たまごは厳密に言うと、1つ1つで味が異なる。
しかし、多くの人は「まあそうはいっても、似たような味だわな」と思って過ごしている。

鶏肉はどうだろうか。
味は、鶏によって味がちがう。たとえ似たような料理法で調理したものであってもだ。
しかし、多くの人はそうはいっても・・・、と思うだろう。つまり、「似たような味」だと思って日々を生きている。わたしもそうだ。

一度、これは味がちがうから、と言われて食べた「鶏のモモステーキ」は、たしかにちがった。なんと表現してよいか分からないが、「味がちがう」ことと、「おいしい」ということが実感だった。

「おなじ鶏肉でも、こんなにちがうのか。だったら、自分の中の鶏肉の味はこういうもの、という常識は、消し去った方がよいだろうな。だってこんなにちがうもの」

わたしはその後、となる成り行きから、食道楽になった。パンでも焼きたてがもっとも美味いのは常識だろうが、朝採りたての野菜はまた格別である。朝、畑から引っこ抜いてきた青梗菜が甘いことや、トマトでも畑でかぶりついたのが一番美味いことも、その後の人生経験でわかってきた。
しぼりたての牛乳は、「これが牛乳なのか」と疑うような味がするし、紙パックに詰めた牛乳と瓶の牛乳、そして乳缶に入れたばかりの牛乳ではまったく風味が異なってくる。
つまり、人間にとって『常に味というのは千差万別』なのではないか、と思うようになった。

みそも、しょうゆも、同様だ。
厳密にいえば1瓶ごとに、味がちがうだろう。味噌だって醤油だって、同じ樽の中でも、ふたに近い部分のみそと、樽の底にあった部分とでは、多少熟成の程度に差があるのだろうし・・・
つまり、味と言うのは、千差万別である。だからこそ、われわれは、そのちがいを楽しむことができる。

f124632d