私はなだいなだ氏と一度だけ、お会いしたことがある。
といっても、ちょいとしたイベントでオハナシを伺ったあと、短く「大変勉強になりました。ありがとうございました」と頭を下げただけで、なださんは笑顔で「はいどうも」と言っただけのことだが。
でも、私にとってはなださんと、どうしても人生の間で一瞬だけでいいから触れ合いたかったので、もうこれだけで非常に満足。興奮しながら帰宅した。
なださんは思ったよりは背が低く、私よりも小さいくらいであったが、やはり声はしっかりされていて、オーラというのだろうか、刀をもってまともに打ち込んでも、けっして崩れないくらいの「正面を切れる」芯をお持ちであった。
なださんの著作で、すぐに思い出すのは、「ケシカラニズム」という言葉と、「マスコミの情報は、すべて、◯◯ちゅーことになっておる、と聞け」という忠告です。
これはもう、ベストセラーのなだ先生の著作を読めば分かるので、そちらを読んでください。
さて、なぜ急になだいなだ氏を思い出したかというと、ガザ地区を攻撃しているイスラエル軍が、現地の中央図書館を爆破した、という記事を見たからです。
これで歴史の大切な財産が消えてしまい、人類はたいへんな損害をこうむるわけですが、当然、そんなことをガザ地区を爆破するのに夢中な兵士たちや、イスラエル国家の政治家たちが理解できているはずがありません。
やはり人間というのはどうしようもなく、無恥厚顔の態度がとれる人が、思慮深くて自分はもしかしたら間違っているかもしれない、と熟慮する態度の人を駆逐していくのだろうと思います。
なだいなださんのエッセイの中で、たしか戦争で大切な文化財が焼失することについて触れたところがあり、それを急に思い出したのです。
50歳をすぎると、頭の中に詰め込んだ、ありとあらゆるものがふいに、浮かんでくることがありますね。それも何十年も前の。
おそらく、そのなだいなださんの著作の、その該当箇所も、わたしは高校生の頃に読んでいる。
だから、まさに30年の時を経ているわけ。
しかし、ちゃんと思い出すということは、やはり人間の頭脳というのは、たいしたものだなあと思います。
なださんは、いつ消えるかもしれない、ということを指摘します。本があることに安心してはいけない。いつ廃版になるかわからない。本なんてものはすぐに世の中から消えてしまう。また本棚に本があるからといって、本当に自分を救うかどうか、わからない。なぜかというと、人間はアホなので、いつか戦争が起きてもおかしくないし、その本を持っていたら逮捕されるとか、アメリカの赤狩りのようなことも起きるかもしれない。だから、本当に大事なことは、記憶しておかないといけない、ということでした。
ガザ地区の爆破により、中央図書館の歴史的な財産は消え失せました。
しかし、心ある人々のこころの中に、大切なフレーズ、大事な文章、人間の尊厳をまもる大切な精神は、きっと残っているでしょう。それを信じたい。
ちなみに以下は、なだ氏の名言の数々。
なかなか辛い言葉ですね。
なださんは、間違った努力を、心の底から軽蔑していました。太平洋戦争時の日本のことですが。
幸福になるために、不幸を選ぶ、というのを、ですね。滅私奉公、というヤツです。
ブラック企業が本格的に話題になる前にお亡くなりになりましたが、今生きていらしたら、おそらく「方向の間違った努力、向いていない努力、意味を追求しすぎて意味がなくなった努力」を一刀両断されたことでしょう。必要なのは、一見無駄にみえる「遊び」です。それは動物には無理で、人類にだけ、許された行為だからですね。いちばん合理的なのが動物です。彼らはすべて個が生き抜くために合理的です。親が子を食うのが動物です。個の存続のために、合理的になりすぎた結果、そういうことも平気になってしまう。マンボウという魚は、産卵した途端、自身の産み終えた卵を口の中にほおばりはじめます。
人間も合理的になりすぎると、野蛮な動物に堕ちるのです。
といっても、ちょいとしたイベントでオハナシを伺ったあと、短く「大変勉強になりました。ありがとうございました」と頭を下げただけで、なださんは笑顔で「はいどうも」と言っただけのことだが。
