30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

教育技術・授業あれこれ

四年生国語・ごんぎつねで恋バナ

ごんぎつねの中で、意見の分かれる箇所がある。
それは、ごんが、本当に優しい狐なのかどうかと言う点だ。
第1場面から第4場面くらいまでを読むと、ごんが、素直で心の優しいキツネだということがよくわかる。
なぜなら、自分がやってしまったいたずらのために、兵十は母親にうなぎを食わせてやれなかった。それを深く反省し、償いを始めているからだ。
それも毎日のように栗や松茸を持っていってやっている。

怪しくなるのは第5場面だ。
栗や松茸が毎日のように家に届く兵十は、それを神様のお恵みだと認識するようになる。実際は、ごんが持っていってやっているのに、だ。

そこで、ごんはこう思う。

へえ、こいつはつまらないな。おれが、くりや松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼を言わないで、神さまにお礼を言うんじゃあ、おれは、ひきあわないなあ。

ある子が言う。
「本当に心が優しいのなら、兵十は栗をもらって喜んでいるのだから、それを見て満足すればいい。兵十を喜ばせることができた、で、良いじゃんか」

しかし、ごんは欲張ってしまう。
自分がうなぎのいたずらをした償いのために、せっせと栗を運んでいるのだと言うことをわかって欲しくなった。兵十にその献身的な振る舞いを認めて欲しいと思った。褒めてもらいたくなってしまった。

この辺が、だんだんと、読み取りを進めるうちにはっきりしてくる。
すると、ごんという狐は心の優しい狐です、という単純なフレーズでは、間に合わなくなってきてしまう。

いや、そもそも第1場面の初めから、ごんは厄介ないたずらギツネだとして、登場してくるではないか。
畑へ入っていもをほりちらしたり、菜種(なたね)がらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家(ひゃくしょうや)のうら手につるしてあるとんがらしをむしり取ったりしている。

ここらへんを、再度、しっかりと読み直す。すると、

【ごんは、◯◯なきつねです】

という単純な言い方では、収まりきれないような感じがしてくるから不思議だ。

「本当は心優しいはずなんだけどなぁ。毎日、栗を拾ってくるし、お母さんのことも心配したり、悲しく思ったりしているんだから。でも、ごんはいたずらするんだよなぁ。そして、僕のことを見て欲しい。わかって欲しいと思ってるんだよなぁ」

教室の中に、ごんというキツネが、なんとも生々しい、生きた存在として、あるいは、非常に複雑な心の状態を抱えた登場人物として、くっきりと浮かび上がってくる。

ひとりぼっち、という叙述に焦点を当てる子もいる。兵十のことを見たごんは、
「おれと同じひとりぼっちの兵十か」
とつぶやいている。
そもそも第1場面からそう書いてある!と、改めて見つける子もいる。

ごんは、ひとりぼっちの小ぎつねで、しだのいっぱいしげった森の中に穴(あな)をほって住んでいました。


だから、自分と同じようだから、気にしているのだ。そばに行ってあげたくなるのだ。
第4場面で、わざわざ後をつけるのも、そばにいたいのかも・・・。

さて、第6場面まで、つまり最後までを通して読んでのまとめ、を考えよう。

ごんが第6場面で、兵十に対して思っている事は何だろう。
一番の切ない思いは、「わかって欲しい」だろう。わかってくれなくても構わない、兵十が栗を食べてくれたらそれで良いと、忍んで耐えるごんではない。見て欲しい、気づいて欲しい、とさらに兵十に近づいてゆく。そして、近づき過ぎて・・・

最後まで読み終えて、あらためて

【ごんは、◯◯なきつねです】

としてまとめてもらうと、
子どもたちは、
「ごんは、兵十に、僕を見て欲しい!こっち見て!と構って欲しいキツネ」
と書いた。

かまってちゃんだよ。

誰かがそっとつぶやいた。この一言に、教室中が笑い出した。

そうか!

いたずらばかりしていたのも、こっち見て欲しいサイン、かまってちゃんサインだったのかも・・・

ある子が言った。
決まった女の子だけに意地悪を言う男の子っているよね。他の女の子に対しては全然普通の態度なのにさ!特定の子にだけ、ちょっと意地悪するんだよね。

そしたら女の子が、「なんでそんなふうにイジワル言うの?」って、その子が目の前に来て自分に言うもんだから、その時はもう、心臓がドッキンドッキンしてるんだよ!そういう男の子、いるんだよね!

これで一気に教室中が爆発的に沸いた。

ごんは、一人ぼっちだから、友達が欲しかったんだよ。

という意見が出ると、ほとんどの子が自分も同じ意見だと表明した。
寂しいから、友達が欲しいから、かまって欲しいから、自分が優しいってわかって欲しいから、だから、近寄っていくんだけど・・・

別の子が、それに付け足した。

でも、だからこそ、いたずらをしちゃう時があったんだよね。

ははぁ・・・そうか・・・(笑)


ノートに書かれた、最後のまとめを読むと、こう書いてある。

ごんは、相手が困っていたら、助けてあげたくなるくらいに、本当の本当は、友達思いなんだけど、恥ずかしくていたずらをしてしまう、キツネ。

この授業の後、なんとなく教室の中の雰囲気が柔らかくなりました。そして、男子が女子に、女子が男子に、近くなって話をしているのです。
誰かの冗談に、男子も女子も一緒になって笑っている姿がありました。

みんな、一人ぼっちなんだよ、そして、友達が欲しいんだよ・・・

ごんの姿を通して、子供たちの心に響いた何かがあったのでしょう。 あと、このクラスは半年だ。みんな、なんとなくそれを感じ始めている。5年生になったら、クラス替え。今隣にいて話ができている、この友達と、こんなふうに話ができていることの嬉しさ。
新美南吉さんの物語は、直接的ではないからこそ、やはらかいからこそ、心の琴線にふれたのでしょう。

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『ぼくとおじちゃんとハルの森』(山末やすえ)

これがおすすめなんですわ。
ぜひ、読書感想文を書きましょう!

クラスの仲の良い友達が引っ越ししてしまい、心に穴があいたようになって、ちょっとさみしくなっていた小学4年のぼくが、夏休みに田舎で心のエネルギーをとりもどす話です。

田舎のおじちゃんのところに行って、犬とおじちゃんとしばらく一緒に過ごすのですが、これがたのしくて。

子どもが大人を見つめる視線って、こんなふうだよなあ、というのがよく伝わる本です。
で、実は大人も、子どもに助けられるんですよね。どちらかというと、大人が救われるわけです。
しかし、この

「ああ、これは大人がすくわれていく話なんだなあ」

というのは、大人になってからしかわからないようです。
子どもは、その視点をもたないで読みますから、この本を読んでもそういう感想は出てこない。子どもの感想文にはそんなことは書かれないのですが、大人はこれを読むと、「おじちゃんは嬉しかったでしょうし、ぼくに感謝しているだろう」と思う。

つまり、大人が読むと「おじちゃん視点」で読むことになり、
子どもが読むと「ぼく視点」で読むことになる、という不思議な本です。

どうでしょうか。
こんなふうに本の中身がちょっとわかると、「あ、読んでみたい」と思うでしょう?

朗報です。
ここで、読書感想文を子どもに書かせるコツを伝授しますね。

お子さんが図書館の本棚をぐるぐると回りながら、
「いい本がない〜」と言っていたら、です。

まず、本にはジャンル、というものがある、ということを教えてあげてくだされ。

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文学であれば、

1)日本のもの
2)外国のもの


という2つのジャンルがあります。
日本がいい、とか、外国がいい、とかのように、こっちが( ・∀・)イイ!! ということをすぐに言える子もいます。

「そんなのどっちでもいい」

という子が大多数ですが・・・

3)むかしばなし
で書ける!
という子もいます。なんとなくストーリーを知っているので、とっつきやすい、というのがあるからかもしれません。

4)すでに知っている話
なら書ける!という子は、わりと多いです。
もうすでに読んだことがある、とか。
教室の片隅に置いてある学級文庫で、実は少しだけ読んだ、とか。

5)小学生もの

これは、主人公が小学生なので自分にも身近な存在に思えるから、まあ読んでみるか、と思うのでしょうか。たとえば山中恒さんの「あばれはっちゃく」とか「くたばれかあちゃん」とか。

6)事件・サスペンスもの

名探偵◯◯、とかですね。コナンとか。銭天堂もこのジャンルかと思います。

いずれにしても、本が選べない〜、と図書館で泣いている子、あるいはお父さんに泣きついている子、お母さんと口喧嘩を始める子、については、

「どうこれ?こんな感じのおはなしだけど」
とか
「これいいじゃない?主人公は小学生でね、◯◯と出会ってたいへんなことがもちあがって、◯◯してすごいことになるんだけどね。知恵を出して仲間とね、ハカセがハチベエとモーちゃんに・・・」

みたいなことをおうちの方がお子さんにお話なさると良いですね。
すると
1)予備知識ができてくるので

2)ちょっと安心して

3)興味をもって

4)ぼくにも書けるかも

となって、読書感想文が書けるわけですね。

つまり、ちょいとした「誘い水」が、あるかないか。
物事は、意外と単純ですね。

あとは、

ぼくが読んだこの本の主人公って、こんな特技があって、こんなことになっちゃったけど実はこんな工夫をして仲間と相談してすごいんだよね。

というように、その本の良いところを先生に教えるつもりで書くと筆がすすむでしょう。

プール清掃前に理科・生活科の授業をやること

以前、神奈川の小学校に勤務していた時のこと。
その小学校では、プール清掃をする前に、網を持ってきて、プールに生息している様々な水生昆虫を集める学習があった。

おそらくそれは理科の大好きな先生が始められたことで、科学教育研究会(かきょうけん)という組織に所属していたある先生が私にも声をかけてくださったのだ。

校長先生に許可をもらい、クラス全員でプールに赴くと、既にそのS先生のクラスの子たちは、先にプールに到着しており、先生は子供たちに何かを指示しているところだった。

私は低学年の担任だったし、道具を持ってきていなかったので、ほとんど見るだけであったが、S先生は、自らも網を持ち出して、たくさんの昆虫を救った(掬いあげた)。

「来週このプールは6年生が掃除をしてピカピカにします。その前に、どんな生き物がいるのかを調べてみましょう」

S先生は、最初に見つかった水カマキリを、理科室から運んだ大きめの水槽に入れて我々低学年に見せてくれた。

勤務していた学校は都市部ではなく、まぁまぁ自然も残っている学区だったけれど、それでも子供たちはあまり水カマキリを見たことがないから、子供たちは皆、熱心にその生き物を見つめた。

「タガメがいないかなぁ」

とS先生がつぶやくと、その言葉に反応したうちのクラスの男子がちょっと興奮した声で、

「おれ、タガメ見てえ!」

と叫んだ。

タガメを知っている子はそう多くなかったけれど、それでも何人かは知っていた。タガメは、水中では魚を捕まえる位に、凶暴な肉食の大型昆虫であります。
小さめのフナのような魚であれば、タガメは捕まえてしまうのではないか。がしがしと食べるのではなく、チュウチュウと生き血を吸うのであります。

私がそのことを説明すると、クラスの子供たちのボルテージは、おお!と高まるのでした。

結局、タガメは見つからなかったのですが、ガムシやマツモムシなどはたくさんいました。どこからか飛来してくるのか、1番たくさんいたのは、トンボのヤゴです。大きめのヤンマ系列のトンボは、ヤゴの大きさも大きいです。私はぱっと見てわからなかったのですが、小さなホコリのようなものも、S先生が見たらヤゴでした。

あと、たくさんいたのは、おたまじゃくしです。カエルはどこかに潜んでいるのでしょうか、プールがここにあることを、なぜか知っているらしいのです。
そういえば、学校のちょっとした茂みに蛙が見つかることがあり、こんな街の中でも生きているんやなぁと感心していたのですが、考えてみたら、この蛙たちは、学校のプールで、どうやら大きくなっていたようです。税金でカエルを養っておりました。

S先生は、たっぷり、私たちに昆虫を見せてくれたあと、最後には、捕まえた昆虫たちを水槽に入れて、校長室前で数日間観察会を催してくれました。

私はこの時に良い思いをしたので、次の学校に転勤で異動した時、プール清掃前にS先生の真似をして、昆虫を見つけようとしたことがあります。

ところが、何の昆虫も、そこのプールには見つけられません。子供たちと網ですくって色々と探してみたのですが、ヤゴもおたまじゃくしもほとんどおらず、都会すぎるからだろうか、同じ市内でも住宅街が多いからかなぁ、と不思議に思っていました。
結局、それは、冬の間に藻が発生するのを防ぐために薬を入れていたからなのでした。後で、教頭先生に聞いてわかったのです。何でも先に、管理職の先生方に聞いておくのがいいですよね。

今年は私は理科を担当していないので、昆虫のことを忘れておりました。でも、来年はやりたいなぁ。

今の子どもたちの中には、ガムシもゲンゴロウも、マツモムシも、ヤゴも、見たことがない、という子もいます。

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これは何かしらちょっとまずいことのような気がしています。

教師はますます 教えなくなるが、弊害はなくなっていく

教師の仕事は 一昔前とはもう大いに違ってきております。

早い人で、もう3、40年以上前から、いわゆる【上から下へ知識を流す】と言うような一方通行のイメージはなくなっていると思います。

教師の世界で批判されるのは、このタイプで、もう30年以上前の教師用の教育委員会の資料でも、いわゆる「鵜飼」型の指導は批判されています。

次に現れたのが、トライアングル型で、先生は、どこかの頂点にはいるのですが、他の2つの頂点は、どちらも子どもで、いわゆるこども同士を、お互いにつないでいると言うようなイメージが生まれます。

教師はそこに適切に介在し、子どもたちの討論が生まれるように、あるいはお互いに疑問点や意見を出し合いるように、場を整えていきます。

これは教室のあり方としては、非常に正しく今でもこれは間違っていません。

このことが土台になり、今の教室のイメージはさらに発展しております。
と申しますのは、実は教師子ども以外のものがそこに大きく登場してくるのです。

それが、「データベース(知恵の泉)」です。

子どもは様々な意見を瞬時に把握し、どこにどんな情報があるかを見抜いて、自分の意見のたしからしさを調べる作業に時間を使うのです。

・教科書に書いてあるが、本当だろうか?
・もっと細かなちがいはあるか?
・AとBの比較で、さらに共通と呼べる部分はあるか?

友達の体験に裏打ちされた意見を、電子黒板でサッと判断するのです。
ぜんぶ、いっしゅんで出ますからね。見てわかる。これが早いです。
電子黒板がなければ、一人ひとりに大きな画用紙に書いてパッと差し出してもらうか、あるいは一人ひとりが自分の意見をとうとうと話すことになるのでしょう。そんなことしてたら45分はあっという間に無くなります。

子どもたちはクラス全員が同じように【知識の泉】をとりまくようにして立ち、いっしょの目線でデータベースを眺めながら、意見を交換し合うのです。で、ふと気がつくと先生もいっしょに横に立っている、というような・・・

これが令和の教育における、教師の立ち位置なわけですね。
昭和とはかなりちがうことがおわかりいただけたでしょうか。

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あと、もう一点、考えなければならないことがあります。
調べる際にインターネットを使う場合がありますね。
大切なのは、この、インターネットのデータベースは全て正しいわけではないと言うところが、現代の、本当に現代らしさを反映した部分だと言えましょう。

教室で子どもたちが出会う知識と言うのは、すべからく正しいものである、と言うのが、これまでの常識だったのではないでしょうか。

その最たるものが、昭和初期の教育で、教師の言う事は絶対である、と言うような雰囲気があったそうですね。祖父や父から聞いただけで、実際に体験したわけではないけれど。

ところが、今現在知識と言うのは正しいかどうかと言うことが非常に疑われる時代になってきました。
子どもが何かを知ろうと思ったときに、実はインターネットというものが存在しており、いつの間にか人間社会は、インターネットで検索してみた知識、と言うものを無視することができなくなってきています。

え? 教室でインターネット使うの?心配!インターネットは嘘ばっかりよ!?

