給特法について、現場は一切のちんもくを保っております。
職員室で話題になることはまったくありません。
なぜなら、忙しすぎて家に帰ってもニュースをみないので、今世間で話題になっていることを知るタイミングがないのですね。教員は世間知らずと笑われますが、本当にテレビもラジオも聞く暇もないし体力が残っていないのが実際のところだと思います。スマホで明日の天気予報を見ようとしたまま、がくっと寝落ちをしている若い先生を見たことがあります。職員室で。

今年、同学年をもつ若い子に、趣味は何かと聞いたら、日曜日の買い物だと答えました。
へえ、よほど珍しい何かを買いに行くのかと思ったら、食品や日用品だそうで。

「もっとちがうものかと思った」

というと、

「休日は洗濯して買い物したら終わりなんで」

というから、え、2日あるでしょう?と聞くと、

「日曜日は仕事してます。土曜日だけが休みで、洗濯しちゃわないと」

だそうです。

彼にとっての一番の関心事は土曜日が晴れることで、洗濯物が乾くほうがいいそうですね。

なぜそうも仕事があるのか、と世の中の人は訝るかもしれないが、実際に仕事は無限であります。
授業以外が9割、実際の授業の準備が1割、程度でしょうか。
このあたりは人によって実感がちがうでしょうが、分掌が多い人ほど、授業から遠ざかるでしょうね。

さて、残業代が出ることほど必要のないことはありません。
むしろ、残業代が出ると、おそらく仕事量は今よりも増えるでしょう。
多くの教員がおそれているのは、そこです。
若い人が教職員をめざさなくなり、募集しても募集しても人が足らない、そうなってしまっているのは、仕事量が殺人的に多いからです。

給特法の問題を、単なる賃金や働き方の問題に矮小化してしまうのは、全く間違っています。
それが起こってきた背景を踏まえ根本を見据えて考えたら、そうではなく、教員が趣味も持てないほどに、休日に授業の準備をしなければならないほどにハードスケジュールになってしまっているところを考えるべきです。子育てをしている若いお母さんの先生まで、日曜日に学校へ来ていますから。自分の子どもはほうっておいて、仕事をしに来るのですから。これが美しい日本、理想の世の中だとは思えないですね。

勤務時間が短縮され、労働に見合う賃金が支払われたら、この問題が解決するのかといったら決してそうではないでしょう。問題の中心にあるのは、やりがいの問題です。そのやりがいが見えてこないほどまでに、疲弊している学校の先生たち。息をつく暇もないほど、追い詰められている先生たち。

しかし今の与党政府は、ますます教育にはお金を使わないことを決めています。人を雇わず、教育からは手を引く、という姿勢です。どうやって美しい国をつくるのでしょうか。子どもを大事にしないのは、未来を大事にしないこと。政治家は、いったい何がしたいのでしょう。政治家はこうすることで、どんな良いことがあるのでしょう。給特法をいじって給与を増やすそのお金で、校庭の草抜きをする人を雇ってください。そのお金で蛍光灯を変える人を雇ってください。そのお金で集金をする人を雇ってください。そのお金で文科省のアンケート調査に答える人を雇ってください。

私も日曜日ですが、きちんと学校へ来ておりますよ。
ひまわりに水をやり、書類を作り、掃除用具の整理をして、扇風機にシリコンスプレーを吹き付けて回転を良くし、子どもに配布する書類を用意し、棚を直し、運動会の写真を整理しました。これらは最高裁の判決で「教員の仕事ではない(教員が勝手に自主的にやってるだけのこと)」とされたことですが、やってくれる人はいませんので、やるしかない。

クーラーは配備されましたが、使いません。
休日に仕事をしたことがバレると、市教委から怒られるからです。熱中症になりそうですが、がまん、がまん。

見つからないように、仕事をしないとね。

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