道徳で、『ずるさ』を考えた。
ずるいという意味が人によって異なるため、一応の定義をしなければならない。
基本は「相手を自分の思う通りに操作しようとする」動作を「ずるい」と規定した。
意見を押し付けようとする動作はすべてこれにあたるから、意見の押しつけはすべて「ずるい」ということになる。
これはネットに広がる言論を理解するために必要なリテラシーの一つで、小学生の時代に学んでおくべきネットリテラシーの学習の一つに分類されている。
いわゆる、「思い込み」「きめつけ」に陥らないための相続力スイッチである。
欧米では、相手の意見を封じ込める言い方、対応の仕方を「トーンポリシング」といい、やってはいけない、と指導されている。しかしまだまだ人は思い込みが強く、相手を自分の都合の良いように操作しようとするから、トーンポリシングに対抗する力を得るには訓練が必要だ、ということになっている。大人でもパワハラで苦しんでいるんだから、これからの新しい時代を生き抜いていく子どもたちには絶対に必要な素養だと考えられているのでありましょうな。
このトーンポリシング、という言葉を知ったとき、ポリシング、というのはポリスと同義かなあ、と思って調べてみたら、やはりTone Policingで、Police(いわゆるポリス、警察の原義にあたる言葉で、統治、監視、というような意味)の親戚筋にあたる言葉であった。
授業では、「どっちもどっち」ということを題材にした。
いわゆるネットにはびこる、「DD論」である。
これはリテラシー授業では初歩の学習だけど、たぶんなんとなく子どもたちも日常で耳にしたりであったりしたことがあるからだろうと思う。
〇どっちもどっちじゃないか。別に問題視することはない。あなたが言える立場じゃない。
〇あなたの方にだって問題がある、課題があるじゃないか。指摘する資格がないよ。
〇言い方が悪いんだよ。そんな言い方では伝わらないからダメ。聞き入れてもらえなくて当然。
どれも今苦しんでいる人にどう聞こえるか、という視点で授業を進めます。
ネットでは冷笑系、と呼ばれている『反応の仕方』に分類されているようだけど、その冷たさを十分に味わいます。ロールプレイングをすると、みんな硬直したような表情になる。
「ひでえ」
思わず見ていた子が反応してつぶやいた一言です。
そう。冷笑って、キツイんですね。当事者ならそう思える。
どうして冷笑になるのかというと、過去にうまく伝えられなかったトラウマがあるから。
うまく伝える、という「伝えてよかった」経験値がかなり低く、伝えることに自信がないから、冷笑、という「ひねくれた」表現になってしまって病的になっている。
ところが子どもはまだそのトラウマがないか少ないから、ひねくれてこじれた大人よりもしっかりと物事に向き合えている。子どもの持つパワーですね。
「〇〇くん、〇〇してね、ときちんとお願いしたらいい」
それが授業で子どもたちが見つける答えです。
かんたんです。
「もう少し、机をうしろに下げてほしい」
これが言えるかどうか。
「おかずをもう少し多くよそってほしい」
これが言えるかどうか。
「机をえんぴつでコツコツやるのをやめてほしい」
これが言えるかどうか。
言えない子が、冷笑系に走る。走りやすくなる。あるいはそうなる素地を「抱えてしまう」。
きちんとお願いできる子は、きちんと交渉している。相手を尊重している。
冷笑する子は、孤独に悩んでいる。孤独におびえている。過去のトラウマにおびえている。
それで、お願いの仕方や友達の反応を悲観的に想像して心をこごえさせている。
しかし、友達のあたたかさや血の通ったコミュニケーションを思い出せば、きちんと話してみよう、と相手を尊重することができる。
心が柔軟性を失ったとき、想像力を失ったとき、あまりにも硬直しきったときは、相手を「あなたのそれはトーンポリシングじゃないか!」と(←逆トーンポリシングという)非難することさえ起きる。自分を守ろうとしての精一杯の努力なわけだ。言いたいことを言うことすらできず、相手の言動を封じようとここまでひねくれることがあるのだから、やはり人間は自分の伝えたいことをしっかりと伝える、ということができにくく育っているものらしい。
【発問1】
自分「かばんをここに置かないでよ」
相手「え?もっと早く言ってくれたらよかったのに」
言われたときに感じた気持ちはどうだろうか。
まず自分でノートに書く。できるだけくわしく。
そのあと、みんなで交流。発表しあう。
心が広がり、安心感が増えたかどうかで判断する。
「伝えてみてよかった、と思えたかどうか」
【発問2】
自分「わたしのこと、テリーって呼ばないで」
友人A「伊藤だからそう呼んだんだよ。そこまで傷つくことかなあ」
友人B「悪気はないんだからいいじゃない」
言われた時の気持ちを考える。
「お願いしてみたときの気持ち、お願いしてみてよかったと思えたかどうか」
「そのあとこう言おう、と考えましたか。そのつづきは、どう答えますか?」
【発問3】
(自分の側で考える)
自分が、今、苦しんでいる、という気持ちを伝えることができましたか?
