30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。

教師とは・・・

不安の強い担任にはなるな

担任の不安が強いと、生徒をどうしても変えたくなる。

生徒を問題視するからだ。

教頭の不安が強いと、先生たちをどうしても変えたくなる。

先生を問題視するからだ。

校長の不安が強いと、この学校は良くないという情報になって父兄に伝わる。

学校を問題視するからだ。

不安は、形を変えて、どんどんと伝わる。

大人が不安を抱えていると、どうしても、子どもを助ける、のでなくて
子どもに「助けて!」と言っているような大人になってしまう。

子どもに不安をぶつけ、子どもに自分の不安を解消してほしい、と
どこかで願うような大人は、

心の状態が安定している人をみると、

「どうして問題だと感じないのだ!」

と問題視する。

問題視するのが癖になってしまって、目の奥が落ちくぼんでするどい顔つきになっている。

で、子どもはそういう「背後に隠れた」先生の不安を感じ、息苦しさを感じている。


先生の心配をしなきゃならない場合、子どもはずいぶんと疲弊してしまいます。
われわれにとって大切なのことは、子どもに心配をかけない大人になることです。

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【星新一風・短編小説】謎の曜日

S氏は小学校の教員だった。
土日にはわが子が通っているサッカースクールの遠征に他県まで付き合い、疲れて帰宅する。
「明日からまた授業か・・・」

さて、場所は変わって、小学校。
授業が終わって放課後、職員室で深いため息をつく。
「月曜日なのにこの疲労感か。なんのための休日なんだろ」

それを聞いた同僚のN先生が同意する。
「ほんとよねえ。月から金まではクラスの子たちを世話する。土日はわが子の世話。まったく気の休まらない毎日だわ・・・」

次の土日もまた遠征。
今度はちがうサッカー場。
試合後、息子のユニフォームやスパイクを車に積みながら、S氏はため息をつく。
「今日はまた遅くなりそうだぞ、こりゃ」

サッカーの試合を終えて、高速道路をとばし、帰宅する。
すでに後ろの席で眠り込んでいる息子の寝顔を、バックミラーで見ながら
「明日からまた授業か」
とつぶやく。
S氏にとっては、休んで良い曜日など無いのだ。


ところが、だ。

次の朝、起きてみると、なんだか目覚めがちがう。
ふしぎと身体が、休日の朝を迎えたかのような感覚を覚えた。

「あれ。今日は月曜日だよな。出勤しなきゃ」

慌てて着替えてリビングへ行くと、まだ着替えてもいない妻がいた。
パジャマ姿のままだ。
ぼうっとして、冷蔵庫の扉に手をかけたまま、立ちすくんでいる。

「なんだ、そんなところで。今日は月曜日だぞ」

「そうよねえ」
妻の目が定まらない。
「わたしも月曜日だと思って、朝食をつくりにきたのよ。でも、こうやって冷蔵庫の前に来たら、なんだかどうしても、今日が休日だったような気もしてきたのよ。どうしてなのかしら」

妻にそういわれると、そういう気もしてくる。
「あれ。おかしいな」
妻の口から「休日」という言葉が出てきた瞬間、自分の脳裏に
「そうだ、今日は休日だったはずだ」
という強い感覚がよみがえってきたのだ。

「あ、そうだった。なんだっけ?祝日なんじゃなかったっけかな?」

そういって、リビングにあるカレンダーにふと目をやって、驚いた。

カレンダーの今日の日付が、おかしいのだ。

「あれ?今日は8日のはずだが・・・」

カレンダーに目をやる。
「たしかに昨日は・・・7日の日曜日だったよな」

きのうの日付け、7日の場所にはS氏の手で、マジックの赤い丸が書かれている。
そして、「Y県I市へサッカー遠征」という字がはっきりと。

しかし、その隣の今日の日付け、8日が見当たらない。
ちょっと待てよ?あれ、どうしたんだ?なにかがおかしい・・・。

良く見直してみると、7日の隣にうっすらと7の字が消えかかったようになった別の字が印刷してある。あきらかに、印刷ミスのように見えた。

「あれ。このカレンダー、まちがっているんじゃないか」

もう一度、目を凝らしてしっかりと横の方をみてみると、ちゃんと次の日が8日で、しかも月曜日だ、という枠があった。
つまり、今日を示す曜日だけが、不自然に増えているのだ。

ええーっ。どうなっているんだ。

サッカー部の息子が、起きてリビングへやってきた。

「お父さん、今日は学校、あるんだっけ?ないんだっけ?」
「なに寝ぼけたことを言っているんだ、昨日が日曜日で、今日は月曜日だろう。学校のしたくをしなさい」
「あれー。やっぱそうか。なんか、今日が休みだったような気がして・・・」
「おいおい、お前までおかしなことになってないか」

やはり。なにかがおかしいようだ。
S氏はそういいながら、思い出そう、思い出そう、としていた。
「今日が休みの日である理由。なんだっけな。祝日なのか、どうだったっけ」

しかし、そうやって思い出そう、思い出そう、とすればするほど、笑いたくなるくらいに、今日が休みの日だろう、という感覚がはっきりしてくる。
もはやその感覚は、どうしようもなく確信に近づいていた。
「なにか理由は忘れたが、どうやら今日は仕事にはいかなくてよい日だった気がするぞ。なんでだったかは忘れたが。しかし、どうにも気になる。いったい今日は何の日だったのか・・・」

S氏は椅子に腰を掛け、テレビをつけてみた。

テレビのキャスターが映り、ニュースをやっていた。
「あれ。ふつうだな」

S氏が言い終わらないうちに、キャスターが緊張した表情で言い始めた。

「たしかに、今日は何曜日だったのか、さきほどからみなさんにお伝えすることができていません。番組にはさきほどからたくさんの視聴者の皆様からの問い合わせが相次いでおります。ただいまも、お電話が鳴りっぱなしです」

テレビの画面の右端には、時刻が表示されている。
それはいつもと変わらない。
しかし、いつもテロップとして出ているはずの、曜日のところだけが、抜けていた。

「ええ、スタジオも混乱しております。現場の誰も、今日が何曜日だったのか、覚えている者がおりません!」

S氏は立ち上がって受話器をとり、職場の電話番号を回した。
しばらくたって、教頭が出た。

「あ、教頭先生でしょうか。おはようございます」
教頭はぶぜんとした声で言った。

「S先生ですか。S先生も分からないんですか!」
その声の調子から、S氏は目が覚めたようになった。

「あ、今日はやはり、出勤日でしたか。しまった。急いで学校へ向かいます!」
「来るには及ばん」
教頭はぶっきらぼうに言った。

「今日が何曜日なのか、さっきから保護者からの問い合わせが続いている。しかし、わたしもそうだが、誰もそれが分からんのです。一応わたしは学校へ来てみたが、他の先生はだあれもここには来ておりませんぞ」
「校長先生はごぞんじないですか」
「校長先生も、さきほど、今日は休んでもいいはずだ、理由はわからんが、とおっしゃって電話を切られた」

なにがどうなっているんだろう。

テレビ画面では天気予報をやっていた。
週間天気予報が映し出されたが、今日のところだけ、曜日が書いていない。明日が8日で月曜日だ、ということだけははっきりと書いてある。

「いったい、今日って何曜日なのかしら」

妻があくびをしながら、また言った。

「月曜日でないのなら、もう一度寝てもいい?」
「まったくのんきだなあ。もしかして月曜日だったらどうするんだい?」
「だって、今の天気予報だって、あしたが月曜日って言ったじゃないの」
たしかにそうだ。じゃあ、いったい今日は何曜日だというのだろう。

テレビでは首相が映し出された。
首相官邸の前にはすでに多くのマスコミが詰めかけ、押すな押すなの騒ぎだ。
マイクを何本も突き付けられ、困惑した表情の首相が言った。

「我が国では、突然今朝、今日がいったい何曜日だったのかが判然としない状況となりました。国中のどのカレンダーを見ても、カレンダーと言うカレンダーがすべて、今日をうまく表示できていない、という報告を受けております。外務省を通じてワシントンやロンドン、パリ、モスクワや北京とも連絡をとりましたが、どの国でも本日が何曜日であったのか、不明という状態であるようです。したがって、本日は・・・」

マスコミの記者たちがいっせいに前に体を寄せる。
そして、首相の顔の前のマイクをさらにグイっと前へ押し出した。
いったい、今日が何曜日だというのだろう。

「本日が何曜日かということですが、個別の案件にはお答えすることを控えさせていただきます」

マスコミから怒号が飛んだ。
「国民はみんな知りたがっています!」
「そうだ!学校だってJRだって、曜日で動いているんです!」

首相は再度、苦虫をかみつぶしたような顔をした。
そして、なにかを言おうとした。
カメラがさらにその顔をズームにし、記者のマイクが詰め寄った。

「まったく問題ありません。以上。通してください」
「首相!こたえてください!」

首相は仏頂面のまま、車に乗り込もうとした。
マスコミの記者たちがそうはさせまいとして道を阻もうとする。
屈強な体をした黒服のSPたちが、首相のまわりを囲んでもみあいになった。

記者が叫ぶ。
「国民の生活を無視するつもりですか!」
首相がSPの体の向こうから、ひょいと首だけ出して言った。
「その指摘は全くあたらない。粛々と進める方針は、いささかも揺らぐことはない」
「進めるって言ったって、今日が何曜日なのかが分からなきゃ、進めようがないじゃありませんか!」

首相はなにがおかしいのか、顔の下半分で笑み浮かべたまま答えている。
「よく意味がわからないというのが率直なところ。はい、はい、そこを通して!」

女性の記者が金切声をあげた。
「国民の生活なんかどうでもいいというのですか!国民にとっては大事な案件ですよ!」

首相はもはや眠たそうな顔にさえなっていた。
「ああー、まったく問題がない、と言っておりますぞ。レッテル貼りはやめていただきたい。」

テレビの中継は、そこで切れた。

画面がキャスターのいるスタジオに戻ると、困惑したキャスターが続けた。

「今日はいったい何曜日なのか、世界中が曜日を失って、途方に暮れております。わたくしどもは番組を続けますが、曜日が失われた以上、世界中で混乱が予想されます。どなたも冷静になりましょう。非常事態とも言うべき状況です。」

見ると、画面の右上に、巨大なテロップが出た。

「謎曜日」

「へええ。今日はなぞ曜日か。なぞなぞみたいで面白いね、お父さん」
隣で見ていた息子が言った。
「たぶん、学校、ないよね?」
「ああ。たぶんね。」

S氏はぐいっとのびをした。

学校はこの調子では、休みだろう。
妻はもう2階に上っていった。もう一度寝るらしい。

「ねえねえ、お父さん、曜日がなくなったらどんなふうに混乱するの?」
「うーん」
息子はなんだか楽しそうに聞いてきた。

S氏は庭を眺めた。

「混乱、ねえ」

太陽はふつうにのぼり、あさの光が庭を照らしている。
道の向こうの畑には雲雀(ひばり)がいて、鳴いていた。
しずかに、風がそよいでいる。

「べつに混乱など、しちゃいないな」

息子がテレビのチャンネルを次々に変えながら、

「謎曜日♪、謎曜日♪」

と口ずさむのが聞こえた。

曜日

評価って何だろう~自問自答シリーズ~

算数の授業中に、それは突如として訪れました。

「評価」ってなんだろう、という問いです。

正しい評価ってなんだろう、というのは、いつも教員についてまわる「自問」です。

今、5年生は分数の足し算引き算を学習しております。

ご存じの通り、分母が異なる分数の場合は、ちょっと計算がやっかいですな。

つまり、分母を同じ数にしておかねば、計算がスッとはできません。

そう、「通分」をしてから、足し算引き算をするわけですね。

ちょうどその「通分」をどうしてするのか、というところをあれこれと子どもたちと悩んでいる途中、ある児童がですね、

「通分考えた人、あたまいいー」

と面白いことを言ったわけです。

わたしは通分を人類ではじめて考えた人がだれか分からないのですが、

まあ、分数、というものを考えた時点で、通分、ということはそこから自然と導き出されるものでしょう。2分の1という大きさは、4分の2、と同じ大きさなのですから。分数がそういう定義である以上、通分、という仕草は、算数の数理の世界には、当然のように現れてくるのでしょう。

