学級開きをして、ついに新学期がはじまった。
今年のわたしの目標は、子ども主体、ということ。
これまでは、子ども主体といいながらも、教師の都合、大人の都合で教育課程を終わらせることを優先していた。
しかし もう この年になり 教員 人生として後半に入って、終わりが見えてきてしまうと 心境が変わってきた。
周囲から多少の文句 や 意見を言われようとも 目の前の子供に対して直接責任を負う気持ちで指導してみたい。
こういうことを書くと
「直接責任を負うとはなにごとか。すべて国の定めに従うのが公務員だろ」
とお叱りを受けそうだ。
しかし、目の前の子供達が最も力をつける 国力をつけるということに 誠心誠意 従うのが本当の教員の勤めだろうと思うようにもなってきた。
これが真の愛国ということではなかろうか。
そこで もう この教室は自分のものではない いわゆる大人として保護者としての観点で 監督はさせてもらうが この教室自体 あるいはこの活動の場所 活動の内容については当事者である子供たちが決めて行くのが最もいいだろうと考えることにした
このことに 春休み中に思い至ったため 私はすっかり楽な気持ちになった
一番楽だと感じたのは教室の春休み中の整備である
毎年 私は春休みになると 教室を最大に カスタマイズして1年のスタートを子供たちが楽しみにできるようにと 自分の時間を全て投げ打つ覚悟で微細に念を入れて掃除をし 新しい 鉛筆削りを備えるばかりか、忘れた子用の鉛筆やノートをたくさん仕入れてレイアウトを試行錯誤し、もうほとんど 自分の時間は 0に近かった
しかし今年はそんなことを一切しなかったのですな
一応 片付けができている程度の教室でスタートしたのであります
おかげで、家族との時間が少しばかりは取れたのは、僥倖と言えましょう。
何という楽なことだろうかと 教員 人生 20年目を迎える 私は 本当に楽な気持ちになりました
私は子供たちに挨拶する際
開口一番 さあ どんなクラスにする?
と聞いた
オルガンの置く場所はどこにしよう?
子供たちは最初何がを聞かれたのかわかっていませんでしたナ
子供たちは最初は面食らったが自分たちが決めていいのだとわかると途端に意見を言い出した
結局 去年と同じような場所に決まったのだが その場所を決めるためになんと1時間以上 時間を使った
この話を同僚の先生にすると呆れたような驚くような声を出した
私は同じように 電子黒板の位置も子供に決めさせた
これも議論が分かれたが子供達は最終的に 窓側の斬新な場所をえらびました
ちょっと私からしたらやりにくい場所なのですが、やってやれないことはない
席順も最初からどうするか 子供達に考えてもらいました
席替えとなると、目の色を変えるのが小学生と言う生き物。
てんやわんや、声の大きなこの意見が通り そうだったのですが
私はそれは許しませんでした
チャンスですから、次のセリフを言いました。
本当に思ったことを言わないとあなたのクラスにはならないよ
実はこのセリフを言いたくてこの時間を仕組んだのでありました
あなたの意見を出すのだ
あなたが本当に思ってる 意見を出すのだ
あなたの心の中にある本当の気持ちをみんなに言うことで 初めてこのクラスは あなたのものになるのだ
遠慮 というのは決して誰の得にもならない
これでほぼ最初の2、3日を使ってしまったために、すでに他のクラスと国語も 算数も2時間分以上の差が開いてしまった
私はほんの少し やばいと思った
しかし私は得るものは得たと思う
事あるごとに 私はその後、何度も同じことを繰り返して言うのです
本当に思ってることを言えてるかな これがいいという気持ちがちゃんと言えてるかな 本当はこうしたいって言えると気持ちが良いよね
また それを聞いている子たちに対しても友達が本当に思ってることを言ってくれると同じ意見の人は一緒だって楽しくなるよね
もし違う意見が出たとしても あそんな考え もあったんだと思ってそれも嬉しいよね
もっともっと考えようね
