30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

教師とは・・・

教員採用試験を受ける人が少ない件

転職、転職、そして転職、さらに転職で教員になった私のような人間こそが、このことについていうべきことがあろうと思いまして。

文科省が、「教員のなり手がいない、採用試験の応募者も少ない、どうしよう」と悩んでいるようです。

それはもう若者自体の人数が減っているわけだし、日本人の総数が減っていくのですから、もう日本自体が昔のようにぜいたくはできないし、あるものを有効に利用しながら活かしていくという、省エネの暮らしに変えていくしかないわけで、教員になりたいという若者がいなくなるのは当然でして。

それがわかっているので、手を打たなければならないのですが、有効な手を打てていない。

文科省は、学校というシステムや装置自体を、縮小していくことに加えて、とりあえず今の危機をしのぐために教員になろうとする人間を増やさないといけない。しかし、なかなか難しいようです。

このことがだんだんと世間でも話題になっていまして、どうやら採用試験のルールや日付を変えたりなど、小手先のことしかまだやっていない様子。
あとできることは、「やりがい」がある仕事です、というのを世間にアピールすることくらいらしい。

やりがいのない仕事なんて、ないでしょう。
どんな仕事だって、やりがいはありますよ!

なぜ教員のやりがいを主張したら、世間の若者が応募してくると思っているのかわからない。
他の仕事にもたくさんやりがいがあるんで、・・・
やりがいがあるよ、と100万回、文科省が叫んだところで「あそう」で終わると思う・・・。
くれぐれも、どんな仕事にも、やりがいはありますから。

もしかしたら、教員のしごとは特別だとか、文科省さん、思い上がった気持ちでいるのでは・?
そんなことないっすよね。

わたし、19歳から35歳まで、他の仕事をしまくりましたので、これ言えるんです。
教員になる前に、たーくさんの職業をしたんで。
どの仕事もね、夢中になってやっている人がたくさんいて、みんな誇りをもっておりまして、世のために尽くしているのですね、それでやりがいがあるんです。教員のやりがいを主張されても、

だから、なに?

というしかない・・・
やりがいがあるから、教員になってくれ、といわれて、若者たち、じゃあ教員になろうかな、とはならない。
文科省は、なぜそれがわからないのか、と考えていたら気づいた。

それがわかるような文科省なら、もう10年以上前から働き方改革してるよ!
わからないからこそ、その体質だからこそ、今の困った現状があるのじゃないか。至極当然。

他の仕事、他の業種は昭和から平成にかけて、どの職業も、どの職種も、労働基準法で仕事が成り立つように、苦しいながらも現場で人が働けるように、それでも利益が出るように、と、ものすごく苦労してきた歴史があるわけですね。

でも、その努力を、すべて教員の個人的な良心と善意に、依存してきたわけで。
今、そのマイナス面が噴出してきちゃった。
だれも、教員になんて、なりたくないんですよ。お昼ご飯を5分以内で食べなきゃいけなくて、休憩時間というものがなく、ほぼ10時間くらい、立ち続けているような仕事。みんな少しは座りたいから。

先日来ていた教育実習生が、「本当に休憩ってないんですね」と言っていたのが印象的でした。
当たり前過ぎて麻痺している、担当の先生に「そだよ」と1秒で流されていましたが。

労働基準法が、例外視されてしまい、それがふつうとなってしまった教員の仕事。
労働基準法が、ないこととされている異常な空間。
若い人たちがやりたくないって。無理もない。

文科省の人たちも、本当は気づいている。
でも、予算がおりないんだって。
だからどうしようもないって。

いや、予算かけないでいいのですね。金は使わないでも。
子どもに関すること以外の余計な仕事が減れば、万事、うまく回転し始める。かんたんなこと。

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教師はますます 教えなくなるが、弊害はなくなっていく

教師の仕事は 一昔前とはもう大いに違ってきております。

早い人で、もう3、40年以上前から、いわゆる【上から下へ知識を流す】と言うような一方通行のイメージはなくなっていると思います。

教師の世界で批判されるのは、このタイプで、もう30年以上前の教師用の教育委員会の資料でも、いわゆる「鵜飼」型の指導は批判されています。

次に現れたのが、トライアングル型で、先生は、どこかの頂点にはいるのですが、他の2つの頂点は、どちらも子どもで、いわゆるこども同士を、お互いにつないでいると言うようなイメージが生まれます。

教師はそこに適切に介在し、子どもたちの討論が生まれるように、あるいはお互いに疑問点や意見を出し合いるように、場を整えていきます。

これは教室のあり方としては、非常に正しく今でもこれは間違っていません。

このことが土台になり、今の教室のイメージはさらに発展しております。
と申しますのは、実は教師子ども以外のものがそこに大きく登場してくるのです。

それが、「データベース(知恵の泉)」です。

子どもは様々な意見を瞬時に把握し、どこにどんな情報があるかを見抜いて、自分の意見のたしからしさを調べる作業に時間を使うのです。

・教科書に書いてあるが、本当だろうか?
・もっと細かなちがいはあるか?
・AとBの比較で、さらに共通と呼べる部分はあるか?

友達の体験に裏打ちされた意見を、電子黒板でサッと判断するのです。
ぜんぶ、いっしゅんで出ますからね。見てわかる。これが早いです。
電子黒板がなければ、一人ひとりに大きな画用紙に書いてパッと差し出してもらうか、あるいは一人ひとりが自分の意見をとうとうと話すことになるのでしょう。そんなことしてたら45分はあっという間に無くなります。

子どもたちはクラス全員が同じように【知識の泉】をとりまくようにして立ち、いっしょの目線でデータベースを眺めながら、意見を交換し合うのです。で、ふと気がつくと先生もいっしょに横に立っている、というような・・・

これが令和の教育における、教師の立ち位置なわけですね。
昭和とはかなりちがうことがおわかりいただけたでしょうか。

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あと、もう一点、考えなければならないことがあります。
調べる際にインターネットを使う場合がありますね。
大切なのは、この、インターネットのデータベースは全て正しいわけではないと言うところが、現代の、本当に現代らしさを反映した部分だと言えましょう。

教室で子どもたちが出会う知識と言うのは、すべからく正しいものである、と言うのが、これまでの常識だったのではないでしょうか。

その最たるものが、昭和初期の教育で、教師の言う事は絶対である、と言うような雰囲気があったそうですね。祖父や父から聞いただけで、実際に体験したわけではないけれど。

ところが、今現在知識と言うのは正しいかどうかと言うことが非常に疑われる時代になってきました。
子どもが何かを知ろうと思ったときに、実はインターネットというものが存在しており、いつの間にか人間社会は、インターネットで検索してみた知識、と言うものを無視することができなくなってきています。

え? 教室でインターネット使うの?心配!インターネットは嘘ばっかりよ!?

と言う皆さん。ご心配なく。
そんなこと子どもだって知ってます。

インターネット初期の時代は、インターネットに書かれていることは、かなり真実なのだろうと考える人が多かったです。でももうすでにほぼ全国民が、インターネットは嘘ばかりと言うことを実は知っています。

なので、子どもも検索したあと、例えばこんな反応をします。

ここにこんなふうに書いてあって、そういうことになってるみたいだけど、ほんとかなぁ?

これが令和6年度の子どもたちの実際の姿です。

しかし、インターネットを無視できないものとして、教育をする事はもうすでにできなくなっています。
なぜなら、教室でありとあらゆることを討論する際に、必ず誰かがインターネットで調べてみたいと思うからです。大人の真似をして・・・。

全国民の大人たちが、インターネットで調べるのを、当然のようにやります。だからなのか、子どももインターネットで調べたい、と思うらしいのです。

嘘ばかり載っているんだから、教室では調べない、と言うことにすると、宿題では無いのに、勝手に家で調べてきたりします。インターネットで。
なので、どうしても教室で何かを考える際に、インターネットの存在を全員の頭の中から消すわけにはいかないのです。

時代は、ここまで進んでしまいました。

開き直ったのは、文科省です。

文科省は、1人1台、タブレットを配りました。そして、子どもたちの意見がまとまらないことを前提に、授業を組むようになったのです。

当然、人間は、一人一人意見が違って当たり前ですから、子どもたちは自分の端末に、自分の意見を書いて提出します。教員はそれを全員に見せます。子どもたちは自分と似たような子どもの意見を探したり、あるいは違う意見を見つけたりします。そして疑問点を直接その子どもにぶつけに行ったり、自分の意見と似たような友達にやっぱりそうだよねと確認をしに行ったりします。そして自分の意見を支える論拠となる部分をさらに練り直すのです。
これが最近の授業の様子です。教師が研修でお互いの授業を見合うことはありますが、どの授業もたいていこんな感じに仕上がっておりますね。


思い返せば、昭和の先生は、みんなありとあらゆることに造詣が深く、ご自身の知識をたくさん授けてくださいました。
それに比べて、令和の教員は、本当に存在感が薄いです。いや、逆に濃いのかもしれませんが。

教員と子どもの間には必ずデータベースの巨大な知識の泉がそこに存在しています。教員は、まっすぐ子どもにアプローチするのではなく、巨大な知識の泉を迂回するようにして、子どもの横側に、そっと現れて、知識の泉を指差して言うのです。

この辺にこんな知識が書いてあるけど、参考になるかなぁ?

どうですか?
これが令和の先生です。
威厳もへったくれもありません。

ですが、誤解がなくなって私はいいと思います。
だって先生だって知らないことたくさんあるんだもの。

昭和の子どものように、純粋な目でキラキラと先生を見つめて、
「先生は何でもご存知だ」
と憧れるような事はありません。
でも、そんな実態からかけ離れたようなポーズは取らなくて良いのです。
それはたくさん知ってたほうがいいかもしれないけど、知識を更新していなければ、価値は無いでしょう。

だから、もう教師はデータベースとは喧嘩しないのです。
データベースと張り合ったって負けるに決まっています。
なので、子どもがデータベースをじっくりと見て、自分の意見を醸成しようとして腕を組んで唸っている、その横にふっと現れるのです。

子どもはふと現れた先生を横に見て言うでしょう。

「あ、先生。何か用?」

すると先生は、もじもじしながら、おずおずしながら言うのです。

「あ、さっき提出されたカード見たんだけど、あれなかなか鋭い見方だよね。感心したよ。でさ、このクラスにもう1人、ちょっと違うけど、似たようなところを調べている子がいたから、話してみたらどうかなと思ってね。◯◯くんなんだけど・・・」

くれぐれも、これ大学の話じゃないですよ?小学生の話です。

先生はもう教室の真ん中にはいません。
これを知らないので、多くの保護者は、誤解をしていまして、授業参観に来ると、先生は何もしないじゃないか!とお怒りになる保護者もいるようです。無理もないけどネー。

変わりすぎだろ!

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出来ない、やれない、の価値をどう見るか

学校と言う教育機関にいるために、どの子もできるようにしていくと言うことが教師の使命である。そのために研修も受けるし、個人的な勉強も行うし、もうほとんどすべてのエネルギーをそこに費やしてゆく。

ただ、一方で、いわゆるできない子、やれない子について、教員がそれをだめなことと認識してしまうと、そう思ったことが顔に出てしまう。
会社では、上司がいかに腹を立てても良いし、パワハラもあるようだし、できない社員に対して、全くお前はどうしようもないなというのを表情に出しても良いのでありましょう。古い話になるが、映画の釣りバカ日誌などはそういう場面もありましたね。

しかし、その表情に出すのは、小学校では絶対にしてはいけない。逆上がりが失敗した子に、お前はダメだなぁと言う表情を浮かべては絶対にいけない。

次に、表情にさえ出さなければ思っても良いのかと言う問題が生じる。
このことについて、文献を調べてみたが、結局、唐十郎の演劇論や、舞台芸術、俳優論などに行き着いた。

ルビーの指環で大ヒットした寺尾聰のお父さんである
宇野 重吉(うの じゅうきち、1914年大正3年〉9月27日 - 1988年昭和63年〉1月9日
が、究極の演劇理論を口にしている。
それは、思えば出る、と言うたった5文字のことでありまして、すべての演劇は、このたった5文字に帰結すると言うので、まぁ、深い言葉であります。

例えば、価値がないなぁと思ってしまうと、やはりどんなものを見ても、それは顔に出てくると言うのであります。
逆に言うと、すげえなぁとも思ったなら、どんなに大したことがない、という表情を浮かべようとしても、どこかにすげえなぁと言うものがにじみ出てくると言うのです。宇野重吉はすごいことを言いますね。

教師に置き換えてみると、教師は、できない子に対して、なんだできないなぁ、大した事ないなぁ、だめだなぁと思ってはいけないと言うのです。

教師はできるようになってほしいと願いを持って子供に接しますが、その子がやってみて、できなかったとしても、だから、価値がないとは思わないのです。

その頑張ろうとしている態度や、あるいは頑張ろうとしていなくても、興味関心を少しでも振り分けたのなら、あるいは、興味関心を少しも持たずとも、学習対象に対して、ちらりとでも見たのなら、あるいはちらりと見ないで、無視したとしても、学校に来たのであれば、あるいは、学校に来なくても、学校に来ようと言う気持ちを、少しでも持ったのなら、あるいは、学校に来ようなど、微塵にも思わなくても、学校から電話をしたときに、受話器を取って反応してくれたら、それで大満足をするのが教師と言う生き物なのです。

これを会社の経営者に、同じ気持ちになれと言っても無理でしょう。資本主義なのですからあり得ません。

つまり、教員は、資本主義には生きていないのです。これは、宿命であり、運命なのですから、職業として仕方がないことなのです。

この資本主義の世の中で、資本主義の中に組み込まれていない職業があったということなのです。

やばいですね。しかし、私たちはそれを引き受けなければいけませんし、受容しなければならないのです。

問題は、文科省の偉い人だけでなく、政治家がそのことをわかってないことですな。いいえ、ちゃんと理解している方もたくさんいますから安心してください。

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ちっとも進まないが腹をくくった件

学級開きをして、ついに新学期がはじまった。

今年のわたしの目標は、子ども主体、ということ。
これまでは、子ども主体といいながらも、教師の都合、大人の都合で教育課程を終わらせることを優先していた。


しかし もう この年になり 教員 人生として後半に入って、終わりが見えてきてしまうと 心境が変わってきた。
周囲から多少の文句 や 意見を言われようとも 目の前の子供に対して直接責任を負う気持ちで指導してみたい。

こういうことを書くと
「直接責任を負うとはなにごとか。すべて国の定めに従うのが公務員だろ」
とお叱りを受けそうだ。

しかし、目の前の子供達が最も力をつける 国力をつけるということに 誠心誠意 従うのが本当の教員の勤めだろうと思うようにもなってきた。

これが真の愛国ということではなかろうか。

そこで もう この教室は自分のものではない いわゆる大人として保護者としての観点で 監督はさせてもらうが この教室自体 あるいはこの活動の場所 活動の内容については当事者である子供たちが決めて行くのが最もいいだろうと考えることにした

このことに 春休み中に思い至ったため 私はすっかり楽な気持ちになった

一番楽だと感じたのは教室の春休み中の整備である

毎年 私は春休みになると 教室を最大に カスタマイズして1年のスタートを子供たちが楽しみにできるようにと 自分の時間を全て投げ打つ覚悟で微細に念を入れて掃除をし 新しい 鉛筆削りを備えるばかりか、忘れた子用の鉛筆やノートをたくさん仕入れてレイアウトを試行錯誤し、もうほとんど 自分の時間は 0に近かった

しかし今年はそんなことを一切しなかったのですな

一応 片付けができている程度の教室でスタートしたのであります

おかげで、家族との時間が少しばかりは取れたのは、僥倖と言えましょう。

何という楽なことだろうかと 教員 人生 20年目を迎える 私は 本当に楽な気持ちになりました

私は子供たちに挨拶する際
開口一番 さあ どんなクラスにする?
と聞いた

オルガンの置く場所はどこにしよう?