ところが、その子は、だれかが異分母の加減算をするために、

「通分」

を発明したようにイメージしたのです。
そして、「すごい!」「この人、天才か」と思ったわけですね。


クラスの仲間もわたしも、
「そうじゃないでしょ。発明したとかじゃないでしょ」
と思いました。

それでもその子が、
「通分」という数理計算上の工夫?について、「スゴイ」と感動した、高評価を出した、ということが面白くて、ちょっと教室に笑いが起きました。

わたしはそのときに突如、モディリアーニを思い出して、ちょっと算数なのに、モディリアーニの話をしちゃいました。

モディリアーニはご存じのとおり、イケメンのイタリア人画家で、生前はあまり絵が売れずに世間的にはほとんど話題になることなく死にました。

ところが、そのモディリアーニを評価する人物が新聞にその記事を書いたり、少数のパトロンたちが運動をしたりして、それをもとにモディリアーニは世界でも有数の画家となるのですね。

わたしは幼いころ、名古屋市の美術館がモディリアーニのおさげ髪の少女を買ったためにモディリアーニを知り、父も好きで良く模写をしていたことからそのちょいと変わった作風が好きでありました。

わたしがモディリアーニを現在こうして楽しめるのは、当人のモディリアーニのおかげでもありますが、やはりそのモディリアーニの絵の価値を知り、その価値を認めた人がいたからですね。

画家はそういう人が多いですね。ゴッホもそうだと聞いたことがあります。

少数でもパトロンがいて、その絵の価値を正しく見てくださらなかったとしたら、私のような大陸から離れた島国に住む東洋の人間が、彼らの作品を見て楽しむことなんてできません。

つまり、「正しくその価値を認める」ということには、かなりの価値がある、ということです。
価値を認める能力にこそ、価値がある、というわけです。

となると、「通分」の良さをきちんと指摘して感動すらできた、という、この子のセンスは、まったくもって素晴らしいわけですね。価値を認める能力が、ある、というわけで。

わたしは子どものころ、通分に感動したかというと、まったくそんなセンスは持ち合わせておらず、ただひたすら

「算数なんて、くだらないなあ、ちっ」

としか思っていなかったと思います。

そういう私が、くだらなかった、のですな。よくあるパターンです。

osagegami

幻の『はごろもチョーク』

羽衣文具は、名古屋のメーカーであった。
わたしは子どものころから名古屋だったので、まあ、羽衣チョークで育った、といっても過言ではない。わたしの母校で使用されていたのも、もちろん、はごろもチョークだった。

はごろもチョークの中でも品質の高いものは、世界中で絶大な人気を誇った。
世界中の教員が、「HAGOROMO」ブランドを愛したのだ。
しかし、羽衣文具は、しばらく前に諸般の事情から廃業してしまう。
このときは、大変な「はごろもロス」が起こり、世界中の教員がその廃業を惜しんだ。

わたしの勤務校でも、やはり羽衣は使えない。いつも事務の先生が買ってくださるチョークは、他社の安めのチョークであります。まあ仕方がない。税金ですからね。

しかし、教師になりたてのころは、羽衣チョークでしたよ。
今でもなつかしく、思い出します。
事務の先生のところへ行くと、スチール棚にいっぱい、「はごろも」のマークが入ったチョーク箱がおいてあり、わたしはたまにそこからチョークをもらい受けて、教室で使ったものです。
いい感触でしたね。口の中でやさしく溶けるラムネのような。

羽衣チョークの良さは、きめが細かく、毛筆のように黒板に字が書けたことである。
とめ、はらい、はね、などのこまかいところが、羽衣チョークなら、とてもよく表現できた。
だから、『むかしの先生の方が字が上手だった』という人も、世の中には多くいるのではないかと思う。

世界中の大学で、羽衣チョークは特別に愛されていた。
羽衣文具が廃業するとなったとき、世界中の大学から注文が殺到し、多くの学者が「わたしがリタイアするまでの分を確保せねば」と考えたことが分かり、ニュースにもなった。
イギリスのケンブリッジの理化学の教授やら、マサチューセッツ工科大の数学や物理の教授、フランス、イタリア、世界中が「はごろも」ブランドとの別れを惜しんで、その様子が報道された。


さて、はごろもの品質は、製造工程にもひみつがあったが、従業員たちがもう非常に几帳面にルールをまもって仕事をした、ということにも支えられていた。
人間には、「慣れてきたことでの手抜き」というのがあるのだろうが、はごろも文具には、それが無かった。

その羽衣チョークが手に入りました。
わずかですが、はごろも文具の工場の道具を一式買い取って、つくりつづけようとしてくれた方がいたそうである。

ちょっと自分のモチベーションをあげるために、自分のエンジン回転数を高めるために、ときおり、スーパーアイテムとして使いたいと思います。

ひとは、アイテムに助けられることもある。
人間と道具、という関係は、なかなか深いものです。

「しなりある羽衣チョークを携えて三十四年の教師生活」(愛川弘文)

どうです? いい短歌でしょう。
この歌を詠んだ愛川先生は、わたしはお会いしたことはないですが、とても幸福な教員生活を送られたのだと思いますネ。

Sはごろも3

23歳の青年と話す・・・50歳のおっさん

自分が座っている職員室の席のことを書きたい。
となりに、23歳の青年が座っている。
新人の先生だ。

ものすごくよくできた青年で、わたしはうんと尊敬している。
自分が23歳だったころを考えると、隣席の青年がいかによくできた人なのか、いつも感動するのだ。

物腰が落ち着いていて、やわらかく、清潔感にあふれ、正直で、素直である。
この青年が、わが町岡崎の教員になってくれていて、本当によかったと思う。

さて、その23歳の新米先生と話すと、けげんそうに、
「あらま先生はいったいどこに住んでいたのですか」
ということを質問してくる。

これは返答に窮する。
いろんなところに住んでいたからだ。
また、仕事でいろんなところへ出かけたからだ。
日本の各地へでかけた。

5年生の社会科は、日本全国の農業や産業について学ぶ。
わたしが知っていることや体験したことをもとに授業の素材を考えていると、
隣席の新米教師から、

「え?みかん収穫をしたことがあるんですか?」
とか、
「え?林業をしたんですか?」
とか、
「え?北海道で牛を追いかけたんですか?」
とか、その都度聞かれる。
もう、自分でも不思議なくらいに体験談が出てくるのだ。

これらの経験はすべて、自分が今の世の中を考えるときの、下地になっている。
いちばん自分でよかったと思えるのは、この地球という土地は、あるいは日本というのは、ずいぶん豊かな土地だということを、肌で感じていることだ。この感覚は、20代のころから、何一つ変わりがない。

この地球という星は、あるいはこの世の中というのは、あるいは人間と言う生物は、なんという豊かさに包まれているのだろう、という感じ。
これは、20代の最初に感じていることを、今でもまったく同じように感じながら生きている。
だからだろうか。わたしは自分の中身が何一つ、20代のころと変わらないように思う。

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ここで、提言したいことがある。

日本の小学校は、過疎地の廃校を利用した合宿教育体制を作ってはどうだろうか。
都市圏の子どもたちみんなに、実際に農山村に触れて、農業を啓発される機会を作るのだ。
すでに多くの人が、これと同じことを言っている。
ところが、まだ実現はしていない。
まじめにやれたら、どんなにすばらしいかと思う。

日本にはすばらしい観光資源が無数にある。
また、優れた自然環境が存在している。
観光・農業・教育の条件は、すべて揃っているようだ。
「金儲け」を目指すのではなく、人の幸福を目指した社会を生み出すことができる、すばらしい国の一つではないかとさえ、思う。

「ぼくは、新間先生のように、日本はすばらしいとか、なかなか言えないです。他を見たことがないんで」

私の中には、この国がいかにすばらしいか、という思いがある。


たしかに、腐った時代もある。とくに昭和初期の圧政、圧迫。
国民をだました政治家と軍部は、狂っていた。
日本は神の国、という一つのドグマで、人を支配しようとした。
それは、うまくいかなかった。「これしかない」「この道しかない」というような、ある決められた一つきりのドグマで、人間社会を支配しようとしても、うまくいかないのだ。〇〇主義は、一つに偏ってしまうことで、人間社会をゆがめてしまう。これ以外はダメ、という白黒主義は、狭い視野をつくる。ヘイト・排除主義は、けっしてうまくいかない。
この国は、特に昭和の初期から、これまでに間違ったことも経験した。
しかし、この国の自然と人間自体は、本当は・・・素晴らしいはず。

その国の誇りを子どもたちが取り戻すためにも、子どもたちの農業体験は行政がすすめてほしいと思う。親もついでに、参勤交代すればいい。江戸と地方を行ったり来たり。半年くらいで。

ちょうどコロナだ。東京の密を、緩和しよう。
国が国民に現金をわたし、半年間、好きな地方で農業体験をするってのはどうだろう。
大企業の内部留保をこの際、使えばいい。
もう、日本は、元のような大企業依存の社会には、もどらないのだから。
チャンスだと思う。

「成長」だけが良いのではない。
ゆるやかなフェードアウト、静かな規模への縮小をだんだんと。
だれもが傷つきにくいような、順序やスピードを考えて、すこしずつ縮小していく道を。
人口は減っている。増える見込みは薄い。どうしたって、空き家、空きビルは増える。
ここちよい、お互いを大切にしあえる人間関係至上の社会へ、しずかにゆるやかにシフトする道をさぐろう。

子どもたちとそんな将来を描くような、未来をひらく学びをしてみたい。

tokyo

教員の警戒心について

これまでの仕事歴を振り返ってみて、教員歴がいちばん長くなった。
転職を繰り返した身であれば、このことにやや、感慨深い思いが浮かんでくる。

教員の職業病であろうか。
どこか、自分のこころの動きに対して、いつも警戒するようになった。

複数の子どもを毎日観察していると、この子はいったい何を考えたり感じたりしているのかな、とわかりそうでわからない。
わからないので、結局、自分の都合で子どもの気持ちを解釈してしまうだろう、と思う。
そのことの警戒心が、常にある。我ながら、面倒くさい。

子どもと暮らしていると、その行動や性格にもいろいろと個性があることに気づく。一生懸命にルールを遵守しようとする子、先生の仕事を手伝おうとする子、話をよく聞いているような感じの子、一生懸命にそうじをしてくれている子、そんなのどーでもいい子・・・

教員らしく、一生懸命に子どもを理解しようと思えば思うほど、
「ま、これは俺の勝手な感想だネ・・・」
という諦念がつきまとう。

しかし、そのことがわかっているのに、それでもなお、観察しようとしてしまう。
病気である。『観察病』だ。

その病の良くないところは、「徒労感」である。
だって、けっきょく、その子のことがわかるはずないもの。
ただの、予想であり、ただの、自分勝手な感想を持つだけのこと。
教員は無力です。

ただひたすら、座禅を組むようなものです。
「師匠、なぜ座禅を組むのですか!?」
「意味を問うな。ただ、ひたすら組むのだ」

只管打座(しかんだざ)、という言葉の通り、ただひたすら、子どもを観察するのであります。
観察したからと言って、なにもいいことはありません。
でも、観察するのです。

そんなふうに言いながら、
「きっと、なにか良いことがあるんだろう」
って思われるでしょう?

