小学生は、6年生の歴史の授業で、いったい最終的にはどんな態度を身につけることが目標なのか。
みなさんはどう考えますか?
もっとも避けたいシナリオは、
「どうせ滅亡だ」とする破滅論です。
これからの未来はどうなっていくのか、一番希望に胸膨らませてほしい少年や少女たちが、肩を落として「なにをやったって、どうせ無駄なことだ」と意気消沈していたら、本当にこの世は終わりでしょう。
ただ、破滅論にも意味はあるのでせう。これはリスクマネージメントにつながるような意味では必要な論なんであります。
大人の世界にはこういった「リスク」について考える視点が必要で、たとえば南海トラフ沖の大地震は高確率で起こるだろうから、都市機能や行政機能は従来のハブ・スポークデザインで国内に設置するのではなく、個々の都市が重要な役割をそれぞれ持ったネットワーク型にすべき、というような視点は、このような「滅亡イメージ論」から生まれることが多いです。優れた行政マンや政治家がSF好きなのはうなずけますね。SF作品はリスクを眼前に突きつけますから。
ところが子どもたちは、その大前提としての、
人類が平和と平等に向かって突き進みつつある
という第一の王道について学習すべきなのです。
18世紀末ごろからのフランス革命や貴族階級の特権廃止やアメリカの独立革命を端緒として19世紀の奴隷制の廃止、労働運動の高まり、選挙権の拡大が起こりました。
そして20世紀になって社会保障の発達、累進課税、植民地の独立といった流れがあったのです。
まさにこれが今の子どもたちが学習すべき最終地点だと思います。
大きな流れをつかみ、そこから各自が次の世界、社会を想像することが大事なのです。
あくまで長い歴史を見て行った時に、平等に向かう「大きな流れ」は強く存在していると考えることで、今の政治的苦難にどう対処すべきかも見えてくる。
これは昨今有名な社会学者・経済学者であるピケティの言葉です。
まさにこれからの世の中を切り開いていかねばならない子どもたちには、絶対に必要な知であり見識であり、常識ですね。
わたしはこれからの小学生は、平等、ということを学ぶために、おそらく税金をだれが多く負担するか、ということについても議論すべきだと思います。
金持ちの減税をするべきなのか、それとも貧困者の減税をすべきなのか。
減税と叫ぶ政治家の多くは、「金持ちの減税」を実施しようとしています。
富裕層の減税をいくらしたところで、社会の中間層は「では俺達が税を負担しよう。仕方がない」とは思わないでしょう。
小学生は、そのへんのところをどう考えるのか。
平等とは何なのか、面白い議論だと思います。
財務省は小学生向けの「税金を学ぶブックレット」などを出版し、学校で扱うように運動していますが、その内容には「富裕層」「中間層」「貧困層」という区別はまったく書いてありません。
しかし実態とかけ離れてはいけませんから、ぜひ明記すべきだろうとわたしは思います。
それこそ無着成恭のやまびこ学校では、「なぜわれわれは貧困なのか」について、真正面から問うことが生きるチカラを生むのだ、と考えて「考え続ける小学生」を育てました。
かつてこの誇り高い日本には、このような学習もあったわけで、その価値を再認識すべきだろうと思います。

みなさんはどう考えますか?
もっとも避けたいシナリオは、
「どうせ滅亡だ」とする破滅論です。
これからの未来はどうなっていくのか、一番希望に胸膨らませてほしい少年や少女たちが、肩を落として「なにをやったって、どうせ無駄なことだ」と意気消沈していたら、本当にこの世は終わりでしょう。
ただ、破滅論にも意味はあるのでせう。これはリスクマネージメントにつながるような意味では必要な論なんであります。
大人の世界にはこういった「リスク」について考える視点が必要で、たとえば南海トラフ沖の大地震は高確率で起こるだろうから、都市機能や行政機能は従来のハブ・スポークデザインで国内に設置するのではなく、個々の都市が重要な役割をそれぞれ持ったネットワーク型にすべき、というような視点は、このような「滅亡イメージ論」から生まれることが多いです。優れた行政マンや政治家がSF好きなのはうなずけますね。SF作品はリスクを眼前に突きつけますから。
ところが子どもたちは、その大前提としての、
人類が平和と平等に向かって突き進みつつある
という第一の王道について学習すべきなのです。
18世紀末ごろからのフランス革命や貴族階級の特権廃止やアメリカの独立革命を端緒として19世紀の奴隷制の廃止、労働運動の高まり、選挙権の拡大が起こりました。
そして20世紀になって社会保障の発達、累進課税、植民地の独立といった流れがあったのです。
まさにこれが今の子どもたちが学習すべき最終地点だと思います。
大きな流れをつかみ、そこから各自が次の世界、社会を想像することが大事なのです。
あくまで長い歴史を見て行った時に、平等に向かう「大きな流れ」は強く存在していると考えることで、今の政治的苦難にどう対処すべきかも見えてくる。
これは昨今有名な社会学者・経済学者であるピケティの言葉です。
まさにこれからの世の中を切り開いていかねばならない子どもたちには、絶対に必要な知であり見識であり、常識ですね。
わたしはこれからの小学生は、平等、ということを学ぶために、おそらく税金をだれが多く負担するか、ということについても議論すべきだと思います。
金持ちの減税をするべきなのか、それとも貧困者の減税をすべきなのか。
減税と叫ぶ政治家の多くは、「金持ちの減税」を実施しようとしています。
富裕層の減税をいくらしたところで、社会の中間層は「では俺達が税を負担しよう。仕方がない」とは思わないでしょう。
小学生は、そのへんのところをどう考えるのか。
平等とは何なのか、面白い議論だと思います。
財務省は小学生向けの「税金を学ぶブックレット」などを出版し、学校で扱うように運動していますが、その内容には「富裕層」「中間層」「貧困層」という区別はまったく書いてありません。
しかし実態とかけ離れてはいけませんから、ぜひ明記すべきだろうとわたしは思います。
それこそ無着成恭のやまびこ学校では、「なぜわれわれは貧困なのか」について、真正面から問うことが生きるチカラを生むのだ、と考えて「考え続ける小学生」を育てました。
かつてこの誇り高い日本には、このような学習もあったわけで、その価値を再認識すべきだろうと思います。
