実家に帰って、藤の木の剪定をした。
藤の木は、つる性でいろんな風に伸びていく。母が切ろうとするが、母は背が小さい。これまでは、近所に住む姉がちょこまか切ってくれていた。
しかし、20年目となると、そろそろ手の届かない範囲が増えてきた。
そこで、私がノコギリでかなり強めに剪定をした。
できるだけ家の敷地から外へ出ないように、枝の伸びる方向を考えて切っていくと、すでに一度、かなり前に切ったことのある場所などが見えてきた。
おそらく、当時も枝が妙な方向へと伸びたのだろう。デベソにすることなく、きれいに切り落とされている。傷跡はもうすでに樹皮で修復されたように盛り上がり、見た目は分からなくなっていた。しかし、木の方向をあれこれ考えながら、枝ぶりを1本1本、確かめていくと、そうしたこれまでの枝打ちの跡が見えてきたのだ。
母がしたのではない。それはノコギリを使った男の仕業であった。
父が亡くなって、もう六年。
意外なことに、庭木の手入れをすると、ひょんなことから、父の仕事ぶりを見ることになった。
時折、亡くなった人を思い出すことはある。別に墓参りや仏壇の前で手を合わせる時だけでなくとも。
しかし、こうしてふと、その人の具体的な行動の後や、仕事の残った形跡に出会うのは、予期していなかった分、とてもリアルにその人を実感するものだ。
たしかに父のだろう、と思うような仕事の跡は、藤の木の途中まで、見つかった。その先は、枝が暴れていた。
父は大病を患って入院し、長く闘病したから、それ以後の枝はメンテされなかった。途中まで、父が誘引などしたのだろうな、と私には見えた。フェンスに沿って、太い枝がきれいに2本、等間隔で這っているところは、A型の父の性格を思わせた。
亡くなってからの6年で、さらに藤の木は伸びた。私は、自分で剪定できそうな範囲におさまるよう、将来を考えて枝の方向を決めた。
作業の終わりかけ、脚立を片付けようとして、ふと思いついてまた脚立に昇った。で、写真を撮りました。
息子に見せるため、ね。
じいちゃんの剪定の跡だぜ、と。
まあ、息子は軽く、「ふうん」と言うだけだろうけど。

藤の木は、つる性でいろんな風に伸びていく。母が切ろうとするが、母は背が小さい。これまでは、近所に住む姉がちょこまか切ってくれていた。
しかし、20年目となると、そろそろ手の届かない範囲が増えてきた。
そこで、私がノコギリでかなり強めに剪定をした。
できるだけ家の敷地から外へ出ないように、枝の伸びる方向を考えて切っていくと、すでに一度、かなり前に切ったことのある場所などが見えてきた。
おそらく、当時も枝が妙な方向へと伸びたのだろう。デベソにすることなく、きれいに切り落とされている。傷跡はもうすでに樹皮で修復されたように盛り上がり、見た目は分からなくなっていた。しかし、木の方向をあれこれ考えながら、枝ぶりを1本1本、確かめていくと、そうしたこれまでの枝打ちの跡が見えてきたのだ。
母がしたのではない。それはノコギリを使った男の仕業であった。
父が亡くなって、もう六年。
意外なことに、庭木の手入れをすると、ひょんなことから、父の仕事ぶりを見ることになった。
時折、亡くなった人を思い出すことはある。別に墓参りや仏壇の前で手を合わせる時だけでなくとも。
しかし、こうしてふと、その人の具体的な行動の後や、仕事の残った形跡に出会うのは、予期していなかった分、とてもリアルにその人を実感するものだ。
たしかに父のだろう、と思うような仕事の跡は、藤の木の途中まで、見つかった。その先は、枝が暴れていた。
父は大病を患って入院し、長く闘病したから、それ以後の枝はメンテされなかった。途中まで、父が誘引などしたのだろうな、と私には見えた。フェンスに沿って、太い枝がきれいに2本、等間隔で這っているところは、A型の父の性格を思わせた。
亡くなってからの6年で、さらに藤の木は伸びた。私は、自分で剪定できそうな範囲におさまるよう、将来を考えて枝の方向を決めた。
作業の終わりかけ、脚立を片付けようとして、ふと思いついてまた脚立に昇った。で、写真を撮りました。
息子に見せるため、ね。
じいちゃんの剪定の跡だぜ、と。
まあ、息子は軽く、「ふうん」と言うだけだろうけど。
