我が家には長年連れ添っている愛車がある。
年季が入っているぶん、乗るたびに「めちゃくちゃいい車だな」としみじみ思う。もちろん、世の中には数年ごとに最新のピカピカな新車へ買い替えるスマートなカーライフもあり、最新技術の快適さには私も正直ちょっと憧れる。
一方で、私の身近には一味違うベクトルで車を愛しているレジェンドがいる。近所に住む、半世紀ほど前のマツダ・ボンゴのオーナーだ。
ガレージの飾りではなく普通の足として使われている現役だ。お父さんから息子、そして孫へと3世代で引き継がれようとしている。
「リセールは考えないんですか?」
と聞いてみたら、
「そんなこと考えもしなかったなぁ」
とのこと。
彼らにとってその車は、すっかり家族の一員なのだろう。
車に限らず、長く付き合っていると、鉄が錆びたりボルトがへそを曲げたりと、こちらの都合を無視した小難しい一面が増えてくる。その都度「やれやれ」と泥臭く手を動かし、車の機嫌にこちらが合わせていく。
実はその、思い通りにならない相手に振り回されるプロセス自体が、なんだか段々と面白くなってくるから不思議だ。
この「思い通りにならないものに、自分のほうを合わせていく」というのは、「子育て」も実によく似ている。
子どもはこちらの思い描いた通りには絶対に動かない、予測不能の塊だ。四苦八苦しながら付き合っているうちに、親のほうが「まあ、そういうこともあるか」と余計な肩の力が抜け、むしろ自分の器を広げてもらっている気がする。
今の世の中は、とても優秀で、不快や不便をスマートに解決してくれる。
スイッチ一つで全てが快適になるのはありがたいけれど、あまりに何でも思い通りになりすぎる。
そして、それが「良い」とされてる。
だから、なんとなく、思い通りにならない「自然」は、目の敵にされてしまう。
最近、聞いてショックだったのは、歳を取った犬が捨てられる話だ。それは、自分が犬に癒してもらおう、ということなのだろう。
で、歳をとった犬には癒されなくなってしまったから、捨てる。
犬を飼うのは、その犬を自分が可愛がって癒してやろう、世話してやろう、ということだろうと思っていた。しかし、逆のパターンがあったわけだ。
だから、世の中が「少子化」なんていう大きな悩みを抱えることも、どこか頷ける気がする。
何しろ、子供という究極に思い通りにならない存在を前にして、大人はみんな、「思い通りになれば良い」という価値観で見ているのだろうから。
そういえば、子どもの世界では、スポーツの習い事が人気である。
私はこれは、ごく自然な成り行きだろうと思う。
おそらく、人は、何かしらの「自然」が欲しいのでしょうな。都会には畑がないから、「自分の思い通りにならない世界」となかなか出会えない。そこで、無意識のうちに、もとめているのではないだろうか。
サッカークラブ。サッカーのボールは、思うように動かない。
体操クラブ。自分の身体は、ぜんぜん思うように動かない。
合奏部。少しの油断で音を外す楽器。
いくらでも自由になると思い込んでいた自分の「息づかい」すら、本当に繊細な目で見たら、思い通りになっていない。
こうした世界を、親も子も、みんな本心では求めているのだろう。
とても貴重な体験だと思う。大人がどれだけお膳立てしても、本人がその対象に感覚をアジャストしていかなければ形にならない、
子どもとっては、初めての、「言うことを聞かない自然」がそこには、ある。
できたら親は、応援をしてやりたい。
しかし、そこで絶対に気をつけたいことがある。
それは、チームが勝ったとか、チームが負けたの勝ち負けの話に持っていかないことだ。
勝ち負けの話は、100%のうちのたった1%か2%にとどめるべきだ。
勝ったら嬉しい、負けたら悔しい、の気分の消費は、子供を疲弊させていく。
中にはいるらしい。勝った、負けたでしか話をしない親が。それは、親が気持ちを消費しているだけだ。
親が子供に癒されるのを求めてはいけない。
あんたが勝ったから、私が気分よく癒されたよ。では話にならない。
子どもがスポーツに取り組むのは、親の気持ちのためではない。親の欲しがる爽快感を求めるためではない。親の疲れた気分を癒し、爽快感を『消費』するためではない。
親は、心したい。そして、親は、自分も何かしら意に沿わない「自然」を相手に格闘するのが良い。そして、その「思い通りにならない、ならなさ」について、子どもと語り合うのが良いと思う。
最初から完璧にコントロールされた世界も快適だけれど、凸凹した対象と付き合い、自分の手で手入れをしていく関わりのなかに、人間らしい健やかさやクスッと笑える楽しさが隠れている。
まあ、本当に良いのは「畑仕事」ですね。日本人全員が畑仕事をするようになると、「自然」は思い通りにならないことを学習するから、子どもが親の意に染まらなくても、親の指示命令を聞かなくても、腹が立たないようになるのでは。
さて、愛車に草刈り鎌を積んで、草でも刈りに行きますか。