ということを何度言っても子供たちが納得した表情を浮かべ続けるのである
この 浮かべ続けるというところが 私としては今の日本にとても大切なことではないかと思っている
それにしてもあぁ自分は歳をとったなと思います
国語も算数もかなり遅れております
でも、何故か平気なんです
平気なのは本当は問題です
でも平気であります
要するに、人生ってこうしなければならないと言うのは本当にないのですね
自分が直接に素責任を負うと言うふうに決めたら、もうなんだっていいのです
それでうまくいけばいいし、うまく行かなくても全く良いのです
風邪は引いてもいいし、ひかなくても良い
引いたら引いたで、風邪を引けば良いのです
直接に責任を負うのは、私なのですから
そして、責められたら、攻められたで人から責められれば良いのです
責められたらおしまいだと言う考えが、若い頃は私にも多少ありましたが、実際には責められたら攻められたで、それは全くと言って良いほど素晴らしいことなのです
というわけで、私は至極泰然とした気持ちでスタートしました
国語も算数も遅れていましたが、もう取り返して追いついてしまいましたゼ。
写真は藤の花です
私の剪定の下手さには定評があるのですが、いかに剪定が下手でも、木は枯れませんでした
そして、枯れたら枯れたで良いのです。そして、泣くのが人生。
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候
上記は良寛のことばです。
ここまで思い切るには時間は必要。
災難に逢うときには、災難に逢うしかない。「遭う」ではなく、「逢う」と書いているのは、なぜか。
『遭う』とは、嫌な事柄に偶然に出会ってしまうことに対し、『逢う』とは、親しい人にめぐりあったときに使う言葉。
災難に逢う、と書いた良寛。良寛はこれを書いたときが17歳。相当な生きるうえでの覚悟があったと思われる。
しかし、まぁ、藤も本当によく咲いてくれました。
今年のわたしの目標は、子ども主体、ということ。
これまでは、子ども主体といいながらも、教師の都合、大人の都合で教育課程を終わらせることを優先していた。
しかし もう この年になり 教員 人生として後半に入って、終わりが見えてきてしまうと 心境が変わってきた。
周囲から多少の文句 や 意見を言われようとも 目の前の子供に対して直接責任を負う気持ちで指導してみたい。
こういうことを書くと
「直接責任を負うとはなにごとか。すべて国の定めに従うのが公務員だろ」
とお叱りを受けそうだ。
しかし、目の前の子供達が最も力をつける 国力をつけるということに 誠心誠意 従うのが本当の教員の勤めだろうと思うようにもなってきた。
これが真の愛国ということではなかろうか。
そこで もう この教室は自分のものではない いわゆる大人として保護者としての観点で 監督はさせてもらうが この教室自体 あるいはこの活動の場所 活動の内容については当事者である子供たちが決めて行くのが最もいいだろうと考えることにした
このことに 春休み中に思い至ったため 私はすっかり楽な気持ちになった
一番楽だと感じたのは教室の春休み中の整備である
毎年 私は春休みになると 教室を最大に カスタマイズして1年のスタートを子供たちが楽しみにできるようにと 自分の時間を全て投げ打つ覚悟で微細に念を入れて掃除をし 新しい 鉛筆削りを備えるばかりか、忘れた子用の鉛筆やノートをたくさん仕入れてレイアウトを試行錯誤し、もうほとんど 自分の時間は 0に近かった
しかし今年はそんなことを一切しなかったのですな
一応 片付けができている程度の教室でスタートしたのであります
おかげで、家族との時間が少しばかりは取れたのは、僥倖と言えましょう。
何という楽なことだろうかと 教員 人生 20年目を迎える 私は 本当に楽な気持ちになりました
私は子供たちに挨拶する際
開口一番 さあ どんなクラスにする?
と聞いた
オルガンの置く場所はどこにしよう?
