中学生のころ、洋楽が流行した。
わたしもご多分にもれず、友達といっしょにレコードショップでLPを探したり、ビルボートのチャートを毎週チェックしたりしていた。
懐かしすぎる話題なので、LPが分からない方は「LP(エルピー)レコード」をググってください。

友だちはお小遣いをはたいてLPプレーヤーを買ったところ、ものの数年で販売される新曲がことごとくCDばかりになり、唇をかんで悔しがっておりました。わたしは貧乏でしたらかどちらも買えず、ずっとカセットデッキでしたね。東芝のちっちゃい奴。宝物でした。

友だちがレコードをレンタルすると、その話を聞きながら、同時にカセットを仲間内で貸してまわしていき、一通りなかまの間をカセットが回ると、みんなで音楽の評価を語り合うのがルールになっておりました。

その中に、「Born in the USA」がありまして、狂ったように繰り返すフレーズが耳にこびりつき、癖になるような感覚を覚えました。
歌詞を知らずに聞いていると、なんとなく元気が出てくる。
テンポもいいし、大声で叫ぶ感じもすごく明るい。
わたしは最初、すごく人々の元気を鼓舞する歌だと思った。

ところが・・・のちに自衛隊に入隊した友人のKくんがこれを大のお気に入りにして、何度もこの歌に関する様々な話をしていたのですが、歌詞が絶望的に暗いのです。
体制側への強烈な皮肉を込めた歌詞で、聴くだけで陰鬱な気分に囚(とら)われること間違いなし。
『俺はアメリカに生まれたけれど、この自分の悲惨な運命はどうしても国家の判断ミスからそうなった』といわんばかり。「Born in the USA」は強烈な国家への皮肉を込めた、愛国反戦歌なのでした。

この愛国反戦歌の大好きなKくんは、その後無事に入隊し、今ではけっこうえらい人になっているらしい。いいよね。強烈な国家への皮肉と哀しみを、いつも好んで口ずさんでいた彼が、自衛隊のおえらい人になってるって。・・・なんか、いいでしょう?

ところで、星野源くん。
みなさんは、彼が大みそか、紅白歌合戦で歌った曲を覚えておいででしょうか。
彼の歌もまた、歌詞にとらわれずに聞くと、とても元気が出てくる。メロディやリズムに癒されながら、最後には元気が鼓舞される雰囲気がある。
紅白で熱唱したのは、「うちで踊ろう」の紅白バージョンなのですが、歌詞の中に

「僕らずっと独りだと 諦(あきら)め進もう」

というような言葉がありました。

孤独だと諦(あきら)めよ、というのですから、なかなかの言葉です。
諦める、という言葉の意味はいったいなんだろうか、と深読みしたくなる。
ともすると、なんだか鬱になりそうなほどの、暗いイメージがします。
曲は明るいのに、歌詞は暗い。このあたり、ブルーススプリングスティーンとかぶります。

しかし。

あきらめる、というのは、元は、明らめる、ということ。
あきらかにする、という意味だったそうですね。
だとすると、そんなに暗い言葉では、ない。

独り、という言葉にも、否定的なイメージを持つ人が多い?・・・かもしれないが、結局、自分が自分をお世話することを最高に楽しくやろう、という意味ですから、それがやれるのがまずは第一だというわけ。独りでもかまわないし、独りでいい。むしろ、独りでこそ、まずは自分自身を最高にお世話しようとするだろう、という。

他のためになにかしなければ、という余計な道徳観念でなにかをするわけではなく、わかりもしないのに、おせっかいな不都合を相手におしつけるわけでもない。頼まれもしない圧力ほど厄介に感じるものもないのですからな。だいたい、自分がしてほしいことを、相手が本当に理解しているはずがない。自分がしてほしいことを、一番細かく丁寧にキャッチできているのは、自分。

星野源くんの歌詞の本当の意味は、本人に直接尋ねていないから分からないけれど、緊急事態宣言が出されるかという瀬戸際で、なかなかの歌詞だったな、と思います。
ブルース・スプリングスティーンも、ときの政権や体制に向けて強烈なパンチをくらわせた歌をうたったのですが、源くんもある意味、世の中に対して強烈なパンチを見舞った感がありますね。

「僕らずっと独りだと 諦(あきら)め進もう」

まさに原点。
「自分を世話する」を全世界の人間が真剣にやる、という時代です。
まずは自分をかわいがろう。それも、とことん。

星野源