子供たちは最初何がを聞かれたのかわかっていませんでしたナ

子供たちは最初は面食らったが自分たちが決めていいのだとわかると途端に意見を言い出した

結局 去年と同じような場所に決まったのだが その場所を決めるためになんと1時間以上 時間を使った

この話を同僚の先生にすると呆れたような驚くような声を出した

私は同じように 電子黒板の位置も子供に決めさせた

これも議論が分かれたが子供達は最終的に 窓側の斬新な場所をえらびました

ちょっと私からしたらやりにくい場所なのですが、やってやれないことはない

席順も最初からどうするか 子供達に考えてもらいました

席替えとなると、目の色を変えるのが小学生と言う生き物。
てんやわんや、声の大きなこの意見が通り そうだったのですが
私はそれは許しませんでした

チャンスですから、次のセリフを言いました。

本当に思ったことを言わないとあなたのクラスにはならないよ

実はこのセリフを言いたくてこの時間を仕組んだのでありました


あなたの意見を出すのだ
あなたが本当に思ってる 意見を出すのだ
あなたの心の中にある本当の気持ちをみんなに言うことで 初めてこのクラスは あなたのものになるのだ
遠慮 というのは決して誰の得にもならない

これでほぼ最初の2、3日を使ってしまったために、すでに他のクラスと国語も 算数も2時間分以上の差が開いてしまった

私はほんの少し やばいと思った

しかし私は得るものは得たと思う

事あるごとに 私はその後、何度も同じことを繰り返して言うのです

本当に思ってることを言えてるかな これがいいという気持ちがちゃんと言えてるかな 本当はこうしたいって言えると気持ちが良いよね

また それを聞いている子たちに対しても友達が本当に思ってることを言ってくれると同じ意見の人は一緒だって楽しくなるよね
もし違う意見が出たとしても あそんな考え もあったんだと思ってそれも嬉しいよね
もっともっと考えようね

ということを何度言っても子供たちが納得した表情を浮かべ続けるのである

この 浮かべ続けるというところが 私としては今の日本にとても大切なことではないかと思っている

それにしてもあぁ自分は歳をとったなと思います
国語も算数もかなり遅れております
でも、何故か平気なんです
平気なのは本当は問題です

でも平気であります
要するに、人生ってこうしなければならないと言うのは本当にないのですね
自分が直接に素責任を負うと言うふうに決めたら、もうなんだっていいのです

それでうまくいけばいいし、うまく行かなくても全く良いのです

風邪は引いてもいいし、ひかなくても良い
引いたら引いたで、風邪を引けば良いのです
直接に責任を負うのは、私なのですから

そして、責められたら、攻められたで人から責められれば良いのです
責められたらおしまいだと言う考えが、若い頃は私にも多少ありましたが、実際には責められたら攻められたで、それは全くと言って良いほど素晴らしいことなのです

というわけで、私は至極泰然とした気持ちでスタートしました
国語も算数も遅れていましたが、もう取り返して追いついてしまいましたゼ。


写真は藤の花です
私の剪定の下手さには定評があるのですが、いかに剪定が下手でも、木は枯れませんでした
そして、枯れたら枯れたで良いのです。そして、泣くのが人生。


災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候


上記は良寛のことばです。
災難に逢うときは災難に遭い、死ぬときには死ぬしかない。私たちがどんなに手を尽くしてもそれは変えられません。だとしたら、それらを受け入れて生きるしかない。どんなに不運が続き、大災害に逢おうとも、それは紛れもない命の現実の姿でしかない。

「人として生まれたからには生老病死からは逃れることはできず、あるがままを受け入れ、その時自分ができることを一生懸命やるしかない」


ここまで思い切るには時間は必要。

災難に逢うときには、災難に逢うしかない。「遭う」ではなく、「逢う」と書いているのは、なぜか。

『遭う』とは、嫌な事柄に偶然に出会ってしまうことに対し、『逢う』とは、親しい人にめぐりあったときに使う言葉。

災難に逢う、と書いた良寛。良寛はこれを書いたときが17歳。相当な生きるうえでの覚悟があったと思われる。
しかし、まぁ、藤も本当によく咲いてくれました。

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PTA懇談会の速記録 その3

(つづきから)

でも、考えてみたら、先生が、子どもの世話を焼く、というのは、本来当たり前のことですね。

ところが、実際にはそうでない。
案外と、子どもが精神的には大人よりも上で、大人の心情を推しはかって、あるいは心配して(笑)・・・

子どもが大人の世話をしてる、面倒を見てる、ってこと、よくあるんですよね。

どのくらいの割合だと思います?

これ、ちょっと、みなさんの意見を聞いてみようかなあ。
挙手でお願いしますね(笑)。

大人が子どもの世話をするが9。子どもが大人の世話をするが1、と、このくらいの人? つまり9対1で、まだ大人が子どもの世話をしてるんだ、という・・・。

ああ、意外とこれ、みなさんそんくらい。まあまあいらっしゃいますね。

8:2は?
2くらいは、子どもが大人の心配をして、忖度してるのでは、という・・・、あ、このくらいかな。

では、半分。5:5くらいだと思われる方。

エーッ!
おお・・・!意外に多いですね!もっと少ないかと思いましたが。意外。

いや、逆に、子どもってのは大人の機嫌を見てるもんだ、気にして暮らしてるんだ、と、その割合の方がひょっとしたら多い、と思われる方?

ああ、少し!
あ、でも、いらっしゃいますね。
あ、そうですか、お子さん、忖度してる!?(笑)

ありがとうございました。
うーん、なるほどですね。
親が子どもの世話をするのか、それとも子どもが大人の世話をしているのか・・・。

だんだんと、わからなくなってまいりましたね。(笑)

さて、謎が深まってきたところで、お時間がまいりました。(笑)

でも、いかがですかね。
今日、お家にお帰りになったら、ぜひちょっと気にしてみるのも、いいかもしれないです。あ、今、どっちかなあ、って。(笑)
忖度された?今! 母の機嫌を損ねないように、って。あら、今、私、お世話されたかしらって。(笑)

どっちもある、ってことですよね。私たちは、いつも、いつの間にか、大人が子どもの世話をするんだ、一方通行なんだ、と思って暮らしがちです。
でも、実際は両方向ですよね。

あ、このままいったら、先生、困るよね、とか。これだとスムーズじゃないよな、とか。コレすると大人が大変だから、今はこうしとこう、とか。子どもたちは、すごく考えて、日々、生活してます。目線は完全に、教師よりも上、でございます。

彼らは、決して立ち位置を上下で考えてはいません。もし、上下で考えたとしたら、それは大人がそうさせたんでしょう。俺が上だ、と、何かそうさせるものが、子どもにそう思わせるようなことが、あったんでしょうね。
先に生まれたから上とか、違うわけです。子どもに教わることは、多いですよ。仲直りのスピードでしたら、多くの大人が、子どもに負けます。大人の方が面倒で、妙にこだわってます。子どもに見習うことは、すごくたくさんあります。

いつも思うんですが、総理大臣でさえ、私は子どもからいろいろと教われば良いと思いますね。人として、どう生きるべきか。彼らの、友達を守ろうとする気持ちとか、かばうスピードとか、学ぶべきですよ。
まあ、裏金問題では、身内だろうが仲間だろうが、そんなのはかばって欲しくないですが。(笑)

以上です。
最後まで、本当に、ありがとうございました。
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PTA懇談会の速記録 その2

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(その1 より つづき)

この本には、子どもをよく見ろ、とあります。
とくに先生になりたての若い先生は、子どもをよく見ていない。そのことが指摘してあります。書いているのはもちろんベテランの先生です。

「子どもをみなさい」

そして、宿題を出しているかどうかというのは決して見過ごしてはいけない。
一度でもスルーしてしまえば、出さなくてもよいと思わせてしまう。だから、とくに最初の1週間は目を皿のようにして、子どもを観なさい、と。

よくあるのは、先生のこんなセリフです。

「全員出しましたか?まだ出していない子はいませんか?いや、まだ出していない人が2人いる!」(笑)


まあ、こういうことを繰り返していると、子どもは宿題を出すようになります。なぜかというと、面倒だからです。宿題をやるのが面倒なんじゃない。それ以上に、宿題を出さないと、先生のこういう調査とか指摘する作業に、毎日のように付き合わなければならない。それが面倒なんです。

「出さないと先生うるさいからなー」

これ、長谷川さんをみる、山之内君の目線とかぶりません?

「一緒にサウナに入ってあげないと、長谷川さんうるさいからなー」

ほら、長谷川さん、出てきた。(笑)

学校で、アルミ缶を集めています。リサイクル活動というやつ。これ、妙なことにクラスで目標を立てるんですよ。今月いくつ集めるかって。不思議だと思いません?だって、アルミ缶を買うのは、小学生のやることじゃないですよ。それぞれの家庭で、暮らしの中から少しずつ出てきたのを集めて、まあリサイクルしてみましょうか、というのが実際だと思うのですけど。

でも、これを目標を立てて、学校全体で集めよう、ということをする。児童会の活動なんです。アルミ缶回収を、環境委員会とか、清掃委員会とかがやるんですよ。各学校で。
すると、目標の数に到達しない。みんな、クラスで目標を立てていますから。1学期で200個とか。すると、アメとムチの論理でやろう、ということが出てきます。必ずといっていいくらい。

どうするかというと、まずはたくさんもってきたクラスを、給食の時間に校内放送で発表します。栄誉をたたえるわけです。5年2組は、今月、300個もってきてくれました。ありがとうございます。とか。
すると、クラスによってはプレッシャーを感じて、帰りの会とかで子どもがやるようになります。
「今週、アルミ缶をもってこなかった人は立ってください。金曜日までに必ずひとり3個持ってくるようにしてください」
で、立った子が悲痛な顔で、「すみません。必ず持ってきます」とか。

給食残飯グランプリ、というのもありました。
給食でおかずとかご飯が残ります。すると、その残滓の量をはかるんです。またお昼の放送です。
「今月、いちばん残滓の少なかったクラスは、6年1組でした!おめでとうございます!」
これ、賞品がつくんですよ。専科の担任の先生の分とか、デザートのヨーグルトとか、たまに残るんです。それが、6年1組に配られるの。逆に、残滓の多いクラスも発表されます。すると、つらいですよ。罰はないです。ただ、もっと減らすようにしましょう、と言われるだけ。でも、なんだかさらし者にでもなったみたいで、いやなものですよ。

ほら、ここにも、アメとムチの論理、生きてるでしょう?

根深いのです。ずっと学校で、子どもと先生と、ち密に組み立ててしっかりと強固なシステムとして、日本の誇る『しつけの文化・教育文化』として、会社でも商店でも学校でも、ありとあらゆる場所で育んで大切にしてきた制度であり、文化なんです。アメとムチ、これは本当に根深いと思います。

アメとムチで、経営をしていると、子どもたちはどうしても、山之内君の視点で動くようになります。
〇〇しないと、先生が気の毒だ。〇〇していかないと、先生が困る。〇〇していかないと、学校全体として、なんかまずいみたい。
まあ、仕方がないから、このシステムにつきあってあげるか、ということになります。本当はまったく意味が分からんけど、という。
これ、子どもが先生や学校の世話をする、という姿勢です。


山之内君がヤクザの世話をするのは、変じゃないか、と思いますか?
同様に、子どもが大人や先生の世話を焼くというのは、変だと思います?

どうでしょうね。

 自分は、回り道をして学校の教師になりましたので、大学の教育学部を出たわけでもなく、教育実習も受けていません。だから、たぶん、わたしは、教育のことがよく分かっていないんだと思います。教員になってそろそろ20年ですが、ちっとも分かりません。

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PTA懇談会の速記録 その1

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~文字起こし~

今日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。 

 え、いきなりですが、ヤクザさんの話から始めたいと思います。(保護者の皆さん笑)

小学生の頃のことです。
わたし、当時5年生だったと思います。

ヤクザに会うのですよ。銭湯で。
うち、家に風呂があったのですけど、近所に山之内くんという子がいまして。彼の家はお風呂が壊れて、しばらくの間、銭湯に通ってた。一人で通ってたんですけど、つまらないので、友達のわたしを誘うようになりました。
私も家で風呂に入るのはつまらないし、山之内君と遊べるので、喜んでいっしょに行ってました。母親は金がかかる、とこぼしていましたが。

山之内くんがお風呂で恐れていることが一つありました。近所のヤクザに会うのですよ。背中に、でかい鯉の彫物がありました。
で、そのヤクザは、私たちを見つけると、
「よし、今日はおれがお前たちを鍛えてやる」
とか言って、サウナ室へ入れ、とか、指示するわけです。
我々はなんでか知らないけど、お付き合いしなければならない。

サウナに付き合い、その後は風呂の中に何秒沈んでいられるか、というやつ。
ヤクザはやらないんですよ。わたしと山之内くんだけにやらせるの。
たまに、近所の小学生とかが運悪く加わることがありましたが、山之内君とわたしは彼にとっても気に入られまして、よくその根性を叩き直す、という訓練をやらされました。

山之内君はそれでもその時間に風呂に入らなければならない。
ヤクザがいない日は、ラッキーです。笑って、本当にのんびりすごしました。
ですが、ヤクザがいると、もう仕方なく付き合うわけです。もうサンダルまで覚えていて、銭湯の玄関に入るとすぐそのサンダルを探す。サンダルがあると、
「あ~、いるわ」
ざんねん、という感じ。

でも、我々も鬼じゃないですから、そのヤクザにつきあってあげました。いいヤクザなんです。サウナとかに付き合うと、風呂上がりにコーヒー牛乳をおごってくれるんですよ。山之内君が「フルーツ牛乳がいい!」と言っても、「男だろ!」と言って叱られて、いつもコーヒー牛乳でした。

そのヤクザさん、本名が長谷川さんっていうんですが、長谷川さんはあまり金持ちじゃない。そして、いつも暇そうにしてました。たまに近所のスーパーとかで出会ったりすると、「おう!」とか、にこにこして手を振ってくれたりしました。スーパーでかまぼこを買うところを見たことがあります。でも、見ると、かまぼことネギとか、本当に少ししか買ってない。あんだけでいいのかな、と不安に思ったことを覚えています。