と言う皆さん。ご心配なく。
そんなこと子どもだって知ってます。

インターネット初期の時代は、インターネットに書かれていることは、かなり真実なのだろうと考える人が多かったです。でももうすでにほぼ全国民が、インターネットは嘘ばかりと言うことを実は知っています。

なので、子どもも検索したあと、例えばこんな反応をします。

ここにこんなふうに書いてあって、そういうことになってるみたいだけど、ほんとかなぁ?

これが令和6年度の子どもたちの実際の姿です。

しかし、インターネットを無視できないものとして、教育をする事はもうすでにできなくなっています。
なぜなら、教室でありとあらゆることを討論する際に、必ず誰かがインターネットで調べてみたいと思うからです。大人の真似をして・・・。

全国民の大人たちが、インターネットで調べるのを、当然のようにやります。だからなのか、子どももインターネットで調べたい、と思うらしいのです。

嘘ばかり載っているんだから、教室では調べない、と言うことにすると、宿題では無いのに、勝手に家で調べてきたりします。インターネットで。
なので、どうしても教室で何かを考える際に、インターネットの存在を全員の頭の中から消すわけにはいかないのです。

時代は、ここまで進んでしまいました。

開き直ったのは、文科省です。

文科省は、1人1台、タブレットを配りました。そして、子どもたちの意見がまとまらないことを前提に、授業を組むようになったのです。

当然、人間は、一人一人意見が違って当たり前ですから、子どもたちは自分の端末に、自分の意見を書いて提出します。教員はそれを全員に見せます。子どもたちは自分と似たような子どもの意見を探したり、あるいは違う意見を見つけたりします。そして疑問点を直接その子どもにぶつけに行ったり、自分の意見と似たような友達にやっぱりそうだよねと確認をしに行ったりします。そして自分の意見を支える論拠となる部分をさらに練り直すのです。
これが最近の授業の様子です。教師が研修でお互いの授業を見合うことはありますが、どの授業もたいていこんな感じに仕上がっておりますね。


思い返せば、昭和の先生は、みんなありとあらゆることに造詣が深く、ご自身の知識をたくさん授けてくださいました。
それに比べて、令和の教員は、本当に存在感が薄いです。いや、逆に濃いのかもしれませんが。

教員と子どもの間には必ずデータベースの巨大な知識の泉がそこに存在しています。教員は、まっすぐ子どもにアプローチするのではなく、巨大な知識の泉を迂回するようにして、子どもの横側に、そっと現れて、知識の泉を指差して言うのです。

この辺にこんな知識が書いてあるけど、参考になるかなぁ?

どうですか?
これが令和の先生です。
威厳もへったくれもありません。

ですが、誤解がなくなって私はいいと思います。
だって先生だって知らないことたくさんあるんだもの。

昭和の子どものように、純粋な目でキラキラと先生を見つめて、
「先生は何でもご存知だ」
と憧れるような事はありません。
でも、そんな実態からかけ離れたようなポーズは取らなくて良いのです。
それはたくさん知ってたほうがいいかもしれないけど、知識を更新していなければ、価値は無いでしょう。

だから、もう教師はデータベースとは喧嘩しないのです。
データベースと張り合ったって負けるに決まっています。
なので、子どもがデータベースをじっくりと見て、自分の意見を醸成しようとして腕を組んで唸っている、その横にふっと現れるのです。

子どもはふと現れた先生を横に見て言うでしょう。

「あ、先生。何か用?」

すると先生は、もじもじしながら、おずおずしながら言うのです。

「あ、さっき提出されたカード見たんだけど、あれなかなか鋭い見方だよね。感心したよ。でさ、このクラスにもう1人、ちょっと違うけど、似たようなところを調べている子がいたから、話してみたらどうかなと思ってね。◯◯くんなんだけど・・・」

くれぐれも、これ大学の話じゃないですよ?小学生の話です。

先生はもう教室の真ん中にはいません。
これを知らないので、多くの保護者は、誤解をしていまして、授業参観に来ると、先生は何もしないじゃないか!とお怒りになる保護者もいるようです。無理もないけどネー。

変わりすぎだろ!

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マスクで友達の表情や意味がつかめなかった世代の問題点

今、5年生を担任しています。

この子たちは、小学校入学した一年生で、コロナの洗礼を受けました。
つまり、入学した後、1ヵ月間学校に登校することができなかったのですね。
その後も、ほとんどの行事が中止。1年生を迎える会も運動会も中止。水泳プールも中止。
全校の集まる行事はほとんどできず、1年生なのに、5年生6年生と1度も顔合わすことなく、ほとんど教室だけで引きこもったようになって、過ごした世代であります。

これは、大きな視点から見ると、壮大な実験だったようにも思います。
友達の表情を見ないと、どんなコミュニケーションの差が生じるのかと言う点で。

これまでの人類史上、初めてのことかもしれません。
第一次世界大戦の頃のスペイン風邪流行の頃も、マスクは推奨されました。しかし、あの時は、たった1年半で収束しましたし、そもそも、マスクを強要する程度が、今回よりも格段に低かったのです。
その時よりも今回は尚、長期に渡ったのです。
そんなふうに、友達の表情を見ずに、幼少期を過ごしたのが、今の子たちです。

私は、意外と、大丈夫なのではないかなと言うふうに捉えています。
確かに、人間同士がコミュニケーションを取る場合、表情はかなり大きな手がかりになります。
目元がほころんでいたり、口元が緩み、口角が上がっていれば、人に対して、親和性を感じやすくなると言うのはあるでしょう。

もしかしたら、他の学年の子たちに対しては、少し距離があるのかもしれません。昔よりも。

しかし、同じクラスの子どもどうしは、よくコミュニケーションは取れていると思います。マスク越しなので、逆に言葉をよく聞き取ろうとしているようにも思います。だから、必ずしもマスクがあるから、能力が育っていないと言うわけではなさそうです。

ただし、1点だけ気になることがあります。それは行事の楽しさを知らないと言うことです。
今は、行事の楽しさを先生たちだけが知っていると言う状態。兄弟の誰も味わっていません。ここ3年間行事がほとんどなかったのですから、当然と言えば当然ですが。

なので、行事を普通にやろうとすると、子供のテンションは上がりません。
めんどくさい、そんなの嫌だなやりたくないと言う声が多いです。

行事のほかに、もう一つ影響があるのが、総合的な学習の時間。
これもなかなか盛り上がりに欠ける傾向があります。
内容にもよるでしょうが、以前なら、普通にインタビューに行けたことでも、実際に会うことはせずに、資料をみて済ましてきたのですから、全国の小学校で、総合的な学習の時間が、どうしても規模の小さい展開の乏しい内容になってしまっていたのはあると思います。

子供たちに新たなムーブメントとして紹介し、子供たちが多くの人に関わろうとする展開をこれから広げていくしかありません。全校の行事も、これまで以上に人と人とがスムーズに関われるような細かい手順や段階が必要になることと思います。
つまり、規模を急に広げなくても良いのです。
そのかわり、ステップを重視し、細かい段階をつけながら、一つ一つを味わう学習へ変化させていきましょう。

たくさん食べたらおいしいのではないのです。1粒1粒を丁寧に大事に味わうと言うような新しい学習スタイルがコロナ後の小学校が進むべき道なのです。

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朝のスピーチ つたわるか、つたわらないかの差はどこに


毎朝、子どもらは、教室のディスプレイを使って、スピーチをする。
デジカメでうつしてきた写真を、みんなに見せる。
これは、ただ、なにも道具立てがないよりも、はるかにおもしろい。
写真にいったい何が映っているのか、みんなが固唾をのんで、待ち受けている。

教室が、一瞬のちに、シーンとなる。

「ただいまより、ニュースを始めます」

なかには、NHKのアナウンサーを気取って、

「時刻は○時○分になりました。ニュースの時間です」

と始める子もいて、個性があるのがいい。

家でうつしてきた、ちょっとした小物。
お母さんと一緒に作ったホットケーキ。
買ってもらったばかりのプールバッグ。
飼っている犬の姿。
弟の顔、なんてのもあった。

理科で、植物を学んでいるシーズンは、どの子も似たようになる。

登下校中に見つかった、あやしい草。
家の前に咲いている、黄色いきれいな花。
おじいちゃんの、盆栽。
・・・

おそらく、写真のシャッターを押す瞬間、彼や彼女が、なにかを心に宿し、決めて、
「よし、これだ!」
と思い切る。

その、自己決定の「ハラハラ、ドキドキ感」が、ニュースに臨場感を持たせ、おもしろくさせるのだと思う。

だから、なんとなく、ニュースがつまらないとき、

「撮るものがなくて、お母さんがこれにしとき、っていうから撮った」

という場合が、中にはある。
もちろん、
「お、それいいな。お母さんの言ってくれたの、すごくいい!」
と思えて、自ら主体的にシャッターを押す子もいるだろうから、お母さんに教えてもらうこと自体が悪い訳ではない。
ともかくも、その子の内面の、緊張感が出てしまうのが写真というものだろう。


こんな、写真のような道具立てがなくたって、スピーチ自体がおもしろいときもある。


クラスに、スピーチ名人がいる。
なぜかスピーチに臨場感があり、伝わってくる。
それはもう見事で、クラスがその子の声に、すっかりとりこまれてしまう。
教室が、その子の息、呼吸に、すべてぬりつぶされてしまうくらい、面白い。
そう、おもしろい。

なぜかな、と考えてみている。


他の子のスピーチと、一味ちがうところは・・・。


聞く人の目が、すいすいとすいよせられ、いきいきと、
彼女が話すたびに、聴衆に活気がみなぎっていく。

それは、彼女が、自分の中の、「迷い」を出しているからだろう、と思う。

彼女には、まだ小さな、少し変わった弟がいて、姉のやることなすことに興味を持ち、(まあふつうですよね)姉のランドセルにぬいぐるみを詰めたり、朝起きたばかりの姉の上にとびのってきたりする。
姉としてはちょっと、困ることなのだが、そこをまあ、姉らしく、ちょうどよくおさめていくために、彼女なりの工夫でもって、うまく弟くんを、じいちゃんに押し付けたり、軽くかわしたり、あれこれと迷いながら、葛藤しながらも、知恵をしぼる。
これが、話のおもしろいところだ。

たまに、家族をよ~く観察しているからかな、と思って笑っていたが、この間、気がついた。

この子の話は、サザエさんなのだ。

長谷川町子が、気付いて、漫画にしたてあげる。
日常にみえかくれする、人間臭さ、とっぴょうしのなさ、思わずのけぞったアクシデント、ふと口にしたセリフ、意図せず行うこと、力のぬけた感じ。
サザエさんをはじめ、マスオさん、ワカメ、カツオ、タラちゃん・・・。

あの目線が、この子には、ある。
人間くささ。
ひとのうごき、考え、クセ、アホさ。
ひっくるめての、人間の、こと。

それが、そのままで、面白いってこと。


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道徳教材 だれとでも


だれとでも

長谷川あおい


3年生になり、クラスがえがありました。
わたしは、ひかりちゃんと、また同じクラスになれたので、うれしくてたまりませんでした。ひかりちゃんとは、それまで保育園のころからずっといっしょだったのです。同じクラスだとわかったときは、ふたりで大よろこびをしました。

1学期がはじまって、すこしたったころのことです。
あたらしい友だちもできました。ゆみちゃんです。
ひかりちゃんとゆみちゃんは同じはんです。さいきん、ひかりちゃんがゆみちゃんとよくしゃべっているので、わたしもしぜんと話をするようになりました。

ある日、わたしが、休み時間にひかりちゃんとあそぼうと思っていたら、ひかりちゃんは、ゆみちゃんと話をしていました。
ひかりちゃんは、とてもたのしそうにわらっています。
ゆみちゃんも、いっしょになってわらっているし、たくさんしゃべっていて、二人はとてもたのしそうでした。

わたしはそのようすをみて、なんとなくすぐにトイレに行ってしまいました。
トイレからもどってくると、まだひかりちゃんとゆみちゃんはしゃべっています。

けっきょく、その休み時間は、わたしはほかのことをしてすごしました。

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○このときの、あおいちゃんのきもちって?
○おなじようなけいけん、ある人?



つぎの休み時間がきました。
ひかりちゃんが、わたしのところにあそびにさそいにきてくれました。
「あおいちゃん!」
ひかりちゃんが、にこにこして言いました。
「ね、ドッジボールやろうよ」
わたしは、ひかりちゃんがこうやってあそびにさそってくれるところがすきなのですが、ドッジボール、ときいて、ちょっと考えてしまいました。本当は、ひかりちゃんと二人きりであそびたい気分だったのです。

「だれと?」
ときくと、
「ゆみちゃんもいっしょだよ」
とひかりちゃんが言いました。

ボールをもっている男の子が、
「はやくいこう!」
と言うと、ひかりちゃんとゆみちゃんは、
「いまいく!」
と言ってから、
「あおいちゃん、先に行くよ!おいでね」
と走って行ってしまいました。

ゆみちゃんが、ひかりちゃんといっしょに走っていきます。
その姿を見ながら、本当はわたしがひかりちゃんとあそぶんだったのに、と思いました。

「2年生のときだったら、こうじゃなかったのに・・・」

ひかりちゃんのすぐそばにいて、いっしょに走っていくのは、ゆみちゃんではなくて、このわたしだったのにな・・・。そう考えると、なんだかすぐには外へ出て行く気持ちになれませんでした。


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○このときの、あおいちゃんのきもちって?
○おなじようなけいけん、ある人?
○このあと、どうなったと思う?予想しよう。




でも、今日は前の休み時間にもあそばなかったのだし、と思いなおして、外へ出ました。ほかにもいっしょにドッジボールをやる子たちがいて、しぶしぶとわたしはみんなのあとについていきました。

地めんにコートをかいて、ドッジボールがはじまりました。わたしはあまり元気がなくて、すぐに当たってしまいました。
すると、ボールをなげた男の子が、

「あっ、いたくなかった?」

と言ってくれたので、わたしは

「ううん、だいじょうぶ」

と言いました。

それを見て、ひかりちゃんが、

「男の子は、左手でなげてよね」

と言って、わたしの方を見て、にっこりとしてくれました。

また、ゆみちゃんも、

「まだはじまったばかりだから!あおいちゃん、パス、おくるね」

と言ってくれたのです。

わたしはすこし、元気が出て、ボールがとんでくると、その近くまで走ってとろうとやってみました。男の子たちが、がんばってボールをとっているとので、なかなかとるチャンスがありません。でも、何回かに一回、ボールをなげることができました。

わたしはひかりちゃんになげたかったのですが、とどきません。それで、近くにいた、同じチームの男の子になげてボールをパスしました。すると、その子が、すぐにあい手をひとり当てました。
それを見ていた、同じチームのさやかちゃんが、

「あおいちゃん、ナイスパス!」

と言ってくれました。
さやかちゃんのとなりにいたけんじくんも、
「おお、ナイスパス!」
と言ってくれました。

そのあと、またなんどかボールがきて、思い切りなげると、同じチームのコートに、とどく回数がふえました。
わたしは思い切りやれて、なんだか、ドッジボールが楽しくなってきました。

チャイムがなって、休み時間は終わりです。
すると、さやかちゃんやけんじくんが、近くにきてあるきながら、

「けっこう、おもしろかったね」

と話しかけてくれました。

「あおいちゃん、よくパスできるよね。わたしなんかこわくて、にげてばかりだけど!」

さやかちゃんがわらって言うと、

「そうだ。またおいでよ。ドッジ。あしたもやろう」

けんじくんたち、男の子たちも、みんなくつをはきかえながら、そう言うのでした。
それまで話をしたことのない子で、
「あおいちゃん、けっこうとおくまでなげるね」
と話しかけてきてくれた子もいました。

ろうかには、春のあたたかい風がふいています。もうすぐ、じゅぎょうがはじまりそうです。


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○このときの、あおいちゃんのきもちって?
○なぜ、あおいちゃんのきもちがかわった?
○あおいちゃんは、なぜたのしくなってきた?
○ある人とだけなかよし、について、どう思う?