ところが!観察したところで、なにも良いことはないのです。
15年教師をやっても、何も得られません。

ところが、いいことは、なくてもいいのです。
良いことが、なにひとつ起きなくても、大丈夫。
教員と子どもの関係は、
不安と圧迫と誤解と決めつけがなければ、両者は極楽の関係です。
なにもいいことがなくてもネ。

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ハートにファイアのメロディで

ビリー・ジョエルをご存じだろうか。
甘い歌声、渋いマスク、印象的なサウンド。
日本のCMにも、たくさん彼の楽曲が使われた。
彼に関して、一番有名な出来事は、世界初のCDとして作られたのが彼のアルバムだったということかも。(ニューヨーク52番街)

そのビリー・ジョエルの人気曲で、「ハートにファイア(We Didn't Start The Fire)」というのがある。ご存じの方も多いでしょう。

この歌の面白い?ところは、歌詞の意味がないようにも思えるところ。
「ハートにファイア」の詩はアメリカ史が淡々と紹介されるだけです。

♪ Harry Truman, Doris Day, Red China, Johnnie Ray
South Pacific, Walter Winchell, Joe DiMaggio・・・

曲の出だしは1949年に活躍したり話題になったりした人の名前がずらっと続きます。
(ちなみに1949年はビリーが生まれた年)

しばらくこんな歴史上の人物や事件を示す単語がずらーっと続いた後、
「We Didn't Start The Fire(火をつけたのは僕たちじゃない)」とサビが続くのですが・・・

聴き続けていると・・・次第に、
なんとまあ、人間は飽きもせずにあれこれと事件を起こすのだろう、という気分になってくる。

♪ Joe McCarthy, Richard Nixon, Studebaker, Television
North Korea, South Korea, Marilyn Monroe・・・

この歌はなんと5番まであるのだけれど、とくに曲の後半部分はサビではなくAメロがどんどん盛り上がっていく流れになっています。そしてAメロの最後にビリー・ジョエルが、こう叫ぶのであります。

 I can't take it anymore
 もうこれ以上はゴメンだ!

そう、ここは “We” ではなく“I”ですから、
限りなく彼個人の心情を、自分の言葉で言った、という感じでしょうか。

なぜこんなことを思い出しているかというと、
先日、ふと学校の階段の手すりを消毒しながら、思いもかけず、この楽曲が頭の中に浮かんできたからであります。

(以下、ハートにファイアのメロディで)
♪ 窓、床、ノブ、子どもの机、フック、椅子、ロッカー棚、音楽室の椅子、図書室のテーブル、階段の手すり、理科で使う虫眼鏡、ブランコのくさり、体育のボール、跳び箱、鉄棒、一輪車、図書館の本・・・♪

子どもの手の触れる場所を消毒せよ、という指示ですから、先生たちは子どもたちが下校した後に消毒作業をするわけで、その場所を列挙すると、この曲の気分が合ってくるわけ。

それにしても、ウイルス感染対策をとるようになってから、学校の仕事はずいぶんと様変わりをした。

一番大きく変わったのは、授業の進め方だろう。
これまでは学習指導要領の改革にともなって、子どもたちが対話をして学ぶスタイルをすすめてきた。
ところが、それがマスクで声が響かないし、お互いにしゃべって確認することができないから、昔の一斉指導に逆戻りしてしまった。

子どもたちの遊び方も変わった。

タッチしない鬼ごっこや、ボールを投げたフリ、当たったフリをするエアドッジボールをやっている小学校もあるらしい。

朝の会で歌うと、なんとなく子どもたちの心が落ち着いていくものだ。
しかし、いまだに歌は禁止。

マスクを着けて歌ったらどうか、という意見も職員会議では出されたが、腹式呼吸でも肺式呼吸でも、大きな声を出すということになれば、子どもの呼吸の量ははかりしれない。熱中症を心配する声も同時にあがったので、そのままうやむやになっている。

おそらく、もうしばらくすると、教員の過労が問題視されるシーズンがやってくるだろう。
あるいは、教員の側にしわよせがくるか、子どもの側にしわよせがくるか・・・。
わたしとしては、教員側だけで収まってほしいと願うしかない。

ビリージョエル

職員室の歳時記

「もう、こんな季節になったか・・・」
と、独り言を思わずつぶやきたくなる瞬間って、誰にもあることだろうと思います。

今日、そんな、 季節の移り変わり を実感するようなことがありました。
職員室に、一本の電話がかかってきたのです。
「すみません、おたくの小学校の子が、用水路の栓を勝手に開けちゃって・・・」

帰り道。
田んぼに水を引き入れるために、用水路の水量調節をしている栓を、勝手にいじってしまう子がいるのだ。
そのせいで田んぼに水が入っていかず、時間になっても予定していた水量にとどかないとのこと。
「田んぼの持ち主どうしで、お互いに予定もあるんでねえ。こっちは大変な迷惑ですよ」
教頭が、必死になって頭を下げている。
「今から、現場を見に行きまして、明日にもさっそく、全校の子どもたちに指導を徹底いたしますので・・・」
電話に向かって、90度に腰を折り曲げて、謝罪している。

話しが終わり、教頭が受話器を置くのを見て、わたしの隣に座っていた年配の先生が、
「あー・・・」
と、あったかいお茶を飲み干した時のようなため息をついた。
そして、
「いやあ、もう初夏なんだねえ。毎年のことだけど」
わたしがきょとんとしていると、
「いや、こんな電話がかかってきてサ・・・」
先輩は、教頭をチラりと見、
その後、深いため息をついて、目を閉じると、
「子どもが用水路の栓を開ける・・・、電話がかかってくる・・・。そして、教頭があやまる・・・これでやっと夏が来るな~ってね。実感するんだよネ・・・」

先輩は、ほおづえ姿で、心から柔らかい笑みをうかべて、そう語ったのであります。

開ける、かかる、あやまる。
るーるーるー♪


そういえば、と私は思い出した。
同じように、ある季節を実感できる出来事が、ある。

冬。
ああ、いよいよ冬だよなあ、厳しくなるぞ、と思う頃。
この時期の話題は、学校のビオトープ池に、2年生が落ちた、というやつでして・・・

霜が降り、空気が凍てはじめる頃、2年生の先生は、
「さあ、今年の第一号は誰かねえ」
と、心の中で、予想をする。
自分のクラスだと、大変だな、とチラッと思う。
同時に、
「落ちた連絡⇒バスタオルもって駆け付ける⇒引きあげ⇒保健室⇒ストーブで暖める⇒替えのズボンとパンツ⇒保護者の連絡帳にパンツ洗濯依頼⇒説教」
という、一連の流れをシミュレーションするのでありますね。

しんしんと冷えた朝、
「せんせー、氷が割れて、〇〇くんが落ちたよっ!」
職員室に、こんな子どもの声が響くと、
「ああ、本格的に、冬になってきたなあ」
としみじみ、思うのです。
(そろそろスキー板、出しておかなきゃな)

わたしは、遠方に見える山の雪がとけてきて、ずいぶんと色が黒く見えてくると、ああ、冬はもう過ぎたのだなあ、ということを実感します。

目の前の桜が散りはじめ、道路に桜の花びらが重なり落ちているのを見ると、次にやってくる、さわやかな新緑の季節を感じます。

職員室では、今の時期、用水路へのいたずらが旬な話題というわけで・・・・また、世間とはちがった歳時記が語られている、ということであります。

春の用水路

【GIGAスクール】ZOOMでの授業の前に

文科省が前のめりで導入しようとしている【GIGAスクール】。
2020年5月11日 学校の情報環境整備に関する説明会が

YOUTUBEで紹介されるや否や、全国の教員に衝撃が走っております。

ところで今、コロナ禍のピークが過ぎたという印象がマスコミを中心につぶやかれるようになり、学校も都道府県によっては再開されつつあります。
文科省がGIGAスクールを唱えたのは時すでに遅し、ということでしょうか?
いや、そうではありません。むしろ、このタイミングで出さなければなりませんでした。もしもここで手をこまねくか、あるいは安心して無策になってしまったとなれば、次に来るパンデミックに対応できないからです。

遅かれ早かれ、GIGAスクールは実施されるでしょう。そして、教員はそれに対する【備え】をしなければなりません。

わたしはその備えとしてもっとも大切にすべきだと思うのは、今の授業の改革です。
すでに改革は始まっており、(実は、もう10年以上前から始まっていると思う教員が大多数だと思いますが)その改革をし終えなければならないことが、今回のコロナ禍によって明らかになったのだと思います。
その改革とは、「学びは子ども主体であること、子ども発で考えること、子ども発のプロジェクトになること」です。実は、そのことと、個別である、ということが、イコールにはなりません。ここが難しいところです。

子ども主体で考えることは、子どもを個別にするとは限りません。むしろ、子どもの脳が活発に「思考」をめぐらせるためには、個別であるよりも、同じような点で疑問を持つ仲間が必要になります。教室で一斉授業をするメリットは、この「同じような課題を共有できる仲間と息を合わせるようにしてダイナミックに思考をめぐらせる自由さと楽しさ」にあります。次の「学び」へと向かう意欲は、この「仲間と共に考えることの楽しさ」が背中を後押しすることが多いのでしょう。

ところがパンデミック時においても、そのダイナミックさを少しも損なわずに実現することに、まだ多くの教員たちは自信をもっていないと思います。各家庭の子どもたちとともに、思考発展の自由さや楽しさをけっして無くさないで、授業を進めるという点について、オンラインでの経験が少なすぎます。(オンラインでの経験のない教員がほとんどです。特に公立小学校では・・・)

さて、ここからは長年小さな会社を経営してきたわたしの叔父に登場してもらいましょう。
わたしの叔父はすてきなロマンスグレイのわりとイケメンなスポーツマンです。
10~15人程度の小さな事務所を経営し、なによりも従業員の家族も含めて非常に家族的な経営をしてきた方。自分の給与を減らしても家族同様の従業員に渡す給与を1000円でも多く、と心がけてきた、今の日本に非常にたくさんいると思われる典型的な70代です。

ときおり、日本の政治についてや社会情勢について話し合うので、今回もその叔父と話しました。

叔父「GIGAスクール、大至急進めてほしいものだね。子どもが家にいたとしても、勉強できないわけじゃなかろう」
わたし「本当にそうです」
叔父「とくに勉強ができる子なんてのは、どんどんと課題をこなして進んだらいいじゃないか。この際、飛び級も認めたらいい。政治だって自由な特区をつくって今までの利権構造を打破しただろう。やる気のある子はどんどん飛び級させろ」
わたし「叔父さんは飛び級が大好きですね。それは置いといて、子どもたちは仲間と共に学んでいくのですから、GIGAスクールで自宅での学習ができるようになったとしても、今の学級やクラスの枠組みは同じですし、仲間といっしょに知恵をしぼって考えていくスタイルは変わらないですよ」

わたしは午後のやわらかい陽ざしを受け、紅茶ポットからカップに注ぎながら言いました。

叔父「そんなバカな。もう個別でいいじゃないか。子ども発ということは、一人ひとりの子どもから発する課題ということだろう? その子自身がその子の意思でもって調べたり考えたりしていくことだろう。個別でやれるだろう。やればいいじゃないか。いや、むしろ、個別だからこそ学ぶ効率もあがると思うな」
わたし「おじさんは効率が大好きですね。それは置いといて、子どもたちの頭がいちばん活性化するのは、同じ課題を考えあう『話し合い』なのだという研究結果があります。話し合いといいながら、実はたくさんのさまざまな意見を『聴きあう』体験です。話し合いというより聴きあいですね。その聴きあいを通して自分の頭の中を何度も「再構成」し、自分の納得するひとつの解にたどりつく、というのが授業ですから、完全に個別でいい、ということでもないのですよ」
叔父「GIGAスクールはすべての子どもに家庭教師をつけるようなものだと思ったが。違うのか?・・・それはともかく、お前のいうことをするのだったら、ZoomかLarkかteamsで、全員が会議に参加しなくてはならないな。ぶっとい光回線が必要になるぞ」
わたし「光回線ですか、・・・叔父さんはインフラ投資が大好きですね。それは置いといて、ZoomかLarkかteamsでも、授業はなかなかできないのではないか、というのがわたしの見解です」

