机の上にりんごを置く。
おいしいと思う人?(多数挙手)
『このりんごそのものの味と、今自分が感じている味とが同じだと思う人?』

これは挙手が数人で、何人かが妙な顔をし、一人が言った。
「よくわからないから、先生、もう一回言ってください」

そこで私はゆっくりと言う。
『このりんごそのものの味と、今自分が感じている味とが同じだと思う人?』

さきほどと同じ子たちが挙手。今度は勢いよく。
妙な顔をしている子はますます妙な顔をして、近くの子にひそひそ。

「よく分からない」の質問をした子は、「それは同じでしょう」とつぶやきつつ、挙手をした。

人数を数えると、10人。
残りの25人は、手を挙げない。
なにか、考え込んでいる子も多いようだ。
わたしはついで、

『では、味はちがう、と思う人?』

と尋ねた。

これに、頭の回転の速い子が喰いついた。

「ちがうと思う」

すぐになぜ?と問うと、彼はこう言った。

「だって、まずい、と思う人もいるかもしれないから」

なるほど、という空気がすぐに流れ、「じゃあちがうじゃん」なんて小さな声も聞かれた。

もう一度、同じことを問うと、すぐにクラスのほとんどが

「ちがいます」

と答えた。

しかし、最初から妙な顔をしてこちらを見ている子が数人おり、わたしはそれが気になっている。
いつも国語などで、するどい視点から意見を出す、吉川英治が愛読書のNさんも、手を挙げない。
Nさんが手を挙げないことに気づいた子が、そっと手をひっこめるのも見えた。
Nさんがこれまで間違えたことなど、一度もない。それを知っているのだ。

そこで、「まだ手を挙げていない子もいるよ」と聞いてみると、Nさんが意見を言ってくれた。

「だって、わたしがおいしい、と感じている味と、他の人が感じている味はちがうけど、もしかしたらりんごそのものが本来持っている味を、どちらかが感じ取っているのかもしれない。だけど、それを証明する手立てがない。だから、この場合は、ちがう、と言い切るのではなく、わからない、というのが正しいのだと思う」

という。

かしこい子である。

次に、黒板に図を描き、

そのものの味


りんごの持っている味を、☆じるしで表すよ。
それと、
人間の脳の中に感じ取られた味も、☆じるしだとすると、この星どうしは、まったく同じだろうか?

と問うと、すぐにうなずいて「ちがうよ」という子と、まだ分からない、という子に分かれた。

双方があれこれと意見を言い合ったが、これは不思議な授業で、みんな押し黙って沈黙しながら、グーッと考えている。勇気を出して言う子もいたが、全体としては

沈黙の重い雰囲気・・・いやちがうな、この表現は。
「沈黙」
というよりも、
「眉間にしわを寄せる雰囲気」
が教室中に充満する、というのか・・・


チャイムが鳴ると、ふーーーーっと、大きなため息が漏れた。

わたしも、同じように、ふーー、と言った。