映画館についても、なかなか入場する気にはならない。
なぜかと言うと、映画のタイトルやポスター類をみても、どんな映画なのか、よくわからないのだ。
ともかく、私のその時の希望は、
できるだけ音が少なく、爆発などせずに、欲を言えば、あまり複雑なストーリーではなく、できるだけ楽にぼーっとして見られる映画が見たい。
ということだった。
何せ2時間近くも、座っているだけで疲れるのである。
画面の向こうに、大きな音が聞こえて、破裂などしていれば、聞いているだけで疲れてしまう。
できるだけ、静かそうなのが良かった。最後まで、静かでおとなしそうなのが。
できたら、ドキドキハラハラもしたくない。
こんなこと言うと、そんなつまらなさそうな映画どうして見るの?
などと、おそらく、若い人ほど言うに違いない。私も若い頃はそうだった。スリルを求めた。サスペンスが好きで、ハラハラ・ドキドキすればするほど満足した。
自分も今日映画館に着くまでは、自分のことをそうだと勘違いしていた。
実際にその場に着くと、私は自分の年齢を自覚した。もう、ドキドキ、ハラハラすら、求めなくなっていたのである。
その代わり、起承転結も必要なく、できたら、起・承・承・・・・くらいが望ましい。結すら不要である。主人公のその後がどうだろうが、どうでも良い。それぞれが好き勝手にすれば良いだけのことだ。
私は、究極的には、どこかの何も知らぬ爺様が出てきて、そのおじいさまが、朝起きて、起き上がって、椅子に座って、新聞を読みながら、茶をすすっている、たったそれだけの映像を、2時間連続で見たほうが、どんなにか、人生について考えられるかとも思う。
そのような映画があれば、私は毎日でも見に行きたい。
今度のじいさんが、前回のじいさんと、どのようにお茶のすすり方が違うか、それだけでも本当に勉強になると思う。そして、そこから、彼の人生と、これまでの遍歴と、人生観の違いすら感じることができそうだ。
新聞を取っているかどうか、どこの欄から読み始めるのか、お茶を飲むのか、それともホットミルクを飲むのか、あるいは使い古したマグカップなのか、それとも寿司屋の湯のみなのか。
座っている椅子はどんな風か、腰をかけて、どんなふうにため息をつくのか。
その様子を眺めているだけで、人生を考えることができる。
映画館に要望がある。
静かな映画にはサイレントの頭文字である【S】と言う記号を、タイトルの横につけて欲しい。そうすれば、私のようにもうドキドキもびっくりもしたくない。静かにぼーっとしていたい人も、その映画を選択できるからだ。
体力がない。ドキドキする体力は、夏休みの研修をこなしている現役の教師には、もう残っていないのである。
私がそんなふうに、できるだけ静かな映画を探していたところ、1つ見つけた。
それが、【90歳。何がめでたい】という、佐藤愛子さんのエッセイ集を元にした映画であった。
これは、静かだろうな。
直感が当たった。
映画は、期待通りの静けさであった。
草笛光子さん演じる、愛子ばあさんの一挙手一投足を見ているだけで、こみ上げてくるこの満足感がたまらなかった。
火薬はいらない。
盛り上げもいらない。
淡々と人生の日々の出来事が繰り返されていくのが、この人生の最も価値のある瞬間だ。また、その人一人ひとりの自己決定の清々しさを、他人はすべからく尊重するべきで、そうなると、人は必然的に余計な口出しをしなくなる。
【90歳。何がめでたい】は、そんな映画でありました。良い映画を見た、という満足が、帰り道の私の足取りを軽くした。
この夏、オススメであります。
なぜかと言うと、映画のタイトルやポスター類をみても、どんな映画なのか、よくわからないのだ。
ともかく、私のその時の希望は、
できるだけ音が少なく、爆発などせずに、欲を言えば、あまり複雑なストーリーではなく、できるだけ楽にぼーっとして見られる映画が見たい。
ということだった。
何せ2時間近くも、座っているだけで疲れるのである。
画面の向こうに、大きな音が聞こえて、破裂などしていれば、聞いているだけで疲れてしまう。
できるだけ、静かそうなのが良かった。最後まで、静かでおとなしそうなのが。
できたら、ドキドキハラハラもしたくない。
こんなこと言うと、そんなつまらなさそうな映画どうして見るの?
などと、おそらく、若い人ほど言うに違いない。私も若い頃はそうだった。スリルを求めた。サスペンスが好きで、ハラハラ・ドキドキすればするほど満足した。
自分も今日映画館に着くまでは、自分のことをそうだと勘違いしていた。
実際にその場に着くと、私は自分の年齢を自覚した。もう、ドキドキ、ハラハラすら、求めなくなっていたのである。
その代わり、起承転結も必要なく、できたら、起・承・承・・・・くらいが望ましい。結すら不要である。主人公のその後がどうだろうが、どうでも良い。それぞれが好き勝手にすれば良いだけのことだ。
私は、究極的には、どこかの何も知らぬ爺様が出てきて、そのおじいさまが、朝起きて、起き上がって、椅子に座って、新聞を読みながら、茶をすすっている、たったそれだけの映像を、2時間連続で見たほうが、どんなにか、人生について考えられるかとも思う。
そのような映画があれば、私は毎日でも見に行きたい。
今度のじいさんが、前回のじいさんと、どのようにお茶のすすり方が違うか、それだけでも本当に勉強になると思う。そして、そこから、彼の人生と、これまでの遍歴と、人生観の違いすら感じることができそうだ。
新聞を取っているかどうか、どこの欄から読み始めるのか、お茶を飲むのか、それともホットミルクを飲むのか、あるいは使い古したマグカップなのか、それとも寿司屋の湯のみなのか。
座っている椅子はどんな風か、腰をかけて、どんなふうにため息をつくのか。
その様子を眺めているだけで、人生を考えることができる。
映画館に要望がある。
静かな映画にはサイレントの頭文字である【S】と言う記号を、タイトルの横につけて欲しい。そうすれば、私のようにもうドキドキもびっくりもしたくない。静かにぼーっとしていたい人も、その映画を選択できるからだ。
体力がない。ドキドキする体力は、夏休みの研修をこなしている現役の教師には、もう残っていないのである。
私がそんなふうに、できるだけ静かな映画を探していたところ、1つ見つけた。
それが、【90歳。何がめでたい】という、佐藤愛子さんのエッセイ集を元にした映画であった。
これは、静かだろうな。
直感が当たった。
映画は、期待通りの静けさであった。
草笛光子さん演じる、愛子ばあさんの一挙手一投足を見ているだけで、こみ上げてくるこの満足感がたまらなかった。
火薬はいらない。
盛り上げもいらない。
淡々と人生の日々の出来事が繰り返されていくのが、この人生の最も価値のある瞬間だ。また、その人一人ひとりの自己決定の清々しさを、他人はすべからく尊重するべきで、そうなると、人は必然的に余計な口出しをしなくなる。
【90歳。何がめでたい】は、そんな映画でありました。良い映画を見た、という満足が、帰り道の私の足取りを軽くした。
この夏、オススメであります。