ロシアのプーチンさんの評判が悪い。
小学校5年生にとっては、これまでプーチンなんて人、まったく知らない人でした。
だれそれ?という存在だったわけですね。
そこに今回の戦争だから、プーチン=悪い人、という感じ。
ところが5年生はこの時期に北方領土を教わるから、
「さてはプーチンが択捉島をとったのか!」
と早合点をしてしまう。
いやいや、プーチンはまだ生まれてないんだよ、というと不思議な顔。
「え?プーチンが択捉島にきたんじゃないの?」
択捉島がロシア(ソビエト)占拠、となったのは1945(昭和20年)。
ウラジーミルが生まれたのは1952年だ。
まだ歴史もまったく知らないから、なんで択捉島に日本人が住んでいないのか、すごく困るみたい。
え?なんで日本人が住んでないの? という疑問からすぐに
さてはプーチンか!(怒)
となるまでに3秒もかからない。
それほど、今回の戦争の影響は大きい。
というか、第二次世界大戦を本当に知らない。
クラスの半数が、え?日本って戦争したことあるの?、です。
戦争のことを聞いたことがある、という人数は、年々、減っている。
全国の教師にアンケートをとったら、この数がどんどん減っていることが実感されると思う。
それに、「聞いたことがある」という子にどんなことを知っているかを聞いても、答えられない。
「うーん」とか「えーと」という感じ。
さらには、ひいおじいちゃんが戦争に行った、ということを聞いた子もほとんどいない。
「だって、ひいおじいちゃん、知らないもん」が当然ですから、本当に戦争は遠い話です。
今回は、あえてここでの説明をせず、
「自分で学習するチャンスですから、なんで択捉島にロシアの人がいるのかをゴールデンウイークに調べてみよう」
ということにした。
もう、おうちの人へ丸投げである。
良いのだ。6年生で習うから。
5年生では、「ロシアと日本との間に北方領土という領土問題が存在します」というだけを習うことに文科省で決められている。歴史は来年まで持ち越しだ。
ちなみに択捉島でロシアの方がクリスマスを楽しんでいる写真を見せると、
「楽しそう。いいね」
というのが小学校5年生である。
さて、択捉島はもちろんアイヌのふるさとであり、和人とアイヌとの間には複雑な歴史がある。
5年生は当然、アイヌも知らない。
「アイヌってなに?」
それもまた、ゴールデンウイークに調べてみてもらうことにした。
いいのだ。5年生だから。
文科省は本気なので、ちょっと前から全国の教員に強い調子のお触れを出しております。
「5年生でぜったいに尖閣諸島と竹島と北方領土、きっちり教えろ」
ということであります。ずっと昔、安倍政権だったころ、ですね。
で、この竹島なんですが、写真をみると切り立った崖がうつっておりまして、まあほとんど食糧の自給は無理だと思われる土地です。野菜なら少々とれるのだろうか?よくわかりません。
ここは、隠岐の島からさほど離れておりません。韓国(朝鮮半島)よりかは、隠岐の島からの方がよほど近いです。
しかし、本州と比較すると、韓国(朝鮮半島)の方がよほど近い。
なかなか微妙な位置にあるのが竹島ですね。
教科書にも、最近はデカデカと竹島の写真が載るようになりました。
嵐の時などには、ふきんで漁をしていた漁師さんが避難しました。船をここに着けて、嵐がすぎるのを待つ、というふうに使われてきたみたいですね。
日本の漁師さんも逃れてここで一晩泊まる、ということをしてきたし、なかには物好きな人もいて、ここにしばらく住んでいた日本人もいたそうです。
しかし韓国の漁師さんもここに船をつけて嵐を避けていたらしく、まあ日本の漁師さんも韓国の漁師さんも、嵐の時に命が助かると思えば、同じような行動をとったのですな。
で、韓国の人も「あそこに便利な島があるし、嵐の時はあそこに逃げればいいぞ」と思っていたし、日本人も当然、そう思っていて、隠岐の島の日本人も朝鮮半島の韓国人も、思考は一緒、ということです。
こういう学習をしてくると、5年生は単純です。
「じゃ、もうずっとそれでいいじゃん」
「べつに問題ないじゃん」