【発問4】
(自分の側で考える)
相手に配慮してもらえる、という安心はありましたか?
【発問5】
(相手の側で考える)
相手を自分の思い通りにさせようとしたかどうか。
こちらの気持ち、自分の思いを伝えることはできたかどうか。
【発問6】
相手の心の状態がよくなったと思いますか。
自分の心の状態がよくなったと思いますか。
【発問7】
このやりとりの良くない点、欠点はなんですか。
【発問8】
トーンポリシングをどう思いますか。
〇わたしとしては、最後の「トーンポリシング」という言葉を、小学生段階で知り、使いこなせる言葉にできる、というのが、この授業の目的のように思う。
「われわれが論争するとき犯すかもしれない罪のうちで、最悪のものは、反対意見のひとびとを不道徳な悪者と決めつけることである」(ジョン・スチュアート・ミル)
ずるいという意味が人によって異なるため、一応の定義をしなければならない。
基本は「相手を自分の思う通りに操作しようとする」動作を「ずるい」と規定した。
意見を押し付けようとする動作はすべてこれにあたるから、意見の押しつけはすべて「ずるい」ということになる。
これはネットに広がる言論を理解するために必要なリテラシーの一つで、小学生の時代に学んでおくべきネットリテラシーの学習の一つに分類されている。
いわゆる、「思い込み」「きめつけ」に陥らないための相続力スイッチである。
欧米では、相手の意見を封じ込める言い方、対応の仕方を「トーンポリシング」といい、やってはいけない、と指導されている。しかしまだまだ人は思い込みが強く、相手を自分の都合の良いように操作しようとするから、トーンポリシングに対抗する力を得るには訓練が必要だ、ということになっている。大人でもパワハラで苦しんでいるんだから、これからの新しい時代を生き抜いていく子どもたちには絶対に必要な素養だと考えられているのでありましょうな。
このトーンポリシング、という言葉を知ったとき、ポリシング、というのはポリスと同義かなあ、と思って調べてみたら、やはりTone Policingで、Police(いわゆるポリス、警察の原義にあたる言葉で、統治、監視、というような意味)の親戚筋にあたる言葉であった。
授業では、「どっちもどっち」ということを題材にした。
いわゆるネットにはびこる、「DD論」である。
これはリテラシー授業では初歩の学習だけど、たぶんなんとなく子どもたちも日常で耳にしたりであったりしたことがあるからだろうと思う。
〇どっちもどっちじゃないか。別に問題視することはない。あなたが言える立場じゃない。
〇あなたの方にだって問題がある、課題があるじゃないか。指摘する資格がないよ。
〇言い方が悪いんだよ。そんな言い方では伝わらないからダメ。聞き入れてもらえなくて当然。
どれも今苦しんでいる人にどう聞こえるか、という視点で授業を進めます。
ネットでは冷笑系、と呼ばれている『反応の仕方』に分類されているようだけど、その冷たさを十分に味わいます。ロールプレイングをすると、みんな硬直したような表情になる。
「ひでえ」
思わず見ていた子が反応してつぶやいた一言です。
そう。冷笑って、キツイんですね。当事者ならそう思える。
どうして冷笑になるのかというと、過去にうまく伝えられなかったトラウマがあるから。
