大谷選手には一つひとつ感心することばかり。
左利き用が1つ、入っていたのもカッコいい、と思った。
ハンサムだし楽しそうだし何よりも真剣にゴミを拾う。
男でも好きになるタイプだ。
今回、大谷選手からNewBalance社を通じて小学校へグローブが届いた。
先生たちはそんなにはしゃがないし、大人だからぐっと抑えたふるまいをするけれど、それでもどこかでウキウキしている気がする。
定年間近の男性の先生方は、嬉しくて仕方がないらしく、自分と野球との関わりをお茶のみついでにお話しされる。
現役時代の金田投手(かねやん)を見た先生はさすがにもういらっしゃらないが、現役時代の王、長島を見た先生はまだ職員室にいらっしゃる。
かく言うわたしも、小学校3年の冬に、2mという至近距離で王さんと目があったことがあり、手を振ってもらった。巨人・中日戦の昼間に、球場近くの喫茶店で番記者と語らうところを、わたしの母親がネットもスマホもない時代に、口コミだけをたよりにそこへわたしをいざなったのであります。昭和の母親はすごいなあ、と今もなお思いますね。
わたしは名古屋の小学生で、当然のように中日ファンでありました。まだ中日が優勝したときの余韻がある時代で、巨人ファンは一切そのことを口に出せず、巨人の帽子を被ってよいのは自宅の押入れの中だけで、外ではぜったいに中日ドラゴンズの帽子をかぶっていなければ、人として許されない空気がありました。
昭和49年(1974年)、中日ドラゴンズが巨人のV10を阻止して20年ぶりに優勝をかざったが、その年にリリースされ、大ヒットしたのが「燃えよドラゴンズ」。これを新しい打順で歌い切ることも当然のようにできなくてはならない。ちょっとでも間違えようものなら、もしかしたらコイツは純粋のドラゴンズファンでないのかもしれない、と邪推される。1時間かかる登下校中の話題も、昨夜のナイターで谷沢がホームランを打ったかどうかであり、大島と谷沢のどちらがえらいか、というのがもっぱらの議題でありました。
しかしどの小学生も、王さんの話題になればもう中日などはどうでもよく、やはり王はえらく、敵ながらアッパレ、という感じになるのでした。
わたしがテレビ放映のジャイアンツ戦をみながら興奮しているのを見て、母は細い人脈を200くらいたどり、なんとかして無料で王さんに会えないかと画策したらしい。ついにわたしは無料で王さんに会うことができ(といってもコーヒーを飲む王さんに近寄っただけ)、一応そのするどい眼光の中に、わたしのヘラヘラした笑い顔を映してもらったのです。ああ、遠い昔の記憶だなー・・・
さて、ゲンダイの子はどうなのか。
50、60代の先生たちの興奮をよそに、小学生たちは、実はそれほど盛り上がっていません。
それもそのはず、大谷選手はなんとなく知っているけれど、野球のルールすらわからない子が多いのですからね。
みんな喜ぶだろう、と思ったら、一部の子たちはさすがに大事だと感じているらしい。スゲー!と喜んでいる!
しかし、わりとあっさりとブームが去りそう。
やはり徐々に、徐々に、野球というものの、社会の中での立ち位置が、変わっていってるのだろう。毎日、本当に毎日のように、ジャイアンツ戦が地上波で放送されていた、ということを、もう若い先生たちも知らない。
「え?ナイター?・・・知らないです。見たこと無いです。そんな毎日、みなさん野球、見てたんですか?」
若い平成生まれの先生がこう言ったとき、60歳定年間近の先生の顔があきらかにひきつっているのを見ました。
長嶋も王も、若い世代の先生ですら知らない。まして子どもは・・・。
さて、どうする。
サッカーはハーフタイム以外に休憩がないので、ビールをゆっくり飲み干したり、隣の席の人とーだこーだと感想を言い合って駄弁る時間がありませんね。その間にシュートが決まっちゃうかもしれないから。サッカーは踊りながら叫びながら一瞬も気を抜かずに見ること。
ところが野球はタイプがちがう。
相撲や将棋や囲碁と同じで一手ごとに間が空く。その間に観客は次の一手を予想して、腕組みしながら待つのです。とにかくスピード、間のとり方がちがうのです。
今の時代は、どちらかというと踊りながら参加する、サッカーのような劇場型スポーツがあうのでしょうね。一手ごとに、あれこれと頭を巡らすような、視聴者参加型のスポーツは、時代のテンポに合わないのかもしれません。寂しいですが。
