験の案内(平成26年4月下旬頃掲載予定)を参照してください。
お問合せ先
初等中等教育局教職員課

現職教育係

(初等中等教育局教職員課)


(引用終わり)


続きを読む

平成26年度小学校教員資格認定試験についてのまとめ

認定試験についてのまとめ

・小学校教員資格認定試験は、今年度は旧国立(現法人)の大学が実施会場になるのかどうか、分からない。
・そもそも、この認定試験のための予算が確保されているのか、現在のところ、不透明。
・文科省は、この試験を実施する団体を募集している。



試験実施をしてくれる団体には厳しい条件があり、これをクリアできる団体でないと、認定試験の事業者にはなれない。


(以下引用)
企画競争に参加する者に必要な資格に関する事項

(1)予算決算及び会計令第70条の規定に該当しない者であること。
(2)文部科学省支出負担行為担当官から取引停止の措置を受けている期間中の者でないこと。
(3)小学校教諭の養成課程を有している4年制大学であること。
(4)3(2)②で定めた試験実施業務に携わる場合は、業務に必要な設備・施設を有していること。
(5)3(2)③で定めた問題作成・精査業務及び試験実施業務に携わる場合は、業務に必要な設備・施設を有するとともに、附属小学校を併置していること。



さらに、補足として、条件がある。

契約締結:平成26年度予算が成立した場合に、平成26年4月上旬以降順次締結予定。

だそうです。



(1)企画提案書の提出場所、企画競争の内容を示す場所並びに問い合わせ先
〒100-8959 東京都千代田区霞が関3-2-2
文部科学省初等中等教育局教職員課現職教育係
TEL03-6734-2457
FAX03-6734-3742
E-mail nintei@mext.go.jp


どなたか、どうか、認定試験を実施してください。



事業規模(予算)及び採択数
事業規模:64百万円程度



だそうです。
一応、予算は確保されているようです。
あとは、条件をクリアできる事業者がいるかどうか・・・。

【朗報!】平成25年度小学校教員資格認定試験実施の方向!


いやあ、よかったですねえ。
わたしがお世話になった、小学校教員資格認定試験が、平成25年度も実施される予定のようです。

ともかく、文科省の予算請求の項目に、しっかりと明記されています。
これをよろこばずして何を・・・やったー!

http://www.mext.go.jp/a_menu/yosan/h25/1325564.htm

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2012/09/07/1325569_4.pdf

上記をご覧あれ。


いやあ、やっぱりなんだかんだ言っても、文科省、「再チャレンジのできる社会」を実現しよう、という志のあるキャリアの方が、たくさんまだいらっしゃるようです。

これがなくなると、この小学校教員資格認定試験がなくなると、30代、40代の転職がかなわなくなる、という方が増えてしまいます。
家族をかかえ、定期収入をたとえ数ヶ月でも滞らせることさえ不可能、という方も多いのです。
そういう人が、教員を目指す。
それを可能にしてくれるのが、この小学校教員資格認定試験でした。
かわる手段がないのですから、「小学校教員資格認定試験」が、ただ一つの、唯一の道、であるのです。

これを中止したら、ほとんど、教員に転職しようとする30代、40代はいなくなります。
(よほど収入がなくても困らない人とか、限定された人以外は・・・)

だって、1カ月も、仕事休んで教育実習したり、介護実習したりできる人って、そうはいませんから・・・

家族抱えて、幼子抱えて、勇気を振り絞って仕事を辞めて、定職につかずにアルバイトでしのぐ、というストーリーを、自ら突き進もうとする人、そうはいないと思いますから・・・。

でも、この試験が、その不安を一気にふきとばしてくれるのです。
仕事を辞めずに、教員の免許がとれる。
妻と幼子のためにも、収入をとぎらしたり、仕事を辞めたりしないで、安心して免許がとれて、次のステップに踏み出して行ける。
最後のステップである目標の、各都道府県の教員採用試験に合格し、教員として就職する、その日まで、仕事を辞めずに済むのですから・・・。

大阪府みたいに、橋下 徹さんの影響で、ずいぶん教員になろうとする人が減ってしまったような都道府県では、新卒の学生だけの募集では、ゆくゆく苦しいことになるかと思うので、このような意義のある試験を、ぜひ辞めないで続けてほしいと思います。



なにはともあれ、よかった、よかった、よかった~!!!
パチパチパチ!!!




文科省が24年度教員資格認定試験について要項を発表




今日はよろこびの日、であります。
やはり、再チャレンジのみとめられる国でした。
日本は!
なんて生きることの「しやすい」国なんだろう!
すてき!文科省!さすが!文科省の官僚の方、ありがとうございます。

高卒では無理だ、と周囲に脅かされた日、あの頃・・・。
無免許では無理だ、と馬鹿にされたあの瞬間・・・。
子持ちではさすがに無理だろうと憐憫の情で諭された、あの時・・・。



10年間、まるまる他の業種、他の仕事で生きてきて、
もう一度、別業種を選び、再スタートする。
それが、今の文科省のおかげで、できる国なのでした!

(やめないでね!文科省!ここまで持ち上げているんだから!!)


待ってたよ!文科省!
文科省が、今年度の教員資格認定試験の要項を、今頃発表してくれました!!




やった!認定試験、24年度は開催決定!!


やりました!
5月1日、開催決定が出ました!
やはり、連休があって、通知を出すのが少し遅れていた、というだけでした。
心配していましたが、杞憂でした!

ホッ・・・!



全国学校案内資料管理事務センターでは、「平成24年度 小学校教員資格認定試験 出願書類」の請求受付、発送を下記要領で実施いたします。
 
なお、小学校教員資格認定試験の出願期間は、平成24年6月1日(金)~6月15日(金)です(当日消印有効)。第1次試験の期日は平成24年9月1日(土)及び同年9月2日(日)の2日間です。

請求受付期間 平成24年6月8日(金)まで
発送開始日 平成24年5月6日(日)
送 料 送料200円を、資料到着後、資料に同封されている送料支払用紙に従ってお支払いください(コンビニ支払い、郵便局払込が利用可能)。
お支払いに際して必要な手数料等(例:ゆうちょ銀行または郵便局払込の手数料はATM扱い80円、窓口扱い120円)は別途ご負担ください。


(ところが、文科省のページにはまだ掲載がない。それが不満です)



それにしても、毎年、こんなふうに、気をもまないといけないなんて、ひどいよ。

首相に言えばいいのか?
だれに言えば、この状況、よくなるの?

再チャレンジできる社会、というのを標榜していたずっと前の自民党の総理(あべさん)なら、この状況を打開してくれるんだろうか。




杞憂!実施の可能性が濃厚!よかったよ~資格認定試験!


ウソにならない事を祈ります。

下記のデータを見つけました。

作成者は、文科省。
昨年末、12月末に予算関係の書類を作っています。

そこで、

実施する

との文言を発見!


うれしやな~


下記をご覧あれ~!!!

http://www.zenshihoren.or.jp/member/seigen/pdf/member_siryou_1201_9.pdf


ぜったいに、ぬかよろこびに、しないでね~

予算取ってるんだから、実施するよね。
願書配布、たのみますよ。早めに。




平成24年度教員資格認定試験開催の可能性が危機・・・??


