むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに。

これは、井上ひさしさんの言葉です。

小学校や中学校の、すべての営みがこうあると良いなあ、と思わせる言葉です。
もしかしたら、高校もそうかも。

とくに良いなと思うのは、

やさしいことをふかく

という部分ですな。
易しいことを深く、というのは、思いのほか難しいことです。易しいと一見思われることも、それを本当に真正面に据えて、取り組もうと思えば、なんにしてもなかなかに難しいことであることが多いからで、

すべての授業がこうであるべきだと思いますな。

そんなの簡単!
と、子どもに言わせるようでなければいけないと算数をしていると思いますし、国語の物語を読んでいるときは、あれ?意外と裏の解釈もあるぞ、そっちの方がさらにおもしろそうだ、と言わせたいです。

今、4年生ではごんぎつねを習っておりますが、ただ、狐が死んじゃう話、というだけではなく、作者の新海南吉(『あめ玉』の作者)が、なぜ物語の最後で、兵十にぱったりと火縄銃を落とさせたのか、その心の深い動きまで読み込ませたいと思いますね。

本当なら、昔の国語の教科書5年生に掲載されていた、あめ玉を続けて読ませることで、新美南吉と言う作者が、世の中をどう見ていたのか、考えるきっかけにもできると思いました。

あめ玉では、威厳のあるはずのお侍さんが、実は、普通の人と変わらなく、世間体や体裁、恥ずかしさを感じることがあり、強そうに見えるかもしれないが、実際にはただの弱い普通の人間だ、と言うことになっておりました。

ごんぎつねでも、兵十のことが、狐から見ると、大きな力を持つ存在に書かれていますが、実際にはそうではなく、仲間に神様のおかげだとさとされたら、そうかなぁと半分信じたり、火縄銃を持てば、狐を撃つのですが、すぐにしまった。やるべきではなかったと思うことのできるただの普通の人なのです。


それにしても、井上ひさしさんを、久しぶりに思い出すことができました。
あの、くだらない長編、吉里吉里人の作者だと思うと、あのくだらなさと、今回紹介したこの文章との乖離がすごく印象深いです。しかしまた、井上ひさしが、若い頃に、ひょっこりひょうたん島を書いていたのを知ると、この方の才能の豊かさに、改めてリスペクトの気持ちが湧きます。

もう一度文章を掲載します。

むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに。

何度も味わいたい言葉です。

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