たまに学校で、山之内君とわたしとで、長谷川さんの話をすることがありました。長谷川さんに付き合うのは、イヤでしたけど、あの人もさびしい人だから、俺たちがつきあってあげるしかないよな、というような、話をしたことがあります。ませた小学生だと思いますけど、実は子どもって良く見ていて、けっこう大人の機嫌や、大人の立ち位置なんかを気にして、気を遣うようなことって、案外とあったのかもしれないな、と思います。

で、話は変わります。
ここまでが、伏線。あとで、長谷川さんが出てきますから。忘れないでね。(笑)

あの、学級経営って、いうでしょう?
学校の先生たちって、けっこう勉強家がそろっています。そりゃそうですよね、中学高校大学と、ぜんぶまじめにやってきたような人が、先生になるんでしょうから。学校がきらいな人って、先生っていう職業は選ばないだろう、と思うんですよ。だから、職員室で見回すと、たいていは本当に真面目で、コツコツと仕事をする。残業なんて普通なこと。月に百二十時間くらい残業する人もたっくさんいます。まじめなんですよ。

そのまじめな先生たちが、よく購読している雑誌が、これ、です。
「学級経営」
「統率力&授業力」
学校の先生というのは、学級という一つの人間の集団を、うまいこと経営していかなければならない。経営者なんです。
ありとあらゆる事態を想定しながら、その都度、今は何が最適解なのか、1年後を見通しながら計画し、遂行していく。
そのために、多くの本に書かれているのは、みなさんご存知の、アメとムチ、という論理。文科省の指導官も、この言葉、使っています。つまり、日本におけるデファクトスタンダードなんですね、アメとかムチ、という経営手段は。

この本には、宿題を出させるための方法が書いてあります。

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誤嚥とうずらの卵〜ホントの理由は〜

うずらの卵を食べて、窒息する事件があった。

確かに、他の物よりも、一旦のどのスポットにはまってしまうと、卵は抜けない気がする。

ここで、注意をした方が良い食材をあげておきましょう。

1.弾力があるもの → こんにゃく、きのこ、練り製品(かまぼこなど) 、ソーセージなど
2.なめらかなもの → 熟れた柿やメロン、豆類 など
3.球形のもの → プチトマト、乾いた豆類 など
4.粘着性が高いもの → 餅、白玉団子、ごはん など
5.固いもの → かたまり肉、えび、いか など
6.唾液を吸うもの → パン、ゆで卵、さつま芋 など
7.口の中でばらばらに なりやすいもの → ブロッコリー、ひき肉 など

下記の図は、実際にこれまで事故の起きたものです。

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こう考えると、ちょっとあれこれ考えてしまう。幼い子が食べている際は、食べている時の様子をしっかり見ないといけないな、と思います。

しかし、給食の時間は、ノートの丸つけや、日記にコメントを書いたり、子どもが下校する前に終えなければならないタスクを消化するチャンス。
他の時間は全部授業と喧嘩の仲裁、子どもが進める児童会活動の指導で埋まっているから、ホントに、そこしか時間がない。
改めて、休憩時間が無いことは、教員だけでなく社会全体の損失だろうと思われます。
そもそも、教員の勤務時間について争った際の最高裁の判決では、給食の時間は担任の休憩時間とされてるのですが、現実に休む先生はおそらく日本中探しても皆無だろうと思います。

まあ、実際には、よく噛んで食べましょう、という指導が給食前後に行われてはいるのですが、それでも事件が起きる、と言うのが今回の実態なのだろうと思います。

しかしながら、本当の原因はそこではありません。

それはね。
給食の時間が、短過ぎること。

実際、低学年はほとんど4時間目の授業を受けてないと思いますよ。
文科省もそのへんは目をつぶってる。
何故か?
給食時間が短か過ぎて、小さい子たちは食べられないのです。だから、優しい担任の先生たちは、4時間目の授業をあっという間に終わらせて、給食にしてます。
これが実態です。

でも、中には、4時間目の授業をしっかりやってる先生もいる。当たり前だけどね。

そうなると、急いで食べなきゃ!

という子どもの意識とか雰囲気とか、出来ちゃったのだと思う。

今回の悲しい事件を、本当に解決するなら、そこら辺に焦点を当てないといけない。

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小学校教師がどうしても哲学的になる理由(なだいなださん その2)

小学生の担任をやっていると、どうして哲学的になるのでしょう。
6年生の担任になり、社会科の授業をすると、なおさら、です。
なぜか。
正面切って、太平洋戦争を話題にしなければならなくなるからです。

ふつうの日本人が、毎年のように、太平洋戦争とはナニカ?ということを、考えるでしょうか?
小学校6年の担任は、考えるのですヨ。

そして、それを、インプットだけでなく、アウトプットせねばならない。
それも、子どもだけでなく、その背後にいる大人に向けても!!

意味がわかりますでしょうか。
子どもたちは、家に帰って、親に話すのですよ。今日、こんな勉強をしたって。
そしたら、次の日、教室のわたしの小さな机の上に、連絡帳が乗っております。

開いてみると、おじいちゃんが書いています。
「太平洋戦争のことを孫が習ったとききました・・・」

おじいちゃんは、太平洋戦争にたいして、言いたいことがあるのですね。
だから、思わず、孫の担任の先生に、なにか言いたくなるのです。
わかります。だって、いま、太平洋戦争を話題にして、話せる相手が、街のどこを探したらいるのでしょう?チャンスは今!そうだ、担任の先生に、孫の連絡帳をつかって話そう!

わたしは、子どもに向けてだけでなく、世の中に対して話す気分になる。
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先生たちはそれがこわいから、もっとも賢明なやり方をします。
簡単ですよ。教科書を読んで、おしまい。
余計なことは何もやらない。活動しない。
あるいは、NHKの動画をみせて、

「感想をいいましょう」

これでOKです。
わたしもこうします。

しかし、質問が出てくるのですね。
なぜかというと、わかりにくいから。
だって、なんで戦争をするのか、人を殺すのか、子どもはわからないのです。

「なんで殺すだ?」

こう、子どもが、目をくりくりさせて、ちょっと眉をひそめた風で、問うてくるのです。
その瞬間、哲学がなければ、担任は倒れてしまいます。

これが、小学校教師がどうしても哲学的になる理由です。


以下、なださんの著作より抜粋。

「人間はどうして自己の想像力を失っていくのでしょう。そのひとつが、組織の中への埋没です。(中略)水俣病の場合でも、町や工場の人々は、残酷ともいうべき態度をとりました。もちろん、そこに自分たちの生活がかかっているという意識があるでしょう。しかし、生活がかかっていると思うことが、どれほど私たちを残酷にさせるか、残酷であることを許してしまうかを、考えねばなりません。そこに、組織に属してしまう、個の特性を失ってしまうことの、残酷のはじまりがあります。(中略)組織の中に入った人間は想像力から遠ざかり、現実との接触を失っていきます。」

太平洋戦争のころ、日本人全体が、こういう状況下におりました。

「たとえば、ある事件が起こります。一人は、「それがどうした、おれの知ったことか」とつぶやき、もう一人は「なんだと。それは本当か。ケシカラン」とつぶやきます。それは、その事件に対する、二種類の反応といえますが、それはこの二人の無意識の構造によって、当然みちびかれるべき反応と考えてもよいでしょう。フランス人たちと日常生活をともにしていると、どれだけ「それがどうした。おれの知ったことか」というつぶやきを耳にすることでしょう。そして、対照的に私たち日本人の日常生活では、どれだけしばしばケシカランというつぶやきがもれるのを耳にすることでしょう。」


「戦前の軍国主義への傾斜は、どうかすると「それがどうした」的無関心が日本が戦争に進むことを避けさせなかったといわれてきました。 しかし、私はそうではなく、ケシカラニズム的な民衆の参加が、そこに積極的になだれこませたと考えるのです。戦争の間、同じような服装をさせ、同じように考えさせたものは、平常なものからとびだした、型をはずれたものをケシカルといい興味をいだいた精神を捨て、それをケシカランものとして否定した精神だったのです。」


「しかし、このケシカラニズムと理性的社会正義の感覚が混同されてはなりません。ケシカラニズムは、感情的正義であるといえるでしょう。(中略)ケシカラニズムは、民衆運動の原点となるものといえるでしょう。しかし、それだからこそ、ケシカラニズムの大きな欠陥を考えねばならない。(中略)それは、感覚的正義であり瞬間的正義であり、純粋正義であるので、民衆運動の原点だと思います。しかし、同時に、それこそが、私たちをファシズムへ参加させる危険をもつものでもあるのです。過去において、ケシカラニズム的な日常感覚が、ナチズムにどれだけ味方したかを考えれば、これからもよほど注意しなければならないでしょう。」


「閉鎖した集団は、どこの国にも存在していますが、その集団と個人のかかわりあいの深さは、国によって変わります。それは実際には、集団に属する個人の意識にかかわるといっていいでしょう。そして、作られた集団の閉鎖性は、集団がそれを構成する個人のプライベートな生活を、どこまで縛るかによってはかることができます。(中略)このような閉鎖性の強い集団が存在すれば、はげしい利益の対立の中で、個人も集団とともに(一般社会から)孤立するばかりです。そして、この孤立からぬけだすために、日の丸にたよることになるのです。あるいは国家、国益、伝統、などという言葉を持ちだすのです。」


ロシアもイスラエルも、どちらも戦争を開始し、今なお続いています。
経済や情報などの観点からすると、世界中が戦争をしている、と言う人さえいます。
悲観的になってしまいますが、一方で、ルトガー・ブレグマンのような、人類の明るい展望を語る学者もいます。

今、いちばん日本人に必要なのは、哲学、だと思うようになりました。
大学も高校も、入試に「哲学」を取り入れたらいいのに。
そしたら、小学校から、哲学をはじめることでしょう。
いちばん驚くのは、子どもではなくて周りの親とか先生たちだと思いますが、キメツケとか常識とか、ずいぶん薄くなるかも。

下の動画はルトガー・ブレグマンが、なぜ人類の未来は明るいと言えるのかについて話をしています。

なだいなださんの思い出【ガザ地区の中央図書館】

私はなだいなだ氏と一度だけ、お会いしたことがある。
といっても、ちょいとしたイベントでオハナシを伺ったあと、短く「大変勉強になりました。ありがとうございました」と頭を下げただけで、なださんは笑顔で「はいどうも」と言っただけのことだが。


でも、私にとってはなださんと、どうしても人生の間で一瞬だけでいいから触れ合いたかったので、もうこれだけで非常に満足。興奮しながら帰宅した。
なださんは思ったよりは背が低く、私よりも小さいくらいであったが、やはり声はしっかりされていて、オーラというのだろうか、刀をもってまともに打ち込んでも、けっして崩れないくらいの「正面を切れる」芯をお持ちであった。

なださんの著作で、すぐに思い出すのは、「ケシカラニズム」という言葉と、「マスコミの情報は、すべて、◯◯ちゅーことになっておる、と聞け」という忠告です。
これはもう、ベストセラーのなだ先生の著作を読めば分かるので、そちらを読んでください。

さて、なぜ急になだいなだ氏を思い出したかというと、ガザ地区を攻撃しているイスラエル軍が、現地の中央図書館を爆破した、という記事を見たからです。


これで歴史の大切な財産が消えてしまい、人類はたいへんな損害をこうむるわけですが、当然、そんなことをガザ地区を爆破するのに夢中な兵士たちや、イスラエル国家の政治家たちが理解できているはずがありません。
やはり人間というのはどうしようもなく、無恥厚顔の態度がとれる人が、思慮深くて自分はもしかしたら間違っているかもしれない、と熟慮する態度の人を駆逐していくのだろうと思います。

なだいなださんのエッセイの中で、たしか戦争で大切な文化財が焼失することについて触れたところがあり、それを急に思い出したのです。

50歳をすぎると、頭の中に詰め込んだ、ありとあらゆるものがふいに、浮かんでくることがありますね。それも何十年も前の。
おそらく、そのなだいなださんの著作の、その該当箇所も、わたしは高校生の頃に読んでいる。
だから、まさに30年の時を経ているわけ。
しかし、ちゃんと思い出すということは、やはり人間の頭脳というのは、たいしたものだなあと思います。

なださんは、いつ消えるかもしれない、ということを指摘します。本があることに安心してはいけない。いつ廃版になるかわからない。本なんてものはすぐに世の中から消えてしまう。また本棚に本があるからといって、本当に自分を救うかどうか、わからない。なぜかというと、人間はアホなので、いつか戦争が起きてもおかしくないし、その本を持っていたら逮捕されるとか、アメリカの赤狩りのようなことも起きるかもしれない。だから、本当に大事なことは、記憶しておかないといけない、ということでした。

ガザ地区の爆破により、中央図書館の歴史的な財産は消え失せました。
しかし、心ある人々のこころの中に、大切なフレーズ、大事な文章、人間の尊厳をまもる大切な精神は、きっと残っているでしょう。それを信じたい。

ちなみに以下は、なだ氏の名言の数々。

「結婚してからの一日一日は、相手の欠点を一つ一つ発見していく一日である。」
「子どもの愚かさをとがめすぎるから、その分大人が愚かになる」
「なまけものは、哲学を持っているが、働いてばかりいる人間には、哲学がない。」
「正常・異常は相対的なものである」


なかなか辛い言葉ですね。
なださんは、間違った努力を、心の底から軽蔑していました。太平洋戦争時の日本のことですが。
幸福になるために、不幸を選ぶ、というのを、ですね。滅私奉公、というヤツです。
ブラック企業が本格的に話題になる前にお亡くなりになりましたが、今生きていらしたら、おそらく「方向の間違った努力、向いていない努力、意味を追求しすぎて意味がなくなった努力」を一刀両断されたことでしょう。必要なのは、一見無駄にみえる「遊び」です。それは動物には無理で、人類にだけ、許された行為だからですね。いちばん合理的なのが動物です。彼らはすべて個が生き抜くために合理的です。親が子を食うのが動物です。個の存続のために、合理的になりすぎた結果、そういうことも平気になってしまう。マンボウという魚は、産卵した途端、自身の産み終えた卵を口の中にほおばりはじめます。
人間も合理的になりすぎると、野蛮な動物に堕ちるのです。

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自己評価できるかどうかは・・・

子どもが主体的になって、すべての活動を行うものだとすると、学習計画と言うものや、将来の計画と言うものも本人が立てるしかなくなる。
この言い方もおかしな言い方で、本来はそうなのだから、日本の社会の教育システムについてもありとあらゆる場面でそうなっていなければ、話が合わない。
さて、学習の計画を本人が主体的に計画するならば、まず第一の条件として、子ども本人が自分の状態をどう捉えているかについて熟知していなければならない。
今の自分の状態を知り、そこから将来を画策し、自分のプランを立て、アクションを起こしていくのである。

ところが、今の学習システムにもっぱら見当たらないのがこの部分、つまり、自分の状態を知り・・・という点である。
子どもか自分の状態をどのように把握しているのか、それを多くの大人は聞こうとしていないように思える。
そこで、文科省は自分の状態を子どもが把握できるように「振り返り」を指導している。授業の後に、自分が今日の学習で目標目当てを達成したかどうか自信を振り返るのである。
さらに、次の学習に向けて、一体どのように進んでいくのか、それもまた自分で決めるのである。学校はこのように学習についての大きな変革を、実はもう10年以上前にやり始めている。そのことが熟知されてきて、多くの小学校でその実践がされ始めたのが5,6年前であろうか。

校内の研究授業などで、他の先生方の授業を見ても、このように授業の始まりにめあてを確認し、振り返りの作業を子供たちが一人一人自分の学習計画ノートに記録していると言う実践を最近は多く見るようになってきた。

さて、それが宿題など、家庭の関わるところとなると、なかなかそうはなっていない。
多くの保護者にとって、宿題と言うのは、学校が出すもの先生が決めるものと思っていることが多い。中には、学校から担任教師がそのことについての説明を充分しており、家庭でも宿題と言うのは自分で計画するものだと言うふうに認識しているという学校もたくさんあるだろうと思う。ただし、全国の小学校が全てそうなっているとは言い難い。
宿題というものも、一人一人違うと言う点が当たり前なはずなのに、隣のクラスと宿題の内容が異なるとどうしてなのかと訝る保護者も実際にはいる。

通知表の評価も、昔のように相対評価ではなくなって、かなり長い年月が経つにもかかわらず、テストの点が良かったから。悪かったから三角だと言うふうにまだ思っている保護者もいるだろう。
自分の学習の状態を熟知し、自分で計画を立て一生懸命に練習をしている子にとって、あるいは考えを深めようと試行錯誤できている子にとって、ふさわしい評価はすべからく丸、あるいは二重丸である。

私が見てきた子どもの中で、
どんな具合?
力はつけられてる?
どうしたら分かりそうかな
どうしたらできそうかな
と担任に聞かれた場合に、その自分の状態を全否定する子は1人もいない。
力をつけたいと願っていない子は1人もいないのである。

だから、通知表に三角の子は1人もいない。いようはずがない。みなさんは、このへん、どう思われますか?