4月も終わると言うのに、まだ、発表がありません!

いやな予感がします。

平成21年度の報告に、「3~5年後には廃止を検討」とありました。
(小学校教員資格認定試験の見直しについて平成21年5月18日 初等中等教育局教職員課)

平成24年度の今年は、その3年後、に当たります。

開催が、危ぶまれています。

4月に発表が無い、ということ。
いくらなんでも、出願までの期間を、これ以上、短くすることはないと思う。
やな予感がつのる。

テレメールでも去年の情報しか掲載がない。
今年の情報、なんにも出てない!
いくら確認しても、去年のだけ!24年度の情報が無い!


去年のデータより。
受験願書等は,平成23年6月3日(金)から平成23年6月17日(金)までの間に受験を希望する試験実施大学の担当部署へ郵送により提出してください。(平成23年6月17日の消印のあるものまで受け付けます。)



ということは、ゴールデンウイークから願書を取り寄せ、書類をそろえ、応募するのに、1ヵ月と10日あまりで、すべての手続きを完了させた、ということだ。

これを、一か月よりも短いスパンでこなせ、ということは、おそらくないだろうと思う。


やっぱり、や~な、予感がする!!


いくらなんでも5月だ。試験会場となる大学の年間計画もすべて整っているはず。
その予定に合わせて、実施に向けた日程の調整がこれまでに済んでいるはず・・・。

今年は、ハラハラさせるけど、やってほしい。

そうだ!!!
キリのよい、5月1日、つまり明日から、受付するんだ!!!
そうでしょ、そうにきまってるよね!!・・・ね!

文科省、だれか知らないけど、初等教育課の官僚の方!

サラリーマンが一か月も教育実習するの、無理です!
おまけに会社辞めて浪人しながら家族養うの、このご時世ですから、困難です!
講師の口があるって思っているかもしれないけど、なかなか条件に合うのが無いんです!
だから、この試験って、けっこう重要なんです!
やめないで・・・!!!お、お、・・・お・・ねがいだから・・・(涙)。


この、魂の叫びが、天に届きますように!
そして、官僚の脳髄に、天からの声が、直撃しますように!




小学校教員資格認定試験の最新情報は4月下旬!


今年の認定試験情報はどうなっているか、気になります。
なんといっても、数年前より、

「そのうち廃止します」

という宣言が、文科省から出されているからです。
いつ、廃止になるのだろう、とやきもきしている方も多いと思います。
この試験が廃止になった途端、なにが起きるか。

こたえは、
「サラリーマンから教員への転職率が、グッと下がる」だ。

1か月もの間、会社を休んで、教育実習にエネルギーを注げる人は少ない。
おそらく、会社を辞めることになる。
教育実習以後、会社に勤務しないで、収入を減らしたら、家族を養っていくこともなかなか大変だろう。
中には、会社を辞めたらアルバイトして凌ごう、という意欲に満ちた方もいるでしょうが、幼子を抱えた家族に苦労させることは目に見えていますし、なんといってもすぐには教員になれる保障がなく、講師の口がちょうどよい按配で見つかる保障もありません。
つまり、そこからしばらくの間、収入の減る期間ができてしまうのです。おまけに、その期間がいつ終了するのか、めどがたちません。

一番良いのは、今の会社勤務、という生活実態を変えることなく、働き続けながら、免許を取得できる、ということなのです。
それには、教育実習を免除してもらう方法しか、他に方法がありません。
そのためのほとんど唯一の方法が、「小学校教員資格認定試験」なのです。

昨年の試験案内は、次の日付でWEB公開されていました。

平成23年4月28日掲載(文科省WEBにて)

この日まで、あと2週間。
その2週間後に、

今年度、認定試験が行われるのか、否か

が、判明するでしょう。
ドキドキです。

文科省の、賢明なる判断が求められています。


文科省の方!!
ぜひ、サラリーマンに、希望の手段を残してください!!




小学校教員資格認定試験 もうすぐ2次試験の結果発表


今年も、この時期が近づいてきた。
小学校教員資格認定試験。
その、2次試験の結果が、発表される。

1次は6割。
自分で、点数の大体の予想もつくから、合否のことにもある程度、めぼしがつく。
しかし、2次は論述。それに、ダンスや面接、運動の評価もあるから、なかなか合否がわからない。

2次については、加点方式と減点方式で評価される。

ダンスも面接も、運動も、すべて減点方式。
ある程度の線をこなすことができれば、まあ大丈夫。クリアできる。

しかし、論述は、厳しい。
これはしっかりしていなければならない。骨太な論述が必要で、中身がなければアウト、である。
論述は加点方式に近いと考えてよいだろう。
無難にこなす、ということができにくい。

考えようによっては、ダンスも面接も、妙なへまや、常識のない行動、外れた言動、知識のなさを露呈する、なんてことがなければ、まあ、○、ということになる。
これは、緊張している受験者にとっては、少し救いになると思う。

ホームランをかっこよく打って、ガッツポーズを決めろ!

といわれたら、緊張して力が出せないけれど、

見逃し三振だけはするな、

というのだったら、妙な肩の力も抜けるのでは・・・。

これで、教員資格認定試験の突破のコツが見えてきた。
つまり、論述こそ最大の突破口である、ということ。
論述に力を発揮できれば、合格はすぐ手の届く近くにある、ということだ。


多くの「小学校教員資格認定試験」の受験生の方が、合格しますように。
そして、世の中に、

「教育実習を受けていないけれど、サラリーマンや社会人でしたけど、おかげで教員になれました!」という人が、もっともっとたくさん増えますように。

やりなおしのできる社会。

本当にあったかい社会って、生きててよかったって社会は、こういう社会ですよね。




教育実習を受けずに先生になる人を応援したい!




●教育実習に行ってないけど教師です

●2学期のおさめ会

●小学校教員資格認定試験

検索でたどり着かれた方、↑↑↑上記のリンク↑↑↑をたどっていかれると、いろいろと書いていますので、ご覧ください。


教育実習を受けなくても、小学校の正規教員になれる。
教育実習をせずに、なれる。

このことが、サラリーマンからの転職組にとって、どれだけの救いであったことか。

このことを、文科省は重要視していない。
それで、小学校教員資格認定試験を、数年先には取りやめる、としている。
このことに、反対したい。


文科省の趣旨には、

Ⅰ 小学校教員資格認定試験制度の趣旨
広く一般社会人から学校教育へ招致するにふさわしい人材を求めるため,職業生活や自己研修などにより教員として必要な資質,能力を身につけ,教員資格認定試験に合格した者には,教諭の普通免許状が与えられる道が開かれています。

と書いてある。

だのに、その道を閉ざす、という。

現在実施している3種類の教員資格認定試験のうち、「小学校教員資格認定試験」について当分の間、休止とすること(休止開始時期は、遅くても平成26年頃までには)(文科省のWEBより)


見直しの理由は、以下の3点。
(1) 通信制も含め、小学校の教員免許を取得できる大学数が相当数増えており、大学における教員養成ができる環境が整ってきたこと。

(2) 現役学生の受験者数が増加していくなかで、いわゆる社会人受験者の合格者数は著しく減少していること。

(3) 平成16年の国立大学法人化以後、現行の試験実施大学も含め、試験実施のための組織体制の維持が困難になってきていること。


反論。
(1)のように、たしかに通信制の大学が充実してきた。しかし、通信制大学でも「教育実習」は受けることになる。これが免除されることが、サラリーマンにとっての最大の恩恵だったのだから、通信制大学が増えたとしても、肝心の、「教育実習を免除する通信制大学」が増えていかなければ意味が無い。

(2)社会人受験者が少なくなったことが、「広く一般社会人から学校教育へ招致するにふさわしい人材を求める」の趣旨をあきらめる理由にはならない。
社会全体から、ふさわしい人、えらびましょうよ。
少ないからって、あきらめちゃだめだよ、文科省!


