今年になって、学級経営と言う言葉が引っかかるようになってきました。
言葉の元の意味としては、全く問題のないことであり、言葉の原点に立ち帰れば当然あるべき言葉です。
しかし、我々教師の意識として、どうにもついて回るうさんくさい意識があり、そのことから、逃れたいと言う気持ちが出てきたのです。
それが経営と言う言葉の後ろに隠されている意識で、「このようにすればうまくいく」と言うものです。
教師がこのような意識で、このような指示を出し、このように子供と接すれば、子供との関係がうまく作れてうまくいくと言うストーリー。これが最近語られている学級経営と言う言葉の意味になってきているような気がします。
ところが、教師がいくら何かを願って、何か行動したところで、それがうまくいったいかなかったと言うふうに捉えるのは間違っていると思うようになりました。
そもそもうまくいくとかうまくいかないと言うことも無いのではないか?というのが、今の心境です。
無い。
うまくいくとかうまくいかないとか、そういうものがそもそもないのではないかと言うことです。
だから、うまくいかせようと思って、何かをすると言うことが、そもそもないのではないか?・・・と。
なぜそんなことを思うようになったかと言うと、年末にある研修を受けたのですが、その研修がもう5分後には嫌になっていて、開始5分後にもう参加しているのさえ辛くなってきたからです。
その研修は、要するに、どういうものだったかと言うと、「こうすれば、うまく子供が操作できる」と言うものでした。
いわゆる教育技術と呼ばれるようなものですね。
20年前の私ならそれを喜んで受け入れたかもしれません。でも、今の私には全く不要だとさえ思いました。
というか、20年前の私ですら、それは害悪だったでしょう。
要するに、子供を操作しようとか、変えようと思うこと自体が、すべての誤りの出発点だったように思うのです。
そして教師が何かをしたから、きっと子供にはこのことが良い影響になるだろうと言うのは、完全に教師の思い上がりであり、私たち教師が何かをしたら、そのことの効果が上がると思っていること自体が思い違いなのです。
教師が何かアクションをすると、きっと良いことがあるだろうと言うのが既に間違いだと思うのです。
では、なぜ教師が学校などと言う制度の中で、子供に対してアクションを起こしているのでしょうか?
それは子供の安全を守るためです。
それと、子供が安心するからでしょう。おそらく・・・その2つでしょうね。
教師が何かをしたところで、うんと効果があるなんて事は無いのです。
おそらくほとんど効果のないことを試しにちょっとだけやってみると言うのが教師の事実です。それらはほとんど効果はありません。もし、あったとしたら飛び上がって喜ぶべきです。さらに言うと効果があったと言うふうに判断するのは、少なくとも10年後の子供たち本人です。我々教師は、口が裂けても効果があったと言い切ってはいけません。

言葉の元の意味としては、全く問題のないことであり、言葉の原点に立ち帰れば当然あるべき言葉です。
しかし、我々教師の意識として、どうにもついて回るうさんくさい意識があり、そのことから、逃れたいと言う気持ちが出てきたのです。
それが経営と言う言葉の後ろに隠されている意識で、「このようにすればうまくいく」と言うものです。
教師がこのような意識で、このような指示を出し、このように子供と接すれば、子供との関係がうまく作れてうまくいくと言うストーリー。これが最近語られている学級経営と言う言葉の意味になってきているような気がします。
ところが、教師がいくら何かを願って、何か行動したところで、それがうまくいったいかなかったと言うふうに捉えるのは間違っていると思うようになりました。
そもそもうまくいくとかうまくいかないと言うことも無いのではないか?というのが、今の心境です。
無い。
うまくいくとかうまくいかないとか、そういうものがそもそもないのではないかと言うことです。
だから、うまくいかせようと思って、何かをすると言うことが、そもそもないのではないか?・・・と。
なぜそんなことを思うようになったかと言うと、年末にある研修を受けたのですが、その研修がもう5分後には嫌になっていて、開始5分後にもう参加しているのさえ辛くなってきたからです。
その研修は、要するに、どういうものだったかと言うと、「こうすれば、うまく子供が操作できる」と言うものでした。
いわゆる教育技術と呼ばれるようなものですね。
20年前の私ならそれを喜んで受け入れたかもしれません。でも、今の私には全く不要だとさえ思いました。
というか、20年前の私ですら、それは害悪だったでしょう。
要するに、子供を操作しようとか、変えようと思うこと自体が、すべての誤りの出発点だったように思うのです。
そして教師が何かをしたから、きっと子供にはこのことが良い影響になるだろうと言うのは、完全に教師の思い上がりであり、私たち教師が何かをしたら、そのことの効果が上がると思っていること自体が思い違いなのです。
教師が何かアクションをすると、きっと良いことがあるだろうと言うのが既に間違いだと思うのです。
では、なぜ教師が学校などと言う制度の中で、子供に対してアクションを起こしているのでしょうか?
それは子供の安全を守るためです。
それと、子供が安心するからでしょう。おそらく・・・その2つでしょうね。
教師が何かをしたところで、うんと効果があるなんて事は無いのです。
おそらくほとんど効果のないことを試しにちょっとだけやってみると言うのが教師の事実です。それらはほとんど効果はありません。もし、あったとしたら飛び上がって喜ぶべきです。さらに言うと効果があったと言うふうに判断するのは、少なくとも10年後の子供たち本人です。我々教師は、口が裂けても効果があったと言い切ってはいけません。