叔父さんはロマンスグレイのまだ豊かな髪をかきあげながら、心配そうに言いました。

叔父「なんでだ。だったらやっぱり、目の前に人を集めなきゃいけないじゃないか。コロナの第二波がきたらどうする。ザ・エンドだぞ。・・・いや、ジ・エンドか」
わたし「叔父さんはザ・〇〇、というのが好きですね。それは置いといて、そうなんですよ。問題はまさにそこです。わたしが感じている問題点は、授業は生ものである、ということです。ZOOMの画面で、子どもたちが生き生きと反応しあえるためには、担任が子どもたちの表情をよく汲み、興味や関心の高まりを感じ取りながら少しずつ課題を整理し道筋をつけていかねばなりません。その道はこうしかありませんという上意下達的なものでなく、子どもたちに聞きながら、こんな課題でいいかなとやりとりしながらつくりあげていくものです。それがZOOMの画面でできるのか・・・」
叔父「なんだそんなシステム上のことか。そんなの、体育館で巨大スクリーンをみながら担任がやればいいじゃないか。30人くらいの表情ならぜんぶ見渡せるだろう。そうだな、差し渡し、10m×10mくらいのスクリーンで・・・予算は・・・」

叔父さんは空中をにらみつつ、指を折って考えています。

わたし「さすが零細企業の社長。いうことが違いますね。そんな巨大スクリーンを買う予算なんて市にはありませんよ。マァ、予算は置いといて、子どもによってさまざまな課題を抱えているのが実際ですからね。なかなか意見を言えなかったり、正解を気にしすぎていたり、自分の意見を言うだけ言って聞かない子とか、考えはあるのにその場で出せない子とか。目の前にいればすぐに担任が何かしらのフォローを入れたり、あるいはそのフォローのあり様(よう)そのものについて他の子にも考えてもらったりするところですが、ZOOMの画面を子どもたちが駆使して他の子の表情を読み取ろうとすることができるかというと、なかなかちょっと・・・。実際に友だちの近くにいてその子の顔を見るのとでは、ずいぶんちがうでしょうね」
叔父「零細企業の、は余計だぞ!・・・しかし、なるほど。じゃ、やっぱりZoomかLarkかteamsだけやっていてはだめだな。実際に会うことに意味がある、ということか。では第二波がやってきた暁(あかつき)には、全員防護服を着用して校庭に2m間隔で並び、巨大スクリーンで授業をするしか・・・」

叔父さんは大きな身振りでスクリーンのような四角をかくしぐさをしました。

わたし「叔父さんは本当に巨大なものが大好きなんですね。まあそれは置いといて、実際にはごく少人数の5、6名のグループを基本にして、学級全体を15~18名程度とし、感染症拡散の度合いをグレード化したうえ、最少数の5,6名で登校するパターンと、最大数の15~18名で登校するパターンを情勢をみつつ微調整して登校するのが一番いいのではないかと思います。いえるのは、もはや今ある教室で過密をふせぐためには、教室空間そのものを広げるか、あるいは人数を減らすしかない。教室を広げるのはほぼ不可能ですから、学級に所属する子どもの人数を減らすしかないと思います。そして、その少人数で子どもたちが自分たちで立てた計画に沿って課題追究していくのが現実的なストーリーかと思いますね。その一方で、自宅でのZOOM学習も補完的に組み合わせていくのが筋かと考えます」
叔父「いや、無理なことはない。100兆円ほど紙幣を印刷すれば、校舎を改築し、教室を2倍に広げる工事なんか簡単にできるだろう。安倍政権ならやってくれると信じるぞ・・・いや、紙幣を刷るのは麻生さんかな・・・。なんならわが社も参入してもよい!うちの会社は、水道工事ならできるからな!」
わたし「さすが叔父さん!そうこなくっちゃ!(白目)」


さて、どうなるのでしょうか。

【教頭先生】その日のうちに帰りましょう

4月1日。
緊張感がただよう中、職員室があらたにスタートした。
多くの先生たちの異動があった。新しい顔ぶれ、新しいチームの船出だ。
大学を卒業してきたばかり、という若者もいるが、朗らかないい顔をしていた。
ベテランは余裕のある態度、面白いスピーチをして職員室をなごやかにさせる。
コロナのことはあるけれど、それでも学校はまじめに、まじめに、進んでいく。

先生たちはまじめすぎる、という言葉を巷で聞くことがある。
生真面目で融通が利かない。子どもを型にはめようとする、などだ。
たしかに、そういいたくなる場面もあるのかもしれない。
しかし、先生たちのまじめさは、本当は市民にとっては宝なんだとも思う。

どんなことも、子どもが混乱するのでは、という意見が出ればすぐに修正しようとして、たくさんのアイデアがでる。今回は、入学式も始業式も、イレギュラーな対応をしなければならない。大人数が集まる形がとれないシナリオをあらたに考える必要がある。
先生たちは、生真面目で、融通がきかないからこそ、手がかかっても、面倒であっても、できるだけ子どもにとってどうか、と考えてシナリオを考えようとする。そこを「そんなにまでしなくても」と言う先生は一人もいない。その姿勢は不思議なくらい共通している。職員室での暗黙の了解、になっている。そんなことは当然だ、というわけだ。

こういう先生たちの一貫した「まじめさ」が無くなってしまったとしたら、こんなに惜しいことはない。日本の小学校の教員が、いつもまじめな態度を失わないことは、われわれ『市民にとっての大きな力』なんだろうと思う。

ところが、それが先生たちの弱みでもある。
今日の職員会で、本当に多くの事案が検討された。長い、長い、職員会であった。
その終わりごろに、教頭先生がこう、言われた。

「できるだけ、その日のうちには、学校の玄関を閉めて、全員が家に帰るようにしましょう」

それを聞いて、苦笑がもれた。
おそらく教頭先生にしても、少しユーモアを加えてのセリフだったのだろう。
苦笑いをしてクスクス笑っている先生たちが多かったが、どこかに身に覚えがあるということ。つまり、深夜、日付が変わるころまで残って仕事をしていた経験があるのだ。

どんな仕事でも、たいへんなことはある。
厳しい状況に置かれたら、ときには睡眠時間を削ってもやらねばならない、ということもあるだろう。仕事、というものはそういうものかもしれない。多くの大人が、そういう状況で働いているのだとも思う。
わたしは、教師が深夜まで働くことが悪いとは決して思わない。
子どものためになる、と心から思えば、「この時を逃してはいけない」ということもあるし、ここまで用意しておかねばならない、というときもある。子どもが本当にこのことで伸びる、と確信すれば、成長する、と思えば、教師はまじめだからやりたくなってしまうのである。

しかし、そこまでしても、報われることは少ない。
そのことに親が言及することはないし、誰も知ったことではないからだ。
教師の仕事は、本当に報われないものである。
やってもやっても、報われない。それで心を病み、辞めていった知人もいる。
裏でどれだけ仕事をしているかを知っているから、保護者に責められ、烙印を押されたようになり、追い詰められていく同僚をみるのは本当にツライ。

今日の職員室の様子を、マスコミが報道すればいいのに、と思う。
いや、そんな回りくどいことをしなくてもいい。だれか一人でも、保護者が記者としてそこにいたらいいのだ。PTAがいい。職員室がどんな雰囲気なのか、いつも広報する人がいればいいのに。

それができないのが、今の社会の構造的な欠陥だろう。親は勤務をしている。学校にきて、記者のような真似をする時間も金銭的な余裕もない。無理なのだ。

わが子なのに、わが子のことなのに、親は密接につながることができない。
それが今の社会のシステムだ。
親が自分の子どものことを、もっともっと、平日の昼間の様子を、身近に知れるようになればいい。先生たちとともに、子どものことを話題にして、あれこれしゃべり、大いに愉快がり、子どもの成長をほんの一足、つまさき一つ分でもいい、成長したところを見つけ、地域の保護者、先生たち、つまり大人たちが、よってたかって喜べばいい。

子どもの話をしながら、せんべいを食べましょう!

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子どもの成長を見て、喜んでいるのが先生だけでいいのか。
保護者ともっと話したい!
10年前、教師になりたてのころ抱いた感覚は、今でも私の中にある。

(※ちなみに、2012年に書いた記事 ↓ 当時もこんなこと考えていたんだな~)

学校の教師がもっと社会に出ていくべきだ
http://arigato3939.publog.jp/archives/54402106.html

立派に見えると泣けてくる

「大の男が泣くものか」

大人の男は泣かないのが当然。
男はだまって、サッポロビール。
・・・昭和生まれなので、そういう雰囲気は知っている。
わたしの父も、まあわたしの目の前では一切泣かなかった。
泣いたところはチラリとも見せないままだった。

わたしもふだんは、そうだ。
じっと目を伏せるくらいで、涙はこぼさない。
今日も、そのはずだった。


ところが泣ける。
涙腺がゆるんできているのか?
涙腺を、ぐっと抑える、というのが、できない。
年齢(とし)をとったのだ。
くやしいけれど、堪(こら)えるのができなくなってきた。
ドッとこみ上げてくると、そのままこみ上げてしまう。
ふたが閉まらないのですね。抑えが、効かない。
あーっと思ったときには、もうすでに声が出るくらい泣いてしまう。


まず、教室に入ってみたら、見事にみんな制服姿。
制服というの、なんでこんなに立派に見えるんだろう。
6年間ずっと半ズボンだった子が、学生服を立派に着こなしている。
「おおお、長ズボン履いてる!履いてるんだね!」
「うん。でも先生、これ、暑いんだけど」
ぴらぴら、と上着をゆすって見せた。
卒業式の15分前なのに、学ランの上着を脱いでしまい、腕まくりもしている。
ちょっと待って。脱ぐのが早すぎだ。せめて終わってからにしてくれ。

先生が来た、というので、みんな席についてこっちを見た。
全員が、ワッとわたしに目線を向けると、これは迫力がある。
おまけに、みんな、小学生っぽくない。もう確実に中学生の雰囲気。
「うわー、大人だ・・」

わたしの涙腺はもう60%くらい、開いてしまっている。

前のクラスに続いて階下に降りた。
今回はコロナウイルスの騒ぎで、ひとクラスずつ。
体育館の手前で待ち、前のクラスが終わって退場するときに、別の入り口から入った。
すると、ここでやばいことに、前のクラスの退場に合わせて音楽が流れ、それが耳に聞こえてきてしまった。10月、6年生が全員で歌った、あの合唱曲だ。
「♬ 生きていることの意味 問いかけるそのたびに胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさこの星の片隅で めぐり会えた奇跡はどんな宝石よりも たいせつな宝物・・・」

あかん。
これで、涙腺が90%、と思ったらもうあっけなく泣けてきた。
残り10%を歯をくいしばって泣くものか、とこらえようとしたが、年齢に負けた。
「♪ ねーんー、れいにー、負けたー ・・・いいえ、なみだに、負けたー・・・」
必死になって、頭の中で『昭和枯れすすき(さくらと一郎)』をリフレインしようとしたがダメだ。
「♬ 泣きたい日もある 絶望に嘆く日もそんな時そばにいて 寄り添うあなたの影二人で歌えば 懐かしくよみがえる・・・」

あの、透き通るような歌声までもが、思い出されてくる。
これはもう・・・

保護者席に向かって一礼するが、

「ああ、泣いているのがばれるな」

と思う。
しかし、もうそのへんも、この年齢になってくると、まあいいや、と思ってしまう。

そのまま涙をこらえながら入場し、一人ずつ名前を呼んだ。
苗字と名前の間が、無意識のうちに、少し空いてしまう。
一気に呼んでしまうと、もったいない、という気がして・・・。

ゆっくり、ゆっくり、一人ずつを呼ぶ。

子どもは、「ハイ」と言って、校長から証書を受け取ってゆく。

練習が一切無かったのに、上手だ。
子どもたちはたぶん、これまでに在校生として何度か見てきた先輩たちの姿を、なんとなしに思い浮かべて受け取っているのだろう。きちんと両手で受け取って、しっかり返事もして、お辞儀もして、堂々と歩いている。ドキドキしているのは担任だけ。子どもたちは、ちゃんとわけがわかっている。一番大事なのは、堂々と受け取り、堂々と歩き、堂々と卒業することだ。それを、みんなやっている。