(3)大学での試験実施の体制が組めない。なるほど。これが実際の理由なのだろうな。でも、やっぱり、あきらめてほしくないなあ。

がんばれ!文科省!大学で試験実施できなかったら、どこか名乗りを上げる大学を探しましょう!特別予算を、どこかの民間企業から支援してもらって、もらいましょう!このための予算を、TOYOTAとか、どこかから出してもらえないかな。
トヨタ財団支援による、小学校教員資格認定。
今の現行の大学が、予算を理由に開催を断ってきたのなら、いいじゃないか、民間の支援だって、受けて行きましょうよ!

日本を再生したいなら、人材の再生を、していきましょうよ!




小学校教員資格認定試験


小学校教員資格認定試験については、これまでにいろいろと書いてきている。

小学校教員資格認定試験

このことで、ひさしぶりにメールが届いたので、書いておく。

小学校教員資格認定試験の見直しについて

小学校教員資格認定試験の見直し、ということが取りざたされている。
文科省のWEBでも情報公開されているのだから、これはかなり確定路線のよう。

この試験の一番のポイントは、なんといっても、これに受かりさえすれば、教育実習に行かなくても教員免許がとれる、ということだ。
このことが、すでにサラリーマンとなって妻子を養う立場の人間には一番のメリットであった。
教育実習が、2、3日ならば休みも取れよう。
だが、1ヵ月である。
この一カ月の休みが、サラリーマンにはなかなかとれない。
仕事を辞めれば可能だが、給料が入ってこない。家賃が払えなくなる。一家が路頭に迷う。

文科省のWEBには、

「大学での教員免許取得がやりやすい状況になっていることもふまえ」

だのと書いてある。
しかし、いまだ、大学の通信課程の教員免許取得、という手段に、

この一番大事な、

教育実習を受けなくても免許取得ができる

というコースは存在しない。
(あったらおしえて!!!!この質問が一番、多いんです!!!)

つまり、この資格認定試験が無くなった途端に、キャリアをやり直そうとする人間の切り捨て、が始まっていくのだ。
何代か前の総理大臣が、再チャレンジのできる日本、ということをおっしゃっていた気がする。
それと、逆行している。


あ、わかった。
臨時任用のアルバイト教師を、増やそうとしているのかも。
サラリーマンを辞めて、将来教師になろうとする人は、アルバイト先生をやれ、というんだろうな。
でも、給与は低いし、やはり家庭を支えるだけの給与がないなら、実質、それは無理、というもの。

私自身、地元の教育委員会に打診してみたが、すぐに講師の口を案内してくれるほど、甘くないのが現実だ。
エンジニアをやっていた年の最後、2月に面接をした。
面接の後、最初に提案された仕事は、音楽の臨時任用。
これはすぐに断った。だって、ピアノもひけないし、直前まで宇宙研でハッカーと闘っていたエンジニアが、音楽の先生にすぐにやれるわけない。
次に案内されたのは、市でもっとも遠い学校。自動車をもっていない私に、通える場所ではなかった。電車とバスを乗り継いで、1時間30分。駅やバス停までの徒歩時間を合わせると、合計2時間。
そこで、1年生プロブレムの対応を週3日。給与は・・・家賃と食費がぎりぎり、という感じ。病気にでもなったら、と思うと、妻子を前に、「これでいく」と言えなかった。

わたしはそれでも、3件目でまあまあ通える学校を提示してもらえたからよかったが、自治体によってはむずかしいところも多いだろう。

こんな状況だから、教育実習を受けるに際して、会社を辞める、というのはかなりの大きな決断になってしまうのです。




通信教育のコツ その6 足元の部屋の整理




6・自宅の机の周囲をかたずける気になれない
7・会社から帰宅し、会社用の鞄を置くと、どっかりとねそべってしまう
8・レポート用紙の置き場所を決めていない

これらについて書く。


転職組が勉強していくのに、最大の敵が、『疲れ』である。

「こんだけ疲れてるからな。今日は無理やな」

何度、このセリフを口走ったことだろう。
会社から帰宅し、かばんを玄関におろした瞬間、どっと疲れが自覚される。

ふふぃー

溜息にならない、悲鳴のような声まで出てくる。

腰、目、肩、それぞれに独特の、疲れ感が。

椅子に腰をかけると、もうダメである。
ねそべったりすると、もうダメ、だ。

立ち上がる気になれず、


「いいや、なあ!今日は!!!」

と自分に言ってみながら、結局、風呂に入って寝てしまう。

レポートは、今週中には無理だったのだ。
ほらみろ。


こういうことが多い。というか、ほとんど、こういうことが原因で、サラリーマンの通信大学卒業は困難だとされているのだろう。


そこで、自分をだますことにする。
どうするか。


部屋を、むちゃくちゃシンプルにすること。
余計なもの、は、すべて、というくらいに、省いていく。

まず、新聞をとらないことにした。
新聞は、けっこう、カサがある。量がある。
そして、机の上などに無造作に置かれてしまう。
これはよくない。
つまり、視覚によく入るものは、極力、なくしていきたい。
あたかも、不動産屋といっしょに、部屋の様子を見にきた、シンプルなあの当時の状態にできるだけ、部屋を近づけていく。

といっても、そんなには現実、無理である。

買い物をできるだけ、しなくなった。
雑誌も買わない。
余計なものが増えるからである。
必要最低限のものを、食料品だけを買うことにした。

すると、新聞の広告チラシや雑誌で埋まっていた居間が、そうではなくなってきた。
いつも表面が見えなかった机の上が、いつもスッキリするようになった。

また、これはもしかすると要らないな、と思うものを、1年かけて、廃棄し、整理していった。
春夏秋冬、要るか要らないか、という視点で道具を見つめ直した。

すると、また、ごっそりと整理されて、無くなるものがいっぱいあった。

1年すると、毎日、部屋がきれいで当たり前、という感覚になった。

今ふりかえると、これが第一関門であった。
要するに、サラリーマンが激務から帰宅して毎日疲れの限界を感じながら、夜間に机に向ってレポートをしあげたり本を読んだりするための、第一関門は、足元の部屋の整理だったのだ。




通信教育にはコツがある その5




1・近くに図書館がない
2・図書館で検索の仕方がわからない。
3・参考文献になりそうな本があっても(見つけても)、どうもピントがずれている本のような気がする。
4・起承転結が書けない
5・そもそも興味関心がわかない
6・自宅の机の周囲をかたずける気になれない
7・会社から帰宅し、会社用の鞄を置くと、どっかりとねそべってしまう
8・レポート用紙の置き場所を決めていない