○感想。


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文章が、ちょっと長いから、どう削るかを思案中。

子どもだって、問いを作るのは難しい

なぜ、難しいのだろうか。
大人も問うことが苦手だ。問うことは、エネルギーを使う。合理的な思考を要求される。知的活動だから、脳内でブドウ糖を消費してしまう。

小学生が問うことを苦手とするのは、一つには「問いは与えられるものだ」という思い込みがあるから、かもしれない。
これはこれまでの教育の弊害だろう。

小学生については、次のように進めていくと良いだろう。
まずは、問いを立てる、自分で調べることのできそうなところから、少しずつ調べ始め、わかったことを順に整理していく。1つわかったことがあったら、他にもわかる事は無いかと広げていく。もしわかったことが2つ3つと広がったら、それらを比較してみて、また自分なりの気づきが得られるかどうか探してみる。
最後に結論をまとめるが、その際に、気をつけなければならないのが、これでわかったとおしまいにしないことである。ここまではわかった、であれば、その続きはどうなるのか、と、前に進めたり、環境が変わったら、そういう事象は起きないのだろうか、と条件を変えて考えてみたり、日本以外ではどうか時代が変わったらどうか、と、見る視点を変えてみて、さらに追求できるよう、新たな問いにつなげていくのがコツだ。

しかし、そもそも、そんな問いを立てること自体が難しい。まだ慣れてもいない。ほとんど生まれて初めてのことをすると言う気分になる子だってそうだ。

ではどうするか。

まずは1冊ノートを用意しよう。
そこにすごろくを書いていこう。
昔からの定番だが、すごろく型の思考の進め方、は、非常に小学生に向いている。

大きな丸を描き、その中にふとした疑問をとりあえず1つ入れてみる。
なぜ空は青いのか。
自動運転の車は本当にできるのか。
地震が起きたときに、どうしたらうまく逃げられるのか。
うさぎの賢い飼い方。
うちの猫は一体何を考えているのか。

など、ふと思いついた疑問を、まずはその1つ目の丸に入れてみる。

2つ目の◯も重要だ。
最初の◯から、1本の線を伸ばして、2つ目の丸につなげてみよう。
この2つ目の丸の中には、どうしてそれが気になったのかを書いてみるのが良い。自分の中で特にその気になった原因を探してみると、問いがもう少しだけ咀嚼され柔らかくなる。

例えば、空はなぜ青いのかと言う問題を考えた子。
どうしてそれが気になったのかと言うと、これは、人によって、様々なきっかけがある。
青だけじゃつまらない、もっといろんな色になれば、毎日が楽しそうなのに、と、美術的アート的デザイン的な視点からそのことを考える子は、科学的な光の波長や屈折度についての理解をしたいわけではない。むしろなぜ人がアートを欲するのか、青い色はなぜ清々しい感じを人々に与えるのか、温かみのあるオレンジ色は、なぜ食欲をそそる色になるのだろうかなど、色彩心理学のほうに舵を切った方が興味関心が持続する。

もし緑色の夕焼けがあったら、人々はどんな気持ちになるだろうか。

と、問いを少しだけ変化させてみる方が、その子の調べる意欲をかき立てるかもしれない。

まずは、問いを、自分なりに細かく咀嚼し直すことが必要である。これが2つ目、3つ目、4つ目、5つ目位までの◯の中身である。
つまり、これが問いを大きく咀嚼した段階と言えよう。

次の段階に進もう。
それは、その問題を、もし理解したり、解決したり、深く捉え、直すことができたとしたら、どんな良いことがあるかを考えることである。
難しく考えなくてもいい。これは個人的なことで構わない。
自分がこれからの生活に、その知識を生かせそう、と、思えば良いだけである。

しかし、そのことを調べ、学習の最初に少しだけ考えておくことが、最後の最後に非常に生きてくる。
それは、次の問いを発生させるエンジンになるからである。

正直、問いを立てて考えていくということは、側面から見ると、しんどいことに違いない。
わざわざ調査し、回りくどく考え、わかったと、単純に言わないのが、とてもしんどい。だからこそ、このことを考えたことが、どれだけ自分を高めたのか、と言う視点を入れておくのである。

こうして、当初の、ふとした小さな疑問は、咀嚼し直し、自分なりの意義づけを与えることにより、小学校での学習にふさわしいものとなる。

大人はここまでのことをしない。
SNSやYahoo!のコメント欄を見ても、ほぼ条件反射でいいねを押したり、そんなのはダメだと否定することが多い。
これらは、問いを立てると言う知的な作業では無い。もし可能なら、「関連して新たな問いを作る」というボタンを付けるべきである。

人類は、問いを立てることにより、様々に思考を働かせ、現実の社会問題をよりよく解決する方向に進めることができた。
今のSNS社会では、問いは立てないが、何かしらわかったつもりになりやすい。賛成ボタンと反対ボタンを、条件反射で押してるだけのことである。
このことの意味のなさを、子どもの時から感じられるように、育てていくのが、新しい次の世代に向けての教育だろうと思われる。

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問いを、ともかくたくさん出してみる【小3・モチモチの木】

問いを、ともかくたくさん出してみる。
これが、トレーニングになる、と多くの先生たちは考えます。

例えば「将来、自分は何がしたいのかな」と、考えることがあるとします。

この問いに対して、

では、考えましょう!

と、いきなり進めるのではない。
その辺が、どうやらポイントになりそうです。

「将来、自分は何がしたいのかな」

これを考えるために、考えやすくなるような作戦を立てよう。
というのが、常套手段です。
この問いに迫るための、いわば、ロードマップを計画します。

何がしたいか、

【の前に・・・】

と考えるわけです。

大きな問題をいきなり考えるのでなく、以下のような中くらいの大きさの問題を、考えてみましょう。

例えばですが、
【問い】ぼくの性格は?
【問い】僕が3歳の頃、夢中になったものは?
【問い】好きで得意なものは?
【問い】好きだけど苦手なものは?
【問い】これから10年後の社会はどうなってると思う?
【問い】自分の中で、誰かの役に立ちたいと思う割合は、10点満点で何点?

など。
いろいろ、考えてみよう、とするわけです。

つまり、大きな問いしかつくれない人と、さまざまな、それに近づいていくための中くらいの問いをつくれる人、さらに細かい問いをたてられる人とでは、得られる情報が、当然ながら違ってくる、ということです。

なので、国語でモチモチの木を学習するとき、大きな問いとして、
【問い】この話が好きか嫌いか

というのを、クラスみんなにアンケートを取りたい、という子がいたら、それを大きな問いと考えて、中くらいの問い、小さな問い、として、どんどん子どもに出させる。

すると、
【問い】この物語はハッピーエンドだと思うかどうか。

というのが、意見として出てくる。
好きか嫌いかをいきなり答えようとする前に、ちょっと待てよ、そもそもこれは良い話なのか?そうでもないのか?・・・。どっちだと思う?ということが、気になるわけです。

豆太が臆病を克服して強くなった、とは書かれていない。
最後はこれで、めでたし、めでたし、だと言えるのかどうか?

豆太はせっかく勇気を出せたのだ。
真夜中に、医者様を呼ぶため、たった1人で半道もある麓の村まで、行くことができた。
であれば、お話の最後は、豆太が自分の力を信じ、勇気を持った少年となり、それからはもう二度と、じさまを夜中にしょんべんで起こす事はなくなりましたとさ、で終わるべきだ。

ここまで考えてようやく、
【問い】このお話が好きか嫌いか
について、意見が言えるのでしょう。

あるいは、こんな問いも出されそうです。

【問い】豆太は本当に臆病なのか
【問い】どうして作者は、最後に再び、じさまぁと豆太に言わせるのか
【問い】モチモチの木をなぜ豆太は一瞬しか見ないのか

のように、子どもがどんどんと謎を見つけていく。

それらを討論してからですと、どの子も自分なりに、この物語を、好き!とか、嫌い!とか言えるようになる。それも、根拠を持って・・・。相手を納得させる理由を、胸を張って言えるわけ。

図工の鑑賞授業の手法と似てます。
というか、おそらく、見方や考え方は、かなり共通点がある。

雪がキラキラ光る、満月の夜のモチモチの木を、ぜひ見てみたい、と子どもが思うようになれば、さらに学習は広がりますね・・・。ワタシ、自分が子どもの頃、ホントにそう思ったもの。
ちょっと理科の方角かもしれんけど。

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問う力を育む教育へ、時代は変わる


学習指導要領という大きな義務教育の根幹をなす、ルールがあります。

ご承知の通り、時代とともに、子どもに対する教育の方法や指針は変わっています。
より時代に即した、合理的で社会全体に資するような、指針作りを行うのが国の務めであります。

その最新の動向はどうか。

このような話をすると、多くの方が、プログラミング教育ですか?とか、AIを教育に導入するのですか?のように聞いてくださいます。
今回は、それよりももっと元の部分、より、大元の方針についてです。

ズバリ結論を申し上げましょう。

それは、問題そのものを、子どもが考える。

と言うものです。
いかがですか?
そんなこと、無理だろうと、お思いになりますか?

あるいは、これまで伝えてきた知識はどうなるんだ?軽視してしまうのか?
と不安になる方もいらっしゃると思います。
そんなことをして、誰が一体どのような評価をするのだ?
という疑問を持つ方もおいででしょう。
教師の役割は一体何になるのか?
もしかしたら、パソコンの画面でずっと検索をするだけか?
と極端なことを言い出す方もいます。

国民が混乱してます。
日本は非常に大きな転換点に差し掛かっているのです。
よく考えてみると、大きな転換点に差し掛かっているというのは教育だけでは無い。むしろ、教育や子どもと言うのは、その大きな転換に、巻き込まれた側と見る見方もできます。

社会がこんなに変わるようであれば、教育も変わらざるを得ないよ、と言うのが、文科省の方の本音だろうと思います。

世界には、もうのっぴきならない問題が、目前に差し迫っており、誰か偉い人が解決すれば、それで良いということでは済まず、世の中の人大多数がその問題を認識し、自分の立場で何をすることができるのか、考えなければならないのです。

戦争、紛争、民族のアイデンティティの問題、差別などはもちろん。

環境の課題はもはや緊急事態。
誰か、アイデアのある人は、どしどし実行しないといけない。社会全体で、応援しないと間に合わない。

いわば、革命的な解決を人類は求めています。それも、解が一つではない。一億通りも、解の見つかるような。
多種多様、様々で、誰もが参加できるような、地道で金のかからない持続可能なアイデアと実践を。

日本であれば、トヨタやパナソニック三菱重工、日本石油や住友化学の偉い人たちが、何か良い発明をしたり、仕組みを考えたりしてくれるだろう、と、いうことでは済まないのです。ソフトバンクの孫先生が、良いことをしてくれるよ、では無いのです。もちろん、裏金問題でテンテコ舞いの与党政府の政治家が、国民の将来について考えているとは思えないわけで・・・。

そんな中、中教審と呼ばれる会合が、日本中の識者を集めて、これからの教育について討論をしてくれています。

そこでは。

答えを覚える学習の仕方から、自分で課題を見つける、学習の仕方へ。

と、学習方法の大転換が示されております。

これそんなに新しい話ではなく、もう10年以上前の会議で、示されているんですが、はっきり言ってよく知らないままで、国民は過ごしてしまいました。

学校の先生たちも、実はまだ、よく分かってない。
多くの人が、やはり課題は教師が与えるもの、答えも教師が教えるもの、と考えています。

ところが、答えが無い、という教育を始めなさい、というのです。国が。

問いを、子どもがたてるんですって。

どう思います?

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漢字の指導の変化

教師になりたての頃は、私は漢字の指導がそれほど好きではなかった。

ところが、漢字と言うのは、人類の大した発明と言うべきものであり、大昔の人々の、具体的な、あるいは、抽象的な思考法が、よく見れば、見るほどに浮かび上がってくる題材なのであります。

そのことに気がついたのは、今から10年以上前に、一緒に学年を組んだ、とある先輩の先生のおかげです。その先生は、私に、白川静氏の漢字の本を見せてくださった。白川氏との出会いが、漢字学習を変えた。

今の漢字の授業は、こうである。
1)電子黒板に漢字をでかでかと映し出す。
2)この字について、何かわかる人?
3)部首やつくり、冠などの字形や意味から、この漢字が持つ意味や、成り立ち、どうしてこんな部品が使われているのかなど、子どもが気がついたことをどんどんと発表していく。
4)見当はずれでも全く構わない。確かに、そんなふうに見えるねぇ、と同意しながら、バンバン言わす。
5)最後に、わたしが知ってる代表的な、成り立ちの学説を説明して、後は書き順・熟語の確認・字の練習、で終わり。

これを繰り返していくうちに、子どもたちは、漢字を見た瞬間、アッわかった!と色々と意見を出すようになってきた。つまりなぜその言葉は、その部品を使い、そのような意味を持つ字になったのか、成り立ちについて説明するのである。

これは、具体的なパーツを見ながら、仲間に分類していくことで、似たような字を思い起こしながら、より抽象度の高いグループに分けたり、意味を類推したりして、たくさんの漢字を頭の中に、だんだんと抽象度の高い分布図へと書き換えていくような作業であります。

小学校3年生ともなれば、もう、人生の間に、300字以上を覚えています。なので、新しい字が出てくると、自分の知っている漢字の大きな地図の中の、一番ぴったりするところに付け足していくようなことをします。

この動作や振り分け作業が、瞬時に迷いなく、できる子は漢字を覚えるのが早いです。
瞬時にできる子は、頭の中の漢字地図が、抽象度が高く、極めて論理的に分布されているのです。だから、新しい漢字も、今までのルールに沿ったような形でピタリとはめることができるし、迷わないのです。

同じ意味、同じへん、同じつくり、同じ音(おと)、付け足し、などですね。
共通点を見つけるのが早い。
次に、なぜそれが共通点だと言えるのか、自分の言葉で説明もできる。
高層ビルに例えれば1階部分なのか2階部分にありそうか。もっと高層階にありそうなのか。平面でなく、立体的に頭の中で思考している子もいます。

ところが、頭の中がごちゃまぜで、どう地図の上で配置すればいいのか、ぴんとこないような状態が続くと、やはりその中途半端で、宙に浮いたような漢字は、いずれ記憶のどこかに紛れ込んで消えてしまうのでしょう。

いわば漢字を覚えるということは、漢字一つ一つと言う非常に具体的なものに、抽象的なルールを当てはめて、抽象度を上げていくことによって、初めてマスターできると言えるのです。

教室の中に、「つまり、先生、それって、こういうことでしよ?」という言い方が、癖になっている子がいます。
その子は、生活の中や学習の中で初めて出会ったものを、自分の思考体系の中に、自分の言葉で言語化することによって抽象度を上げて、組み込んでいるのです。つまり、とか、要するに、とか、そういう言い方を補助的に使って、自分の思考をヨイショと支えながら。

そして、結論です。
このような思考の動かし方をしている子は、漢字のテストもほぼ100点が取れます。

漢字練習帳に体力勝負で同じ字を50個書けば覚えるかと言うと、どうもそうでは無いようです。やはり脳みその中を、『具体から抽象へ』と、整理整頓することに尽きるようです。


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総合的な学習の時間に、一考察の論文を書く

論を組み立てるときに、子供たちには便利な言い回しをまず教えることにしている。
すると、苦手な子たちもその言い回しをうまく使って、一応の文を論理的に書くことができるからだ。まずは自分でも書けると言う自信を持つことが必要だ。方にはまった文章しか書けなくても、最初はそれで構わない。そのうちにバリエーションを増やしていけば良い。

まず、結論を先に述べる。
【私は、桃太郎に出てくる鬼は悪者だと思う。】
次に、そう思う理由を明確に述べる。
【桃太郎が命がけで戦ったのだから、そうする理由があったはずで、それは鬼が村人を苦しませていたからに違いない。】
という具合だ。
さらに、続けて「確かに」「しかし」という言葉を使う。ここで反論を封じる用意をするわけだ。
【確かに、鬼ヶ島から、わざわざ村人のいる場所まではるばる鬼が遠征してくるには遠過ぎるかもしれない。しかし、それは、村人の蓄えた、生産物、食料を、たんまりとせしめる為ならば、遠征の苦労も報われるからである。】
と言うふうに。

このように「確かに」と「しかし」を使って、一般的にされる反論を、封じておくのである。この反論を封じることによって、自分の主張を強めることができる。
文章の最終コーナーでは、「だから」を使って、もう一度、自分の主張を明確に述べて論を終える。
【だから、私はやはり鬼たちは悪党で、乱暴や狼藉、強盗をはたらいた悪党だと考える。】

まとめると、①まず私はAだと思う→②なぜならば、こうだからだ→③確かにBという意見もあろう。しかしそれは・・・という理由でおかしい。→だからやはり私はAが正しいと思う。
このような論の立て方を子供たちに伝えていく。


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鬼の正体は?

