江戸というところは、狭い長屋に、何人もの人が、協力して住んでいまして、そこには当然、子供もたくさんいたわけで、生まれたての赤ちゃんに限らず、隣近所の小さな子供を、どんなふうにして子育てしているのか、お互いに見ることが多かったのでしょう。

そうすると、こんな川柳が生まれるわけですね。

寝ていても、うちわの動く親心

なるほどなぁ。
たった17文字ですが、その場の状況がさっと目の前に浮かんでくるようです。

添い寝中にウトウトと寝てしまった親が、それでも我が子をあおぐ手だけは止まらない様子。

親の気持ちが伝わってくる。

なんだ。江戸時代も今も全然変わらないじゃないか。何世代前の親だって、疲れていたら、自分も寝てしまうだろう。しかしながら、子どもを仰いでいたその手は止まらないで、子どもには涼しい思いをさせてやりたいんだろう。

この川柳が載っていたのが、誹風柳多留(はいふうやなぎだる)。
江戸時代中期から幕末まで、ほぼ毎年刊行されていた川柳の句集であります。

他にも、こんなのが有名で、皆さん聞いたことがあるでしょう。

これ小判たった一晩ゐてくれろ

今は、キャッシュレスの時代ですが、昔は10,000円札と言うと大金でした。
特に聖徳太子の時代は、他のお札に比べて、ひときわ大きく、お財布の中でも存在感がありました。その聖徳太子も、たいてい短期間でいなくなるのですが・・・。

まあ、想像するに、江戸という街は、向こう三軒両隣というように、お互いの子育ての様子なんかも、暑い夏の夕方の、開け放した障子の向こう側によく見かけたんでしょうね。

そして、そんな長屋の中に、住人たちの親代わりのようにしていたのが、ご隠居さんと呼ばれる老人。あるいは長屋の大家さんが、そういう立場なのでした。

たいてい誰かが誰かの面倒を見ており、逆に、全員、ほかの誰かに見てもらっていたんでしょう。

その中には、大抵はみ出し者もいたでしょうし、吹きこぼれたような素行の悪いのもいたに違いありません。しかしそんな人たちもあれはあれでいいところもあるんだ、と、表面的には現れないその個性の良さを認めてくれるような、大きな広い心が、包み込むようにして、そこに存在したにちがいない。

大家さんやご隠居さんが、そんなふうにして、若い住人たちを、そっと見守っていたのだろう、そしてそれこそが本当の親心というものだろう、と思うのです。

さて、新しい学級がスタートしました。新しい教室、新しい机に、小さな子供が1人1人座っておりましたよ。
そして、元気よく、返事をしてくれました。

私は子どもを一人一人見ていると、その背後に、夏の暑い日、子どもをうちわで仰いであげているような親の姿が想像できるのです。
そしてその親をさらに、そっと支えているような存在が、きっといるのでしょう。さらに大きな大きな包み込むような存在の方が。

ああ・・・
じいじ、ばぁばは、偉大ですなぁ。

きっと、自分も子育てをしてきて、さらに若いお母さんが子育てをしているのを何人も見てきて、それがどんな子育てであろうと、口を出さずに、そっと見守って、本当に何かコトが起きて必要なときには、すぐにでも助けようとする人が、ですね。

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