「問題解決じゃん」
と、じゃんじゃんじゃん、の3連発。
北方領土についていえば、ロシアは日本に対し、「GHQが一度日本をつぶしただろう。国際社会が日本の領土をぜんぶ取り上げただろうが。日本はそこで一度消滅している。だから択捉島はロシアがとったんだ」と気を吐いている。
日本も同じく、「たしかに国は一度その時点で滅びているが、土地を領有する権利まではく奪されてはいないぞ」と言い返す。
この、双方がファイティングポーズをとりつづける、そして水面下ではしなやかに交流し、経済を交わし、物流をさかんにし、人的な交流も分厚くし、相互に助け合うという実際の相互扶助を行う。
それが、20世紀後半の国際社会の在り方でした。
楽観的な人たちは、そうして人的物的交流がつみかさなれば、政治的解決はその下地の上にだんだんと促進されるはずだ、と信じていましたし、ベルリンの壁が崩壊したときなどは、その楽観論がもっとも信じられた時代だったでしょう。
しかしいまはちがいます。
どれだけ民間が努力しても、政治が下手をうつと、あっという間に民間の努力が瓦解するのを見てしまいました。
目のくるくるした女の子が、まるで休み時間にバレーボールをしているような声で
「竹島は、地球の人はだれもが、嵐の時に使っていいいエリア、ということにしたらいいじゃない?」と言いました。
すると東大をめざしている秀才のFくんが
「エリアは3つつくればいい。韓国の人がいるエリア、両方が入れるエリア、日本人のいるエリア。この3つをつくれば、うまくいくかもしれんよ」
わたしは感心してしまいました。
なにがって?
子どもたちの「問題解決的な思考の質の高さ」にですよ。
どうにかして、なんとかして、問題は解決したい、という意欲にです。
たしかに軍事専門家からすれば、一笑に付す意見でしょう。
しかし、この意欲はどうです?
それがなければ、こんなアイデアも出てこないでしょう。
本当に解決したい
と思えば、もしかしたらわれわれ大人だって、前に進むことができるのかもしれませんナ。
小学校5年生にとっては、これまでプーチンなんて人、まったく知らない人でした。
だれそれ?という存在だったわけですね。
そこに今回の戦争だから、プーチン=悪い人、という感じ。
ところが5年生はこの時期に北方領土を教わるから、
「さてはプーチンが択捉島をとったのか!」
と早合点をしてしまう。
いやいや、プーチンはまだ生まれてないんだよ、というと不思議な顔。
「え?プーチンが択捉島にきたんじゃないの?」
択捉島がロシア(ソビエト)占拠、となったのは1945(昭和20年)。
ウラジーミルが生まれたのは1952年だ。
まだ歴史もまったく知らないから、なんで択捉島に日本人が住んでいないのか、すごく困るみたい。
え?なんで日本人が住んでないの? という疑問からすぐに
さてはプーチンか!(怒)
となるまでに3秒もかからない。
それほど、今回の戦争の影響は大きい。
というか、第二次世界大戦を本当に知らない。
クラスの半数が、え?日本って戦争したことあるの?、です。
戦争のことを聞いたことがある、という人数は、年々、減っている。
全国の教師にアンケートをとったら、この数がどんどん減っていることが実感されると思う。
それに、「聞いたことがある」という子にどんなことを知っているかを聞いても、答えられない。
「うーん」とか「えーと」という感じ。
さらには、ひいおじいちゃんが戦争に行った、ということを聞いた子もほとんどいない。
「だって、ひいおじいちゃん、知らないもん」が当然ですから、本当に戦争は遠い話です。
今回は、あえてここでの説明をせず、
「自分で学習するチャンスですから、なんで択捉島にロシアの人がいるのかをゴールデンウイークに調べてみよう」
ということにした。
もう、おうちの人へ丸投げである。
良いのだ。6年生で習うから。
5年生では、「ロシアと日本との間に北方領土という領土問題が存在します」というだけを習うことに文科省で決められている。歴史は来年まで持ち越しだ。
