言葉を豊かにしたい、と思う。
本を読ませたいが、それだけでもダメで、実際にやりとりができないといけない。
きちんとやりとりをさせたい。
なぜそう思うかと言うと、「言葉を有効に活用する能力をみると、今の子たちは力不足で、現実世界を生き抜くのに足りない」と思うからだ。

といっても、昭和の時代のわたしよりも、ちゃんとしている子がたくさんいる。
どういうことかというと、時代がそれ以上を要求している、ということ。
昭和ならそのまま「そんなものだからあきらめろ」となっていたことが、もうコンプライアンス的にあきらめるわけにいかず、解決しなければならなくなってきていることが多いと考える。

わたしは現代の方が幸福だと思う。
昔は泣き寝入りが多かったのではないかと思う。
また、世の中はそういうもの、で済ませていたことが多かったのだと思う。
たとえばいじめ、パワハラ、シングルマザーへの差別など。
しかし、時代はもう、「一人ひとりを最大に尊重する」ということができるようになってきた。だから、昭和とはちがう。正しいことはどんどんと推し進めるべきなのだ。

というわけで、今の子たちは、
要求されるレベルがこれまでよりも高い。
そのレベルに達することができるように、どの子も支援しなければならない。

その中心になるのは、「言語活動」である。
正しい語彙で、
必要な語彙で、
語彙を選択して、
論理的に、
わかりやすく、
相手に共感してもらえるように

話すこと。

これが求められているわけ。
しかし、こんなことは大人でも難しい。
大人でも、論理的に言語をうまくつかって、冷静に話し合える人の方が少ない。

そのため、学校では四六時中、言語をうまく使う、ということに注力して教育をする。

〇言いたいことが言えているか
〇必要な語彙を選択できているか
〇論理的に話すことができているか
〇(提案したいなら)提案できているか
〇(謝りたいなら)謝ることができているか
〇(励ましたいなら)励ますことができているか

どうしてそう思ったのか、という「理由の説明」はいちばんむずかしい。
大人でも、きちんと理由を説明できる人は少ない。
大人がかんちがいしやすいのは、自分では理由を説明した気になっていることだ。でも実際には、その人の「理由」は伝わっていない。これは子どもも本当に苦労する。

さて、小学生が習うべきなのは、

1)あなたは「〇〇〇」と言いたいのですね
2)そこでわたしは「△△△」と言いたいのです


という、基本的なキャッチボールです。


政治家の答弁などを聴いていると、記者の質問とはまったく無関係のひとりよがりの発言をして、問いに正対しない、という致命的なミスをしています。
これを小学生がやってしまうと、もう社会生活がおくれなくなるくらい、やばい。

相手のボールを、しっかりと受け取り、ああ、こう言いたいのだな、と把握する。
できれば、「あなたのセリフを自分はこう聞いた」、ということを確認するのがいい。
勘違い、聞き違いということも、世の中にはとても多い。リスクも高い。
相手の言い分を聞き、あなたの意見はこうなのですね、あなたはこう言いたいのですね、と。
そうすると、その時点でちがうなら、相手が訂正を出せる。
OKなら、その後、自分の意見を言えばいい。
その「きちんと相手の発言に呼応して、正対した対話をする」ということ。
これが、小学生の習うべき「言語活動」であります。

それを子どもたちが身につけるためのステップとして・・・(つづく)

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