転職、転職、そして転職、さらに転職で教員になった私のような人間こそが、このことについていうべきことがあろうと思いまして。
文科省が、「教員のなり手がいない、採用試験の応募者も少ない、どうしよう」と悩んでいるようです。
それはもう若者自体の人数が減っているわけだし、日本人の総数が減っていくのですから、もう日本自体が昔のようにぜいたくはできないし、あるものを有効に利用しながら活かしていくという、省エネの暮らしに変えていくしかないわけで、教員になりたいという若者がいなくなるのは当然でして。
それがわかっているので、手を打たなければならないのですが、有効な手を打てていない。
文科省は、学校というシステムや装置自体を、縮小していくことに加えて、とりあえず今の危機をしのぐために教員になろうとする人間を増やさないといけない。しかし、なかなか難しいようです。
このことがだんだんと世間でも話題になっていまして、どうやら採用試験のルールや日付を変えたりなど、小手先のことしかまだやっていない様子。
あとできることは、「やりがい」がある仕事です、というのを世間にアピールすることくらいらしい。
やりがいのない仕事なんて、ないでしょう。
どんな仕事だって、やりがいはありますよ!
なぜ教員のやりがいを主張したら、世間の若者が応募してくると思っているのかわからない。
他の仕事にもたくさんやりがいがあるんで、・・・
やりがいがあるよ、と100万回、文科省が叫んだところで「あそう」で終わると思う・・・。
くれぐれも、どんな仕事にも、やりがいはありますから。
もしかしたら、教員のしごとは特別だとか、文科省さん、思い上がった気持ちでいるのでは・?
そんなことないっすよね。
わたし、19歳から35歳まで、他の仕事をしまくりましたので、これ言えるんです。
教員になる前に、たーくさんの職業をしたんで。
どの仕事もね、夢中になってやっている人がたくさんいて、みんな誇りをもっておりまして、世のために尽くしているのですね、それでやりがいがあるんです。教員のやりがいを主張されても、
だから、なに?
というしかない・・・
やりがいがあるから、教員になってくれ、といわれて、若者たち、じゃあ教員になろうかな、とはならない。
文科省は、なぜそれがわからないのか、と考えていたら気づいた。
それがわかるような文科省なら、もう10年以上前から働き方改革してるよ!
わからないからこそ、その体質だからこそ、今の困った現状があるのじゃないか。至極当然。
他の仕事、他の業種は昭和から平成にかけて、どの職業も、どの職種も、労働基準法で仕事が成り立つように、苦しいながらも現場で人が働けるように、それでも利益が出るように、と、ものすごく苦労してきた歴史があるわけですね。
でも、その努力を、すべて教員の個人的な良心と善意に、依存してきたわけで。
今、そのマイナス面が噴出してきちゃった。
だれも、教員になんて、なりたくないんですよ。お昼ご飯を5分以内で食べなきゃいけなくて、休憩時間というものがなく、ほぼ10時間くらい、立ち続けているような仕事。みんな少しは座りたいから。
先日来ていた教育実習生が、「本当に休憩ってないんですね」と言っていたのが印象的でした。
当たり前過ぎて麻痺している、担当の先生に「そだよ」と1秒で流されていましたが。
労働基準法が、例外視されてしまい、それがふつうとなってしまった教員の仕事。
労働基準法が、ないこととされている異常な空間。
若い人たちがやりたくないって。無理もない。
文科省の人たちも、本当は気づいている。
でも、予算がおりないんだって。
だからどうしようもないって。
いや、予算かけないでいいのですね。金は使わないでも。
子どもに関すること以外の余計な仕事が減れば、万事、うまく回転し始める。かんたんなこと。
文科省が、「教員のなり手がいない、採用試験の応募者も少ない、どうしよう」と悩んでいるようです。
それはもう若者自体の人数が減っているわけだし、日本人の総数が減っていくのですから、もう日本自体が昔のようにぜいたくはできないし、あるものを有効に利用しながら活かしていくという、省エネの暮らしに変えていくしかないわけで、教員になりたいという若者がいなくなるのは当然でして。
それがわかっているので、手を打たなければならないのですが、有効な手を打てていない。
文科省は、学校というシステムや装置自体を、縮小していくことに加えて、とりあえず今の危機をしのぐために教員になろうとする人間を増やさないといけない。しかし、なかなか難しいようです。
このことがだんだんと世間でも話題になっていまして、どうやら採用試験のルールや日付を変えたりなど、小手先のことしかまだやっていない様子。
あとできることは、「やりがい」がある仕事です、というのを世間にアピールすることくらいらしい。
やりがいのない仕事なんて、ないでしょう。
どんな仕事だって、やりがいはありますよ!
なぜ教員のやりがいを主張したら、世間の若者が応募してくると思っているのかわからない。
他の仕事にもたくさんやりがいがあるんで、・・・
やりがいがあるよ、と100万回、文科省が叫んだところで「あそう」で終わると思う・・・。
くれぐれも、どんな仕事にも、やりがいはありますから。
もしかしたら、教員のしごとは特別だとか、文科省さん、思い上がった気持ちでいるのでは・?
そんなことないっすよね。
わたし、19歳から35歳まで、他の仕事をしまくりましたので、これ言えるんです。
教員になる前に、たーくさんの職業をしたんで。
どの仕事もね、夢中になってやっている人がたくさんいて、みんな誇りをもっておりまして、世のために尽くしているのですね、それでやりがいがあるんです。教員のやりがいを主張されても、
だから、なに?
というしかない・・・
やりがいがあるから、教員になってくれ、といわれて、若者たち、じゃあ教員になろうかな、とはならない。
文科省は、なぜそれがわからないのか、と考えていたら気づいた。
それがわかるような文科省なら、もう10年以上前から働き方改革してるよ!
わからないからこそ、その体質だからこそ、今の困った現状があるのじゃないか。至極当然。
他の仕事、他の業種は昭和から平成にかけて、どの職業も、どの職種も、労働基準法で仕事が成り立つように、苦しいながらも現場で人が働けるように、それでも利益が出るように、と、ものすごく苦労してきた歴史があるわけですね。
でも、その努力を、すべて教員の個人的な良心と善意に、依存してきたわけで。
今、そのマイナス面が噴出してきちゃった。
だれも、教員になんて、なりたくないんですよ。お昼ご飯を5分以内で食べなきゃいけなくて、休憩時間というものがなく、ほぼ10時間くらい、立ち続けているような仕事。みんな少しは座りたいから。
先日来ていた教育実習生が、「本当に休憩ってないんですね」と言っていたのが印象的でした。
当たり前過ぎて麻痺している、担当の先生に「そだよ」と1秒で流されていましたが。
労働基準法が、例外視されてしまい、それがふつうとなってしまった教員の仕事。
労働基準法が、ないこととされている異常な空間。
若い人たちがやりたくないって。無理もない。
文科省の人たちも、本当は気づいている。
でも、予算がおりないんだって。
だからどうしようもないって。
いや、予算かけないでいいのですね。金は使わないでも。
子どもに関すること以外の余計な仕事が減れば、万事、うまく回転し始める。かんたんなこと。