ここからが1番言いたいことだが、通知表は、そういう意味であまり意味がないのだと思う。大切なのは、本人が自分の納得する計画が立てられており、その計画をしっかりと進める状況がこの1学期につくられたかどうかである。その状況を作るのは、第一に子供の意思であり、またそれをサポートする周囲環境がどうかと言う点である。
つまり、通知表には、2つの列が必要で、1つは自分の意志や状態で、もう一つは、環境である。それを丸や三角で子供自身が評価すべきである。そしてその評価を見て担任がじゃあどうしていこうかと言う計画をそこに書き込むのだ。そして親が家庭での状況をさらにそこに書き込むので、お互いに自分がどうそこに関わることができただろうか、という自分自身の反省を述べるために、である。IMG_2605

【暑気払い】夏の階段は怪談風に

夜遅く、真っ暗になってからの学校は、昼間よりもいくぶん怖くなる。
むだに広い空間、廊下はずっと向こうまでつづいているし、すべての電灯が消えると本当に漆黒の闇だ。廊下のはるか先の方をみると、その先は闇の中に溶け込むように消えている。

「ちょっと忘れ物とりに、行ってきます~」

職員室に残っているS先生とT先生。
もう職員室に2人しかいない。
お二人とも、無言でキーボードを打っている。
S先生がちらっとこちらをみて、「おお」と少しだけ反応してくれた。

廊下の電気をつけることはできる。でも、つけない。つけられない。
廊下の電気のスイッチを探すのが一苦労なのだ。探せないから、つけられない。
なにせ、すでに真っ黒の闇の中。壁がどこかも分からなくなってしまっている。
そう、学校という場所は、むだに廊下が広いのだ。

こんなとき、スマホが役に立つ。
スマホを片手に構えて、印籠のようにかざすのだ。
すると、スマホの画面の明るさで、ある程度の先が見通せる。
3mは見えるかな。その先は真っ暗だが。

3階の、自分の教室に忘れ物を取りに行く。
夕方、まだうっすらと明るいうちに取りに行けばよかった、と悔恨の念がわく。
もう外は完全に真っ暗だ。なんだか気味が悪い。
校舎内にはもう誰もいないことはわかっている。

わたしはスマホの画面をかざしながら、少しずつ進む。
すると、急に人の顔が目に入る。

!!!っおおお・・・ぅ!!

うめくわたし。
息が荒くなる。
人の顔は、防災ポスターの人間の顔だった。
スマホの灯りに照らされて、いやおうにも不気味に浮かび上がっている。
くそう、こんなポスターに驚いてしまうなんて。

さらに、

ぶびびびびびびbbb

という不気味な音!
ごきぶりか、蛾か、こうもりか。

あわててスマホを向けると、蛾が窓際でぶるぶる震えながら飛んでいた。
もう、こわすぎて声もでない。

のどがかすれてくる。
あわててつばを飲み込むが、もう階段を歩く足に、力が入らない。
どうすればいいのか・・・。

教室に入って電気をつけると、急に気持ちがでかくなる。
明かりというのは、偉大である。人間に勇気と希望を与えてくれる。

黒板にメッセージをかき、さらに忘れていたプリントをとり、もう一度意を決して電気を消す。
あとはスマホの明かりだけがたよりだ。

できるだけ足元だけを照らし、壁に貼ってあるポスターがむだに見えないように努力する。
泣きそうになりながら階段を降り、職員室をめざす。わざとではないのに、ごく自然に足が速くなってくる。
だが遠くから迫ってくる廊下の闇の漆黒は、はかない小さな四角い画面の光よりもはるかに巨大な威圧感をもってわたしを取り巻こうとする。

あと少し、と思ったとき。
わたしは階段を踏み外した。

イッテーッ・・・痛ー・・・

早く帰ろう。
夜の学校は怖すぎる。

222



学校も少しずつ変わっている。だいじょうぶ、必ず良くなります!

・毎日掃除っているの?➡水曜だけナシにしました
・何であだ名はだめなの?➡あだ名、授業中のみ、OKにしました
・何でみんな同じ宿題なの?➡宿題、一人ひとりに個別計画を立てさせます
・学級遊びって全員参加なの?➡見学もOK、グループごとに計画します
・何でシャーペンはだめなの?➡シャーペンとえんぴつの比較をクラス全体で研究することにしました
・授業中はお茶飲んじゃだめなの?➡もちろんOKで、逆にダメなクラスは少ない(文科省はOK)
・何で学校に行かなきゃいけないの?➡来なくてもOK
・何で服に穴あけてまで名札するの?➡名札なしにしました

これ、保護者懇談会でけっこう出てくる話題ですが、
学校が変わってることにかなり驚く保護者もいる。
たぶん、自分が子どもだったときの記憶もかなり濃厚なんだと思う。
話をしていくと、

「ああ、いいですねえ。わたしも今の時代に小学生をやりたかった」

ため息をつかれます。

ええ、昭和の時代でも、平成の時代でも、それなりに先生たちは善戦していたと思いますよ。
いじめがあったとき、昭和でも全力でぼくらの仲間を応援し、対応してくれた先生をわたしは目撃していますから。

でも、方向が完全に変わったのは、令和元年です。

「子どもに個別の計画をたてさせ、自分なりのキャリアを計画させる」
という方針が出たからですね。
そこから、まるでオセロがひっくりかえるように、学校は変わりました。

宿題も、今は、一人ひとりが自分で考える時代になりました。
達成度やねらいも、小学生が自分なりに、一生懸命に考えて計画をします。
そういう時代になりました。
学習成果も、クラウドに残っています。
小学生の時、自分が研究したこと、学んだこと、作文、論文、すべてクラウドに残っています。
なんなら、それを入社試験の際に持ち込んで、

「わたしは小学生の頃から御社の製品に興味を持ち、小学生なりに実験をしてみたことがあります」

と面接で言っても良い時代になったのです。
このくらいの大変化があったのですが、世の中は政治の腐敗とかコロナのこと、オリンピック会場の建設にいくらかかったとか税金のことなんかで騒いでましたので、教育の大改革はまったく報道されないレベルでしたね。(遠い目)

でも、大丈夫。
学校は、変わりました。
おうちの人たちが、「学校はこうだろう」と思うことは、かなり変化しています。
大丈夫ですよ、だいじょうぶ。

⇩大臣様へ。お願いです。教育を充実させてください。
事務室のカラーコピー機の電源が切られたままです。理由はランニングコストが高いからです。教員は自腹でコンビニでカラーコピーしています。よろしくお願いします。
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牛とニワトリの世話から学んだこと

いつから「叱らない」のかなあ、というのは、春休み中に自己フィードバックをやっておこう、ということから思ったことです。
どこに価値をおくのか、何に価値をつけていくか、というのが根本で、そこが定まらなければ学級経営は成り立たないといっても過言ではないでしょう。
なので、自分が何に価値をおくのかなあ、と考えたときに、やはり自然に出てくるのが「圧迫、圧政のない社会、自由で、子どもが自分を知り、自分の価値をさらに高めたいときに、自分なりに活動していくと自然に他者を生かすことになる状態」に価値を置きたいです。

そうなると、もう必然的に、教師は叱らない。

わたしは教師になろうと思ったのはずいぶん遅くて、もう結婚して子育てがスタートしてからです。
赤ん坊が生まれ、夫婦で初めての子育てに面喰いながら、まあそれでも赤ちゃんって育つんだなあ、とドキドキしながら、教員免許を取ろうとしたわけです。高卒でしたので、まず免許がないんでね。
JAXAに出向する富士通系列のエンジニアでしたので、周囲は引き止めましたし、職場で働くことにも満足していました。ちょうど「はやぶさ」が話題になる直前で、仕事に生きがいも感じていたし、おもしろさもわかってきて、エンジニアの仕事は自分にあっていたようですナ・・・。

でもまあ、人間が育つということに、それ以上の魅力を感じたのでしょう。

それ以前のごく若いころは、肉牛を飼育する現場におりました。同時に、なんだか鶏の飼育をする現場にもいて、どちらもわたしの自己形成に非常に役立ちました。

生まれたての牛にミルクをやり、牛が徐々に育つのを見届けるのは、今の学級経営にも非常に影響しています。
また、これは肉牛の世話よりも長く、3年から5年ほど続けたでしょうか、鶏に餌をやる、というのをやりました。卵をとる仕事もあって、これもやったのですが、養鶏そのものをじっくりやったわけではありません。わたしは出版や印刷、広報などの別の仕事も同時並行でしておりました。そのため、時間を区切って、午後1時から3時までの間だけでした。その時間帯にだけ、鶏に餌をやる仕事をしたのです。実はこれが、非常に今の学級経営に深く影響をしています。

どちらも、「育つ」現場でしたから、それは当然リンクするのです。
心理的に安心して育つ。それは、鶏もそうですし、牛もそうだし、子どもだって当然そうです。

牛も鶏も、恐怖で育てると、よく育ちません。
人の子どもも同じです。

よく、家畜と人とはちがうでしょう、という人がいます。
当然それはちがうでしょうね。生物学的に異なる面を見れば。
でも、恐怖ではうまく育たない、というのは、家畜も人も同じです。

肉牛は、赤ちゃん牛にミルクをやるのもそうでしたが、もうちょっと大きくなってくると角(ツノ)を切ったり、去勢をしたり、餌をやったり、あれこれとやりました。

わたしが一番印象に深いのは、その場に入る時でした。
鶏なら鶏で、鶏の部屋に入る、まさに一歩踏み入れる、その時です。
また、牛なら牛が集まっているその場所へ入る、その時です。

これは非常に面白くて、こちらが興奮していると、興奮があっという間に広がるのです。
伝わるのでしょうね。
忙しくて時間ばかり気にしていて、心がせいていると、鶏もバタつく。
なんだか邪魔に見えてきて仕方がない。餌がスムーズにやれない。心がここにあらず、という状態で終わるのです。

これがそうでなく、心が澄んでいるといいましょうか、おなかのすいた鶏の気持ちになってというか、非常に平坦な(?)気持ちで小屋に入ると、これが言葉にしにくいのですが、一種の「許し」が出るのですね、鶏から。
「許し」というのは言葉としては今一つで、そもそも許しもヘッタクレも何もないのですが、受容というのか、鶏が「ああ、あんた待ってたわよ」ということを言ってくるような気がするわけです。
そういう日は、なんだか鶏も非常に落ち着いていて、わたしも彼らの邪魔をしないし、鶏もわたしの邪魔もしないし、WIN-WINの関係でいられるわけです。

これは同じことが牛にもありまして、わたしは19歳と20歳のときに主に肉牛の現場にいたのですが、とくに去勢をするときなど、わたしが道具を軽トラの荷台に積んで行くと、なんだか牛もざわつく感じがあるわけですね。こっちも高ぶっているのです。戦闘開始、というような。

去勢という仕事はけっこう「命がけ」という感じで、牛も人間も、大ケガをする危険があるし、失敗するととにかく痛いし、ひとも体力を使うし、お互いに緊張があるわけです。ところが、わたしが戦闘意識バリバリで牛舎に入ると、これはもうぜったいに牛が勝つのです。体力が100倍?くらいちがうから。

そこで私はあれこれを考えたのですが、この「考える」というのが、とても大切なことでしたね。今から考えると。

わたしはそれからというもの、できるだけ「わたしは木偶の坊ですよ」という顔をして牛舎に行くことにしていました。
牛よ、去勢はお前も痛いだろうが、お前の福祉のためなんだ、堪忍してくれ、と。
しかし、お前を痛めつけたいわけではない。もっと大きな目的があるんだ、という感じでしょうか。

で、できるだけ早く済ませるからな、という、どちらかというと「おごそかなる」気持ちで、偉大なる牛を本当におがむような気持ちでもって、牛舎に入るのです。

そうすると、これも不思議なことですが、先ほどの「鶏」のところでも書いたような、一種の「許し」がでるのですよ。牛からね。これは本当にわたしが思い込んでいるだけですけど。

そうなると、牛もそれほど騒がず暴れず(痛いでしょうが)、まあ分かったよ、痛いけど、という感じで、受け入れてくれるのですね。

これは、非常に今の学級経営にも役立っています。
子どもの社会があり、わたしは大人としてそこにかかわります。
子どもは子どもどうしで、もうすでにそこに大切な社会を形成しているのですね。
わたしはどちらかというと、受容されないといけない立場でありました。大人として。

そうなると、やはり、これは、「叱らない」ですよ。本当に。

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50過ぎて、泣くのが楽しいと思い始める

50を過ぎたおっさんが、人前でわんわん泣いていたら誰だって「ひく」だろう。
わたしも同じだ。隣でおっさんが泣いていたら、ちょっと避ける。

ところが、泣く方からすると、これが本当に快感でありまして、
やったことがある人はわかるだろうなあ、という感覚であります。

今回も、泣き顔を、5分くらい人前にさらしてしまいました。
5分泣き続けると、もういい加減、『芸』のうちであろう、というのが私の解釈だ。
ただ洟をすするとか、嗚咽するとか、そんなことの繰り返しだと飽きてくる。
だから、時折、「笑い」をはさむ。

わたしの話を聴いている保護者が、一斉に笑う。
わたしもつられて笑ってしまう。
すると、泣いているのか笑っているのか、ちょっと分からなくなりますが、
涙も乾いてくるのですが(途中で)