坂上田村麻呂という人が、その昔、鬼が住むと噂された東北地方に、蝦夷の征伐に出かけた。
この蝦夷というのは、まるで人間扱いはされず、鬼畜同然と言うものであったが、坂上田村麻呂は、その親分であるアテルイを気に入って自分の家来にしようと思い、都まで連れて帰っている。
やはり鬼ではなかったのである。

坂上田村麻呂が、こうして、各地域の首領に出会い、大和朝廷に従うよう説得していくうち、坂上田村麻呂は彼らの人間的な魅力に気づいていったのでしよう。地域の繁栄と幸せを願い、田畑を広げて、勤労を促し、自らも汗水たらして働いている地域の首領に、魅力がないはずがない。
蝦夷の征伐に向かう途中、各地域で、坂上田村麻呂はその土地の豪族と争い戦ってきた。もともとまとまりがなく、忠誠心もない土地では、その豪族すぐに滅んでいった。仲間の裏切りもあったに違いない。
ところが、人々から人望の厚い豪族は、仲間が裏切ることもなく、一致団結して、大和朝廷を退けようとしたために、おそらく坂上田村麻呂がその土地を制圧するのは難しかった。
強いとされ、鬼と言われた各地の豪族が、いかにその土地の人々から慕われていたか。
日本各地に残る伝説のうち、鬼と恐れられた土地の豪族こそ、人々を真に愛する英雄であったのだ。

鬼の正体は、おそらくは地域の豪族であろうというのが1つの定説になっている。
各地の鬼として有名なのが、悪路王、大多鬼丸、天津甕星、八面大王、両面宿儺、名草戸部、大国主などだ。

これらは、ほとんど大和朝廷が全国を統一していく過程で、一方的に鬼扱いされ、その結果、滅ぼされてしまった豪族たちであった。

しかし、上に述べた通り、征夷大将軍であった坂上田村麻呂は、鬼を征伐していくうちに、地域を立派に治め、人望の厚かった豪族の首領たちに、どこかしら人としての魅力を感じ、一目置くようになっていった。

だから坂上田村麻呂は東北のアテルイをわざわざ自分の1番の家来にしたくて、都まで連れ帰っている。

面白いのは、この鬼の伝説の中の、両面宿儺【岐阜県飛騨地方、高山市近辺】と、穂高山や上高地を挟んだ向かい側にある八面大王【長野県安曇野市地方】である。
両面宿儺には、顔が二つあり、八面大王には八つあったとされている。

この両者は境遇が非常に似ている。
両面宿儺は、大和朝廷からは、乱暴狼藉をはたらく盗賊、鬼とされた。
しかし、地元の人たちからは、土地を開拓したパイオニアであり、英雄・偉人として称えられてきたのである。
安曇野市の八面大王も全く同じだ。中央政権からは鬼とされ、退治されたあとにはその体を八つ裂きにされるほどだった。しかし、地元の人たちにとっては、やはり英雄なのであって、武勇にすぐれ、神祭の司祭者であり、農耕の指導者でもあったと言われ、地域を中央集権から守った英雄であったと語り継がれている。
この2面と8面を合わせて10面として、両面宿儺と八面大王の名誉を挽回するサミットを催してはどうだろう。名付けて、十面サミットの開催である。

他にも、両者の入り乱れる物語をミュージカル風にして、和太鼓や踊りなども入れながら子どもたちが上演したらどうだろう。ありがたいことに、両面宿儺と八面大王はどちらも大和朝廷が日本征服を目論んでいた時代に生きた。両面宿儺は400年ごろ、坂上田村麻呂は800年ごろの実在した人物である。

もし私なら、8MEN大王として、8人の子どもをステージに上げる。実際には存在しなかったが、8WOMEN大王もキャストに入れよう。これで男子8人女子8人合計16人は舞台に上ることができる。
両面宿儺の方も、クローンをつくれば、全員で48人くらいを舞台に出せる。

いつか実現してみたい。

ちなみに両面宿儺は、あるお寺に居る。
彫ったのは、美術の教科書にも出てくる円空という彫り仏師であります。

飛騨千光寺(丹生川町下保1553番地)
TEL:0577-78-1021
HP:https://senkouji.com
・円空仏寺宝館 「両面宿儺坐像」
・宿儺堂「両面宿儺の石像」

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「全国統一を目指す大和朝廷が、東北を侵略するに当たり、信濃の国を足がかりにたくさんの貢物や無理難題を押し付け、住民を苦しめていました。そんな住民を見るに見かねて安曇野の里に住んでいた魏石鬼八面大王は立ち上がり、坂上田村麻呂の率いる軍と一歩もひけをとることなくたたかいました。しかし最後は山鳥の尾羽で作った矢にあたり倒れてしまいました。その八面大王があまりに強かったので、再び生き返ることのないように、大王の遺体は方々に分けて埋められました。その胴体が埋められていたとされる塚が農場の中にあったことから、大王農場と名付けました。そして塚は大王神社に祀られています。ここに佇む八面大王は、大王農場の守護神でもあり、安曇野を守ろうとした、勇士でもあります。彼の中に潜む強靭でありながら、人を愛する心は、大王農場を訪れるすべての人々の中にきっとつたわっていくでしょう。」(大王わさび農場による大王の説明)

桃太郎の矛盾

桃太郎の鬼について、子供たちと話し合ったときのこと。
クラスのちょうど半数は、やはり桃太郎の鬼は、悪者であろう、盗みや狼藉、人さらいなどをしたわけだから、悪党に違いないと言う意見であった。
しかし、残りの半数は、もしかしたら結構いいやつかもしれない、と判断をした。

これは、教室の電子黒板に、でかでかと【空からのぞいた桃太郎】を映して、全員で見たからだ。

この
【空からのぞいた桃太郎】は、少し前に評判になった本で、実際にある小学生が自由研究で賞を取った際に、参考にした本らしい。これが面白いと言うので、テレビやラジオでかなり評判になっていた。

鬼の勉強した際に、そのことを思い出して、クラスの子と実際どうかと読んでみた。すると、やはり、視点を一歩引いて客観的に見ていけば、物語の矛盾と言うのはたくさん見つかるものである。クラスの子たちも、先の自由研究の子と同じように、悪者と決めつけて見る事はできないと言う結論に至った。
その記録をここに書こうと思う。

まず、うちのクラスの子どもたちが、1番に矛盾として指摘したのが次のことであった。
1)鬼ヶ島がものすごく遠い。
おまけに海を渡ってようやくたどり着く場所である。これはつまり、鬼達からしても、人間の住む区域まで来て、収奪したものを持ち帰るのに、かなり苦労が要るだろう、ということ。

この意見が出てから、まずペアで、次にはグループで話し合い、何人かの子に意見を言わせてから、もう一度、鬼ヶ島の鬼は悪いかどうかを確認した。
すると、4人から5人ほど、意見を変える子どもが出た。悪者では無いかもしれないというのである。

次に2つ目の指摘があった。
2)おじいさんとおばあさんは、かなりのんびりと暮らしている。

もし鬼が頻繁にやって来るような土地柄であれば、おちおちと芝刈りもしていられず、せめて身を守るための鍬などを持って最低限の防御策を考慮するだろうし、おばあさんも川で洗濯などせず、つまり1人で行動する事なく、大きな瓶(かめ)などに水を汲んでおき、自宅で洗濯をするに違いない。

このことを話し合った後に、2回目の確認をした。挙手させると、さらに3人ほど、意見を変える者が出た。

さらなる矛盾点として指摘されたのが、
3)鬼は、猿やキジや犬よりも弱い。
ひょっとすると、人間の大人が鉄でできた農具、例えば鍬や鎌、ジョレン、お餅つきで使用する杵などでおそいかかれば、もしくは抵抗すれば、容易に撃退できたのではないか、という点だ。

この点については、犬が本気で噛み付くのであれば、鬼はやはり困るのではないかと言う意見も出た。
確かに犬が噛み付いたら、致命傷になることもあろう。だが、鬼は鉄で出来た金棒を持っているではないか。あの鉄の棒は、トゲトゲも付いていて、犬はたった1匹しかいないのに、鬼が数人で犬を取り囲み、トゲトゲでおい回せば、鬼の方が強いはずである。それをしないのは、やはり鬼が優しいからではないか、と言う反論が出た。

おまけに、ある女の子は、「キジはそんなに強くないと思う。お話の中でも、キジは鬼の目を突きましたと書いてあるけれど、それこそ鉄のトゲトゲ棒でひと殴りすれば、キジなどふっ飛んでいくに違いない。」言うようなことを言い、これには多数の賛同者が出た。それを聞いたある男の子は、「キジなんて、HPは1か2しか無い」と言って馬鹿にした。

猿はどうか。子供たちからすると、猿の強さは、HPは5くらい。群れのボス猿であったとしても、せいぜい8か9程度であろう、と言う見立てであった。武器は爪でひっかく、ということだが、たとえ鬼がじっとしていて、おとなしく顔面をひっ掻かれたとしても、致命傷にはなるまい。
今や数少なくなった、鬼はやはり悪党である側の子は、猿は噛み付くこともできる、と反論していたが、やはり鬼の持っている、金の棒にはかなわないであろうと一蹴された。金の棒を持つ鬼のHPはおそらく100以上あるはずだ。

それでも、鬼が負けてしまったのは、きっと鬼が抵抗しなかったせいである。なぜならば、鬼はたとえ正当防衛であったとしても、生き物を殺すなどと言う野蛮な事はしないためであろう。

ここまで来て、再度人数確認をしてみると、クラスに、鬼は悪者であると考える人数が、3人に減ってしまった。

最後に出た、矛盾点の指摘は、
4)オニたちがお互いに助け合って楽しく暮らしている。

「空から見た桃太郎」の本では、鬼ヶ島の様子がこと細かく描かれている。鬼ヶ島の中は非常にたくさんの鬼で賑わっていて、中では、魚屋、鉄の金棒を売る店などがある。奥の方には、劇場のような場所もあり、鬼がチケットを売っていて、子連れのお母さん鬼が看板を見上げている。魚屋が売っている魚は、非常にたくさんの種類や量があり、やはり買い物をしている鬼がいて、本当に、私たちが普段暮らしている街の様子そのものである。
鬼たちの顔は、非常に満足そうで、お祭りをしたり、踊ったり、道端で大道芸をしているような鬼までいる。どの鬼も目的を持って行動していて、その瞳は輝いているのであります。

この、生活に満足をしていそうな鬼たちが、わざわざ、遠くの人の住む村にやってきて、殺戮や強盗をはたらくであろうか。
子供たちが注目したのは、魚屋で、あの魚は、絶対に海で釣ってきたのであろうと言う意見が、何人もの子から相次いで出された。
魚はすぐに腐るから、そんな生鮮品を、遠くの人間界から運べるわけがない。そんな苦労をするくらいなら、あの海で、釣り糸を垂れて、魚を釣る方がどれほど簡単なことだろう。
鬼たちは決して怠け者ではない。なぜなら、このように商売にも懸命に励んでいるし、建物や店の作りは、非常に立派であって、きっと鬼の大工が仲間とともにノコギリや釘、かんななどを使って、せっせと組み立てたものではあろう。人間を働かせたわけではない。鬼たち自身が汗水を流しながら、知恵を出し合い、工夫して、このような店や建物を作りあげたのだ。
怠け者ではない鬼たちが、魚を釣らないわけがない、というのである。

ここで、採決をとると、残りは2人になった。この2人の言い分は、
「たとえ鬼が優しくて、働き者で、犬や雉(きじ)や猿よりか弱かったとしても、それでもやはり桃太郎が退治を思いだったのだから、それにはそれなりの理由があるはずで、懲らしめられるだけの何かしら悪いことをしたに違いない」と言うのです。

そうすると、ある子が次のように言った。
「もしかしたら、桃太郎が奪い取ったたからものは、人間の村から持っていったものではないかもしれない」

みんなが驚いて、根拠を尋ねると、
「だって、魚だって多分鬼が釣ったのでしょう。それに家とか店も自分たちで建てている。桃太郎が鬼から取り上げて、持ち帰ったものを見ると、割と大したものはない。そんなもの鬼なら簡単に自分でこさえることができる。」
と言った。
また、違う子が、続けて言った。
「そうだよ。あれは鬼のものだよ。」ふだんはあまり意見を言わない子。
「だって、もし人の村から盗んだものだったら、きっと桃太郎のお話は、最後に桃太郎が人々に宝物を返してやりました、で終わるはず。でも桃太郎は、その宝物と一緒に、おじいさん、おばあさんと幸せに暮らしました。になっている」

つまり桃太郎は、村人に盗んだ盗品を一つ一つ持ち主を探し確認しながら返品したわけではない。

「お話には書いてないけど、きっと返してあげたんだよ」
と2人は反論したが、
「もし返したなら、村人と一緒に仲良く暮らしたと書くはず。しかしどの桃太郎の本を見ても、おじいさん、おばあさんと一緒に仲良く暮らした、になっている」
言い返されて、2人はもうギリギリまで追い込まれてしまった。

ここで面白いことが起きた。
この2人が困った顔になり、じゃぁもう意見を変えようかなと言った瞬間、何人もの子たちが、

「え?意見を変えるの?変えないでお願い」と言うのです。

つまり、こうやって一つ一つ分析や検証していくと、そのこと自体が面白くなってしまい、論破するのが目的、というのではなくなってきていたのですね。

さて、ここまで分析活動を進めてきて、最終的に桃太郎の鬼だって悪くは無いと言うことになってきたので、これまでに読んだその他の鬼が登場する物語、ほとんどと同じように、鬼と言うのは、実はそんなに悪いものでもなさそう、と言うことになってきた。