これらについて書く。

1について

通信教育を続けるために、図書館を味方にする。
少なくとも、私にとっては大変役立った。
なにしろ、そこの図書館は、学習室がある。
大勢の社会人が、勉強していた。
また、ここが一番のポイントかもしれないが、なんとノートパソコンの持ち込みができた。
これが助かった。
私は、階下の書架コーナーから本をさがしてきては、学習室でひろい読みをし、大事そうな部分をどんどんと入力、打ち込んでいった。
順番は関係ない。とにかくも、これは使える、というところを抜粋し、テキストを増やしていった。
すると、読み終わる頃には、レポートが1枚かけそうなくらいの文字数、文章量になっている。
保存し、ちょっと休憩する。
トイレもある。
まわりに、誘惑するテレビもゲームも何もない。しずかに集中する雰囲気と空気が、そっと背中を押してくれる。
よし、と廊下で麦茶を飲んで、またもノートPCに向かう。

すると、一見ばらばらに見えているレポートメモ、が、なんとなく細いつながりになって見えてくる。要するに、これはいったいどういうことか?と白紙に、今度は鉛筆と手書きで、整理していく。これは、昔知った「マンダラート」という整理術を使う。
すると、だんだんと書く内容が整理され、少し深くなり、多少自分の意見もまじる。
あとは、えんぴつで乱雑に書かれた、マンダラートの内容を見ながら、ノートPCの文書に修正を施すだけである。
順序を多少入れ替え、自分の意見っぽいものを加え、ともかくも字数を確保する。

あとは、気合いで、切手をはり、えいっと投函してしまう。

半日で、3通ほどのレポートを仕上げる日もあった。

つづきを細かく、見ていこう。




通信教育にはコツがある その4




レポートでつまずく場合と、試験でつまずく場合。
これまで、私が通信教育部の会合やメール、知り合い、その他、の相談にのってきたとき、この2つの説明をよくした。

○レポートが書けない
○試験で落とされてしまう

実際、この2つの両方をパスしなければ、単位修得ができないのであるから、なんとか手を打ちたい。
できない、無理、と思うときには、問題を細分化し、まず一点を突破するようにすることが黄金律だ。
個別に見ていく。

まず、○レポートが書けない、ということ。

書けない理由がある。

・締め切りを意識していない
・書くための資料が集まらない
・資料を集める時間がない
・集めても、書く時間がない

さらに細かくすると、

・材料をどう選べばよいかわからない。
・レポートの書き方がわからない。
・出だしに何を書けばよいか、わからない。
・最後をどうまとめるとよいか、わからない。
・自分なりの意見がない。
・自宅の机で書く気分になれない
・自宅の机の周りが乱雑すぎて書けない
・会社から帰ると疲れすぎてて書けない
・レポート用紙がどこかにいってしまった

さらに、さらに、細かくすると、

・近くに図書館がない
・図書館で検索の仕方がわからない。
・参考文献になりそうな本があっても(見つけても)、どうもピントがずれている本のような気がする。
・起承転結が書けない
・そもそも興味関心がわかない
・自宅の机の周囲をかたずける気になれない
・会社から帰宅し、会社用の鞄を置くと、どっかりとねそべってしまう
・レポート用紙の置き場所を決めていない

とまあ、・・・こういうことになろうか。

次回、細分化した問題について、ひとつずつ個別に撃破していく。




通信教育にはコツがある その3




履修計画が済んだら、次は、試験日程とレポートの締め切りを決める。

すべての単位について、レポートの締め切りがある。
それを、すべてこれもExcelのファイルに書き出し、さらに壁一面のカレンダーに記入した。
このとき、赤ペンで本当の締切日を書き、緑のペンで、書き始める日に緑の線を入れた。
もちろん、矢印と単位の教科名も。

←特別支援教育について→

というような感じである。

書き始める日は、かならず土日。
その土日のいずれかに、図書館へ行くこと、とした。
図書館で参考文献を探すためだ。


そして、レポートが間に合えば、試験受験ができる(もちろんレポートの段階で不可、書きなおし、ということもあるが)。

試験を受ける日にちもわかるので、1年分はすべてカレンダーに書いた。

これで、時間のマネージメントは80%いける。

次は、レポートでつまずく場合と、試験でつまずく場合の2点について、その対策を述べる。




通信教育にはコツがある その2




スクーリングとレポートと試験対策。
通信教育で効率よく単位を取得するには、この3つが大切だ。

しかし!!!

これらの対策をあれこれ考えるより以前に、しておかねばならないと思ったのは、自分自身のマネージメントであった。
それも、時間の。

要するに、締切設定をしたのだ。
一番の設定は、いつ、教員になるか、という設定。
採用試験に合格しなくてもよい、臨採でよい、ともかくもこの年には教壇に立つ。
これを決めた。

私は29歳であった。35歳には、教師であろう、と決めた。
なれるかどうか、自信はなかった。
でも、試してみたいと強く思っていた。
自信がなかったその証拠に、つぶしが効くように、といろんな資格に手を出した。
大型自動車の運転免許まで取った。
教師になれなかったら、長距離トラックの運転手をやろうと思ったのである。

5年間のタイムスケジュールを立てた。
通信教育部のある大学を探して、いちばん通いやすいところを選んだ。
通学、時間、距離、学費はどうか、など、さまざまな面から探して決めた。
なにしろ、続かなくては意味がない。

通信教育が始まると、いきなりどさっと教科書だのレポート用紙だのが送られてくる。
最初に、履修届を書くが、これがもっとも神経を使った。
おそらく、この履修計画にエネルギーをかけたことが、のちの成功につながったと思う。

もっとも神経を使うのは、夏のスクーリングの日程だ。
職場のかねあい、がある。
お盆のあたり、会社の休みがもらえる期間を想定してみた。
そして、けっして無理のなさそうな計画を慎重に立てた。

病気でスクーリングが受けられなくなるかもしれない。
そう思うと、できるだけ前倒しの計画になる。
早め、早め、に計画し、1年目、2年目、3年目、4年目、5年目の単位修得目標を立てた。
単位はすべて、4年間で取得する。
5年目は、どうしても取りこぼしてしまったものだけを取得すればよい、と思った。
Excelのファイルを作成し、すべての単位名とスクーリングの日にち、単位修得予定日を記入した。
そして、紙に印刷。
目立つ赤色のクリアファイルに綴じ込んで、この計画通りにコトを進めればよい、というようにした。本棚で、赤色はよく目立った。

履修計画が済んだら、次は、試験日程とレポートの締め切りを決める。(つづく)




通信教育にはコツがある その1




いろんな方から、コメントやメールをいただく。
多いのは、やはり、教師をめざす方たちだ。
それも、現時点、他の業種で勤務をされている人がほとんどである。

私の経歴がそうであったから、なにかと参考にしていただいているようだ。
私も、自分の記録が何らかの形で有効に活用されるのはうれしい。
それで、時折ふりかえって思いかえしては、当時のことを書いている。

