ユーチューブをやりたいと思ったのは、すごく面白い動画に出会ったことがきっかけです。
昨年の9月ごろでしたか・・・。

わたしはそのころ、5年生のキャンプを控えていました。
土日になると飯盒炊飯の動画を見て、子どもへの指導の方法を考えていました。たまたまその中でみた動画が、すっごく面白かったのです。

ソロキャンプにあこがれている方が、山ではなくて自宅の庭で外用の時計型ストーブに火をつける、というただそれだけの、本当に意味のないような焚火の動画だったのですが、すっごく面白かった。

人間の顔は出てきません。セリフもない。
ただ、ゆっくりと焚火をしているだけ。
そこに、ときおり、その人のひとりごとのような、文字のテロップが入るのです。
「あちち」
とか。

「そろそろ湯を沸かすか・・・」
というような。

「あれ?コップをどこへ置いた?」
とかね。

で、時おり、目の前の道を小さな息子さんが自転車で通っていき、
「あ、息子だ」
とか。

まあ、日曜日の昼下がり、『お父さんなにやってんの!』という感じですね。
会社員のお父さんが、非日常を求めて、庭で薪をただ燃やす、というだけ。
それも、10分くらいの短い、ポエムのような動画でした。

おもしろかったのは、最後、奥さんに呼ばれて、「ちょっとー」と言われて、「今日の動画はこれで終わりです」となる。子育て家族のお父さんが、本当に30分程度でしょうか、自分だけの時間を焚火で過ごすわけ。

それをわざわざ、編集し、10分の動画にしている。
わたしはこれを見て、これが現代の俳句かしら、と考えました。
お父さんはその後、家族のためにスーパーに買い物に行くわけですが、
『その方の日常を、スパンと横からぶった切ったような、その断面を眺めているような』感じがしたのです。

おお、こんなことができるんだ、動画って、と感心しました。
人生を切り取るのは、落語か俳句か短歌か、それとも昭和の歌謡曲だとばかり思っていました。
ところが、この動画は、その方の声も顔も見えないけれど、生活の雰囲気や感じていることや、いいお父さんなんだな、ということや、なにか仕事のことで考えているんだなとか、語らないこと、画面に映されていないあれこれを、ものすごく感じさせてくれました。

動画って、その人の目線が現れるから、本当に「人間性」が出るみたい。
わたしの知り合いの動画編集の青年も、同じようなことを言っていました。
「動画は人間性をアピールできるツール」というようなことを言ってました。
そうだな、と思います。

いいなあ、こんな動画ならぜひ撮ってみたい。
そう思ったのが、去年の秋でしたかね。
今年はぜひ、動画をとってみたい。
俳句ですよ、これは。

今のYoutubeって、多くの人が投稿しています。
まあユーチューブだけじゃないですけどね。
多くの人がつぶやいている日常を、

俳句動画

のようにして、こんなふうにアップしている人がたくさんいるのを初めて知りました。
アクセス数はとても少ないですね。だから、これでお小遣いを稼ごうとか、そんなのではないのでしょう。あくまでも、

俳句

のようなスタンスだと思います。
ぜひやってみたいですね。

というか、小学校の授業で、こういうのやろうと思ったのですよ。
ちょっとしたつぶやき動画というのか、セリフ無し、顔なし、演技無し、広告なし、アピールなし、というようなことでの、

【純粋俳句動画】

を子どもがつくったらどうだろうか。

日常を撮影して、最後にその子なりのつぶやきをテロップで入れたら・・・

まあ、直感だけです。面白そう、というネ。
なんの授業になるんだろうか、道徳なのか図工なのか・・・。

いいなあ。やってみよう。

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