ここまで調べてきた鬼は、
・こぶとりじいさん
・ソメコとオニ
・おにたのぼうし
・泣いた赤鬼
・節分の鬼
・大工と鬼六
・千里の靴
・雷さまとクワの木
・地獄のあばれもの
・一人になった鬼の親分
・えんまになった、権十おじいさん
・一寸法師

結局、どの鬼も、本当の悪党と言うには足らず、どこか人間臭く、親しみの湧く存在であることが多かった。一番の悪党であるとされたのが、桃太郎だったので、桃太郎の鬼くらいは悪者であって欲しかった。
ところがどっこい、桃太郎の鬼ですら、悪党にはなりきれなかったのである。


写真は、両面宿禰。(岐阜に住んでいた鬼。ヤマト王権の制圧に抵抗した)
宿禰

なぜ歴史の学習がきらいになるのか(小学生編)

坂上田村麻呂が戦った相手は、地域で愛されていたはずで、大和朝廷という別部族が襲ってきたのであれば、徹底的にふるさとを守るために、一致団結して戦ったことでありましょう。
外敵である坂上田村麻呂。いきなり土足でふるさとを汚しにやってきて、「遠い京の都におられる天皇が君臨する大和朝廷にひれふせ」と訳の分からないことを言って、攻めてきたのですからナ。
ところが勝てば官軍。大和朝廷は、勝った勢いで、「ここにはおそろしい鬼がいたので、田村麻呂が退治した」と言って、歴史書にそう書いてしまう。

昔はそれでもよかったのです。勝つのは強いからで、強いのは正義であろう、というのが昭和から続いた考えでした。
ところが、コロナを経て、今の時代はなぜか、『強い正義』は人気がありません。正義ぶって、厚かましく自分の考えを押し付けてくるような勢力を、どうも世の中の、とくに若い層は嫌っているようです。

その証拠に、パワハラは、不人気です。
ブラック企業も、不人気です。
「24時間たたかえますか」も、不人気です。
ハラスメント全般が、不人気なのです。

だから、坂上田村麻呂が、どうも人気がありません。
授業をしていても、大和朝廷が日本を制覇しました!という部分で、なにか盛り上がらない。
「ひどいなあ」というため息が、教室にもれてしまうのです。
歴史の学習が、とくに若い子どもたちに不人気なのは、こうやってハラスメントで地方を無理やりに傘下に収めようとしたり、武器を持って人を脅し、なびかせようとするようないやらしい政治に対して、吐き気のするくらいに「嫌悪感」を抱くからではないかと思います。
でも、仕方がないのです。当時は、それが当然のことでしたからね。ただ、今の時代の感性には、まったく合わない、というだけで。

わたしは歴史キライの子がでないよう、坂上田村麻呂に焦点をあてるのでなく、むしろ退治された鬼の側に焦点をあてて、授業を行いました。
鬼といっても、当時はその場所にちゃんと住んでいた人間です。実在の人間が、大和朝廷が征服しようとしたときに「いやだ」と反対したために、「鬼ということにされてしまった」わけですね。

坂上田村麻呂の最大の事業といえばやはり東北地方に居住していた蝦夷の討伐だったでしょう。
蝦夷というのは奈良時代後期から平安時代前期にかけて東北地方で朝廷勢力と抵抗した人々のことを指します。
朝廷側はこの蝦夷という勢力を抑えて東北地方にも勢力を築き上げたいと考えていました。
それで、「蝦夷」という人たちは、野蛮でいやしくて獣同然だ、鬼のようなものだ、という風説を流布させて、都の人たちには「東北に鬼が住んでいる」というようなイメージをもたせました。
今でも「北東」の方角は、鬼門だ、ということになってますね、日本は。

坂上田村麻呂は、鬼を征伐する正義の味方だ、ということになっているのですが、子どもたちからは、ただのパワハラ野郎だと思われてしまっています。若い人たち、とくに小中学生には。そのために歴史はパワハラの変態野郎が人を殺すおそろしくてアホな学問だというイメージをもたれ、そのあげくに大量の「歴史なんてキライ」という子どもが量産されてしまうわけです。

坂上田村麻呂は当時としては立派な行いをしたわけですが、時代の趨勢にはさからえないようです。
したがって、わたしとしては、大和朝廷の勉強はあまりしたくありません。子どものテンションが下がり、以後の学習が非常にやりにくくなるからですね。

でもまあ、奈良の大仏をつくるころには、女子もまじめに勉強するようになりますし、天変地異の多かった平安時代の学習は、女性がひらがなを書くようになったり、日本らしさが出てきたりしますから、また好きになってくれるんですが。

今思えば、大和朝廷の方たちは、蝦夷とか他の地域コミュニティについて、ゆるい「連邦制」をとった方がよかったかと思いますね。「制圧」とか「征服」とかでなしに。だって、あまりにもパワハラのイメージが強すぎるので・・・。

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SDGsでトイレのことを考える

総合の時間に、SDGsについて学習を進めている。
17個ある目標のうち、1つめの「貧困」についてからはじまり、17つめの「パートナーシップで・・・」に至るまで、少しずつ子どもたちは意味や目的、具体的な取り組みなどを学習している。

目標の6番目に

「安全な水とトイレを世界中に」

というのがある。

最初に出し合った疑問で、これが話題になった。
ユニセフのパンフレットをみると、「トイレのない人は地球上に6億人以上」と書いてある。
なんでトイレなの?トイレはあるでしょう、ふつう・・・と、子どもたちは考えた。
まさかトイレが『ない』なんて、イメージできなかったわけだ。

そこで、トイレを調べ始めております。
今年から各学級に配備されたIT端末が役に立つ。ありがたいねえ。
わたしの勤務校では「Chromebook」が一人一台、用意されている。
調べ始めると・・・

DIFAR という団体が見つかった。
エコサントイレ、というものをつくり、地域に広めているらしい。
おまけに始めたのは瀧本里子さんという日本人。
青年海外協力隊員でボリビアに渡り、そこで娘のように家族のように接してもらったことからボリビアに恩返しをする形で野菜作り、健康福祉の提案、トイレ事業などを始めたようだ。

現地にトイレがないことはDIFARのホームページからも伝わってきた。
ニュースレターにはそのことが現地の日記のように、里子さん自身の言葉で書いてあり、非常に伝わってくるものがある。

クラスでこのことに興味をもち、自分の卒業論文で扱いたい、と言う子が増えてきた。
しかし、ちょっと資料が足りない。

「トイレをつくって、その後どう生活が改善したのだろうか」

という肝心なことが、くわしく書いていない。

「質問してみたいがどうか」

ということが話合われた。


このあたりは、現代っ子だなあ、と感心しますね。
今ではボリビアに住んでいる人にメールで質問ができる。
瀧本里子さんという方がどんな方かわからないが、質問出すだけ出してみよう、ということになった。

わたしはもちろん

「返事がくるとは限らないよ」

という確認を全員としておいた。
5年生の時も、なぜ広島でりんごをつくっているのか、と尋ねるメールをさまざまな果樹園に対して出したが、返事はほとんどこなかった。

丁寧に返事をいただいたのは、唯一、三次市で観光農園をされている、平田観光農園の平田さんだけであった。今でも感謝しております。(平田さんありがとうございました。おかげで「標高」とか「適温」という、果樹農家の大事な視点を子どもたちは学ぶことができました。)
(※平田観光農園へのリンク)


というわけで、きっとお忙しいと思われるボリビアの瀧本里子さん(DIFARというNPO団体)からお返事が来るとは限らないが、ダメ元で出してみようということになった。
学習の体験としてはメールを出すことも大事な過程だろうし、メールの文面を考えることも大事なことだろうと思ったので、子どもたちとその活動を進めることにした。

以下がその手紙であります。
1)なぜ、里子さんはボリビアという国を選んだのですか。

2)ボリビアの飲み水は、どんなふうに得ているのでしょうか。川の水や雨水などでしょうか?

3)里子さんは世界でも最貧国の一つといわれるボリビアに行き、貧困の対策として最初は野菜づくりについて指導されていたのですが、貧困の解決の前にトイレの問題を解決しなければならないことに気づき、トイレを建設されることをはじめました。なぜ、貧困の解決の前に、トイレの建設が大事だったのでしょうか。

4)実際に里子さんたちがトイレを建設し、みなさんが使うようになって感染症は少なくなってきたのでしょうか。

5)トイレをつくりつづけた時期がすぎ、今は目標を達成して次のステップに進んでいるDIFARや里子さんたちですが、トイレの良さを学んだ現地の方たちは、もしかしたらその後、トイレを自分たちでも増やしたり、作ったりすることをはじめているのでしょうか。もしそうならトイレは増え始めていると思うのですが、どうでしょうか。

6)最初、現地では、トイレをつくるよりも電機や自動車がほしい、と考えるような人の方が多かった、というのをホームページの記事で読みました。しかし、里子さんたちはあきらめずにトイレをたくさんつくりました。でもその場合、「トイレは要らない」と考える人たちの考えを、変えていかなければならなかったのではないでしょうか。要らない、と答える人たちが、「ぜひほしい」と気持ちを変えた瞬間、どんなことがあったのでしょう。なぜ住民の方たちは納得して、「トイレをつくろう」と考えてくれるように変わったのですか。

7)ボリビアで里子さんが暮らしていこうと決めたのは本当に大きな決断だったと思いますが、どうしてそのような大きな決断をすることができたのでしょう。なかなかそんなふうに自分の人生を、生涯をボリビアのためにささげよう、と考える人は少ないのではないでしょうか。里子さんはどうしてそんなふうに考えることができたのでしょうか。

8)ボリビアの暮らしをはじめるころ、苦労したことというのはどんなことでしたか。

さて、どうなるか。

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ガソリン価格から社会の厳しさを学ぶ5年生

「おやつなし ガソリン代を うらみます」

ある子が日記に、「お母さんが今日のおやつは抜きだ、と言ったのでなんでかときいたら、ガソリン代が高かったからでした」と書いた。

令和の世に生きる今の小学生たちは、これからかなり難しい時代を生き抜いていかなければならないことは予想できますね。日銀の黒田さんはすでにボケ始めているという噂もあり、あきらかにインタビューの映像を見ても、「認知がはっきりしていない」感じ。記者の質問に反応するのも力がなく、これで重責を背負わせるのは酷じゃないのか、と気遣う識者も居るくらい。

日本だけ金利を上げずにいて国を亡ぼす方向に向いているわけですが、どうやら日銀の黒田総裁は
「日本だけは特別な事情があるから、だいじょうぶ」
と、まったく周囲の状況を見ることができない。
これは残念ですが太平洋戦争突入時の大本営と同じ症状です。

5年生の児童に、「ガソリン代がなぜ高いか」を問うと、調べてきた子もいる。
なかなか偉いと思うし、今年の夏休みの自由研究にすごい向いている課題だと思う。
5年生としたら死活問題です。毎日のおやつもなし、大好きなガリガリ君も買ってもらえず泣いているのですから。
これはいけない、と兄弟で戦線を組んで協力し、車の中で懸命に交渉した結果、パピコを弟と分けて食べることができたが、

「このままガソリン代が高いままだったら、今年の夏休みは1週間にパピコが1つ(弟と半分こ)、ということもありえます。わたしの心は今、ゆれ動いています」

ということであり、小学生にも安倍内閣の負の遺産は容赦なく襲い掛かる。

さて、日銀の黒田さんが認知のゆがみを呈しはじめた、というのは歴史を勉強していれば明らかであります。
いつも、日本は追い込まれると「周囲がみえなくなり、認知のゆがみが生じた結果、『日本は特殊だから大丈夫』という自尊心肥大を増幅させるだけで、効果的な手が打てずに崩壊した」のであります。

大日本帝国以前からつづく日本の国家的なお家芸ともいえますが、「日本は神の国」と言い出すタイミングはいつも、日本が追い込まれている時代でした。

一番古いのは、日本という国の名前を決めた頃、白村江の戦いのあたりでしょう。
新羅はもともと唐がこわく、日本を味方につけたいので、下手に出る作戦をとっており、倭に対して「貢ぐ」国でした。「唐がこわいんだよね。だから、倭くんだけはうちらを攻めないでね」というわけです。倭の方が、立場が上だったのですね。

ところが白村江の戦いで倭が敗れた際、新羅が「もうあんたのとこには貢がないけど」と言ってきても、「いや倭(日本)は神の国で強いんだから貢ぐべきだ」と言い張ったそうですな。
当時の倭は、はじめて新羅と唐の連合軍に敗れ去って国の形を問い直さねばならないくらいに追い込まれており、賢い人たちを中心に律令国家をはじめるべく奔走せねばならなかったのです。しかしこのとき、担当の大臣が『認知を狂わせており』まして、『日本は神の国』であり、『日本は特殊なのだからぜったい大丈夫』と周囲を説き伏せる(無視)しまして、新羅に向かって『貢ぐんだ。俺は偉いのだから』と言ったらしい。現代のように『日本はもっとも世界で人気がある』的な感じでしょうか。

これが、どうやら日本の宿命らしいです。
日本は、同じことを現代まで延々と繰り返しているわけで。
歴史を学ぶと、すごくよくわかる。
おそらく日銀はこれからもずっと金融緩和をしつづけるでしょうし、円安は止まらないでしょうし、ガソリン代はまだまだ上がるでしょう。
しかたがない。日本はそういう歴史と宿命を背負った国なのでした。

日本は、外部の脅威を感じると、「うちらは特殊だから大丈夫。神の国だ」というのですごしてきたのですが、そのうちに外部の脅威がなくても、外部の脅威とは無関係の状態であっても、そういう具合になっていきます。病気がますます進行したわけですね。つねに政治家にとって、

「うちらは特殊で大丈夫」

は便利な合言葉となります。

平安時代の末期は末法思想が流行し、阿弥陀仏にすがる宗教が流行します。
世界の終わりが近いぞ、という感覚が日本人全体に強まりまして、浄土信仰が大流行するのですが、このとき、浄土信仰にすがろうとする人が多くなる一方、残りの人は「日本は特殊で神の国だから大丈夫」と、自尊心肥大にすがることになったようです。つまり神国思想、です。
同じことが太平洋戦争時にも起こるわけで、構造とパターンはおどろくほど一致します。

平安時代は結局、貴族社会がくずれ、律令体制の崩壊、という形で武士の政権へと根本から大改革されます。貴族たちには結局、1)浄土信仰 2)神国思想 この2つしか道がなかったのです。どちらも、こわいものから目をそらす、という点では変わらず、「認知をゆがませ、目をそらせる」ことでしかなかった、という点が泣けるところです。

このあたりの詳細は、実は以下の本に述べてあります。
わたしの上記の解説はつたないものですから、ぜひ皆様におかれましては以下の本をご覧ください。もっとよくわかります。



常に、他のことが見えなくなり、むしろ自分たちの方が特別な存在であり、自分たちの方が正しいのだ、という節回しを口にすることは、日本のお家芸だと言える、というのが結論でありました。
それが、やっかいなのは、「日本が立場的に厳しくなると必ずそうなる」というところです。

今、ガソリン代だけでなく、円安もそうだし、物価高もそうだし、コロナもそうだし、日本はかなり負のフレーズばかりがニュースに出てきます。オリンピックの予算も嘘ばかりで使途不明金だらけでしたから、おそらく平安末期のように、これは今の日本は「末法の世」に近いのかもしれません。

歴史の流れからすると、こういう時代はいずれ「日本は神の国で特殊だから自分たちだけは大丈夫」と言う政治家がどんどん増えるでしょうし、人気を博すでしょう。
それが日本の国の在り方であり、昔からそういう国だったのですから、あきらめるよりほかないのかもしれません。