ちなみに択捉島でロシアの方がクリスマスを楽しんでいる写真を見せると、
「楽しそう。いいね」
というのが小学校5年生である。
さて、択捉島はもちろんアイヌのふるさとであり、和人とアイヌとの間には複雑な歴史がある。
5年生は当然、アイヌも知らない。
「アイヌってなに?」
それもまた、ゴールデンウイークに調べてみてもらうことにした。
いいのだ。5年生だから。
文科省は本気なので、ちょっと前から全国の教員に強い調子のお触れを出しております。
「5年生でぜったいに尖閣諸島と竹島と北方領土、きっちり教えろ」
ということであります。ずっと昔、安倍政権だったころ、ですね。
で、この竹島なんですが、写真をみると切り立った崖がうつっておりまして、まあほとんど食糧の自給は無理だと思われる土地です。野菜なら少々とれるのだろうか?よくわかりません。
ここは、隠岐の島からさほど離れておりません。韓国(朝鮮半島)よりかは、隠岐の島からの方がよほど近いです。
しかし、本州と比較すると、韓国(朝鮮半島)の方がよほど近い。
なかなか微妙な位置にあるのが竹島ですね。
教科書にも、最近はデカデカと竹島の写真が載るようになりました。
嵐の時などには、ふきんで漁をしていた漁師さんが避難しました。船をここに着けて、嵐がすぎるのを待つ、というふうに使われてきたみたいですね。
日本の漁師さんも逃れてここで一晩泊まる、ということをしてきたし、なかには物好きな人もいて、ここにしばらく住んでいた日本人もいたそうです。
しかし韓国の漁師さんもここに船をつけて嵐を避けていたらしく、まあ日本の漁師さんも韓国の漁師さんも、嵐の時に命が助かると思えば、同じような行動をとったのですな。
で、韓国の人も「あそこに便利な島があるし、嵐の時はあそこに逃げればいいぞ」と思っていたし、日本人も当然、そう思っていて、隠岐の島の日本人も朝鮮半島の韓国人も、思考は一緒、ということです。
こういう学習をしてくると、5年生は単純です。
「じゃ、もうずっとそれでいいじゃん」
「べつに問題ないじゃん」
「問題解決じゃん」
と、じゃんじゃんじゃん、の3連発。
北方領土についていえば、ロシアは日本に対し、「GHQが一度日本をつぶしただろう。国際社会が日本の領土をぜんぶ取り上げただろうが。日本はそこで一度消滅している。だから択捉島はロシアがとったんだ」と気を吐いている。
日本も同じく、「たしかに国は一度その時点で滅びているが、土地を領有する権利まではく奪されてはいないぞ」と言い返す。
この、双方がファイティングポーズをとりつづける、そして水面下ではしなやかに交流し、経済を交わし、物流をさかんにし、人的な交流も分厚くし、相互に助け合うという実際の相互扶助を行う。
それが、20世紀後半の国際社会の在り方でした。
楽観的な人たちは、そうして人的物的交流がつみかさなれば、政治的解決はその下地の上にだんだんと促進されるはずだ、と信じていましたし、ベルリンの壁が崩壊したときなどは、その楽観論がもっとも信じられた時代だったでしょう。
しかしいまはちがいます。
どれだけ民間が努力しても、政治が下手をうつと、あっという間に民間の努力が瓦解するのを見てしまいました。
目のくるくるした女の子が、まるで休み時間にバレーボールをしているような声で
「竹島は、地球の人はだれもが、嵐の時に使っていいいエリア、ということにしたらいいじゃない?」と言いました。
すると東大をめざしている秀才のFくんが
「エリアは3つつくればいい。韓国の人がいるエリア、両方が入れるエリア、日本人のいるエリア。この3つをつくれば、うまくいくかもしれんよ」
わたしは感心してしまいました。
なにがって?
子どもたちの「問題解決的な思考の質の高さ」にですよ。
どうにかして、なんとかして、問題は解決したい、という意欲にです。
たしかに軍事専門家からすれば、一笑に付す意見でしょう。
しかし、この意欲はどうです?
それがなければ、こんなアイデアも出てこないでしょう。
本当に解決したい
と思えば、もしかしたらわれわれ大人だって、前に進むことができるのかもしれませんナ。