証書の授与が終わると、すぐに教室に戻って、すぐに解散・・・。
コロナ情勢を鑑みて、ということだが、あっけない。

その代わり、子どもと一緒に外に出てみると、いつもの卒業式後の風景になった。
カーネーションを一輪ずつ、子どもたちが手にしていて、

「先生、ハイ」
「先生、これあげる」

一人ひとりが近づいてくるだけで、もうこれでまた泣ける。
いろんなことを話しかけたくなる。が、もう時間がない。
ああ、もう話せないんだ、と思うとまた泣ける。

たちまち花束ができあがり、全員分を手にしたところで写真を撮った。
ありがとう、ありがとう、とばかり言って写真を撮り、お別れをする。
校庭に「最後のチャイム」が流れ、またとめどなく涙が出る。

「先生、ずっと泣いてるなー」
と、やんちゃ坊主が少し怒ったように言うと、また別のやんちゃくんが
「まあまあ、しょうがない。先生は今日は、しょうがない」
と、とりなそうとする。
そのセリフを聞くと、また泣けてくる。
「今のFくんので、また泣けた」とわたしが言うと、周りの保護者がどっと笑った。

泣きながら笑いながら、だんだんに潮が引くように、さざなみが消えるように、人が去っていく。

泣くのは似合わない、と自分では思う。
どちらかというとにやにやしながら、くだらない冗談を言っていたい。

ところが6年生をもつと、ちょっと年に一度くらい、そういうことが起こる。
みんなが立派に見えると、泣けてくる。

飛び出せ青春

全国すべての公立小中高休校へ 首相表明

職員室に怒号が飛び交う。
「あべえええええええ!!!どうしろってんだァァァァ!!」
ふだんは温厚で、おだやかな表情しか見たことのない1年生の先生が、怒りで震えている。

かわいい1年生。
ほうっておける親がどれだけいるか。
親も、生活がかかっている。
勤務をそうたやすく、休めるわけがない。

そこまで、考えていないのか、首相やそのまわりの人たちがどれだけ「考えた」のか、どうしても疑問視したくなる。当然、親はどうするか、ということへの言及がなされるべきだ。
ところが、ニュースでそのことに触れた形跡がまったく、無い。

1年生の子を何週間も、朝から夕方まで、ほうっておける親がいるのか・・・

安倍首相の目線の先には、どんな家庭像が映っているのだろう。
はたらいている親の姿は、見えないのか。

夕方、ニュースが流れた直後、先生たちの動きが加速した。
印刷機のまわりには行列ができる。
「〇〇先生、それが終わったらついでにこれも印刷お願いします!」
「はい、わかりました」
「ここの印刷機、終了です。次、何年生の先生が刷りますか?」

つまり、子どもたちへの課題を今から印刷し、
明日渡さなければならないのだ。

たしかにまだ決定ではない。
しかし、準備していませんでした、では話にならない。
もしかしたら、2日から本当に休校になってもおかしくないと感じさせるような、首相の発言である。首相の脳裏に、職員室に飛び交う怒号と、自身へ向けられた呪詛、そして先生たちのけわしい表情が浮かんでいるだろうか?想像できるのだろうか、この首相に・・・

慌てて印刷機へ大集合する教員、
他の学校へ緊急連絡を行う教頭、
急遽、自動車で会合へ向かう校長、
子どもへくばるもののリストを作り始める若手教員、

「明日のおたより、全面改訂ですッ!見出し、これでいいですかーッ!」
「その見出し、ストップです!!印刷止めてください!停止、停止ーー」
「〇〇先生、その印刷済みの地域子ども連絡会の書類も、廃棄です!別の箱にしてくださいッ!!」
「△△先生、緊急のお電話です!」
「先生、児童センターから〇〇先生が来られてますッ!」

もう、なにがなにやら・・・みんな目が泳いでしまっている。

気を利かせた若い先生が一人、

「おにぎり買ってきます!ほしい方、挙手してくださーーーい」
「はい」
「はい!」
「ハイッ!うちの学年、全員分お願いします!」
「わ、わかりました!!」

この状況が、おそらく全国の大半の小学校で、
今現在、まきおこっていることだろうと思います。

konran

「うまくいく」自分になっているか

学校というのはさまざまな問題がもちあがる場所。
それは当然で、関係者全員が生きて動いているのだから、いろんな課題が見えてくる。

前回の記事で、校長先生だけは『笑顔でいてほしい』と切に願っている記事を書いた。
管理職の第一の適性は、『ゆるがず、どっしりと、よろず良し』と存在することだと思う。
石のように微動だにせず、周囲に存在感だけは示していてほしい。

先日の記事にあるような「落書きに関する指導方法と教師と保護者のくいちがい」のようなことは、しょっちゅうある。
そこで、校長先生が、

「ど、ど、どういうことでしょうか、あ、あ、これはいったい・・・」

と、のどをからからにさせて右往左往しているのは、やはりなんというか、である。

責める親は責める。
当然である。
他を責めたくなるような世の中であるし、責めずにはいられない気分が蔓延している。
「守られていない自分」を感じていれば、たとえおしゃか様でも他を責めるでしょう。
キリストだって、自分を守らねば、と思っていたのなら、ぜったいに左の頬を出さないはず。
守られていない感が世の中に充満しているのだから、だれだってそうなる。

子どもでもそうで、落書きをしたことについて、なにかしらサインを出している。
落書きしたくなる子、落書きしようとした気持ちを子細に見てみると、担任であればいろんな想像がはたらくものだと思う。

それも含めて、実は世の中は、

「うまくいかせよう」

とは、あまりしなくても、いいのだと思える。

校長先生は、「学校がうまくいきますように!」と、あまり願いすぎない方がいいように思う。

それはなぜかというと、落書きもあって当然だからであります。
ただ、それをしなくてもよければしないほうがよく、そうなるように子どもが安定していけるような働きかけをすればいいだけだし、親もそうで、怒って学校へ怒鳴り込んでもよく、それは管理職なら当然そのようなことはどんどんと受け入れるのが仕事で、保護者と一緒になって子どものことに心と頭を働かせればいい。

ただし、それで動転したり、血圧をあげたり、焦って汗をかいたり、口ごもったり・・・そんなことが起きるとしたら、なにかが、まちがっているのだと思う。「うまくいかなくて当然」なのだから。

うまくいかせよう、という動機ではじめたことは、なぜか、いつまでたっても目指すゴールにはいきつかない気がする。

ところが、「うまくいかせよう」という動機をはなれて、「うまくいく自分」になりさえすれば、結果として、すべてがうまくいく、のだろう。

管理職は、うまくいくことを願うのではなく、うまくいく自分になっていさえすれば、結果としておのずと、意図せずとも、しぜんに、なぜかほうっておいても、ただそうしているだけで、ただなにも意識せずとも、なんにもしなくったって(←くどいか)、

結果としては、うまくいくのだろう、と思う。

まだ管理職にはならない自分がこんなことを書くと、
「お前が言うな」
だと自分でも思うが、もし自分が管理職であれば、「うまくいく」ことを願う、というのはやらない。というか、できない。なぜかというと、うまくいくはずがないから。しかし、現実に起きていることを決して憎まず、目を背けず、「うまくいく」自分になっているかをいつもチェックしているだけで、おそらくうまくいくのだろうという感じがするから、わたしは自分でも意外なことに、かなり楽観的である。

〇事実だと思い込んでいないか
〇事実だと決めつけていないか
〇そういうものだとしていないか
〇自分の評判のためにと考えていないか
〇早く解決するのが良いとなっていないか
〇解決すればよいと思っていないか
〇なんらかの「憎しみ」が、行動の動機になっていないか
〇困ったからやる、という発想でやっていないか

こうしたことをチェックしていれば、おそらく本来の目的からズレないだろうと思います。

01010024

落書き事件~校長先生だけはともかくも、元気でいてほしい~


私のかつての勤務校で、同僚の先生がまきこまれた事件では、こんなことが。

1)落書きをくりかえしたので叱った。(学年集会で叱った)
2)大勢の前で叱られたことに納得できなかった児童が親に言いつける。
3)親→学校へ電話。「うちの子が叱られた。納得できない!」
4)親→校長
  「うちの子は落書きなんてしていないのに、わざわざ学年全体の前でうちの子だけ叱られた!」
5)校長→担任
  「落書きは事実なのか?たとえそうであっても、個別指導でよかったのでは・・・」
6)担任→親
  「すみませんでした」
7)数日後
  同じ親→クラスの別の親に向かって言いつけ。
  「○○先生はいろんなことがまちがっている」
  「○○先生の宿題の出し方は、おかしい」等・・・。


職員室の座席が、目の前の先生でした。とっても若い方。わたしよりも・・・。
いろいろとよく話をしていました。

そのF先生、ふだんから保護者からの信頼は厚かった。
校長先生をはじめ、周囲の先生方からも、若いのによく働いてくれる、と好印象のナイスガイです。

しかし、ちょっとしたボタンのかけちがいから、特定の保護者となんだか不穏な関係に。あとから、宿題の出し方や学年通信の内容まで、いろいろと「おかしい!」と言われてしまうことになっていったようです。
当時、気の毒なほど、憔悴していましたね。やつれて、校長室から出てくる彼を何度も見ましたが・・・。


結局、落書きが事実であることを子どもが認めたことや、困っている担任の味方になってくれる周囲の児童やその親がいて、校長に話をしてくれたことから、事件は収束していくのですが・・・。

また、校長も気を取り直して、該当の親と直に再度、話をしてくれたり、他の親と連絡をとってくれたりしたので、なんとなく過ぎ去っていきました。


しかし、保護者との関係がうまくいかない、ということになると、本当に学校中がそれに振り回されていきます。とくに保護者に校長先生が振り回されていると・・・。いろいろ波及して・・・。
学校が疲れていく、ということを感じた時がありました。
学校の、先生たち全体が、です。
校長先生の表情が曇っていると、他の職員たちも、なんとはなしに、晴れて行かないものです。


「こんなことなら、落書き、写真を撮っておくべきだった。放課後に消しゴムやらスポンジやらで一生懸命にこすって消したのに・・・」

と若きホープ、F先生が嘆いておられましたな。
なによりも、事実の証拠があれば、校長先生も妙に気を使わずに済んだことでしょう。
わたしも当時は教師になり立ての頃。
目の前の席に座って、ため息をつくF先生を見ながら、

「おそがー」(三河弁?で、おそろしい、の意)

と、肝に銘じたことでありました。


校長先生は、やはり学校中でもいちばん明るく、笑顔でいてほしいです!


rakugaki

【6年英語】ハロウィン VS 耳なし芳一

小学校できちんと英語を教えられる外国人の方は、とても貴重な存在だ。
だから、もしそういう人がいたら、みんなでうんと大切にしたい。

教師にとってALTは気になる存在である。
急にプライベートな旅行の話をさせろ、と言って授業をしようとしない人もいたナ。
あなたは先生なのだから、授業に協力をしてほしい、と言っても
「めんどうじゃないすか」
と信じられないことを言うALTもいたし、もともと、カリキュラムも教科書も進度もまったく気にしてないALTは、ざらにいる。

ところが、今年度のA先生は、すっごくがんばる。
授業の打ち合わせにも、ちゃんと出席してくれるし、いやそうなそぶりもない。

ハロウィンの日も、A先生は大活躍だった。
魔女の姿で登校し、魔女を呼び出すところから授業をはじめた。
そして、本場アメリカのハロウィンのあれこれを、教えてくれた。

日本の子どもは、アメリカのお化けの種類は何種類なのかを聞こうとしていた。すると、A先生は
フランケンシュタイン、魔女、ゴースト、ミイラ男、ゴブリン、ドラキュラ伯爵、などを教えてくれた。
A先生が、今度は子どもたちに、
「日本ではどんなお化けいる?」
と聞くと、みんな声をそろえて

「鬼太郎!」

まァ、・・・これは、仕方ない。(でしょう?)