おやつは弟とパピコを分ける夏休みになりそうです。
令和の日本は、そこから脱却できるでしょうか。

やっぱ、島国だからね。「自分たちは特殊ですごいのだ」という『井の中の蛙』のような精神性をどこかで持っているのかも。一方で、外国からは常にすごい文化がもたらされるから、劣等感もあるし。むずかしいね。

ところで黒田さん、もういい加減、金融緩和、やめましょうよ。
日本だけ特殊で大丈夫なはず、というのは、おそらく「認知のゆがみ」ですぜ。

日銀日本はすごい

みそとマヨネーズと醤油の話

きゅうりにマヨネーズをつけて食べることがある。
「マヨラー」ではないが、基本的にマヨネーズが好きな方だ。
しかしその日は、マヨネーズが切れていた。そこで、みそをつけて食べた。
もろみ味噌とか、金山寺みそではなかったが、ふつうのみそでも十分美味い。

食べながら、みそとマヨネーズは同じようなものだな、と一人で考えた。
となれば、マヨラーがいるくらいだから、みそらーもいるだろう、と思う。
たぶん、検索すればごまんとヒットするだろう。
日本人に限らず、世界中に『みそらー』がいるにちがいない。

マヨネーズとみそが近いという話を、人生街道をあゆむ途中、あちこちで聞いた。
レストランのシェフをしていた人に聞いたことがある。
その人が勤務していた場所は、なんだかたいへんに高級なレストランらしかった。
ひょんなことから私は、その人物と2週間ほど共に話をしたり生活をしたりすることがあった。
いっしょに昼食を食べながら、その人が食卓のみんなに言ったのが、

「うちの店では、マヨネーズに白みそを隠し味にしてましたよ」

というセリフ。つづいて、

「マヨネーズとみそは、基本的に非常に相性が良い」

ということでありました。

もうひとつは、ひとしきり「金山寺みそ」が話題になったあとの

「もともと、しょうゆとみそって、同じものだったんですよ」

という話で、それはみんな、へえ!?という反応だった。

たしかに材料は同じようなものだし、発酵食品であることや、作り方も近似している。
同じようなものといえばそうなのか・・・。

調味料のうち、もっとも原始的なものは「塩」でありましょう。
そもそも人間が肉体的に疲労した場合に塩気を求めるのは、ごく当然で、必要なことですからね。
つぎに、穀類などを発酵させて「麹」をつくり、さらに塩とまぜて「もろみ」がつくられました。

これがまあ、ミソのようなものでもあり・・・
さらにしぼれば、しょうゆになるわけで・・・
たしかに、似ているし、同じようなものか。

これを自作することができれば、さぞかし「食生活」は豊かに感ぜられるだろうと思う。
みそは自作したことがあるが、しょうゆはまだ未・チャレンジである。この世で最も強いといわれる『なっとう菌』にもいつの日か、挑戦してみたいモノだナ・・・。

勝手にイメージするだけですが、自分でしぼった「しょうゆ」で、とれとれの烏賊の刺身など食った日にゃ、さぞかし「贅沢」を感じられるだろうと思うネ。以前、金をかけるぜいたくと、手間をかけるぜいたくと比較した、という心理学の研究があった。結果は、手間をかけた方に、人間は「ぜいたく」を感じるらしい。ただし、これはアメリカ人を対象にした心理実験の結果である。

みそに関することわざは多いが、しょうゆに関するものは案外少ない。
「酢でも醤油でも、くえぬものは食えぬ」
ということわざがあるらしい。
食べられないものは、どんなに味をつけてもダメ、という意味だ。
ふつう日本の食べ物は、だいたいが酢で和えたり、醤油で味をつければ食える。
しかし、その酢でも醤油でもダメ、というのなら、もう何をしてもダメで食えない、ということだろう。逆に言えば、和食のほとんどは「酢か醤油」が大活躍をしている、ということになる。

こう考えてみると、その醤油や味噌の原料である「大豆」は日本人の宝であります。
ところが今や日本人が食べる味噌のほぼ99%が輸入大豆だという。
このことを憂いて、「大豆を霞が関でつくろう」と宣言をした官僚がいて、ビルの屋上で大豆をつくりはじめたが、残業に次ぐ残業で面倒がみれず、計画が挫折したと聞いた。
またこの話を憂いた国会議員がやはり、「大豆こそ日本人が日本の土地で育てるべし」と喝破したが、わたしもそう思う。で、教室のプランターで育てている。若さや(枝豆)ができてもビールと一緒に消費しないように気を付けようと思う。

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5年生の社会がたいへんなことに【この時期北方領土を教える】

ロシアのプーチンさんの評判が悪い。
小学校5年生にとっては、これまでプーチンなんて人、まったく知らない人でした。
だれそれ?という存在だったわけですね。
そこに今回の戦争だから、プーチン=悪い人、という感じ。

ところが5年生はこの時期に北方領土を教わるから、
「さてはプーチンが択捉島をとったのか!」
と早合点をしてしまう。

いやいや、プーチンはまだ生まれてないんだよ、というと不思議な顔。
「え?プーチンが択捉島にきたんじゃないの?」
択捉島がロシア(ソビエト)占拠、となったのは1945(昭和20年)。
ウラジーミルが生まれたのは1952年だ。
まだ歴史もまったく知らないから、なんで択捉島に日本人が住んでいないのか、すごく困るみたい。

え?なんで日本人が住んでないの? という疑問からすぐに

さてはプーチンか!(怒)

となるまでに3秒もかからない。
それほど、今回の戦争の影響は大きい。

というか、第二次世界大戦を本当に知らない。
クラスの半数が、え?日本って戦争したことあるの?、です。
戦争のことを聞いたことがある、という人数は、年々、減っている。
全国の教師にアンケートをとったら、この数がどんどん減っていることが実感されると思う。

それに、「聞いたことがある」という子にどんなことを知っているかを聞いても、答えられない。
「うーん」とか「えーと」という感じ。
さらには、ひいおじいちゃんが戦争に行った、ということを聞いた子もほとんどいない。
「だって、ひいおじいちゃん、知らないもん」が当然ですから、本当に戦争は遠い話です。

今回は、あえてここでの説明をせず、
「自分で学習するチャンスですから、なんで択捉島にロシアの人がいるのかをゴールデンウイークに調べてみよう」
ということにした。

もう、おうちの人へ丸投げである。

良いのだ。6年生で習うから。
5年生では、「ロシアと日本との間に北方領土という領土問題が存在します」というだけを習うことに文科省で決められている。歴史は来年まで持ち越しだ。

ちなみに択捉島でロシアの方がクリスマスを楽しんでいる写真を見せると、
「楽しそう。いいね」
というのが小学校5年生である。

クリル


さて、択捉島はもちろんアイヌのふるさとであり、和人とアイヌとの間には複雑な歴史がある。
5年生は当然、アイヌも知らない。

「アイヌってなに?」
それもまた、ゴールデンウイークに調べてみてもらうことにした。
いいのだ。5年生だから。

文科省は本気なので、ちょっと前から全国の教員に強い調子のお触れを出しております。
「5年生でぜったいに尖閣諸島と竹島と北方領土、きっちり教えろ」
ということであります。ずっと昔、安倍政権だったころ、ですね。

で、この竹島なんですが、写真をみると切り立った崖がうつっておりまして、まあほとんど食糧の自給は無理だと思われる土地です。野菜なら少々とれるのだろうか?よくわかりません。
ここは、隠岐の島からさほど離れておりません。韓国(朝鮮半島)よりかは、隠岐の島からの方がよほど近いです。
しかし、本州と比較すると、韓国(朝鮮半島)の方がよほど近い。
なかなか微妙な位置にあるのが竹島ですね。

教科書にも、最近はデカデカと竹島の写真が載るようになりました。
嵐の時などには、ふきんで漁をしていた漁師さんが避難しました。船をここに着けて、嵐がすぎるのを待つ、というふうに使われてきたみたいですね。

日本の漁師さんも逃れてここで一晩泊まる、ということをしてきたし、なかには物好きな人もいて、ここにしばらく住んでいた日本人もいたそうです。
しかし韓国の漁師さんもここに船をつけて嵐を避けていたらしく、まあ日本の漁師さんも韓国の漁師さんも、嵐の時に命が助かると思えば、同じような行動をとったのですな。

で、韓国の人も「あそこに便利な島があるし、嵐の時はあそこに逃げればいいぞ」と思っていたし、日本人も当然、そう思っていて、隠岐の島の日本人も朝鮮半島の韓国人も、思考は一緒、ということです。

こういう学習をしてくると、5年生は単純です。

「じゃ、もうずっとそれでいいじゃん」
「べつに問題ないじゃん」
「問題解決じゃん」

と、じゃんじゃんじゃん、の3連発。


北方領土についていえば、ロシアは日本に対し、「GHQが一度日本をつぶしただろう。国際社会が日本の領土をぜんぶ取り上げただろうが。日本はそこで一度消滅している。だから択捉島はロシアがとったんだ」と気を吐いている。
日本も同じく、「たしかに国は一度その時点で滅びているが、土地を領有する権利まではく奪されてはいないぞ」と言い返す。

この、双方がファイティングポーズをとりつづける、そして水面下ではしなやかに交流し、経済を交わし、物流をさかんにし、人的な交流も分厚くし、相互に助け合うという実際の相互扶助を行う。
それが、20世紀後半の国際社会の在り方でした。

楽観的な人たちは、そうして人的物的交流がつみかさなれば、政治的解決はその下地の上にだんだんと促進されるはずだ、と信じていましたし、ベルリンの壁が崩壊したときなどは、その楽観論がもっとも信じられた時代だったでしょう。

しかしいまはちがいます。
どれだけ民間が努力しても、政治が下手をうつと、あっという間に民間の努力が瓦解するのを見てしまいました。

目のくるくるした女の子が、まるで休み時間にバレーボールをしているような声で
「竹島は、地球の人はだれもが、嵐の時に使っていいいエリア、ということにしたらいいじゃない?」と言いました。
すると東大をめざしている秀才のFくんが

「エリアは3つつくればいい。韓国の人がいるエリア、両方が入れるエリア、日本人のいるエリア。この3つをつくれば、うまくいくかもしれんよ」

わたしは感心してしまいました。
なにがって?
子どもたちの「問題解決的な思考の質の高さ」にですよ。
どうにかして、なんとかして、問題は解決したい、という意欲にです。

たしかに軍事専門家からすれば、一笑に付す意見でしょう。
しかし、この意欲はどうです?
それがなければ、こんなアイデアも出てこないでしょう。

本当に解決したい

と思えば、もしかしたらわれわれ大人だって、前に進むことができるのかもしれませんナ。

竹島

けてぶれ学習法のまちがいの5分類で同僚と討論

けてぶれのまちがいの5分類はこうである。
1)問題の意味がわからなかった
2)ちゃんと読んでいなかった
3)解き方がわからなかった
4)わかっていたのにまちがえた
5)時間が足りなかった

これに、同僚のS先生は、

6)手順を守らなかった

を入れたらどうか、というのだ。
小学校の算数では割り算のひっ算など、特有のアルゴリズムで解いていくものがある。
これは、油断して手順をまちがえることさえなければ、正解できる。
小数点をうごかす問題もそうだし、分数の足し算引き算、約分通分など、小学校の算数はアルゴリズムでといていくものが多い。
そう考えると、小学校の算数では、たしかに手順さえふめば正解するものばかりだ。

「そうだね。小学校算数に限って言えば、その項目も追加すると、子どもたちが自己分析するのに役立つかも」
「そうだね、自分は手順がまちがっていたんだ、と気づく子も多いと思うよ」


そういった話をしていたら、「まちがいの原因はなにかって?」と教頭先生が口をはさんで

7)問題がまちがっていた

というのもあると。

それはたしかにそうだが、ちがう。
問題がまちがっているというのは、解く側(児童)にとっての「まちがいの原因」ではない。
前提条件がくつがえされてしまうのは、意味がない。
子どもが自己分析するのには、役に立たない。

教頭先生は話を盛り上げるために言ってくれていたわけで、
「まあそれは前提がちがうからなあ。はっはっは」
で終わりになったからまあいい。
教頭はそのままその足で、会議室に入っていった。

話が終わるかと思ったらそうではなかった。
教頭先生の話が燃料を投下した形になり、さらに火がついた。

小学校算数での「あるある」は、問題が読めなかった、というのも多い。
それを数えたらどうか、ということになった。

8)問題が読めなかった

問題の意味がわからなかった、ということに含まれるのだが、「読めなかった」もあるのである。漢字が読めない、文章が読めない、文脈が読めない。なるほど、小学校では、あるある、だ。

さらにいうと、小学校に限ってかもしれないが、

9)おしっこに行きたくなった
10)消しゴムを忘れたことを言い出せずにゆびにつばをつけてこすったらテスト用紙がちぎれた


というものある。
これは、そもそも間違い、という分類でなく、テストを受けることから逸脱し始めた、ということになろうか。

こう考えると、テストが正常?に行われ、きちんと提出された、というのは奇跡が起きたといっても過言ではない。1枚もテスト用紙がちぎれず、1人もテスト用紙をこなごなにせず、1人もトイレにひきこもって出てこなかった、という棄権者もいなかったのだ。

これはもう奇跡と呼んでもさしつかえない。

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テストの振り返りをChromebookでする【ダウンロード可】

テストはなんのためにするの?

