さて、いよいよ織田信長、とその前に、もう一つ学習しておく人がいる。
それが、「フランシスコ・ザビエル」さんであります。
この人が日本にもたらした革命が、実は日本をつき動かしております。
ザビエルさんのやってきたころ、つまり戦国時代に日本が南蛮と貿易を行うためには、ある条件がありました。それは、スペインやポルトガルからの宣教師たちの布教活動を認めて交流することです。これが前提条件となっていました。
ザビエルさんたちは、主眼である布教をさせてくれるんだったら、という条件つきで、さまざまなおみやげを見せたり、贈ったり、話をしたり、という「文化交流」も行ったわけです。
そういうわけで、1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名なザビエルさん。結果として、キリスト教だけではなく、織田信長が長篠の戦いで実戦使用した鉄砲や眼鏡なども伝えています。
織田信長とザビエルさん、実は直接の面会はしてはおりません。
その代わり、ザビエルとの関係をもつイエズス会のルイス・フロイスが、1569年に信長と直接面会しています。
さて、時代は進み、
信長は混乱した室町幕府の終末期において、どんどんと頭角をあらわして他の守護大名を圧倒、実際の天下人にあと一歩、というところまでたどりつきます。
朝廷も信長という人物におそれおののいておりまして、なんと3つの官位を信長にさずけようとしますよ。
天皇「これ、信長よ」
信長「はい」
天皇「お前の欲しい官位をやろうぞ。関白、太政大臣、そして征夷大将軍。どれがほしいのじゃ」
信長「そうですねえ・・・」
というところまで来ました。
足利将軍もいるにはいたのですが、足利将軍はもうすでに官位としては信長以下になりさがっておりましたので、信長にとって、なにも障害になるものはない。
足利義昭は征夷大将軍ではありましたが、朝廷が与える官位としての上下関係でいくと、信長はすでに征夷大将軍より上だったのですね。(信長は朝廷より従三位・権大納言・右近衛大将に任じられ、従三位・権大納言・左近衛中将の義昭よりも上位の存在となった)
ところが、事件が起きてしまいます。
天皇「さ、どんな官位がほしいのじゃ?なんでもやるぞ」
信長「そうですねえ。・・・もう少ししたら、お返事するので、まってちょーよ」
と言いつつ、一月後に本能寺で死んでしまう。
残念ですねえ、信長。
天下統一に近くまでたどりついたというのに・・・。
ところで信長は西洋の知識が大好きだったようです。
地球儀を見せてもらうと、地球が丸いことや他の天体についても理解したそうですし、
フロイスがプレゼントしようとした時計をみて興味を持ち、くれるのはありがたいが、日本では修理ができないのが惜しい、と言って、そのままフロイスに返却したそうですね。
もう関白にもなれるし、征夷大将軍にもなれる、というところまできたんだから、いっそのこと日本を超えてヨーロッパに行ってみたい・・・と思ったかもしれません。
(※ヨーロッパの各地で王侯貴族の先生をしていたGiordan Buruno という人物がODA NOBUNAGAと顔がそっくりで、もしかしたら信長がヨーロッパに移動してそう名乗ったのではないか、という説がありますが、まあこれは冗談でしょうけど、おもしろいことを考える人もいるものですね。このブルーノという人物は主流派だったカトリック教会の天動説チームに反して、地動説を堂々と唱えた変人だったらしいです⇒結果、火あぶり)
さて、信長の死後は、いよいよ秀吉さんですね。どうなるやら。
左がブルーノ。似てますか?

それが、「フランシスコ・ザビエル」さんであります。
この人が日本にもたらした革命が、実は日本をつき動かしております。
ザビエルさんのやってきたころ、つまり戦国時代に日本が南蛮と貿易を行うためには、ある条件がありました。それは、スペインやポルトガルからの宣教師たちの布教活動を認めて交流することです。これが前提条件となっていました。
ザビエルさんたちは、主眼である布教をさせてくれるんだったら、という条件つきで、さまざまなおみやげを見せたり、贈ったり、話をしたり、という「文化交流」も行ったわけです。
そういうわけで、1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名なザビエルさん。結果として、キリスト教だけではなく、織田信長が長篠の戦いで実戦使用した鉄砲や眼鏡なども伝えています。
織田信長とザビエルさん、実は直接の面会はしてはおりません。
その代わり、ザビエルとの関係をもつイエズス会のルイス・フロイスが、1569年に信長と直接面会しています。
さて、時代は進み、
信長は混乱した室町幕府の終末期において、どんどんと頭角をあらわして他の守護大名を圧倒、実際の天下人にあと一歩、というところまでたどりつきます。
朝廷も信長という人物におそれおののいておりまして、なんと3つの官位を信長にさずけようとしますよ。
天皇「これ、信長よ」
信長「はい」
天皇「お前の欲しい官位をやろうぞ。関白、太政大臣、そして征夷大将軍。どれがほしいのじゃ」
信長「そうですねえ・・・」
というところまで来ました。
足利将軍もいるにはいたのですが、足利将軍はもうすでに官位としては信長以下になりさがっておりましたので、信長にとって、なにも障害になるものはない。
足利義昭は征夷大将軍ではありましたが、朝廷が与える官位としての上下関係でいくと、信長はすでに征夷大将軍より上だったのですね。(信長は朝廷より従三位・権大納言・右近衛大将に任じられ、従三位・権大納言・左近衛中将の義昭よりも上位の存在となった)
ところが、事件が起きてしまいます。
天皇「さ、どんな官位がほしいのじゃ?なんでもやるぞ」
信長「そうですねえ。・・・もう少ししたら、お返事するので、まってちょーよ」
と言いつつ、一月後に本能寺で死んでしまう。
残念ですねえ、信長。
天下統一に近くまでたどりついたというのに・・・。
ところで信長は西洋の知識が大好きだったようです。
地球儀を見せてもらうと、地球が丸いことや他の天体についても理解したそうですし、
フロイスがプレゼントしようとした時計をみて興味を持ち、くれるのはありがたいが、日本では修理ができないのが惜しい、と言って、そのままフロイスに返却したそうですね。
もう関白にもなれるし、征夷大将軍にもなれる、というところまできたんだから、いっそのこと日本を超えてヨーロッパに行ってみたい・・・と思ったかもしれません。
(※ヨーロッパの各地で王侯貴族の先生をしていたGiordan Buruno という人物がODA NOBUNAGAと顔がそっくりで、もしかしたら信長がヨーロッパに移動してそう名乗ったのではないか、という説がありますが、まあこれは冗談でしょうけど、おもしろいことを考える人もいるものですね。このブルーノという人物は主流派だったカトリック教会の天動説チームに反して、地動説を堂々と唱えた変人だったらしいです⇒結果、火あぶり)
さて、信長の死後は、いよいよ秀吉さんですね。どうなるやら。
左がブルーノ。似てますか?

あらまそうかい
が
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