学校に届くクレームの中には、
「学校は時代遅れでアップデートできていない」というのが多いです。
私はクレームと言う言い方は、あまり好きではない。その意見の中には、学校を、より良くしたいんだ。もっとみんなで幸せになりたいと言う根本の思いがあるはずです。
昔のことを否定するのは、案外と気持ちが良かったりします。
これは「逆張りの快感」とも通じる。
論破王とネット界隈で一時期もてはやされたことのあるひろゆき氏が、いよいよ逆張りをしよう、というときにうっすらと笑みを浮かべるのは、この「逆張りの快感」が働いているのでしょう。
これは100人以上人々が集まる集会場で、たった1人で逆張りをするときに、異常な位アドレナリンが出てくるのと同じ原理です。
つまり、昔から大切にされてきた習慣や、常識と呼ばれるものに対して、「実は違うんだ」と、コペルニクス的新発想を持ち込むのは、脳内物質の中にアドレナリンやドーパミンが大量に溢れる行為だと言うことです。まるでプロレスのリングにアントニオ猪木が颯爽と現れ、気分を盛り立てるバックミュージックと観客の大歓声の中で、大きな咆哮を響かせるのと同じだと思います。
なんせ、昔からあったものと言うのは、以前の世代の人たちがそれを大多数認め推進してきたということですから。
「実は太陽が動いてたんじゃなくて、僕たち地球の方が太陽の周りを回ってたんですよ」
とっくの昔のギリシャ人たちは知っていたけど、いつの間にか忘れ去られていた事実を再度このように蒸し返したとき、コペルニクスの脳内にも、とんでもない量のアドレナリンが分泌されたと思います。
学校に寄せられるこうしたコペルニクス的クレームのうちの1つが、
・和式トイレはもう古いから改築せよ
ですね。
実際にほとんど使われていませんから。お金があれば解決します。
さらに、槍玉に挙げられるのが、
・体育館の肋木(ろくぼく)
です。
この不思議な体操用具は、肌触りの良い木の棒がたくさん体育館の壁に沿って並べられているので、よく子どもがよじ登って遊んでいます。
これは、利権がらみでも何でもなく、スウェーデン体操と言う身体発達のための優れた運動用具でありまして、うまく使えば体のほとんどの筋肉を発達させることができます。ただそれをする時間は今の学校には残されていません。それをする時間は皆無だけど、一応道具だけ残ってますと言うのが、学校には割と多いです。私はこの話を聞いて癪に触ったので、体育館に行くとよくこれを使って子どもと遊んでいます。体育の授業の最初の5分とかで。
・黒板はもう古い、電子黒板でデータを残すべき
電子黒板って字が汚くなるんですよね。チョークだとあんなにきれいに書けるのに・・・。そう思っている先生たちが多いような気がします。でもこれもちょっとずつ変わっていってるように思います。
・プールはもう古い。
確かに、プールは命がけの授業で、今の若い先生たちは、プールの授業なんてできたらしたくないと思っていると思います。実際に教師志望でしたが諦めましたと言う若者の中に、もし自分がプールの授業中に子どもを死なせてしまったら取り返しがつかないと語った大学生がいました。教師にならなかった理由は、それだけ、彼はプールの不安だけが理由で教師になるのをやめたのです。
・防犯体制が古い
これもよく聞きますね。
狂った人間が刃物を持って入ってきたらどうするんだと。先生たちがうちの子を守ってくれるのかと。
これについては、教室に【さすまた】があります。
お金があれば解決できるのかなあ?
そうとも思えないですね。究極の対応としたら、時間がかかるけど、世の中の人々がみんな幸せになるしかないかな。
特に食べるのに困るとか、仕事に充実感がないとか、多くの人が幸せだと感じる要素をつぶしてしまうと、自殺率が増えたり、狂ったり自暴自棄になる人が増える気がします。社会全体のシステムの問題ですね。
・PTA活動のあり方
これはもう今、現在進行形で劇的に変わりつつあります。やりたい人が自分で手を挙げてできることだけをやっていこうとする現実的な路線に転換してます。いくら良いことでも、多くの人がそれによって苦しむのであればやらない方がマシということがたくさんあることがわかります。
・掃除のやり方が古い
つまり、電気を使え、ということです。電気掃除機でいいじゃないか、モップでいいじゃないか、なぜ雑巾がけなどさせるのだと言うことのようです。特におうちの方が日本出身でない保護者の場合、なんで子どもにこんな屈辱的なことをさせるのかとお怒りであると聞きました。つまり祖国では掃除と言うのは、身分の低い人がやることのようだったようです。
・宿題が古い
みんなが同じようなプリントを一斉にするというのが、一人ひとりの子どもにマッチしていないのではないかと感じる保護者がいるようです。
さて、クレームを列挙してきました。
いかがでしたか?
