永井隆という方が、なくなる前に自分の子に対してメッセージを書いた。
長崎医科大学で被爆して重傷を負いながら、医師として被災者の救護に奔走した方である。

「武器を持っているほうが果たして生き残るだろうか。
オオカミは鋭い牙を持っている。
それだから人間に滅ぼされてしまった。
ところが鳩は何一つ武器を持っていない。
そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる」

たしかに、武器を持ったから、腕力を誇示できるから、最後には笑っていられるかというと、そうではない。

武器を持って、それで人を刺せるだろうか。
それで、人を撃てるだろうか。
わたしにはぜったいにそれはできない。

今、わたしが刺そうとしているその人は、わたしと同じであり、わたしと同じく、霊峰の向こうからのぞく朝日を拝む人だ。
今、わたしが撃とうとしているその人は、わたしと同じく、子どもの寝顔をみて微笑む人だ。
わたしと同じく、のどを潤して、安堵する人だ。
わたしたちは、はたして、その人を殺せ、と命令されて、できるだろうか。

政治家は、なぜ平気な顔をして、「軍備、軍備」と叫ぶのだろう。
「こちらから攻撃しないと、殺られる」と叫ぶ人の顔を、よくよく見てみよう。
攻撃しようと歯を剥き出すから、攻撃されるのだろう。
人の気持ちを、人の気持ちの動きを、よく考えたことがないのだろう。

じっくりと考えてみたら、きっと誰にも理解できる道。
おそらく、その「じっくり考える時間と場所」が、われわれには与えられていない。

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