でも、最後にまた、子どもたちの次の新たな出発を語るくだりで、結局はまた、むせび泣くのであります。私はこれを、礼服や綺麗な着物を着飾った保護者の前で、だれに遠慮することもなくやってのけることができる。教師に生まれて良かった、とつくづく思いますナ。

卒業式で、入学した6年前(正確には5年と11か月半前)の映像を見たのです。
6年前のビデオカメラの性能たるや、もう本当にレベルが高い。ばっちりと子どもたちの表情も精密に映っている。画素数も高い。

かわいい顔をした、あどけない顔をした、あの子もこの子も、背の高かったAちゃんも小さかったBちゃんも、みんな映っておりました。

そしてその後方に、たくさんのカメラを持った保護者が、期待と不安をないまぜにした、なんともいい顔で、たくさんみえるわけです。

わたしはもう齢50を過ぎております。
だから、このときの保護者の気持ちが、イタイほどよくわかった。
入学式の保護者と、今日の卒業式の保護者は、同じ保護者なのです。
同一人物。

つい先ほど、テレビ画面で大写しにしてみたのは、6年前の保護者で、今実際に目の前にいるのが、6年後の今の保護者のわけだ。6年間、子どもをずっと見てきた親のことを思うと、目の前に参列する保護者を見ていると、もうこれは見ただけで泣けるのであります。

子どもがつまづきそうな小石があったらそれを拾おうとし、
枝が落ちていたら拾い、
楽しくわくわくして登下校してほしくて花を植え、木陰で休めるように木を植えて。

そういうことをたくさん、たくさん、保護者は毎日のようにやってきたわけで。

それを思うと、もうそれだけで泣けてしまい、今日もまた、私はマイクを持ったまま、卒業式で保護者への一言がなかなか言い始められず、ハンカチで涙をぬぐうのであります。

そしてその姿を見て、思わずもらい泣きをする保護者もいたりして、それを見てまたもらい泣きをする他の学年の先生もいたりして、ただただ、広い体育館に大勢の大人の、鼻をすする音が合奏となり、こだましておりました。

わたしは毎朝、学校へ行く際、小さな水筒にお茶を入れてもらっています。
嫁様が毎朝、それをしてくださるわけですが、わたしがなにか今日の授業のことを思いついてニヤニヤしていると、

「あ、にやにやしてる。なに、にやにやしてるの」

と、興味を持って聞いてきます。

授業のことを話しても伝わらないのでごまかして出発するのですが、
それにしても、そんなふうに、楽しそうに学校に出かけるのが嫁様には伝わるらしく、

「いいなあ。楽しそうだよね」

と言われることもある。

その話を子どもたちの前で、最後に話した。

「こんなふうに、おうちで先生は、いつも楽しそうでいいね、と奥さんに言われて毎朝、学校へ通うことができました。これはもう、みんなのおかげで、みんなと出会えて、毎日こうやっていっしょに勉強したり、暮らしたりすることができたからです。感謝です」

ところがこれだけの内容を言うのに、また泣ける。もう、一日に、何回も泣けるのです。
これが、としをくった、ということの具体的な姿ですね。もう涙腺を押さえるための筋肉が、弱ってしまって動かないのですよ、きびきびと。だから、もう鼻水と同じく、だだ漏れ。

で、泣いた後、もうすごくさわやかな感じがある。
これは、泣くことの効能でしょうね。人間に与えられた、とてもいいシステムであろうかと思います。上手に感情をメンテナンスする、とでもいいましょうか、そういう大きな「癒し」効果があるね、泣くことには。

平安時代、在原業平という人をモデルにして書かれた「伊勢物語」。
それをみると、当時の大人の人がいかによく泣いたかが、わかる。
たとえば、

「“かきつばた”という五文字を句の先頭に置いて、旅の心を歌に詠め」
と言ったので、詠んだ歌は、
からころもきつつなれにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ
〔唐衣を着ているうちに体になじんでくる褄つまのように、長年連れ添って馴染んだ妻が都にいるので、はるばるとやって来た旅のわびしさが身にしみることよ〕

と詠んだところ、みな乾飯の上に涙をこぼして、乾飯がふやけてしまった。

という部分があったり、さらには

ちょうどその時、白い鳥でくちばしと脚が赤い、鴫ほどの大きさである鳥が、水の上を動き回びながら魚を食べている。
京では目にしたことのない鳥なので、一行は誰も見知っていない。
渡し守に訪ねたところ、
「これが都鳥だよ」
と言うのを聞いて、
名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
〔都鳥よ、そんな名を持っているならば、さあお前に訪ねようじゃないか。京の都にいる、私の愛するあの人が無事でいるのかいないのかを〕

と詠んだところ、舟に乗っていた者はみなこぞって泣いてしまった。

などという部分があり、当時の人が運命に逆らえない世の不条理を思うたびに、いかにわんわんと泣いていたかがわかる。

これは理があることで、本当に泣くと、スッキリする のであります。
古来より人間は、泣くことで感情をメンテナンスして、生きてきたのでしょうね。

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【教師とは】卒業前のシーズンになると考えざるを得ない

子どもに対してわれわれ教師は常々、
「成長せよ」
「成長がもっとも重要なことであり、ゴールである」
というような意識を持っている。
しかし、「発達しなくてはいけないか」となると、ちょっと言葉に詰まる。
そう言い切ってしまうと、どの子に対しても「あなたは、今のままではいけない」と言うことになるからだ。

とくに現在の学習状況になじめず、必要な支援を欲している子どもたちの前で、それはないでしょう。つまり、「発達しなさい」と彼ら彼女らに伝えるのも、どうなんだろう、と教師は考えこむことになる。

少なくとも、「発達段階(はったつだんかい)」という言葉は、すぐにも教育界からは消えていく、あるいは古典的なまちがった(そぐわない)使い方の言葉として認知されていくだろうと思います。
つまり、発達というのは、けっして「段階を踏むもの」ではないだろうからです。階段を上るイメージで「発達段階」ということを示しましたが、あれは実際ではない、ということでしょう。ほぼ中教審で発言するような大学教授たちは、すでにそういう認識です。

発達とはなにをさすのか。
そしてわれわれ教師は、発達について、なにを良し、とするのか。

ある課題をこなせるようになった、到達した。
たしかにそれは、うれしいことであるだろう。
しかし同時に、それで本当に良いのか、ということを教師は悩むのです。

階段を上るような「発達」をイメージしているのであれば、人は階段を永遠にのぼりつづけるのだから、という理由が成り立ちます。少なくとも、目の前の一つ、階段をのぼりなさい。はい、次ものぼりさない、といって、上るのは善だ、ということで指導しつづけていく。
教師と言うのはそういう仕事だろう、ということになる。これで17世紀以後、人間はずっとやってきたわけですね。

しかし、それで本当にその子が、これからも一人でずっと階段をのぼれるようになったのか、というと、どうもそういうことにはならないだろう、というのが21世紀の現代社会です。だって、大人だって先が見通せないのですから。大人だって、階段のその先になにがあり、上の方はどうなっているのか自信がない。のぼれのぼれ、と号令をかけ、ただひたすら「上にはいい世界があるだろう」と信じていてよかった時代は終わったのです。まるで雲かカスミがかかったようになっていて、上空が見えないのです。

一番の問題は、のぼることに疲れてしまい、号令をかけるのを大人がやめた瞬間、そこでもう上るのをやめる子がいることでしょう。学ぶ主体が疲れてのぼりたくないのを、無理に上らせているのだとしたら、その意味のなさは誰にだって理解できますね。

さて、発達って何なのか?
もう一度、ふり出しに戻ってきました。

前記事で、「中身はそうでもなく、一人きりの時はけっしてそうではないのにかかわらず、集団の場でコミュニケーションをとる場面においては、学年主任になっている」不思議さについて書きました。

わたしは、孤独に自分のことを振り返る時間においては、ほとんど「主任らしくない」自分自身を見ているのに対して、集団の場では、あたかも「主任である」かのようにふるまうのです。そして現に、私は学年主任として成立しているわけです。実際のコミュニティの構成員は、わたしを学年主任として認めるわけですね。

なぜ、そうなっていられるのか。
それは、学年主任としてふるまう「ステージ」のようなものを用意してもらったからです。
そのことで、私は多くの関係者に助けてもらうようになれた。そして、そこで主任として「ふるまう」ことができた。
そうしたら、あっという間に、成立したのです。

わたしがやったことは、たった一つ。
ちょっと、頭一つ分、背伸びをしたことです。

(↑これが発達)

こう考えると、卒業を目前にした、このクラスの子どもたちにも同じことがいえましょう。
子どもにだって、最適なステージが用意されたら、「頭一つ分、ちょっと背伸び」するのです。
ごく自然に。
その自然さは、「階段上れ!」という世界とはまったく異なります。
自然、というのがもっとも人間の心理にとって、健全なのです。

こうしてみると、発達というのは、段階的にステップアップして到達した、というよりは、やってみたら「ほらできた」という感覚のことなのだろうと思う。私たちはこれまで、既存の「努力➡達成」という矢印ばかりをみてきたのではないか。

クラスの子どもも、一人ひとり全員がアクターとして、このクラスというステージ上(舞台上)で、頭一つ分背伸びをし、さまざまな役を演じたことで、「ほらできた」という感覚を得るのではないか。そして、コミュニティをつくる重要な一員として力をもった、全員に認められる、という意味付けは、舞台ストーリーの後半で、社会全体で見出すか、あるいはその過程で、あとから気がつくものではないだろうか。

発達に必要なのは階段(ステップ)ではなく、舞台(ステージ)だったとするならば、矢印というものはそこには存在しない。上手から下手へ、下手から上手へ、舞台なら自由自在にとびまわることができる。

これが幸福だったのだ、という幸福そのものを見出す作業を、クラスというコミュニティ全体がコミュニティの中に、見つけ出していく。それこそが学級が行うべき仕事なのでしょう。
コミュニティの活動のあとに、学習は生まれてくるのです。

3月の現在、わたしたちはどこへたどりついたのか、
わたしたちのコミュニティの中、幸福はどこにあったのか
わたしたちは、なにを果実として受け取ればいいのか


クラスの子どもたち全員といっしょに、その意味を見出すのが、6年生担任の仕事といえそうです。

ゴーギャン

【廊下を走らない制度】エントロピーとのはざまで

(冗談なので、以下の文章はあまり生真面目に読まないでくださいネ)

一般に、学校生活は秩序を重んじるために、廊下は走りません、という教育がなされますね。
子どもは走り回っているために、まるで自由分子のようであります。
ところがその自由電子に制限を加えていくわけです。

エントロピーとは無秩序さ、つまり乱雑ぐあいを表す指標なので、秩序が高い状態はエントロピーが低く、秩序が低い状態は、エントロピーが高いというこになります。

すると、廊下は走りません、という張り紙は、エントロピーを低くしようと頑張っているのです。
これを「恒常性の維持」と呼んでも差し支えないでしょう。
しかし、物理の法則も熱量の法則も、自然界のものはなにもかもすべて、エントロピーの法則が適用されることになっておりますから、やはり「廊下は走らない」という張り紙だけではエントロピーは隙間をぬって増大しようとします。
唯一、エントロピーに対抗しうるのは、生き生きとした「生命活動」だけです。生命活動はなぜか、自己崩壊せず、なんとか恒常性を保とうとする。それがわれわれの大切な命の働き、というわけです。

さて、授業が終わり、休み時間が始まると、サッカーボールをかかえて走り出す子どもには、エントロピーを増大させる宿命が彼をそうさせている、とみることもできるわけです。
それを阻止せんとする私たち「教師」はエントロピーに歯向かう反逆者なのでありましょう。

しかし、ふと我にかえってみると、この話はもっと、「はじまり」になにかあるんじゃないか、と思うわけです。
子どもが廊下を走ろうとするという「エントロピーの増大」について、それを阻止しようとするけど、もしかすると、そもそもそうやって廊下を走ろうとする子のような、「秩序➡無秩序」への流れを促進する、とっかかりのような出来事があったのではないか。

実は、6年生などの高学年を担任していることがつづくと、案外と真実がみえてきまして・・・。

それは、6年生って、注意されないでも、もともと走らないのです。
この、「もともと」というところがミソでして。
つまり、6年生たちは、疲れるから走らない、という理由から、走らないわけ。
べつに張り紙が張っていようが、先生が廊下の端に仁王立ちしていようが、声を荒げて
「こら、走るな!廊下は歩きましょう!」
などという怒声をあびせようが、それとは無関係に、もともと走らないのです。

これはネ、無秩序➡秩序、というエントロピーを縮小しようとする動きではなく、彼ら彼女たちなりにエントロピーを増大させた結果、「だるいし、かったるいし、走るのだりぃから歩こう」ということなのです。

つまり、廊下をあるく、ということ自体が、その子その子に応じて、エントロピーの縮小の結果である(秩序立てることになる)子もいれば、逆にエントロピーの増大の結果になっている(秩序を崩すことになる)子もいるというわけです。

エントロピーの縮小がある一方では、かならずエントロピーの増大があるわけで、これは同じ量だけ、行われているはず。学校全体に、エネルギー保存の法則が当てはまるわけです。

子どもが廊下を走るようになった背景に、なにか「秩序立てようとする運動」があったはず。
それは、もしかしたら、教室を分ける、ということかもしれないですね。

何年何組はここで、〇〇くんはこの席で、今日は国語が1時間目で・・・というように、思い切り秩序立てているために、学校全体としてはどこかにエントロピーを増大させる動きが生まれているはず。それが、「廊下を走る」なのではないか、と思います。
ためしに、子どもが勉強する場所や時間などをすべて無秩序にしてみると、もしかしたら廊下を走る子は一人もいなくなるかもしれません。たぶん、いなくなるでしょう。そうしたくなる秩序がなくなったからですね。

では、高学年の子がかったるそうに廊下を歩く、ということについてはどうでしょう。
このようなエントロピーの増大についても、もしかしたら何時間目に何を勉強して、というような秩序をなくしてみたら、もっと生き生きと背筋を伸ばして歩き始めるかもしれません。

で、ここからが本稿の主張になるのですが、
ためしにですね、週に1日でよいので、たとえば金曜日。
これは、
「児童が時間計画をして、児童がどこで何について学ぶかを計画し、それにそってやりたいように学べばいい」
というようなことをしてみたらどうか。

これはエントロピー的には、増大の方向です。
今まではがっちりと秩序に当てはまっていたのですが、それを自由分子的にやりなさい、ということになるのだから。

だとすると、今度は逆に、秩序がうまれてくるのではないか。
それも、大人が意識の上で秩序を計算したものではないために、ごく自然発生的に子どもたち自身から、まるでエントロピーを縮小させるような、本来の「恒常性の維持」という生命体のもつあり方にそった形で・・・。

今日は朝から寒く、とくに用事もなく、まったりと昼寝をしておりましたところ、うまい具合に脳内のエントロピーが寝てる間に回収されて秩序を取り戻したらしく、ふとこんなことを思いついて書いてみました。人間は、寝ている間の、この「エントロピー縮小(片付け・整理)」ということが、脳にとっては大事なようです。でなければ、起きている間に脳が高速に動いて大量の情報を処理できるわけがないからですね。