うまく伝える、という「伝えてよかった」経験値がかなり低く、伝えることに自信がないから、冷笑、という「ひねくれた」表現になってしまって病的になっている。
ところが子どもはまだそのトラウマがないか少ないから、ひねくれてこじれた大人よりもしっかりと物事に向き合えている。子どもの持つパワーですね。
「〇〇くん、〇〇してね、ときちんとお願いしたらいい」
それが授業で子どもたちが見つける答えです。
かんたんです。
「もう少し、机をうしろに下げてほしい」
これが言えるかどうか。
「おかずをもう少し多くよそってほしい」
これが言えるかどうか。
「机をえんぴつでコツコツやるのをやめてほしい」
これが言えるかどうか。
言えない子が、冷笑系に走る。走りやすくなる。あるいはそうなる素地を「抱えてしまう」。
きちんとお願いできる子は、きちんと交渉している。相手を尊重している。
冷笑する子は、孤独に悩んでいる。孤独におびえている。過去のトラウマにおびえている。
それで、お願いの仕方や友達の反応を悲観的に想像して心をこごえさせている。
しかし、友達のあたたかさや血の通ったコミュニケーションを思い出せば、きちんと話してみよう、と相手を尊重することができる。
心が柔軟性を失ったとき、想像力を失ったとき、あまりにも硬直しきったときは、相手を「あなたのそれはトーンポリシングじゃないか!」と(←逆トーンポリシングという)非難することさえ起きる。自分を守ろうとしての精一杯の努力なわけだ。言いたいことを言うことすらできず、相手の言動を封じようとここまでひねくれることがあるのだから、やはり人間は自分の伝えたいことをしっかりと伝える、ということができにくく育っているものらしい。
【発問1】
自分「かばんをここに置かないでよ」
相手「え?もっと早く言ってくれたらよかったのに」
言われたときに感じた気持ちはどうだろうか。
まず自分でノートに書く。できるだけくわしく。
そのあと、みんなで交流。発表しあう。
心が広がり、安心感が増えたかどうかで判断する。
「伝えてみてよかった、と思えたかどうか」
【発問2】
自分「わたしのこと、テリーって呼ばないで」
友人A「伊藤だからそう呼んだんだよ。そこまで傷つくことかなあ」
友人B「悪気はないんだからいいじゃない」
言われた時の気持ちを考える。
「お願いしてみたときの気持ち、お願いしてみてよかったと思えたかどうか」
「そのあとこう言おう、と考えましたか。そのつづきは、どう答えますか?」
【発問3】
(自分の側で考える)
自分が、今、苦しんでいる、という気持ちを伝えることができましたか?
【発問4】
(自分の側で考える)
相手に配慮してもらえる、という安心はありましたか?
【発問5】
(相手の側で考える)
相手を自分の思い通りにさせようとしたかどうか。
こちらの気持ち、自分の思いを伝えることはできたかどうか。
【発問6】
相手の心の状態がよくなったと思いますか。
自分の心の状態がよくなったと思いますか。
【発問7】
このやりとりの良くない点、欠点はなんですか。
【発問8】
トーンポリシングをどう思いますか。
〇わたしとしては、最後の「トーンポリシング」という言葉を、小学生段階で知り、使いこなせる言葉にできる、というのが、この授業の目的のように思う。
「われわれが論争するとき犯すかもしれない罪のうちで、最悪のものは、反対意見のひとびとを不道徳な悪者と決めつけることである」(ジョン・スチュアート・ミル)