いつから「叱らない」のかなあ、というのは、春休み中に自己フィードバックをやっておこう、ということから思ったことです。
どこに価値をおくのか、何に価値をつけていくか、というのが根本で、そこが定まらなければ学級経営は成り立たないといっても過言ではないでしょう。
なので、自分が何に価値をおくのかなあ、と考えたときに、やはり自然に出てくるのが「圧迫、圧政のない社会、自由で、子どもが自分を知り、自分の価値をさらに高めたいときに、自分なりに活動していくと自然に他者を生かすことになる状態」に価値を置きたいです。

そうなると、もう必然的に、教師は叱らない。

わたしは教師になろうと思ったのはずいぶん遅くて、もう結婚して子育てがスタートしてからです。
赤ん坊が生まれ、夫婦で初めての子育てに面喰いながら、まあそれでも赤ちゃんって育つんだなあ、とドキドキしながら、教員免許を取ろうとしたわけです。高卒でしたので、まず免許がないんでね。
JAXAに出向する富士通系列のエンジニアでしたので、周囲は引き止めましたし、職場で働くことにも満足していました。ちょうど「はやぶさ」が話題になる直前で、仕事に生きがいも感じていたし、おもしろさもわかってきて、エンジニアの仕事は自分にあっていたようですナ・・・。

でもまあ、人間が育つということに、それ以上の魅力を感じたのでしょう。

それ以前のごく若いころは、肉牛を飼育する現場におりました。同時に、なんだか鶏の飼育をする現場にもいて、どちらもわたしの自己形成に非常に役立ちました。

生まれたての牛にミルクをやり、牛が徐々に育つのを見届けるのは、今の学級経営にも非常に影響しています。
また、これは肉牛の世話よりも長く、3年から5年ほど続けたでしょうか、鶏に餌をやる、というのをやりました。卵をとる仕事もあって、これもやったのですが、養鶏そのものをじっくりやったわけではありません。わたしは出版や印刷、広報などの別の仕事も同時並行でしておりました。そのため、時間を区切って、午後1時から3時までの間だけでした。その時間帯にだけ、鶏に餌をやる仕事をしたのです。実はこれが、非常に今の学級経営に深く影響をしています。

どちらも、「育つ」現場でしたから、それは当然リンクするのです。
心理的に安心して育つ。それは、鶏もそうですし、牛もそうだし、子どもだって当然そうです。

牛も鶏も、恐怖で育てると、よく育ちません。
人の子どもも同じです。

よく、家畜と人とはちがうでしょう、という人がいます。
当然それはちがうでしょうね。生物学的に異なる面を見れば。
でも、恐怖ではうまく育たない、というのは、家畜も人も同じです。

肉牛は、赤ちゃん牛にミルクをやるのもそうでしたが、もうちょっと大きくなってくると角(ツノ)を切ったり、去勢をしたり、餌をやったり、あれこれとやりました。

わたしが一番印象に深いのは、その場に入る時でした。
鶏なら鶏で、鶏の部屋に入る、まさに一歩踏み入れる、その時です。
また、牛なら牛が集まっているその場所へ入る、その時です。

これは非常に面白くて、こちらが興奮していると、興奮があっという間に広がるのです。
伝わるのでしょうね。
忙しくて時間ばかり気にしていて、心がせいていると、鶏もバタつく。
なんだか邪魔に見えてきて仕方がない。餌がスムーズにやれない。心がここにあらず、という状態で終わるのです。

これがそうでなく、心が澄んでいるといいましょうか、おなかのすいた鶏の気持ちになってというか、非常に平坦な(?)気持ちで小屋に入ると、これが言葉にしにくいのですが、一種の「許し」が出るのですね、鶏から。
「許し」というのは言葉としては今一つで、そもそも許しもヘッタクレも何もないのですが、受容というのか、鶏が「ああ、あんた待ってたわよ」ということを言ってくるような気がするわけです。
そういう日は、なんだか鶏も非常に落ち着いていて、わたしも彼らの邪魔をしないし、鶏もわたしの邪魔もしないし、WIN-WINの関係でいられるわけです。

これは同じことが牛にもありまして、わたしは19歳と20歳のときに主に肉牛の現場にいたのですが、とくに去勢をするときなど、わたしが道具を軽トラの荷台に積んで行くと、なんだか牛もざわつく感じがあるわけですね。こっちも高ぶっているのです。戦闘開始、というような。

去勢という仕事はけっこう「命がけ」という感じで、牛も人間も、大ケガをする危険があるし、失敗するととにかく痛いし、ひとも体力を使うし、お互いに緊張があるわけです。ところが、わたしが戦闘意識バリバリで牛舎に入ると、これはもうぜったいに牛が勝つのです。体力が100倍?くらいちがうから。

そこで私はあれこれを考えたのですが、この「考える」というのが、とても大切なことでしたね。今から考えると。

わたしはそれからというもの、できるだけ「わたしは木偶の坊ですよ」という顔をして牛舎に行くことにしていました。
牛よ、去勢はお前も痛いだろうが、お前の福祉のためなんだ、堪忍してくれ、と。
しかし、お前を痛めつけたいわけではない。もっと大きな目的があるんだ、という感じでしょうか。

で、できるだけ早く済ませるからな、という、どちらかというと「おごそかなる」気持ちで、偉大なる牛を本当におがむような気持ちでもって、牛舎に入るのです。

そうすると、これも不思議なことですが、先ほどの「鶏」のところでも書いたような、一種の「許し」がでるのですよ。牛からね。これは本当にわたしが思い込んでいるだけですけど。

そうなると、牛もそれほど騒がず暴れず(痛いでしょうが)、まあ分かったよ、痛いけど、という感じで、受け入れてくれるのですね。

これは、非常に今の学級経営にも役立っています。
子どもの社会があり、わたしは大人としてそこにかかわります。
子どもは子どもどうしで、もうすでにそこに大切な社会を形成しているのですね。
わたしはどちらかというと、受容されないといけない立場でありました。大人として。

そうなると、やはり、これは、「叱らない」ですよ。本当に。

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