やっぱ、睡眠が大事、という結論です。

ろうか

オミクロン・・・卒業式に暗雲がたちこめる

全米の医療機関から悶絶するような悲鳴が聞こえてきそうだとのこと。
それをわたしは、「ICU使用率が82%に到達した」という報道によって知りました。
ICUとは、集中治療室の略で、重症患者のための場所です。たとえば、命が亡くなるギリギリのところや、限りなく危険性が高い場合に入ります。
そんな大事な場所が、82%も埋まってしまったのです。なんでこんなことが起きたのか。
それは、オミクロン株の登場が原因です。

どうやら以前流行したデルタ株をしのぐスピードで広まっているらしいです。
重症化しない、という噂もありました。だからわたしも、安心していたのです。
でも、実際にはICUに入るくらいの重症患者が増えています。
なぜなのでしょうか。実は、感染者数が爆発的に増えており、アメリカでは軽症の患者も多いかわりに、デルタ株も含め、り患した人の数が膨大になりすぎ、要するに分母が限りなく増えたために、重症患者も増えているのです。感染者が元々抱えていた他の病気が急速に悪化して搬送されてくる事例が多発しているらしいです。

おそらく、世界で猛威を振るったデルタ株(現在進行中です)を超えて、さらに感染者数を上回るだろう、ということです。そのために医療現場がひっ迫し、結果として、重症患者の数も増えてしまいそうです。

さて、わたしが一番今ざんねんなのは、卒業式のことです。
おそらく卒業式は簡易的なものにならざるを得ないでしょう。
歌も歌えないでしょうし。

卒業生の名前を一人ひとり呼ぶとき、たいていわたしは情けない声になってしまって泣きますが、マスクをしているおかげで、その情けない様子をあまり子どもに見られずに済むのが、まあちょっとは救いでしょうか。

それにしても、毎年教員が悩んできたのは、インフルエンザでしたが、そのインフルエンザはさっぱりです。
冬の行事はまさにインフルエンザとの闘いでありまして、インフルエンザで学級閉鎖だとか、インフルエンザをふせぐためにこれまでもまあ、いろいろやってきましたよ。教室の換気だとか、手洗いの時間をわざわざ増やしたり、回数を増やしたり、ね。これまでも。別にコロナじゃなくとも。

そのころのことを思うと、今の学校の対応は完璧です。
毎日、毎日、ドアの取っ手も階段の手すりも、水道の蛇口もドアの子どもが手をつけそうな場所なども、広範囲に消毒しています。
アルコール消毒の機械は教室に2こ、各学年の廊下に1こずつ、昇降口にも1こずつ、給食室や理科室、音楽室でも図書館でも、毎日毎日、アルコール消毒ですもの。

そして、全校集会の中止。
大人数が集まることは、もうありません。

これだけの対応をしているからか、インフルエンザで学校を休む子はほとんどゼロです。たぶん本当にゼロだと思う。

しかし、そのブロックの隙間を縫うようにして、ひたひたとオミクロン株の魔の手が入ってこようとしている。町のスーパーでも、レストランでも、みんな手を消毒し、マスクをしているのに、どんどんと感染者が増えています。こんなにマスクをして、みんなしゃべらないのに!

わたしはオミクロンが恐ろしい。
インフルエンザなんて雑魚キャラで、蹴散らしてしまうのでしょうね、オミクロンくらいの破壊力の持ち主になると・・・。

アメリカの集中治療室の使用率が、全米のレベルで8割を超えてしまう。
各都市の、各病院の治療室で、オミクロン株感染による死者が徐々に増えている。
デルタ株も収まっていないところにきて、急激にオミクロンが増えた。
これは前代未聞らしいです。ちょっと恐ろしすぎて、こわいくらいです。
どうなるんだろうか。

ともあれ、卒業式に暗雲が立ち込めてきたのは間違いがなさそうです。
でも、だからといって悲しいとは思いません。子どものすばらしさは変わらないし、子ども一人ひとりの価値が失われるわけではないですからね。きっと胸を張って、元気に卒業していくでしょう。学んだことや楽しかった思い出とともに。

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学校現場「夕方9時以降は留守電」の衝撃

夕方も9時をすぎると、先生たちもそろそろ帰り始める。
遅い先生はいつも午前までいるので省くとして、
さすがに腹も減ったし、という感じ。

ところで、夜の電話はクレームが多く、内容も大事な事が多い。
だから、教員を長く続けていると
「夜の電話ほど大切にしなければならない」
ということを思う。

夜も9時をまわったときにかかってくるのは、
おそらく、親にとってもSOS、ということ。
だからそれを懸命に傾聴する。
そして、かならずなんとかしましょう、と約束する。
それでこそ、保護者もようやっと安心する。

しかし、新しい校長が来て、
「夜の9時以後は留守電にしようかと思う」
と言い始めた。

これは衝撃的だった。
実際には夜間であればあるほど重要なのが教育という仕事だからだ。

校長もそれはわかっている。
しかし、夕方4時30分以後は一切残業代の出ない教員が、授業準備もろくにできずに保護者の対応をするのがしのびない、ということらしい。
優しい校長だからこそ、こういうことを言ってくれるのだ。
教育委員会からも「教員はブラック」というイメージをなんとかするように、とお達しが出ている。

しかし、もう「残業代なしで早朝から深夜まで」ということは事実であるし、
いまさらそのイメージをなんとかしようというのも無理な話である。
事実を粉飾して語っても、それは・・・意味がないよね。
重労働で休憩なし、昼食は子どもの宿題に丸をつけながらの流し込みで5分完食、ほとんど朝から夕方までは立ちっぱなし。椅子に座る感覚は夕方4時以後しか得られない。

改善は無理。
そういう仕事だ。
教員の本当の仕事は、
「教育」というよりもむしろ、「福祉」だ。

消防隊員でもないし、自衛隊員でもない。警察官でもないし、医者でもない。
そのどれでもない、教員の実態は、他の業種とは一線を画す、残業代の出ない「福祉士」なんだろうと思う。

校長の提案に対し、当然、教員から
「実際には無理でしょう」
という声が多数あがった。

とりあえず、夜9時以後の留守電は、勤務校に関しては実施されていない。
しかし、他の学校で導入されはじめたら、徐々に浸透していくかもしれないけれど。

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正しく評価できるスキルとは

ものごとをスッと見通す。
そのものの実際の価値を正しく理解できる。
そういう能力を身につけたいと思う人は多いのではないか。
わたしもそうだ。

子どもの実際の姿を知りたいし、学びたい。
その子のユニークさを見たいし、わかりたいし感じていたい。

AをAとみる、ということくらい、むずかしいことはない。
まわりがみんな、AをBと言っていた場合、それをAとみる人が何人いるだろうか。

あるいは、周囲の人の多くがすばらしい、と断じたものを、
自分にとっては正直、どうなのか、と言えるかどうか。

あの人がいい、と言った。
新聞でもいい、と書いてある。
テレビでも人気のある芸人さんが良いとほめていた。
それを、自分としてはこうだ、と言えるかどうか。

自分は、周囲のみんなが「良い」とほめたものを、どうとらえているのだろう。
良い、というのが、ただの印象・感想であると、どれだけ冷静にとらえているだろう。
AをAとみる、ということがいかに大変か。

わたしがAだ、と思ったのは、言ってみればただそこから受けた印象を語っているにすぎない。
「おれはAだと思うなあ」
事実は印象をとりさった部分のことだから、「Aだと思う」という以外のところに、事実はある。

すると、子どもの行動や様子を見ていて、「印象以外」をどうくみとるのか。
教師は子どもの事実実態には、なかなか迫ることができない。

たった一つ、有効な手段がある。
それは、当人が、自分について語る、その言葉である。
その言葉が、事実にかなり近いのではないか、とみる。
そのくらいしか、分からない。

本人が、自分について、こうではないか、という遅々としたところにしか、
正しい道の進み方がない。

そこを力強く歩もうとする際に、ほんの少し、周囲の大人として
「こう見えるけどどうか」「ここが良さだと思うがどうか」くらいしか言えない。

そろそろ評価の時期が近い。
評価とはどういうものか。
価値があるかどうか。←そこには主観しか存在しない。

本当に、子どものことなんて、わかりようがない。
だから安心できるし、だから救われる。
第一、他人に分かられて、たまるか、ということ。
自分でも自分のことなんて、ぜったいによく分からないのに。

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指導能力を評価される先生

2月になり、来年度の人事が水面下で動いていることがなんとなく分かる。
わたしも校長から内緒で手招きされたり、教頭から
「どう思います?」とか聞かれたり、
あれこれと話がくる。(ぜんぶ秘密)

ところで、校長とか管理職というのは大変だとつくづく思う。
先生たちの指導能力を評価しなければならないから。
ところがそんな能力は、ぜったいに評価なんてできっこない。
20年連れ添った妻のことでも、まったく分からないことだらけなのに。

先生は子どもの能力を正当に評価しているだろうか、ということを評価するのが校長だ。
子どもの能力を正当に評価する先生を正当に評価する校長の能力を正当に評価することになっているのが教育委員会、ということになる。

こんな芸当がふつう、できるわけがないことくらい、自明でありましょう。

忘れ物が多いですね、というのが子どもを評価することにはならないことくらいは、みなさん分かります。だから、保護者が懇談会で

「先生、うちの子は忘れ物が多くてすみません。どうしたらいいでしょう?」

というお母さんに向かって、たいていの先生たちは

「ああ、鉛筆がなくても、先日Aくんは、字を書いてましたからサバイバルでも生きていけるのはこういう子だと思って感心しました」

ということになります。
お母さんは目を丸くして、いったいどうやって書いたのですか?とおっしゃる。
こういうお母さんは、おそらく子どものころに鉛筆が無い状態では字は書けっこない、というあきらめの人生を送ってきたのでしょう。ところが昨今の子どもはあきらめません。なんてったって、平成生まれですから。強いことこの上ない。

鉛筆の芯が落ちていたのを、鉛筆削りの削りカスの入った箱の中から見つけて、その芯を上手にテープでノートをやぶいた紙きれにくくりつけ、自家製の筆記用具をつくり、それで算数はキチンとこなすわけです。このくらいのこと、朝飯前ですよ。平成の子は!

というか、わたしのクラスは隣の子が鉛筆なら貸してくれるから、それで間に合うわけね。
「友達に借りてはいけません」ということになっている学級でも、上記のような自作の筆記具でのりこえていくわけです。

最悪、鉛筆がなければ、ノートテイクをしなければいい。
案外と、書かなくても、集中して覚えようとすれば覚えられるものです。覚悟さえ決めれば。

ハンカチを忘れた子が、窓から手を突き出して、高速に振っていましたが、あれもなかなかのアイデアだし、校庭をマラソンしてくれば手のひらなんて乾いちゃいます。
わたしが昭和の時代にそんなふうだったから、今でも忘れものをした子を叱る気にはなれません。

太平洋戦争のころ、ある特攻隊の飛行機が、爆弾を忘れて(落ちて)しまい、途中から引き返したそうです。
それで帰ってきたところでちょうど飛行機のエンジンがかからなくなり、命が助かったそうです。
忘れてはいかん、というの、あやしいな、と思います。

というか、学校が

「忘れ物をすること」

について、指導できると思っているのも勘違いだし、
指導する事柄だと保護者がもし考えているのだとしたらそれも勘違いだし、
忘れ物がよくないと思っている世間の考え方も勘違いが含まれているだろうし、

子どもは忘れ物をすることで、実は心の奥がわくわくしていて、
「よし、この困難をどうやってのりこえようか!」となっているので、
そのハリウッド的な盛り上がりを、教師が口をはさんでどうのこうのしようというのは
本当に余計なことだと思います。

人間社会が、忘れ物をしないようにステップアップしていく仕組みなのだとしたら、
なぜ人として完成されたはずのおじいさんやおばあさんが、しょっちゅう忘れ物をするんでしょう。
おそらく、ステップアップ、という「とらえ方」自体に、なにか人間の根源的な間違いやおかしさ
が含まれているのかも。

指導とはステップアップだ、という考え方をやめたら、わりと
学校というのは、もっといきいきしてくるのではないかと思います。
もちろん、その場合、忘れ物というものは、
忘れる時は忘れる、忘れなかったら忘れなかった、というだけのことです。
それについて論評すること自体が、なにか大事なことを忘れている、というパラドックスなわけです。

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最大の悩み【東京への修学旅行計画】

来年、6年生の学年主任をする私の目下、最大の悩み。
それが、
【首都圏への修学旅行を決断してよいか】です。
大体、みなさんお分かりかと思いますが、修学旅行は、旅行会社と協力して行います。
これは修学旅行を失敗してはいけないからで、市教委の指示です。

で、旅行会社に「東京の旅行を計画してください」と依頼した時点から、「企画料」というものが発生し、これは全額保護者負担になってしまうのです。

今の時点で、それを計画しなければならない理由は、旅行が来年の7月だからです。半年前、6か月前の今が、その最終判断をしなくてはならないリミットなのです。
なぜ6か月前か。
ホテルを押さえるからです。100名を超える人数の宿泊予定は半年前に予約開始するので、そこで確定して押さえておかないといけません。小学生100名を宿泊させることのできるホテルは、早い者勝ちでとられしまうのです。良いところから。

主任の私は、それを決断しなければならない。
来年の7月に、100名を超える団体が、無事に修学旅行ができるんだろうか。

【キーポイント①オリンピック】
オリンピックが開催されるのであれば、GO!
観客が会場に集まって無事に開催されるようであれば、都内の観光も一応は可と考えてよいでしょう。

【キーポイント②ワクチン】
ワクチンの効果が見込まれ、全国的に7月までに落ち着くようであれば、GO!

【キーポイント③陽性率】
陽性率がさがってきて警戒レベルが下がるようであれば、GO!