通信制の大学で単位を取られている方も多くいる。
ところが、これもまた一苦労だ。
サラリーマンが、勤務後や休日に単位修得のための勉強をしなければならない。
平日でかなり疲れているのにもかかわらず、休日返上でレポートや試験に取り組んでいくのは、やはり、さまざまな労苦を伴うことである。

私自身は、燃える火の球のような状態で、背水の陣、という感じですごしていた。
また、教育実習に行かなければならない、と考えていたので卒業まで5年かける予定を組んでいた。4年生の時点では、会社の許可がおりず、とうてい1ヵ月の休暇をとることができなかったのである。
といって、5年目の年にだって、つまるところ会社の許可がおりたわけではなく、結局わたしは大学を卒業せず、教育実習を受けないまま、教師になるしかなかった。
だから、小学校教員資格認定試験を受検した。
サラリーマンにとって、一か月の教育実習はかなりのハードルなのだ。



さて、通信教育にはコツがある。

コツをつかんで、能率を上げ、効率のよい単位修得を為していくことだ。
道ははっきりしていて、つまりは単位を取得できればよい。
私はそう割り切るしかなかったので、単位修得のための最短距離を、常に考えて居たように思う。

スクーリングとレポートと試験対策。
この3つ。

そして、もっとも大事なのが、スケジュール帳に、いつどの単位を取得するのか、そのための試験はいつなのか、その試験を受験するためのレポート締切はいつなのか、それらをすべて書き込むこと。
私は、そのためのカレンダーを買った。
1月から12月まで、すべて部屋の壁に貼りつけ、習得できた単位を赤○で囲んでいった。
いつもいつも、カレンダーをにらんでいる毎日であった。

(つづく)




大学中退でも教員になれる




大学中退、ということに、なんら引け目を感じなくなった。
それは、やはり正規採用となれたことが大きい。

民間企業では、大学中退、すなわち高卒、という肩書はどううつるのだろう。
私はあまり学歴は重視されない零細?企業で勤めたので、そこのところがよくわからない。

ひとつ言えるのは、学校という公的機関では、大学中退というのはそれほど重要視されず、きちんと就職させてもらえた、ということだ。(もちろん給与などの面で違いはある)

公的機関にとっては、なにより大事なのは、資格の有無である。
基準さえ満たせていれば、きちんと教師として雇ってもらえる。
逆にいえば、「相手の提示する基準」さえ満たせば、就職できるのだ。

なぜこんなことを書くかというと、職員室で相談されたからだ。
職場の先輩、年配の先生に、

「うちの息子のことなんだけどサ・・・」

と相談があった。

つまり、大学に出席せず、まあアルバイトに精を出すかと思えば、不登校(?)のような状態が続き、とうとう中退するかどうか、というところにまでいってしまった、というのだ。
学生の本分を忘れて・・・と、先輩は言っていたが、ようするに、もともとあまり行く目的もなかった、ということらしい。

親としての心配は、

「この子はきちんと自立できるだろうか」
ということである。

この場合の自立は、ようするに
1)自分で生活できる
ということである。

それは言いかえれば、自分で社会に出て人の役にたつ仕事をし、タックスペイヤーになれるか(社会的に認められるか)、とういうことだ。

そこで、どうやらあやしい経歴をもつ、この私に相談をもちかけた、ということらしい。
まあ、比較的私の方がまだ若いので、聞いてみた、ということなのだろう。
(あまり、他に若い人がいないから)

それで、こう答えた。

・学歴はいつでも変更可能→ あとから思い直して通信制大学(通常と同じ学士の資格ももらえる)もいける。もしくは、大学等で科目等履修生として所定の単位を修得したのち、審査(申請書類、学修成果、試験)を通じて学位を取得できるシステムもある。(「大学評価・学位授与機構」での学位取得。)履歴に引け目を感じるのであれば、学歴を変えていくこともできる。


・学位は資格のうちのひとつとわりきる→ 学位がなくても二種の教員免許が取得でき、学級担任もできる。人生いろいろ。要る場合と要らない場合がある。こう考えると、教員というのは、比較的進みやすい道だと思う。民間企業では、「学位なし」は即ハネられることもあろうだろうから。
民間企業の面接で、通信制大学卒業のことを言ったところ、ユーキャンですか?といわれて絶句した友人がいたが、そんな程度の認識レベルの企業もある。


こういう話をすると、

「いざ中退してしまったら、他の人にどう思われるかが気になって、引っ込み思案の子になるんじゃないかと」

さすがに親ならではの心情。
愛を感じる。

子、というのには、少々トシがいきすぎているのではないか、と思うが、大学生になってヒゲが生えても、わが子は「子」なのだろう。

見たままの自分でしかない、と自分を受容するのは大きなテーマだ。
見た目の評価と決別し、自分は自分だと堂々とふるまえるのには時間がかかるのかもしれない。「見た目の評価」は、実は「親の評価」と似通っていたり、大きな影響を受けたりしているものだから、ようするに親離れをしていくことしかない。

この相談をもちかけた、先生自身の「大学中退」に対するイメージが変われば、もしかしたら子どもも楽になるかもしれないな、と少し思う。

しかし、渦中に居れば、気になるのがふつうの感覚なのだろう。
実際に、わたしも正規の教員になるまで、大学中退はなにかしら、心にひっかかるものがあった。一度採用試験に落ちたのは、大学中退だからだろうか、とか、いろいろとこじつけて考えたくなるものだからだ。
しかし、これだけは言える。

教員には、なれる!
ネバーギブアップ!
大学中退でも、教員になれる!
小学校教員資格認定試験もある!
なせば、成る!!!




教員資格認定試験の採点ミスについて




教員資格認定試験がニュースになっている。

追加合格者が5人出たそうだ。
どうして採点ミスが発覚したか。

読売新聞の記事では、

「5人のうち自己採点した1人から「不合格のはずがない」と申し出があり、発覚。」

とある。

つまり、自己採点で、6割を突破していたのだ。

教員資格認定試験では、6割以上、正答があれば、合格する。
これは、採点基準が公開されているので、明らかだ。
5人のうち、不合格のはずがない、と申し出をした人は、エライと思う。

自分の人生だ。
試験は、良かれ悪しかれ、それが人生の大きなターニングポイントをつくってしまう。

いつのころからか、試験というシステムで人の配置を決めるという決まりがつくられ、その社会の仕組みにそって生きていくしかない以上、試験結果に敏感になるのは当然だ。

私は、この試験で現在の職を得た。
今回の件は身近な話題。
ミスに気づいて無事に2次試験に進めた人たちに、最大のエールをおくりたい。




採用試験に向けて




その後、新しい年を迎え、お世話になった職場を去る準備を進めた。
臨時講師の口があり、ほぼ確定できそうだった。

いざ、そうなってみると、自分よりも周囲の人たちがスイスイと動いて、助けてくれた。
後輩もよく仕事を覚えてくれた。
また、会社の関係者からだけでなく、こちらがお世話になったお客様からも、たくさんのエールをいただいた。
ヘマもドジもやったのに・・・。
会社の人たちだけでなく、お客さんまでもが、新しい出発を祝ってくれたのだ。それが、とても嬉しかった。

