私は18歳19歳のころから、歩行スピードが格段に速くなりました。

多分、本来はもっとゆったりとした性格で、幼い時から縁側でのんびりとお茶を飲むと言うのが休日の過ごし方でしたから、今でも日本茶ほどうまいものはないと思いますし、晴れた日に縁側で日向ぼっこをするのは、世界で最高の休日の過ごし方だと思っています。

ところが働くようになると、そんな事は言っていられません。
牛舎の間は走るようになり、食堂へ向かうときの階段は、必ず2段飛ばしで駆け上がっていました。今から25、6年も前の話になりますが・・・

ところが、50を過ぎると、気持ちが変わってきました。実はそんなに急いでも良いことがあまりないと言うことがわかってきたからです。
どちらかと言うと、人生はゆっくりとまったりズムで生きるのがトータルで見ると得なことが多い気がします。

最近、車の運転をしていても、どんどん人に譲るようになりました。以前はできれば先に行きたいと言う思いがあったように思います。譲ってもらったらラッキーと思っていたし、割り込まれたら、なんだか少し損をするような気持ちさえありました。
50を過ぎて全く世界が変わりました。できたら、皆さん先に行ってください。

これは、いろんなことの自信がなくなってきた証拠でもあります。急いで先に行ったからと言って、先に到着した分、何かを達成できるかと言うと、おそらくそんなことはできないだろうと言う自分に対しての自信の喪失です。

慌ててやって失敗することの方が多い、ということが、だんだんに自分の心に馴染んできたといいますか、ポジティブに諦めてきたということなのでしょう。

あと、人生をトータルして、ここまで振り返ってみたときに、やってよかったという事はもちろんあるのですが、やりすぎて失敗した、と言うことも、同様に、たくさんあることに気がついたのてすな。

後は大きな意味では体調の管理です。
自分の体に意識を向けて、どんな感じかな?、この辺の筋肉はどう動いているかな?呼吸は浅いかな深いかな、味はしっかり感じ取れているかな、唾液はしっかり出ているかな、こわばっているところはないかな、

などと言うことをしっかり感じ取ろうと思うと、日常でそんなに急いではいけないのです。朝8時から夜8時まで、12時間、ずっとせかせか動いていると、もはや、そういう体の意識は、遠い遠い感じ取ることのできない世界になっています。

ですから、あえて、朝の8時から夜の8時まで、つまり、ワーキングタイムにおいても、わざと、ゆっくり動くのです。そして、あえて待ってみたり、後回しにしたり、やらないで、済まそうと考えたり、風邪をひいてできなかったことにしようと考えるのです。

すると、自分の体がどんな調子なのか、意識をはっきりと向けて感じ取ることができるようになっていきます。少なくともわたしはそうですわ・・・。


大人ですらこうなのですから、子どもだって、そんなに急がせないほうが良いと思います。
子どもたちはただでさえスピードが早いので、ぼーっとしたり、遠くを眺めたり、のんびりするような時間をあえて取らせることで、ふと気がつくような新しい発見を話題にすると良いと思います。

国語、算数、理科、社会の教科の中に、本当は、時間の使い方と言う項目を教科として教えるべきなのです。IMG_6098