前回の記事で、学校から減らすものなくすもの、そして増やすもののリストをあげた。

そして、その最後に
【始めたり増やしたりするのは簡単だが、終わらせたりやめたりするのはめちゃくちゃ難しい】
と言うことを書いた。

すると、このことについて、私に直接メッセージくれた読者の方がいた。
確かに、そう思う、・・・と。
現にヨーロッパの戦争は、いまだに集結していないではないか、と・・・。

ホントですわ・・・。ゼレンスキーさんよ・・・。

人間関係のことを考えると、結婚もそうだろうと思う。
恋人同士になるのは、割と簡単で、その気になればすぐだ。
結婚するのも簡単だろう。その気になればスムーズなことが多い。

しかし、これを解消するのが難しい。
別れると言う事は、人間は非常に苦手なのだ。付き合い始めるのは簡単だが、それをうまく止めることが難しいと感じる人が多いんだろう。
昭和の歌謡曲だけではなく、万葉集の昔から、人は、過去に生きているために、未練もあろうし、寂しさもあろうし、あの時、あーすればよかったと言う後悔もあるから、やっぱりやめたくない、終わらせたくないと願うのが人間のようである。

子供の喧嘩も見ていると、あっという間に始まってしまう。
喧嘩を始めるのは超簡単なのだ。
これは、人間の認知能力が非常にもともと狭いもので、ある方向からしか物事を見られないために誤解を生じやすいから、致し方ない面もある。

しかし、人間がこれだけ2000年以上も、文明を発達させているのに、喧嘩を止める方法と言うのは、未だ開発されていないところを見ると、多分、私を含めてホモサピエンスには、そのことを思いつく基盤がないのだろうと思う。

基盤がないのだから、要するに、そんな事は、今の人間たちには無理なのだろうとさえ思う。

ちなみに、その方法を、今の時代に誰かが唱え始めたとしても、全く共感はされない。なぜなら、荒唐無稽で、そんなのは無理だと言う概念に違いないからだ。



さて、ウクライナの戦争は、トランプ大統領になってから、なんだか方向が変わってきた気がする。
特に、トランプ大統領がプーチンと直接話し合い、その場にゼレンスキーを呼ばなかったところを見ると、急転直下、物事が進むような気がする。

トランプは、セレンスキーやウクライナのことを考えず、どうやら戦争を終わらせようとしている。
おそらくプーチンにもそのまま占領した領地を認めてしまうのではないか。

セレンスキーさんは、亡命するか、どこかに身を隠すことになる。今やトランプの目の上のたんこぶだからね。

ゼレンスキーを含めた政府首脳がスイスに亡命し、ウクライナの戦争は、トランプの鶴の一声で終わってしまうのではないか。

領土問題はそのままだ。
ヨーロッパも文句は言うまい。誰もプーチンと渡り合える人がいないからだ。

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仮にそうなった場合の次の展開はどうか。

これはアメリカの独走が始まる。
中国はそれに対抗したいだろうが、アメリカは中国とどこまでも様々なチャンネルで脅したり懐柔したり譲歩したり責めたりしながら、なんとか付き合っていくことだろう。
中国政府は恐怖支配をますます強め、監視を増やして1984をさらに進めるだろう。見せかけの民主主義と共に。

人々の考えは、おそらく二分されていく。トランプのように、【即断する強烈な支配】を好む層と、【ゆっくりで良いから弱者に寄り添う】層と。

そして、どちらにも共通する欠点が、

一旦始めた喧嘩を止める方法が見つからない

と言う点である。

ところが、小学校のクラスには喧嘩を止める方法が実は存在しています。
社会学者も、憲法学者も、政治国際学者も誰も注目しないんですが、実は足元に解決方法はあります。

それがお互いに諦めるということです。

小学生、特に低学年はすぐに言いますよ。
「ごめんね」
「いいよ」

特に年配の先生はそれを聞いてぎょっとします。

え?
いいの?
それで許しちゃうの?
ほんとにいいの?

・・・ってね。

夕方になって、保護者にそれを電話で伝えると、

「え?子供は許しても私が許しません!絶対許せないです!弁償してもらっても絶対許しません!」

と、保護者からは文句が出ますけどね。