「新間先生の似顔絵を描いたんです」
放課後、3組のS先生が声をかけてくれた。
「背景の一部なんですけどね」
S先生、放課後の教室で、子どもたちが黒板に描いた絵をみせてくれた。
この絵の前で、ビデオ撮影をしたそうだ。
何色ものチョークを使い、せっせと描かれたさまざまなイラストや文字の中に、6年担任団・5人全員の似顔絵がある。その中にわたしの顔もあった。
「新間先生の顔、すっごい、ささーっと描きましたよ」
笑いながら、S先生がおっしゃった。
それをみると、どうにも気になる点が。
おでこと口の周りに、「しわ」があるんですよ。
え、こんなに老けたイメージなの?
たしかに現6年生担任団の中では、主任だし年長者だ。
学年全体の集会では、わたしが最後に締める。
新間先生は、いちばんの「年配」である、ということなんだろう。
しかし!この「リアルなしわ」には、ちょっと驚いた。
と同時に、このことを喜んでいるというか、うれしく思っている自分に驚いた!!
これはネ。
自分に自信がなかったんですよ。こんな詐欺師のような教師が、卒業生の学年主任をやってるなんてね。だってワタシ、10代はウシの飼育からスタートしたし、20代は農業、30代はエンジニア、40代でようやく担任もったくらいで、校長先生にもため口きいちゃうような、中途半端なやつなんですよ?(このブログを長く読んでいただいている方は、過去記事からおわかりでしょう)
それが、昨年は卒業学年の学年主任になりました。
まあわたし以外の先生に「若い世代」が増えてきた、ということだけなんですが、わたしは当初、ずいぶん心の中で「おれには本当は荷が重いんだけどなあ」と正直、感じておりました。
それが、学年集会でえらそうにしゃべったり、若い先生たちの授業の相談にのったり、あれこれしているうちに(それはほぼ、演じているレベル)、なんだかんだとそれなりに、つとめてきた、ということを子どもが認めてくれたような気がしたんですわ。
この、黒板の新間の似顔絵に描きこまれた、数々の「しわ」によってネ。
で、その顔が、まあ見方によっては、おじいちゃんみたいで、子どもたちをニコニコ見守っているような雰囲気で描いてくれていて、わたしは正直、うれしく思った。そういう存在に、なりたかったから。
むしろ、子どもたちがそれを「しわ入り」で描いてくれたことによって、
そうそう、おれはこれになりたかったんだよ
という気分が、まっさきにあったわけ。
そして、少なくともこの2年間、自分の正真正銘の中身はけっしてそうはなっていないのだけれども、あたかも「子どもたちをあたたかく年配者の立場から見守る存在」であるかのように、ふるまってきた。アクターとして演じてきた。私としては、「教師として、子どもたちの前では、頭一つ分だけでも背伸びしてきた」ような感じがある。
すると、子どもたちにとっては、わたしは実際に「そうであった」という結果になった。
しわ入りの似顔絵を、笑った顔で描いてくれたことがその証拠だ、という気がしたわけですね。
自分は一人で車を運転しながら学校から帰宅する際に、ああ、あれもできなかった、これも目標のレベルまではいかなかった、と反省することばかりです。(多くの人はそうではないかと思う)
孤独レベルになると、人間は反省が増すのです。
大人も子どもも、多くの人が陥る「孤独がゆえの過小評価」ということでありましょう。
たしかに、孤独状態では「できない自分」を想起することが多い。しかしその一方、集団のレベルにおいては、子どもたちの前で頭一つ分の背伸びをたえずしてきたことで、「やれてきたこと」がそれなりにあった、ということでしょう。
こう考えると、わたしを教師にしてくれた、あるいは成長させてくれている(?)のは、ほかならぬ子どもということになるでしょうね。
よく若い先生で、子どもの前にたつのがこわくなる、ということを言う。
これはわかる。どの先生も同じ。そして通ってきた道。
しかし同時に、悩むことはないともいえる。
なぜなら、子どもの前で「背伸び」をすること以外に、教師に至る道はないからだ。
トレーニングを積んで、よく正解を学んでから教師になろうとしても、それはできない。
というよりもむしろ、子どもの前で、黒板の前で、子どもに助けてもらいながら、ヒントをたくさんもらいながら「教師としてふるまう」こと。そのことですでに、社会コミュニティ的には完成しているのでありましょう。先に『問うて・問題解決して・理解し・全て獲得してから行為しよう』とするからふるまえなくなっているのだ。
若い先生たちは、用心しすぎないように、と助言したい。
パソコンと同じですよ。よく分からないWORDだってPOWERPOINTだってEXCELだって、全部わかったうえで触らないでしょう。協力者の援護も受けつつ、まるで知っているかのようにふるまっていたら、同時に「あれ、自分もできた!」と発見した。その連続だったのですからナ。
放課後、3組のS先生が声をかけてくれた。
「背景の一部なんですけどね」
S先生、放課後の教室で、子どもたちが黒板に描いた絵をみせてくれた。
この絵の前で、ビデオ撮影をしたそうだ。
何色ものチョークを使い、せっせと描かれたさまざまなイラストや文字の中に、6年担任団・5人全員の似顔絵がある。その中にわたしの顔もあった。
「新間先生の顔、すっごい、ささーっと描きましたよ」
笑いながら、S先生がおっしゃった。
それをみると、どうにも気になる点が。
おでこと口の周りに、「しわ」があるんですよ。
え、こんなに老けたイメージなの?