でも、私にとってはなださんと、どうしても人生の間で一瞬だけでいいから触れ合いたかったので、もうこれだけで非常に満足。興奮しながら帰宅した。
なださんは思ったよりは背が低く、私よりも小さいくらいであったが、やはり声はしっかりされていて、オーラというのだろうか、刀をもってまともに打ち込んでも、けっして崩れないくらいの「正面を切れる」芯をお持ちであった。
なださんの著作で、すぐに思い出すのは、「ケシカラニズム」という言葉と、「マスコミの情報は、すべて、◯◯ちゅーことになっておる、と聞け」という忠告です。
これはもう、ベストセラーのなだ先生の著作を読めば分かるので、そちらを読んでください。
さて、なぜ急になだいなだ氏を思い出したかというと、ガザ地区を攻撃しているイスラエル軍が、現地の中央図書館を爆破した、という記事を見たからです。
これで歴史の大切な財産が消えてしまい、人類はたいへんな損害をこうむるわけですが、当然、そんなことをガザ地区を爆破するのに夢中な兵士たちや、イスラエル国家の政治家たちが理解できているはずがありません。
やはり人間というのはどうしようもなく、無恥厚顔の態度がとれる人が、思慮深くて自分はもしかしたら間違っているかもしれない、と熟慮する態度の人を駆逐していくのだろうと思います。
なだいなださんのエッセイの中で、たしか戦争で大切な文化財が焼失することについて触れたところがあり、それを急に思い出したのです。
50歳をすぎると、頭の中に詰め込んだ、ありとあらゆるものがふいに、浮かんでくることがありますね。それも何十年も前の。
おそらく、そのなだいなださんの著作の、その該当箇所も、わたしは高校生の頃に読んでいる。
だから、まさに30年の時を経ているわけ。
しかし、ちゃんと思い出すということは、やはり人間の頭脳というのは、たいしたものだなあと思います。
なださんは、いつ消えるかもしれない、ということを指摘します。本があることに安心してはいけない。いつ廃版になるかわからない。本なんてものはすぐに世の中から消えてしまう。また本棚に本があるからといって、本当に自分を救うかどうか、わからない。なぜかというと、人間はアホなので、いつか戦争が起きてもおかしくないし、その本を持っていたら逮捕されるとか、アメリカの赤狩りのようなことも起きるかもしれない。だから、本当に大事なことは、記憶しておかないといけない、ということでした。
ガザ地区の爆破により、中央図書館の歴史的な財産は消え失せました。
しかし、心ある人々のこころの中に、大切なフレーズ、大事な文章、人間の尊厳をまもる大切な精神は、きっと残っているでしょう。それを信じたい。
ちなみに以下は、なだ氏の名言の数々。
「結婚してからの一日一日は、相手の欠点を一つ一つ発見していく一日である。」
「子どもの愚かさをとがめすぎるから、その分大人が愚かになる」
「なまけものは、哲学を持っているが、働いてばかりいる人間には、哲学がない。」
「正常・異常は相対的なものである」
なかなか辛い言葉ですね。
なださんは、間違った努力を、心の底から軽蔑していました。太平洋戦争時の日本のことですが。
幸福になるために、不幸を選ぶ、というのを、ですね。滅私奉公、というヤツです。
ブラック企業が本格的に話題になる前にお亡くなりになりましたが、今生きていらしたら、おそらく「方向の間違った努力、向いていない努力、意味を追求しすぎて意味がなくなった努力」を一刀両断されたことでしょう。必要なのは、一見無駄にみえる「遊び」です。それは動物には無理で、人類にだけ、許された行為だからですね。いちばん合理的なのが動物です。彼らはすべて個が生き抜くために合理的です。親が子を食うのが動物です。個の存続のために、合理的になりすぎた結果、そういうことも平気になってしまう。マンボウという魚は、産卵した途端、自身の産み終えた卵を口の中にほおばりはじめます。
人間も合理的になりすぎると、野蛮な動物に堕ちるのです。