私は、どの意見を聞いても、なるほど、どれも一理はあるのだなぁと思えてなりません。やはりコペルニクス的発想と言うのは聞いていても気持ちが良いですね。歴史に対して人類に対して逆張りをしている、このことの【快感】は計り知れません。
こんな話を、とある先生たちとしていたら、かなり盛り上がりました。そこにいた5人の先生のうち、4人の先生は、大賛成。
いや、そりゃそうだよ。そのクレームは正しい。確かにその発想はなかったナ・・・。これまで間違っていたよね。もう今の時代にマッチしていないよ、学校は古いからね、もう古い事はやめなきゃいけないよ、と賛同していたのです。
ところが、たった1人、私と仲の良い若い男性の先生が、不気味に笑ってこういったのですヨ。
「いや、本当にそうなのかなぁ。そう思い込まされているだけかもしれないよ?」
それから、こうも言いました。
「あのう、それって、エビデンスがあるんすか?」
と、言ったのです!
私はそれを聞いて、まさかのアドレナリンが爆発しそうになりました。
な、なんと!
逆張りの逆張り!
これはさらなる過剰なエンドルフィン、アドレナリン、の分泌をもたらします。
逆張りが、つながればつながるほど、アドレナリンの量は指数関数的に増えるようです。
・和式のトイレには、実は多数のメリットが存在する
・昔ながらの黒板には、電子黒板にはないメリットが存在する
・肋木は上手に使えば、子どもの身体的機能も超絶高める
・プールの授業は、子供たちの特権であり、最高のリラックスタイム
たったひとつ、その若い先生が、やはりこれは正解だ、と言ったものがありました。それがPTA活動の運営の仕方が改善されたと言う点です。
「やりたい気持ちの人がやりたいと言う気持ちで、やれる時間に集まって、やれることだけを現実的に運営できる方法で支障なく進めていく」
まぁおそらくこれが最も人間的な行為なんでしょうね。持続可能と言う4文字を大事にする、今の時代感に、「やりたい人がやろうとする気持ちでやれるだけやってみる」という考えはマッチしていると思います。

「学校は時代遅れでアップデートできていない」というのが多いです。
私はクレームと言う言い方は、あまり好きではない。その意見の中には、学校を、より良くしたいんだ。もっとみんなで幸せになりたいと言う根本の思いがあるはずです。
昔のことを否定するのは、案外と気持ちが良かったりします。
これは「逆張りの快感」とも通じる。
論破王とネット界隈で一時期もてはやされたことのあるひろゆき氏が、いよいよ逆張りをしよう、というときにうっすらと笑みを浮かべるのは、この「逆張りの快感」が働いているのでしょう。
これは100人以上人々が集まる集会場で、たった1人で逆張りをするときに、異常な位アドレナリンが出てくるのと同じ原理です。
つまり、昔から大切にされてきた習慣や、常識と呼ばれるものに対して、「実は違うんだ」と、コペルニクス的新発想を持ち込むのは、脳内物質の中にアドレナリンやドーパミンが大量に溢れる行為だと言うことです。まるでプロレスのリングにアントニオ猪木が颯爽と現れ、気分を盛り立てるバックミュージックと観客の大歓声の中で、大きな咆哮を響かせるのと同じだと思います。
なんせ、昔からあったものと言うのは、以前の世代の人たちがそれを大多数認め推進してきたということですから。
「実は太陽が動いてたんじゃなくて、僕たち地球の方が太陽の周りを回ってたんですよ」
とっくの昔のギリシャ人たちは知っていたけど、いつの間にか忘れ去られていた事実を再度このように蒸し返したとき、コペルニクスの脳内にも、とんでもない量のアドレナリンが分泌されたと思います。
学校に寄せられるこうしたコペルニクス的クレームのうちの1つが、
・和式トイレはもう古いから改築せよ
ですね。
実際にほとんど使われていませんから。お金があれば解決します。
さらに、槍玉に挙げられるのが、
・体育館の肋木(ろくぼく)
です。
この不思議な体操用具は、肌触りの良い木の棒がたくさん体育館の壁に沿って並べられているので、よく子どもがよじ登って遊んでいます。
これは、利権がらみでも何でもなく、スウェーデン体操と言う身体発達のための優れた運動用具でありまして、うまく使えば体のほとんどの筋肉を発達させることができます。ただそれをする時間は今の学校には残されていません。それをする時間は皆無だけど、一応道具だけ残ってますと言うのが、学校には割と多いです。私はこの話を聞いて癪に触ったので、体育館に行くとよくこれを使って子どもと遊んでいます。体育の授業の最初の5分とかで。
・黒板はもう古い、電子黒板でデータを残すべき
電子黒板って字が汚くなるんですよね。チョークだとあんなにきれいに書けるのに・・・。そう思っている先生たちが多いような気がします。でもこれもちょっとずつ変わっていってるように思います。
・プールはもう古い。
確かに、プールは命がけの授業で、今の若い先生たちは、プールの授業なんてできたらしたくないと思っていると思います。実際に教師志望でしたが諦めましたと言う若者の中に、もし自分がプールの授業中に子どもを死なせてしまったら取り返しがつかないと語った大学生がいました。教師にならなかった理由は、それだけ、彼はプールの不安だけが理由で教師になるのをやめたのです。
・防犯体制が古い
これもよく聞きますね。
狂った人間が刃物を持って入ってきたらどうするんだと。先生たちがうちの子を守ってくれるのかと。
これについては、教室に【さすまた】があります。
お金があれば解決できるのかなあ?