わたしは
「水木しげるもいいけど、日本に古くから伝わっている有名なのもいるでしょう。ほら、耳なし芳一とか、牡丹灯籠とか、番町皿屋敷とか」

とフォローをしたが、子どもたちは誰一人、それらを知らないのだった。

考えてみれば、ヨーロッパの古い民俗の祭り、伝承、フォークロアからハロウィンは生まれてきているから、昭和の「鬼太郎」とか明治時代の「番町皿屋敷」とかなんてのは、まだまだ新しい。ハロウィンが日本に根付かないのは、あまりにもヨーロッパ人種の古くからの民俗風習が、奥の深いものであるからだろうな。

唯一、ハロウィンに対抗できるとすれば、耳なし芳一か。平家物語の凄惨さを知れば、いかにハロウィンが恐ろしいかと言ったって、たいしたことはない。赤子のようなものである。
しばらく考えてみたが、ヨーロッパの古い歴史に対抗できるキャラとしては、芳一くらいしか思い浮かばない。渋谷で有名なハロウィンも、ぜひ『耳なし芳一』コスプレで、1000人くらいが行列をなしてパレードすれば、ちっとは日本の古来からの伝統文化も守られていくのではないだろうか。

耳なし芳一、落ち武者が一族の恨みを哀しんでいるのが怖い。
それも、毎晩のように琵琶の音色で心を慰めるために訪れるなんてのが、震えるくらいに恐ろしい。
あの世から、衣擦れの音をさせながら、あるいは甲冑のカチャカチャいう音をさせながら、霊界から訪れる、落ち武者や平家の落人たち・・・。

それを想像すると、ハロウィンに登場する魔女たちが、なんともかわいく思えてきます。

ハロウィン

研究主任の秋

研究主任となり、秋はもうブログを書く力が残されていませんでした。
ようやく大きな仕事が終わり、ほっとしています。

それにしても先生たちの、真摯な姿勢、学ぼうとする姿勢、本当に頭が下がる。

わたしが研究主任としてずっと口にしてきたのは、次の3つ。
◎具体的に
◎なんのために
◎バイアスをかけて見ていないか


子どもたちに、どんな指導をしたいのか、
具体的に、どんな方法で進めるのか、
「子ども」と簡単に言うけれど、その「子ども」とは具体的にどのような子か・・・
というような感じで、若い先生が、〇〇したい、というと、その都度、「それは、具体的にどういうことか」を探ろうとしてきた。

そこで感じたことがある。
人間は、具体的に話す、ということをしようとすると、ようやく事実に照らして話すようになる、ということだ。

事実に照らしていない話は、ほとんど意味がない。観念だけで話していることになる。
観念論では、教育はできない。なぜなら、相手の存在は事実であり、相手の存在は具体的であるからだ。
観念論とは、〇〇であるべき、〇〇というあり方であるべき、という教義(ドグマ)をもって論じること。
一見、これはふつうのことのように聞こえる。しかし、子どもが〇〇であるべきだから、子どもを〇〇とみなし、〇〇させる、ということは「教育」ではない。それは、〇(マル)を〇(マル)とみる科学的な合理的思考とはちがっている。実際には〇(マル)なのに、本来△(サンカク)であるべきなのだから・・・と言って、これは△(サンカク)なのだ、と言い切ってしまうような、いわば非合理的な態度である。「教育」ではなく「洗脳」であり、子どもを育てることにはならない。


授業を考えていくのは、楽しい。
そして、教員が子どもたちに対して、真摯に向き合い、相手の状態を見逃さず、子どもの様子をどう受け取っていくか、そのつど、思考していくことがエキサイティングだと感じる。

授業者の先生が最後に、「いやあ、本当に研究なんだなと・・・、勉強になりました」
と言ってくれた。

研究ってのが、イイよね。
どこまでも、夏休みの自由研究のようなもの。
ずっと、ずっと、はたしてどうか、と考え続けていくことができる。これは、やめられない。

koushi

さあて、2学期や!!【6年理科・食物連鎖】

2学期が怒涛のように始まり、体重がすでに3キロ近くやせております。
いいのです。夏休み中に増えてたから。

それにしても、年齢が年齢だからか、業務が多くて大変だと思う。
気が付くと、職員室の机の上に、文科省から教育委員会から、企業から大学から、市内の他校から、これでもか、というくらいに書類が届く。

わたしが係だから、しゃーないのですが、それにしてもこの業務量。

学校というのが、社会に対して開かれているから仕方のないことですが、『渉外』という係を、学校全体で正式に雇い入れたほうが良いと思うナ。
だって、わたしは担任だもの。授業だってあるし、子どものことを考えていたい。
文科省からのセミナーのお誘いや、大学からの依頼や、企業からのPRなんてのは、それがいったいどういうものか、を見極めるだけでも時間がかかる。こういうのを、精査してくれる係がいたほうが、いい気がするなあ。

愚痴はここまで。


さて、授業が楽しいのであれこれと作戦を練っています。

理科は、生き物と植物とのつながりがテーマ。

どんな授業にしようかなー、と考えるときが、もっとも楽しい時間である。

おまけに、そこにカフェオレがあれば最高だ。

じっと目を閉じて、授業の展開を考える。

ゴールはどこだ。

ゴールに至るまでの道筋は、どのくらいカーブさせるか、変化させるか。

授業開始15分ごろの教室の様子を、思い浮かべる。
30分後、45分後・・・。


見えた!


生物は、なにかを食べて生きている。
そして、多くの生物は、最終結果として、植物を食べていることになる。
さらにすすめていくと、植物の体を構成するエネルギーは、太陽エネルギーだ。
われわれは、ソーラーパワーで生きているのだった。


これを2時間かけて、授業する。


今日の発問は、コレ。

「ある島にラッコがいました。そして、魚をとる漁師もいました。漁師は何年もここで魚を獲って暮らしているのですが、しだいに魚が減ってきていることに気づきました。魚が減ってきた原因が何だったのか、想像してください」

生物は、なにかを食べて生きているんだった。
これを思い出してから、子どもたちは考えを進めていく。



イラストを黒板に書く。

海。

島。

魚。

そしてラッコ。



・・・


子どもたちから、ラッコについて確認事項がでる。

「まず、ラッコが何を食べるかを知りたいです」

「ラッコは、海中にもぐって、ウニやカニ、貝などを食べることが多いです」

「うーむ」



ラッコが魚を食べすぎた、というわけではなさそうだ・・・???



日本人がクイズが好きなのは、小学校でこんなことばっかり考えて育ってきたからではないかと思うね。

rakko

「ばかたれ」について

読者の方から、たまにメッセージをいただくので、返信のようにして書いています。

担任の先生が、「ばかたれ」とわりと怖い調子でおっしゃるとのこと。
「そんな言葉を使わなくても注意はできると思う」と。

わたしも同感です。

教室が暗くなります。
言われた子は、その言葉で何を感じて、何を思うか、というのが気になりますね。
教師はいつも、「子どもがどう思うか、どう考えるか」を考えるのです。
授業も同じです。教師が何を教えたか、でなく、子どもが何を学んだか、です。
その方が重要で、大事なのです。


さて、「ばかたれ」に戻りましょう。
当事者でなくとも、周りで聞いている他の子どもの心にも、そういう言葉がじわじわと影響することは間違いない事でしょう。

強い言葉でいうべきではありません。
なぜなら、その言葉は内容がツタワラナイからです。
強い勢い、先生の怖い表情、恐ろしい調子、なにか嫌われている感じ、だけが伝わります。
なにもいいことはないのです。だれも得をしません。

児童が教師に向かって暴言を吐く、ということもあります。
児童が牛乳瓶を黒板に向かって投げつけるとか・・・。
教員を長く続けていると、本当か、ということも聞きます。

中学校の担任をしていた知り合いの先生は、
朝、学校へ通勤する途中に、ボーッとしながら運転をしてて、

「あのトラックが、横からぶつかってくれないかなあ。そうしたら大手を振って入院できる」

と思って、その後、そう思っている自分にびっくりした、と言って話していました。

それでも、「ばかたれ」と言うべきではありません。
おそらく、必要なのは、その子自身に対する理解の深さです。


もしかすると、そこまでのことではないのかもしれません。
文面からだけではちょっとわかりませんが。
若い先生で、ともかく学年主任の年配の先生に怒られるのがいやで、
「落ち着いている、よい学級」をつくりたいのかもしれません。
それで焦って、

強い調子でガツンと叱って言うことを聞かせる

ことにした、というだけのことかもしれません。


20代の若い先生なら、休み時間にはもう子どもといっしょになって、サッカーなり、おにごっこなり、校庭をかけまわって遊んでいるでしょうかネ?

子どもは、そういうことをしてほしいのかもしれません。
もっと先生とおしゃべりをしたいのかもしれないし。
子どもは、大人からしたらただそれだけのことでも、言わないこともあるのですな。

面と向かって

「先生、いっしょにサッカーして」

と言わないことがあります。

いっしょに遊んでほしいのに、遊んでくれない先生に対して、
ちょっと反抗して見せる、ということもあります。

あるいは、もっと楽しい授業にしてほしいのかもね。
子どもも、以前の先生と比べますから。

「以前の、〇〇先生の教え方のほうが、上手だな」

と、なんとなく感じているものです。
でも、今の先生が自分の担任なのだから、いい先生だと思いたいし、ぐっとこらえて、授業を受けているのです。先生の努力も感じていて、うちの先生だって頑張っているから、とちゃんと受け止めようとしているのですね。

「ばかたれー」が、本当に愛情深く、大好きな先生の放った絶妙な一言で、みんなでそのあと、大笑いするような空気の中で、たわいもなく響いた言葉であればいいがな、と思います。

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【運動会の組体操】無くならない理由

かなり、減ってきたらしい。
全国的には・・・。


しかしそれでも、まだ組体操は行われています。
巨大組体操が無くならない理由は、
それがショーだから、です。
先生たちは少なくとも、見に来られたお客様を満足させなければなりません。
先生たちは、大きなプレッシャーと共に、
そう思い込んでいます。

ショーである以上、運動会の演技種目は、お客様のご要望にかなうものかどうか、という点がもっとも重要なのです。

だから、そう簡単に、無くなりませんネ。

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高い塔、高いピラミッド。
完成した時に、思わず会場を包み込む、「オーッ!」というどよめき、歓声。
そして、鳴りやまない拍手!

そこに先生たちは、ようやく安堵のため息をもらすのです。
事故が無かったことの安心感と。
保護者から責められなかった、という安心感。
その2つの安心感によって、ため息が出る。


高さ、でなく、見事な演出によって、拍手がもらえたら一番良いのですが。

なかなか、保護者の目線も厳しいです。

「劇団四季くらいの演出が欲しい」

ズバリ、保護者の本音でありましょう。

小学校の教師にはその演出が無理なので・・・、思わず、手を出してしまう。
「高さ」に挑戦してしまいたくなる。
それが、人情です。


「昨年に比べたら、たいしたこと、なかった」

これが、一番、先生たちにぐさりと突き刺さる一言でしょうな。

麻薬じゃないけど、思わず、「高さ」に、手を出してしまいたくなります。

昨年を上回る、歓声を。拍手を。

保護者からの承認欲求!

それが、教師の心情ってもの・・・(いや、そんなもんではない、と信じよう。やはり、子どもたちの成長が一番の目的ですよね、うん)。

運動会の『放送がかり』で年を感じる件

運動会が春に行われることになった。
わたしは愛知県岡崎市の教員であるが、まあ市内にはいろいろな学校があり、秋開催の学校もまだあるようである。
しかし、赴任している勤務校では、秋の酷暑から逃れるため、6月のはじめに開催されることになった。


しかし、この暑さよ。
今は6月だってのに、十分に暑い。
外気温、今日は32℃だと。夏日じゃないか。
逆に暑さに慣れていない分、子どもたちが熱中症にかかる割合も高くなるのではないか、と懸念される。

わたしは教職員の中の分担で、放送をとりしきることになった。
運動会の放送係であります。
そこで、町内に鳴り響くであろう「〇〇小学校」の運動会の音楽担当者として、気合を入れて仕事にかかりました。

まずは選曲から。

アラフォーどころか、アラフィフに近づいている身として、自制しなければならないのが、この「選曲」でありましょう。

いっしょに係り分担になったS先生は、まだ独身のイケメン男子。
彼は現代の子らしく、もちろん平成生まれです。
しかし、だからといって昭和歌謡など、まったくご存知ないかと思いきや、そうではなかった。

「およげタイヤキくんとか、知ってますよ」

およげタイヤキくん!!!
知ってるんだ~~!!えーーーー(*'▽')
ド直球、ドストライク!!
わいのハートに、ジャストミートやでぇ!