これまでこのポイントをもとに、7月に決行か、どうか、と悩んできました。

で、今日、共同通信社のこんな記事を見つけたのですが・・・。
東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長は28日、大会の観客の上限や海外からの観客の受け入れ可否を巡り、無観客での開催も選択肢から排除せず、幅広く検討を進めていると明らかにした。ただ、無観客は「基本的にはそういうことはないし、したくない」との否定的な考えを強調。「いろんな形を想定している」と述べた。同日、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長とテレビ電話で会談後、記者団の取材に明らかにした。
これ、観客を制限してとか、無観客もある、ということですよね。
保護者が「五輪を無観客でやろうとしているような状況で、子どもを東京の修学旅行に行かせよう」と考えるかどうか。

ワクチンはどうでしょう。厚生労働省の最新データです。
モデルナ社(米国)との契約(令和2年10月29日)
 新型コロナウイルスのワクチン開発にもしも成功した場合、武田薬品工業株式会社による国内での流通のもと、2021年8月までに4000万回分、秋以降に1000万回分の供給を受ける。

アストラゼネカ社(英国)との契約(令和2年12月10日)
 新型コロナウイルスのワクチン開発にもしも成功した場合、通年で1億2000万回分のワクチンの供給(そのうち約3000万回分については今年の4月までの供給目標)を受ける。

ファイザー社(米国)との契約(令和3年1月20日)
 新型コロナウイルスのワクチン開発にもしも成功した場合、通年で約1億4400万回分のワクチンの供給を受ける予定。

アメリカのニューヨーク・タイムズ(電子版)が、「東京五輪開催の望みは薄くなった」と報道。新型コロナウイルスの感染が拡大する一方、米国内や欧州各国でのワクチンの普及が予想より遅れていることも指摘した。

ワクチン、7月までに間に合うのか・・・。

アスリートの気持ちはどうでしょう。
五輪に内定している陸上女子の新谷仁美選手は「アスリートとしてはやりたい。人としてはやりたくないです」「命というものは正直、オリンピックよりも大事なものだと思います」と発言。

実際、現実的にはダメなのかも分かりませんね( ノД`)シクシク…。

月曜日に校長に相談し、愛知県内での地元の観光を日帰りで行うことにします。

リトルワールドか、日本モンキーパークかな。

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20代の先生たちがすごすぎる件

20代の先生たちって、なんでこんなにも素敵なんだろう。
仕事はできるし気が利くし、子どもたちの目線に立っている。

こうしてまぶしく彼ら彼女たちを見ていると、
自分が加齢してドジばかりやっているのが際立って感じられる。

階段を上がると息が切れるのは、もうどうしたらいいか分からない。
マスクのせいで、もうほとんど3階まであがった時点で息ができない。
いつも踊り場でそのままブラックアウトする勢いだ。頭の中で、山本 小鉄がカウントしはじめる。

また、ちょっと子どもがやさしいそぶりを見せたりすると、
涙腺がゆるみそうになることがある。
これも、加齢のなせるわざでありましょう。

ときには放課後10分ほど、意識がなくなるときがある。
「今日は職員会議も無いし、会合もないし、さあ、学級事務ができる・・・ぞ・・・」
って、ちらっと思った記憶があるけど、そのあとの記憶がさだかでなく、気が付いたら目の前に隣のクラスの先生がいたときがある。


体育の時間も、加齢が気になる。
ちょい前なら、鉄棒もマット運動も、ちょっと見本みしてみっか、と自分がやったものだが。
今はもっぱら、

「できる人、見本おねがい」

で両手を合わせている。
「先生やってみてー」
と言われる年も、すでに越えたようだ。
もうクラスの子どもたち、だれもわたしにマット運動の技を要求しないようになった。

廊下をあるくときはたいてい、肩甲骨をまわすのがくせになっている。

給食もそうだ。
「あらま先生は大盛りにしてあげないかん」
というので、かつては大盛りが配られていた。
ところが今ではもうすっかり食が細くなり、配膳してくれる子も、心配そうに
「あらま先生、このくらいなら食べられますか?」
と、ごはんを少し減らしながらこっちをうかがってくれる。ほとんど介護のようである。

加齢などくそくらえだ!

先日は社会科の資料集の、細かい字が見えないのと、地図帳の細かいのがよく見えなくて閉口した。
思わず知らず、手に持っている地図帳をだんだんと顔から離し、まゆをひそめ、わたしのこの瑠璃細工のようなつぶらな瞳をせいいっぱい見開いて、地図記号を読み解こうとしたが、見えない。

「ええええー、この岡崎市の、ええー、岡崎市の、・・・ここになんか・・・自動車の関連工場の・・・なんか、記号がありますね。えー、なんだこれは」

すると子どもが冷静に

「あらま先生、投影機で拡大するとテレビに映せると思うよ」

と、憐れんだような目で、いそいそとそれをやってくれようとした。

わたしはVロート・ゴールド40を目にさしながら、今このブログを打ち込んでいるのだが、

・・・40じゃ、もうダメだな。
アラヒフだもの。Vロート・50が必要だ。

と思った。
とはいえ、こうやって子どもたちのことを考えていると、あれ、もうなんだか視界がにじむ。
やさしい子たちだよな。ほんとに。
涙腺も他の腺も、なにもかも、本当にゆるみっぱなしです。

とはいえ、まだまだ月曜日だ!! しまっていくぞーーーーー!!!

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【教師稼業】もしも私が女神なら

試されるのが好きじゃない。
子どものころからそうだった。
堂々としていたい。
それがいちばん自分の中の正直な気持ち。

だから、何かを訊かれるなら、尋ねられるのなら、相手には堂々と質問してもらいたい。
こちらも堂々と、本当に思っていることを、つつみかくさず言いたい。
それがいちばん、人間と人間の、まっとうな、傷つけあわないコミュニケーションの姿だろうと思う。逆に、こちらも、堂々と質問をしていきたい。うそいつわりのない、本当の気持ちを聞いてみたい。

もちろん、それにはお互いが守らねばならない条件がある。
相手がなにを思おうが、何を考えていようが、どんな言葉をつむぎだそうが、相手をまるごと尊重すること。
そうならないかぎり、「通じ合う」ことがない。
通じ合わなければ、話す意味がない。

だから、幼いころに聞いた、金の斧と銀の斧の話をきいたとき、顔面を殴られたかのような衝撃を受けた。今でもおぼえてる。

3つ、歳(とし)の離れた姉が、わたしに読んでくれた。
わたしは「女神」というのが分からなかった。
姉に尋ねると、神さまの一種だろう、ということだった。

わたしがそれまでイメージする神さまは、やさしい感じのする、爺さま、だった。
しかし、この女神、なんと性格の悪いこと。

「あなたの落とした斧は、金の斧ですか、銀の斧ですか」

そんなの、神さまなんだから知っているでしょう。
ところが、今落とした斧を知っていながら、男を試したのだ。

教師は、この女神のようになってはいけない。
ただひたすらに、もっともっと、この木こりのことを観察しつづけるしかない。
みるのだ。子どもを見る。それが教師の仕事である。けっして、決めつけないで、ああだこうだ、としないで、〇や×をつけるために見るのでなく、ただひたすらに、真摯に事実を見ようとして見る。

女神だって、そうやって本当にみていないと、木こりが正直かどうかなんて、分からない。
また、そのとき正直であったとしても、正直でなくなる瞬間だってあるだろう。人間だもの。
他人の前で正直にふるまったところで、それが本当に良いことかどうかも分からない。また、正直に言わなかったから救われる、というケースもあるし、正直に言うから人を傷つける場合だってある。
正直、ということそのものに価値があるのではなく、『ひとを本当に思う』ということ、その心のはたらき方に価値があるのではないだろうか。

もし教師が女神なら、まずは

「ケガなかった?」

だろうねえ。

いえ、もちろん自分のけがじゃなく、木こりがけがしてないかという・・・

kin

不安の強い担任にはなるな

担任の不安が強いと、生徒をどうしても変えたくなる。

生徒を問題視するからだ。

教頭の不安が強いと、先生たちをどうしても変えたくなる。

先生を問題視するからだ。

校長の不安が強いと、この学校は良くないという情報になって父兄に伝わる。

学校を問題視するからだ。

不安は、形を変えて、どんどんと伝わる。

大人が不安を抱えていると、どうしても、子どもを助ける、のでなくて
子どもに「助けて!」と言っているような大人になってしまう。

子どもに不安をぶつけ、子どもに自分の不安を解消してほしい、と
どこかで願うような大人は、

心の状態が安定している人をみると、

「どうして問題だと感じないのだ!」

と問題視する。

問題視するのが癖になってしまって、目の奥が落ちくぼんでするどい顔つきになっている。

で、子どもはそういう「背後に隠れた」先生の不安を感じ、息苦しさを感じている。


先生の心配をしなきゃならない場合、子どもはずいぶんと疲弊してしまいます。
われわれにとって大切なのことは、子どもに心配をかけない大人になることです。

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【星新一風・短編小説】謎の曜日

S氏は小学校の教員だった。
土日にはわが子が通っているサッカースクールの遠征に他県まで付き合い、疲れて帰宅する。
「明日からまた授業か・・・」

さて、場所は変わって、小学校。
授業が終わって放課後、職員室で深いため息をつく。
「月曜日なのにこの疲労感か。なんのための休日なんだろ」

それを聞いた同僚のN先生が同意する。
「ほんとよねえ。月から金まではクラスの子たちを世話する。土日はわが子の世話。まったく気の休まらない毎日だわ・・・」

次の土日もまた遠征。
今度はちがうサッカー場。
試合後、息子のユニフォームやスパイクを車に積みながら、S氏はため息をつく。
「今日はまた遅くなりそうだぞ、こりゃ」

サッカーの試合を終えて、高速道路をとばし、帰宅する。
すでに後ろの席で眠り込んでいる息子の寝顔を、バックミラーで見ながら
「明日からまた授業か」
とつぶやく。
S氏にとっては、休んで良い曜日など無いのだ。


ところが、だ。

次の朝、起きてみると、なんだか目覚めがちがう。
ふしぎと身体が、休日の朝を迎えたかのような感覚を覚えた。

「あれ。今日は月曜日だよな。出勤しなきゃ」

慌てて着替えてリビングへ行くと、まだ着替えてもいない妻がいた。
パジャマ姿のままだ。
ぼうっとして、冷蔵庫の扉に手をかけたまま、立ちすくんでいる。

「なんだ、そんなところで。今日は月曜日だぞ」

「そうよねえ」
妻の目が定まらない。
「わたしも月曜日だと思って、朝食をつくりにきたのよ。でも、こうやって冷蔵庫の前に来たら、なんだかどうしても、今日が休日だったような気もしてきたのよ。どうしてなのかしら」

妻にそういわれると、そういう気もしてくる。
「あれ。おかしいな」
妻の口から「休日」という言葉が出てきた瞬間、自分の脳裏に
「そうだ、今日は休日だったはずだ」
という強い感覚がよみがえってきたのだ。

「あ、そうだった。なんだっけ?祝日なんじゃなかったっけかな?」

そういって、リビングにあるカレンダーにふと目をやって、驚いた。

カレンダーの今日の日付が、おかしいのだ。

「あれ?今日は8日のはずだが・・・」

カレンダーに目をやる。
「たしかに昨日は・・・7日の日曜日だったよな」

きのうの日付け、7日の場所にはS氏の手で、マジックの赤い丸が書かれている。
そして、「Y県I市へサッカー遠征」という字がはっきりと。

しかし、その隣の今日の日付け、8日が見当たらない。
ちょっと待てよ?あれ、どうしたんだ?なにかがおかしい・・・。

良く見直してみると、7日の隣にうっすらと7の字が消えかかったようになった別の字が印刷してある。あきらかに、印刷ミスのように見えた。

「あれ。このカレンダー、まちがっているんじゃないか」

もう一度、目を凝らしてしっかりと横の方をみてみると、ちゃんと次の日が8日で、しかも月曜日だ、という枠があった。
つまり、今日を示す曜日だけが、不自然に増えているのだ。

ええーっ。どうなっているんだ。

サッカー部の息子が、起きてリビングへやってきた。

「お父さん、今日は学校、あるんだっけ?ないんだっけ?」
「なに寝ぼけたことを言っているんだ、昨日が日曜日で、今日は月曜日だろう。学校のしたくをしなさい」
「あれー。やっぱそうか。なんか、今日が休みだったような気がして・・・」
「おいおい、お前までおかしなことになってないか」

やはり。なにかがおかしいようだ。
S氏はそういいながら、思い出そう、思い出そう、としていた。
「今日が休みの日である理由。なんだっけな。祝日なのか、どうだったっけ」

しかし、そうやって思い出そう、思い出そう、とすればするほど、笑いたくなるくらいに、今日が休みの日だろう、という感覚がはっきりしてくる。
もはやその感覚は、どうしようもなく確信に近づいていた。
「なにか理由は忘れたが、どうやら今日は仕事にはいかなくてよい日だった気がするぞ。なんでだったかは忘れたが。しかし、どうにも気になる。いったい今日は何の日だったのか・・・」

S氏は椅子に腰を掛け、テレビをつけてみた。

テレビのキャスターが映り、ニュースをやっていた。
「あれ。ふつうだな」

S氏が言い終わらないうちに、キャスターが緊張した表情で言い始めた。

「たしかに、今日は何曜日だったのか、さきほどからみなさんにお伝えすることができていません。番組にはさきほどからたくさんの視聴者の皆様からの問い合わせが相次いでおります。ただいまも、お電話が鳴りっぱなしです」

テレビの画面の右端には、時刻が表示されている。
それはいつもと変わらない。
しかし、いつもテロップとして出ているはずの、曜日のところだけが、抜けていた。

「ええ、スタジオも混乱しております。現場の誰も、今日が何曜日だったのか、覚えている者がおりません!」

S氏は立ち上がって受話器をとり、職場の電話番号を回した。
しばらくたって、教頭が出た。

「あ、教頭先生でしょうか。おはようございます」
教頭はぶぜんとした声で言った。

「S先生ですか。S先生も分からないんですか!」
その声の調子から、S氏は目が覚めたようになった。

「あ、今日はやはり、出勤日でしたか。しまった。急いで学校へ向かいます!」
「来るには及ばん」
教頭はぶっきらぼうに言った。

「今日が何曜日なのか、さっきから保護者からの問い合わせが続いている。しかし、わたしもそうだが、誰もそれが分からんのです。一応わたしは学校へ来てみたが、他の先生はだあれもここには来ておりませんぞ」
「校長先生はごぞんじないですか」
「校長先生も、さきほど、今日は休んでもいいはずだ、理由はわからんが、とおっしゃって電話を切られた」

なにがどうなっているんだろう。

テレビ画面では天気予報をやっていた。
週間天気予報が映し出されたが、今日のところだけ、曜日が書いていない。明日が8日で月曜日だ、ということだけははっきりと書いてある。

「いったい、今日って何曜日なのかしら」

妻があくびをしながら、また言った。

「月曜日でないのなら、もう一度寝てもいい?」
「まったくのんきだなあ。もしかして月曜日だったらどうするんだい?」
「だって、今の天気予報だって、あしたが月曜日って言ったじゃないの」
たしかにそうだ。じゃあ、いったい今日は何曜日だというのだろう。

テレビでは首相が映し出された。
首相官邸の前にはすでに多くのマスコミが詰めかけ、押すな押すなの騒ぎだ。
マイクを何本も突き付けられ、困惑した表情の首相が言った。

「我が国では、突然今朝、今日がいったい何曜日だったのかが判然としない状況となりました。国中のどのカレンダーを見ても、カレンダーと言うカレンダーがすべて、今日をうまく表示できていない、という報告を受けております。外務省を通じてワシントンやロンドン、パリ、モスクワや北京とも連絡をとりましたが、どの国でも本日が何曜日であったのか、不明という状態であるようです。したがって、本日は・・・」

マスコミの記者たちがいっせいに前に体を寄せる。
そして、首相の顔の前のマイクをさらにグイっと前へ押し出した。
いったい、今日が何曜日だというのだろう。

「本日が何曜日かということですが、個別の案件にはお答えすることを控えさせていただきます」

マスコミから怒号が飛んだ。
「国民はみんな知りたがっています!」
「そうだ!学校だってJRだって、曜日で動いているんです!」

首相は再度、苦虫をかみつぶしたような顔をした。
そして、なにかを言おうとした。
カメラがさらにその顔をズームにし、記者のマイクが詰め寄った。

「まったく問題ありません。以上。通してください」
「首相!こたえてください!」

首相は仏頂面のまま、車に乗り込もうとした。
マスコミの記者たちがそうはさせまいとして道を阻もうとする。
屈強な体をした黒服のSPたちが、首相のまわりを囲んでもみあいになった。

