琉球日報のニュース。
高校生16人は、部活動の顧問からの執拗(しつよう)な叱責(しっせき)を受けた運動部男子生徒が自死したことをきっかけに設けられた検討委員会の委員。7校22人が部活動の意義や課題、悩みを出し合いながら部活動のあるべき姿、目指す方向性を考え、2月に半嶺満県教育長に提言していた。
小学校でも同様のことを感じている。
つまり、友達に対して信じられない暴言を吐く子どもの多くが(全員ではもちろんない)、部活やスポーツクラブなどに所属し、コーチや先生たちから暴言を受けているということ。
以前、考えられないほど友達に対して暴言を吐く子がおり、どうしてかと不思議に思っていた。すると隣のクラスの先生が「Yくんはサッカークラブですね。校内でも同じクラブに所属している子のほとんどが暴言をよく言いますが・・・」と、その関連について話してくれたことがある。
わたしは最初、そんなに簡単で単純な因果関係はないだろう、A=B、という安易な関連付けはうのみにするべきではないし、暴言をしたくなる理由はもっと多岐にわたるものであり、妥当ではなさそうだ、と考えた。今でも、単純にそんなふうに決めつけることはできないと思う。
しかし、心理学では「暴言を受けるなど差別を経験した人が、差別をする側にまわる」ということはすでにデータとして「非常によくある」というふうに説明されるわけで、叱責、暴言を受ける子が今度は他を責め始める、というのは、人間の心の動きとしては妥当だ、と考えてよいと思う。
こういうふうに考えると、いっそのこと一度部活というものを、強制的に学校から失くしてみる、というのも手としてはアリか、と考えてもみたくなる。
ゼロから考えれば、やりたい気持ちの子たちが「どんな部活にしたいか、だれにコーチをお願いしたいか」ということから考え始める子が出てくるかもしれない。そもそも「自分はそもそも、部活を本当にしたいのだろうか」ということも含め、考え直すのはいいことだろうと思う。
案外と、部活がなくても日本社会はなんとかなっていく、というのがあるかもしれない。
部活がなくて暇になった挙句、探求心旺盛な子たちは、夏休みの自由研究のようなことをたくさんたくさん、非常にたくさん、活発にすごく活発に、やって夢中になっていく子もでるかもしれないし、おそらくハーバード大学やパリ大学、ケンブリッジ大などに行く子も、そういうなかから輩出されてくるでしょう。
部活のコーチがどういう感じなのかは、それこそ千差万別で、非常に心優しく、子どもの実態やそのままの姿に無理なく接してくださる方も多いでしょう。
ところが中には、おそらく日本全体でみるとほんのわずかでしょうが、居丈高、というか、パワハラまがいの言動を行う方もまだいるようです。わたしはこういう態度をとる方の多くは、実際には子どもの前で自信がもてないでいる、実は「悩み多き指導者」なのではないかと思っています。
コーネル大学のダニングと、その弟子のクルーガーは、次のような調査をはじめ、長年、人の認知についての研究を重ね、「能力が低い人ほど、自分自身を客観視する『メタ認知』ができていない。そのため、自分の未熟さや他人のスキルの高さを正しく認識できず、自分を過大評価する傾向がある人ほど、相手を見くだし、偉そうな態度をとる傾向が強い」と報告しています。
これを「ダニング=クルーガー効果」といいます。
パワハラ的な態度をとる人って、ほとんどがコレに該当するのではないかな。