3月末、仕事を終え、もう二度とくることのない門を出た。
ふりかえってみる。
研究所の新しい標柱が、夜の外灯で光っていた。
顔なじみの守衛さんが、手を振ってくれた。

終わった、という気はしなかった。
まだ、これから。

なによりも、教員採用試験がある。
これに合格しなければ、本当に本当の「安心」にたどり着くことはできない・・・。




介護体験実習に行く




私は大学を卒業していなかったので、なにはともあれ、大学を卒業することにした。
ただし、教育実習は受けなくても良い。
受けなくても、卒業に必要な単位数である125単位を取っていた。この4年間の努力がモノをいう。これで、正式に学士として認められ、卒業できるのだ。

問題は、一週間の介護体験実習であった。
一週間、会社を休んで、どこかの施設で実習をしなければならない。

まあ、でもこれは大丈夫だろう。会社をクビにはされまい。
さすがに一ヶ月はクビだが、一週間ならまだ大丈夫だ。
事前準備で、今の後輩に徹底的に仕込んでおく。
それが来春、辞めるときの布石にもなるだろう、と思った。

ちょっと離れてはいるが、デイケアサービスを行う施設に一週間通った。

一週間、介護体験ができたのは収穫だった。
見知らぬお爺さん、お婆さんとカラオケ。
お風呂から上がったら、ドライヤーで髪をとかしてあげる。
お茶や紅茶、コーヒーを用意して、お運びする。まるで喫茶店のマスターだ。

朝、エプロンをつけて、喫茶店をはじめる。次に、ゲームの相手。体操のお兄さん、風呂屋の三助・・・。
ころころと、さまざまに役どころを変えて、まさに「何でも屋」といった感じ。座るヒマのない一週間。お役に立つ、の一心でやりとげて、いい気持ちだった。

最後に、施設の公印をもらった。
これが、介護体験実習の証明になる。この証明書と必要単位の修得証明書、および卒業証明書を持参すると、一種の免許を取得できるわけだ。

おまけに、卒業に関してちょっとおめでたいことがあった。なんと、首席卒業だったのだ。

卒業式の一週間前に、大学から電話がかかってきた。

「卒業式なんですが、シュセキでした」

これが、早口だったせいもあって、こっちは誤解した。つまり、

「卒業式なんですが、シュッセキでしたか」
という、疑問文だと思った。
出席するかどうかの確認かと思い、
「ハイ」
というと、担当者はあいまいな笑い方をした。
それで、こっちもつられて笑うと、電話は切れた。

ところが卒業式に出向くと、私の席は一番前の一番左端。
さらに、担当者が私にだけ、
「賞状を入れてください」
と言いつつ、手提げ袋を渡してくれる。なんでかな、と思っていると、隣に座っていた人があんたは首席ですよ、というようなことを言うので驚いた。(なるほど、ここまで勉強すると首席になるんだな、と新しい発見をした気分だった。)

卒業式では、最初に前に呼ばれ、首席賞という特別な賞状と記念品をもらった。記念品はSEIKOの腕時計だった。

さて、免許を取得できたので、いよいよ次のステップへ行くことにした。
つまり、講師登録である。
会社を辞めて、現場で働くのだ。いよいよ!!

しかし、不安はあった。
登録をしても、かならず雇用されるか、分からないのだ。
電話で教育委員会に問い合わせをすると、
「必ず勤務できるとは決まっていませんので、ご了承ください」
とクギをさされた。このとき、今の職場を辞めていなくてよかった、と改めて感慨にふけった。

3月になって、残念ですが空きがないので、また今度・・と言われたとき、ショックを受けずにすむ。ちゃんと働く場があるからだ。一定の収入があることも心強い。仮に辞めていた場合、嫁と子を養いつつ、アルバイト代だけでしのぐのはつらかろう。

ともかくも、教育委員会で面接をして、登録をした。
晴れ晴れと教諭免状を持参した。つい先日入手できた、あの、「二種の教諭免状」である。
このときほど嬉しかったことはない。
ついに新しい世界の扉が開いた、という気分だった。

面接をしていただいた方は、これまでの道のりを様々に質問された。
そのまま正直にお答えした。

今でも振り返ると、自分であれこれと計画して進めてきたことが実を結んだことが嬉しく思う。
次の年から、近所の小学校で講師をできることになった。
嫁さんと抱き合って喜んだ。

(つづく)




一種の免許をとるためには




さて、目的の免許を取ってしまったので、大学は行かなくても良くなったかというと、
色々調べているうちにさらに次のことが分かった。

つまり、ニ種の免許を持っていれば、大学で所定の単位を修めることで、一種にグレードアップできる、というのだ。
私はほとんどその単位を取得していた。それを知って、一種への更新計画を練った。
その後、もう一度、地元の教育委員会へ尋ねてみると、

・大学を卒業して「学士」の資格を得ていること
・大学で所定の単位を修得すること
・1週間の介護体験実習を行うこと

この3つを経ることで、一種にできます、ということだった。
これをきいて、よし、いつの日か、一種にするぞ、と誓った。
わたしにも、いつか大学も卒業できる日がくるかもしれない。


ところで、教員資格認定試験に合格してから、よろこんでいるうちに、おめでたいことは続くもので、息子が誕生することになった。

まる2日間、寝ないで付き添ったおかげでくたくただったが、無事に出産。女性はえらい。
親になった実感には、深いものがあった。
はじめて、自分の生きている世の中とがっぷり四つに組んだような気持ちがした。

いろんな感慨が湧いてきた。
この子を、親父として育て上げていく。
嫁さんとも新たな関係が始まる。
おたがいに、夫婦として、さらにやっていくことがある。

赤ん坊は最初の半年くらいはおとなしかった。しかし、ハイハイし始めたと思ったら、じきにつたい歩きをするようになった。公園に連れていくと、うれしそうな顔をする。

スクーリングのない休日など、嫁さんが
「公園でも行ってきてくれない」
と疲れた顔で言うのを聞くと、連れて行ってやらないわけにいかない。
ほとんど寝ていない嫁さんの身体も心配だからだ。

嫁さんの睡眠時間を確保するために親父としてもいろいろと協力する。買い物にも行かねばならない。嫁さんの話し相手にもならないといけない。育児というのは話すことが尽きないようで、それを聞かないと怒る。
こうした結果、親父の私だって、ほとんど休む暇がない。

でも、幸運だった。
ほとんど大きな山を越えていたからだ。
卒業までに仕上げるレポートもほとんどのこっていなかったし、何よりも二種ではあったが、教員免許をもらっていた。
つまり、免許があるということは、臨時採用の講師も希望できる、ということであった。

(つづく)




認定試験対策と二種免状




試験は9月に行われる。
会場は全国の大学、6会場。
私は、横浜国立大学だった。

前もって、教員資格認定試験の試験概要を取り寄せた。
1次試験は、ほぼ学習指導要領からの問題だということが分かったので、指導要領を勉強しておいた。

残暑の厳しい、暑い日だった。
部屋はほとんど冷房がきかず、汗が出る。
きちんとネクタイをしている姿の人もいた。
さすがに、あれでは暑かろう。私はポロシャツ姿だった。1次の服装は合否に関係ないようだ。

