元旦に嫁様の実家に参りました。
義父のお墓参りを済ませ、午後、息子と2人で近くのスーパー銭湯へ行きました。

私が住んでいる地元には、温泉がたくさんあることもあって、まだ息子が幼い時からちょくちょくと温泉にはよく出かけていきました。
息子にとって、温泉とはただ体をきれいにする場所だけではなかったようです。
なぜなら、息子はそこで人間観察をしているらしいからです。

温泉から出てきたときに、息子がふともらすコメントは非常に味がありました。
例えば、非常に高齢のおじいさんが一緒の湯船につかっていた時。

おじいさんの肌や体の表情を見ていたらしい息子は、その肌の様子を不思議がって、あんなにシワシワなのに、曲げると伸びるんだとか、お風呂に浸かると、赤ちゃんみたいにつやつやになるとか、よく見てコメントしていました。

また、筋骨隆々とした若い男性と一緒にいた場合は、その筋肉やしなやかな動きに見ほれていたようです。
幼い彼からしたら、一人一人、個性のある体つきや、その表情に、色々と学ぶことがあったのでしょう。

20代や30代の大人になったときに、自分がどうなっているだろうか、ということを、大人の人の体の表情を見ながら、少し考えるんだと思います。

また、逆に、自分よりも年下の小さな子を見たとき。あぁ、自分もあんなだったなぁとか、あんなふうにしていることが、楽しかったよな、などと、自分の過去を振り返っているのだと思います。振り返るということは、自分のこれまでの歴史を考え、今、まさに自分がこうなっていると言うことの価値や良さを実感するわけです。

日本独特の裸の付き合いとは、面白いものです。老人という、長い時を経た、未来の存在と、幼児という、かつて自分がたどってきた昔の自分を、心のどこかで、感じ取りながら、静かにお湯につかっているわけです。

温泉と言うのは、今、現在の自分がお湯につかっているだけでなく、同時に、過去や未来の自分を間近で捉え、その行動や顔の表情肉体までふくめて、リアルに感じ取る場所なのです。

来年20歳になる息子は、今回結構長湯をしていました。
そして、脱衣所のドライヤーをずっと長い時間一人占めして使っている、若い男性を見て、
「ありゃぁ、長く使いすぎだな」
と、短くコメントしていました。

狭い脱衣所での歩き方、着替えるスピード、ちょっと間をあけて、隣の人とぶつからないようにするコツ、ドライヤーを使う時間。
ここはコミュニティーと言うものを、まさにリアルに実感する場です。

私は昔、とある事情から、毎日銭湯のように大勢の人が利用しているお風呂へ通っておりました。同じ職場の人や地域の人がたくさん利用しているお風呂です。20代の10年間ほぼ毎日、そこで大勢の大人の人の背中を見ました。
改めて、他人の背中を見ながら、大人の人の背中を見ながら、あるときには、自分より年下の子の背中を見ながら、自分と言うものを感じ取る、あの時間は、貴重なものだったと思っています。

ふと見ると、息子は慣れた調子でロッカーの中の忘れ物がないかを確認していました。
そして、20歳になろうとする今、駐車場で車に乗り込みながら、またいつも通りに同じことを言いました。

「いやぁー、やっぱ温泉は良いわ」

元旦の道路はすいており、優しい陽ざしが、ハンドルをほんのりあっためてくれていました。IMG_4384