子供たちは最初何がを聞かれたのかわかっていませんでしたナ
子供たちは最初は面食らったが自分たちが決めていいのだとわかると途端に意見を言い出した
結局 去年と同じような場所に決まったのだが その場所を決めるためになんと1時間以上 時間を使った
この話を同僚の先生にすると呆れたような驚くような声を出した
私は同じように 電子黒板の位置も子供に決めさせた
これも議論が分かれたが子供達は最終的に 窓側の斬新な場所をえらびました
ちょっと私からしたらやりにくい場所なのですが、やってやれないことはない
席順も最初からどうするか 子供達に考えてもらいました
席替えとなると、目の色を変えるのが小学生と言う生き物。
てんやわんや、声の大きなこの意見が通り そうだったのですが
私はそれは許しませんでした
チャンスですから、次のセリフを言いました。
本当に思ったことを言わないとあなたのクラスにはならないよ
実はこのセリフを言いたくてこの時間を仕組んだのでありました
あなたの意見を出すのだ
あなたが本当に思ってる 意見を出すのだ
あなたの心の中にある本当の気持ちをみんなに言うことで 初めてこのクラスは あなたのものになるのだ
遠慮 というのは決して誰の得にもならない
これでほぼ最初の2、3日を使ってしまったために、すでに他のクラスと国語も 算数も2時間分以上の差が開いてしまった
私はほんの少し やばいと思った
しかし私は得るものは得たと思う
事あるごとに 私はその後、何度も同じことを繰り返して言うのです
本当に思ってることを言えてるかな これがいいという気持ちがちゃんと言えてるかな 本当はこうしたいって言えると気持ちが良いよね
また それを聞いている子たちに対しても友達が本当に思ってることを言ってくれると同じ意見の人は一緒だって楽しくなるよね
もし違う意見が出たとしても あそんな考え もあったんだと思ってそれも嬉しいよね
もっともっと考えようね
ということを何度言っても子供たちが納得した表情を浮かべ続けるのである
この 浮かべ続けるというところが 私としては今の日本にとても大切なことではないかと思っている
それにしてもあぁ自分は歳をとったなと思います
国語も算数もかなり遅れております
でも、何故か平気なんです
平気なのは本当は問題です
でも平気であります
要するに、人生ってこうしなければならないと言うのは本当にないのですね
自分が直接に素責任を負うと言うふうに決めたら、もうなんだっていいのです
それでうまくいけばいいし、うまく行かなくても全く良いのです
風邪は引いてもいいし、ひかなくても良い
引いたら引いたで、風邪を引けば良いのです
直接に責任を負うのは、私なのですから
そして、責められたら、攻められたで人から責められれば良いのです
責められたらおしまいだと言う考えが、若い頃は私にも多少ありましたが、実際には責められたら攻められたで、それは全くと言って良いほど素晴らしいことなのです
というわけで、私は至極泰然とした気持ちでスタートしました
国語も算数も遅れていましたが、もう取り返して追いついてしまいましたゼ。
写真は藤の花です
私の剪定の下手さには定評があるのですが、いかに剪定が下手でも、木は枯れませんでした
そして、枯れたら枯れたで良いのです。そして、泣くのが人生。
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候
上記は良寛のことばです。
災難に逢うときは災難に遭い、死ぬときには死ぬしかない。私たちがどんなに手を尽くしてもそれは変えられません。だとしたら、それらを受け入れて生きるしかない。どんなに不運が続き、大災害に逢おうとも、それは紛れもない命の現実の姿でしかない。
「人として生まれたからには生老病死からは逃れることはできず、あるがままを受け入れ、その時自分ができることを一生懸命やるしかない」
ここまで思い切るには時間は必要。
災難に逢うときには、災難に逢うしかない。「遭う」ではなく、「逢う」と書いているのは、なぜか。
『遭う』とは、嫌な事柄に偶然に出会ってしまうことに対し、『逢う』とは、親しい人にめぐりあったときに使う言葉。
災難に逢う、と書いた良寛。良寛はこれを書いたときが17歳。相当な生きるうえでの覚悟があったと思われる。
しかし、まぁ、藤も本当によく咲いてくれました。