1次のマークシート試験は、うまくパスできた。6割できれば合格ラインだ。
2次は専門の論述が試されたが、直前に図書館に通って読み込んだ本がよい本で、これも運良く合格できた。(科目は国語を選択した)
実技の鉄棒は練習しておくべきである。また、表現運動(ダンス)もしかり。
表現運動(ダンス)で、私は本番中、動いているうちに、目が回ってふらふらしてしまった。
しかし、練習を何度も繰り返していたおかげで、身体が次の動きにすぐに動いてくれた。
おかげで、60秒できちっと終わることができた。どこかでダンスの神様が助けてくれたとしか思えない。
鉄棒も、1ヶ月ほど練習した。
「前方支持回転」は、勢いをつけてまわりすぎてしまうこともあるが、勢いが足りないとまわらない。そのあたりの呼吸をつかむために、何度も練習した。これなら大丈夫、と自信がつくまでやった。

結果、2次も合格。ダンスの練習をした甲斐があった、と胸をなでおろした。

2次が合格しても、まだ終わりではない。真に免許をいただくためには、その後に催される実習で合格しなければならない。
実習は横浜の国立小学校へ見学に行く。そして、レポートや集団討論の課題をこなす。
ここで出会った同じ受験生とは、よい縁ができた。
みんな、回り道をして苦労して教師を目指している。最後の試験終了後、みんなで食事会をしたが、それぞれ情熱を語るのがとても気持ちよかった。

最終的に合格の連絡をいただき、通知が郵送されてきた。
すぐに免許取得の申請を行い、二種の免状をいただくことができた。
免状が届いた日は、すき焼きでお祝い。
嫁さんが笑顔でねぎらってくれた。

(つづく)




小学校教員資格認定試験




たまたま家のパソコンで、古いメールを読み返してみていたときだった。
以前お世話になった上司(別の人)から、試験で免許が取れる、ということを教えてもらっているのを思い出した。

そういえば、と思った瞬間、パァーッと悩みが吹き飛んだ。
霧が晴れた気がした。

それは、教員資格認定試験である。
小学校教員資格認定試験とは何か。
通常は、大学、短大、通信などで単位を満たさなければ取得できない教員免許が、試験のみで取得できるしくみだ。

受験者の資格は、高卒である、ということ。
これだけは、私はクリアしていた。

応募要項には、

「高等学校を卒業した者その他大学(短期大学及び文部科学大臣の指定する教員養成機関を含む。)に入学する資格を有する者で,平成20年4月1日における年齢が満20歳以上のもの」

とある。

試験内容は
・1次試験(一般教養、教職、各教科)
・2次試験(論述、実技、面接)
・指導の実践に関する事項にかかわる試験(実習)
とある。

これに合格すれば、教育実習を受けなくてもいいのだ。

しち面倒くさい、転職云々を考えるよりも、これに合格して免許を取得してしまおう。
そう考えた。
でも、これまで通信制でがんばってきたのはナンだったのか。
必死でスクーリングに通い、単位取得に励んできたというのに・・・。
ここがひっかかって、色々調べていくうちに、次のことが分かった。

教員には、一種免許と、二種免許がある。
通信制大学を卒業して、教育実習も受けると、ただちに一種免許がもらえる。
しかし、資格認定試験の合格者は、二種免許しかもらえない。

二種でいいや、と決めた。
二種でも、ちゃんと教壇に立てる。学級担任にもなれる。
30歳から教師を目指した身である。ぜいたくは言ってられない。
それよりも、新しい仕事に慣れるまでの苦労を想像すると、できるだけ転職はしたくなかった。

試験に合格すれば、なんといっても、今の仕事を辞めずに済む。
たしかにキツい仕事だが、生活の保障はある。
この先、何年かかるかわからない挑戦だ。
いったんでも、正規の雇用を離れるのは、不安でしかたがない。

「今の仕事の次にするのは、ぜったいに教師だぞ」
その安心感の方が大事だった。

試験に向けて、照準を合わせ始めた。
あとで考えれば考えるほど、この試験はありがたい存在であった。

ともかくも、一ヶ月間の教育実習を、受けなくて良いのだから。
「教育実習」という、サラリーマンにとっての最大の壁を、これでクリアできるのだから。

(つづく)




サラリーマンにとっての「教育実習」という壁




3年が終わったとき、単位を計算してみると、ありがたいことに順調である。
このままいけば、すべての単位を4年で取り終えることができそうだった。

しかし、問題が残っていた。
小学校の教職免許を取得するためには、教育実習へ行かなければならない。
しかも、その期間がよく分からない。実習先の小学校の都合で決まるようだ。たとえ、こちらがいくら春がいいと思っていても、希望をかなえてくれるわけではなさそうだった。

これには困った。

1ヶ月も仕事を休むことはできない。
セキュリティ担当者が1ヶ月も休めば、待っているのはクビである。
前から実習が1ヶ月間だということは、わかっていた。
それでも、仕方ない、その直前に辞めればいいだろう、というくらいしか考えていなかった。

しかし、仕事を辞めるというのは大きなことである。
辞めるというのがだんだんと身に迫ってくると、考えが変わってきた。

辞めるとは、仕事を丸投げする、ということだ。
職場の人に、多大な迷惑がかかる。
客にはどう説明をするのか。

もし、辞めないで、一ヶ月経ったら戻ってくる、ということは可能だろうか。

一週間、頭の中が、爆発しそうなくらいに、考えた。

不安材料は、いくらもある。

私が一ヶ月間、職場を離れる間。
代わりの人材をあてがうにしても、それで、これまでと同程度の水準の仕事ができるのか。
代わりの人材を育てるのに、どれだけ時間がかかるか。
その人材を育てる間の給与を、だれが払うのか。(どの企業が持つのか)
その、身代わりになってくれた人材は、私が一ヵ月後に帰ってきたら、どこへ行けばよいのか。そんな、テンポラリに動いてくれる人材など、いないではないか。


では、辞めてしまうのか。
一身上の都合で、ということで、うしろを振り向かず、後(あと)の事は会社にお任せして、「サヨナラ、お世話になりました!」と言うのか。

会社を辞めれば、もちろん、教育実習を受けられる。
すなわち、単位がしっかりもらえるから、卒業や免許取得という夢は叶う。

・・・とはいうものの・・・

これもまた、悶絶するほど、悩みが深い。

・辞めたとたん、給与が入ってこない。
・嫁さんはまだ学生である。暮らしはどうなるのか。
・実習後、どうやって稼いでいくのか。
・新しい職がすぐ見つかるだろうか、仕事に慣れるだろうか・・・。


難問だった。はて、どうするか。

たとえば、実習が9月に指定されたとする。
8月末日で会社を辞める。これは可能だ。
9月いっぱいは、給与で家賃を払える。
では、10月からはどうするのか。
教職採用試験の行われる来夏まで、どうやって食いつなぐのか。

その間、またもや新しい仕事を覚えて、やりくりしていくのだろうか。
新しいことを始めるのに、どれほどエネルギーが要るか。
一度、そのおそろしさを体験した身には、転職する、ということがとてもタイヘンなことに思えた。また、履歴書を何枚も書くのだろうか。何社も面接するのか。そんなタイヘンな思いをしながら、採用試験にチャレンジできるのだろうか。

