教師になりたての頃は、私は漢字の指導がそれほど好きではなかった。
ところが、漢字と言うのは、人類の大した発明と言うべきものであり、大昔の人々の、具体的な、あるいは、抽象的な思考法が、よく見れば、見るほどに浮かび上がってくる題材なのであります。
そのことに気がついたのは、今から10年以上前に、一緒に学年を組んだ、とある先輩の先生のおかげです。その先生は、私に、白川静氏の漢字の本を見せてくださった。白川氏との出会いが、漢字学習を変えた。
今の漢字の授業は、こうである。
1)電子黒板に漢字をでかでかと映し出す。
2)この字について、何かわかる人?
3)部首やつくり、冠などの字形や意味から、この漢字が持つ意味や、成り立ち、どうしてこんな部品が使われているのかなど、子どもが気がついたことをどんどんと発表していく。
4)見当はずれでも全く構わない。確かに、そんなふうに見えるねぇ、と同意しながら、バンバン言わす。
5)最後に、わたしが知ってる代表的な、成り立ちの学説を説明して、後は書き順・熟語の確認・字の練習、で終わり。
これを繰り返していくうちに、子どもたちは、漢字を見た瞬間、アッわかった!と色々と意見を出すようになってきた。つまりなぜその言葉は、その部品を使い、そのような意味を持つ字になったのか、成り立ちについて説明するのである。
これは、具体的なパーツを見ながら、仲間に分類していくことで、似たような字を思い起こしながら、より抽象度の高いグループに分けたり、意味を類推したりして、たくさんの漢字を頭の中に、だんだんと抽象度の高い分布図へと書き換えていくような作業であります。
小学校3年生ともなれば、もう、人生の間に、300字以上を覚えています。なので、新しい字が出てくると、自分の知っている漢字の大きな地図の中の、一番ぴったりするところに付け足していくようなことをします。
この動作や振り分け作業が、瞬時に迷いなく、できる子は漢字を覚えるのが早いです。
瞬時にできる子は、頭の中の漢字地図が、抽象度が高く、極めて論理的に分布されているのです。だから、新しい漢字も、今までのルールに沿ったような形でピタリとはめることができるし、迷わないのです。
同じ意味、同じへん、同じつくり、同じ音(おと)、付け足し、などですね。
共通点を見つけるのが早い。
次に、なぜそれが共通点だと言えるのか、自分の言葉で説明もできる。
高層ビルに例えれば1階部分なのか2階部分にありそうか。もっと高層階にありそうなのか。平面でなく、立体的に頭の中で思考している子もいます。
ところが、頭の中がごちゃまぜで、どう地図の上で配置すればいいのか、ぴんとこないような状態が続くと、やはりその中途半端で、宙に浮いたような漢字は、いずれ記憶のどこかに紛れ込んで消えてしまうのでしょう。
いわば漢字を覚えるということは、漢字一つ一つと言う非常に具体的なものに、抽象的なルールを当てはめて、抽象度を上げていくことによって、初めてマスターできると言えるのです。
教室の中に、「つまり、先生、それって、こういうことでしよ?」という言い方が、癖になっている子がいます。
その子は、生活の中や学習の中で初めて出会ったものを、自分の思考体系の中に、自分の言葉で言語化することによって抽象度を上げて、組み込んでいるのです。つまり、とか、要するに、とか、そういう言い方を補助的に使って、自分の思考をヨイショと支えながら。
そして、結論です。
このような思考の動かし方をしている子は、漢字のテストもほぼ100点が取れます。
漢字練習帳に体力勝負で同じ字を50個書けば覚えるかと言うと、どうもそうでは無いようです。やはり脳みその中を、『具体から抽象へ』と、整理整頓することに尽きるようです。
ところが、漢字と言うのは、人類の大した発明と言うべきものであり、大昔の人々の、具体的な、あるいは、抽象的な思考法が、よく見れば、見るほどに浮かび上がってくる題材なのであります。
そのことに気がついたのは、今から10年以上前に、一緒に学年を組んだ、とある先輩の先生のおかげです。その先生は、私に、白川静氏の漢字の本を見せてくださった。白川氏との出会いが、漢字学習を変えた。
今の漢字の授業は、こうである。
1)電子黒板に漢字をでかでかと映し出す。
2)この字について、何かわかる人?
3)部首やつくり、冠などの字形や意味から、この漢字が持つ意味や、成り立ち、どうしてこんな部品が使われているのかなど、子どもが気がついたことをどんどんと発表していく。
4)見当はずれでも全く構わない。確かに、そんなふうに見えるねぇ、と同意しながら、バンバン言わす。
5)最後に、わたしが知ってる代表的な、成り立ちの学説を説明して、後は書き順・熟語の確認・字の練習、で終わり。
これを繰り返していくうちに、子どもたちは、漢字を見た瞬間、アッわかった!と色々と意見を出すようになってきた。つまりなぜその言葉は、その部品を使い、そのような意味を持つ字になったのか、成り立ちについて説明するのである。
これは、具体的なパーツを見ながら、仲間に分類していくことで、似たような字を思い起こしながら、より抽象度の高いグループに分けたり、意味を類推したりして、たくさんの漢字を頭の中に、だんだんと抽象度の高い分布図へと書き換えていくような作業であります。
小学校3年生ともなれば、もう、人生の間に、300字以上を覚えています。なので、新しい字が出てくると、自分の知っている漢字の大きな地図の中の、一番ぴったりするところに付け足していくようなことをします。
この動作や振り分け作業が、瞬時に迷いなく、できる子は漢字を覚えるのが早いです。
瞬時にできる子は、頭の中の漢字地図が、抽象度が高く、極めて論理的に分布されているのです。だから、新しい漢字も、今までのルールに沿ったような形でピタリとはめることができるし、迷わないのです。
同じ意味、同じへん、同じつくり、同じ音(おと)、付け足し、などですね。
共通点を見つけるのが早い。
次に、なぜそれが共通点だと言えるのか、自分の言葉で説明もできる。
高層ビルに例えれば1階部分なのか2階部分にありそうか。もっと高層階にありそうなのか。平面でなく、立体的に頭の中で思考している子もいます。
ところが、頭の中がごちゃまぜで、どう地図の上で配置すればいいのか、ぴんとこないような状態が続くと、やはりその中途半端で、宙に浮いたような漢字は、いずれ記憶のどこかに紛れ込んで消えてしまうのでしょう。
いわば漢字を覚えるということは、漢字一つ一つと言う非常に具体的なものに、抽象的なルールを当てはめて、抽象度を上げていくことによって、初めてマスターできると言えるのです。
教室の中に、「つまり、先生、それって、こういうことでしよ?」という言い方が、癖になっている子がいます。
その子は、生活の中や学習の中で初めて出会ったものを、自分の思考体系の中に、自分の言葉で言語化することによって抽象度を上げて、組み込んでいるのです。つまり、とか、要するに、とか、そういう言い方を補助的に使って、自分の思考をヨイショと支えながら。
そして、結論です。
このような思考の動かし方をしている子は、漢字のテストもほぼ100点が取れます。
漢字練習帳に体力勝負で同じ字を50個書けば覚えるかと言うと、どうもそうでは無いようです。やはり脳みその中を、『具体から抽象へ』と、整理整頓することに尽きるようです。