選曲するための打合せをしていると、そんな懐かしいことを言って、おじさんをなぐさめてくれるです。る、涙腺が。なんて心優しい青年だろうか。
ちなみに、かけっこでおよげタイヤキくんがBGMに流れたら、みんなすっごく遅くなりそうだが・・・。

わたしが思わず頬をほころばせたのを見逃さず、彼はすかさず2球目を放り込んできた。

「母は、氷川きよしファンですが、祖母は、さだまさしファン。けっこうフォークも聞きました」

さだまさし!!

フォーク!!

この青年、フォーク、と聞いて、おじさんが勝手に舞い上がっているのを楽しんで、にこにこしながらみている。あなどりがたい教師です。

「じゃあ、1年生のかけっこの曲、なにがいいかな・・・」

わたしがおそるおそる聞くと、彼はiPhoneをちゃっちゃと操作して、

「こんなのどうっすかネ」

と、なにやらテンポの速い、流行曲らしきものを流してきた。
彼が口走ったのが、レモン?オレンジ?かなんか、くだものっぽいようなタイトルだったような・・・

わたしが困惑しているのを見て、

「あらま先生のお好きな曲でいいですよ。なにかありますかね?」

と聞いてくれる。
なんてやさしいんだろう。彼。

私は、そうだなあ、小さくてかわいい1年生だからねえ、と唸りながら、

「学園天国 / フィンガー5とか」

S先生はじっと目をとじて、

「いいっすねえ」

という。

わたしがつづけさまに

「勝手にしやがれ / 沢田 研二は」

「おお、ジュリーっすね」

反応が良い。
これだけスッと反応できる平成生まれも、この世にはいるのだ。

「ジョニィへの伝言 / ペドロ&カプリシャスは」

S先生、笑顔。

「いっそのこと、ウルトラマンタロウで」

S先生、笑顔のまま動かず。

「恋のダイヤル6700 / フィンガー5」

S先生、窓の外を見る。

「ああっ」

S先生「どうしましたか?」

「ペドロアンドカプリシャスだったら、五番街のマリーもあった」

S先生、笑顔のままで

「全部、先生の選んだの最高っすよ。でも、五番街のマリーで、かけっこが走れますかね」

わたしはおでこに手を当てながら、あちゃー、と唸って

「あれはちょっと、テンポがゆるいよね。しまった。歌詞は最高なんだけどなあ」


結局、ほとんどがS先生の選んだ最近の曲になり、わたしの提案で採用されたのは、

ピンクレディーの『UFO』
尾崎紀世彦の『また逢う日まで』
フィンガー5の『学園天国』
の3曲のみ、にとどまった。

玉入れ、大玉ころがし、騎馬戦、それとも、つなひき、PTA向けのパン食い競争か・・・。
なにに使うかはまだ決まっていないが・・・



しかし、この3曲が流れた瞬間!
昭和を知る年代のみなさんが、直立不動で涙を流すであろうことは想像に難くない。
ああ、昭和、さようなら、昭和、である。

ところが、時代はすでに平成の、その次になっておる。
昭和というのは、ふたあつも前、なんである。
なんということであろう。

・・・

令和初の運動会のBGMは、
平成生まれの青年教師
および、
昭和生まれの中年教師が、
2時間にわたる熱烈な熟慮と議論の末に生まれた。

かけっこで、『トランペット吹きの休日』を流すのは、これはふたりとも一致しましたよ。
さすがに、これだけは。

ちなみに。これ。↓
https://youtu.be/CNosN4iZWXA
クシコスポストも。↓
https://youtu.be/WKBX4EiHG7I


「主体的な」論考 その2

自分の人生を主体的に生きている。
そう、自覚している人は多いのではないか、と思う。

もちろん、わたしは自分の人生を主体的に生きている、と。

たしかに鎖でつながれているわけでもなく、自分で日々の計画をたて、好きなスーパーで買い物したり、今日は大根を買おう、というように買うものを選んでいられるのは、われわれ大人がだれかの奴隷ではないからであります。

ところが、

「心理的な背景をもとに、無自覚に、隠された動機で人間は活動してしまう」

ということが、ありますね。

言い換えると、

「ひとは誰でも、隠された、というか、無自覚的に、無意識的に、『意図しない動機』を持ってしまう

ということです。

背後から、支配する心理がある。

これは、『主体的』の、正反対に位置するもの。
もっとも、ひとを『主体的な生き方』から遠ざけるものでしょう。



本当に、そうしたくて、そうしている場合と、
そうでない場合がある。

われわれ教師は、そこに敏感でなくてはならない。

がんばって勉強している。
そのこと自体はとても素晴らしい。
しかし、「人から認められなければ」「良い評価を得なくては」というくらい、苦しくなるほどの動機で勉強しているとしたら、どこかに不健康さがあるのでしょう。

もっとひどくなると、「他人を見返してやらねば」という動機で、がんばることだってある。
子どもがそこまで思うだろうか、とひとは思うだろうが、それが実際、あるのである。

そして、他の子よりも自分の点数や成績が良かったことが分かると、だんだんに他の子を見下すような言動が出てくる。
わたしがそういうとき、まっさきに感じるのは、

「子どもらしさの欠如」

である。

その子らしさの欠如、と言い換えてもいい。

だれかを見下さないと生きていかれない。逆に言えば、ありのままの自分ではいられない、ということだろう。これは苦しい。どこかでツケがまわってくることになる。

「がんばっている」の背後にかくされた、自分をありのままではいられなくしている動機。
これが顕在化していればまだしも、隠されているところに、問題の難しさがある。
総じてこれが、『主体的』をむずかしくさせる原因であろう。

また、逆に言えば、

これほど「主体的」がむずかしいからこそ、文科省は何度も何度も、繰り返し繰り返し、そのことを実現したくて、実現したくて、実現したくてたまらないのである。

そして、まだ叫び続けていても、どれだけ叫んでも、なかなか実現できていかないのだ。

(本当は主体的な子が多く、どの子も素直に伸びているのが現実なんだが、社会の仕組みや常識がマッチしていないために、主体的であることを抑えられているか、もしくはすでに主体性があるのにも関わらず、それが認められていないのかもしれないーだって内面が大事、主体性が大事、と一方で言いながら、外見だけを評価してずいぶんほめそやす文化が学校教育にはいまだあるのだから)

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主体的な・・・


大きなゴールは、いったいどこにあるのか。
学校の中に、それがあるのか?それとも無い、のか?


わたしは、人生が幸福になるためには、

「自分自身が自分の人生の主人になること」

が必要だと考える。

文科省がそう教えているから、そうだと思う。
文科省は、ことごとく、「主体的な」という言葉でもって、
自分自身を主体的に行動させること、自分が自分の主人になること、を強調する。

わたしは、文科省の言うことが、すべてゼッタイに正しいといいきる判断力を持っていないが、しかしながら、他者がわたしの人生を操作する、というよりかは、はるかに
自分が自分自身を主体的に運営していく
、という考えの方が、幸福に近いように思う。


そうなるために、必要なものはなにか?

・そうなるように考えていく、そのためのきっかけになる視点。
・考えていこうとする意欲。
・自分とは何か、に向き合うための筋道。

結局は、自分とは何かを知る、という体験か。
それが学校にあるかないか、でしょうか。

・・・ところが、自分とは何か。これにどう向き合えばいいか、どう考えたらいいか、それが分からない。分かるのは、

「なにかきっかけがあればすぐに腹をたて、いろんなことが不満で、劣等感や恨みから派生する様々な悩みに苛まされ、自分の人生なのにも関わらず、まったく主体的にはなれそうもない自分」

である。

文科省は、すべての根幹に位置する理念として「主体的な個の確立」を謳っているんだけど・・・なかなか。

主体的に、というの、どういう意味か、まだ判然としない。

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幼児を育てながらの先生

頭が下がる。

「家に帰るとお母ちゃん」
という先生に対して。

わたしの隣の机の先生は、若い女性の先生だ。3歳と6歳の子がいる。
夕方の職員室にいるまでは、シュッとした顔つき。
「ワタシこそ、小学校の先生です」と言う顔だ。

ところが、いざかばんを持って、家に帰る頃から、顔つきが変わる。
今から西友によって牛乳と〇〇を買って、などと言っている。
ママの顔になる。
家には、お母ちゃんを心待ちにしている子がいる、ということ。

家に帰ったら、「先生」の肩書は外さないと。
教育者のような気持ちのまま、家に帰ってほしいとは、子どもは思っていないだろう。
先生のままで帰宅せず、母親になって帰ることが必要。

われわれは、同僚は、そのお母ちゃんの負担をできるだけ減らせるように。
子どもが望むのは、保護者であり、先生ではない。
といっても、現状はかなり難しい。ほとんどの先生が家で明日の授業の準備をしているはず。

(・・・といって、わたしも父親なので、早めに帰ろうっと・・・)

母

言うことを聞く子、きかない子

嫁様は最近になって保育園で勤務しだした。

職場では新人で、子どもからも
「あの先生は、新しくきたんだよ」
とみなされている。

Aちゃんが、食後の片づけをしないまま、
お皿を持ってこないで、そのまま園庭に走っていこうとした。

嫁様は、あっ、と思った。
そして、とっさに「Aちゃん!片付けは・・・!」と、
言った。

Aちゃんは止まったが、また外をむいて、
やはり走っていこうとした。

今度は、園長先生が、
「Aちゃん、お片付けしてから~」
と言った。
すると、Aちゃんは、観念したかのように、歩いて戻ってきて、きちんと片づけたのであります。



嫁様はそれが面白かったらしく、
「園長先生はオーラがあるから、やるんだよね。観念してね」
と言った。


わたしは、子どものAちゃんから見て、園長先生と嫁様はなにが違うか、と思う。

Aちゃんは、園長先生が怖くて、言うことを聞いたのではない。
Aちゃんからすると、嫁様の発言は、意味は分かるが、自分が聞くこと、ではない。
ところがAちゃんからして、園長先生の一言は、自分がそれを聞くこと、になってる。


園長先生と、Aちゃんとの間の、それは信頼関係というべきか、
かたく結ばれた、なにかなのでありましょう。

この人のイウコトは、聞きたい。

そう思わせるものが、Aちゃんの中には、あるのですな。
園長先生に対しての・・・。


わたしはそれは、園長先生への、信頼だと思いたい。
園長先生は、最後には

「わたしはあなたのために最後まで責任を持つ」

という、真摯なオーラを持っているのではないか、と。

嫁様に無いわけではないだろうけど、どこかで
「わたしは平社員だから」
という意識があるのではないか・・・(ごめん)

教育とは、目の前の子どもに対して、良心によって、直接的に責任を果たそうとすること。
だれか別のえらい人が総責任者になってしまったら、もう現場ではだれも「当事者」にならない。

これがいちばん、恐ろしい。
「上からの指示なんでー」
という教育ほど、恐ろしいものはない。
だって、目の前の子どもに対して、何も思わない、ということが許されてしまうようになるからね。

現場の教師を、教頭校長が支え、教育委員会が支え、国が支えてほしいものだ。
ところが、国の指示を自治体が受けて『とにかく、国からの指示ですんで』で内容には責任をもたないまま、教育委員会に丸投げしてしまったら、もう教育委員会はなにもできなくなる。
その、何もできなくなった教育委員会を校長や教頭たちが必死になって支え、現場の教師がなんとか子どもたちに命令し、飲み込ませようとしているのでなければいいが・・・