あれこれ考えると、とても不安になる。
大学で行われた、教育実習の事前指導に参加しながら、3度目の転職を余儀なくされるぞ、どうしよう、と考え込んでしまった。

しかし、本来の目的は免許取得である。迷わず、教育実習の登録カードに記入して、提出をした。



心境的には、もう新しい仕事はやりたくなかった。
次の転職は、学校へ、の転職でありたい。
つまり、次のステージは、教師としての自分で出発したい。
この思いは、どうしようもなく、大きかった。ふっきれるほど軽いものではなかった。
なんとか、転職せずに済む方法がないだろうか。

教育実習をする期間が分からない、というのが最も気になることである。
なにしろ、数年がかりの予定を組んでいる身にとって、春なのか秋なのか、はたまた冬なのか、いつ実習があるのか分からないのがつらい。
予定帳やカレンダーにも、それが書き込めないのだ。
上司には、仕事はいつ辞めると言えば良いのか。
いくらかの貯金はあっても、仕事を辞める、というストレスには大きなものがある。
第一、採用試験に合格するのがいつになるのか、まったく見当がつかない。
アルバイト程度で食いつなぐこともできるが、この先、フリーターをずっと続けていくのはしんどい。派遣で職場を転々とするか。2年後、3年後に必ず受かる、というのであればそれまで頑張れる。しかし、なんといっても、その保証がないのだ。

「おれって、このままいって、大丈夫なのかなあ」

正直、本当に不安だった。
しかし、そこに、なんとも幸運な情報がとびこんでくる。
これには本当に感謝しないわけにいかなかった。

(つづく)





レポートを書き続けること




「新婚旅行、どこがいいと思う?オーストラリアは?」

嫁さんも最初はこんな言い方で話題を振ってきていたが、見かねてなのか、

「もう旅行、行かなくてもいいから」

と言うようになっていた。
正直、この言葉に救われた気持ちだった。

ちゃんとした教師になって、受験も合格したら、のびのびと旅行しようよ」

なんとありがたい嫁さんだろう。

レポートが返ってくると、成績がついてくる。
ほとんどAだった。
これも励みになった。
試験もほとんどAであった。
やれば結果が出るな、と思った。

勉強を10年ぶりにしていることで、ようやく頭が回転しはじめたらしい。レポートが苦でなくなってきた。それに、いろいろと知りたい、という気持ちがどんどん湧いてくる。勉強ってあんがいと面白いなあ、というのが、不思議と実感できる日々だった。

コンピューターやセキュリティのことだけやっていたら、頭がどうかなっていたかもしれない。逆に大学のさまざまな教科の勉強をしたおかげで、ちょうどよく、リラックスできていたんじゃないだろうか。

結婚式は11月、市内のレストランで、格安に行った。
地味ではあったが60人の家族や親戚、友人たちが集まり、祝ってくれた。
式の翌日、頭がふらふらしたが、玄関でいつものとおり靴を履いた。

行き先は空港でもオーストラリアでもなく、いつもと同じ職場だった。

(つづく)




目的は免許取得




「旅行になんていってる余裕ないな」

自分の代わりができる人材を育てる時間がない。
システムを自分が理解することだけで必死だったから、他の誰にも、十分に内容を伝えていなかった。
自分ならなんとかできそうなことも、それを人に伝える、というのは膨大なエネルギーが要る。
旅行に行く、と宣言すれば、そのための準備が必要だった。自分を送り出すために、自分の代わりをする人をつくらなければならない。
たとえ、旅行期間が3、4日間ほどであっても。

そろそろ結婚式を、という話を、職場の人にするかどうか迷った。
慣れない職場。周囲はみんな、コンピューターに一途な人たちばかり。別の言い方でいうと、あまりこれまでつきあったことのないタイプの人たちだった。お昼ごはんをできるだけいっしょに食べるようにしていたが、まだ結婚式に呼ぶほどの仲ではなかった。

結婚する、新婚旅行に行くつもりだ、ということがいえないまま、嫁さんと式の準備を進めた。
ドレスを選び、会場を選び、古い友達に司会進行を頼み、出席の返事を集め、としているうちに、さすがに身体がバテてきた。
ときには深夜に及ぶ機器のトラブル。
この仕事が、けっこうきついことが分かってきたが、あとの祭りだ。

それでも自分にとっての第一目的は免許取得だ、という気持ちは、ぶれることがなかった。
スクーリングも試験も、レポートも、これだけは、という気持ちで続けた。
コツは、生活をシンプルにすることだ。
部屋も整理して、余計なものをおかない。
机の上をきれいにしておく。
疲れていると、やる気になれない。
だから、最低、机の上は整理する。そして、ふとした気持ちで、とりかかれるようにしておく。
買い物をすると家に余計なものが増えるから、買い物もほとんどしなかった。

シンプルに、シンプルに。
座右の銘のように唱えながら、毎日の暮らしを淡々と進める。
こうした気持ちで机にすわれば、レポートも、少しづつ書く気になれた。

(つづく)




二足のわらじとスクーリング




式のことをいろいろと進めていくうちに、新婚旅行の話になる。
嫁さんは、ピンク色のふせんを、ブライダル雑誌のここかしこに貼り付けながら、いろいろと話をする。

けれども、これがむずかしい。
新しい職場でいつの間にか、セキュリティ担当者になっていた。
24時間、システムにおかしなことがあったり、ウイルスや攻撃があるとすぐに私の手元に電話が入る。私が担当者で本当にいいのか、と不安だらけだったが、任されてしまった。
この担当者に任じられたとき、

「旅行になんか、行ってられるのかな」
と小さな不安がちら、とよぎった。

毎日のようにトラブルが起きる。泣きそうになりながら勉強し、なんとか、ようやくのことで対処をする。
このくり返しをするうちに、大体のことなら彼がやれるだろう、ということになったようだ。
職場に来て半年ほど経ったときに、シスアドの資格やベンダー各社の資格を取ったことも、上司の気分にいくらか影響したらしい。

スクーリングもゆっくりと受けていられなくなった。
スクーリングのある土日は、緊張している。
一応、朝の時点で、何事もないことを確認する。
さらに顧客からの電話着信がないと、ホッとして、スクーリングを受けに大学へ行く。
試験の最中も、携帯が鳴らないことを念じながら受ける。
この土日が無事に終わると、本当に安堵のため息が出た。

一度、スクーリングの始まる直前に、コールが入ったことがあった。

「ウイルス騒ぎが起きているんです」
「誰かいませんか」
祈るような気持ちで聞いたが、
「それが、わかる人がいないんです」

すぐに職場に向かう、ということにして、急いで試験だけ受けた。
試験を延期すると、卒業までの緻密な計画が徐々に狂いだす。それがいやだった。
試験が終わった瞬間、ダッシュでバスに乗り、現場へ向かった。

転職したばかり、という甘い気持ちは、すぐに吹き飛んでいた。もう責任者になってしまっている。まだそれほど慣れてない気持ちもあったのに、仕事の上では一人前扱いをされていた。30過ぎれば、当然といえば当然なのかもしれないが、二足のわらじを履いた自分には、何か重たいものをしょっている気分がずっと続いた。

(つづく)




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