たしかに現6年生担任団の中では、主任だし年長者だ。
学年全体の集会では、わたしが最後に締める。
新間先生は、いちばんの「年配」である、ということなんだろう。
しかし!この「リアルなしわ」には、ちょっと驚いた。
と同時に、このことを喜んでいるというか、うれしく思っている自分に驚いた!!
これはネ。
自分に自信がなかったんですよ。こんな詐欺師のような教師が、卒業生の学年主任をやってるなんてね。だってワタシ、10代はウシの飼育からスタートしたし、20代は農業、30代はエンジニア、40代でようやく担任もったくらいで、校長先生にもため口きいちゃうような、中途半端なやつなんですよ?(このブログを長く読んでいただいている方は、過去記事からおわかりでしょう)
それが、昨年は卒業学年の学年主任になりました。
まあわたし以外の先生に「若い世代」が増えてきた、ということだけなんですが、わたしは当初、ずいぶん心の中で「おれには本当は荷が重いんだけどなあ」と正直、感じておりました。
それが、学年集会でえらそうにしゃべったり、若い先生たちの授業の相談にのったり、あれこれしているうちに(それはほぼ、演じているレベル)、なんだかんだとそれなりに、つとめてきた、ということを子どもが認めてくれたような気がしたんですわ。
この、黒板の新間の似顔絵に描きこまれた、数々の「しわ」によってネ。
で、その顔が、まあ見方によっては、おじいちゃんみたいで、子どもたちをニコニコ見守っているような雰囲気で描いてくれていて、わたしは正直、うれしく思った。そういう存在に、なりたかったから。
むしろ、子どもたちがそれを「しわ入り」で描いてくれたことによって、
そうそう、おれはこれになりたかったんだよ
という気分が、まっさきにあったわけ。
そして、少なくともこの2年間、自分の正真正銘の中身はけっしてそうはなっていないのだけれども、あたかも「子どもたちをあたたかく年配者の立場から見守る存在」であるかのように、ふるまってきた。アクターとして演じてきた。私としては、「教師として、子どもたちの前では、頭一つ分だけでも背伸びしてきた」ような感じがある。
すると、子どもたちにとっては、わたしは実際に「そうであった」という結果になった。
しわ入りの似顔絵を、笑った顔で描いてくれたことがその証拠だ、という気がしたわけですね。
自分は一人で車を運転しながら学校から帰宅する際に、ああ、あれもできなかった、これも目標のレベルまではいかなかった、と反省することばかりです。(多くの人はそうではないかと思う)
孤独レベルになると、人間は反省が増すのです。
大人も子どもも、多くの人が陥る「孤独がゆえの過小評価」ということでありましょう。
たしかに、孤独状態では「できない自分」を想起することが多い。しかしその一方、集団のレベルにおいては、子どもたちの前で頭一つ分の背伸びをたえずしてきたことで、「やれてきたこと」がそれなりにあった、ということでしょう。
こう考えると、わたしを教師にしてくれた、あるいは成長させてくれている(?)のは、ほかならぬ子どもということになるでしょうね。
よく若い先生で、子どもの前にたつのがこわくなる、ということを言う。
これはわかる。どの先生も同じ。そして通ってきた道。
しかし同時に、悩むことはないともいえる。
なぜなら、子どもの前で「背伸び」をすること以外に、教師に至る道はないからだ。
トレーニングを積んで、よく正解を学んでから教師になろうとしても、それはできない。
というよりもむしろ、子どもの前で、黒板の前で、子どもに助けてもらいながら、ヒントをたくさんもらいながら「教師としてふるまう」こと。そのことですでに、社会コミュニティ的には完成しているのでありましょう。先に『問うて・問題解決して・理解し・全て獲得してから行為しよう』とするからふるまえなくなっているのだ。
若い先生たちは、用心しすぎないように、と助言したい。
パソコンと同じですよ。よく分からないWORDだってPOWERPOINTだってEXCELだって、全部わかったうえで触らないでしょう。協力者の援護も受けつつ、まるで知っているかのようにふるまっていたら、同時に「あれ、自分もできた!」と発見した。その連続だったのですからナ。