杞憂でありますように。

教育は、「なんせ、上からの指示ですから・・・」で動いてはいけない。
目の前の子に、直接に責任を負う担任が「何も思わずにいてよい」ことを、許してはいけない。

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1年生とのふしぎな会話

今の勤務校では、最初から高学年ばかり担任している。
そのせいで、どの子からも

「あらま先生は、高学年の先生」

と認知されているらしい。

よく低学年の小さな子たちから、

「あ、お兄ちゃんの先生だ」
とか
「お姉ちゃんの担任の先生だよ」
と、言われることが多い。



先日、給食室の近くですれちがった、どうも1年生らしい男の子が、

「せんせい、てぶくろをはめてください」

と言った。

わたしは最初ちょっと、意味が分からなかった。
とっさにあたりを見回したが、わたし以外に、教師はいなかった。

男の子が差し出したものを見ると、小さな手袋だ。
男の子はもう一度、

「せんせい、このてぶくろを、はめてください」

と言った。
そして、自分のかわいらしい右手を、いっしょにわたしに向けて差し出した。

わたしは、「こんなことって、あるのかしらん」
と、3秒くらい、考えた。

とりあえず、その真剣なまなざしに負けて、てぶくろを受け取ってみると、合点がいった。

その手袋は、よくあるように、はめる口(くち)、手を入れるところが、ゴムで伸び縮みしないのだ。わたしは口をひろげてみたが、少し伸びたかと思うと、その先が、きゅっと締まっている。あとで誰かがそう加工したものか、もともとそういう製品だったのか。

もしかしたら、口がひろくて、その子の手からすぐに脱げてしまったのかもしれない。だから、糸を入れて、口を狭くしたのかも。
それでも、よく見てみると、とくにそのような加工をしたようにも見えなかったので、そういうような製品だったのかもしれない。
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手を入れる内側は、ふわふわの起毛がしてあって、あたたかそうだ。
たぶん、手首まできちんと入れてしまえば、具合よく、おさまるのであろう。

わたしはその子の手をとり、てぶくろをかぶせようとして、努力をしてみた。
親指を入れ、残りの4本の先を入れて、手首までをなんとかその狭い口からおさめることに成功した。

すべて入れてしまうと、こっちも、と左手を出す。

左手もおさめると、笑顔になった。

そうか。1年生は、この時間に帰るのか。バスに乗るまで、校内で待っている子なのだろう。偶然通りかかったわたしをつかまえて、

「よし、もう手袋をしておこう」

と思ったらしい。


その子は手袋を顔の横で振って、にっこりして、

「せんせい、ありが、とう」

と言った。

そして、去っていった。



わたしは何をしにそこへ来たんだか、ちょっと思い出してから

「あ、そうだった。灯油を取りに来たんだった」

と、歩き始めました。

高学年ばかりやってると、こういう感覚が薄れてしまいますね。
そうだそうだ、1年生の担任のときは、手袋はめるとか、こんなことはふつうにやってたワ。

ブラックとよばれて

11月ごろから更新がおぼつかない日々。
土日もほとんど無いから、ブログが書けない。

「最近、アップされる記事が少ないですが」

ある方からメッセージを頂いたが、申し訳のないこと。

夜、早く帰ってくればいいのだが・・・。

残業の上限は月45時間” 教員の働き方で国が新方針
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181206/k10011736701000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_007

「これがブラックと呼ばれる所以(ゆえん)か」

夜中まで、先生たちは平気で職員室にいるけど、どの先生も遅くなればなるほど口をきかなくなっていく。そりゃそうだ。誰しも、一刻も早く帰りたいから。

自分の席から、コピー機まで、走っていく先生。
ボタンも、パッパッと押し、コピーしている間、目をとじて考え事をしている。
コピーが終わると、電光のごとく、用紙を手にしてあっという間に席にもどっている。

夜8時すぎに、電話が鳴る。
教頭がちゃんと受話器をとって、対応している。

教頭がぽつん、と言った。

「明日の時間割だった」

・・・

だれも反応せず、職員室にしずかな時間が流れていく。
カタカタカタ・・・
ピー
ゴトゴト。

シャッシャッ、という音は、赤ペンを走らせる音だ。
みると、1年生の先生。赤く、大きな〇をつけている。
いいなあ、低学年。問題数が少ないもの。
しかし、間違えた字などをていねいに直しているから、これまた時間はかかる。


一番の原因は、日本人の体力が落ちていることだろう。
だから、夜間の仕事の能率が上がらないのだ。
もっとも影響を受けるのは、目だ。
目が、しょぼしょぼしてくる。

年配の先生が、「あー、もう目がしょぼしょぼしてきた」と言って、パソコンの画面を何度も目をこすりながら見ている。

これが、教員がブラックと呼ばれる一番の原因だ。
しょぼしょぼしてきた目で、仕事の能率が上がるわけがない。

ブラックの名を返上するためには、ブルーベリーで目の健康を促進することだ。
ブラックには、ブルー。黒には、青で対抗だ。

ぜひ、文科省のえらい人に、提案したいです。
全国の小学校に、ブルーベリーを届けてください。
毎日毎晩、ブルーベリーを食べながら、心を満たしながら、先生方はがんばることと思います。
文科省に感謝しながら、よし、がんばろう、がんばるんだ、やりきろう、やりきって帰ろう、と。
そう思うことができるはず。

ブラックを、ブルーに。全国のPTAも、賛成してくれると思うネ。

ブルーベリー

腰痛に、紅茶キノコが効く!?

〇〇が効く!というのには、論理的な破たんがありますな。
ところが、紅茶キノコが効く!と断言されると、ちょっと面白そうだと思うネ。
UFOとか雪男、と同じ雰囲気で、楽しくなってくるような・・・。
え?こない?


さて、2学期も始まって1か月が経ち、そろそろ腰痛で悩まされる頃。
全国の小学校教師のみなさん、いかがお過ごしでしょうか。

職員室に、トクホンの香りがそこはかとなく香り、職員室や更衣室のごみ箱に、はがした白い湿布薬(のび~るタイプ)が捨てられているのを見るのも、ほぼ日課となりました。

腰痛をかかえる教師にとっては、教室の中に落ちているモノを拾うのが、きつくなりますわナ。
すると、

「先生ってすっごく面倒くさがりだよ。だって、消しゴムが落ちたのに、すぐ拾わないんだもの」

なんて、子どもたちが噂しますよ。
あなたのことを、なにも知らない子どもたちが。

消しゴムを拾うのに、冷や汗が出るくらいに腰が痛い、ということを、どうやってまだ10歳前後の子どもたちに、説明したらいいのだろうか。


久しぶりに思い出したので、貼っておきます。
(湿布じゃなくて『月刊腰痛』を・・・!)


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教員はブラックではない、とあえて

.
ずっと講師を続けていた知り合いの若い先生が、転職することに。
しばらく会っていないから、まだ今年も採用試験を受けるのだとばかり思っていた。
昨年秋、試験に落ちたことをメールで教えてもらい、

「また来年、がんばります」

と言っていたから、がんばれ!ぜったい受かる!と
励ましていた。


この間(かん)、どんなことを思っていらっしゃったのか。
昔、共に教育現場で汗を流した者どうしだ。なんだか寂しさがつのる。

WEBのデザインや広告の仕事に、「つて」があるらしい。
自宅で半分仕事ができ、会社には週に2日通えば、だいじょうぶだと。
貯金で、自宅用の高速PCを買うのだ、とメールで教えてくれた。
「最新のフルスペックを購入します。貯金がなくなりました(笑)」
と、明るい調子のメールが届いた。


まだ20代、若い彼の意思は尊重せねばならない。
新しい前途を祝していかねばならない。
そう思うも、なにか心にひっかかるものがあった。



教員は、ブラックだ、という指摘が、世間にはある。
たしかに過労死する教頭のニュース、失敗を責められ世間の矢面に立つ校長の映像、
保護者対応に苦慮する教員、エアコン・クーラーのない教室、
「学校は変だ」「先生は、ズレている」「教育委員会はおかしい」
すべて、教員のたたかれぶりを見ていたら「こんな職業はあかん」と思って
志望率も下がるのは分かる。

実際そろそろ、大都市では3倍を切るほどまで、倍率は下がった。

逆に言うと、

なろうとするには魅力がなく、なりてのいない職業

だ、ということ。



若くて、希望や、願いや、たくましい夢をもって、
現場に来る人がいなくなるようで、さびしい。

教育現場は、ますます光のあたらない、暗いイメージの、職場として
語られるようになっていくのだろうか。
若い世代はもちろん、世間一般にも、
『教員の職場』が、あまりにも暗く語られていないだろうか。

ところが、世間でそう言っていても、教室は明るく、笑いに満ちている。
やさしさと楽しさ、学ぶ面白さで、わくわくしている。

このギャップを感じている身として、どうにもなにか一言、いいたくなる。

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45分間、きっちり学習するのです!

新卒?と思われる先生から、当ブログを通じて、メッセージが来ました。
(メッセージは、コメントとはちがって、公開されません)

ちょっと忙しくしているせいで、なかなか返事が書けません。
そこで、ブログに書きますから、と了承をいただきました。


ずばり、回答は、端的に、こういうことです。

「授業は45分間、きっちりやります」



このことを、子どもに伝える、ということ。

「先生は、授業は45分間、きっちりやります」
「先生は、授業は45分間、きちんとやりたい」
「先生は、授業というのは1分もおろそかにせず、45分なら45分間、ぜんぶやる」
「先生は、45分間やることが仕事です」

とか、なんとか・・・。
言い回しとか、言葉はどうでもいいですが。


これを、耳にタコができるくらい、子どもたちに伝えてみたらどうでしょう。

実は、子どもも、45分間、勉強したい、と思っているかもしれませんし、ね。
わたしはおそらく、子どもたちというのは、そう願っているものなのではないか、とかなり強く確信していますよ。

子どもたちが、

次の時間もやりたい!やろう!


という授業を、お互いにやりましょうぜ!!!

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やっぱり今年も

.
前ブログのタイトルが、「叱らないでもいいですか」であった。
もうすでに叱らない、という行為そのものは自明のことになってきているので、その行為の意味はともかくとして、前提として自分が一切困らない、という心的態度があるのではないか、というところから、タイトルを『困らないけど、いいですか』と変えて1年が経った。

やはり今年も、「きみたちはやさしいねえ」こんなことばっかり、言ってる。




なぜ人にやさしくできるのか、ということが、不思議で仕方がなく、
そのことについての回答を、現時点で世の中のどこかで見たことが無い。
だから、毎日自分自身で考えていくしかないのだが、
考えても考えても、結論はでてこない。
ただただ、不思議、というだけである。

現在、わたしがぶち当たっているのは、「好き」という感情だ。

友だちのことが、大好き。

目の前のあなたのことが、大好き。

これが、どうやら、子どもにあるようなんであります。

人にやさしくしているもっぱらの理由は、これなのではないか、と見当をつけている段階。



なぜ好きになるのか。
これが、なぞでして・・・。


不思議で仕方がない。

なんで、そこまでして、友だちのためにするのか。


これを教室で言い続けていると、子どもたちも混乱してきて、

「なんだかわからんけど、好きなんよ」

と言い始める。


わたしは、なおも食い下がる。

「なんで好きなんだ」

と。


「わけわからんけど、どうしても好きなんよ」


と、子どもらは、言う。

困惑しきって、そう言う。

好きに、理由はない、という。

ところがわたしは食い下がる。

いや、きっとわけがあるはずだ。

でも、いくらあがいても、理由らしきものが無い。






とまれ、〇〇しなければだめだ、というような、余計な指導はやっぱり要らない気がするね。

この、「行動面の指導は不要」という考え方を、「アンゴッブ(UNGOB:アンネセサリーザガイダンスオブビヘイビアの略)」という。

こいのぼりm
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