そうとも思えないですね。究極の対応としたら、時間がかかるけど、世の中の人々がみんな幸せになるしかないかな。
特に食べるのに困るとか、仕事に充実感がないとか、多くの人が幸せだと感じる要素をつぶしてしまうと、自殺率が増えたり、狂ったり自暴自棄になる人が増える気がします。社会全体のシステムの問題ですね。
・PTA活動のあり方
これはもう今、現在進行形で劇的に変わりつつあります。やりたい人が自分で手を挙げてできることだけをやっていこうとする現実的な路線に転換してます。いくら良いことでも、多くの人がそれによって苦しむのであればやらない方がマシということがたくさんあることがわかります。
・掃除のやり方が古い
つまり、電気を使え、ということです。電気掃除機でいいじゃないか、モップでいいじゃないか、なぜ雑巾がけなどさせるのだと言うことのようです。特におうちの方が日本出身でない保護者の場合、なんで子どもにこんな屈辱的なことをさせるのかとお怒りであると聞きました。つまり祖国では掃除と言うのは、身分の低い人がやることのようだったようです。
・宿題が古い
みんなが同じようなプリントを一斉にするというのが、一人ひとりの子どもにマッチしていないのではないかと感じる保護者がいるようです。
さて、クレームを列挙してきました。
いかがでしたか?
私は、どの意見を聞いても、なるほど、どれも一理はあるのだなぁと思えてなりません。やはりコペルニクス的発想と言うのは聞いていても気持ちが良いですね。歴史に対して人類に対して逆張りをしている、このことの【快感】は計り知れません。
こんな話を、とある先生たちとしていたら、かなり盛り上がりました。そこにいた5人の先生のうち、4人の先生は、大賛成。
いや、そりゃそうだよ。そのクレームは正しい。確かにその発想はなかったナ・・・。これまで間違っていたよね。もう今の時代にマッチしていないよ、学校は古いからね、もう古い事はやめなきゃいけないよ、と賛同していたのです。
ところが、たった1人、私と仲の良い若い男性の先生が、不気味に笑ってこういったのですヨ。
「いや、本当にそうなのかなぁ。そう思い込まされているだけかもしれないよ?」
それから、こうも言いました。
「あのう、それって、エビデンスがあるんすか?」
と、言ったのです!
私はそれを聞いて、まさかのアドレナリンが爆発しそうになりました。
な、なんと!
逆張りの逆張り!
これはさらなる過剰なエンドルフィン、アドレナリン、の分泌をもたらします。
逆張りの→逆張りの→逆張りの→逆張りの→・・・と、つづけば続くほど・・・
逆張りが、つながればつながるほど、アドレナリンの量は指数関数的に増えるようです。
・和式のトイレには、実は多数のメリットが存在する
・昔ながらの黒板には、電子黒板にはないメリットが存在する
・肋木は上手に使えば、子どもの身体的機能も超絶高める
・プールの授業は、子供たちの特権であり、最高のリラックスタイム
たったひとつ、その若い先生が、やはりこれは正解だ、と言ったものがありました。それがPTA活動の運営の仕方が改善されたと言う点です。
「やりたい気持ちの人がやりたいと言う気持ちで、やれる時間に集まって、やれることだけを現実的に運営できる方法で支障なく進めていく」
まぁおそらくこれが最も人間的な行為なんでしょうね。持続可能と言う4文字を大事にする、今の時代感に、「やりたい人がやろうとする気持ちでやれるだけやってみる」という考えはマッチしていると思います。
