理由は聞かない。
説明できるようなことではないからだ。
低学年であっても高学年であっても同じ。
子どもの語彙の中には、理由は見当たらないのだ。不登校とはそういうもの。
もし言える子がいたとしたら、ハリーポッター2冊分くらいの字数になる。
あとは、それを言うと親が困る(怒る)のではないか、と子どもが思っている場合がある。
だから、理由を聞かれても
貝になるしかない。
たまに先生になりたての若い先生で、
「なんで来れないの?」
と聞いてしまう先生もいる。
理由を言えるわけがない。
また、先生に責められた、と勘違いをして、ますます来にくくなる子もいるだろう。
ぜったいに、
「なんで来れないの?」
などと、言ってはいけない。
不登校だけではない。
けんかでもなんでも、わたしはまったく
「なんで」
と理由を聞くことはない。
同じく、ハリーポッター2冊分の分量の説明が必要な子もいるからだ。
ただの口喧嘩にしか見えないような事象であっても、当人には、低学年の当人にとっては、理由がハリーポッター2冊分必要な子もいる。高学年でもだ。
わたしはそうは言わない。
このブログで前にも書いたが、
「本当はどうしたかったの?」
と質問をする。
すると、「こうしたかった」とすっきり1行で言ってくれることが多い。
それでも出てこなかったら、こう聞く。
「本当はどうしてほしかったの?」
これだと、ズドーンと出てくる。
◯友達にやさしくしてほしかった。
◯先生にこう言ってほしかった。
◯あのときぼくがこうしたことをわかってほしかった。
◯お母さんに用意してほしかった。
◯昨日のそろばんを休みたかった。
◯友達にこっち側によけてほしかった。
◯じろじろ見てほしくなかった。
◯友達のペンを貸してほしかった。
ああ、人間って、こうも
「してほしかった」
と思う存在なんだなあ、ということがよく分かる。
それが出てくると、憑き物がとれたように表情が良くなる。
繰り返すが、理由はきかない。
子育てに、理由は聞かない。
子どもは忖度もするし、思いやりもする。大人の感情の変化をもっとも嫌う。
だから、理由は言わないし、言えない。
そんな子どもに、理由は聞かない。親も先生も、聞かないでほしい、と思う。
不登校の子が、理由を言えるわけがない。貝になって当然だ。
理由をきこうとするから、さらに貝になる。貝にしているのは大人だ。
このブログは2006年くらいから書き始めたけど、このことは何度か書いている。
わたしのクラスでは、子どもたちどうしが、
「◯◯ちゃん、どうしてそれをしたの?」
とは言わなくなっていく。
そうでなく、
「◯◯ちゃん、ほんとうはどうしてほしかったの?」
と聞いている。
わたしは少し離れた場所で、なんとなくそれを横目で眺めていながら、「ほんとう」という言葉がちいさな子どもの口からこぼれてくるのが、なんとも神々しい気がしている。
ほんとうの教育とは、目の前の人間の、「ほんとう」をお互いにきいていくことだ。
説明できるようなことではないからだ。
低学年であっても高学年であっても同じ。
子どもの語彙の中には、理由は見当たらないのだ。不登校とはそういうもの。
もし言える子がいたとしたら、ハリーポッター2冊分くらいの字数になる。
あとは、それを言うと親が困る(怒る)のではないか、と子どもが思っている場合がある。
だから、理由を聞かれても
貝になるしかない。
たまに先生になりたての若い先生で、
「なんで来れないの?」
と聞いてしまう先生もいる。
理由を言えるわけがない。
また、先生に責められた、と勘違いをして、ますます来にくくなる子もいるだろう。
ぜったいに、
「なんで来れないの?」
などと、言ってはいけない。
不登校だけではない。
けんかでもなんでも、わたしはまったく
「なんで」
と理由を聞くことはない。
同じく、ハリーポッター2冊分の分量の説明が必要な子もいるからだ。
ただの口喧嘩にしか見えないような事象であっても、当人には、低学年の当人にとっては、理由がハリーポッター2冊分必要な子もいる。高学年でもだ。
わたしはそうは言わない。
このブログで前にも書いたが、
「本当はどうしたかったの?」
と質問をする。
すると、「こうしたかった」とすっきり1行で言ってくれることが多い。
それでも出てこなかったら、こう聞く。
「本当はどうしてほしかったの?」
これだと、ズドーンと出てくる。
◯友達にやさしくしてほしかった。
◯先生にこう言ってほしかった。
◯あのときぼくがこうしたことをわかってほしかった。
◯お母さんに用意してほしかった。
◯昨日のそろばんを休みたかった。
◯友達にこっち側によけてほしかった。
◯じろじろ見てほしくなかった。
◯友達のペンを貸してほしかった。
ああ、人間って、こうも
「してほしかった」
と思う存在なんだなあ、ということがよく分かる。
それが出てくると、憑き物がとれたように表情が良くなる。
繰り返すが、理由はきかない。
子育てに、理由は聞かない。
子どもは忖度もするし、思いやりもする。大人の感情の変化をもっとも嫌う。
だから、理由は言わないし、言えない。
そんな子どもに、理由は聞かない。親も先生も、聞かないでほしい、と思う。
不登校の子が、理由を言えるわけがない。貝になって当然だ。
理由をきこうとするから、さらに貝になる。貝にしているのは大人だ。
このブログは2006年くらいから書き始めたけど、このことは何度か書いている。
わたしのクラスでは、子どもたちどうしが、
「◯◯ちゃん、どうしてそれをしたの?」
とは言わなくなっていく。
そうでなく、
「◯◯ちゃん、ほんとうはどうしてほしかったの?」
と聞いている。
わたしは少し離れた場所で、なんとなくそれを横目で眺めていながら、「ほんとう」という言葉がちいさな子どもの口からこぼれてくるのが、なんとも神々しい気がしている。
ほんとうの教育とは、目の前の人間の、「ほんとう」をお互いにきいていくことだ。