と問うと、あれこれと言ってくれる。

・自分のわかっていないところがどこか、わかる。
・ちゃんとわかっているか知るため
・どこまでわかったか、わからないところがないか確認する
・これまでの学習の仕方が良かったかどうか


ちょっと踏み込んで、

「先生はテストはなくてもいいと思っている。みんなはどう?」

と言ってみた。

わたしからすると歓声があがり、

「じゃ、テストなくそう!」

と盛り上がるのかと思いきやそうではなく、

「やっぱりあった方が良い」

という声が多い。

これは、先に「テストは何のためにするのか」を問うて考えたからでしょうね。
なにも考えずにいきなりきいたら、「なくそう!」になったと思います。

目的をきき、確認したからこそ、

「やっぱりあった方がいいなあ」

となったのでしょう。

実際には、テストなんて受けなくても良いですね。
先生も評価はテストでしなくてもよいのですから。
【自分で考えて、必要だと判断する】というステップは、けっこう大事です。


さて、テストを通して、自分の学習についてふりかえります。
〇ふだんはどうだったか
〇テストの受け方はどうだったか
〇テストを受けてみて今後はどうするか

というふうに、ふりかえることで、
自分で自分のエンジンを動かし、そのエンジンの推進力で自分が動き始める、という実感
を得られます。

テストを返却するのに、これまでは速い方が良いと思っていて、すぐに返却していました。
これはこれで良い部分もあり、ちゃんと確認したり自主学習をする子にとっては楽だったようです。
すぐに持ち帰り、間違いをやり直す家庭学習をすることができたからです。

しかし、今回は学期の最初、学年の最初だったこともあり、1時間かけてていねいにテストの返却をやってみました。

まずいきなり返しません。
1)テスト、どうだった?
と問います。なんでも正直に言ってよい、と告げて、なんでも感想をいってもらいます。
班でもあれこれと言いあってもらいました。
全体できいてみると、

「むずかしいところがあった」
「裏の2番がわからなかった」
「ぜんぶわかった。かんたんだった」
「覚えてないし、すごくむずかしかった」

というような感じ。言いたい放題です。
これで良いのです。言いたい放題ができる、ということを保障するのも大事かと。

2)全体でまちがいのあった箇所、むずかしい問題をやり直し

わたしがピックアップした数問、数か所を、すこし丁寧にやってみます。
かんちがいの事例、まちがいやすいのはなぜか、覚えていない言葉があったかどうかなどを確認します。もし、覚えていない言葉などがあれば、「ノートに書いていただろうか」「教科書にもあったけど、マーカーなどをひいただろうか」と問いかけ、勉強のやり方そのものをここで教えます。

3)テストの返却をする

各自で受け取ったら「なおし」をします。
100点の子もいますが、周囲の子と確認したり、お互いに助け合うようにします。
上手に説明ができるか、完璧な説明ができるか、ヒントを上手に出せるか、という点で、「助けようとする側に立つ子」のスキルについても問いかけ、上達意欲を喚起するようにします。

常に教室でそういうことも語っています。
「上手に説明ができてこそ、知識が身についた、と言える。完璧な説明ができる?」
とよく言ってます。
授業の導入でも、学習問題や課題について示した直後に「完璧な説明ができる?」とよく言います。そこで堂々と説明ができる子には言ってもらい、ほめることもあるし、言い終わった後に「かんぺきだった?」と問うこともあります。「いや、まだもやもやしてる」と言ったら、どこがもやもやしている?と説明してもらうところから、授業の導入につなげるパターンも頻繁にあります。

4)ふりかえりをChromebookに入力します。

チェックポイントが6つ。
そして、記述する部分が3つです。

記述はかんたんで、①テストまでの学習はどうだったか ②テストを受けている最中はどうだったか ③次はどうするか

ダウンロードファイルはこちらです。←(右クリックで、名前を付けてリンクを保存)

ファイルはエクセルになっています。
これをGoogle Driveに保存し、Google Classroomで児童に個別配布します。
毎回ここで入力を積み重ねていくことで、自分のデータを継続して保管できます。

このテストの振り返りを毎回することで、テストの受け方そのものおよび、自分の学習の客観視を鍛えます。自分の学習は自分で進める。自分で計画を立てる。学習内容も進め方も進路も、すべて自分が決定していくのです。

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「結論から述べる」について

午前11時ごろだっただろうか。
玄関のチャイムが鳴り、嫁様が出た。
わたしはリビングでしらべものをしており、ほとんど意識に上らなかった。

嫁様が困惑したようにもどってきて、
「なんか、パソコンの?インターネットがどうとか・・・?」
とわたしに変わってほしいサインを出した。

アポなしのドアチャイムだからおそらくセールスだろうと思うが、一応出てみた。

すると、名刺を出すかと思いきや話をしだしたが、
1)この近辺でケーブル設置の工事をした
2)そのおかげでインターネットが高速になる
3)あなたの家はその恩恵を受けられる
4)なにも機械を変える必要はない
5)金額も月に2000円程度安くなる
という。

相手がふと口をつぐんだので、話が終わったのかと思い、てっきり
「ごくろうさま」
と頭を下げて、安くなるし速くなるのはありがたいなあと思いながらドアを閉めようとすると
「いやいや、ご主人、わたしはあやしいものではないですから」
と手を顔の前にもってきて、高速で左右に振った。

わたしは
「あやしいとは思ってないですから大丈夫です」
と、こちらも慌てて言った。
本当に、あやしいとは思わなかったからである。
というか、話が終わったのではなかったのか、と不思議になった。
そして、ではつづきがあるのかしらん、はて、と思った。

つぎに、会社の名前を言い、
「テレビとかでも放映していますから、ご存じかと思いますが」
という。
「今、キャンペーンで全国でサービスを展開中です」
と胸を張った。

ところが、わたしはほぼテレビを見ないのである。
家にテレビはあり、受信料もきちんと納付しているが、わたしは見ない。
というか、見る暇も時間もない。全国の教員がそうだと思うが、帰宅したら次の日の授業の準備を綿密に行う。あとは風呂入って寝るだけしかしない。

わたしは頭を下げ、(ほんとうに悪い気がしたので)
「ごめんなさい。テレビはもう5年以上見ていないですね。体感上ですけど」
と言って、マスク越しに自嘲してみせた。

本当は、NHKのブラタモリを見た。2年くらい前だろうか。
このブログにもそのことを記事にしていると思う。

すると、それが怪しいと思ったのか、なおもテレビでやっているらしいその会社のCMのことを、少し話をして、念を押し、
「この地域にもすごく広がっているんですよ。有名ですよ。どんどんサービスが増えています」
とのこと。

わたしは何も知らない。その会社も、CMも、なにも分からない。
ただひたすら、恐縮するだけである。

ともあれ、この男がしなくてはならないのは、「結論を言うこと」であろう。
小学校5年生なら、国語の教科書で習う。

だんだんとわたしは、自分がどこかの不思議なファンタジーの世界であるかのように感じ始めた。
こうして休日の昼間に、自分が「テレビを見ない変人である」件を謝っているのが、妙に思えてきたのだ。

5年生の国語では、相手に何かを伝える際には、まず結論を言い、その理由を順序だてて説明し、最後にもう一度、結論を言うことを教える。

わたしはこの男に、
「なにしろ、すごいサービスがはじまるんですね。おまけに安くなる。良かったです。ありがとう」
と再度いい、ドアを閉めようとした。

すると、さらに慌てたのか、今度は半笑いでエヘヘヘヘという感じの声を出し、

「ですから、わたしは怪しいものではなく・・・」

と、さっきのつづきである。

5年生の国語でいえば、谷村俊太郎の詩なのであればわかる。
繰り返し=リフレインは効果的な手法だ。
リフレインは、独特のリズムと効果を生み出す。
作者の意図を強調することにもなる。

しかし、「怪しくないです」のリフレインには、あまり意味がない。
先ほどからこの男は結論をなんら言わず、自分が怪しくはない、ということと、テレビで有名な会社のものである、ということ以外に中身がなかったのであります。

わたしがしたことは、テレビを見ないことを謝ったことと、安くなるのはありがたい、という感謝である。

わたしは再度、「あやしいとは思いませんよ」と、あいまいにほほえみながら伝えた。

すると、契約をするから住所と電話番号を書くように、と初めて言うのでありました。

セールスの人は、5年生の国語を思い出してほしい。
話はもっと早く終わると思います。

dentaku_businessman

『叱らないでもいいですか2022』スタート!

『叱らない』を始め、はや13年目に突入しました。
はっきりと「あ、叱らないでもよさそうやな。よし、それでやってみよう」と思ったのが3年目でしたから、そこから数えて、ということです。

調べてみたら、

2010年05月10日に、

「叱らないですね、先生は」
という記事がありました。

どうも、そのころから、のようです。
自分の中で、自分として大切にしたいことだったのでしょう。
そこから、基本的にわたしは、「叱らない」先生になりました。


今年、学年主任になりまして。
4月1日に、学年のチームになった先生たち4人とともに、最初の会合を開きました。
学年会ですね。
そこでわたしは、

「どうだろうか。基本的には叱らないでいきたいんだけど」

と、丁寧にちょっと自分の意図を話しました。

そうすると、やはりまじめな先生たちなので、
「いやでも、やはり叱る場面はあろうかと思いますが」
と言います。
当然でしょうね。これまで、これ以外の反応を返した先生は1人しかいません。

わたしは
「そうですね、なので、『基本的に』ということなら、どうでしょうか」
というと、

これがびっくりなんですが、そこにいた全員が、

「はい。そうしましょう」
というのですよ!!!!



これはわたしにとっては革命的な日でしたね。
もっと叩かれるか、意見が出てきて紛糾するかと思った。

もちろん、人を傷つけたり、いじめが起きたりすれば、これは「厳しく」話をするし、子どもにも話をさせ、詰めていくときもあります。決して人の道は踏み外すな!という感じでしょうか。

しかし、
〇宿題を忘れた
〇掃除なのに適当にやっていた
〇授業中に関係のない会話をした

くらいで、叱ることはしません。

学校教育は大きく2つのやり方があります。
「叱る」教育と、「叱らない」教育です。
そのうち、わたしがとるのは、「叱らない」教育だ、ということです。

「・・・↑という感じで進めたいんだけどね。どうでしょうか。先生方の忌憚のない意見を聞かせてください。年度の初めだからこそ、もとのところを確認して進めたいのです」

みなさん

「基本、叱らないでいきましょう」

だって。

どうなってんの?


P1000560

CANVAでポスター展をはじめてみた

CANVAという、動画や音声、写真やテキストを効果的に使って作成する、プレゼンテーションや広告?に特化したアプリケーションがありますね。

それを使って、子どもたちに表現させる、というのが始まっています。

作品例をつくってみました。

リンクを貼っておきます。
https://www.canva.com/design/DAE7VPbDwGI/Sqa4pbtx-T0I5fm-oCbEbA/watch?utm_content=DAE7VPbDwGI&utm_campaign=designshare&utm_medium=link&utm_source=publishsharelink

子どもたちが、学校を紹介するビデオをつくったり、
自分の興味のあることを仲間にプレゼンしたりするのに使えそう。
なんとなく、簡単なプラットフォームで、おそらく子どもは直感的にいろいろとつくることができるだろう。
音声も動画も写真もテキストも、なんならGIFアニメーションもOKだ。

ちょっと導入に意欲がわいてきた。

龍の道

仮説実験授業~電球が光るだろうか?~

理科を教えていない。
今年から。
なぜかというと、文科省がある計画を持っていまして。
小学校も、一部、中学校のように「教科担任制」にしようとしているのです。
(教科担任制の大きな目的は、児童に対して教員がチームで対応するためだそうです)

私は今年、理科と外国語と音楽は担当しなかった。それぞれ、他のクラスの先生と、交換したのであります。わたしはその代わり、図工を4クラス受け持ち、算数も3クラス受け持ちました。こうすると、やはり効果はありまして、理科の準備をしなくて済むのは、これは非常に「時間を生みました」。

自動車で例えるなら、高速道路をつねに5速・150kmで1年中、ずっと走り抜けるような感じはなくなり、時折、人間らしく40kmくらいの時速で、まわりの景色の様子もみながら、3速くらいで走れるような気分さえしたのですね。
だから、他の学年でヘルプが出るとかけつけることもできたし、周囲の先生がお休みされたら、その分もかなりサポートすることができました。コロナもあったので、「とつぜんの休み」というの、今年は多かったですからね。

ただし、理科を教えなかったのは、ちょっと残念なことでもあります。
だって、理科、たのしいからね。

だから、卒業前に、わたしが理科の授業をしました。
子どもたち、驚いていましたよ。
新間先生は理科ができないんだ、と思い込んでたって。

実際にはもう教科としての理科の授業は終わりになっていて、他の科目も終わっているために、時間がうまれました。卒業式の練習も、しゃかりきになって「返事の練習!」と怒鳴り散らす雰囲気もないですし、のんびり仮説実験授業でもやろうか、と。

これは盛り上がるのですよ。もう、台本と流れができあがっていて、その通りにやればどの先生が進めても、子どもたちは自立して考えていきます。本当は、学習というのはこういう思考の流れが必要なのでしょうね。理にかなっているのだと思います。子どもの反応は、仮説実験授業はぴかイチです。

さて、以下がその進め方。

100V電源につないだ、テスターを用意する。
回路には、電球がつながれている。
この電球は、5WとLEDの電球の2種類を用意した。
電気が通じれば、電球が光る仕組みだ。


回路の途中に、さまざまなものを挟んでみる。


①金属スプーン

「スプーンを、回路の途中に挟みます。電球は光るでしょうか?」

予想をノートに書かせる。
となりの友達にも、書いた予想を見せて、お互いに確認させる。

「では、やってみます」

電気がつうじて、電球が光る。

「光りました。ノートに、金属スプーンは電気を通す、と書きなさい」

②10円玉

「10円玉を、回路の途中に挟みます。電球は光るでしょうか?」

これも予想を立てさせる。
ほとんどの子が、光る、と書く。
やってみると光る。結果を書かせる。

③1円玉

これは、意見が分かれる。
同じようにさせる。
光る。
ノートには、『1円玉は電気を通す』と書かれることになる。

④5円玉
⑤100円玉
⑥1000円札

「紙は電気を通さない」
「お金のインクも電気を通さない」

⑦アルミホイル
⑧銀の折り紙
⑨金の折り紙

「金色の折り紙は、やすりでけずって銀色にすると、電気を通す」

⑩お菓子の材料の【アラザン】

「これは砂糖の粒の表面に、銀が塗られています」

⑪銀色のマーカーで書いた線

ここまでで、まとめを書かせる。
ひと言で、【結局、どんなものが電気を通すと言えるか】を書く。

金属は電気を通す。銀色のものが多い。金属では自由電子が動くので、電気を通すことになる。銀色の顔料マーカーは、アルコールが主成分の顔料だから、電気を通さない。


⑫えんぴつの芯

鉛筆をどろぼう削り(両端を両方とも削る)にして、両極から電気を通してみる。

「金属は電気を通しますが、グラファイトとよばれるものも、電気を通します」

ちなみに、鉛筆で回路を描くと、その芯の線上には微量だが電気が流れる。
このことから、鉛筆で書いた安価な電気回路もできると思う(思うだけ)。

⑬カレー(麻布十番ビーフカレー、というやつ)

麻布十番ビーフカレー、というカレーが売られている。
買い物中、なんだかピカピカ光る箱があるので、よく見てみると、カレーの箱だ。
ロゴの部分が、ピカピカしてる。
「通電するんやないやろか」と怪しみ、買ってみた。
その箱のロゴの部分、けっこうメタルな色である。これに、電気が通るか?

麻布十番カレー
麻布十番カレー



これ、見事に電球が光る!(ちょっと、オドロキ!)


⑭レモン

「カレーのついでに、果物を買ってきました。果物には、電気が通じるでしょうか」

これは、なんだかみんな通る、と確信している。
なんで?と聞くと、
「すっぱいから。すっぱいものは、電気を通す。だって、ポカリスエットは電解うんたらって言うし」

結果、見事に通電!

