小学校教師というのは、授業を行うのはもちろんですが、日本の場合は、どちらかというとそれがメインなのではありません。
授業は業務のうちの3割程度かな・・・実感としては・・・
メインの業務は、お子さん方のメンタルのお世話でしょうか。

といっても特に何かをするのが必要なわけではなく、ただひたすら、

〇共にすごし
〇共に給食を食べて
〇共に掃除をして
〇共に生活上のいろんなことを話し合って
〇共に感想を出し合って
〇共にじゃ次はこうしようとか言い合って
・・・

という繰り返しをするのですが、
それがまあ、いちばん人間が成長する元になります。
特段、なにかが必要なわけではなく、人間は元々、日々成長し、良くなっていく存在なのかなと思います。

そこで、教師も毎日あれこれと子どもの姿から学びますし、あれこれ考えます。
わたしは

「自分なんかよりもよほど偉いな、この子は」

と思う子によく出会う。
私が自分の子どもの頃を思い返すと、この子は少なくとも自分よりはマシ、と思うことが多い。
だからなんとなく、甘い、と言われてしまうのでしょうかネ。
わたしは高卒で大学も中退だし20代もろくに稼がず、職業も転々としてまっとうな人生を歩んできたとは言い難い。だから、この子は自分よりもおそらく偉いし、立派な人生をおくるだろう、という気がしてならない。どの子に対してもそう思う。

だからかもしれないが、子どもたちが悩みを打ち明けてくると、

「たいしたことないですナァ・・・」

としか思えない。
これは教師としてはマズい。親身になって受け止めてあげなくてはいけないと思う。当人は真剣なのだから。

6年生になり、長く続けた新体操を辞める、と相談にきた子がいる。
実際は、お母さんが相談をもって学校に来られた。その後、当人もまじえて話し合った。

何よりも、お母さんが

「小1から続けてきて、県大会で二十位までに入った。本人も楽しく続けてきたのに、やめるのはもったいないと思いまして」

と悩んでおられた。

しかし、当人は中学に新体操の部活がなく、中学ではクラスの友達と一緒に部活に入りたいのだ、という。
どの部活に入るかは具体的に決めているわけではない。ただ、友達といっしょに部活をしてみたい。新体操を続けると、ほとんど毎日のように県の体育館やスクールに通って練習をしなければならないため、部活には入ることができない。

当人は
「できたら両方やりたいし、新体操もきらいなわけではないから、続けたい気持ちもあるが、これだけになってしまうことについての不安がある」
とのこと。

「これだけになってしまう」というのが、子どもの言い分。
母親はそれに対して、「それでいい」と思っている。人間、何かに打ち込むのは幸福なことだが、いくつもできないのだから。新体操がたのしくやれたらそれでいいのでは、と考えているようだ。

私は、近くのお寺の和尚さんに相談してもらいたい、と正直思う。
だって、この相談、小学校の教師にすることか?
人生の悩み相談は、お寺の和尚さんに相談するのがこの国のルールだったはず・・・(ちがうか)

私は小学校の教師であり、授業の相談や学習のこと、クラスの人間関係などのことは相談に乗るが、あなたの私的な活動については正直、どうでも・・・あ、いや、すみません。お話は聞かせていただきます・・・。

みなさんはどう思われるでしょうか?
わたしは自分が仕事が長続きせず、転職を繰り返すほどのだらしない人間であったので、

「辞めたい?いいんじゃないの」

とすぐに言ってしまいそうである。
わたしは長続きがしない、そのために損をしてきた、ということにかけては他の人にひけをとらないくらい自信がある。

お母さんは「もったいない」と何度も言う。

ところがその結果はどうなるかはだれにもわからない。
わからないからお母さんも当人も、どうなんだろう、と真剣に悩む。

わたしは、20代の最初になぜか子牛に早朝ミルクを与える仕事をしていたが、あれを続けていたら今、おそらくいっぱしの酪農家になれていただろうと思う。あるいは肉牛の専門家として今頃はステーキを食べ比べることができる人材になっていただろう。当時は雄牛の去勢もしたが、去勢のプロにもなっていたかもしれない。

しかし、辞めた自分のことを「ざんねんなやつ」とは思わない。
むしろ、あれこれと遍歴し、漂泊し、一貫性のなかった自分自身のことが好きだ。

わたしは結局、なにもアドバイスができないまま、うーん、と腕組みして
「むずかしいところですよねえ・・・」と言葉少なに何度かつぶやくだけでした。
お母さんはマシンガントークを娘と繰り広げて、疲れ果てて帰宅されましたが、娘はおそらく、もう心の中では「辞める」と決めているのでしょう。
ところがお母さんがそのことに納得していないので、その子は仕方なく親を私のところに連れてきた、ということが真相でしょうね。

子どもは、「スポーツを辞める自分を自身では否定もなにもしない」のに、親が否定している。
子どもはスッキリしていて、強いですよ。力強く自分の足で立っているのが子どもで、ふらふらと不安でしっかり立てていないのが親、というのはよくある構図でしょう。

今回のオリンピックでも、競技の直後に引退を宣言する選手が、たぶん少しくらい、いそうです。
で、その人はすごくすっきりしていて、そんな決定を下した自分に誇りをもっているんだけど、
周囲の別の人が「もったいない」と言う、というのは、いかにもありそうな話ですナ。

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