記者が叫ぶ。
「国民の生活を無視するつもりですか!」
首相がSPの体の向こうから、ひょいと首だけ出して言った。
「その指摘は全くあたらない。粛々と進める方針は、いささかも揺らぐことはない」
「進めるって言ったって、今日が何曜日なのかが分からなきゃ、進めようがないじゃありませんか!」

首相はなにがおかしいのか、顔の下半分で笑み浮かべたまま答えている。
「よく意味がわからないというのが率直なところ。はい、はい、そこを通して!」

女性の記者が金切声をあげた。
「国民の生活なんかどうでもいいというのですか!国民にとっては大事な案件ですよ!」

首相はもはや眠たそうな顔にさえなっていた。
「ああー、まったく問題がない、と言っておりますぞ。レッテル貼りはやめていただきたい。」

テレビの中継は、そこで切れた。

画面がキャスターのいるスタジオに戻ると、困惑したキャスターが続けた。

「今日はいったい何曜日なのか、世界中が曜日を失って、途方に暮れております。わたくしどもは番組を続けますが、曜日が失われた以上、世界中で混乱が予想されます。どなたも冷静になりましょう。非常事態とも言うべき状況です。」

見ると、画面の右上に、巨大なテロップが出た。

「謎曜日」

「へええ。今日はなぞ曜日か。なぞなぞみたいで面白いね、お父さん」
隣で見ていた息子が言った。
「たぶん、学校、ないよね?」
「ああ。たぶんね。」

S氏はぐいっとのびをした。

学校はこの調子では、休みだろう。
妻はもう2階に上っていった。もう一度寝るらしい。

「ねえねえ、お父さん、曜日がなくなったらどんなふうに混乱するの?」
「うーん」
息子はなんだか楽しそうに聞いてきた。

S氏は庭を眺めた。

「混乱、ねえ」

太陽はふつうにのぼり、あさの光が庭を照らしている。
道の向こうの畑には雲雀(ひばり)がいて、鳴いていた。
しずかに、風がそよいでいる。

「べつに混乱など、しちゃいないな」

息子がテレビのチャンネルを次々に変えながら、

「謎曜日♪、謎曜日♪」

と口ずさむのが聞こえた。

曜日

評価って何だろう~自問自答シリーズ~

算数の授業中に、それは突如として訪れました。

「評価」ってなんだろう、という問いです。

正しい評価ってなんだろう、というのは、いつも教員についてまわる「自問」です。

今、5年生は分数の足し算引き算を学習しております。

ご存じの通り、分母が異なる分数の場合は、ちょっと計算がやっかいですな。

つまり、分母を同じ数にしておかねば、計算がスッとはできません。

そう、「通分」をしてから、足し算引き算をするわけですね。

ちょうどその「通分」をどうしてするのか、というところをあれこれと子どもたちと悩んでいる途中、ある児童がですね、

「通分考えた人、あたまいいー」

と面白いことを言ったわけです。

わたしは通分を人類ではじめて考えた人がだれか分からないのですが、

まあ、分数、というものを考えた時点で、通分、ということはそこから自然と導き出されるものでしょう。2分の1という大きさは、4分の2、と同じ大きさなのですから。分数がそういう定義である以上、通分、という仕草は、算数の数理の世界には、当然のように現れてくるのでしょう。

ところが、その子は、だれかが異分母の加減算をするために、

「通分」

を発明したようにイメージしたのです。
そして、「すごい!」「この人、天才か」と思ったわけですね。


クラスの仲間もわたしも、
「そうじゃないでしょ。発明したとかじゃないでしょ」
と思いました。

それでもその子が、
「通分」という数理計算上の工夫?について、「スゴイ」と感動した、高評価を出した、ということが面白くて、ちょっと教室に笑いが起きました。

わたしはそのときに突如、モディリアーニを思い出して、ちょっと算数なのに、モディリアーニの話をしちゃいました。

モディリアーニはご存じのとおり、イケメンのイタリア人画家で、生前はあまり絵が売れずに世間的にはほとんど話題になることなく死にました。

ところが、そのモディリアーニを評価する人物が新聞にその記事を書いたり、少数のパトロンたちが運動をしたりして、それをもとにモディリアーニは世界でも有数の画家となるのですね。

わたしは幼いころ、名古屋市の美術館がモディリアーニのおさげ髪の少女を買ったためにモディリアーニを知り、父も好きで良く模写をしていたことからそのちょいと変わった作風が好きでありました。

わたしがモディリアーニを現在こうして楽しめるのは、当人のモディリアーニのおかげでもありますが、やはりそのモディリアーニの絵の価値を知り、その価値を認めた人がいたからですね。

画家はそういう人が多いですね。ゴッホもそうだと聞いたことがあります。

少数でもパトロンがいて、その絵の価値を正しく見てくださらなかったとしたら、私のような大陸から離れた島国に住む東洋の人間が、彼らの作品を見て楽しむことなんてできません。

つまり、「正しくその価値を認める」ということには、かなりの価値がある、ということです。
価値を認める能力にこそ、価値がある、というわけです。

となると、「通分」の良さをきちんと指摘して感動すらできた、という、この子のセンスは、まったくもって素晴らしいわけですね。価値を認める能力が、ある、というわけで。

わたしは子どものころ、通分に感動したかというと、まったくそんなセンスは持ち合わせておらず、ただひたすら

「算数なんて、くだらないなあ、ちっ」

としか思っていなかったと思います。

そういう私が、くだらなかった、のですな。よくあるパターンです。

osagegami

幻の『はごろもチョーク』

羽衣文具は、名古屋のメーカーであった。
わたしは子どものころから名古屋だったので、まあ、羽衣チョークで育った、といっても過言ではない。わたしの母校で使用されていたのも、もちろん、はごろもチョークだった。

はごろもチョークの中でも品質の高いものは、世界中で絶大な人気を誇った。
世界中の教員が、「HAGOROMO」ブランドを愛したのだ。
しかし、羽衣文具は、しばらく前に諸般の事情から廃業してしまう。
このときは、大変な「はごろもロス」が起こり、世界中の教員がその廃業を惜しんだ。

わたしの勤務校でも、やはり羽衣は使えない。いつも事務の先生が買ってくださるチョークは、他社の安めのチョークであります。まあ仕方がない。税金ですからね。

しかし、教師になりたてのころは、羽衣チョークでしたよ。
今でもなつかしく、思い出します。
事務の先生のところへ行くと、スチール棚にいっぱい、「はごろも」のマークが入ったチョーク箱がおいてあり、わたしはたまにそこからチョークをもらい受けて、教室で使ったものです。
いい感触でしたね。口の中でやさしく溶けるラムネのような。

羽衣チョークの良さは、きめが細かく、毛筆のように黒板に字が書けたことである。
とめ、はらい、はね、などのこまかいところが、羽衣チョークなら、とてもよく表現できた。
だから、『むかしの先生の方が字が上手だった』という人も、世の中には多くいるのではないかと思う。

世界中の大学で、羽衣チョークは特別に愛されていた。
羽衣文具が廃業するとなったとき、世界中の大学から注文が殺到し、多くの学者が「わたしがリタイアするまでの分を確保せねば」と考えたことが分かり、ニュースにもなった。
イギリスのケンブリッジの理化学の教授やら、マサチューセッツ工科大の数学や物理の教授、フランス、イタリア、世界中が「はごろも」ブランドとの別れを惜しんで、その様子が報道された。


さて、はごろもの品質は、製造工程にもひみつがあったが、従業員たちがもう非常に几帳面にルールをまもって仕事をした、ということにも支えられていた。
人間には、「慣れてきたことでの手抜き」というのがあるのだろうが、はごろも文具には、それが無かった。

その羽衣チョークが手に入りました。
わずかですが、はごろも文具の工場の道具を一式買い取って、つくりつづけようとしてくれた方がいたそうである。

ちょっと自分のモチベーションをあげるために、自分のエンジン回転数を高めるために、ときおり、スーパーアイテムとして使いたいと思います。

ひとは、アイテムに助けられることもある。
人間と道具、という関係は、なかなか深いものです。

「しなりある羽衣チョークを携えて三十四年の教師生活」(愛川弘文)

どうです? いい短歌でしょう。
この歌を詠んだ愛川先生は、わたしはお会いしたことはないですが、とても幸福な教員生活を送られたのだと思いますネ。

Sはごろも3

23歳の青年と話す・・・50歳のおっさん

自分が座っている職員室の席のことを書きたい。
となりに、23歳の青年が座っている。
新人の先生だ。

ものすごくよくできた青年で、わたしはうんと尊敬している。
自分が23歳だったころを考えると、隣席の青年がいかによくできた人なのか、いつも感動するのだ。

物腰が落ち着いていて、やわらかく、清潔感にあふれ、正直で、素直である。
この青年が、わが町岡崎の教員になってくれていて、本当によかったと思う。

さて、その23歳の新米先生と話すと、けげんそうに、
「あらま先生はいったいどこに住んでいたのですか」
ということを質問してくる。

これは返答に窮する。
いろんなところに住んでいたからだ。
また、仕事でいろんなところへ出かけたからだ。
日本の各地へでかけた。

5年生の社会科は、日本全国の農業や産業について学ぶ。
わたしが知っていることや体験したことをもとに授業の素材を考えていると、
隣席の新米教師から、

「え?みかん収穫をしたことがあるんですか?」
とか、
「え?林業をしたんですか?」
とか、
「え?北海道で牛を追いかけたんですか?」
とか、その都度聞かれる。
もう、自分でも不思議なくらいに体験談が出てくるのだ。

これらの経験はすべて、自分が今の世の中を考えるときの、下地になっている。
いちばん自分でよかったと思えるのは、この地球という土地は、あるいは日本というのは、ずいぶん豊かな土地だということを、肌で感じていることだ。この感覚は、20代のころから、何一つ変わりがない。

この地球という星は、あるいはこの世の中というのは、あるいは人間と言う生物は、なんという豊かさに包まれているのだろう、という感じ。
これは、20代の最初に感じていることを、今でもまったく同じように感じながら生きている。
だからだろうか。わたしは自分の中身が何一つ、20代のころと変わらないように思う。

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ここで、提言したいことがある。

日本の小学校は、過疎地の廃校を利用した合宿教育体制を作ってはどうだろうか。
都市圏の子どもたちみんなに、実際に農山村に触れて、農業を啓発される機会を作るのだ。
すでに多くの人が、これと同じことを言っている。
ところが、まだ実現はしていない。
まじめにやれたら、どんなにすばらしいかと思う。

日本にはすばらしい観光資源が無数にある。
また、優れた自然環境が存在している。
観光・農業・教育の条件は、すべて揃っているようだ。
「金儲け」を目指すのではなく、人の幸福を目指した社会を生み出すことができる、すばらしい国の一つではないかとさえ、思う。

「ぼくは、新間先生のように、日本はすばらしいとか、なかなか言えないです。他を見たことがないんで」

私の中には、この国がいかにすばらしいか、という思いがある。


たしかに、腐った時代もある。とくに昭和初期の圧政、圧迫。
国民をだました政治家と軍部は、狂っていた。
日本は神の国、という一つのドグマで、人を支配しようとした。
それは、うまくいかなかった。「これしかない」「この道しかない」というような、ある決められた一つきりのドグマで、人間社会を支配しようとしても、うまくいかないのだ。〇〇主義は、一つに偏ってしまうことで、人間社会をゆがめてしまう。これ以外はダメ、という白黒主義は、狭い視野をつくる。ヘイト・排除主義は、けっしてうまくいかない。
この国は、特に昭和の初期から、これまでに間違ったことも経験した。
しかし、この国の自然と人間自体は、本当は・・・素晴らしいはず。

その国の誇りを子どもたちが取り戻すためにも、子どもたちの農業体験は行政がすすめてほしいと思う。親もついでに、参勤交代すればいい。江戸と地方を行ったり来たり。半年くらいで。

ちょうどコロナだ。東京の密を、緩和しよう。
国が国民に現金をわたし、半年間、好きな地方で農業体験をするってのはどうだろう。
大企業の内部留保をこの際、使えばいい。
もう、日本は、元のような大企業依存の社会には、もどらないのだから。
チャンスだと思う。

「成長」だけが良いのではない。
ゆるやかなフェードアウト、静かな規模への縮小をだんだんと。
だれもが傷つきにくいような、順序やスピードを考えて、すこしずつ縮小していく道を。
人口は減っている。増える見込みは薄い。どうしたって、空き家、空きビルは増える。
ここちよい、お互いを大切にしあえる人間関係至上の社会へ、しずかにゆるやかにシフトする道をさぐろう。

子どもたちとそんな将来を描くような、未来をひらく学びをしてみたい。

tokyo

教員の警戒心について

これまでの仕事歴を振り返ってみて、教員歴がいちばん長くなった。
転職を繰り返した身であれば、このことにやや、感慨深い思いが浮かんでくる。

教員の職業病であろうか。
どこか、自分のこころの動きに対して、いつも警戒するようになった。

複数の子どもを毎日観察していると、この子はいったい何を考えたり感じたりしているのかな、とわかりそうでわからない。
わからないので、結局、自分の都合で子どもの気持ちを解釈してしまうだろう、と思う。
そのことの警戒心が、常にある。我ながら、面倒くさい。

子どもと暮らしていると、その行動や性格にもいろいろと個性があることに気づく。一生懸命にルールを遵守しようとする子、先生の仕事を手伝おうとする子、話をよく聞いているような感じの子、一生懸命にそうじをしてくれている子、そんなのどーでもいい子・・・

教員らしく、一生懸命に子どもを理解しようと思えば思うほど、
「ま、これは俺の勝手な感想だネ・・・」
という諦念がつきまとう。

しかし、そのことがわかっているのに、それでもなお、観察しようとしてしまう。
病気である。『観察病』だ。

その病の良くないところは、「徒労感」である。
だって、けっきょく、その子のことがわかるはずないもの。
ただの、予想であり、ただの、自分勝手な感想を持つだけのこと。
教員は無力です。

ただひたすら、座禅を組むようなものです。
「師匠、なぜ座禅を組むのですか!?」
「意味を問うな。ただ、ひたすら組むのだ」

只管打座(しかんだざ)、という言葉の通り、ただひたすら、子どもを観察するのであります。
観察したからと言って、なにもいいことはありません。
でも、観察するのです。

そんなふうに言いながら、
「きっと、なにか良いことがあるんだろう」
って思われるでしょう?

ところが!観察したところで、なにも良いことはないのです。
15年教師をやっても、何も得られません。

ところが、いいことは、なくてもいいのです。
良いことが、なにひとつ起きなくても、大丈夫。
教員と子どもの関係は、
不安と圧迫と誤解と決めつけがなければ、両者は極楽の関係です。
なにもいいことがなくてもネ。

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