⑮グレープフルーツ
⑯バナナ
⑰きゅうり

「野菜はどうでしょうか」

⑱ナス
⑲じゃがいも

ここまでで、さらに突き詰めて書かせる。

ひと言で、【結局、どんなものが電気を通すと言えるか】を書く。

金属とグラファイト、そして野菜や果物は電気を通す。


教師「金属は、もともとどこにありましたか?」

子「地面の下。土のなか」

教師「そうですね。グラファイトも、山の中の天然の鉱物から採れるものです」
では、じゃがいもはどうですか?」

子「土の中です」

教師「果物も、土の中から栄養分を取り入れて、実がなったものですね。
では、再度、さらに突き詰めて、書いてみてください」

金属とグラファイトはどちらも地面の下や土の中からとれるもので、電気を通す。また、野菜や果物も、土の中から栄養を取り入れていて、電気を通す。


教師「では、野菜を食べている人間は、電気を通すでしょうか」

子「通す。だって感電する」

教師「そうだね。実験したいけど危険だからやりません。その代わり、肉に通してみよう」

⑳肉(魚)

イワシをまるごと一匹買い、アタマと背中に電極をさした。
・・・通電。(無事に光る)

教師「海や土で出来た物を食べているから、動物も魚も人間もみんな電気を通すのでしょうかね?」


「では、土って、電気を通すでしょうか?」

⑳土を溶かしたどろ水

「では、ただの水は、電気を通すでしょうか?」

㉑水道水

最終的な結論と、明らかになったこと、自分自身でこれはそうだ、と
言えることを考えて、最終的な自分の結論を書かせる。

【結局、どんなものが電気を通すと言えるのですか?】

「地球の自然界、土や海で自然に出来るほとんどの生もの(ちょっと水分のある感じのもの)、そして金属やグラファイト、が電気を通す」

最後に感想を書かせて、終わり。

漢字ドリル・漢字スキルは友達といっしょにやる件

わたしはこれまで、学期末の漢字テストは、練習プリントをたくさんさせたり、まあふつうに宿題としてノートにたくさん書かせたり、というようなことをやってきました。多くの先生がごくふつうに実践されているようなことです。これはこれで大事です。

しかし、実際はかなり、子どもの尻を叩くのですよ。やれ、やれ、と。
それに疲れましてネ・・・

で、ふと休日に気休めに読んだ、イヴァン・イリイチの「脱学校」だとか、ロイスホルツマンだとかのせいか、教師の指示が先に来るよりも、やはり社会的な活動と、そのふりかえりが大事なことだと思い至ります。

まずは活動➡ふりかえり➡なにか思うことの言語化(自分なりの内言化)➡自分なりの個別最適化計画➡他者との共同的な課題を含む活動➡ふりかえり➡・・・くりかえし

これを漢字学習に当てはめてみたらどうなるか、という思考実験をした。

そして、最初に漢字学習について思うことを言語化してもらった。
(これはみんなおりこうさんのふりをしていて、がんばります、というようなことが多かった)

つぎに、個別最適化計画を立ててもらった。
どのくらい、1学期の漢字を書けるようになりたいか。
どのような学習を自分で行っていくのか。

すると、それなりに自分で計画をしていく。さすが6年生と思いましたよ。

ただ、その後の実践が、やはり個別であります。
するとね、やはり、ごほうびがないと、できない子が多い。
たった今、漢字の学習をすると、楽しいだとか、ごほうびがないと、なかなか。

それで、これを個別でなく、共同でさせることにした。
お互いに、漢字スキルの1ページ目、2ページ目、というふうに宣言をさせ、宣言をお互いに聞き、それを家で実際に進めてくるとか。

あるいは、1ページのうちから、2つ問題を選んで出し、目の前で指で机の上などに書いてもらうとか。書き順があってるか、正しいか、熟語を2つ言えるか、など、クイズのようにして出してもらう。

うちのクラスは、これが楽しかったみたい。
で、友達だれでもいいから、2問出してすらすら書けたら、次のページに進んでよい、というふうにしたの。

そしたら仲の良い子にずるして教えてもらってパスして、どんどん進める子もいるのね。

しかし、途中で厳しい点検テストをすると、そういう子は本当は覚えていないから、書けないわけ。

そのときに、静かにふりかえる時間をとりまして。

まずはノートに、自分が今、漢字学習について思うことを正直に書く。
これは、しっかりと言語化できる子は、本当にこころの内情を、リアルに言語にできる。
そうすると自然に、自然にですよ、本当にクリアに、

つぎはこうして学ぼうと思う

という展望が、かけるんですよ。これは不思議ね。

ただ、このときに先生に対してかっこつける子は、「次はがんばる」程度で、適当な作業をつづけちゃう。
こういうタイプは、なんだろうか、漢字学習はぜったいに楽しくない、という思い込みで生きているような感じがする。他の子がやってみたら面白かったし、覚えられて書けた、うれしかった、と書いているのとは、対照的でした。

ここでわたしが大事にしたのは、

今回の学習の、なにが良かったのか、を明らかにすることでした。

幸福はいずこにありやと見つけ出し、というところでしょうかネ。

すると、休み時間にクイズのようにして友達と遊んだことや、家でもお姉ちゃんにやってもらったとか、たくさん自分のやり方を、こうやった、ああやった、と言うのです。
苦手な字がなかなか覚えられない。でも何度も書くと疲れるからでっかい字をポスターのようにして壁に貼ったら、すぐ覚えられたとか。
あとは、同じプリントを10枚くらい印刷して、それをテストを10回やったら完璧になったとか、すごい学習法が出てきました。

これ、自分で考えているところがいいでしょう。それも友達の意見を参考にしながら、自分でも考えて開発しているところがいい。

そして、先生、ぼくもやるから、〇〇くんと同じページを10枚プリントしてください、という子が出たり、ふたりで「あしたまでに覚えよう」とか言い合ったりとか。

これは単純に、おもしろいですよ。友達とタッグを組むのは、楽しい。

で、あとはときおり、「どう?」と聞いて、頃合いを見て「点検テストするよ」という感じ。

わたしが注力したのは、自分が活動の後に思うことを、しっかりと言語化できるように声をかけた、というところです。書いたノートを集めて、読んで、中身についてちょっと声をかけてくわしく聞いてみたり、「ああ、今言った、そのことをノートにも書いておくといいよ」とか。

とにかく、自分が漢字学習について、どのようなポジションにいるのか、どのような計画でいるのか、どのような「思い」をもっているのか、言語化させること。

これがないと、やはり個別最適化とはいえないと思う。

個別最適化のスタートは、言語化です。

そして、友達のアイデアと自分のアイデアをぶつけること。かけあわせること。そして具体的に成長させること。決して、ひとりの思い込みで勉強は進めるな、と注意した。

これが、共同的な学び、です。

するとね。抜き打ちのテストで、90点以上がばんばん出た。
これ、以前から書きたかったけど、本当の結果が出てからと思って書かなかった。
でも3学期のまとめのテストがけっこう良かったから、書きました。

いちばんいいのは、「漢字は今年はすごく楽しく覚えられた」と振り返っていた子がほとんどだったことです。たしかに、「まだ苦手です」もいますけどね。

来年も、これやろうっと。

木もれ陽のシーサー

【6年・社会】国際連合の働き~パワポDL可能~

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この切手、なにを示しているのだろう?

ユニセフの切手


ユニセフと書いてある。
子どもと母親だと思う。
なにか英語の書いた荷物を持ってる。
喜んでいる?
なにかもらってうれしい。


そうだね。
これはユニセフという国連の組織について描かれた切手だ。
ユニセフは、戦争などで食糧の貧しくなった国の人々や子どもたちを救うためにさまざまな支援を行っている。

さて、1996年に、「ユニセフ50周年」という切手が発行された。
ということは、ユニセフがスタートしたのは?

1946年!

そうだ。あれ、1946年というとどんな年なのだっけ?

戦争が終わったすぐ。

世界を巻き込んだ世界大戦が終了した。日本も太平洋戦争での終戦を1945年に迎えている。
その直後、世界中はどんな様子だっただろう。

このとき、日本は貧しく、食べるものがなくて日本の国民のほとんどが飢えているような状況だった。ユニセフは、日本を支援しただろうか?

支援したと思う人? 多数
思わない人? 数人

ユニセフは日本を支援した。
具体的にはアメリカから脱脂粉乳や小麦粉、トウモロコシの粉などが送られ、そのおかげで都会の子どもたちは学校で食事することができた。(ユニセフ給食と呼ばれた)
1949

学校給食はこの時、パンと牛乳、というセットを初めてスタートさせたんだ。この影響が今まで続いている。

さて、あらためてこれまでの学習を振り返りたい。
先ほど、ユニセフが日本を支援したのは 1946年ごろ、ユニセフがはじまってすぐ、ということだったね。(はい)

しかし、以前の学習では、日本が国連に加盟したのは・・・いつだったかな?

あれ。もっと遅いはず?
GHQの占領で、憲法ができて、サンフランシスコ平和条約を結んでからだから・・・


そうだね。サンフランシスコ平和条約の締結が1951年9月。
そして加盟を許されたのが1956年だ。

つまり、ユニセフは、国連にまだ加盟も許されていない時期に、すでに日本に対してたくさんの援助をしてきたことになる。

さて、国連の組織にはまだまだたくさんのチームがあり、それぞれたくさんの仕事を進めている。
他にはどんな組織があり、はたらきがあるんだろうか。

国際連合加盟切手


この切手から気づくことは?

マーク。
国連の旗。


そうだね。国連の旗だ。北極が真ん中で、どの国が中心になる、ということにはなっていない。
その地図のまわりに、平和をあらわすオリーブの木がデザインされている。つまり、国連がめざすのは、「世界の平等と平和」ということ。

このために、さまざまな働きをするけれど、たとえば最近ずっと続いている「コロナウイルス」についてはどうだろうか。

国と国をまたいで、大きな世界的な問題になっている。
これについて、国連はどう対応していくか。
聞いたことがあるかな? WHO。世界保健機構だ。

では、世界遺産を決めているのは?
そう。ユネスコ、という。

世界の多くの国を巻き込んでいるような課題というとどんなのがあるかな?

ウクライナとロシアの戦争!

そうだね。まさについ最近のニュースだ。
ウクライナの街が爆撃を受けたり、攻撃されている。
すると、そこでは住めないから、国から逃げ出す人もいる。無理もないよね。
国連はそういうとき、人の命を救うのが使命なのだから、特別にこの人たちを「難民」と呼んで、国の境をこえて、助けるようにする。それが国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)だ。

ウクライナから隣のポーランドという国をめざして逃げていく人たちが大勢いる。
国境を超えるのにはふつうはいくつも手続きが要るんだけど、国連が間にはいって、この人たちの安全を確保するために、さまざまに活動し、支援している。

UNHCRは人道的見地から、紛争や迫害によって故郷を追われた世界の難民の保護、難民問題の解決へ向けた国際的な活動を先導、調整する任務を負っている。

nanmin_family_sad


これからの時代、みんなが国連に「こんな活動をしてほしい」ということはあるだろうか。
ノートにたくさん書いてみよう。

【6年・社会】サウジアラビアを知ろう~パワポDL可能~

今回の資料です。
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統的な服装を見よう

どうして頭からすっぽり覆うのだろうか

気候をみてみよう

どんな特徴がある?

砂漠の気候に対応するための工夫がたくさんある服なんだね

すばらしいお天気ですね、というのは日本ではどんな天気の時?
サウジアラビアではどういうときだと思う?

雨のときでした。

サウジ料理1


どうして外出するとき、女性は顔まで覆うのだろう?

イスラム教が関係していた

こんな厳しい教えがあるらしいけど、みんなだったらどう?

でも、今のサウジアラビアの人たちにきいてみると、どうやら良いこともあるようだ。

さて、イスラム教の人口は世界でも2番目に多い。

メッカはどこにあるか、地図帳でしらべよう

ここに向けて、みんな祈っている

さて、サウジアラビアはこんな国だ。

日本じゃ考えられないほどに豊かだ。

なぜだろう?

年間13兆円が儲かる。まさに石油は天の恵みだね。

日本はどんな国から石油を買うのだろう。

サウジアラビアが一位。

他にも、ほとんどが中東とよばれる地域から買っている。

場所を確認しよう。地図帳では何ページ?

大陸と大陸の間だね。
アフリカ大陸とユーラシア大陸の中間にあるよ。

ここを中東という。
そして、ほとんどが産油国だ。

タンカーで日本に運ぶけど、日本に向けて何隻あれば運べるかな?

1日に1隻以上が入港している。

全部で数百のタンカーが、ほぼ毎日、日本に着く。

この道をオイルロードというよ。

しかし盗賊がでるときがあり、日本はこの地域の政府と相談しながら、気を付けて運航している。

【6年・社会】朝鮮と韓国を知ろう~パワポ資料DL可能~

今回の資料です。
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となりの・・・

つづきは、なんだと思う?

トトロじゃないよ

そう、となりの国って?

アメリカ?
中国?


けっこうあるよ。

・ロシア
・朝鮮
・韓国
・台湾

海を隔てた向こうも数えると、太平洋の向こうにはたくさん。
近所だと、こんな感じ。

この国、わかる?
オリンピックでの入場行進だ。

地図帳でしらべよう。
わかった?

そう。朝鮮半島だね。
こたえは、
北朝鮮民主主義人民共和国と
大韓民国だ。

もともとは一つの国だった。
かつて、日本が占領し、統治していたこともあるよ。
植民地にして、日本語をむりやり話させたんだったね。

太平洋戦争の後、2つの国に分かれて独立した。
朝鮮戦争もあったから、ややこしいことになった。
この写真は、国境を示している。

しかし、写真にあるように、実はお互いに親戚だった人もいる。
国は分かれても、統一を願っている国民は多いんだ。

さて、日本とくらべてみると、どんな違いがあるだろう。
たとえば、白菜。どうやって食べている?

韓国では、キムチにする。いろんな味付けを加えるようだ。
日本では、ぬか漬けにするけどその後洗って食べる。ずいぶんシンプルな味つけだね。

似ているけどちょっと違う。
それが「ご近所らしさ」なのかもしれない。

韓国の伝統的なくらしを見てみよう。
有名なのが、オンドル。
建物の床が、とても暖かくなっている。
だから、床に直接寝た方があったかい、ということもあるそうだよ。

この服装は見たことがある?

そうだね。チマ・チョゴリ。

timachogori


文字は?

ハングル文字は、日本で言うとかなのようなものだ。
漢字も使うけど、一部のようだ。

おもしろいのは、似ている言葉がたくさんあること。
たとえば、日本語の感謝。
韓国だと「カムサ」と発音する。かんしゃ、と似ているね。

日本と半島はずいぶん関係が深い。

もともと半島から日本に渡ってきた人はとても多いから、百済とか高麗とか、日本に地名がたくさん残っている。埼玉県には、高麗神社もあるよ。西日本には巨摩(こま)郡があり、東日本にも高麗(こま)郡がある。
『続日本紀』には、駿河甲斐など東国に高麗人一千七百九十九人が移住し高麗郡を設置した、とあるようだ。われわれのご先祖には大勢、半島からやってきた人がいたみたい。

朝鮮や韓国について、しらべてみたいことがあれば、ノートに書いてみよう。

【6年・社会】中国を知ろう その2~パワポDL可能~

今回のパワーポイント資料です。
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これを知っていますか?

百力磁

なんのことだろうね?

これは?

小熊餅

わかりますか?
もともとは日本のものです。


百力磁は プリッツ。
小熊餅は コアラのマーチ。

日本のお菓子を、中国の人たちもたくさん食べているんだね。

さて、日本のものをたくさん買っている国はどこだろう。
アメリカ?それとも中国?

最近の統計。2020年のデータだよ。
一位は中華人民共和国。
中国がもっとも日本のものをたくさん買ってくれる国だ。

逆に、日本がいちばんたくさんモノを買う相手の国はどこだろう?
アメリカ?それとも中国?

これも中国だ。

では日本は中国からいったい何を買っているのだろう。

スーパーなどで買い物をするとき、どんなものが中国産だろう?
また、テレビで中国産として紹介されているものを見たことがあるかな?

・スマホ
・洗濯機
・テレビ
・魚
・うなぎ
・野菜
・お漬物
・冷凍食品
などたくさん。

資料集には、

・大豆
・とうもろこし

も載っている。

これらは、アメリカからも買うし、中国からもたくさん買う。
日本人は、どうやら「大豆」をたくさん使うみたいだ。何に使うのだろう?

そうだね。大豆は日本人の食卓にたくさん出てくる。
・豆腐
・味噌汁
・納豆

とうもろこしも、お菓子をはじめ、人間が食べる場合もあるし、
飼料として、つまり家畜に食べさせるためにもたくさん買っているよ。

中国は昔から輸出が盛んだったのかな。

これを見ると、どうやらここ最近の10年間で日本を追い抜き、トップに出てきた。
(日本はこの10年間で逆に、どんどんと順位を下げたよ。ざんねん!!)

今、中国ですごく工業が盛んになっている都市がある。

1つめの有名な場所は「上海」しゃんはい。
2つめは「深セン」だ。シェンチェン、と読むよ。

この2つ以外にも、どんどんとたくさんの都市が、新しい工業都市として誕生している。

ただし問題もある。
大気汚染だ。

とくに冬はみんなが石炭で建物を暖める。
それで、大気汚染がひどくなっている。

中国のことで、しらべてみたいことはあるだろうか。
自分でも「自主学習ノート」にしらべてみたことを書いてみても良いね。

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