左利き用が1つ、入っていたのもカッコいい、と思った。
ハンサムだし楽しそうだし何よりも真剣にゴミを拾う。
男でも好きになるタイプだ。
今回、大谷選手からNewBalance社を通じて小学校へグローブが届いた。
先生たちはそんなにはしゃがないし、大人だからぐっと抑えたふるまいをするけれど、それでもどこかでウキウキしている気がする。
定年間近の男性の先生方は、嬉しくて仕方がないらしく、自分と野球との関わりをお茶のみついでにお話しされる。
現役時代の金田投手(かねやん)を見た先生はさすがにもういらっしゃらないが、現役時代の王、長島を見た先生はまだ職員室にいらっしゃる。
かく言うわたしも、小学校3年の冬に、2mという至近距離で王さんと目があったことがあり、手を振ってもらった。巨人・中日戦の昼間に、球場近くの喫茶店で番記者と語らうところを、わたしの母親がネットもスマホもない時代に、口コミだけをたよりにそこへわたしをいざなったのであります。昭和の母親はすごいなあ、と今もなお思いますね。
わたしは名古屋の小学生で、当然のように中日ファンでありました。まだ中日が優勝したときの余韻がある時代で、巨人ファンは一切そのことを口に出せず、巨人の帽子を被ってよいのは自宅の押入れの中だけで、外ではぜったいに中日ドラゴンズの帽子をかぶっていなければ、人として許されない空気がありました。
昭和49年(1974年)、中日ドラゴンズが巨人のV10を阻止して20年ぶりに優勝をかざったが、その年にリリースされ、大ヒットしたのが「燃えよドラゴンズ」。これを新しい打順で歌い切ることも当然のようにできなくてはならない。ちょっとでも間違えようものなら、もしかしたらコイツは純粋のドラゴンズファンでないのかもしれない、と邪推される。1時間かかる登下校中の話題も、昨夜のナイターで谷沢がホームランを打ったかどうかであり、大島と谷沢のどちらがえらいか、というのがもっぱらの議題でありました。
しかしどの小学生も、王さんの話題になればもう中日などはどうでもよく、やはり王はえらく、敵ながらアッパレ、という感じになるのでした。
わたしがテレビ放映のジャイアンツ戦をみながら興奮しているのを見て、母は細い人脈を200くらいたどり、なんとかして無料で王さんに会えないかと画策したらしい。ついにわたしは無料で王さんに会うことができ(といってもコーヒーを飲む王さんに近寄っただけ)、一応そのするどい眼光の中に、わたしのヘラヘラした笑い顔を映してもらったのです。ああ、遠い昔の記憶だなー・・・
さて、ゲンダイの子はどうなのか。
50、60代の先生たちの興奮をよそに、小学生たちは、実はそれほど盛り上がっていません。
それもそのはず、大谷選手はなんとなく知っているけれど、野球のルールすらわからない子が多いのですからね。
みんな喜ぶだろう、と思ったら、一部の子たちはさすがに大事だと感じているらしい。スゲー!と喜んでいる!
しかし、わりとあっさりとブームが去りそう。
やはり徐々に、徐々に、野球というものの、社会の中での立ち位置が、変わっていってるのだろう。毎日、本当に毎日のように、ジャイアンツ戦が地上波で放送されていた、ということを、もう若い先生たちも知らない。
「え?ナイター?・・・知らないです。見たこと無いです。そんな毎日、みなさん野球、見てたんですか?」
若い平成生まれの先生がこう言ったとき、60歳定年間近の先生の顔があきらかにひきつっているのを見ました。
長嶋も王も、若い世代の先生ですら知らない。まして子どもは・・・。
さて、どうする。
サッカーはハーフタイム以外に休憩がないので、ビールをゆっくり飲み干したり、隣の席の人とーだこーだと感想を言い合って駄弁る時間がありませんね。その間にシュートが決まっちゃうかもしれないから。サッカーは踊りながら叫びながら一瞬も気を抜かずに見ること。
ところが野球はタイプがちがう。
相撲や将棋や囲碁と同じで一手ごとに間が空く。その間に観客は次の一手を予想して、腕組みしながら待つのです。とにかくスピード、間のとり方がちがうのです。
今の時代は、どちらかというと踊りながら参加する、サッカーのような劇場型スポーツがあうのでしょうね。一手ごとに、あれこれと頭を巡らすような、視聴者参加型のスポーツは、時代のテンポに合わないのかもしれません。寂しいですが。