「批判ばかりせず、対案を出してくれ」
「自分で選んだ道だろう? 自己責任だ」
「ウチの会社に不満があるなら、辞めればいい! 」
「騙されたと思ってやってみてよ。体験すればきっとわかる」
こんな言い回しをする人からは、そっと離れた方が良い。
このことを道徳の授業で扱いたいが、なかなか良い指導案を作らないできてしまった。
そもそも、教員になったらやりたかったことがある。
大きくは次の2つだ。
一つ目が、大声で叱るとか叱責するとかをしない、圧迫しないこと。
これは、すでに校長先生に褒めてもらえるまで実現できた。
二つ目が、信じてしまうことの愚かさを学ぶこと。
東洋大の井上円了先生の話を以前書いたが、人間は信じやすい。特に子どもは批判的精神(岩崎武雄)が未成熟で、自分が思ったことは事実だとしやすく、その危うさを学ぶことが必要だからです。
ポイントは3つ。①権威を無批判で信じ込むな。②過信するな。③常識を無批判で受け入れるな。
肯定したいときほど、あえて自身で否定を選び、本当はどうか、と考えなくてはいけない。肯定のための否定、というのが当たり前にあるのです。
これまでも道徳の「決めつけない」という単元学習では、カルト的思考の危うさを題材にして討論したり、自分の見たものや経験したこと、聞いたことは事実と考えやすいことなどを学んだりしてきました。
これは、まだ自分では納得するレベルまで、形にできていない。チャレンジは継続しているけど・・・
なんとか、誰にでも実践できる手引書のようなものを作りたいと思う。
しかし、これは宗教を信じる子どもにも少し影響するから、少しデリケートなんだよね。
誤解されないよう、カルトという狭義の固定的単一思考回路が、いかに非生産的で幸福にならないか、ということです。偏執的なナショナリズムもそうですね。
まだやること多い。志半ばの今であります。

「自分で選んだ道だろう? 自己責任だ」
「ウチの会社に不満があるなら、辞めればいい! 」
「騙されたと思ってやってみてよ。体験すればきっとわかる」
こんな言い回しをする人からは、そっと離れた方が良い。
このことを道徳の授業で扱いたいが、なかなか良い指導案を作らないできてしまった。
そもそも、教員になったらやりたかったことがある。
大きくは次の2つだ。
一つ目が、大声で叱るとか叱責するとかをしない、圧迫しないこと。
これは、すでに校長先生に褒めてもらえるまで実現できた。
二つ目が、信じてしまうことの愚かさを学ぶこと。
東洋大の井上円了先生の話を以前書いたが、人間は信じやすい。特に子どもは批判的精神(岩崎武雄)が未成熟で、自分が思ったことは事実だとしやすく、その危うさを学ぶことが必要だからです。
ポイントは3つ。①権威を無批判で信じ込むな。②過信するな。③常識を無批判で受け入れるな。
肯定したいときほど、あえて自身で否定を選び、本当はどうか、と考えなくてはいけない。肯定のための否定、というのが当たり前にあるのです。
これまでも道徳の「決めつけない」という単元学習では、カルト的思考の危うさを題材にして討論したり、自分の見たものや経験したこと、聞いたことは事実と考えやすいことなどを学んだりしてきました。
(以前書いたカルト学習、という記事もどうぞご参照を)
これは、まだ自分では納得するレベルまで、形にできていない。チャレンジは継続しているけど・・・
なんとか、誰にでも実践できる手引書のようなものを作りたいと思う。
しかし、これは宗教を信じる子どもにも少し影響するから、少しデリケートなんだよね。
誤解されないよう、カルトという狭義の固定的単一思考回路が、いかに非生産的で幸福にならないか、ということです。偏執的なナショナリズムもそうですね。
まだやること多い。志半ばの今であります。
